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2010年5月

2010年5月31日 (月)

健康診断

またいやな時期が来た。

血圧を測るときは、薬を飲もうが飲むまいが数値は跳ね上がる。

血液採取の時は、最低、約7人に抜かれる。

だからボクは、健康診断のたびに寿命を奪われているのだ。

血圧が高いので、薬は毎日飲んでいるが、健康診断の時になると昔の値に戻る。

どれが普段の数値か分からないが、肝機能は悪いので明日から酒をやめる。

…止めたい…という気概である。

とにかく採血がイヤだ。

ボクの血はドロドロしているので、採血用の注射器で吸引してもらってもいても、見る間に溶血していく。そこで仕切りなおし…になる。

 血圧は150/100で、溶血2回のような気がする。

絶対に寿命が縮まる。たぶん明日は心肺停止状態。

2010年5月30日 (日)

Windows

パソコンを購入するにはサイクルがある。

ぼくの場合は、ノートタイプのwindows95がスタートだった。

開設当初のヤブ山突撃隊サイトは、写真もなく、下手な概念図を描いていた。

 

その後、98からMe、2001へ移行する中で、デスクトップのMeに替えた。ところが、Meは悪名高きシリーズで、遅いし、しょっちゅうフリーズするので、何度か再インストールする羽目に陥った。そのうち、Meがウィルス対策ソフトのサポート対象からはずれることになったので、とうとうVista搭載のノートパソコンを買った。

 

ところが、ちょうど帰ってきた息子にこう言われた。

「Me を買った人は、更新間隔からして、Xpを飛ばしてVistaに買い換えるけど、MeとVistaはどっちもWindowsの中では欠陥ソフトなんだ。Xpの人は、次に「7」に行くのでずっとラッキーなのさ」と言う。

「なんだ!Meを買ったやつは次も欠陥ソフトを買うわけか…」

「たぶんね。Windows7を持って帰ったから、使ってみる?」

…起動してみて驚いた。すぐに立ち上がるし、サクサク動く。実は、Vistaに買い替えたとき、画面は奇麗だが、新しいソフトの割には、立ち上がりや動きがあまり速くないなと感じていたところだったのだ。

 恐らく、パソコンの買い替えはウィルス対策ソフトのサポート期間に影響されやすいから、Meの人が買い換えるときは、必然的にその頃出たVistaになってしまうのだろう。

 

 息子が、「気に入ったらこれあげるよ」と殊勝なことを言うので、

「おおサンキュー!サンキュー!」と喜んでいると、こんなオチがあった。

「うんあげるよ。その代りおやじの車をくれよ!」

…なんのことはない、息子の狙いは、パソコン難民の父親救済ではなく、ぼくの車だったのである。

 

▼はちべえどの

山勘研究所のコメントはどうやったら書けるのですか?色盲検査のような記号をどこに入力すればいいのでしょうか?パソコン難民の私にはどうしてもできないのです。

2010年5月29日 (土)

実家に帰る時は、国道376号がお気に入り。

特に徳地に抜けたところの佐波川が好きだ。

島地の集落もいい。

…実家に帰ると、すっかり足が弱ってきた母がこう言った。

「そろそろ田んぼには入れんようになるが、それでもやれるかいね?」

「な~んにもせんでええけぇ、家に帰って休んじょき」

「それじゃ~ たいがたいがのぅ…」

「ええから、かえっちょきぃちゃ」

…親孝行は疲れる。とにかく疲れる。マジメな話を面と向かって言われても困る。年老いた母に返す言葉などないのだ。

2010年5月28日 (金)

台湾事情

 やっと台湾出張から戻った。

 

 まず、治安がいいのに驚いた。

表通りはもちろんのこと、裏通りにも怪しそうな連中が見当たらない。そのスジ風の人や何かを狙っているような輩は少ない。台湾の治安は、今や日本以上かもしれない。

 

 次に、道路にゴミがほとんどなくて、街並みがきれいである。

道路脇にも歩道にもほとんどゴミやタバコの吸い殻が落ちていない。日本であれば、交差点付近の中央分離帯やガード下には空き缶や弁当ガラが散乱しているが、ここではほとんど見当たらなかった。

関係者に聞いてみると、

「ポイ捨ては取り締まりの対象となっているし、ゴミは必ず決まった時間にやってくる回収車に直接手渡ししなければならない」そうだ。

 

 人々の印象について。

総じて人のよさそうな顔が多かったし、あまり貧富の差を感じなかった。以前の騒々しいイメージはかなり払拭されて、落ち着いた印象を受けた。昔、日本にやってきた台湾旅行者はとにかく騒がしくて閉口した記憶があるが、今やここ台湾でも騒がしいのは中国本土からやってくる団体である。猛烈にやかましい。昔、日本人は団体で騒々しく、胸にはカメラを提げて…と評されていたことを思い出した。

ある宴席で台湾関係者に、

「外を歩いているとよく日本語で話しかけられるが、なぜ我々が日本人だと分かるのか?慣れれば顔の特徴や服装を見ればすぐにわかるのだろうが、それにしても確率が高すぎるのだが?」と尋ねると、意外にもこういう答えが返ってきた。

 

…それは目で判断していると思います。

台湾人を標準にすると、

日本人の目は優しいのです。

韓国の人の目は怒っています。話し方もそうです。

中国本土からの人の目は恐ろしいです。信用できない目です。

だから今夜は日本の方たちで嬉しいです。きっと、あなたたちとは打ち解けた話ができると思います。

…というのだ。

 お断りしておくが、この話は人種のことを言っているのではなく、その国に住まう人々についての印象論である。とにかく日本はがんばるしかないのだ。

▼はちべえどの

 台湾でこのサイトを覗いてみたらかなりの写真が表示できなかったので、当地のパソコンとの相性かと思っていましたが、貴殿ご指摘のとおりのミスでした。ありがとうございました。

2010年5月21日 (金)

ヤブ山突撃隊からのリンク完了

休止中の「ヤブ山突撃隊」のホームページからこのヤブ山日記にリンクを貼った。

ホームページは4年以上いじっていないので、還暦前のおじさんにとっては至難の技であった。

パソコンが変わってオリジナルファイルを保存していないので、HPソフトのftpを立ちあげて、何とかサーバーに接続して、トップページのhtmをダウンロードし、メモ帳でヤブ山日記へのリンクを書きこんで、なんとかアップロードした。

ちょっと見た目には下手なレイアウトだが、おじさんは、ひさしぶりに頑張った。…ここまでできるとは思わなかった。もう死ぬかもしれない…。

とりあえず…番外編

番外編をとりあえずどうぞ。

へろへろです。

ぐちゃぐちゃかもしれませんが、午前様に乾杯!

シナノキ谷から広高山・冠山(番外編)

 冠山から降りてきたきた四人は、車に乗り込み小川林道を下ってみると、朝は解錠されていた柵にはがっちりと鍵が…。

 ここで鍵をなくしていれば大事件になるが、いくら還暦世代のおじさんたちでも、(その後のことはさておき、)そんなヘマはしないのである。「エピソードⅠ 恐羅漢山のタタリ」http://homepage2.nifty.com/yamayama-yamaguchi/yabuyama_072.htm の時に危うく車のキーを落とすところだったので、それ以来、鍵類は厳重に保管するようにしているのだ。

「やっぱり鍵をかけておられますね」

「支所の当直の人はくれぐれも施錠には気をつけるように言っていたからなぁ。ワシらのが残っているのが分かっていようから後ろ髪をひかれなかったのかなぁ」

再び吉和支所に戻って鍵を返す。朝と同じ人が「はいお疲れさま」と受け取ってくれた。

「買い出しは、匹見だと遠いし、食材があるかどうか分からないから、六日市にしましょう。そこから七日市経由で上高尻を越えて行きましょう」

 六日市のスーパーは結構大きくて、食材も豊富だった。いろいろ迷ったが、T隊長が、

「今宵はキムチ鍋でどう?」

と提案して全員同賛成。豚肉やら野菜やつまみを買い込み、酒コーナーへ。缶ビールを数ケースと焼酎一箱。これを見ていたT隊長が黙ってロング缶一ケースをかごに入れた。

「まあこれだけあれば何とかなるだろう」

「これだけのものを誰が飲むんですか…」

「オレたちにきまっているだろう!」

とほざいていると、Y氏が炊き込みご飯の素と味噌汁の素を抱えてきた。

「米を三合持ってきたので、これで朝飯も大丈夫です」

「ありがたや…ありがたや…助かります」…一同礼。

 完璧な買い出しを終えた四人は、一路、七日市を経由し上高尻へ向かう。ゴギの郷手前で、

「ここが、例のワラビ谷… http://homepage2.nifty.com/yamayama-yamaguchi/yabuyama_052.htm あのときもきつかった!」

「いろいろホームページを見ますが、ここを下った人はいても、登ったという記録を見たことがありません!」

「ホントにバカだね…よくやったよ」

と言いながらゴギの郷を通過する。

「土曜日だというのに人っ子一人いませんねぇ」

「みんなトンネルルート中心かな」

峠のお地蔵さんに挨拶をして、トンネルを抜けていよいよ待望の三葛へ。

「夢ファクトリーみささ」に着くと、車も人気もなかったが、鍵はあいていた。

管理人さんから予め、

「事前に開けておきますから、勝手に入ってもらって結構です。六時頃には覗きますから」と聞いていたので、

「よしよし、これで大丈夫だ」

「とりえず荷物を運びましょう」

Sinanoki03

…と、ここまでは順風満帆だったのだが、ボクが二つめの段ボールを抱えたとたん、

「あれ?…ぶち軽いけど、隊長そっちの箱には何が入ってます?」

「ん?…野菜とか肉だよ…」

「えっ!…酒は????」

「なに~ぃ!!! 積まなかった??? ホントにないの???」

 四人がへたり込む。六日市から三葛まで、山を越えて40分もかけてやってきた挙げ句である。しかも、大量(T隊長の追加分も含めて)に買い込んでいるので、捨てるには惜しいし、だいいち、おじさん四人が、一滴の酒もなしで、どうやって夜を明かすことができるというのだ!

「匹見温泉まで13キロだから15分。六日市まで40分弱…どうする?」

「レシートを見ると、え~…総額1万1千円のうち、酒代が半分以上…いや三分の二です」

「う~ん…40分。往復1時間ちょっとか…」

「よし!鍋の支度をしているから取りに行くか?」

「行かねばなりますまい…」

「でもレジを通しているから、だれか持って帰っているかも?」

四人があわてて携帯を取り出す。もちろんどの携帯も圏外マークばかり。

「この中に電話が?…」

玄関に駆け込むと…ありました!懐かしのピンク電話!

「レシートに電話番号があるのでかけてみます。もしもし○○スーパーさんですか? さっき、ビールやら焼酎やらを多めに(大量に)買い込んだものですが、レジを出たところに忘れていませんか?」

「確認しますので少々お待ちください………はい、たくさんのお酒と割り箸も入ってますが…?」

「あっ!それです、それ!今から、三葛!から取りに行くのでよろしくお願いします。何時まであいてますか?」

「午後9時まで大丈夫ですよ。ごゆっくり気をつけてくださいね…お待ちしております」

「なんか笑っていたような気がしたけど…」

ということでIさんと私は、二人の鍋奉行を残して再び六日市を目指すことになりました。車中で、

「これが食材を忘れて、酒だけだったらどうしたですかねぇ?」

「間違いなく取りには戻らないでしょうな」

「このメンバーだったら、酒のんで寝ればいいさ!で一件落着でしょうね」

「それにしても、恐羅漢山のタタリの時と同じで、匹見では携帯は全く役立たず、固定電話さまさま…ですなぁ」

 40分かけてスーパーへ到着。午後6時過ぎの店内には買い物客も少なく、ボクがレジの所に行くと、おばさんが笑いながら棚の上に置き去りにされた酒を持ってきてくれた。

 再び40分かけて三葛へ。あたりは薄暗くなっていたが、調理室には煌々と明かりがともっていた。

Sinanoki04

「ただいまいま帰還しました。これにてミッション終了です!」

「お疲れ様でした!鍋の支度も出来ているから、さっそく乾杯だ!!!」

「さすがに、缶ビールを冷えたやつに換えてくれ…とは言えませんでした」

「いいのよ、いいのよ…酒でさえあれば、ぬるかろうが熱かろうが冷たかろうが、どうでもいいのよ!」

ということで、ようやく宴会の部に突入できたのでありました。

Sinanoki13

 一息ついて校内を観察すると、この調理室兼食堂はどうやら職員室だったようで、職員心得や教育方針、日課表などが掲示してあった。壁には去年のポスターが掛かっていた。

Sinanoki06

 校舎の造りはむかしのままで、一般教室は宿泊室に改造してある。黒板はそのまま残っているが、畳が敷かれ、寝具もコタツも用意してあった。

 四人とも順調に酔いが回ってきた頃、何か物音がしてきた。

「あれ?何か音がしない?」

「なんの音かな?」

「太鼓の音じゃない?」

「体育館の方から聞こえてくるぞ」

 渡り廊下を抜けて、体育館の大扉を開けてみると、4人のおっちゃんたちが神楽の練習をしていた。

「見学させてもらってもいいですか?」というサインを送ると、うんと頷いたので座って見学する。

 舞いと鳴り物が各二人ずつで、どうやら新入りの舞い手の練習のようだった。足下には、缶ビールやワンカップがそっと置いてある。

Sinanoki12

20分ぐらいしたところで休憩になった。

「おじゃまします、神楽の練習ですか?」

「おおそうじゃ、6月のはじめに披露があるんじゃ」

「どこでされるんですか?」

「ここでじゃ。前は大神が岳…知っちょるかのう…あそこじゃんたんじゃが最近はここ」

「ええ、三坂八郎林道のお社の前でしょ?」

「おお、よう知っちょるのう…あんた方はどこから来たん?」

「山口からです」

「ほぉ~釣り?登山?」

「登山です。広高山から冠山に行ってきました」

「そうかぁ~、広高山かぁ…こまい頃は、ここから河津に抜けて長瀬峡までまで遠足にいったんもんじゃ」

「ここから長瀬峡まで?」

…広域地図を持ってきていなかったので、このとき、三葛から河津越への破線道をすっかり忘れていたのである。話の内容からして、以前、三葛から後谷山経由で再び三葛に戻った峠に間違いないとは思ったが、酒にやられた頭には思い浮かばなかった。…このことは、ヤブ山突撃隊の「西のよけ岩から後谷山」(河津越えから三葛への古道は残っているか)http://homepage2.nifty.com/yamayama-yamaguchi/yabuyama_099.htm に掲載しているので参考にされたい。

 我々が、この一帯の山に詳しいことが分かると、おっちゃんたちは、

「そうか~、遠路はるばる三葛まで来てくれようるんか~、まあ呑みいや~」と言いながら、器具庫にある冷蔵庫からビールや酒を持ち出してきて、宴会の第2部に突入することになったのでありました。

「よし、面をみせてやろう」と、木箱に入ったたくさんの面をみせてもらう。紙で固めたものばかりと想像していたが、木をくりぬいたものもあるそうだ。T隊長が、一番怖そうな般若の面をかぶって踊り始めた。

Sinanoki10

「衣装はこっちにあるぞ!」と、ステージに連れて行かれる。緞帳を開けると、たくさんの衣装箱があった。それを次々と開けながら、

「これが一昨年つくったヤツで、120万円した。重たいが、踊りだすとすぐに脱ぐことになるからどうにかなるんじゃ…」

…T隊長はこれも羽織って踊り出す。

Sinanoki08

 その後も宴会は続いた。体育館の壁にこの一帯の山や集落の絵があったので、ますます話が弾む。

「あんたら~、高井山を知っちょるか?」

「ええ、登りました。最後は大ヤブじゃったけど、山頂からの眺めは最高じゃったです。ただ、三葛側じゃなくて、立岩側からですけど。ええ山でした。とにかく匹見はいいです」

「そうか、そうか…よその人から「ええ所」と言われるとうれしいのう。まあどんどん呑みんさい…」

「いや~、そんなにはよう呑みませんが…」と言いながら、ドロドロの世界に入っていくのでありました。

「おおそうじゃ、あれが残っちょったろうが、あれを持ってこい」

「ああ分かった。あれじゃね」

と、今度は器具庫から段ボール箱を抱えて来た。

 開けてみると、この一帯の神楽を紹介した2010年の立派なポスターがたくさん入っていた。

「これを全部もって帰えりんさい」

「いえいえ、一つずつでええです」

…という按配で、夜の10時を廻った頃にようやくお開きになったのでありました。

「あんたらぁ~、6月にはまた来いや。ワシらが舞いよるけえ、絶対来いよ」

「はい、都合が付けば是非おじゃましま~す」

Sinanoki30

 再び食堂に戻って、残りの酒をやっつけようとしたが、ものの30分もしないうちに、

「さすがに酔いました…そろそろ寝ますか」

で、一番奥の教室…宿泊室に行く。ボクとY氏は布団を敷いたが、隊長とIさんは、念のために持参したシェラフに潜り込む。

「それでは…おやすみなさい」

で長い一日が終わったのでありました。

Sinanoki02

 翌朝、Yシェフによる混ぜご飯と味噌汁で腹ごしらえをして夢ファクトリーみささに別れを告げた。

…ここにはシャワー室もあるし、炊飯道具、食器類、電子レンジ等が完備され、塗り箸もあるので割り箸を持ち込む必要はありません。一泊1,600円と安心価格になっているので、どうぞご利用ください。(連絡先:斎藤さん:0856-56-0659)

「それじゃ~、また企画するので行きましょう」

「うん、歩けるうちに歩こうね」

「今度はHさんも是非ご一緒できるようにしましょう」

「それではみなさんお元気で!」

と散会したのでありました。

…ヤブ山突撃隊は、いよいよ還暦ステージに突入するので、以前のような勢いで突撃することはできないが、今回のリハビリ登山でなんとか体力はありそうだということが実証されたので、ぼちぼち頑張ろうと思う。

…ということで、とりあえず今回の突撃は完。(しばらく日記でつなぎます。)

 

2010年5月19日 (水)

涙が出た

はちべえどのから、今は閉鎖中のヤブ山突撃隊の掲示板の過去ログから、「★わからんのだ!さん選集」をメールしていただいた。

もう寝ようと思っていたのだが、念のために開いて読んでみたら抱腹絶倒の連続!

笑いすぎて眠気がすっ飛んでしまった。

どうやっても誰にもマネできない文体が…おかしくておかしくて…腹の皮がよじれてきた。

披露できないのが本当に残念だが、当時も掲示板を見ながら笑い転げたことを思い出した。

選集をご希望の方は、はちべえどのに頼まれるとよいでしょう。

シナノキ谷から広高山・冠山へ(突撃編)

Sinanoki26  平成22年5月14日、予定通り二日酔いだったので妻に乗せてもらって集合場所にデポしてもらう。先着のY氏と雑談をしていると、一台の車がやってきて出てきた若い娘がいきなりこう言った。

「おはようございます!今日はよろしくお願いします!」

「??????」とY氏と顔を見合わせる。…誰がこんな若い娘を連れてくるの?

「あの~違うんじゃないの?」

「山の格好をしていらっしゃったので、てっきりあなた方かと…今日は初対面の方なので、顔が分からなくて…」

「あっちに別のグループがいるから、そっちじゃないの?」

「失礼しました…」

 そのグループのリーダーと話をしてみると、小五郎山の金山谷ルートから上がって、向垰に降りるらしい。Y氏と、

「T隊長がまだだから、隊長の替わりにあの娘を乗せていきましょうか。ただし、こっちは半分ぐらいは道はないけど…誘ったらついてくるかな?」と冗談を言う。

そのうちに、Iクマ対策特殊部隊長とT隊長がやってきたので、さっきの話をしながらI部隊長の愛車に乗り込む。久し振りの山行なので、お互いの装備について話が盛り上がった。

T隊長は、車と靴、ストーブが新しくなっていた。服装は昔のままだが、手首には高度計を備えたプロトレックが光っていた。でも昼飯は相変わらず日清焼そばの大盛り。

I特殊部隊長は、すっかり新しいものばかり。まず、愛車のハリアーは二代目で、純正ナビにはバックとサイドモニター付きの優れもの。おまけに、ザックも靴も服装も新しいものになっていた。一同、「退職金で揃えましたね」とうらやむ。

Y氏は、相変わらずしっかりとした装備に身を固めている。

ボクは、靴のソールを貼り替えたのと、ズボンが新しくなったぐらい。二人が、ボクのクマよけ鈴を見て、「その音を聴くと、あの頃を思い出すのよねぇ…」と懐しそうに話す。

そうこうするうちに吉和IC。廿日市市役所の吉和支所に寄って、当直の人から小川林道の鍵を借りようとしたら、まず利用上の注意の説明が始まった。…ここの鍵は予約制ではなく、当日にしか渡さないこと。所有者が多岐にわたっているのでむやみに立ち入らないこと。植物採取は厳禁であること。今日中に鍵を返すこと…など細かい説明を受けて、用紙に記入してようやく鍵を受け取った。

「あの鍵は一体いくつあるのかな?」と話しながら、国道488号に入り、やがて小川林道入り口に着いた。柵の鍵は解錠されていたのでそのまま林道に入る。測量の人や渓流釣りのグループを見かけた。

「みんな鍵をもっているのかなぁ?」

「帰るときにはそれぞれが閉めるのかな」

「ボクたちが奥へ入っていくのを見ているから、帰るときどうするのかな」

「鍵を持ってますか?…って聞かれなかったけど、自分たちが帰るときには、ボクたちのことを気にせずに鍵をかけちゃうのかな」

と言っているうちに、シナノキ谷と林道終点方面の分岐に着いた。

 午前9時10分。支度をしてまずは記念写真。

さあ出発するか! 」と言いながら、4人組は、クマよけ鈴を「カランコロン」、「チリリン」とならしながら奥へ伸びている林道を歩き出した。

 シナノキ谷へ向かう林道はだいぶ奥まで伸びていたが、かなり荒れていた。終点広場から沢に降り立つと、周囲にはトチを中心とした森が広がっている。

突撃隊の3人は、

「この感じですねえ。昔を思い出しますねえ…」

「いいねえ…やっぱりこれですなぁ…」

「これですよ、これ!」と周囲を見渡す。Y氏は、じっくり植生調査をしている。

 登山道はなく踏み跡もほとんどない。ところどころテープがついているが、かなり古い。おそらく10年以上前のものだろう。沢はそれほど荒れておらず、何度も徒渉を繰り返しながら奥へ詰めていく。

トチの巨木の中にカツラの古木も散在し、まさにボクたちが求めている西中国山地が広がっている。

「ええですのう…」

「たまりませんねぇ…」

「来てよかったですね。Hさんがおられたらいっぱい木の話が聞けたのに…残念ですねぇ」

Sinanoki23_2

 そうこうするうちに少し手強そうな滝が現れた。 「左を巻いてみましょうか」と言いながら急斜面に取り付いたが、滝を覗いてみると、右側に登れそうな岩溝があったので、戻ってそちらに取り付いてみると何とか滝の上部まで這い上がることが出来た。

「我々の力ではこれが限度ですねえ」

「そうだね…これ以上はきちんとロープで確保しないとダメだな」

 Y氏が主宰する山岳会はロープワークも実践しているので、Y氏にとっては物足りないだろうが、素人に毛が生えた程度のヤブ山突撃隊としてはこれがギリギリだ。

 今回は、晴天に恵まれて岩場が濡れていなかったので登山靴でそのまま登ったが、もし濡れていたら、ロープ確保するか左を大きく高巻くしかないだろう。

Sinanoki22_2

 滝を越えると、沢の周囲はなだらかになってきた。Y氏が、「そろそろ稜線が近づいてきたので、このまま詰めるよりも適当な所で県境尾根に上がりましょう」と促す。

Sinanoki21_2

「そうですね…ぼちぼち上がりましょうか」と言いながら、右の稜線を目指して斜面に取り付いた。体を引き上げながら、周囲の森を眺めると、ブナの巨木がいくつも残っていた。

Sinanoki20 

稜線に出ると、尾根が痩せてきて、先人の踏み跡が確認できるようになった。展望も開けて、東の避け岩や大神が岳、 立岩山が目の前に現れた。

「この谷が広高谷か…」

「例のワサビ田開発以来、広高谷に行く気がしなくなったからなぁ…」

「残念ですねぇ…東の避け岩から広高谷に降りた沢の雰囲気がよかったけど、あれもなくなったんですかねぇ」と昔を懐かしむ。

Sinanoki18_2

 この稜線は意外に長かったが勾配は大したことはなく、そのうち広高山山頂への踏み跡とボーギノキビレに向かう分岐に到達した

「こっちは広高谷から上がってくる道だけど、ずいぶん踏み跡が薄くなっていますね」

「さっきの話のとおり、広高谷を上がってくる人がいなくなったのじゃないかな」

「これじゃ迷いますね」

「こっちのボーギノキビレに下るルートも、すっかり踏み跡が薄くなってますね。冠・寂地の縦走路からここに来る人も少なくなっているんでしょうね」

5分で広高山の山頂。その道もかなり荒れていた。冠山を右に見ながら、殺風景な山頂に着いた。目の前には東の避け岩と大神か岳と立岩山のシンボルが見える。しかし、この山頂にはくつろげるようなスペースはない。笹と木が茂っただけだ。

「展望はいいが、それにしてもこの山頂は相変わらず寂しいのう…」

「飯はさっきの分岐にしますか」

さっきの分岐まで戻ったが、杉の小枝だらけなのでT隊長のストーブの火が引火する怖れがあったので、ボーギノキビレまで下がることにした。薄い踏み跡の中、2つの小さなピークを越えて懐かしのキビレへ。

「おお、ボーギノキビレ!懐かしいなあ…」

「あれ、ボクたちが以前這い上がってきた谷からの踏み跡がしっかり付いているぞ!」

「わざわざあのぐちゃぐちゃコースを歩いた人がいるんですか?」

「やっぱり滅多なことでは奮戦記は書いてはいけませんねぇ…」

 ボーギノキビレは、冠・寂地山の縦走路から広高山へ向かうコースと、小川源流に向かうコースと、今話をしていたコースの十字路である。

「とりあえずメシにしましょう」

 T隊長がイワタニプリムスのストーブを取り出したが、コッヘルは昔のアルミのまま。

「ますます使い込んで風格が出てきました」

「これがいいのよ。金がないから買えないだけだけど…」

 メシを終えると、東の小川源流コースへ向かう。 この踏み跡も心なしか薄い。やがて源流の左岸にあるT字路に出た。小川林道終点からの登山道である。しかし、ここも杉の小枝が散乱して、踏み跡が分かりにくくなっている。

「知らない人が来たら、ここがT字路だということが分からないんじゃないかな」

「あちこちにテープがあるだけで、標識がないから、こっちにボーギノキビレがあることが分からないんじゃないかな」

 ここから小川源流の最深部の景観を楽しみながら遡上する。何度歩いてもこの付近の沢と森はすばらしい。この沢歩きも何度も徒渉を繰り返すが、ここの踏み跡はかなり明確に残っていた。小川源流端の朽ちた木柱を眺めながら、Y氏が、「冠山からの帰りはここに直接降りてみませんか。途中にいいブナ林があるらしいですよ」という提案があり、一同納得。

Sinanoki16

正規の登山道に合流して冠山山頂へ。

展望地の手前で、「この崖を這い上がってきたんですよね」

「ちょうどこのあたりかな?」

「うん、そうそう。弁当を食べていた女の子がびっくりしていたよね」

「崖下からいきなりおっさんが三人這い上がって来たんだから…目がテンになってたよね」

 ゆっくりと山頂からの展望を楽しんで、山頂を後にする。

Sinanoki17_2

 山頂から少し下がった地点から西斜面に分け入った。笹はそれほど伸びておらず、噂どおりのブナ林が広がっていた。

Sinanoki15_2

 4人が周囲を眺めながらなだらかな斜面を下ると、源流端から少し下がった地点に降り立った。

「いい森でしたね」

「ホントに来てよかった」

「みんなちゃんと歩けますね」

「よし!これならまだまだ大丈夫だ」

と気合いを入れて、再び小川源流を下る。林道歩きは長かったが、周囲の森がきれいなので快適そのものだ。今下ってきた冠山が実に威風堂々としている。

Sinanoki14_2

 やがて分岐が近づいてくると、Iさんのハリアーがちゃんと迎えてくれた。

…こうしてヤブ山突撃隊の還暦リハビリ突撃は成功した。そして、これから匹見の三葛で泊まることになるのだが、このあたりからいよいよヤブ山突撃隊らしい事件?が起こるのである。(番外編へ続く…が、あまり期待しないでください)

2010年5月18日 (火)

4年間なにをしていたか

酒に酔った勢いで何回かブログを始めようとしたが、どうしても気力が続かなくて挫折の連続。

ゆっくりあせらずやるつもりなので、あまり期待しないでください。

▼はちべえどの

青春日記を書くネタはありませんが、モンスター嫁は進化して、七色の光線も吐けるようになりました。さらに、その巨体を生かした示威行動には地響きが味方するようになっています。とてもブログには書けませんが、とにかくすごいです。〈完〉

2010年5月17日 (月)

ヤブ山突撃隊の再起はあるのか?

ヤブ山突撃隊とは、平成10年の春、当時50歳ぐらいのおじさん三人組で結成した山口市内の登山グループである。ワンゲル出身のTさんが隊長に就任。同じくワンゲル出身のIさんは、その大きな躯体を活かしてクマ対策特殊部隊長。何の取り柄もない私〈N〉は観戦記者という役割でスタート。出来るだけガイドブックに紹介されていない山やルートを探すことをモットーに、まず、当時ヤブ山の盟主とされていた「水の尾山」への突撃を皮切りに、その後は、県内のヤブ山へせっせと突撃しては、その奮戦記をホームページにアップする週末の日々が続いた。

次第にこのサイトが県下の登山愛好家達の知られるところとなり、これに気をよくした我々はどんどんエスカレートして、ガイドブックを放り出して、桑原武夫氏の「西中国山地」や国土地理院の「点の記」を参考としながら、山口・広島・島根県境を中心とした西中国山地のバリエーションルートの探査にのめり込んでいった。

当時を振り返ってみると、この頃は県内の登山グループによるホームページの開設が相次ぎ、これに併行して、我々が走査した「飯ヶ岳の滑ルート、三ツヶ峰~野道山の縦走路、十種ヶ峰の神角ルート、雀谷山(鬼ヶ城)~飯ヶ岳縦走路」等のヤブが刈り払われて新ルートが開設されるなど、県内の登山情報は大きな盛り上がりを見せた時期だったと思う。

しかしながら、これとは裏腹に、平成16年頃になると、ヤブ山突撃隊の三人の職場環境はすっかり様変わりし、またそれぞれの家庭の事情もあって、活動は低調となり、サイトの奮戦記も単独行が中心となっていった。やがて休止状態となり、ついには平成18年5月にはホームページを休止することにした。

※当サイトは、「ヤブ山突撃隊」http://homepage2.nifty.com/yamayama-yamaguchi/に残しているので、ヒマがあったら覗いてみてください。

…さて、話は平成22年4月に飛ぶ。

今春、Iクマ対策特殊部隊長がめでたく停年退職を迎えた。その時、かねてから親交の深い樹木医のH氏から、「是非、Iクマ対策特殊部隊長の退職祝いの宴席を設けさせていただきたい」とのご提案があり、下っ端の私から、「これは…げに私の不徳の致すところ…皆様方のご臨席を是非とも賜りたく存じます…」ということで、ヤブ山突撃隊の三人とH氏、それに山口山の会のY氏を加えた五人が市内の小料理屋に集合することになった。

この五人は隊の活動休止後も個別には連絡は取り合っていたが、一同が一度に会するのは数年ぶりということもあり、昔話に大いに盛り上がり、ついには、都合のつかないH氏を除いた4人で、「とりあえずリハビリ登山をしてみようではないか!」とうことで話がまとまってしまった。

「え~と、広島の小川林道の源流をきちんと歩いていないので、とりあえず…林道の分岐に車を置いて、シナノキ谷を詰めて広高山に這い上がって、ボーギノキビレを抜けて冠山。山頂から少し下ったあたりから西斜面に入ってブナを観察しながら小川源流コースに当たる。少し下ればすぐに林道終点ですから一時間も歩けば分岐まで戻れます。今回は久し振りですから、匹見町の三葛まで行って、廃校になった小学校舎跡にある「夢ファクトリーみささ」に泊ってドンチャンやりましょう!」「よし、行くぞ!」「よし、呑むぞ!」ということで一件落着したのでありました。

こんなことで、ヤブ山突撃隊は再起は果たせるのか?…とりあえず、つづく。

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