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2010年6月

2010年6月30日 (水)

おやすみなさい

昨日はサッカーを見ないで就寝と書いたが、バカ嫁が大声で応援するので眠気も飛んで、とうとうワールドカップを観てしまった。

なので眠いのです。

2010年6月29日 (火)

同窓会

こっちで仕事をしている連中と呑んだ。

いろいろな気持ちはまた今度。

十分呑んだので、ワールドカップは見ぬまま寝ます。

2010年6月28日 (月)

GPSから生まれるもの

はちべえどのから、
「そろそろGPSを導入されては如何ですか?」
と誘われているのだが、なかなか踏み切れない。

ボクは別にコンパス至上主義者でもないし、あればいいなとは思うが、ボクの小遣いでは買えない。
当然、妻の許しが必要となるが、贅沢品として即却下されることは目に見えている。

「ダメ!」とだけ言われるのならいいが、
「自分のことしか考えていない」とか、
「この間私のポイントも使って携帯を換えたでしょ!
 私は古いので我慢しているのに、あなたは自分さえよければいいのね!」
だの、あげくには
「暮れには次の孫が生まれるし、あとの二人だっていつ結婚するか分からないのよ!
 我が家はこれから大変なのに、
 いまそんなものを欲しがるあなたの精神が理解できません!
 ははぁ…夏に屋久島に行こうと言い出したのはこのためだったのね!」
などと、ありとあらゆることがボクのせいにされてしまうに決まっているのだ。

ほんの一言が大変な事態を引き起こすので、恐ろしくてとても言い出せない。

ということで、非戦論者の私からは、
今月から携帯電話の位置情報機能を使った
無料の防災情報サービス http://y-bousai.pref.yamaguchi.lg.jp/k/ 
が開始されたので、みなさんにも是非勧めておきます。
県内であれば、自分のいるエリアの注意報や警報を即座に知ることができます。

2010年6月26日 (土)

グリーン・ゾーン

今週の土日も雨。

昨日、ヤブ山突撃隊とF樹木医に、一週間順延の連絡をする。

今朝十時過ぎにスカラ座へ行って、先週に引き続きイラク戦争の映画を観る。

観客数は6名。山口市でたったこれだけ。

みんないったい何をして過ごしているのだろう…分からぬ。


2010年6月25日 (金)

「うまい」と「おいしい」

最近気になっている言葉遣いがある。

「うまい!」…これは婦女子が使ってはならぬ言葉である。

「おいしい!」は、謙譲と敬語を兼ね備えた言葉であるが、

「うまい!」は、単に 「good!」に過ぎない。

気品のない言葉であり、「やぁ!」の世界である。

「うまい!」は、歳をとって、仕事に疲れて、酒に酔ったおじさんだけに許される言葉である。

最近、グルメ番組で、「うまい!」を連発するタレントに対して、ボクが強烈に吠えるので、とうとう妻はグルメ番組を見なくなった。

歳をとると、こんなどうでもいいことが気になる。

甘い社会風潮が頭にくる。

「こんな日本でいいのか!」と…周りにけしかけるが反応はない。

…おばけが出る原因が何となく分かるような気がしてきた。

2010年6月24日 (木)

慰労会

仕事に行き詰っている後輩を飲みに誘った。

カラ元気を装っていたが、目力がなかった。

あまり飲めないタチのくせに、無理してボクと同じペースで飲む姿が痛々しかった。

「誘っていただいてありがとうございます」

と礼を言うので、

「バカ!普通のレベルで困っているのならば知らん顔するが、今のお前の環境ではどうしようもないから、こうして
飲みに誘うしかできないのだ」

と答えたら、静かに下を向いた。

こいつは立派な社会人になるだろう。

2010年6月22日 (火)

焦った

仕事でちょっとしたイベントのあいさつに行った。

あらかじめ60~70人ぐらいの集まりと聞いていたが、まあ担当者中心の会合だろうとタカをくくっていたが、会場に着いたら、責任者はもとより業界のトップの人たちが出席するという大変な会合だった。

適当にしゃべろうと思っていたので、当日はじめてもらった式次第と出席者名簿をみて、血の気が引いてきた。

万が一のために内ボケっとに忍ばせていたペーパーに頼るしかない。

ステージに上がる時に躓かないように平静を装う。

硬めのあいさつを適当に修正しながら、自分でも情けないほど上ずった声であいさつをした。

ホントに恥ずかしかった。

酒を飲んだらコワいものなしだが、しらふではねぇ…。

2010年6月21日 (月)

レアメタル

ボクは理屈をこねるタイプであるが、理論と実践の区別はしているつもりだ。
水と油は普通の状態では絶対に混ざらない。
振って空気を入れて白濁化したら、いかにも混ざったように見えるが錯覚である。
あいつとあいつを足して二で割ったらいいのだが…という言い方があるが、それは単なる理論にすぎない。


さて、電池の話である。
今、電極をめぐって壮絶な競争が繰り広げられている。
携帯電話をはじめとして、最新の電池がなぜレアメタルを使うのか、理由をご存じだろうか?
それは希少金属が普通の状態で安定していないから引っ張りだこなのだ。

安定していないものは少しの刺激で変わる。
…だから、超軽量で、僅かな電力で、動いてくれるので今の技術競争の中心になっている。


おお、まさにボクの頭の世界とうり二つである。
ぼくは、ほんのわずかな酒さえあれば、一気にバッコス世界まで時空を超えることができる。

まじめに書いておくが、
レアメタルとは、有機と無機世界の刹那にある鉱物である。
ボクは、レアメタルを使えといっているのではない。
レアメタルに気づいた人間がいることを知っておいてほしいだけだ。

そして早くそれから脱却してもらいたい。
レアは想像の世界でありなん。

2010年6月20日 (日)

ハート・ロッカー

午前中に東鳳べん山に登ろうと思ったが、ショウゲン山にガスがかかって、雨もポツポツ落ちていたので映画にした。

今日はやけに人が多いなと思ったら、映画デーで一律千円の日だった。

そういえば昨日、行きつけの散髪屋が大繁盛だったので、主人に、
「これだけ繁盛すれば安泰ですね」と言ったら、
「イチゲンさんがたくさん来てくれたらそう言えますが、お得意さんがいっぺんに来られただけですから…」
と申し訳なさそうに言っていたことを思い出した。

そういえば、今週の映画は特に大作があるわけではないので、映画の日に映画ファンが一度に押し寄せただけなのだろう。

ハート・ロッカーは、イラク戦争の爆薬処理班の話だ。
戦争モノはこのところ暗いものが多くなった。

2010年6月19日 (土)

草刈り

実家で草刈り。
これから10月まで草との闘いだ。

温暖化の影響で草を刈るサイクルが短くなってきた。
刈っても刈っても伸びてくる。

昼にバテバテで寝転んでいると、いつもとは違う声援が聞こえてきたので、上がってみると、光高対南陽工業の練習試合だった。

球拾いの一年生が大げさにあいさつをするので、気ずかれないように山道から行ったのだが、
「おおおお~~っす!」
とあいさつされた。
今年の南陽工業は強いぞ!

昼から草刈りの再開。

草刈り機で刈れないところがあるので、手刈りでやっていたが、あまりの暑さでボーっとして、搖壁が切れるところを忘れたまま、後すざりしてながら刈っていたら、いきなり右足がストンと落ちて、落ちそうになったが何とか土手にへばりついて堪えた。

もしも左足を外していたら、三メートル下に落ちていただろう。
あぶないなぁ…。

こんな失態は考えられないが、たぶんヤバいです。

2010年6月17日 (木)

突撃PartⅡへ向けて

来週いっぱいで、仕事の区切りがつくので、ヤブ山突撃隊のみんなに連絡をしてみた。

なんとかなりそうな返事だったので、天気さえ良ければ突撃します。

ボクが心残りにしている2ルートの手始めだ。

いつものように寂地山一帯のバリエーションルート。

梅雨の真っ最中だが、みんなの都合が合うときに突撃するしかない。


備忘録:ガクガク尾根の北忘るるべからず

2010年6月16日 (水)

判断と決断(序説)

ものごとを決めることは大変なことである。

サイコロを転がしてはいけないし、自分の都合がいいようにするのは、もっての外である。

しかし、いま、こうした事態が頻発している。

それを「判断」とか「決断」という言葉でごまかされている。

何となく、安易で深みのない社会がやってきている気がしてならない。

多数決は、そんな都合のよい結論のためにあるわけではない。

2010年6月15日 (火)

はやぶさ

サッカーのワールドカップのことを書いたほうがいいのかもしれないが、ボクとしては、はやぶさの帰還が最大の出来事だ。

ものづくりの原点は地道な努力の積み重ねである。

ちゃらちゃらした評論は他所において、基礎を支える人たちの努力を心から評価してあげたい。

ボクは、高校生の時に、理系に進んだ兄を見て、どうせ外に出ていく次男だから、思い切り自由なことをしようと文系…しかもとうてい社会生活には役に立ちそうもない分野に行った。

ところが、その頃から急激に社会経済情勢が変わって、あれよあれよという間に、兄は外国でものづくりに携わるようになり、ボクは僕で地元で全く畑違いの仕事をすることになってしまった。

ボクは、「はやぶさ」のように思い切り新しい世界に飛び立ちたかったのだが、今朝、大気圏で燃え尽きていくはやぶさの躯体と、最後に生き残るカプセルを見たとき、昔の気概と今の自分を比較して思わず涙が出てしまった。

みんな苦労している。
愚痴をこぼしてもいいから、とにかく生きていくしかない。

2010年6月14日 (月)

モチベーション

エベレストに登ろうと準備をしている者にとっては富士山に登ることは簡単だが、富士山を最終目標にしている者がエベレストに登れることはない…という「エベレスト理論」がある。

この理論は以前から知られているが、まさに、蓮舫氏の「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」に対するぴったりの答えである。

二位を目指していたものが、仮に世界一になったとしても、それは偶然であり、その後も世界一を続けられる保証はない。絶えず世界一であり続けるためには、常に一位をキープするというモチベーションが必要である。

ボクは、「一位」と「トップグループに入る」はイコールだと思っている。トップになるために努力した結果が二位だったら、それは甘んじて受けるが、それは初めから二位を目指していたわけではないのだ。トップを目指して頑張ったのだ。

蓮舫氏の発言の真意は知らないし、分析する気もないが、「トップグループであればいいのではないか」ということを言いたかったのであれば、職員のモチベーションからすれば問題である。

1億円の事業費を削りたいのであれば、
「二位でいいから6千万円でやってくれ」と言うよりも、
「ほかと比べて少ないけど、6千万円で世界一を目指して頑張ってね」
と言う方がよっぽどかいい。

これがモチベーションを維持する言葉ではないか。
ただし、心の底からそう思っていない場合は、詐欺師か嘘つきになる。

2010年6月13日 (日)

しごと

土曜日に続いて、今日も朝から仕事三昧。

晩酌をしながらブログを書こうとしたが、疲れた頭には何も浮んでこない。

すみません…。

2010年6月12日 (土)

しごと

朝から晩までしごと。

明日も朝からしごと。

これじゃ年がら年中、しごと…しごと。

晩酌ができたのが唯一の救いです。

2010年6月11日 (金)

思考の整理学

昨晩のブログで、「職場でひと悶着あった…」と書いているが、とんと思い出せない。
何かがあったのだろうが、酔っ払って一晩寝たらすっかり忘れてしまった。

一所懸命思い出そうとしたら、最近読んだ「思考の整理学」(外山滋比古著:ちくま文庫)の一説を思い出してしまった。
この本には、
「頭をよく働かせるためには、忘れるということがきわめて大切である。頭を高能率の工場にするためにも、どうしても絶えず忘れていく必要がある」
とある。

言い訳をすれば、ボクのようにハードディスクが1GB、メモリは64MB程度の頭だと、いちいち覚えていると大変なことになるのだ。
ボクのハードディスクは、パソコンと同じように、予めCドライブとDドライブに分かれているらしく、通常の思考ではCドライブだけで、Dドライブを使うことはないらしい。
ところが、Dドライブには変な拡張子付きのファイルが潜在していて、時々そこからメモリにアクセスしている痕跡が覗えるのだ。

ボクは単純なので、ハードディスクをきちんと整理しないまま、いきなりメモリ上でものごとを考えるたちなので、いま考えていることと、Dドライブからやってきたファイルが混在して支離滅裂になるのだろう。

…と、ここまで書いていると、ふと昨晩書こうとしたことを思い出した。
小さな事件ではあるが、そのままストレートに書くことには少し躊躇するような内容だった。
酔った頭でも一晩寝かそうという潜在意識が働いたのだろう。

ボクはいつもCドライブを使うようにできていて、ボクの方からDドライブにはアクセスできないらしい。
たとえば酒を飲んだ時とか、なにかの拍子にDドライブの方からメモリ上にやってくるようだ。
そして、メモリ上で大騒ぎした後は、さっさとDドライブに帰ってしまうのだろう。
そう考えながら、このDドライブに潜むファイルの拡張子を「.dnf」「.dns」と命名した。

なお、冒頭紹介した「思考の整理学」に、グライダー人間と飛行機人間の比喩があるが、実に興味深い。
受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明・発見するのが後者とされている。
そして、現実の日本はグライダー人間ばかり養成していることへの警鐘を鳴らしている。

ただし、これを読んで感じたことは、自分の力で飛べようが、上空に連れて行ってもらえれば飛べようが、最後はどこかに降りなければならないのだから、着陸地点を見つける広い視野も予め備えていくことが必要ではないか、ということだ。
それなしで飛んでも迷走するだけだ。

…と、この辺で頭がぐちゃぐちゃになってフリーズしそうなのでシャットダウンします。

2010年6月10日 (木)

疲れました

とうてい休める環境ではなかったが、田植えだけは済ませておかないとイネは育たない。

朝5時に起きて実家に帰る。

376号を走っているとすぐに眠たくなる。でも国道2号を走るよりもストレスが少ないので、いつもこっちだ。

今日は昼から職場に出ないといけないので余計に焦る。

何とか想定内の時間に着いた。

田植えが終わったのが10時。

そこから、機械を洗って箱苗を粗めに洗って、あとは母に託してUターン。

何とか午後からの仕事に間に合ったが、職場でひと悶着あった。

…少しは参考になると思うので、あす生きていたら解説します。


2010年6月 8日 (火)

老化に関する形而上学的考察

 人生50年とはよくいったものだ。ここ数年、そのことをヒシヒシと感じるようになった。

 生活環境の進展などによって人間の寿命はずっと延びてきているが、根本的なところでは50歳を境に急激に下降していくのは間違いない…ような気がする。

 集中力は10分ももたなくなった。これは脳が老化しているのは勿論だが、身体の衰えが多分に影響しているように思う。とにかく頑張れない。

 歳をとるにつれて、物事に動じなくなる…と言われているがあれは嘘である。単に反応が鈍くなっているだけだ。若い頃に比べて、外からの刺激が素早く、正確に伝わっていないのではないか?と、最近思うようになった。

 いや、それでこそ、年長者らしい冷静な判断ができるようになるのだという仮説も立てられるが、そこには現実とのズレがあるに違いない。悪く言えば、机上の空論である。

 「亀の甲より年の功」と持ち上げられるが、経験と知識がすべてではない。時代を動かす力は、ほとばしるエネルギーと新しい発想である。

 60歳で定年退職後、第二の人生を頑張っていられる人がいるが、話を聞いてみると、65歳までは以前と変わらないが、それを過ぎるとガクンとくる。70になると一気にダメになる。75を過ぎたらどうにもならなくなる…らしい。やはり、振り返ってみると50過ぎからの落ち込みはショックだった…という。

 年寄りになると若者をけなす傾向があるが、あれは自分になくなったものを羨む反動からきているのだろう。持つべきものは、若い元気のいい部下である。

…ここで不老長寿の薬が頭に浮かんだ。
 ところが、よく考えてみるとボクには不老長寿の薬は不向きではないか?
 この薬は飲んだときから歳をとらなくなるものだろうから、ボクのように欲深い人間だと、いつ飲むかが大問題になる。
 一番いいところで飲みたいだろうから、青春真っただ中ではまだ先がある。早すぎるような気がする。
 結婚する前でもいいかもしれないが、まだ社会人として先もあるので、もうちょっと見極める必要がある。
 役職に就く頃になるとそろそろいいかもしれないが、ここでストップするには惜しいような気がする。ピークはもうちょっと先のような期待感がある。

…ここでハッと気がついた。
 ボクはもう50半ばなのである。
 すでに老化が始まって、集中力はたったの10分だし、老眼が進み足も舌ももつれるようになった。
 容姿は完全におじさんだし、ずっとメタボ腹と一緒では耐えられない。
 すでにボクの一番いいところは過ぎていたのだ。
 今薬を飲んだら、ずっと今の老化の状態が続くだけだ。
 そう、ボクはもう取り返しのつかないところまで来てしまっているのだ。
 もう万策尽きた。

…ここでもう一度ハッと気がついた。
 ボクには酒がある。
 これさえあれば、昔のことを思い出してグダグダ話せるし、将来についても自由に妄想をふくらますことができるではないか。
 何だか急に元気が出てきた。
 ボクには不老長寿の薬は必要ないのだ。
 
…支離滅裂になってきたのでもう寝ます。

2010年6月 7日 (月)

刈ることについての考察

昨日、息子が草刈り機を使う様子を見て気がついたが、草を刈ったことがない者は、草の頭…上の方から刈る傾向がある。河川の一斉清掃でもよく見かけるが、鎌を持って草の頭をなでるように刈る人がいる。草は上の方ほどキスクなるので刈りにくくなる。

「真上から見るのではなくて、少し手前から草の根元を見ながら、刃を少し左に傾けて右から左に寄せていくように刈れ!」と教えたが、なかなか上達しなかった。

雑草を手で刈るときは、地面すれすれに手首を使って草の根元を水平に切ればよい。草の上の方から斜めに刈ろうとしても、刃の先端が地面に当たってすぐに丸くなるし、柔らかい草はうまく切れない。刃の後ろがときどき地面に当たるぐらいでちょうどいい。

稲刈りも同様である。子供たちの体験学習で、鎌で「ギコギコ」とノコギリみたいに使って稲を刈っている光景があるが、あれは教育上マイナスである。鎌はノコギリのように動かして使うものではない。鎌は引いて使うものだ。

「寝首をかく」という物騒な言葉があるが、鎌は刃を当てておいて一気に引く。稲を刈るときは、稲の根元に刃を当てておいて手前に引けばよいのだ。だから、柄がほぼ直角に付けてある。体験学習で稲刈りをさせるのであれば、ちゃんと鎌の使い方から教えるべきである。

これに対して、柄がほぼ一直線に付いているナイフは、一気に突くか、モノに当てておいて、横に引いて切るようになっている。ギザギザの刃の付いた鎌もあるが、柄の角度が緩いのは、まっすぐ引けば実際には斜めに滑らせて切るようになっているのだろう。もっともボクはこの鎌を使ったことがないので、はっきりしたことは言えないが…。

…以上、こじつけ理論であるが、だいたいは当たっていると思うが如何か。

2010年6月 6日 (日)

断絶?世代

 昨日から妻と息子を連れて実家に泊まる。百姓仕事は、そろそろ息子にきちんと教えておかないといざという時に困る。

 そういえば、先日、実家の近所の養子さんが言っていたことを思い出した。

「父が軽い脳梗塞で倒れて、二週間後に回復したので、部落の普請で使おうと思ってチェーンソーを出しました。燃料の字が小さかったので父に聞いたら、『ガソリン』と言ったので、ガソリンを入れて神社に行きました。念のために、『チェーンソーはガソリンでよかったですよね?』と聞いたら、『アホ!混合に決まっちょっるじゃろ!』と言われて驚いた」そうだ。

  今回、息子に草刈り機の使い方を教えた。

 ところが、驚いたことに、「チョーク」を知らないのだ。今の自動車は、オートチョークであることを我々のおっさん世代は知っているが、今の世代はチョーク自体を知らないのだ。「チョークってなに?」からはじめなければならない。

 息子に、「シリンダー内で爆発を引き起こすためには、はじめは燃料の混合比を高くするためにるチョークを引いて、空気を遮断する。暖気運転したら、チョークを戻して空気を混合させて効率よく燃焼させるのだ」…などと言ってみたが、

「混合とは、いかなる燃料なのか?」

という質問が帰ってきた。…単気筒と二気筒の区別ができない世代に説明しても理解できない時代なのだ。 

 そういえば。先日の職場の呑み会で、計算尺の話をしていたら、

「それは何を測るものですか?どういう使い方をするのですか?」

と質問をされて唖然とした。

…今や2010年である!もうぼくの権謀術数ではとうてい通用しない時代になった。昔のことは、思い出せる限り、このブログにせっせと書き遺すしかないのかなぁ…と切実に感じている。

 実家の納屋に、「燃料一覧」のプリントを掲示した。

 トラクター・コンバイン……軽油(ディーゼル)

 トップカー・田植え機……ガソリン

 草刈り機・チェーンソー……混合

 乾燥機……灯油

やれやれ、これは自分の息子への遺言である。

2010年6月 3日 (木)

持つべきものは

 昨夜、鳩山総理退陣ニュースの中、職場の連中との懇親会があった。

 

 すでに一度歓迎会はやっているのだが、はじめて一緒に仕事をする連中が結構いるので、性格や思考パターンに興味があった。もっとも相手にとっても、ボクがどういう人間なのか興味津々だろう。

 歳をくっている連中とはお互いのことは大体分かっているつもりだが、若い連中となると全くと言っていいほど知らない。だから、ボクは自分のことはこう言うことにしている。

 

「仕事は、ややもすると…わざわざ難しく難しくやる傾向がある。難しく考えずに、直感的に感じた方向に走れ。まずいかな…と思ったら走りながらボクに言え。すでに、まずくなっていたら、その原因をボクに言え。失敗は誰にでもある。失敗を避けていると成功は来ない。失敗があって初めて成功への道が開けてくるのだ」

…などと偉そうなことを言う。とうてい、しらふでは言えない言葉だ。

 

 酔った勢いでもっと諭す。

「ワシはもう細かい作業はできないし、考える時間はわずかしか続かない。幸い、自分の今までの経験から、頭を下げることに何の抵抗もないし、相手を脅す?…強引に説得することも…できるような気がする。

 お前たちがやってほしいことは何でもやってやる。だから俺に情報だけは入れろ。お前の考え方はどうでもいい。経過だけでもいいからメールしておけ。こじれたときに、お前の受け止めと俺の感覚で原因を探ろう」

 

 更に酔っ払って言う。

「頼むぞ。持つべきものは…部下だ。しっかりとした部下に恵まれないと、どうにもならぬ」

「そうですか?」

「鳩山総理を見てみろ…あれがすべてだ」

2010年6月 1日 (火)

健康診断~アフター編

 こうしてブログを書いているのだから生きて帰ったことに間違いはない。

なぜボクが健康診断が嫌いかというと、それは幼少時代のトラウマに起因する。医者と看護師の白衣がダメなのだ。

 

 保育園時代、家で兄と相撲をとっているときに、仰向けに倒されて敷居の角で頭を打って血だらけになった。血相を変えた母とすまなそうな顔をした兄と一緒に自転車に乗せられて、かかりつけ医にかけこんだのだが、そのとき白衣を着た医者に、

「絶対に頭を動かすなよ」

と言われながら三針縫った。白衣を着た看護師さんには、

「ちゃんと薬を飲みなさいね」と言われたが、吐きそうなほど苦い薬だった。

 

 帰り道、兄が、何度も「1たす1は?」と何度も聞くので、はじめのうちは「に!」と答えていたが、あまりにしつこいので、「わからん!」と言ったことをよく覚えている。

保育園時代の前後は、これ以外は思い出せない。記憶力も悪いのは、きっとそのときから記憶回路から遮断されたにちがいない。とにかくそれ以来、病院に行くのも、集団接種を受けるのも怖くなった。

 

 さて、本日はめでたく…年に一度の検診の日である。 

視力検査の次はいよいよ血圧測定。いつもここで最初の挫折が始まる。高鳴る鼓動を抑えながら測定器の前に座る。最近は、自動式の測定器になっている。3台置かれていて、一人の看護師が一度に三人を相手するのだが、案の定、ボクの値は突出しているらしく、

「もう一度計りましょう。深呼吸を3回してみましょうか」と言われたが、心臓が止まりそうなボクは、

「いつも高いし、薬を飲んでいるのでもう結構です」

と言うと、優しい口調で、

「二回しか計りませんから、もう一回しましょうね」

と諭すように言われたので、年甲斐もなく、

「すぅ~はぁ~、すぅ~はぁ~、すぅ~はぁ~」

とやってみると、はじめの時よりも少し下がったが、相変わらず高い数字がプリントアウトされた。

「少し下がってよかったですね」と子供をあやすように言われたが、ボクは心の中で、「くそばばあ」と言ってしまった。 

 そのとき、後ろで待っていた後輩から、

「Nさんの弱点を見つけました!」という声がかかったので、

「バカタレ!さっさと検査を済ませて仕事をせい!」と言っておいた。

 

 聴力検査の次は医者の問診である。最近は、月に一度、血圧の薬をもらうために病院に通っているので、医者の診察には慣れてきた。医者は、血圧と問診票を見ながら、

「血圧は高いけど治療中ですね…お薬を飲んでらっしゃいますね?」「はい」

「お酒は1日に1~2合ですか?」「はい…(ホントはもう少し多いけど、申告するときは控えています)」

「あまり飲み過ぎないようにしてください」「は~い!」

 

 さて、いよいよ次の難関~血液検査である。

二人の看護師がてきぱきと採血している。すぐにボクの番になった。いつもなら、ここで七人ぐらい追い越されるところだ。

「あのぉ~血管が出にくいんですが…、いつも別の器具を出しておられますが…」

 …血の出方が悪い人用に注射器のようなもので強制的に吸い出す装置があるのだ。

「は~い、じゃあ両手を出してください」と優しい声で言うなり、採血する付近をぱしぱし!たたき始めた。あちこちさわっていたが、やがて決心したらしく、

「強めに巻きますからね」と、ゴム管をぐっと巻き付けるなり、ブスッと針を刺した。

 すっかり観念したボクはじっと看護師さんの顔を見ていた。すると真剣な彼女の顔にほっとした表情が浮かんだ。と、同時にゴム管をすぐに緩め始めた。なんと、一発で見事に成功したのである。

「うまいですねぇ~」とつぶやくと、

「どういたしまして」とにっこりと笑顔で応えてくれた。はちべえどのの基準では、「枯れた」部類に属するのだろうが、どうしてどうして…天女のような笑顔に見えた。

 

 採血はいつもひどい目に遭っている。2、3回刺し直すのは当たり前。ひどいときには、右手で失敗、左手も失敗、もう一度右手で勝負させられたこともある。また、血の出る量が少なくて、途中で溶血が始まって再度採りなおし…つまり刺しなおしになったこともあるのだ。今回の彼女の技術がいかに優れていたかお分かりいただけると思う。

 

 その後の心電図や胸部レントゲン写真になると楽勝ムードである。白衣を着た人に体を触られない限り、何ともないのだ。夏には胃のバリウム検査があるが、これも何ともない。白衣を着た人に触られないから屁ともないのである。

 

 …これで今年の厄払いは終わった。めでたし、めでたし!

 

(追伸)腹囲計測の結果は?…なんと「78㌢!」。余裕のクリアーである。最近、メタボ腹のCMをよく見かけるので、腹に力を入れたまま息を吐く練習をした甲斐があった。

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