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2010年6月 8日 (火)

老化に関する形而上学的考察

 人生50年とはよくいったものだ。ここ数年、そのことをヒシヒシと感じるようになった。

 生活環境の進展などによって人間の寿命はずっと延びてきているが、根本的なところでは50歳を境に急激に下降していくのは間違いない…ような気がする。

 集中力は10分ももたなくなった。これは脳が老化しているのは勿論だが、身体の衰えが多分に影響しているように思う。とにかく頑張れない。

 歳をとるにつれて、物事に動じなくなる…と言われているがあれは嘘である。単に反応が鈍くなっているだけだ。若い頃に比べて、外からの刺激が素早く、正確に伝わっていないのではないか?と、最近思うようになった。

 いや、それでこそ、年長者らしい冷静な判断ができるようになるのだという仮説も立てられるが、そこには現実とのズレがあるに違いない。悪く言えば、机上の空論である。

 「亀の甲より年の功」と持ち上げられるが、経験と知識がすべてではない。時代を動かす力は、ほとばしるエネルギーと新しい発想である。

 60歳で定年退職後、第二の人生を頑張っていられる人がいるが、話を聞いてみると、65歳までは以前と変わらないが、それを過ぎるとガクンとくる。70になると一気にダメになる。75を過ぎたらどうにもならなくなる…らしい。やはり、振り返ってみると50過ぎからの落ち込みはショックだった…という。

 年寄りになると若者をけなす傾向があるが、あれは自分になくなったものを羨む反動からきているのだろう。持つべきものは、若い元気のいい部下である。

…ここで不老長寿の薬が頭に浮かんだ。
 ところが、よく考えてみるとボクには不老長寿の薬は不向きではないか?
 この薬は飲んだときから歳をとらなくなるものだろうから、ボクのように欲深い人間だと、いつ飲むかが大問題になる。
 一番いいところで飲みたいだろうから、青春真っただ中ではまだ先がある。早すぎるような気がする。
 結婚する前でもいいかもしれないが、まだ社会人として先もあるので、もうちょっと見極める必要がある。
 役職に就く頃になるとそろそろいいかもしれないが、ここでストップするには惜しいような気がする。ピークはもうちょっと先のような期待感がある。

…ここでハッと気がついた。
 ボクはもう50半ばなのである。
 すでに老化が始まって、集中力はたったの10分だし、老眼が進み足も舌ももつれるようになった。
 容姿は完全におじさんだし、ずっとメタボ腹と一緒では耐えられない。
 すでにボクの一番いいところは過ぎていたのだ。
 今薬を飲んだら、ずっと今の老化の状態が続くだけだ。
 そう、ボクはもう取り返しのつかないところまで来てしまっているのだ。
 もう万策尽きた。

…ここでもう一度ハッと気がついた。
 ボクには酒がある。
 これさえあれば、昔のことを思い出してグダグダ話せるし、将来についても自由に妄想をふくらますことができるではないか。
 何だか急に元気が出てきた。
 ボクには不老長寿の薬は必要ないのだ。
 
…支離滅裂になってきたのでもう寝ます。

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