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2010年8月

2010年8月31日 (火)

いくさ

いくさはできれば避けたいが、やらねばならぬときはある。

一方、戦わない傍観者は賭博に走り、戦いが終われば敗者を駆逐し、すぐに勝者を貶めにかかる。

マスコミの連中には、子ども時代に「まとめ役」をやった連中がいるのだろうか?

最前線に出された人間のギリギリの葛藤を味わったことのない彼らは、学者の論理と同じ世界に落ちている。

…結果にみじんの責任を感じていない。
 傍観者に徹しようとする姿勢は、実に見事な「かけ逃げ」である。

2010年8月30日 (月)

激動の一週間

このところ日毎に環境が変わったので疲れた。

屋久島から帰って、すぐに東京に一泊二日の出張。
屋久島の自然を満喫したあと、灼熱の東京で6社を相手に連続のプレゼンテーション。
山小屋から快適なホテルになったというのに、かえって寝つきが悪かった。

翌日は実家で草刈り。
昼寝をしようとデッキに出たら、野球グランドからアナウンスが聞こえる。
上がってみると、対下関中央工業高との練習試合をやっていたので、昼下がりまで観戦。
午後3時過ぎから2時間ほど再び草刈りをして帰山。

日曜日はさすがにくたびれて何もする気が起こらず、
ブログをいじって夕方から早めの晩酌。

月曜日の今日は、朝から県内出張。
初対面の人と営業ベースの話をするのはホントに疲れる。

…そういえば東京出張の前に、インターンシップの学生たちに、
何かアドバイスしてくれと頼まれたので、こう言った。

「今のうちに素養を身に着けておきなさい。
 専門的な知識はあとでどうにでもなるので、
 学生のいま、しっかりと素養を身につけなさい」

一人の学生がこう聞いてきた。
「素養を身に着けるにはどうすればいいのですか?」

…思わず、
「バカか、お前は!そんなことは自分で考えろ!」
と怒鳴ってやろうかと思ったが、自重して、

「たとえば本を読みなさい。専門書ではなくて古典のようなものを。
 読みながら考えなさい。
 自分ならどうするかを考えなさい。
 社会を変えていくのは、あなたたち若者です。
 あななたちには開拓者になってほしいのです。
 でも異端児ではダメです。
 スタンダードに、かつドラスチックに物事を考えることを覚えなさい」

お目付け役のK君が、あとで、
「ヤブ山さん、えらく真面目な話をされましたね。
 てっきり、優しい顔をしながら
 ど~ん!と一発かまされると思っていたのですが…」
とからかったので、
「これが私の本来の姿である」
と言ってやった。

何かを吸収しようとする若者の目は輝いている。
それに引き換え、いまのボクはすっかり惰性で過ごしている。
それが恥ずかしかったから誤魔化しただけだ。

最近、自分が考えていることが正しい…というかマトモかどうか心配になる。
異端児になっていないか…ホンネのところは自信がない。

どうやら屋久島で見たあの石のようになっているのかな…。
045

2010年8月29日 (日)

屋久島(番外編・雑感)

荒川登山口から縄文杉、淀川から宮之浦岳往復もいずれも8~10時間かかる。
しかし、縄文杉は観光の一環、宮之浦岳に登る際は登山届が必要となる。
民宿で夕食時、主人が明日の予定を聞きながら、必要に応じてバス券や登山届をアドバイスしてくれた。

登山道は、ほとんどが石と木の根と木道ばかりで、とても歩きにくい。
踏み固められた土の道はない。
だから距離は短くても時間がかかる。
ただし猛烈な急登はない。

水場はガイドブックのとおりにあるのでかなり安心だ。
ただし伏流水ではない。
ヤクシカがいたるところにいるので水質は気になるが、
長丁場の屋久島ではそんなことは言っていられない。

山小屋は無人。
新高塚小屋を除いて10人から20人程度。
テン場はあまりないが、その気になればどこでも張れる。

今回、安房に泊ったのは、淀川・荒川ともに安房地区からが最短だからだ。
ガイドの案内が多いが、普通に山歩きしている者であれば不要。
むしろ、縄文杉見学グループには必ずと言っていいほどガイドが付いていた。
恐らくツアー料金に組み込まれているのだろう。
ガイドに頼ると自立心が働かなくなるような気がする。

妻の登山靴のソールがはがれかかった。
恐らく10年以上履いているが、とうてい登山靴とはいえない安モノである。
よくまあこれまでもったものだ。
といっても妻が山に登るのは年に数回に過ぎない。
緊急用のロープを切って、靴の先をぐるぐる巻いてどうにか難をのがれたが、
やはり非常品として、替えの靴ひもや針金とミニペンチは必要な気がした。
妻は新しい靴を買うのだろうか。

しかし、今回、
「やっぱり山小屋泊まりの縦走は無理だわ。やっぱり日帰りかな…」
とつぶやいていたし、途中で挙句の果てには、
「いま一番ほしいものはゴウリキ!
 誰かリュックを背負ってくれないかな…」
とおっしゃっておられたので山から引退するかもしれない。

新高塚小屋には、外人グループ2組、日本人グループが3組ぐらいいたが、
いずれも淀川からの縦走だった。
ところがフル縦走の終点となる白谷雲水峡まで足を延ばしたのは、外人2組と僕達だけだった。
日本人グループは夜なべ談義はベテラン風?だったが、翌朝の支度や歩き方を見ると、百名山の追っかけ風に見えた。

さて今回、ぎりぎりの縦走だったので永田岳と黒味岳、モッチョム岳が残った。
ヒマができたら再度訪問したい。
縄文杉さえ外せば人通りは非常に少ない。
出会うのは人間よりもヤクシカの方が多い。
それにヤクシカの人間への無関心ぶりがいい。
ぜんぜん餌をねだろうとしない。
北海道のキタキツネは是非見習うべきである。

とにかくもう一度行く。


屋久島(登山編~その2)

小花之江河から一度アップダウンを抜けると見事な花之江河へ。
063

シャクナゲに囲まれながら木道を歩く。
038


タクシーの運転手さんから聞いた黒味岳の分岐があった。
「ここで待て。空荷で往復するから」
という元気はなく、そのまま投石平へ。
女房は自分のリュックを投げ捨てた。
040

安房岳から翁岳の巻道になると、一面タケが広がる。
このあたりには面白い岩が点在している。
これはモヤイ像そっくりさん。
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もうすぐ宮之浦岳のはずだが、なかなか着かない。
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12時45分に山頂に着いた。
歩き始めてすでに五時間半経過。
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予定では、宮之浦岳から新高塚小屋まで約三時間かかる。
午後4時までには着きたいので、妻をせかして歩き始める。
目の前には永田岳。永田方面と高塚方面にそれぞれ一グループが向かっているのが見える。
050


ここからが疲れとの戦いだった。
アップダウンが結構あって、距離も長い。
妻が突然、
「どうしましょう」と声を出した。
靴のソールの前側がかなり口を開けている。
後ろのほうはまだしっかりしているので、非常品袋からロープを出して靴の先にぐるぐる巻き付けた。
「あと一日ちょっともちますように!」
とおなじまいを唱えて小屋を目指した。

新高塚小屋についたのは午後3時40分。
歩き始めたのが午前7時なので、お姫様はよくがんばった。
小屋には先客が4グループ20人ぐらいだった。
二階が空いていたので、妻からも
「これならテントは張らなくていいわ」
と大変難いおことばがあったので小屋泊となった。

夕食は粗末なラーメンやレトルトスープなど。
妻はすぐに横になったので、ボクはテラスに出てウィスキーをちびちびやる。
妻はサマーシェラフ、ボクはシェラフカバーで寝たが、
妻は「暑かった」
ボクはフリースを着たが「寒かった」

よく寝れぬまま朝を迎えた。
雑炊を食べて、朝6時、いよいよ縄文杉へのくだりだ。
膝がガクガクする。
小さい高塚小屋を過ぎると縄文杉。朝早いので写真では見えにくい。
057

少し休んで更に下る。
大王杉、夫婦杉を見てウィルソン株へ。
このあたりで、一番バスで上がってきた観光客と鉢合わせになった。
062

株の中に入って、最近流行っているハート形の構図を探す。
ウロウロしていたら見知らぬガイドさんがそっと教えてくれた。
06


そこから大株入口までは離合に苦労した。
観光客が途切れることなく次から次へとやってくるのだ。
もう30分ほど早く出ていればと悔やむ。

9時半に大株入口に降り立つと、ものすごい観光客でごった返していた。
トイレ待ちの長い列を尻目にトロッコ道を歩く。
まだまだ観光客が上がってくる。ガイドがついているグループが多い。

1時間歩いて楠川分れ。
多くの人はここから荒川口に向かうのだが、僕たちは屋久島の名勝の一つ「白谷雲水峡」へ向かう。
昨晩、小屋で見かけた外人夫婦もこっちのルートに入ってきた。

しかし、ここからの辻峠越えが長くて辛かった。
峠を越すと、またまた観光客の大群に出くわした。
この一帯を周遊するコースも有名らしい。
ようやくバス停のある管理棟に着いたのは、午後1時20分。
ガイドブック通り2時間40分かかっている。
全行程は午前6時からなので、7時間20分。お姫様は頑張った。

2時のバスに間に合ってほっとする。なにせ次の便は午後4時だ。
東屋でラーメンをつくる。例の外人夫婦も降りてきた。

バスで宮之浦まで降りたが、海岸通りのバスが当分ないのでタクシーで宿まで戻る。
シャワーを浴びて妻は夕寝。
ボクは缶ビールを片手に港を散策。
070


釣り客がいたが、みんな観光客の素人ばかりだった。
逆にリールの使い方をおしえてあげた。
ちゃんと釣った雑子を食べればいいが…。
翌朝7時。
今度は高速艇トッピー。

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種子島に寄港して鹿児島まで2時間半。
港で待っていた新しい愛車は桜島の火山灰で哀れな姿になっていた。
きれいに洗車して山口に向けて出発した。

2010年8月28日 (土)

屋久島(登山編~その1)

朝4時過ぎごろから何度も目がさめる。
時々雨音がするが長続きはしないので、どうにかなるさと期待する。

5時過ぎに外に出てみると雲はなく快晴だ。
部屋に戻ってみると妻も支度を始めていた。
6時前に民宿の大将が、
「予約のタクシーがきてますよ」
と知らせてくれたので、朝弁当を受け取ってリュックを車に積む。
運転手さんが、
「旦那のリュックは久し振りに重い奴でしたね」
と言ってくれたので、
「何せ…お姫様登山ですから」
と答える。

タクシーに乗ってすぐのところにある「朝弁当屋さん」に寄る。
屋久島には早朝の登山客用の弁当屋さんがある。
昨夕頼んでおいた昼弁当を受け取る。相場は500円。
あとで民宿の朝弁当と食べ比べてみたが、民宿の勝ちであった。

約一時間。5千円ちょっとかけて淀川登山口。
登山口手前で紀元杉を見学する。
タクシーの運転手から、
「縄文杉ばかりがもてはやされますが、やっぱり山を歩いてほしいですね。
屋久島の焼酎に『三岳』がありますが、宮之浦岳、永田岳、黒味岳のことです。
縦走路から永田岳は往復2時間なので無理ですが、黒味岳は50分なので是非寄ってみてください」
と言われた。

7時前、宮之浦岳最速登山口の淀川に着く。
車が数台停まっているがもう誰もいない。
7時では少し遅いとは思っていたが、その後、追い越されたのは単行者ひとりだけだった。

森の中は意外に明るく、とにかく静かだ。
突然、動物の気配がした。
すると…、
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ヤクシカが登山道のすぐ脇で餌を食べていた。
人が近づいても逃げようとしないし、餌をほしがることもない。
その後も何頭かに出会ったがみんなそうだった。

登山道は深い森の中をゆるやかにつけられている。
九大の土壌調査のグループと前後しながら淀川小屋についた。
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水を補給し、橋を渡るといよいよ急な登りが始まる。
息が切れかかった頃、山頂に面白い岩のある高盤岳が見えた。
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次は湿原が広いがる小花之江河。
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2010年8月25日 (水)

屋久島(その1)

妻と二人の3泊4日の旅から帰還した。

出発前日の会話。
「山小屋は混雑するらしいから、テントがいいかも。
着替えもしたいし、人が多かったら大変なんでしょ?
でもあのテントは狭いし、あなたのいびきがうるさいから、あなたは小屋でもいいでしょ?」

自分がテントを担いでいくのなら文句は言わないが、
運ぶのはボクだし、設営から撤収も全てボクの担当である。
息子の40Lのリュックを背負わせてみたら、
「重いわ!これで山が歩けるかしら…」
と言った。
まだ何も入っていないのに「重い」らしい。

「食料と着替えは自分で運ぶこと。
食料はだんだん軽くなっていくから、それぐらいは担げ。
こっちはテント、シェラフ、ガスストーブ、食器、ランタン、非常品はあるし、
それに重たい水があるんだぞ!水は飲んだらあとで補充するからいつまでも重いんだぞ!」
「わたし重いものは無理だもの。水場はいっぱいあるって言ってたじゃない」
「バカ!もしも水場が枯れていたり、見つからなかったらどうするんだ。
水はできるだけ確保しておかないと大変なんだ」
「ふ~ん、わたしはあなたほど水は飲まないもの」
「のどが渇いても一滴もやらんぞ」
「あなた、さっきザックのポケットにウィスキーを入れていたでしょ。
どうせなら、わたしは小屋で缶ビールが飲みたいわ」
「ええ加減にせい!」
…というわけで、あとで判明するが、ボクが民宿近くのスーパーで缶ビールを三本買って、しぶしぶボク(・・)のリュックに入れることになるのである。
※(注)屋久島の山小屋は全て避難小屋なので、管理人も食事の提供もありません。それを承知の上で、妻は上記の発言をしています。

妻のリュックの横にマットをくくっていると、
「カッコいいわね。なんだか登山家みたい」
と喜んでいるお姫様を尻目に、ボクは50L+10Lになった自分のザックを必死で締めた。


初日は、鹿児島港に愛車を置いて、安いフェリーで正午過ぎに屋久島着。

フェリーは4時間、高速艇は2時間だが、料金は倍。
初日は観光のつもりだったので、レンタカー代を浮かすためにフェリーにした。(帰りは高速艇にしたが、デッキに出られないので、個人的にはフェリーのほうが好きだ。ただし、フェーリーの帰便は屋久島発が夕方なのでなかなか難しいのです)

妻は、
「なんで高速艇じゃなくて、隅っこのほうにあるフェリーなの!
あっちにはいっぱいリュックを背負った団体がいるのに…」
とのたまう。

高速艇乗り場は、リュックを背負った中高年や若い女性グループでごったがえしているが、フェリー乗り場は、地元の人やワンゲル風の男子学生のグループばかりで、客層が異なっている。
「通はこっちに乗るのだ!」

フェリーから屋久島が見えてきた。
わずかに麓が見えるだけで、山がありそうなところはガスに覆われている。
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山は見えない。しかし、船内放送は、
「屋久島の正午現在の天候は晴れ。気温27度」
あれだけガスに覆われているのに「晴れ」である。
さすがに「ひと月に35日雨が降る」だけのことはある。
なかなか手ごわいぞと気を引き締める。

予約しておいた軽のレンタカーに乗り込むといきなりスコールに見舞われた。
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千尋の滝(せんぴろのたき)と大川の滝(おおこのたき)巡りをして、
平内海中温泉を覗いて安房(あんぼう)の民宿へ入った。

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夕食まで少し時間があったので、安房港の周辺を散策していると、山から下りてきた風のグループがいたので山の様子を聞いてみた。びしょびしょになったカッパを干しながら、
「淀川から宮之浦岳をピストンしましたが、午前中はずっと雨で、午後からは降ったり止んだりでした」

…楽ちん登山を所望しておられるお姫様にどう説明しようかと考える。


2010年8月20日 (金)

屋久島の旅

明日から妻と二人で屋久島に行く予定。

淀川から上がって宮之浦岳経由で新高塚小屋泊。

あとは縄文杉を見て、時間を見ながら適当なルートを下るつもり。

三泊四日なので暫く留守をします。

2010年8月18日 (水)

里山の行方

今日、NHKで「日本の自然が危ない」という番組があった。

NHKがあんなつまらぬ内容を、しかもゴールデンタイムに放映するとは…情けないを通り越して呆れた。
ひょっとすると、ボクが歳をとって感受性がなくなったのだろうか。

里山のくだりでは、
「近年、里山に人が手を入れなくなってから荒廃してきました」
と解説していたが、あれはおかしい。

昔、里山に手を入れていたのは、薪を取り、枯れ枝を取り、すくどを取るためだった。
山をきれいにしようとしていたからではない。
山を利用して生きていたのだ。
近年、そうする必要がなくなったから、廃れてきただけだ。

鎮守の森ならば、年に数回、集まって手入れをすれば済む。
今ではそれすらおぼつかなくなっているのに、何の利用価値もない自分の山をどうして手を入れろというのだ。
庭の草をひくのとわけが違う。

昔であれば雑木を切って薪にできた。
ところが、今や雑木を切っても始末に困る。
使い道がない。
おまけに下手に燃やすとすぐに苦情がくる。

NHKの番組は、大事にしなければならないものと誰も使わなくなったものを混同している。
里山や自然は貴重なものなので大事にすべきである。
しかしそんなに簡単に、みんなが、そのことを自覚して、努力をして、将来の子孫のためにやれるか?

学術研究なら教育番組でやればいい。
下手な道徳教育ならやるな。
現実を理想で解説しようとするなら無理だ。

現実は現実で解決し、理想は理想同士で戦うしかないのだ。

2010年8月17日 (火)

盆日記

正月と盆は必ず実家で過ごすようにしている。

土曜日は、高校の同級生がやっている海の家で恒例のミニ同窓会。
こいつとは高校で初めて知り合って以来の友達であるが、その嫁さんは…高校時代同じ同級生で、しかも演劇部の部長で、文化祭の練習のときにボク達のバンド練習のトラブルで大喧嘩した相手である。
「早く終われ!」
「前が押したんだから仕方がないでしょ!」
「ワシらが練習するけえ、早ようどっかへ行け!」
と吹っかけたら、
「ひどい!あなたは何さまなの!」
と、口喧嘩をした因縁の女である。

いい加減なあいつとシッカリものの彼女が結婚すると聞いたときはみんな驚いた。
特にボクは腰が抜けそうになった。
彼女から、呑んでいるときに、
「Nさんはゼッタイ根っこのところで女をバカにしているわ」
と言われてしまった。
そういえば女房からも、
「あなたは男尊女卑のかたまり!」
とよく言われる。女の嗅覚は鋭い。

先日、車を買うときに世話になったヤツもやってきた。
彼も高校になってからの知り合いで、ボクと同じ中学校の一級上の彼女と結婚した。
しかも彼はボクの女房の一級上で、女房のことを未だに旧姓で呼んでいる。
女房からは、
「またH君のところで買うの?」
と言われるくらいいい加減なヤツだったが、いまでは立派な重役である。
でも今でもホントはいい加減である。

東京で劇団を主宰しているヤツもいる。
もともとは役者なのだが、途中から著作もやりはじめて結構売れている輩である。
詳しく書くとバレルのでこの辺で。

ドロドロになるまで呑んだ。
みんな気力・体力・精力の衰えを嘆く。
「定年まであと5年半。それまで生きているか」がテーマとなった。


日曜日は実家の近くの家具屋へ。
「座るのがそろそろしんどくなってきたので、今のうちにソファーを買っておきましょう」
と妻が言い出したのだ。

妻は3人掛けのソファーで気に入ったのがある様子。
ボクは座り心地のいい一人掛けのソファーに座って妻の顔をじっと見た。
「それがいいの?それはあなた一人しか座れないのよ」
「両方買おう」
「だってその一人用はこれと同じ値段がするのよ」
「そのソファーに二人がいつも並んで座るのか?直角に座らないとおかしい。
 そっちは横になるときに使う。
 そのときはこれに座ってもよい」
「結局自分のことしか考えていないのね」
「ソファーが欲しいと言い出したのはおまえだ。選んでくれというから選んでやったのだ」
「はいはい」
で決着。

老後の生活はもうそこまで近づいている。

2010年8月11日 (水)

記憶の彼方

昨夜か、その前日かよく分からなくなった。

はちべえどののコメントに書いた言葉の意味が自分でも理解できない。


『そうです 003の亡霊。
思い出せば、まきひろこ か こまどりしまい の…あの人は??』

一体どういう意味だろう。
まきひろこ は誰だか知らぬ。
どう思い返してもそのような人は思い浮かばない。

こまどりしまい は知ってはいるが、
双子の姉妹歌手が、どうしてこんなところに登場したのだろうか。
しかも、なぜわざわざサイボーグ009で出てきたのか?

まきひろこ
こまどりしまい

…なんなのか????

2010年8月 9日 (月)

サイボーク 009

とにかく特技のある人間になりたかった。

足が速い。
目がいい。
あたまがいい。
予知能力がある。
透明になれる。
…なんでもいいから特徴ある人間になりたかった。

ところが、ボクには何の取り柄もないかわりに、この歳になっても、いつのまにかサイボーグ009と同じような役回りばかりやらされる。

サイボーグ009 はもういやだ。
だれかボクを001~008で使ってくれる人はいないだろうか。

アルコール燃費は悪いが、まあまあ使えるんだがなぁ…。

2010年8月 8日 (日)

おやすみなさい

五時から予定通り晩酌をしようとしたら、炭酸水が切れていた。
「バカたれ!すぐに買いにいけ!」

と言いたかったが、
「明るいうちから酒を飲んだらバチが当たるわよ!]
と言われるにきまっているので、自分で買いに行った。

酒屋で支払いをしていると、樹木医のF氏とばったり出会った。
近況を話しながら、
「とりあえず一杯飲んで、秋口からの突撃を語りましょう」
で落ち着いた。

土日の日記

いつものように土曜日は実家へ。

猛暑の中、昼まで草刈り。
暑さでへろへろになる。

昼寝をして日が陰るのを待つ。
4時前から再び草刈り。

田んぼの畔の草も伸びてきたが手が回らない。
それにしても暑い。草も猛烈な勢いで伸びる。


日曜日。
8時過ぎから東鳳ベン山へトレーニング。

相変わらず登る人が多い。
ときどき吹いてくる冷風が心地よい。

すぐに下山してテレビ将棋を見て昼飯。
午後は読書。
5時になったら晩酌を開始。

2010年8月 6日 (金)

営業

押し売りはできないので、細々と営業活動にいそしむ。

久々の現場でのプレゼンテーションだ。

気合を入れて、部下に声をかけて、事前のアポを念入りに確かめて、

乗り込んだはず……だったが、

ここで、思わぬ落伍者。

とっておきの責任者のはずだが、病気なら仕方がない。

…おまえは、二度と仕事では使えぬ。

悪いがゆるせ。お前は使えぬ。

お前を使う余裕など、ワシにはない。

自分で頑張れ。

ワシは、そのあとなんとか頑張ったから、とにかく養生せい。

俺に気遣うな。

早く戻ってこい。

ワシを頼るな。

自分で歩いてこい。

2010年8月 5日 (木)

キジの想い出

実家のすぐそばにヤブ山家先祖代々の墓がある。

先日、墓の草刈りに上がってみたら、すぐそばの茂みからキジがバタバタと飛び立っていった。

そういえば昔、職場の「やま新聞」に、キジのことを書いたことを思い出して、当時の新聞を引っ張り出してみた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《第29号:平成12年5月1日発行》

<編集後記>

4月の初めに田の荒起こしをしているとキジが出てきた。

母の言では、つがいが裏山に住みついて、田んぼに捨てたクズ米を食べに出てくるようだ。

今日はオスだけだったが実にきれいな羽をしていた。

山に帰るときはバタバタと音を立てるのかと思っていたが、いつの間にか姿が見えなくなった。

音を立てるのは巣を守るときの示威行為なのだろう。

満開の桜とキジを眺めながらの農作業は、山行とおなじくらいストレス解消になった。

《第30号:平成12年6月1日発行》

5月の最後の日曜日。実家で草を刈っていたとき、突然、足下からバタバタとキジが飛び立った。

全身褐色なので恐らくメスだ。

「あいつのヨメさんだな」と思いながら飛んでいく姿を眺めていた。

ふと足下を見ると、なんと卵が!ニワトリの卵よりずっと小さく、ウズラよりも少し大きい程度だ。6~7個はあるだろう。

よく見ると、そのうち2個は草刈機の刃に当たったのだろう、黄身が出ていた。

草刈機を止め、周囲に刈り草をそっと置いてその場を離れた。

飛び立ったメスは、草刈機の刃に当たる寸前まで必死で卵を守っていたのだろう。

僕はそれに気付かずに無益な殺生をしてしまったのだ。

庭でこのことを母に話していると、遠くで、「ケーン、ケーン」という泣き声がした。

「メスが泣いているのかな…」

「あれは確かオスの鳴き声だね」と母がつぶやいた。

「メスは大丈夫かな。残りの卵をヘビやカラスから守っておいて…」

「しばらくそっとしておこうね」

『もうなにもしないから戻ってきてくれ』と伝えたいが無理な話だ。

ボクをずいぶん恨んでいるだろうが、子供をつれて現れてくれることを願っている。

《第31号:平成12年7月3日発行》

<編集後記>

キジの話の続々編。

先日、実家に戻って田んぼを眺めていたら、休耕田につがいが出てきて餌をついばんでいた。

母に尋ねたら、あれから暫くしてメスが戻ってきたそうだ。

巣の周囲にカムフラージュの枯れ枝を置いてもじっとしていたらしい。

ただし、卵の数が少し減っているのが心配の種とのこと。

すっかり後見人になった母は、せっせとカラスや野良猫を追い払ったり、ずいぶん世話をしている様子だった。

卵が無事に孵化しますように!

《第34号:平成12年10月19日発行》

<編集後記>

今時のコンバインは自動制御装置が付いているので、稲株にあわせて方向を直してくれる。

長い直線になるとすることもないので、秋晴れの空や色づき始めた山をぼ~っと眺めていると、せせこましい生活から逃げ出したくなった。

母が、「キジの子供は見ないけれど若いキジはいるようだよ」と言う。

今年の卵はボクのせいでダメになってしまったが、例のキジの一家は去年の子供と一緒に棲みついたようだ。

彼らは生きていくために必死で頑張っているのだろうが、酒も呑まずにどうやってストレスを発散しているのか分からない。

キジになったら困るので、人間のままで頑張るしかないようだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

この間の出来事なのに、もう10年も前の話になってしまった。

平成12年といえば、奇しくもヤブ山突撃隊のホームページを開設した年なので、ひょっとしたらこのことを掲示板に書いているかもしれない。

最後の話は少し飛んでいるが、「キジも卵もあれからしばらくしていなくなった。孵化したのか食べられたのか分からない」と母が言っていた記憶がある。

※「キジになったら困るので、人間のままで頑張るしかない」は、「キジになったら酒が呑めなくなるので、人間のままで生きるしかない」という意味です。

2010年8月 3日 (火)

カーナビⅠ

今回、初めてカーナビをつけた。
早速、見様見真似で使ってみたが、実に面白かった。

山口と実家を往復するときは、ストレスの少ない国道376号経由が多いのだが、先の豪雨で国道489号の島地から永源山公園の間が通行止めになっているので、帰りは、周南の夜市から島地へ抜ける変則ルートを走ってみることにした。

早速、徳山東インターに入れという指示が出たが、無視して通り過ぎる。
次は徳山西インターに入れと指示されたが、インター手前で島地に向かう県道に入ってやった。

すると、ナビは警告を発することなく黙って、次の交差点で迂回するルートを示したが、これは元の国道2号に戻る道だ。これも無視して直進すると、さすがに諦めて島地から徳地に向かうルートを指示してくれた。

「ようやくボクの考えが分かったか!」
と喜んでいると、あろうことか…徳地の堀交差点を右折して大原湖方面へ行けという表示が出た。
ここからわざわざ地福に抜けて、国道9号で木戸山を越えて帰れというのだろうか。

「バカだな、お前は!いくらボクが田舎経由が好きだとしても、そこまで大回りするわけがないだろう!バカたれ!」
と言いながら、ナビの指示とは逆に、左折して佐波川沿いを下る。

すると、ナビは少し考えて、次の交差点を右折して川沿いを元に戻るコースを指示してきた。
「お前!しつこいヤツだな!」
と言いながら、右折を無視して直進し、佐波川を渡りかけた。
すると、ナビはあわてて、川を渡ったらすぐに右折して、川沿いの反対の道で堀に戻るよう指示した。

「お前はよっぽど融通がきかん奴だな!」
と言いながら直進すると、ナビはようやく諦めて仁保経由を表示した。
「よしよし、ようやくボクの考えが分かってきたな」

自宅の近くまで来たとき、意地悪して遠回りしようかと思ったが、ナビがひねくれたらいけないので、
指示通りにいつもの道で帰った。


まだよくマニュアルは読んでいないのだが、ナビはできるだけ大きい道路を選ぶようだし、細かい経由地も指定できるので、きちんとしたルート選定はできるようだ。

「パソコンのように学習機能が備わっていないのかな?」
と思ってマニュアルを探したら、
ナビにも履歴を記憶する機能があって、後日、それを呼び出せるし、実際にそのとおりに案内してくれるそうだ。

ここでふと考えた。
「ひょっとして、後日、ボクがいないときに、女房がナビの履歴を探したら、ボクがどこに行ったかすぐに分かるのか…」

今日、職場で若い奴らにそのことを話したら、
「そうですよ。ヤバイときはナビの履歴は消しています」
という返事が返ってきた。

「そうか!インターネットの閲覧の履歴を消すのと一緒だな!」
「そうです!そのとおりです!」

と、いう頼もしい返事が帰ってきたので、
ナビの履歴の消し方と、目的地設定をしていなくても、走行履歴を自動記憶していないかどうか?
…というあたりから、マニュアルを読み始めたのでありました。

ふ・ふ・ふ……めでたし、めでたし。

日テレ遭難

埼玉県のヘリ事故を取材しようとした日テレ記者が、沢で遭難死するというニュースがあった。三重遭難ともいわれる惨事である。

事情はよく分からないが、二人とも沢靴を履いて、山のベテランカメラマンはそれなりの装備をしていたようだが、若い記者は普通に近い服装だったという。

ボクたちは、ロープやザイルを駆使するような登山は、技術も道具もないのでできない。ちょっとした沢や滝なら突撃するが、せいぜい子供の冒険に毛が生えた程度の山歩きだ。

ベテランの方がついていたのであれば、ロープもないのに再び沢に下りることは考えられないが、そこにはなんらかの事情があったのだろう。

ボク達も、奮戦記に迫力を求めて、できるだけ珍しいルートやちょっとヒヤヒヤするような場所を追いかけたい気持ちにかられることがあるが、ここは心を引き締めて、身の丈にあった山歩きを心がけたいと思う。

一連の事故で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。

2010年8月 2日 (月)

土日の日記

土曜日。
新車を替えに行く。

同級生がディーラーをやっている関係で、いつも○社の車になる。
新車は買えないので、デモ車…新古車を探してもらったのだ。
今日が納車の日。

8年間一緒に暮らしたCR-Vは、先週、息子が(予定どおり)乗り逃げした。
「自動車税は払え。保険もちゃんと手続きしろよ!」
と言ったが、あっという間に見えなくなった。
「ガソリンは今の倍以上食うぞ!」
とだけ事前に言っておいた。

さて新車はハイブリッド車。
すっかり小さく、車内も狭くなってしまったが、
「もう夫婦二人だから、こんなもんでいい」
と決めた車だ。


日曜日。
その新車で早朝、実家に戻る。
走りを確かめたいが、草刈りの時間が惜しいので直行。

二時間頑張って昼休み。
この時期の昼作業は地獄。
ベランダにサマーベッドを持ち出して寝ていたら、野球の声がしたので上がってみる。

中学校の新人戦のようだった。
外野の隅で観戦していると、Bチームの守備毎の練習の時、外野手があまりにも不真面目にやっていたので、思わず怒鳴ってやろうと思ったが、H高の選手ではないので許してやった。

肩慣らしをする気もなくて、相手をしてくれる控えの選手をバカにしながら遊んでいた。
「おまえ!真面目に練習せんか!」
と言いたかったが、その子の親達が近くにいたので躊躇した。
控えの選手もそれを知りながらつきあっていた。
悲しい風景だった。

しかし、そのうちライト前ヒットが来て、そいつはハンブルして二塁打にしてしまった。

ズル賢こそうで、弱い奴をいじめては自分の子分にしそうな奴と感じた。


ズルはいけない
努力は自分だけでしろ
他人を巻き込むな
反省は一人でしろ
…そして自分だけで考えろ

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