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2010年9月 6日 (月)

Guitar

先日ギターのことを少し書いたが、中学1年生のとき、当時流行りはじめた「東京ギターアカデミー?」の通信販売でクラッシックギターを買ったのが始まりである。

裕福ではない家庭ではあったが、我が家もようやく中学生になって小遣いが認められた。いくらだったか忘れたが、一年ぐらいかけて小遣いをそのまま月賦の500円?に充てた記憶がある。

当時は、ナルシソ・イエベスの「禁じられた遊び」を弾けるようになるのが大方の目標で、ボクも一心不乱に練習した。
第二部の変調するところも弾けるようになり、トレモロの不朽の名作「アルハンブラの想い出」にもとりかかったが、同時に、自分の才能と根気に限界を感じ始めていた。

その頃は、タイガースなどのグループサウンズが最盛期だったが、エレキギターを弾いているのは不良とする社会風潮があった。
ボクは、相変わらずクラッシック中心だったが、時々、「バラが咲いた」とか、「太陽がいっぱい」などのポップス系の曲にも手を出していたので、大体のコードはマスターしていた。

当時、同級生にもう一人ギターをやっているヤツがいて、
「おい、PPMというのを知ってるか? ピーター、ポール&マリーというんだ。
 兄貴からこんなのを教えてもらったんだけど…」
と言って、「PUFF」や「くよくよするな」のさわりを弾いてみせてくれた。
その歯切れのよいスリーフィンガーを聞いて、猛烈なカルチャーショックを受けた。

クラシックでもシンコペーションは出てくるが、スリーフィンガーのリズムと軽快な展開にすっかりはまってしまった。

それからは、彼と二人でPPMのレコードを買ってきて、溝がつぶれるぐらい何度も聞いてはコピーに明け暮れた。暫くして、全音から楽譜も出版されたので、それまでコピーしてきたものと比較しながら、スリーフィンガーとハーモニーの練習ばかりしていた。
だから今でもPPMのほとんどの曲を覚えている。

高校生になる頃には、クラシックギタ-のままで、日本のフォークグループやサイモン&ガーファンクルのギターテクニックにも手を出していて、たぶん当時のギターテクニックにかけては自信があった。

高1になると、何故か合唱部に入ったり、念願のフォークギターを買った。
この頃には吉田拓郎や井上揚水をはじめとする弾き語りがはやりはじめた頃だったが、コードをかき鳴らしながら歌う手法になじめず、ギターテクニックがおもしろい曲だけ、たとえば「今日までそして明日から」とか「東へ西へ」あたりだけコピーしていた。
泉谷しげるの「春夏秋冬」などはバカにしていたが、最近になってガンガン弾くのも悪くないなと思うようになってきた。

例の同級生とは別々の高校になったのだが、高1の夏、偶然出会って久しぶりに「Don’t think twice,it’s all right(くよくよするな)」と「PUFF」をコラボ演奏してみたら結構よかったので、同席していた放送部員がそれを録音して、昼休み時間に校内放送で流したところ随分反響があった。
この頃が、ボクのスリーフィンガーの第1期全盛期だったと思う。

また、当時は徳山の周音連が主催するコンサートも活発で、ブラザーズフォーや当時無名のチューリップ(青い三角定規の前座だった)を聞きに行ったりして、次第に歌うほうに興味が移っていった。

高2の文化祭では、合唱部の正式な合唱組曲のあとに、男子部員(4~5名)だけで、ギターを片手にブラザーズフォーの「風は激しく」や「七つの水仙」を披露した。

高校3年になると、文化祭で、当時気に入っていたチューリップの「魔法の黄色い靴」「心の旅」「夢中さ君に」をやりたいと思って、エレクトーンとピアノで音楽大をめざしていた音楽家志望のY君に話を持ちかけたら、
「ドラムをやっているN君からタイガースをやらないかと誘われたけど、タイガースではどうもね…」
という返事が返ってきた。

ドラムさえあれば立派なバンドになるし、「心の旅」にはピアノが不可欠なので、ボクが間に入って、タイガースをめざすドラム、ベース、リードギターの三人組と、ボーカル&ギターのボクと、エレクトーン・ピアノ担当のY君による即席バンドが誕生した。

タイガース組の話を聞いてみると、ドラムのN君が得意のタイガースをバンド演奏したくて、陸上部のT君がベースを弾けるらしいこと。とてもおとなしいK君が実はリードギターの名手らしいこと。そして、自称イケ面のT夫が女生徒受けを狙ってボーカル志望しているのがことの発端らしかった。

「チューリップをやりたいから、そのときだけ協力してくれないか」
と言ったら即座にOKの返事が返ってきた。
練習を始めたら、T夫がなかなかの音痴であることが分かったので、
「ついでにヤブ山が全部歌ったら…」
という険悪な時期もあったのだが、
「一曲でもいいから彼女の前で歌わせてくれ」
という彼の熱意にほだされた経緯がある。
ただ、いくらやっても「君だけに愛を」の入りのタイミングが合わないので、僕が替わりに歌う羽目になった。
T夫には悪かったが、君だけに愛をは諦めてもらって、「花の首飾り」と「モナリザの微笑み」に専念させた。

僕の家は高校のすぐそばで、ちょうど新築した離れが僕の部屋だったので、夏休みの最後に楽器を搬入し、二学期から毎日1~2時間練習した。
一番役に立ってくれたのが、音楽家Y君で、あっという間にチューリップのアレンジを楽譜にして持ってきてくれた。(彼はその後音楽大の教授になった)

実は、このとき初めてエレキギターを手にした。リードギターT君の知り合いから借りたのだが、それほど違和感がなかった。
「魔法の黄色い靴」は、ボクのフォークギターにギターマイクをセットし、それ以外はサイドギターとして演奏することにした。

当時の文化祭は、派手なグループサウンズやフォークグループが続いて、お目付け役の音楽のF先生が困っていたのだが、今回は、合唱部のボクと、ブラスバンド部長の音楽家Y君が参加するというので、「エレキバンド禁止」の声が出ていた職員会議をうまく収めてもらったそうだ。

F女史は独身で、ボクとY君にはとても優しくしてくれた。
「ヤブ山君、『あ~、だから…』の、『あ~』は喉を緩めてもっとクリアーにね」
とアドバイスしてくれたし、本番のときは、講堂のグランドピアノをY君用に特別許可してくれた。
Y君は、
「F先生は…お前に気があるんじゃないか…」
とからかってきたが、当時のボクは、それどころから、
身に覚えのない?ダブルブッキングで大変だったのである。

あちこちからアンプを借りてきて本番直前のステージ練習をしてみると、
演奏側に向けるアンプがないので、自分たちの演奏がよく聞こえないという問題が発覚した。
特に、ボーカルにとっては死活問題で、
ヘッドフォンをしたまま歌うと音が外れるのと同じ現象に直面したが、
アンプを少し後ろに下げて乗り切ることにした。

オープニングは、「夢中さ君に」。これは勢いで何とかなる。

次は「魔法の黄色い靴」。
スリーフィンガーのソロで始まるので、何とか音程はとれそうだが、そのまま歌のソロに入るので猛烈に緊張した。

次はタイガースを3曲。
「君だけに」は、入りがリードギターとベースソロだけなので、
「Oh please~」の出だしの音がとりにくい。緊張のあまり足が震えた。
T夫もなんとか二曲をこなした。

その後、Y君のエレクトーン独奏を一曲。
ほれぼれするほどうまかった。

エンディングは「心の旅」。
Y君の力強いピアノの出だしで、気持ちよく歌いはじめた。
途中の「旅立つ僕の心を…」のところのピアノがきれいに響いた。
ドラムのN君もどこからかマイクを調達してきて、一生懸命にバックコーラスに参加していた。

アンコールの催促があったが、演奏した曲目しかできないので、もう一度心の旅を歌う。

大学に入ると、歌を離れてギターに戻った。

必死にバイトをして、YAMAHAのL-6という当時でも6万円もするアコースティックギターを買った。
ここから、旧知のH君から教えてもらった「ラグタイムイム」に挑戦した。

ラグタイムは、映画の「スティング」のテーマ曲のようなもので、これのギター版をイメージしてもらえばよい。

H君は高校時代はまだギターを始めたばかりで、バンドのマネージャー的な役割を果たしてくれたのだが、その後腕を上げて、エレキギターはボクより数段うまくなっていた。

彼は、ボクのピッキング好きを知っていたので、新しいジャンルを紹介してくれたのだ。

ラグタイムの演奏は、それまでのスリーフィンガーからかなり進化していて、
新しいテクニックやコードがいっぱいだった。

この頃からボクのアコギ第二世代が始まった。

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