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2010年9月

2010年9月27日 (月)

カーナビ(3か4ぐらい)

先日、レンタルCDをカーナビに入れたら、再生と同時に録音を開始した。
全曲を録音するまでには相当時間がかかると思っていたら、
再生しながらその一方で5倍以上の速さで録音してしまうのである。

つまり、2曲ぐらい聞いているうちに、全10曲以上をあっという間に録音できるのである。
こうなると聖徳太子も真っ青の能力である。

いつの間にこれだけ進化したのだろうか。
前の車にはナビはなく、ラジオとMDコンポをつけたが、その時、
「カセットラジオだけでいいから…」
と言ったら、
「ヤブ山さん、いまどきカセットなんてありませんよ。探すのが無理なくらいです」
と言われたことを思い出した。

こうして今の車では、CDとDVDの時代である。
ラジオもワンセグもエリア受信してくれるので、
他県に行ってもすぐにその地域の電波をあっという間に探してくれる。

でもこんなに楽をしていると、人間の感がどんどん退化しそうで心配になってきた。
初期のレコードプレーヤーでは、レコードに針を載せるにもそれなりの技術が必要だったが、
今のCDプレーヤーは、差し込むと自動的に引き取ってデーターを調べて、すぐに再生してくれる。

カーナビも目的地を色々な方法でセットできるので、いちいちルートを覚える必要がない。
ある業界の人が、
「今では、カーナビに指令電波を飛ばして、現場の車はそれを見ながら目的地に行くというのが常識になっているが、若い連中が道や町の様子を覚えなくなったので、もしもナビがなかったり、動かなかったらどうなることやら…」
と警告を発していた。

先日、高速道路を走っていると、強風に煽られたのであわててハンドルを切ったら、ナビが、
「横揺れが大きくなりました」
と注意してくれた。

恐らく居眠り運転や酔っ払い運転防止のための機能だろう。
「はい、はい。分かりました!」
と答えておいたが、妻は、
「風のせいなのに…余計なお世話だわ」
と文句を言っていた。

そういえば、ナビは、
「500メートル先の交差点を右折です」
と親切に教えてくれるのだが、妻は、次の交差点に近づくと、
「右じゃないの?さっき次の交差点を右折って言ってたわよ」
とあわてた声で叫ぶので、
「バカ!まだ100メートルしか走ってないぞ!ここじゃない!」

「だって右折っていってたもん」
「500メートル先のことだ!」
「三つ目の交差点を右です…と言えばいいのに」
「バカ!そこまでできるワケがなかろうが!」
「案外たいしたことないわね」
「バカ!これは高かったんだぞ」

と、ここで「右折です」のアナウンスが…。

「バカ!通り過ぎたじゃないか!」
「わたしは悪くないもん!」
と口喧嘩になった。

地図が読めない妻との喧嘩を解消するために付けたカーナビだが、
新たな喧嘩の火種を抱えてしまった。

別の逸話もある。
ある工場を訪問したのだが、部下の車でカーナビの指示どおりに工場入り口に着いたら、
守衛さんから、

「ここは貨物専用の東門なので、一般の人は正門に回ってください。正門は、今こられた道を800メートルぐらい戻って、市道を左に500メートル行った所の交差点を左折して下さい」
途中、片側交互通行区間があったので、到着がぎりぎりになったのだが、
もう一度そこを通ることになったので、約束の時間に10分も遅れてしまった。


要するに、女房もナビも気が利くかどうか…で決めるべきである。

2010年9月26日 (日)

バイオハザード Ⅳ

実は、昨日、河平連山に登ってそのまま帰山して、スカラ座で映画を見た。

バイオハザードのシリーズは、

あの主人公の彼女の名前を忘れた…ヴィッチ、ヴィッチ……

アンナ ではなくて ヴィッチでもない。

とにかく 美人は得だ。

今日は本を買って昼寝。

河平連山(555.2m 広島県大竹市)

妻の登山靴の足慣らしに出かけた。

西中国山地に行きたかったが、仕事の待機がかかっていたので、
携帯電話の通じる瀬戸内沿岸部にした。

昔買った「続・ふるさとの山歩き」(中国新聞社)を久し振りに引っ張り出して、
大竹市の河平連山を歩くことにした。

松ヶ原町は大竹市内から7~8分で、長閑な中山間地区だ。
案内標識もしっかりついており、手ごろなハイキングコースだった。

0から8号峰までの稜線歩きは30分の休憩を含めても3時間もあれば十分。

稜線は防府の右田ヶ岳をうんと楽にしたようなコースで、
花崗岩の岩山を展望を楽しみながらくつろいだ。


稜線から松ヶ原集落を望む

Kouhirarenzan_001


北側には三倉岳、羅漢山、冠山が広がっている。

Kouhirarenzan_005


まだまだ暑いので半袖で歩いた。
新しい登山靴はフリクションがよく効いて歩きやすいようだった。
妻はパートから解放されたので、休日は外に出ようという気になったようだ。

今年の10月は農作業がないので、妻の機嫌を適当にとりながら、
ヤブ山突撃隊で精力的に西中国山地を探検するつもりだ。

2010年9月23日 (木)

もみすりⅡ

実家に帰る途中、虹ヶ浜から九州がよく見えた。

国東半島の山々と由布岳。
H22923

残りの籾スリを終えた。
…9月中に終わったのははじめてだ。

明日は大事な仕事があるのだが疲れ果てた。
歳はとりたくない。

もう眠い…おやすみなさい。

2010年9月21日 (火)

妻の登山靴

屋久島登山でソールが剥がれた妻の登山靴を買い換えに行った。

初代、二代目のシューズとも、とうてい登山靴といえるような代物ではなかったので、この際、皮製のトレッキングシューズを買うように勧めたのだが、ボク(ローバー)や息子(シリオ)の靴は、
「あんなに重かったらとうてい歩けないわ」と言い張る。

「はじめは重いと感じるけど、そのうち慣れてきたらとっても安定感があるし、水には強い。マムシを踏んづけたって大丈夫だ」

「重いもん。あれじゃ足が上がらないわ。絶対にイヤ!」
と頑として譲らないので、
「勝手にせい! ただし、ゴアとビブラムソールで、1万5千円以上のモノにしておけ」
と言ったら、ようやくH社の5千円をやめて、K社のまあまあのモノを選んだ。

おかげで、屋久島で亡くしたボクのハイキンググローブは、
「予算オーバーです」
と宣告され、自分の小遣いで買わされる羽目になった。
…こんなことなら知らんぷりしておけばよかった。


息子は、今週、祖母~傾山の完全縦走をするらしい。
会社の同僚とテントを担いで二泊三日の計画だそうだ。

妻は、昨年、傾山に登っているので、最後の岩場の恐怖を言い聞かせていたが、息子は生返事ばかり。
「大丈夫かしら」
とボクに意見を求めるが、
「祖母山は、むかし家族で登っているから、頂上直下の岩場と天狗岩付近は滑りやすいことぐらい思えているさ」
とのん気に答える。

でも帰り際、息子に
「祖母山は覚えているだろう? 九号目小屋の水場は汲みに降りたし、傾山の九折越のテン場の水場は、上畑とは反対側に7~8分ぐらい降りたところにある。言っておくが、傾の最後の岩場はスリル満点だぞ」
と、聞いてみたが、

「祖母山は全然覚えていない。どこから登ったかも忘れた」
と呆れた返事が返ってきた。
あとで記録を見ると、家族で尾平から登ったのは平成10年のゴールデンウィークだった。

当時、息子は14歳。
…そんなことも忘れているようなら、おまえ 大丈夫かぁ?

2010年9月20日 (月)

稲刈り2

天気が下り坂なので、中一日で残りの稲刈りをする。

その前に、一昨日刈った分の籾スリをする。
大きい倉庫に乾燥機を据え替えたので、籾すり機に直接搬入できるようになって随分楽になった。
今日はバカ息子がいないが、一人でやろうと思えば一人でできる。
昔の籾スリは大変な作業だったが、今は機械さえ買えばどうにでもなる。
スクモ(もみ殻)も倉庫の窓から畑に噴き出すようにしたので手間いらずだ。

手持無沙汰な母が、出てくる玄米を手にとっては何やらぶつぶつ言うが聞こえぬふりをする。
1時間で終わって残りの稲刈り開始。
暑い!暑い!
昼を少し回った頃に何とか刈り終えた。

今日は妻がいるので、昼にビールをしこたま呑む。
ふらふらしながら、10袋を乾燥機に張り込んだ。
これで天気の心配がなくなった。
次の休日にもう一度籾スリをしたらおしまい。
今日の籾スリの状況からして、作況指数は「100」

倉庫に帰ってきたコンバイン。今年もよくがんばりました。

Kc3v0003


倉庫の右半分。
左が愛用のトラクター。奥の大きいのが乾燥機。
その手前に籾すり機。(選米機はその間に隠れている)

Kc3v0004


刈り終えた大きいほうの田んぼ。
田んぼの隣に家が増えました。(ボクのせいです)

Kc3v0005

2010年9月18日 (土)

稲刈り

妻と息子を連れて実家で稲刈り。
妻は役に立たないので炊事班に専念させる。

息子には覚えてほしいことをやらせてみる。
トップカー、コンバイン、乾燥機をやらせたが、
実際には、自分ひとりになってから初めて覚えるものだ。
燃料一覧を書いたこと、昔からの収穫量の記録場所を教えた。

母もまだごそごそ動けるが、歳を取るにつれて次第に口達者になってきたので、しょっちゅうもめる。
ボクもいい加減に頭にくるときもあるので、
「ボクがやるから もういい!あっちへ行って!」
「それんなやりかたじゃ いけん!」
「もう ええ!」 
と口げんかになる。

妻に、
「ホントに頭にくる」と言ったら、
「生きがいを奪ってはいけません」
とクールなお答え。

…あんたは月に一回でしょ。
 ボクは毎週です。
 実の母ですが、頭にくるときは頭にくるのですよ。

2010年9月16日 (木)

サイモン&ガーファンクル

車のHDDに録音するために、妻とレンタルCDに行った。

ボクは、「サイモン&ガーファンクル」「かぐや姫さーど」「ビートルズ」

妻は、「カーペンターズ」「荒井由美」「盲目のピアニスト」

それから何度もサイモンとガーファンクルを聞いたが、やはりすごい。

ボクの好きな曲は、
 「ミセスロビンソン」と「冬の散歩道」だ。

ボクサーやスカボロフェアーもいいが、ミセスロビンソンが最高だ。
ギターでひくあのフレーズとリズムは至極の世界だ。
冬の散歩道もおなじ理由。

才能さえあれば、ギタリストになりたかった。

2010年9月15日 (水)

「決める」ということ

将棋の羽生名人に次のような名言がある。

「最後に何かを決めるという段階に入ったら、
自分自身を信じ切ることができるかどうかにものすごく影響される」

「何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、
情報の山に埋もれるだけである」

仕事をする上でも、決めるということは大変難しい。
決められないというのは困るが、
ろくに考えもせずに決めてしまうと、もっと大変なことになる。

もう一つの名言がある。
「判断のための情報が増えるほど、
正しい判断ができるようになるかというと、
必ずしもそうはいかない」

ある問題について、結論によって生じるメリット・デメリットをしっかり調べて説明してくれるのは有難いが、
レベルの違うものをごちゃまぜにされていると大変だ。

「総合的にはこっちか?」と尋ねても、
小さいデメリットを一つ一つ説明する部下がいる。
「10段階評価で、こっちは8レベルだからどうだ?」
と言っても、
「残りの2つの問題をクリアーしていないので自信がない」という。

中には、両方の「いいとこどり」をした折衷案を持ってくる者もいる。
折衷案は、「落としどころ」と称されることがあるが、これはあとで必ずモメる。
経験上、どっちかに決めて、クリアーできないものは別の手立てで対処するほうが、後々トラブルを招かない。

…と、書くと聞こえはよいが、実際は大いに迷っている。
決めるときはとてもこわい。
色々言われるとグラつくが、意識的に冷淡にしている。

最後に名言をもう一つ。
「判断を積み上げる力も必要だが、
見切りをつけ、捨てることを決断する力も大事だ」

一度決めたら、少々の逆風があっても進めていかなければならないが、
「やっぱりおかしい」と感じたら、その時点で軌道修正する勇気もいるのだろう。
それが羽生名人の強さに違いない。

…ボクの迷えるバカ頭と、今の政治の特効薬になりますように。

2010年9月14日 (火)

いろいろなこと

このところ元気が出ないのは 酒のせいではあるが、
いろいろありすぎた。

おとこの周期にも 波があって いつものように元気は出ないし、
酒も 同じように 酔えないときがある。

先日、同級生の親父さんがなくなられたのだが、
その3年前には、本人がさっさと先にあの世に行っていたので、
なんともやるせない葬儀になった。

なぜか あいつがボクを呼んでいるような気がして
ブログの更新をやめた。

でも、きっちり話をつけたので 今日から再開します。


2010年9月13日 (月)

実家の裏山

いろいろなことが重なって動きが取れなかった。

実家に帰っても手につかず、H高の野球場に上がっては練習試合の観戦に没頭。

これがH高の野球場。
バックは千坊山。
Kc3v0002_2


外野の後ろには瀬戸内海。
よく見ると樹間越しに海が見える。
Kc3v0003_3


観戦しながら、近所のM翁と昔話に花を咲かせた。
40年前を知っているのは、貴重な世代になった。
退職したら、それを語り継いでいかなければいけない。

とにかく頑張るしかないが、どうも体に元気がない。
がんばります。

2010年9月12日 (日)

今週の日記

とうとう何も書けないまま一週間が過ぎた。

野望はたまっているのだが、火がつかない。

あつい…とにかく暑い!

周南山の会に少し書いたのでご容赦ください。

2010年9月 7日 (火)

osaka

暑い大阪に行く。

大阪はアップダウンがないので自転車が多い。
だから歩道は危ない。
後ろから自転車がびゅんびゅん走ってくる。

今日も暑くて水分の総入れ替え状態だ。
なんだか眠い。
体も重い。

明日は水曜日。
まだ先がある。


2010年9月 6日 (月)

Guitar

先日ギターのことを少し書いたが、中学1年生のとき、当時流行りはじめた「東京ギターアカデミー?」の通信販売でクラッシックギターを買ったのが始まりである。

裕福ではない家庭ではあったが、我が家もようやく中学生になって小遣いが認められた。いくらだったか忘れたが、一年ぐらいかけて小遣いをそのまま月賦の500円?に充てた記憶がある。

当時は、ナルシソ・イエベスの「禁じられた遊び」を弾けるようになるのが大方の目標で、ボクも一心不乱に練習した。
第二部の変調するところも弾けるようになり、トレモロの不朽の名作「アルハンブラの想い出」にもとりかかったが、同時に、自分の才能と根気に限界を感じ始めていた。

その頃は、タイガースなどのグループサウンズが最盛期だったが、エレキギターを弾いているのは不良とする社会風潮があった。
ボクは、相変わらずクラッシック中心だったが、時々、「バラが咲いた」とか、「太陽がいっぱい」などのポップス系の曲にも手を出していたので、大体のコードはマスターしていた。

当時、同級生にもう一人ギターをやっているヤツがいて、
「おい、PPMというのを知ってるか? ピーター、ポール&マリーというんだ。
 兄貴からこんなのを教えてもらったんだけど…」
と言って、「PUFF」や「くよくよするな」のさわりを弾いてみせてくれた。
その歯切れのよいスリーフィンガーを聞いて、猛烈なカルチャーショックを受けた。

クラシックでもシンコペーションは出てくるが、スリーフィンガーのリズムと軽快な展開にすっかりはまってしまった。

それからは、彼と二人でPPMのレコードを買ってきて、溝がつぶれるぐらい何度も聞いてはコピーに明け暮れた。暫くして、全音から楽譜も出版されたので、それまでコピーしてきたものと比較しながら、スリーフィンガーとハーモニーの練習ばかりしていた。
だから今でもPPMのほとんどの曲を覚えている。

高校生になる頃には、クラシックギタ-のままで、日本のフォークグループやサイモン&ガーファンクルのギターテクニックにも手を出していて、たぶん当時のギターテクニックにかけては自信があった。

高1になると、何故か合唱部に入ったり、念願のフォークギターを買った。
この頃には吉田拓郎や井上揚水をはじめとする弾き語りがはやりはじめた頃だったが、コードをかき鳴らしながら歌う手法になじめず、ギターテクニックがおもしろい曲だけ、たとえば「今日までそして明日から」とか「東へ西へ」あたりだけコピーしていた。
泉谷しげるの「春夏秋冬」などはバカにしていたが、最近になってガンガン弾くのも悪くないなと思うようになってきた。

例の同級生とは別々の高校になったのだが、高1の夏、偶然出会って久しぶりに「Don’t think twice,it’s all right(くよくよするな)」と「PUFF」をコラボ演奏してみたら結構よかったので、同席していた放送部員がそれを録音して、昼休み時間に校内放送で流したところ随分反響があった。
この頃が、ボクのスリーフィンガーの第1期全盛期だったと思う。

また、当時は徳山の周音連が主催するコンサートも活発で、ブラザーズフォーや当時無名のチューリップ(青い三角定規の前座だった)を聞きに行ったりして、次第に歌うほうに興味が移っていった。

高2の文化祭では、合唱部の正式な合唱組曲のあとに、男子部員(4~5名)だけで、ギターを片手にブラザーズフォーの「風は激しく」や「七つの水仙」を披露した。

高校3年になると、文化祭で、当時気に入っていたチューリップの「魔法の黄色い靴」「心の旅」「夢中さ君に」をやりたいと思って、エレクトーンとピアノで音楽大をめざしていた音楽家志望のY君に話を持ちかけたら、
「ドラムをやっているN君からタイガースをやらないかと誘われたけど、タイガースではどうもね…」
という返事が返ってきた。

ドラムさえあれば立派なバンドになるし、「心の旅」にはピアノが不可欠なので、ボクが間に入って、タイガースをめざすドラム、ベース、リードギターの三人組と、ボーカル&ギターのボクと、エレクトーン・ピアノ担当のY君による即席バンドが誕生した。

タイガース組の話を聞いてみると、ドラムのN君が得意のタイガースをバンド演奏したくて、陸上部のT君がベースを弾けるらしいこと。とてもおとなしいK君が実はリードギターの名手らしいこと。そして、自称イケ面のT夫が女生徒受けを狙ってボーカル志望しているのがことの発端らしかった。

「チューリップをやりたいから、そのときだけ協力してくれないか」
と言ったら即座にOKの返事が返ってきた。
練習を始めたら、T夫がなかなかの音痴であることが分かったので、
「ついでにヤブ山が全部歌ったら…」
という険悪な時期もあったのだが、
「一曲でもいいから彼女の前で歌わせてくれ」
という彼の熱意にほだされた経緯がある。
ただ、いくらやっても「君だけに愛を」の入りのタイミングが合わないので、僕が替わりに歌う羽目になった。
T夫には悪かったが、君だけに愛をは諦めてもらって、「花の首飾り」と「モナリザの微笑み」に専念させた。

僕の家は高校のすぐそばで、ちょうど新築した離れが僕の部屋だったので、夏休みの最後に楽器を搬入し、二学期から毎日1~2時間練習した。
一番役に立ってくれたのが、音楽家Y君で、あっという間にチューリップのアレンジを楽譜にして持ってきてくれた。(彼はその後音楽大の教授になった)

実は、このとき初めてエレキギターを手にした。リードギターT君の知り合いから借りたのだが、それほど違和感がなかった。
「魔法の黄色い靴」は、ボクのフォークギターにギターマイクをセットし、それ以外はサイドギターとして演奏することにした。

当時の文化祭は、派手なグループサウンズやフォークグループが続いて、お目付け役の音楽のF先生が困っていたのだが、今回は、合唱部のボクと、ブラスバンド部長の音楽家Y君が参加するというので、「エレキバンド禁止」の声が出ていた職員会議をうまく収めてもらったそうだ。

F女史は独身で、ボクとY君にはとても優しくしてくれた。
「ヤブ山君、『あ~、だから…』の、『あ~』は喉を緩めてもっとクリアーにね」
とアドバイスしてくれたし、本番のときは、講堂のグランドピアノをY君用に特別許可してくれた。
Y君は、
「F先生は…お前に気があるんじゃないか…」
とからかってきたが、当時のボクは、それどころから、
身に覚えのない?ダブルブッキングで大変だったのである。

あちこちからアンプを借りてきて本番直前のステージ練習をしてみると、
演奏側に向けるアンプがないので、自分たちの演奏がよく聞こえないという問題が発覚した。
特に、ボーカルにとっては死活問題で、
ヘッドフォンをしたまま歌うと音が外れるのと同じ現象に直面したが、
アンプを少し後ろに下げて乗り切ることにした。

オープニングは、「夢中さ君に」。これは勢いで何とかなる。

次は「魔法の黄色い靴」。
スリーフィンガーのソロで始まるので、何とか音程はとれそうだが、そのまま歌のソロに入るので猛烈に緊張した。

次はタイガースを3曲。
「君だけに」は、入りがリードギターとベースソロだけなので、
「Oh please~」の出だしの音がとりにくい。緊張のあまり足が震えた。
T夫もなんとか二曲をこなした。

その後、Y君のエレクトーン独奏を一曲。
ほれぼれするほどうまかった。

エンディングは「心の旅」。
Y君の力強いピアノの出だしで、気持ちよく歌いはじめた。
途中の「旅立つ僕の心を…」のところのピアノがきれいに響いた。
ドラムのN君もどこからかマイクを調達してきて、一生懸命にバックコーラスに参加していた。

アンコールの催促があったが、演奏した曲目しかできないので、もう一度心の旅を歌う。

大学に入ると、歌を離れてギターに戻った。

必死にバイトをして、YAMAHAのL-6という当時でも6万円もするアコースティックギターを買った。
ここから、旧知のH君から教えてもらった「ラグタイムイム」に挑戦した。

ラグタイムは、映画の「スティング」のテーマ曲のようなもので、これのギター版をイメージしてもらえばよい。

H君は高校時代はまだギターを始めたばかりで、バンドのマネージャー的な役割を果たしてくれたのだが、その後腕を上げて、エレキギターはボクより数段うまくなっていた。

彼は、ボクのピッキング好きを知っていたので、新しいジャンルを紹介してくれたのだ。

ラグタイムの演奏は、それまでのスリーフィンガーからかなり進化していて、
新しいテクニックやコードがいっぱいだった。

この頃からボクのアコギ第二世代が始まった。

2010年9月 5日 (日)

日曜日

早朝に野暮用があったので、ついでに東ホウベン山に上がってみた。

まだ8時過ぎだというのに、下山してくるグループも多い。
トレーニング替わりに負荷をかけながら飛ばそうと思ったが、メタボ気味の体はなかなか思う通りに動かない。
それでも数グループを追い越した。
谷間の涼風は心地よく、なんとか休憩なしで一気に山頂まで上がった。

それにしても随分若い女性が増えてきた。
流行りの山ガールの服装も目立つようになった。
いいのか悪いのか、目のやり場に困る場面もある。

5分後には下山開始。
まだまだ登ってくる人が多い。

麓ではソフトボールやバス釣りの人も交じってなかなかの賑わいだった。
時計を見ると、まだ9時20分。
今日の一日は長くなりそうだ。

2010年9月 4日 (土)

暑い

実家の田んぼを見に帰る。

ヒノヒカリから、ひとめぼれに替えたので成長が早い。

妻のようにぷくぷく太った雀が飛んでいたので、鳥よけのテープを張る。

昼からは3時まで昼寝の予定が、久し振りに納戸に置いているエレキを弾いてみた。

ダメだ。

右指も左指も全くいうことをきかない。
アコースティックギターならかえってごまかせるところがあるのだが、
エレキはどうも苦手だ。

指と右腕の力が強すぎるのだろう。

5時前まで道路の法面の草を刈って帰山。
体力の衰えを感じる。
あと一桁だろうか。


2010年9月 3日 (金)

絶好調

首が回らなくなってきた。

日記を書く時間というか、書く元気が出ない日々が続いている。
仕事的には絶好調なのだが、歳のせいかそのまま寝てしまう。

帰宅時間に変わりはないのだが、家に帰ると疲れがどっと出る。
つい…ハイボールも濃いめになる。

やっと明日は実家に戻れる。
依然として暑いが、昼まで頑張る。

2010年9月 1日 (水)

小雪とハイボールとなぜか古女房

ボクの晩酌の本命は、ほぼ一年を通じて焼酎の一番安い「鬼殺し」の湯割りで、
冬の寒い数ヶ月だけ日本酒の熱燗になる。

我が家には、焼酎用に4Lぐらいの大きなペットボトルが二つあって、プロパンガスのボンベ二基を交互に交換する要領で、片方が空になると、妻は、空いたペットボトルを抱えて酒の量販店で補充している。
したがって、晩酌の基本部分は生活費で賄われることになる。

しかし、たまには、冷酒やウィスキーやワインが飲みたくなったら僕の小遣いで買わなければならない。
小雪の角瓶のハイボールのCMが始った頃、酒の量販店に行ったら、
角瓶にハイボール用の金属製のタンブラーがおまけでついていたので、
思わずソーダ水と一緒に買ってしまった。
それまでハイボールなんて飲んだこともなかったのだが、
これが意外にいけるのですっかりはまってしまった。

以来、晩酌の前には、必ずハイボールをひっかける習慣がついてしまった。
普通サイズの720mlだとすぐになくなってしまうので、
次第にサイズアップし、今では2.7Lのキングサイズばかり買うようになった。
ボクの小遣いの範囲内なので、
角瓶→ホワイト→ニッカ黒ラベル→レッド→トリスと安いほうに流れてきた。

ショットバーでは、大体1杯500円が相場なので、毎晩2杯は飲んでいるから、
毎晩、贅沢な晩酌の前座を務めてもらっていることになる。
その後、鬼殺しで脳神経が麻痺していくのだが、
このままでは、ボクの頭と体はいつまでもつか分からない。

それにしても、酔ってくると、トリスと角瓶の区別はつかなくなるが、
小雪と女房はいくら飲んでも重なってこない。

角瓶にすればぱっと何もかもが明るくなって、女房が小雪に化けたりすることがあるかもしれないが、
鬼殺しをいくら呑んでも…小雪は小雪、女房は…古女房に変わりはないのだ。

毎晩、ハイボールと鬼殺しと限界まで戦っているボクには分かるのです。

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