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2010年10月

2010年10月31日 (日)

日曜日の日記

何もせずに過ごした。

唯一、山口駅前の川上ポップスでバンジョー弦を買った。
こんなマイナーな楽器を弾く人がいるのだろうか。
光市や周南市ではそこそこいるはずだが、文化サークルも狭い世界になっただろう。

モルダウを聴いて、
…ボヘミアの河よ モルダウよ 
  過ぎし 日のごと 今もなお

漢詩が書けぬもどかさを 還暦前のおっさんが嘆くか?
素養の拙さを 恥じたいが、

今の政治と世の中を 憂いて、

自らを ひとに 先んじること を欲す
いまを そらんじ
あとを くらうべし


   

2010年10月30日 (土)

東へ西へ

ボクが台湾に行っている間に、妻は東京にいる長女の所へ。
もうすぐ二人目の出産を迎えている。

孫はもうすぐ三歳になるのだが、おばあちゃんがわかったらしい…らしい。
でも、おそらくまゆつばものだ。
今年の正月に会っただけなのに分かるはずがない。

「あなは 冷たい人間だから 分からないわよ!」
「うるさい!」

今日は実家に帰って笹ヤブを刈った。
「あと五年したら、いったい誰が刈るのかなぁ」
と思いながら、鎌をひいた。

2010年10月29日 (金)

台湾事情Ⅱ

長い台湾出張から昨夜帰ってきた。

高雄と台北でそれぞれ二日こなしたが、昼間のプレゼンテーションに加えて、夜は交流会があった。

若いころなら、それが終わってから夜の街に繰り出すところだが、今はそんな元気はない。
若い連中から、屋台が立ち並ぶ夜市に行きましょうと誘われたが、満腹だし、初対面の人たちと会話して疲れたので「お前たちで行け」と遠慮した。

最終日になって、ようやく飛行機に乗る前に時間ができたので、台北の近くの三峡地区の有名な道教の寺院の見学に行った。
有名な寺院らしくて人があふれていた。
特に建物の彫刻が有名らしい。
101028_112201

周囲には土産物や食べ物を売る店がたくさんあった。
肉の炒めものを詰めたパンが有名なのだが、牛肉と豚肉のパン屋さんが隣り合わせになっていて、そのロゴが面白かったので写してみた。
101028_114001

これ以外は、ずっと車の中から街の様子を眺めていたのだが、
相変わらずスクーター族の運転振りには圧倒された。
子どもを運転手の股の間に立たせて、後ろにもう一人の子を間に妻が座っている猛者もいた。

今回は、股の間に犬が立って乗っているのを見つけた。
通訳に「すごいね!」と言ったら、
「後部座席に立って乗っている犬もいますよ」
という返事が帰ってきたので感心した。

他には選挙運動がますます盛んだった。
寺から帰る途中、陶芸博物館に寄ったのだが、無料で入場できた。
再び通訳に、「料金表示があるのに、なぜ無料なの?」と聞いたら、
「今年中は無料になっています」
「市の施行何十年の記念の年か?」
「いいえ、市長が無料にすると決めたそうです」
「なんで?」
「たぶん、今年は選挙があるからです。こんなことはよくあります」
と答えたので、
「なるほど、説得力のある理由ですね」
と、再び大爆笑した。

選挙のポスターがビルに掲示してあるが、日本のポスターの100倍以上大きい。
選挙運動に期間の制約がないので、年がら年中掲示している政治家もいるそうだ。
都市部の巨大な看板をイメージすれば分かりやすい。
あの巨大看板に政治家の顔写真と簡単な公約が書いてある。

ビルの壁面いっぱいに、張るというより横断幕のでかいのが掲示してある。
中には道路の中央分離帯にのぼりや看板を設置している候補者もいた。

「公共物にどうして設置できるのか?」
「使用料はとるみたいですが、申請すればOKだそうです」
「それなら政治家はみんな申請するだろうから、大混乱にならないか?」
「だから早い者勝ちか抽選になるそうですが、どっちにしても市長派の政治家が当たるそうです」
と、なんとも分かりやすい返事が帰ってきた。

とにかく台湾の政治家と犬は大変みたいだ。

2010年10月23日 (土)

土曜日の日記

久し振りに東ホウベン山に上がってみた。
天気もいいので登山客が多い。

下山途中で鎌を持ったグループに出会った。
錦鶏の滝ルートに入ったら、刈られたばかりの小枝やシダがあったので、
ボランティアの人たちだったのだろう。
いつも出会うおっさんもいた。

さて、明日から木曜日まで台湾出張。
朝家を出たら、昼には着くのだから海外出張という気がしない。

ということで、ブログはしばらくお休みです。


2010年10月20日 (水)

つむぎ峡~ガクガク尾根⑤(写真編)

よくよく見てみると、手ブレの写真ばかりだった。
手が震えても少々は補正してくれるものと思っていたが、がっかりした。

なんとか鑑賞できる写真から拾ってみた。
これは、露岩の二股の直下。
簡単に登れそうだが、一度滑ったら下まで滑落する。
慎重に右を巻いた。
0221_2


次は沢に鎮座していた橡の巨木。
十分な存在感があった。
0081_2


とにかく素晴らしかった。
これでこのシリーズは終わります。

2010年10月18日 (月)

つむぎ峡~ガクガク尾根④(ルート編)

今回の突撃では、「ぼっちさん」と「山歩きさん」のサイトを参考にさせてもらった。

ボクたちは、ワサビ小屋跡手前の滝を越えることをすぐにあきらめてガクガク尾根に取り付いたが、あの滝の上もいいところのようだ。

ククリキ谷を含めて、今後も通うつもりだ。

「つむぎ谷~ガクガク尾根の地図」をダウンロード

〈今回の参考タイム〉

つむぎ峡入り口(7:50)→大栃(8:30)→滝(9:10)→露岩の二股(9:20)→滝(10:00~10:15)→ガクガク尾根(11:15)→西のヨケ岩(12:10~13:00)→後谷山(14:00)→ワサビ小屋(14:25)→民家~つむぎ峡入口(15:00)

この谷は、途中で登れないと判断したら、引き返すか、右のガクガク尾根へ這い上がればいいので、是非ともテープ類はつけないでいただきたい。

ブログで紹介しておいてこんなことを書くのは無責任ではあるが、このブログを読んで行かれる人は、そんなことはしないでください。

最後に、(匹見まで足が伸ばせない)はちべえどののリクエストに応えて、隊長の雄姿を少し感度を上げてアップしておきます。

それにしても三葛への突撃はまだまだ終わりが見えない。 隊長の写真を置いておきます。 0191

2010年10月17日 (日)

つむぎ峡~ガクガク尾根③(島根県益田市三葛)

取り付いた尾根には所々に懸崖が立ちふさがる。
何度も左右に逃げながら高度を稼ぐ。
地図と周囲を見比べるが、どうも現在地がはっきりしない。

一度なだらかな植林地帯を抜けて最後の急登でガクガク尾根に這い上がった。
沢から離れて1時間かかった。
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T隊長とIさんが、
「これがガクガク岩かな?」と話し合っている。
以前は興味があったが、この一帯の岩はみんな層状の岩なので、どうでもよくなった。
ガクガク尾根の踏み跡は薄かった。
額々山からここまで来る人は少ないのだろう。
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右手に杉の老木が見えてきた。
ボクが勝手に「ガクガク杉」と命名した老木だが、無残にも途中からばっさり折れていた。
このままひっそりと生きていくのだろうか。
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尾根を歩きだして1時間たったころ、待望の「西の避け岩」が見えてきた。
なかなかの迫力である。
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何とか岩の上まで這い上がると見事な景色が広がっていた。
特に小五郎山が素晴らしい。(写真の真ん中の山)
ここで昼飯をとることにした。
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再び西の後谷山を目指す。
このあたりの尾根筋の笹はホントに美しい。
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地図も見ずにすいすい歩いていたら、主稜線を外れて支尾根に入りかけた。
あわてて戻って確認する。
ようやく後谷山の山頂…でも稜線上に三角点があるだけだ。
そのまま素通りして尾根が右に振る地点から右の谷を下る。
以前間違えた、後谷山の「点の記ルート」である。
猛烈なザレ場だった。
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一気に下っていくと、なつかしいワサビ小屋が見えてきた。
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ここまで降りたら、あとは水平道で帰るだけだ。
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30分で集落に戻る。
民家の横を「おじゃまします」と言いながら道路に出た。

「よかったね」
「つむぎ谷のリベンジが果たせました」
「こんな突撃もいつまでできるかな」
…還暦世代のおじさんたちは、自分の体力の衰えをひしひし感じながら、三葛集落をあとにしたのです。

※とりあえず写真編をアップしておきます。

つむぎ峡~ガクガク尾根②(島根県益田市三葛)

新しいつむぎ峡の看板を見ながら遊歩道へ入る。
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眼下に次から次へと滝が現れる。
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遊歩道は20分程度で終わり、沢筋に沿って踏み跡をたどる。
次第に踏み跡も見えなくなり、沢の中を歩く。
沢の真ん中に大きな栃の木があった。
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次に大滝が現れた。
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ここは左に巻道があるが、なかなかスリルがある。
ボクがはじめにとりついた。
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登り始めて1時間半ぐらいで露岩の二股が見えてきた。
以前は、ここまで4時間近くかかって敗退した地点である。
直登しかけたが、ロープもないので右を巻いた。
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ここから右のウサゴエ谷を進む。
以前のようなヤブはなく、次から次へと小滝が現れて、幻想的な雰囲気が漂っていた。
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ゴルジュぽいところに滝があった。
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高巻くしかないが、両岸とも勾配が急になったので、
「そろそろガクガク尾根に這い上がろうか?」
「そうだね…ぼちぼち上がりますか」
と相談して、急斜面の尾根に取り付いた。
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(つづく)


2010年10月16日 (土)

つむぎ峡~ガクガク尾根①(島根県益田市三葛)

匹見はヤブ山突撃隊にとって原点である。
西中国山地のど真ん中で、集落も数えきれないが、
やっぱり三葛だ。

以前、広高谷の取り付きとしてヤブ山ファン垂涎の集落だったのだが、数年前に広高谷にワサビ田が造成されて、奥はすっかり変わった。

でも三葛は好きなので、広高谷までは行かずに、つむぎ峡入口からガクガク尾根に突撃することにした。

つむぎ峡の入口の道路脇に駐車。
支度をしながら話をする。

「T隊長、8年越しのリベンジです」
「う~ん…五十になったばかりだったが、どうだったか…もう忘れかけちょるが…」
「今回は、八年前の敗退を必ず果たそうと…」
「あれ…登山靴を履かないまま、スパッツをつけようとしちょった…」
「あのう…隊長大丈夫ですか?」
「よう…わからん」
「私もそろそろです」
「実はボクもそうです」

ちょうどそこに軽ワゴンが停まって、いつか見たようなおじさんが降りてきた。
すぐ近くの民家を覗いていたので、その横顔を見ると、先日の神楽のおっちゃんだったので、
「おはようございます。先日の小学校に泊って神楽の練習を…」
「おお、やっぱりそうか…どっかで見た連中がおると思うたら…あん時の人じゃ~、ゆうべが最後の神楽じゃったんんじゃ…惜しかったのう…」

「また、飽きずに来ました」
「すまんのう…地元のもんが登らんで、あんたらぁ~が登ってから」
「一晩経ってもここに車があったら遭難ですから、その時はお願いします」
「よ~しゃ!気をつけてのぅ!」

↓出発前に高度計を確認する「Iクマ対策特殊部隊長」です。

Photo


…とりあえず…寝ます。酔いました。

2010年10月15日 (金)

突撃前夜

明日、ヤブ山突撃隊で島根県の匹見町三葛に行く予定。
「また匹見?」と思われる方も多いだろうが、三葛はとにかくいい所なのだ。
何度行っても飽きない。

つむぎ峡からガクガク尾根に這い上がるつもりだが、
これは平成14年10月のリベンジである。
T隊長と二人で霧雨の中を突撃したのだが、露岩の二股の地点で根性なく撤退した。

改めて奮戦記を読み返してみたが、
どうも初めから元気のないレポートだった。
当時、掲示板に「いつになく静かな奮戦記ですね」
という書き込みをいただいた記憶が蘇ってきた。

今回は、天気も良いようだし、突撃隊も三人揃って万全の体制である。
山口山の会のY氏が都合で参加できないのは残念だが、
高井山から眺めたガクガク尾根への森が楽しみでならない。

子供の時の遠足前夜のように、高揚感いっぱいだ。

2010年10月11日 (月)

道普請

実家の家の裏に墓があるのだが、もとは堤なので水はけが悪い。

溝割をしているが、最近はずっと「じるい」状態なので、ブロックを置くことにした。

先日、息子がいるときに運び上げたのだが、先日来の雨でぬかるんでいる。

Photo


薄くすきとりをして、母屋の溝の砂土を運び上げて基礎を固める。
母屋の屋根が見えるが、20段ぐらいをフーフー言いながら運ぶ。

追加のブロックで6回、砂土運びで10回。
蚊取り線香を三つ置いて、土木作業に勤しんだ。

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20センチのブロックが25+12=37個
腕は効かなくなるし、腰は曲がらなくなった。

それにしては出来栄えが悪いが、当面終了。
11月になって蚊がいなくなったら、再びはびこってきた竹を退治する予定。


2010年10月10日 (日)

中野冠山(1002.9m)、一兵山家山(951.7m):広島県北広島町(才乙)

せっかくの三連休だが、初日から天気が悪い。
昨日は実家に戻って、墓へ上がる道普請をしようとしたが、ヤブ蚊と時雨に音をあげた。

今日は、まあまあの天気なので、再び「続・ふるさとの山歩き」を引っ張り出して、
広島県の芸北地方の才乙にある「中野冠山~一兵山家山(いちべえさんかやま)」を歩くことにした。

休日千円の高速道路料金と、各種のエコポイン制度は、自民党が政権を奪われる直前の空前絶後の政策だが、実はこれほど国民に有難い政策はなかった。
民主党も子供手当をあきらめて、休日千円に専念したらどうか。

さて、戸河内インターから降りて車を走らせていると、高い山の方から黒い雲が次々と湧いてくる。
とうとう雨もパラパラ落ちてきた。

「まあ本降りにはならないから行くだけ行こう」
三段峡、深入山をやり過ごすと、ようやく才乙地区だ。

ガイドブックの登山口の集会所は廃校跡。
運動場が広いので車はどこでもOKだった。
すでに5~6台は停まっていた。

集会所からすぐのところに案内標識があった。
栗やクヌギの森の中のだらだら登りが始まる。
急な所はないが、だらだら登りはボディブローのように効いてくる。

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時々雨は降ってくるし、妻の足取りは重い。
パートを辞めてから体を動かしていないので、動きが悪い。
でも周囲の森の雰囲気はいい。

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ガイドブックでは1時間程度だったが、ボクが引っ張って40分で「中野冠山」山頂へ。

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ガスが次から次へと流れてくるので、せっかくの大展望だが何も見えない。
ズルズル滑る縦走路で、16人の大パーティーに先を譲ってもらうが、猛烈な急こう配で妻はたじたじ。

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この縦走路は稜線上をまっすぐに歩く単純ルートだが、周囲の森は栗とブナとミズナラと雑木で素晴らしい。
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しかし、一兵山家山の頂上付近だけが、松林と雑木に覆われて変な場所だった。
頂上から暫く降りたら、林道はできていたが、頑固として合流することなく、立派な登山道と栗とクヌギの森はすばらしかった。

来尾峠に降り立ったのは、登り始めて3時間半後。
天狗石山の登山口と一緒なので、少し観察する。

そこからアスファルト道を登山口まで歩く。
30分ほどの下りだが、途中、休耕田に放牧されている黒毛牛にあいさつする。

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歩きながら気がついたが、才乙地区の家には雨どいがない。
豪雪地帯だから付けていないのだろうが、どの家にもなかったので、
車で戸河内まで帰る途中、ずっと民家の屋根ばかり観察した。

才乙は全て雨どいなし。
少し下がって、深入山入口付近まで下ると、半分づつになった。
三段峡入口になると、ほとんどついていた。

ボクは民俗学者気どりで、他所見ばかりしていたが、
妻に言わせると、
「大工さんとその家の話しあいで決まったんでしょ?」

…どうしてこんな面白いことに興味が湧かないのか。
 積雪量の経年データと、先祖代々の言い伝え、そして大工さんの経験から出てきた分布がどこにあるか、面白いのになぁ…。


2010年10月 7日 (木)

ノーベル賞

今年、ノーベル化学賞の日本人受賞者が相次いだ。

夕方、帰宅すると、
「やっぱり、みんな優しいのね」
と、妻からいきなり言われた。

何のことか分からないので、問い返したら、
「ノーベル学者はとっても妻を大事にしてるわよ」
と冷たい。

その訳は、暫くテレビを見て分かった。
三人とも、どうやら
「これは自分だけのものではない。妻にこの賞を半分を捧げたい」
…というようなことを言っているのだ。

ボクは、苦し紛れに、
「恐妻家は追い詰められたら、テレビの前ではそんなことを言う」
と返したら、

「あなたに、そんなことを言う資格はありません」
と冷たく言われた。

ボクにノーベル賞の可能性があるとすれば、
平和賞しかないのだが、
このままでは、どうあがいても、どう努力しても……無理です。


 

2010年10月 5日 (火)

中国事情

中国に単身赴任している兄が国慶節を利用して帰国した。
家族のもとに帰る途中、実家に寄るというので久し振りに兄弟が集まった。

ホテル住まいになってすっかりメタボ状態であったが、元気そうだったので安心した。

ただし、中国と日本の国民性の違いは相当なものらしく、
前任者からは、
「なんばのおばさん100人を相手にするくらいの覚悟で行け」
といわれたそうだが、実際に行ってみると、そのレベルを遥かに超えた世界だそうだ。
今回の尖閣問題の対応然り。

現地の合弁会社では、自分の人格を捨てて対処しているので気が抜けないそうだ。

でも、中国人も色々な階層の人が海外旅行をするようになって、
電車は並んで待ったり、エスカレーターは片側に避けたり、
買い物にも順番待ちがあること。
どうも中国人は騒がしいのでは…などが分かってきているようなので、
これから世界標準のマナーが浸透していくのではないか…と語っていた。

ボクは、ロシアンルーレットとチキンレースだけはしたくない。

2010年10月 4日 (月)

新米

しばらくご無沙汰していたが、病気や仕事で首が廻らなくなったわけではない。
どうも気が乗らなくて、勢いのあるブログが書けないというか…書く気にならないのだ。

今日、妻に叱られた。
「新米ならそう言ってよ!」

ボクは結婚以来、ずっと弁当族だ。
しかもおかず以外は、のりむすび2個と決めている。

今日、そのむすびがモチモチしていたので、家に帰って、
「むすびが餅みたいだった」
と言ったら、
「やっぱり新米だったのでしょ! そう言ってくれないと水加減が大変なのよ!」
と叱られた。

実家の納屋から玄米を出して精米するのはボクの役目なので、
古米から新米に移行するときは妻にちゃんと言わなければならないのだ。
一年前の米と、収穫直後のコメの水分は相当違う。
農家の連中にはよくわかると思う。

実は、この時期になると母と口論が絶えなくなる。
「古米をどうするか」という問題である。

ボクは新米ができたら、すぐに新米を食べることを主張する。
母は、
「年内は去年のコメを食べるのよ。
 あとは自分が残りを食べるので、あんたは新米を食べてもいい」
という。
そんなことをしたら、古米は来年の夏まで残る計算になる。

目の前に新米があるのに、
「古米を全部片付けるまでそれに手をつけるな」
というのだ。

ボクは、
「支援を求めている施設もあるから、そこに送ってあげよう」
と提案するのだが受け入れてくれない。

この言い争いに妻は参加してこない。
「米騒動にはタッチしません」

いいなぁ…あんたは。

2010年10月 1日 (金)

心眼

現代にモノ申したいが、まともな神経では審判は下せぬ。
だいいち、真贋を見極めんとする素養を持たぬ。
ましてや、それを抗するすべもない。

われに 任せよ 
いや 許せぬ

それを思い出して戻るべき。
大人と子供の話ではない。

will win の話である。
win win ではない。

…だから負けるのだ。


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