2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011年1月31日 (月)

新燃岳

以前、韓国岳から新燃岳を経由して、一気に高千穂の峰まで家族で登ったことがある。

今回の新燃岳の噴火のニュースを聞いて、あれほどきれいだったエメラルドグリーンの火口湖が、これほどすさまじい噴火をするとは思いもよらなかった。

登山日記をあれこれ引っ張り出して当時の記録を探した。
…ありました。

平成10年8月14日…霧島連山(韓国岳~高千穂峰縦走)
えびの高原センター 6:20
韓国岳 8:00
獅子戸岳 9:43
新燃岳 10:20
中岳 11:00
高千穂河原 12:00
高千穂峰 14:00
高千穂河原 16:40

家族全員だと思っていたが、このときのメモによると、長男だけ実家に帰省した…とある。平成10年の夏だから、長男は反抗期まっさかりの高校生だったのだのだろう。…思いっきりつっぱっていたころだ。

今頃になって、なんとなく親をいたわるような気配が出てきたが、そんなのどうでもいいから、さっさといい人を見つけて、好きなように暮らしてほしい…というのが本音だ。


ついでに日記をめくっていると、当時の記録に引きつけられた。

8月8日に、虎ヶ岳(光市)へ常安寺から40分(単独)…とあった。
今やこの縦走路は大変な賑わいである。ボクは全山縦走していないが、息子は数年前に歩いたらしい。
一緒に歩けばいいものを、わざわざ歳をとって一人で歩いている。

さて、平成10年に戻る。
霧島から帰った8月30日には、やはり単独で防府市の向島の錦山に登っていた。
この頃から単独行の記録が急に増えていく。
子どもが成長して行く中で、家族登山から単独行へ変わっていく時期だったような気がする。

その後、9月12日には柊の壁石に再び単独行。
…いまや蕎麦ヶ岳の裏道コースで有名な「重石」である。

たぶん、この頃、子育てから離れて、おじさんの冒険…みたいなものが頭の中に浮かんできたような気がする。

2011年1月30日 (日)

ついに我が家にも…

昨日、母に聞いたところによると、

「軒裏に干していた玉ねぎが、数日前から何個かかじられていたの。
 ネコの仕業かと思っていたけど、昨日、買い物から帰ったら、横の土手の上に猿が座っていたの。
 しばらくにらめっこしていたけど、逃げる様子がないので、一斗缶で脅そうと思って、倉庫にとりに行ったすきに山 に逃げたみたい」

裏山の向こうには二車線の道路があるので、それを越えてやってきたのだろう。
母がこの家に嫁いで60年近くになるが、猿をはじめて見たという。

H高校をはさんだ反対側の集落には、数年前からイノシシが出没し始めたそうだが、とうとう猿まで現れた。
我が家までが市街化区域なのだが、とうとうここまで猿が押し寄せてきた。

「ぜんぜん人間を恐れる様子がなかった。山仕事をするときは気をつけなさいよ」
と心配そうに言っていた。

裏山にはところどころに獣道らしき跡があるので、てっきりイタチかタヌキだろうと思っていたが、どうやらいろいろな動物が徘徊しているようだ。

都市計画税を払っているが、下水道や街路整備に使われるのではなく、有害鳥獣対策に使わされる時代がもうすぐやってくる。

階段

土曜日は裏山の階段作り。

雑木を何本か切って、太い所は横木へ。
細いものは、なたで先を削る。

Kc3v0010

白い幹はクロガネモチ。
ここまで準備したが、寒さに耐えかねて終了。

Kc3v0011


2011年1月28日 (金)

責任論

総理が国会の矢面に立っている。

ボクは総理を盛りたてるつもりもないし、けなすつもりもない。

気になるのは、あらゆる問題を全て総理の責任にすることであり、
「総理が全てを決定できるのだから、こんな混迷を招いたのは総理である」
…という、最近のマスコミ報道への懸念である。

万能人はいない。
あらゆる責任をすべて取れる人はいない。
みんなで、責任と喜怒哀楽を分かち合うことで、人々がやっと生きることができる。

ただし、ボクは、それを偽善でやるやつだけは許せないのだ。

きれいごとばかり言わないで、
「それは○○に任す。何かあったら責任は俺がとる」
と言うのなら許す。

自分で全てができるわけがない。
それをはっきり言って、この国家がみんなの努力で成り立っていることを明言すればいい。

全ての責任がトップにあることはまちがいない。
しかし、あらゆることまでトップが把握できるわけがない。

責任は他人に任せるのではなく、自分が負うべきものだ。
だから責任という概念が生まれたのだろう。

責任は他人に負わすものではない。
自分で負うべきものだ。

だから、宗教や音楽、文学、絵画などの人間らしい活動が生まれてきたのだ。

2011年1月27日 (木)

記憶力ゲーム

今日も妻が全豪オープンを見ている。

ボクは晩酌がたたって眠たくなっているのだが、女子テニスプレイヤーを見ながら、

「あれは だれか?」
「○○… でしょ!」

「シャラポワは どうしたのか!」
「シャラポワは 負けました!」

「モデルになったのか?」
「そんなことは 知りません」

「試合が面白くないので、もうねる」
「はいはい、はやく…おやすみあそばせ」

「その言い方はなんだ!」
「ワシは静かに寝たいのに 睡眠を押し付けるな!」

…………

「テニスが強くて、あのとき、鼻の大きかった ドイツの選手は誰だったっけ?」
「う~……ン…… はやく寝なさい」

「はやく 答えろ!」
「はい はい …… 」

「ナブラチロアは…ちがうな…」
「クリス エバート??」

「ちがう! もっと鼻の大きな子だ!」

ボクがトイレに行って思い出した。
「グラフ!」

と叫んだら、妻が、
「それっちゃ! グラフ!ちゃいね!」

とほざいたので、このブログを書いて寝ます。

たぶん、今宵の1時間の会話にしては、密度は薄いが、

妻の体重は、皆さんの想像以上に重いです。

2011年1月25日 (火)

ウルトラマン

Wow wowでウルトラマン映画があるというので、テレビの前に正座して開始を迎えた。

予定通りはじまったが、おじさんファンにとっては少し雑なところがあったので、その部分は見なかったことにしながら見続けていたが、5分たっても猛烈につまらぬ…というか評価に達しないような気がしてきた。

とりあえず、正座をあぐらに戻して、晩酌をはじめた。

ようやく懐かしいウルトラマンが現れたので、再び正座に治ったが、ウルトラマンは戦いを始めてもすぐに負けた。昔の必殺技は全然威力がなくて、きぐるみ怪獣にも太刀打ちできなかった。

その頃から、全豪オープンテニスをみたがっていた妻と口論が始まった。

「あなた こんな 子供だましの映画?…をまだ見るの?」
「うるさい! ウルトラマンは! そのうち面白くなる!」
「でも ちゃっちいみたいよ!」
「やかましい! ウルトラマンが勝つ!」

…しかし、その後の映像といい、ストーリーといい…ひどかった。

その後、仲良し夫婦に戻った二人は、
「円谷プロダクションがあんな情けない映画を作るはずがない。
倒産したはずだから、どこかの海外プロダクションにパテントを売って、そこがこんなつまらん映画を作ったのだ!」
と言い、優しい妻も、
「そうよね…いくらなんでもこれは日本が作るわけがないわよね」
と言っていると、最後のスクロールで、
「制作 円谷プロダクション」
が流れた。

「わしは ねる」
「私は韓国戦を見て寝ます」

…やっぱりボクがウルトラマンだったのだ。
これで、テレビや映画に出ていた奴は偽物だということが証明された。

by morobosi dan

2011年1月24日 (月)

さむいⅡ

この寒空を吹き飛ばすような大笑いの話を書きたい。

ボクにはもう少し遊びの余裕があると自負していたが、どうやら無理だ。

みこしを一人で担げるわけがないのに、


…たった一人で担いでいるひとを見たことがある

…みんなが手伝うから担げ

と乗せられても、演じきれるわけがない。

ボクは いちおう 大人である。

そんな優しい 人々の共感を誘うような ドラマは演出できません。

放っておいていただけませんか。


※追伸 独り言です。気にされぬよう…。

2011年1月23日 (日)

さむい

仕事がなかなかうまくいいかないので、ブログを書く元気もなかった。
いい具合に仕事が進めば、それなりのことができるが、ままらなぬ。

土曜日になって、ようやく実家に帰って田んぼの荒おこしをした。

トラクターを田んぼに入れたら、すぐに鳥たちが集まってきた。
いつものセキレイ、ヒヨ、雀の群れに加えて、
ジョウビタキも遊びに来た。

ヒヨは体も大きく、どんなやつと戦っても強そうだ。
セキレイは細くて弱そう。
ジョウビタキは ぷくぷく太っている。

こんな寒い冬の休日、ようやく田んぼの粗おこしができた。
時間があったので、その後、畔の波板の土を掘り返す。

寒風の中、小さめのスコップで畔の土を掘り起こしては、中に返す。
腰が曲がって痛いし、腕も萎える。
一分やるとすぐに息が上がって、三分は休まないと動けなくなる。

これが10ピッチ以上続く。
息が上がっても腰は下ろせない。

腰を少し曲げて息を整えながら、家と裏山を眺める。

…そろそろ、早く楽になりたいなぁ。

2011年1月18日 (火)

自立と独立

どうも時々、これを混同している風潮があるので苦言を呈しておく。

勝手に独立したいのであれば、さっさとされたらいいのだが、どうも怪しい。

「どんな助けもいらない。自立する」
と宣言しておきながら、実は周囲の人の善意に助けてもらっている。

自立するといっても、電気・水・ガスというインフラから、炊事・洗濯・勤労・自治会活動に至るまで、自分で全部やっているかといえば疑問である。

自分で全てを調達し、それをもとに全部自分がやるのなら文句は言わない。

でも、その一部分だけをひけらかして、自分は自立しているという「にせもの」は許せぬ。


みんなが 色々な面で 助け合って 生きていることを知っていながら

それを さも独立しているように扱う風潮はいけない。


結論は、「勝手に自立しなさい 独立も自由に…」
ただし、他人をまきこむな…頼るな…頼っていないか…反省せよ…です。
to me, sorry
 


2011年1月17日 (月)

冬眠

今年の冬は特に寒い。
ここ数日はそれが顕著になって、もう凍死寸前である。

というわけで、土日はずっと家にこもっていた。
元旦にようやくスタッドレスタイヤに履きかえた息子が、土曜日の夜、たくさんの洗濯物を抱えて転がり込んできた。
「こんな雪の降る日に戻ってくるな!ばかたれ!」
と言ったら、
「スタッドレスタイヤがどのくらい効果があるか確かめたかった」
とほざいていた。

日曜日の朝、駐車場を覗いてみると、車はすっぽり雪の中だった。
僕の車にはスタッドレスがないので、どこにもいけないので冬眠と決め込む。

息子は日曜日の夜になって、「大丈夫」と言いながら帰っていたが、
何の連絡もないので無事に帰ったのだろう。

月曜日の今日も一面真っ白だった。
夜になった今でも、社宅の裏にはたくさんの雪が残っている。

ボクは冬になると、インタネットのお気に入りに、
恐羅漢スキー場と十種ヶ峰スキー場を追加して、雪の溶け具合を調べているのだが、
恐羅漢は2m60cm、
十種ヶ峰に至っては、例年だと数日しか営業できないのに、今でも1m近く雪がある。

そういえば社会人になった頃は、鹿野のパブリックスキー場で、
パラレルまがいのシュテムの練習をしていた。
最近、どなたかのブログで、
「鹿野の空き地にたくさんのスキー道具が捨てられていたが、なんなんだろう?」
と書かれていた。
あれこそ鹿野スキー場の残骸である。

ロープリフトすらない斜面をせっせとカニ歩きか逆ハの字で這い上がっては滑っていた。
小さな小屋で、貸しスキーとちょっとした売店があった。

うどんとカレーとビールしかなかったが、
「俺は社会人になったのだ」
という自覚が生まれたところだ。

本格的なスキー場は、冠山と錦の羅漢山にあったが、ずいぶん昔に閉鎖された。
松ノ木峠のロッジも今や冠山登山の駐車場に使われているだけである。

結婚する前に、女房を冠山スキー場に連れて行った。
初心者の女房にいろいろ教えてみたが、要領を得ないので、
自分だけリフトに乗って滑って降りたら、女房が若い男にスキーを教えてもらっていた。
(はちべえどのは前の掲示板でご存知のはず)

「あれ?何してるの?」
と言ったら、その男はばつが悪そうに逃げていった。

「立てなくて困っていたら、さっきの人が助けてくれたの。それから滑り方を教えてくれていたの」

「へぇ~モテたんだ」

…今風に言えばナンパされたのだろう。

それ以来、女房はスキーに連れて行けとは言わないが、あの時の恨みはすごいみたいだ。

そういえば、この間天狗石山からサイオトスキー場を下ったときに、
「みんな楽しそうね…男の人はみんな親切そうね」
と意味ありげなことを言っていた。

この30年で積雪量は激減した。
あんなに狭くて、脱輪すれば谷へ転落するような道を大型バスがよく通っていたものだ。
すばらしい運転技術である。

あの頃のような、爆発するエネルギーが出ないのが情けない。
自分を奮い立たせようとしても、どうにもならない。

だから後継者を探す。
その人にあった それなりをものを
…と思うのが、災いするのかもしれない。

消えていく記憶と 夢に見た映像と

目の前の仕事を どうするか

これが おじさんの 職責

…逃げるなよ おまえ。 to me

2011年1月14日 (金)

アップデート

昨夜は意味ありげなことを書いていたが、酔い潰れる前にゴソゴソしたようだ。

明日は粗おこしをするはずだったが、猛烈な寒波がくるらしいので中止。

山と一緒で、どんどん元気以前に…やる気が出なくなる。

元気が出ない理由は、
①腹が減った
②おなかが痛い
③腹に力が入らない

④気になることがある
⑤病気かもしれない
⑥女房の態度が悪い


と、ここで『ハンコック』がはじまるのでおしまい。
こういう映画が好きなのです。

2011年1月13日 (木)

突破力と破綻

何事でもそうだが、いきずまると、それをどう乗り切るかが大問題になる。

みんなで頑張って、スキルを積んで、それが突破できれば何の申し分もないのだが、現実社会にはほとんどありえない。

今の政治でも経済でも、それができずに…ひたすらかつての小泉元首相のようなカリスマ性を求める風潮がある。

物事を変えるのは、バカ者、若者、よそ者…とか、変わり者とか諸説があるが、やっぱり、
新しいエネルギーと、低い電圧が、何らしかの状況でスパークするような活動的な場面が要る。

人間の転機だって、猛烈な環境の変化がないと、なかなか変われない。
外部の変化がなければ、人間は自分の環境を変えようとは思わない。

ああ…あのころの青い議論がしたい。
おたがい いきているんだな という はなしだ。

仕事で、関係者とぶつかったあとに 話したい。

お互いの制約を探りながら、

おまえは どこで どう いきてきたのか

きょうは なにをしに きたのか

こんな おれと はなしをするつもりで きたのか

もしもそうであるならば おれは とことんしゃべるが どうするか

どうしますか?


…仕事はほんに難しい。

2011年1月12日 (水)

風邪

風邪引いたので今日のブログはお休み。

2011年1月11日 (火)

心の旅

察するに、このサイトを読んでおられる方は、団塊世代の前後の人たちが中心である。

色々なバカをするのは、この世代である。

あり余るエネルギーをどこに発散させるか、困っておられる輩が多からずおられる。

…もう忘れた。
書こうと思ったことを忘れてしまった。

何かエネルギーのことを書こうと思ったのだが、
e=mc2で忘れた。

二乗をいつも翻訳してくれていたwindows7は今日早く立たず。

ボクの言語はアルコール属の、一番奥の視覚類の右右下横にあるのだが、だれも知らないし、見つからない。

2011年1月10日 (月)

冬の日記

東ホウベン山にでも上がってみようかと思っていたが、いきなり雪だった。

ぐだぐた本を読んだり過ごしていたが、夕暮れになって散歩に出かけることにした。

約一年ぶりの散歩である。

川沿いのおばあちゃんはまだ元気そうだったが、団地横の旧家の火は消えていた。

ボクもあと何年もつのだろうか。
今週末、息子に教えておかないと、もう最後になるような気がする。

シャッターを開けて、トラクターのバッテリーをつなぐ。
赤がプラス。
黒がマイナスだ。

トラクターは左足のクラッチを踏まないと、セルが回らない。
あともいろいろあるが、動かなかったら一度エンジンを切って取扱書を読むこと。

2011年1月 9日 (日)

けんか

お互いに頑張ってきたはずだが、ものの一日で夫婦喧嘩がはじまった。
とにかく、妻の態度が悪い。
威張っている。
自分の行動が絶対に正しいとして、ボクを見下している。
きっと根性が曲がっている。

さっき、石油ストーブが空になったので、灯油を入れようとしたら、ポンプが壊れていてスカスカ空気が抜けるので、頭にきてバクバク入れていたら、灯油があふれかえって大変なことになっていた。

いつもは妻が入れるのだが、ボクが気を利かしすぎたために?事件になった。

ボクは頑張っただけなのに、家の中が灯油だらけになったので、
いきなり、鬼嫁と化した妻は、
「何をしているの! 毎晩、毎晩そんなに呑んで…もう…やめて!」
と叫んだ。

石油を入れていたぼくが、いきなり犯罪者になったのだ。

ここで、ついにホトケのボクも切れました。
「やかましい! もう、二度と 戻ってくるな!」


さて、本日はいちおう…これでおしまい。

2011年1月 8日 (土)

初対面

一昨日の話に戻る。
長女の介護のために、昨年末からにずっと東京に行っていた妻が、ようやく帰ってくることになった。

夕方たつから迎えに来いといっているようだが、、こっちは深夜である。
それまで待てぬ。

さっさと呑んで、九時前には寝た。
ところが、ごそごそする音で目がさめた。

途中で、女房が帰ってきたようだが、声をかけたまま起きなかった?らしい。

それでも、五時前にもういちど目がさめると、隣に女房が寝ていたのでびっくりした。

どうせウソ寝だろうと思って、蹴ってみたが、コワい声を出して寝がえりをうったので、あわててやめた。

愛しい女房とは 30代からまあ 目をつぶっても40代まででしょう。

上記以外は おばさんです。
…ただし、学術的な話です。

2011年1月 6日 (木)

仕事の日記

まあ適当に仕事をしているのだが、ある人に言わせると「ひでえ!」らしい。
厳しくやっているつもりは…まあまああるが、自分の経験から部下には優しくありたいと思っているが、ときにはひどいようだ。

仕事と個人の生活はそもそも別なはずだが、実生活ではそうもいかない。
仕事のノルマを背負って家庭に帰って、
「ただいま!」
と元気よく言えればいいが、それができないのが人間の人間たる所以である。

どうしようもなくなって、当たり散らしたいし、慰めて欲しいし、自分でやけになりたい。

それはなぜか。
それは、人間だからこそ乗り越えられるはず…という実に重たい荷(十字架)があるからだ。

そして、それを軽くするために、
宗教があり、学問があり、芸術があり、スポーツがあり、家族や友達があるのだろう。

人間は、毎日毎日、昼夜間を問わず戦うことを強いられている。
それから解放してくれとは言わない。
意地でも言いたくない。
最後の最後は、自分で解決しなければいけない。

でも、何らかの事由で、できないひとはみんなで助けてあげよう。
純粋な気持ちで、シビアに助けてあげたい。

いいことは控え目に
ワルイコトハ ザンゲ シヨウ
ボクは平和主義者ではないが、いつも正直で、いつもカッコよくありたい。

そんなことはできっこないのに、この歳になってもそんなことを思う自分が情けない。

…ふぅ、今日は書きすぎた。ホントに情けない。

2011年1月 5日 (水)

まんま屋

山口市の湯田温泉に「まんま屋」というお総菜を売る店があることを暮れに知った。

クリスマス前にいちど行ったのだが、今日、改めて買い出しに出かけた。

店内は狭いが、かあさんが作ったお総菜がホテルのバイキングのように並んでいて、それを色々な種類のトレイをもって入れて回り、その重さだけで値段を払う仕組みである。

近所のスーパーのお総菜は、おからにしてもひじきにしても、どう食べても二人前なので困っていた。

この店は、弁当、家族盛り、単身用などのパックトレイがあるので、迷わず単身用の少なく盛るトレイを選んだ。

鳥の唐揚げを三つ、ホウレンソウのおひたし、ひじき、ポテトサラダ、エンドウ豆の胡麻和えをちょっとづつ入れて、レジで勘定すると528円だった。

女房とおなじぐらいのおばちゃん(おねえさんかもしれない)が、
「割り箸を入れておきましょうね」
と優しくいってくれたので、
「ありがとうございます」
と気持ちよく応えた。

暮れに行った時のおばちゃん(おばはんかもしれない)は、
「ポイントカードをつくられますか?」
と聞いたが、今日のおばちゃんは、割りばしのことをさりげなく言っただけだった。

男心を見事にとらえた立派なおばちゃんであった。
「奥さんがちょっと病気になっているので、困っているのでしょうが、あなたがんばってね…」
という雰囲気があった。

「今日の日記」
…生まれ変わったら、あんな(正確には…あの)おばちゃんと一緒になろうと思いました。

2011年1月 4日 (火)

遅ればせながら謹賀新年

数少ない読者の方には、ヤブ山はとうとうアル中で昇天したかと勘繰られた方もあろうが、どっこい生きています。

ヤブ山日記がすっかり鬼嫁日記になったが、本日、ようやく妻が…いや末娘が帰って行きました。

ボクが二日の夜に悪友たちと実家で酔い潰れているのを尻目に、息子と末娘は一足先に山口に戻ってきていたのだが、昨夜帰ってみると、ビールと日本酒がなくなっていた。

そこで、さっき東京にとどまったままの女房にポイントカードの在りかを聞いたのだが、余計な教訓を垂れたので、
「うるさい!帰ってこんでいい!」
とメールしたら、
「金曜日の深夜に帰ります」
という返事が帰ってきたが、さっきからずっと無視している。


暮れから正月にかけて実家に戻っていたが、母は、ボクとそのバカ息子と放蕩次女をずっと賄っていたのですっかり疲れ果てていた。

長女の体調がようやく戻ってきたので、帰れるらしいが甘い言葉はかけぬつもりだ。
人間、甘やかすとロクなことにはならない。

…と、まあ今年もそれなりに生きていきます。

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »