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2011年2月

2011年2月28日 (月)

グチ

土日も仕事続きで、スカッとすることがない。

とぼとぼと職場に行って、わいわいやって、頭に血が上ったまま、いそいそと帰る。

こんなことで、余命いくばくもない自分の人生の終わりがもっと短くなると思うと、情けなくて絶望的になる。

人間は、生まれたからには、自分の思うように、力の限り生きればいいのだ。

どうして、他人に遠慮し、自分をさげすむのか。

自分を主張しろ!

他人は敬え!

と言いたいが、現実はそうもゆかぬ。

まあまあ…とナダメ役ばかりである。

もっと強くなりたい。

翼をもちたい。

高く飛んでみたい。

それさえできれば、ボクはすっかり解き放たれるのだが、この歳になっても同じことばかり愚痴っている。

成長したい。

…ボクは人間になりたいのだ。

2011年2月25日 (金)

替え玉

今日も周南地域の営業回り。

ちょうど新南陽のロックタウンで昼飯。
ラーメン屋で、ラーメンセットを頼んだ後、張り紙を見たら、
「替え玉 無料!」
とあった。

どうも、ぼくたち以降の客が、ラーメンだけ頼んでいた理由が分かってきた。

ラーメーンは、580円。
これに焼き飯や餃子をつけると、プラス250円である。

それにひきかえ、
「ラーメンを頼んだ人に限り、替え玉無料」なのだ。

そのことはメニューには書いてない。
周囲の壁には献立表が掲示されていないので、初めての人は、メニューをじっくり吟味して注文したのち、ようやく店内の様子を眺めるようになっている。

そこで初めて、「替え玉無料」の張り紙に気がつくのだ。
さっきから入ってくる常連客は、「ラーメン!」ばかりだ。

そういえば、向こうのカウンターからは、「替え玉!」
「はい、替え玉一丁!」
というこなれたやりとりが続いている。

「おい、ここは…580円のラーメンを頼んで、替え玉するのが通じゃないのか?」
「さっきからそう思っていました」

「ワシの餃子一個と飯をやる。おれは替え玉するぞ!」
「ワタシも挑戦します。みんな替え玉です!」

…それから二人は黙々と目の前の突き出しラーメンをすすり、すぐさま替え玉のお代わりをして、ずるずると完食したのです。

ツウは、580円だけで替え玉にして満腹。
一見客は、830円のラーメンセットに、替え玉を欲張ってダウン
…が、よくある光景だそうです。

2011年2月24日 (木)

アレルギー

花粉症は50半ばになっても一向に発症する気配はない。

実家の周囲には、ボクが成人した頃に植えた杉が大きくなっているが症状が現れない。

だから、ボクにはアレルギー反応がないかというとそうでもない。

かつて安蔵寺山のカメイ谷でクロスズメバチに刺された時のアレルギー反応はすさまじかったし、その後、手の指の間の虫刺されを市販の塗り薬でごまかしていたら、真っ赤に腫れあがったので皮膚科に行ったら、医者からひどく叱られた。かなりひどいアレルギー反応だったらしい。


さて、今日は仕事上のアレルギーのはなしである。
今週は、ずっと県内の営業回りを続けている。

当然、相手は入れ替わり立ち替わりいろいろな人が現れる。
ボクもこの歳になったので、大概の人物はみてきたので、大体相手の様子はすぐに分かる。

ところが、今日出会った人には面食らった。
「ボクは嘘は言いません。率直な話をしたいです」
という優しくて透明なオーラに包まれていたのである。
いままでこんなオーラを見たことがなかった。

瞬間、ボクは負けたと思った。
つくり笑いはやめて、相手の眼を見ることにした。

笑顔の奥にある瞳は静かに輝いていた。
これではいよいよ負けると思って、窓の外に目をやった。

「いいところですね」
「ええ…ありがとうございます」
あとはとりとめのない話をしたが、ボクの気持ちを察しながら、優しく、的確な受け答えばかりであった。

ビジネスで、「いいひと」とは評価が低いのだが、今日は、久々に感服するような人材と出会った。
ボクよりも少し年下だろうが、頭がいい悪い、かっこいい、育ちがいい…そんな全てを越えた人物であった。

相当に自信家のボクであるが、今日のこの男だけには「参った!」。

2011年2月23日 (水)

政治の品格

このブログでは政治のことをなるべく書かないようにしているのだが、最近の政治はあまりにひどすぎる。

ひょっとしたら、北アフリカの騒動より根が深い問題かもしれない。

とにかく品がない。

「正論は控え目に」がボクの持論だが、
いまや、「暴論はマスコミで煽る」状態になった。

東京、名古屋、大阪…。

ボクはバカだが、
あの人たちが「あやしい」ということだけは分かるのだ。

2011年2月21日 (月)

春眠

冬眠から覚めぬまま春眠に突入したようだ。

晩酌を始めたらすぐに睡魔が襲ってくる。

こたつで寝たら、途中で起きて布団に移動するのが億劫なので、最近は、眠くなったらすぐに布団に入ることにしている。

寝られないかな?と思っても、きがついたら次の日の朝だから、爆睡しているようだ。

それにしても酒が弱くなった。
晩酌ですっかり出来上がる。

非常に幸せというべきか…そろそろ近づいてきたか。
今日は少し酔いが覚め気味なのでブログが書けた。

最近、更新が滞っているのはこのためだったのです。

2011年2月20日 (日)

生きるということ

妻が息子を駅まで送っていく。
妹は帰ってくるらしい。

父は相変わらず呑んだくれ。
ちょっとはましになってほしいが、BSの懐メロでは怒る。

サイモンとガーファンクルがうまくできないから、投げやりになる。

職場の駅伝大会と、家族連れで実家に帰る。

明日から怒涛の仕事開始だ。
この歳にはきついが、和音がうまく自分の音にならないので、
なにもかもが落ちこんでいる。

2011年2月16日 (水)

サラリーマンの悲哀

先週からずっと、色々な会合や内輪の打ち合わせが立て込んで、どうも余裕がない。

少し前なら、
「つぎ持ってこい!」
と大声を出していたような気もするが、
人生五十年たつと…何もかもめんどくさくなってきた。

おだてられたら、どんどん背負うのがサラリーマンの業。
逆に、手を抜き始めたら、いくらでも楽をしようとすれば、それが可能だ。

そして、それを適当にこなすのが、まさにサラリーマンの真髄である。

…ああ!いい締めのフレーズが浮かばない。
 できるだけ元気がでるようなことを書きたいと思っているのだが、すぐにつぶれる。

ホントに情けないが、連日この調子だ。
こんなおっさんでいいわけないが、おっさんはそんなものなのだ。

2011年2月15日 (火)

いそがし

ねむたい

2011年2月12日 (土)

ウォール・ストリート & ソーシャル・ネットワーク

先日来、たてつづけに観た。
ウォール街の株屋と、IT企業家の話である。

ボクには縁もゆかりもない世界だが、いろめがねで見た。

汗を出して稼いだお金しかボクは許さないが、儲ける連中は実在する。

鑑賞後に思うことは、やっぱりそうだろう…という敗北感と人生観が入り混じる。

才能がある人間と、普通の人間はどこが違うのかは…問題ではない。

そのエリアでどう生きるかだ。

それぞれの生き様と悩み…はある。

人間の生きがいも同じだ。

ならば それを ねたむな そうあらんと ほっするな

そして それができるなら ひとを あがめたり さげすむこともしない

…そんな ひとに なりたいのだ

都市ビバーク

ようやく雪が雨に変わった。
屋根の雪がなだれのようにバサバサ落ちてくるので、家の周りをうかつに歩けない。
地響きを立てて落ちてくるので、まともにくらったら大変なことになりそうだ。

隣の子どもたちが父親と雪遊びを始めた。
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灯油は昨日二缶買っておいたし、さっき近くのスーパーで買い出しをした。
でもさらに大雪が続いて都市機能がマヒしたら、大型リュックに山道具を積んで、光に帰ろう。

実家まで70キロだから、まる1日歩けば帰られる計算になる。
ガスカートリッジは三缶あるので、途中のビバークにも耐えられる。

実家までたどりつけば、米とジャガイモと玉ねぎと畑の野菜がある。
それに、ガソリンと軽油と混合オイルの備蓄があるので、生活には困らないはずだ。

しかし、映画じゃないけれど、そんなものがあるところが一番はじめに襲われるに決まっている。
そうなったときは、実家の母に「携帯を持って○○に隠れて、ボクの帰りを待て」とメールしておこう。

次は残りの家族をどうするかだ。
酒でも飲んで考えるとするか。

雪国

山口市内でも10㌢以上積もっている。

妻は次女のところに行っているのだが、ボクはどこにも出ることができない。
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これが12日昼前の現在の様子。
再びビバークに突入。

2011年2月 7日 (月)

むすめ

今春から出版社に勤め始めた次女が、急に帰ってきた。

妊娠がらみの結婚、あるいは会社の問題かと勘ぐっていたが、
「ずっと休めなかったので、出版社が一番楽な時期にまとめて休みを取るようになっているの」
ということだった。

こっちとしては、連休でもないのに帰ってくるので、
まあ、できちゃった婚でもいいから、
それなりの相手だったら許そうかと覚悟を決めかけていた。

深刻な顔を見たくなかったので、ボクはさっさと多めの晩酌をして早めに寝室に入って、
次女と顔を合わせないようにして、妻から、
「お父さんは、大事な話があるのなら、いまから起きて話を聞くけど、そうでなかったら寝るぞ…と言っているけど、どうしたの?」
と聞かせたのだが、

「ば~か、なにもありません!」
とバカ調子に答えていたので、寝室でそんな会話を聞きながら、がっかりしてさっさと寝た。

さっき、仕事から帰って、ようやく娘と顔を合わせて少し話をしたのだが、
今も母と娘がバカ笑いを続けているので、今宵もお父さんは早めに就寝です。

はよう、結婚してくれぬかのう!


2011年2月 6日 (日)

日曜日の日記

ぐずぐずしてはいられないので東ホウベン山に向かう。

今日のテーマは、ワンピッチで登ること。
一時間以内は休憩なしで登れないと長丁場は無理だ。

今年になって一度も山に入っていない。
心臓がバクバクするが、階段歩きは少しは効果があるようだ。

なんとか休まずに山頂へ。
体重は確実に増えているが、気力か、気温か、応援が多かったせいか歩けとおせた。

途中、チェーンソーの爆音が響いていたが、
ちょっと吹きあがりが悪いのでは…と、余計なことを考えていたのが幸いしたのかもしれない。

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下りは錦鶏の滝ルートに入った。
もう少し雪があるかと思ったが、ほとんど消えていた。
でもそのおかげで水量は多く、なかなか元気だった。
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昼から毎日マラソンを見る。
頑張れないときは、どんなに気力を絞ってもダメだ。
でも諦めてはいけない。
最後まで頑張ること。

三時過ぎから、「ウォール・ストリート」を観に行く。
金儲けの人生を描いた映画だ。
希望とは何か。
そして人間の欲望の深さを恥じる。

夕方から晩酌を始めてへろへろになった頃に、名古屋と愛知の選挙結果の速報が流れた。
予想されていたこととはいえ、これほどまでに人々は厭世感に陥っているのだろうか。
ダブルの壊し屋を選んだ。

トレードオフは、いつ、どこに、あるのだろうか。

2011年2月 5日 (土)

山仕事

ぐっと春めいてきたので、裏山の上り口の階段作りを再開。

横木が足らなかったので、雑木を切ろうと思ったがチェーンソーのオイルの出が悪いので、はじめて分解掃除してみた。

開けてみると油だらけのおがくずがびっしり詰まっていた。

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全部で10段ぐらいやったら、あとは何とか歩けるので終了。
かすがいを打ち込んで固定した。

やれやれこれで完成だ。
見てくれは悪いが、これで這い上がることもなくなるだろう。

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2011年2月 3日 (木)

開拓者

少し前のブログに書いたことがあるが、
「世の中を変えるのは、よそ者、若者、変わり者」
という説がある。

小泉元首相が卑近の例であろう。
それまでの自民党がやってきたことを一気に改革しようとした。
猛烈な抵抗勢力が生まれたが、国民の大半はそれを支持した。

ボクが思うに、それは、その方向性が正しいから支持が集まったのではなく、
当時の閉塞感を何としても打ち破りたいという気概に共感が集まったのだろう。

その後の政権交代も然りである。
民主党は、政権交代だけを叫んでおけばよかった。

マニフェストは、少し斬新なものを織り込んでいさえすれば、放っておいても勝つことができた。

ところが、国民受けするような、思いつき?のマニアックなマニフェストを公言したばっかりに、今日の瀬戸際を招いてしまった。


世の中を変えるのは、よそ者、若者、変わり者だとしたら、
難しい理屈や政策なんて必要ない。

「○○を変えよう!」だけでいいのだ。


そして、変わり始めたら、どこかの時点でトレードオフを目指す次のうねりが生まれてくる。
開拓者はここで身を引けばよい。

それはなぜか?
マキャベリがこういい残している。
「まったくもって情けない現実だが、人間というものは権力を持てば持つほど、それを下手にしか使えないものであり、そのことによって、ますます耐えがたい存在と化すものである」

変える時に独裁者は必要だが、変わったときにはお払い箱にするがいい。
それが世のため人のためだ。

少し前に、「ロードオブザリング」という映画があった。
全ての力を持つ指輪をめぐる物語だが、あれほど誠実で勤勉だった人間が、あの指輪を手に入れた瞬間からその人間性がどんどん変わっていってしまう…という映画である。

人間の限界はその程度なのか。
二千年以上たってもこの有様なのか。
永遠に右往左往する、愚策と流浪の時間を過ごすのか。

…どんどんエスカレートしそうなので、このへんでおしまい。

今宵は仕事上の閉塞感から、勝手な理屈で架空の敵を攻撃しないとおさまらぬのだ。

2011年2月 1日 (火)

空白の五マイル(角幡唯介著:集英社)

以前、はちべえどのが自身のブログで紹介されていたし、新聞の書評欄でも見かけていた。ようやく手元に届いたので早速読んでみた。

チベットのツアンポー峡谷の探検記である。
巻頭の地図を何度も見返しながら、むさぼるように読みふけった。
一度も飽きることがなく、一気に通読した。

自分の拙いヤブコギと重ね合わせながら読んだが、
激しい情熱や疲労感、虚脱感が共有できるすばらしいノンフィクションだった。

山の事故はほとんどの場合、なんでもないところで起きる。
僕自身の経験則でもそうだ。

特に、単独行で絶望的な場面に出くわしたときの独り言や、腰が抜けそうな絶望感は強烈な共感を覚えた。

ボク自身が次に狙っている山谷を思い浮かべながら、あの崖の向こうにはどんな風景があるのだろうかと想像をかきたてられた。


山は「早くこい」と誘ってくれているのだが、その前にやっかいな関門が待ち受けているので、モチベーションが上がらず、ずっと逡巡している。

もうすぐ大好きな三月がやってくるというのに、気が重くて仕方がない。
杞憂ならよいのだが…。

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