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2011年3月

2011年3月31日 (木)

T隊長

先日、F樹木医、K氏、山の会のY代表に声をかけて、ヤブ山突撃隊のT隊長のささやかな退職慰労会を開いた。
これで、Iクマ対策特殊部隊長に続いて、三人中二人が還暦ステージに突入である。
ボクもあと5年で仲間入りだ。

T隊長は、最近二代目のヤブ漕ぎ?犬を飼い始めており、ちょくちょく里山を歩いているらしい。
しかも、登山靴やウエアを新調したいとか、東北地方の復興ボランティアも考えている様子だった。
そのうち、還暦ステージを迎えたヤブ山突撃隊の行く末が話題となった。

「敗退したところや、やり残したところもあるしね」
「じいさんになっても、やっぱりヤブかなぁ」
「とりあえず、次の目標はあそこにしようか」
…やっぱりヤブ山突撃隊はヤブをめざすのである。

また、T隊長によると、
「先日、旭村の男岳に登ったら二人連れに出会った。
いろいろ話をしていると、ネットでヤブ山突撃隊のことを知っていると言われたのでびっくりした」
「ボクが隊長です!…と胸を張ればよかったのに」
「恥ずかしくて言えなかった」
(…もしこのブログをお読みになっておられたら、あのときのおっさんはT隊長です)

震災復興の最中でもあるし、ボク自身も職場異動があったので、
突撃は控え目になるかもしれないが、三人のゲストにも声をかけながら、
「じいさん」らしく頑張ることにします。

2011年3月26日 (土)

人生いろいろ

事件が起こると、連鎖的に色々なことが続く。

今回の大震災前頃から、前兆はあったのだが、大震災を契機に我が家も大きく動いた。

僕と妻の両親の老いが目立ってきた。
僕の母はボケが少し出てきたし、義父の衰弱ぶりは気になる。

それより前に、自分の頭に自信がなくなってきた。
自分では正論を吐いているつもりだが、ときどき虚空を見上げるようになった。

おかしいのかな?

2011年3月23日 (水)

責任

色々なことで日本は大変なことになっている。
そこで責任論が頻発した。

大地震を引き起こしたのはプレートである。
その後の連鎖は書かない。

さてその責任をどうするか。
責任は、負う or 負わされる…である。

しかし、それは それができるひと…であるべき。

できないひとに 負わせる かぶらせる?
…そんな 無責任な 日本ではないはずだ。


2011年3月20日 (日)

電気

東北関東大震災による原発事故で問題になっているのが、電気の供給である。
僕は専門外であるが、最近、この関係の仕事にちょっと関係しているので気付きを書く。

電気は、水力や風力発電のように、タービンを回せさえすれば簡単に作ることができる。
今では、太陽光や風力、潮力発電もあるので、これらを集めたらどうにかなりそうな気がするが、
それらをどう工面しても安定供給できないから、今では原子力発電に頼らざるを得ないのが現状である。

ところが、今回大変な事故が起こってしまった。
この原因は、日本の頭脳の先端である技術者に、早期の復旧と被害拡散防止をお願いしたい。
できるはずだ。

さて、そもそも発電について技術者に聞いてみると、「電気はためにくい」そうだ。
漬物のように、つくっておいて貯蔵することはむつかしいらしい。

最近流行りの電池や二次電池、はたまた燃料電池に任せてはどうかと思うが、それをつくるまでに膨大な電気を使うし、重たいし、原価は高いし、どうあがいても、安価で持続可能なエネルギーを供給できるシステムは考えられないようだ。

電気はいらないし、自給自足の生活でいいという人もいる。
それはそれでいい。
それでやってもらえるのなら、そうであってほしい。

要は、電気をどう造って、どう効率よく使うかだ。
政治と生活とエネルギー問題は切り離して議論すべきだ。

生活とエネルギー問題は、もともと政治がらみの議論がかみ合うジャンルではないと思う。

2011年3月19日 (土)

里帰り

仕事や東北の大震災やらで、ずっと山口県内で蟄居ばかり。

ところが、これに輪をかけて、近くに住む妹から、母のことで、
「どうも痴呆が始まった…ような気がするけど…大丈夫かしら?」
というメールが来ていたのだが、仕事でなかなか帰れなかった。

ようやく今日、実家に帰って母と話をした。
「ボケた?」
「うん…身の回りはできるけど…この間、病院に行ったときに、どこに行けばいいか分からなかったのよ」

「いつもの○○科?」
「ちがう」
「じゃぁ…○○科?」
「ああ…そうみたい」
先月までと、同じように歳相応にボケていた。

一緒に帰った女房と次女は、
「おとうさんよりもマシ! 歳相応です」

「病院に行くかどうかは、もうちょっと話を聞いて決めたらいい。
 ワシは時間が惜しいから、裏で野良仕事をする」
と言って裏山に入る。

山からの出水が少しでも溝に流れるように、黙々とスコップで溝を掘る。
ここは墓への上り口だ。

少したって、母や家族が上がってきた。
その後ろ姿を見ていると、
すっかり自分は墓に入った境地になった。

…今日の空は青くて高かった。
 外は…いい。

2011年3月14日 (月)

災害情報

いろいろありますが無事です。

とりあえず報告まで。

2011年3月 9日 (水)

はだかになるとは

仕事上の話ばかりで恐縮だが、今の政治にも共通することなので書いておく。

まず、本音とは何か。
「こうあったら、いい」である。

失言とは何か。
「こういったら、いけない…ことをいった」である。

学問的には、
「失言は否定を複数繰り返す」
と定義されるが、これは大ウソである。

…もう少し深みのあることを書くつもりだったが、寒くなったのでおやすみなさい。


2011年3月 8日 (火)

遅れたひと

ワードの表挿入と削除で、どうしても分からないところがあったので、総務セクションに行って解説本を探していたら、
「ヤブ山さん ここにありますよ!」
と声をかけられたので、手に取ってみたら「初級編」だった。

「わしをバカにするな!」
と言って中級編を持って帰ったら、そもそもその解説本は2007用だった。

ボクのような年寄りのパソコンは、一番古いのが回されてきているので、旧バージョンの2003である。
これでは全く役に立たない。

こっそり返しに行ったら、さっきの若い奴に見つかって、
「どうでしたか?」
と尋ねられたので、
「やかましい! 初級編と中級編の中間はないのか?」

「一太郎ばっかりやられた世代にはワードは難しいみたいですよ」
「おれはやる できる なんでもなしとげるのだ」
「エクセルで作った方がいいかもしれませんが…」

「もうお前とは口をきかん。エクセルでやるぐらいなら、とっくにやっている。
わしは これを 2003ワードでつくりたかったのだ」

…これが現実である。

2011年3月 6日 (日)

筋肉痛

昨日の野良仕事が堪えた。
左右の肩が上がらない。
どちらの肘もギーギー音がする。

今日は山口で停滞したが、やっぱり実家の景色が好きだ。

里山はいい。
特に、これから三月の匂いが好きだ。
生物の発酵を告げる臭いである。

寒さに耐えて、春を呼ぶ。
歳をとるにつれ、ひと冬を越すのが、大変になってきている。


2011年3月 5日 (土)

野良仕事

ようやく残業状態から解放されたので、実家の野良仕事に精を出す。

コンバインのローターで畔の波板を壊していたのが、二か所あったので、その補修作業をする。

近所の養子さんが、耕運機を上の田んぼに上げてる途中、
「ヤブ山さんがやったように、畔際の土を掘り起こしたのですが、それをきちんと耕そうと思います」

「あんまり頑張りすぎない方がいいですよ。
 昔のように米を作れば食べていける時代ではないから、ご両親が安心されるだけでいいんじゃないですか。
 楽をしながら、20年やれたら、お互い楽しいじゃないですか。
 稲作りは簡単です。
 誰でも出来ます。
 だから日本国中、米しか作らなくなったんですから」
と応えた。

その後、家の裏のササのヤブを刈った。
仕事三昧の仕事から離れて、ようやく気が晴れた。
ホントは、もうひとつの最大の危機を乗り越えたので、ボクの気持ちはすっかり春になりました。

ヤブ山日記が続けることができそうなので、やれやれ…なのです。


2011年3月 4日 (金)

モノをもらった相手に礼を言わせる方法

このところ、ずっと残業続きだった。

昨日も深夜近くまで仕事が続いた。
用事があって、たまたまA課に行ってみたら、机の上に菓子パンがあった。
当人は席をはずしていたので、近くにいたK主任に、
「このパンはだれの?」と尋ねたら、
「M代理のです」という返事があった。

ここで、昔、先輩から聞いた面白い話を思い出したので、
「K君。相手からものをもらったり、とったときに、
 いいか、こっちではなくて、相手に礼を言わせる方法がある。
 M代理が帰ってきたら、それを実践してみるから、よく見ておけ!」

しばらくして、何も知らないM代理が席に戻ってきた。
「おい!机の上にあったパンはもらったぞ。
 うまいカレーパンだった。
 そういえば、お前にはいっぱい貸しがあったな。
 よし!まあ…パン一個だが、貸しをひとつ減らしてやってもいいぞ。
 えかったのう!パン一個でオレの貸しが減ったんだぞ!
 礼ぐらい言ったらどうだ?」

「え~っ!…なんで、ボクが礼を言うのですか???」
「当たり前だ!俺は、パン一個で、お前のカシを一個減らしてやろうとしてるんだぞ!」

「ボクのパンですよ?…ヤブ山さんに貸しがありましたっけ?」
「なに!みんなの前で言っていいのか?…Sさんとの関係で、おれが丸く収めてやった恩を忘れたのか?」

「Sさんて…誰です?」
「おまえのむかしの女に決まっているだろう!」
「え~っ!……」

「だから…オレに礼を言った方がいいんじゃないの?」
「???…なんですか、これは…?」

…うしろを振り返って見ると、K君は、机に伏せて肩を震わせて…笑っていた。
…これはパワハラではありません。これが教育です。

2011年3月 1日 (火)

今にして思うこと

この歳になってくると、あれかな?…いや、ひょっとしてあの時が自分のターニングポイントだったかなと、思うことがある。

それはきっと、その時にいろいろ逡巡した記憶が蘇って、ボクの腐りかけた脳を刺激しているに違いない。

今のやるせない自分を見ながら、「ああ…あのときにあれを決断しておけば…」と悩み、そのことで自分を慰めているのだろう。

学生時代に、できたばかりの小さな企業でバイトをしていたが、
「君はこのまま会社に入って、一緒に頑張ってみないか?」と誘われたときに、
「郷里に就職が見つかったので帰ろうと思います」と断って山口に帰った。
その後、その会社は全国展開する企業に成長した。

アナウンサーへの挑戦もあった。
数度の面接を済ませた頃に、郷里での就職が決まった。
次のマイクテストを直前に控えていたが、その時点で断念した。

どちらも、そのままうまくいったとは思えないが、この歳になっても、ときどきその頃の心情を思い出す。
あれもしたい。これもしたい。
でも故郷や両親が気にかかる。

…末っ子が戻ってきて、いろいろ話を聴いているうちに、自分の若いころを思い出しながら、今とは全く違う自分の人生を想像してしまった。

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