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2011年5月

2011年5月31日 (火)

切腹Ⅱ

今日、仕事で切腹する予定だったのだが、朝7時過ぎに電話がかかってきて、
夕方にもう一回切腹することが決定的になった。

仕事のトラブルでもめた時は、テレビのCMであれば、
おじさんの上司がカッコよく頭を下げているのを、
部下の女の子が、
「潔くて…カッコイイ!」という眼で眺める。
あとは、カッコいい上司がカッコいい車を車を加速しながら、
「まあ…こんなこともあるさ」
…と、女の子につぶやきながらエンディング…となるのだが、
実際は、おじさんたちの暗くて重たい現実があるだけだ。

結果的に、二度目の切腹は免除されたが、明日は健康診断が控えている。
ボクの最大の敵だ。血圧と採血で寿命が縮む。
血圧はもともと高いし、もともと血管が細いので、
採血針が少しでも細い血管に刺さったら、途中で血が止まって溶血するので、
もう一度採血するはめになる。

たぶん切腹のほうが楽なような気がする。
みなさん、さようなら。

2011年5月29日 (日)

土日の日記

昨日は再び実家の片付けに勤しんだ。

妻は手間のかかる食器をあらかじめ移動しておこうと考えているようだ。
はじめのうちは処分する食器を相談してきたが、
ボクが「よきにはからえ」としか言わないので、
黙って一人で仕分けしている。

ボクはそれを不燃物処理場に持ち込むか、
実家に持って帰るだけである。

そのかわり実家の倉庫の整理は全てボクに任されている。
とにかく一定のスペースを確保しておかなければならない。

トラクター、乾燥機、コンバイン、田植え機、貯米器は必須なので、
あとはもろもろの道具や肥料、木の切れ端やら火鉢、鳥よけネットなど
ありとあらゆるものを整理・処分しなければならない。

もう三週続けているが、ようやく先が見えてきた。
母に相談したら、「残しておいて」と言うにきまっているので、
勝手に自分だけで判断している。


さて、今日はインターネットの引越しの手続きを始めたのだが、
実家周辺では、今の廉価なADSL回線がないようだ。

ユーチューブや動画を見ることはないので、
光ファイバーに乗り換える気はない。

違う回線事業者で少し値段の高いADSLがあったので、それに引っ越しようとしたら、
速度変更と回線事業者の変更は同時にできないらしく、
結局、とりあえず引越し前日で今のネットを解約する手続きをした。

数日経てば新しい申し込みができるようだが、
これとは別にNTTの手続きがいる。
名義人は23年前に亡くなった父のままだ。
放っておいてもいいのだが、僕も長くはなさそうなので、
実家の電話をボクが継承し、
こっちの電話はとりあえず休止にしておくことにした。
…面倒な手続きばかりだ。

2011年5月26日 (木)

切腹

今日は仕事で二回切腹した。

初めの切腹で死にかけたら、
「あっちでも切腹をお願いします」
と頼まれたので、腹を押さえながら違う場所に運ばれた。

もうはらわたが出て死にかけているのに、
介添え人たちが、切腹しなければならない罪状を大きい声で言う。

ボクは腹を押さえながら、二回目の切腹を待たされていたのだが、
どうも音沙汰がない。

ふつう…昔は、こういうときには、
「辞世の句を…」
と問われるはずである。

ボクにもそれなりの用意はしていたのだが、
だれもそれを聞いてこないのだ。

ボクは誰にも辞世の句を告げないまま
…ここで安らかではない最後を迎えるのだろうか、ぼんやり察した。

そこでボクは冷たい顔をした侍従に告げた。

「おい!とりあえず…酒でも持って・き・て・た・も・れ…」
(つづきはありません)

2011年5月24日 (火)

夫婦の会話(その8ぐらい)

家の中から少しずつ家財が減っていく。
さっき風呂に入ろうと服を脱いだら、脱衣セットがなかった。
そういえば、食器棚の中身が日ごとに減っていく。

この間も、妻が、
「これとあれを…」と言い出したので、
「捨ててもOK」というサインを出した。

ところが、そのあといきなり怒られた。
どうやら、
「これとあれを捨てるので、…下の広場まで持っていけるか?」
と聞こうとしたところ、ボクが最後まで聞かないまますぐにOKを出したので、
妻はてっきりボクが運んでくれるものと安心したらしい。

ところが、ボクは、
「捨ててもよろしい」
という最後通知を宣言したのを皮切りに、
さっそくウィスキーの水割りを飲み始めたのだが、
妻はその姿を見て怒り心頭に達したとのこと。

ボクにはそもそも全く非のない会話であるが、妻はいまでも
「あなたはつめたい」と詰問する。

この年になっても夫婦の意志の疎通は難しい。

2011年5月23日 (月)

日々雑感

土曜日はいつものように実家。
いつもと違うのは、このところ妻が同伴していることだ。

小物や壊れ物を毎週運んでいる。
ボクは倉庫の整理。
妻はキッチンや納戸、あちこちの押し入れを片づけている。

ときどき手帳を見ながら、メジャーであちこち測定している。
どうやら自分の思い描いている収め方を確認しているようだ。
母も横に来て、ときどき何か話している。
こんなとき男は邪魔なので、草刈りに精を出す。

母は、去年まで平坦地を草刈り機で刈っていた。
それが今春から急にできなくなった。

さっきまで晩酌をしながら妻と話をしたが、
「母にはできるだけ体と頭を動かすようにさせよう」で一致した。

このままズルズルと痴呆が進むのは、本人にとってあまりにむごい結末だろう。
少しでも、ちょっとでもスイッチが入るような…機会を与えてみたい。

次第に痴呆の時間が長くなってきたが、それでもスイッチが入ったときは、
「自分がボケていくのが情けないし、悔しい」
と切々と語る。

でもその舌の根が乾かないうちに、
「今日は何日だったかねぇ?」
と問うてくる。

できるだけ自分でやらせてみるつもりだ。
老後の自立とは かくも 静かで いとおしいものだ と悟った。


★刈っても刈っても草が生える
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2011年5月19日 (木)

テリトリー

ガクガク尾根をヤブ漕ぎしながら、西のヨケ岩に這い上がるとき、
後ろで、T隊長とIクマ特殊部隊長が何やら談義をしていた。

先頭の僕は、二人の話の内容はつゆ知らず、
どうにかヨケ岩のてっぺんに這い上がるルートをようやく見つけた。

遅れてあがってきた二人によると、、
「ヨケ岩手前にクマのフンがあった。
 ずいぶん新しくて湯気がたっていた。
 ササがそのまま消化されていなかった」

そのあと、三葛のばあちゃんと話をしたのが、前回のブログである。
クマはそのへんに潜んでいたのだろうが、三葛のクマは控えめです。

2011年5月16日 (月)

ククリキ谷からガクガク岩(写真編)~島根県益田市匹見町三葛

総集編にアップできなかった写真をどうぞ

沢の渡渉に苦労するT隊長
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露岩の二股の高巻き
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ククリキ谷からの落ち込み(露岩の二股)
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ククリキ谷の踏み跡(高巻き)
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ククリキ谷の上部
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ククリキ谷の源流
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ガクガク尾根への最後の急登
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三葛には何度通ったか数えきれなくなってきた。
また三葛かと思われる方もあろうが、とにかくいいのだ。

つむぎ峡は散策路もだいぶ整備されてきた。
道がなくなってからが面白い。
大滝の巻き道は少しスリルがあるが何とかなる。
露岩の二股は直登できそうだが、それなりの装備がないと危険だ。

ククリキ谷はかなり奥まで巻き道らしき踏み跡が残っているが、右から大きめの沢が合流するあたりで消える。
その後は沢を歩くことになるが、今回のように増水直後でも登山靴で歩くことができた。
ただし、谷としてはウサゴエ谷のほうが面白いだろう。

ガクガク山の北尾根はなだらかな丘状で、尾根筋は見つけにくい。
登りに使うのであればコンパス片手に高いほうを目指せばよいが、下りに使うと難しいだろう。
踏み跡は全くなかった。
ガクガク尾根に這い上がる少し手前で、広高谷側に切り開かれたような地点が見えた。
恐らく例の整備されたワサビ田の上部と思われたが、調べる体力は残っていなかったし、ましてや造成地を目の当たりにしたら頭に血が上りそうだし、そんなものは見たくもなかったので、無視しながらガクガク尾根をめざした。
たぶん杞憂が当たっているような気がする。
「ヒロコウ谷を返せ!」と言いたい。


ガクガク尾根の踏み跡はとても薄い。
地図がないと無理だろう。
西のヨケ岩を1074ピークと勘違いしていたのは大誤算だった。
てっきりそうだと思い込んでいたので、次のピークから北尾根に入ってしまった。
いつまでたっても北西に向かう尾根が見つからないので、おかしいな?と思い始めたころに、西にもう一つ尾根が見えたので間違いに気がついた。
先入観は怖いと感じた。

それにしても西のヨケ岩の展望は素晴らしい。
右谷山からヤブヶ峠に少し降りたところに小五郎山の展望地があるが、それをはるかに超えている。
阿東の物見ヶ岳の天狗岩からの眺望もよいが、西のヨケ岩には到底及ばない。

それにしても三葛はいいところだ。

ククリキ谷からガクガク岩(総集編)~島根県益田市匹見町三葛

久しぶりのヤブ山突撃隊の招集だ。
集合場所に行ってみると、T隊長とIクマ対策特殊部隊長はすでに到着済みだった。

見慣れないマイクロバスが待機していた。
F樹木医がおられたので話を聞くと、四季の会で道後山に散策に行かれるとのこと。
T女史のグループも別の山行のため集合されていた。
「どこに行くの?」と聞かれたので、
「三葛からガクガク」と答えると、
「相変わらず好きですね」というリアクションが返ってきた。

三葛まで中国道経由で一時間半。
つむぎ峡入口に路肩駐車して散策道に入る。
一昨日までの大雨で沢は増水している。
「露岩の二股まで行けますかね?」
「それよりもククリキ谷を詰めたあとのなだらかなガクガク北尾根が心配だ」
「まあとりあえず行ってみましょう」
30分で右岸の道は消える。
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つむぎ峡にはいくつかの滝があるが、どれも水量が多くてこれまでで一番迫力がある。
大滝もすごい水しぶきだった。(昨日のブログに大滝の写真あり)
これは左を慎重に巻く。
このあたりから踏み跡は消え、沢の中を歩く。
すぐに露岩の二股にぶち当たる。ここまで一時間半かかった。
意外に水量は少ない。ここは右を高巻く踏み跡がある。
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二股の間の尾根に踏み跡がある。
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すぐに左右に分かれるが、右は前回遡及したウサゴエ谷だ。
今回は左のククリキ谷に入る。
踏み跡はそのまま左岸に続いていた。
「随分明確に残ってるな」
「これなら楽勝かな」
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踏み跡は沢からかなり高い。
灌木をつかみながら歩く。
やがて右から沢が合流する地点で踏み跡は消え、沢に降り立った。
栃の巨木が空を突いていた。
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めざす左沢には小滝があった。
二人が降りてくるのを待っていると、上流からテンがするすると降りてきて右岸の斜面に消えた。
「ここは左を巻きます。テンが教えてくれました」
「????」
「今、ボクの目の前を走りぬけて行きました」

ぼっちさん親子は、ここから右沢に入られたのだろう
我々は左沢をそのまま詰める。
沢は次第に水量が減り、次第になだらかになってきた。
「意外に水が少ないですね」
「うん、予想以下だ」

ガクガク山の北尾根が近づいてくると、一段とゆるやかな流れになり、やがて源流までたどり着いた。
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「やりました!これがククリキ谷の源流です」
「ほんとだ!水が噴き出している」
なだらかな谷には笹はなく、とても歩き良い。
やがて北尾根にたどり着いた。
そこも笹は薄く、目の前の谷底は広高谷だ。
つむぎ峡入口からちょうど三時間だった。
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「やったぞ!いつか高井山からながめたガクガク山の北尾根です」
「おお!あのときか…思い出した」
…あとで調べてみると、平成15年4月の突撃だった。

ここからなだらかな尾根を南に向かう。
すぐ右に尾根が見えたので方向を修正する。
このあたりは地図と現地確認が難しい。
地図とコンパスを片手に、灌木の間を透かしながら周囲を確認する。
「ガスったらダメだな」
「周囲が見えなかったら絶対に迷う」
「一人なら絶対引き返しますが、山歩きさんはここも一人で歩いておられます
「ここをひとりで?なんちゅう人じゃ!」

ゆっくりと周囲とコンパスと地図を確認しながら尾根を探す。
時々、左手に広高山が見える。冠山もちょこんと頭を出している。
小ピークが見えてきた。
はじめてテープに出会った。1139ピークである。
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一旦、鞍部に下がる。
「さあ、いよいよ最後の登りだ」
「しかし、尾根がはっきりしないな」
「まあ…南に進めばガクガク尾根に当たりますから」
と急斜面にとりつく。この辺りは全部が尾根である。
木をつかんでは体を引き上げる。
「おお!着きました…ガクガク尾根です」
ピンクのテープと遅咲きのカタクリが我々を迎えてくれた。
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北尾根から70分たっていた。
縦走路の踏み跡は薄く、今年の大雪のせいか…折れた大枝が散乱していた。
5分ばかり歩くと、待望のガクガク岩に到着した。
以前歩いた時は積雪があったため確認できなかったが、今回はじっくりと観察する。
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念のためにIさんが上に乗って揺すってみたが「ガタッ!」とも動かなかった。
「これがガクガク岩か…ぼっちさんは元気かなぁ」
ガクガク尾根は歩く人が少ないのだろう。猛烈に荒れている。
西のヨケ岩で昼食にしたかったが、12時を過ぎたので途中で大休止とする。
「あとは西のヨケ岩を過ぎたピークから北西に下がる尾根さえ間違えなければ、大丈夫」
「あのときのテープが残っていたら楽勝だが」

1時間程度で西のヨケ岩に着いた。
岩の上に上がるのは東からの縦走路から這い上がるしかない。
岩をよじ登って小休止。
ここからの展望は最高だ。
目の前に右谷山(正確には錦ヶ岳)と小五郎山が素晴らしい。
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「やっぱり匹見はいい」
「きた甲斐がありますね…この景色は」

次のピークに上がって北西尾根に入る。
急尾根をガンガン下り始めた。
ところが10分もしないうちに地図と周囲が一致しなくなった。
「おかしい…尾根がずっと北に下っているし、左にもう一つの尾根がある」
「西のヨケ岩は1074ピークと思っていましたが…違ったかな?」
「そうみたいだ。西のヨケ岩は1074ピークよりも東の地点のようだ」
「ここは1074ピークの北尾根だ。トラバースしてあの尾根に行くには、間の谷が急すぎる」
…ということで、20分かけて急斜面を縦走路まで這い上がる。
この急登は還暦世代のおじさんにとっては辛かった。

次のピークまで行って、もう一度北西尾根を下り始める。
そのまま尾根を下ると864ピークに行ってしまうので、左谷に入る尾根を探すがはっきりしない。
「そろそろ谷に降りましょうか」
と声をかける。
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「たぶんこれで大丈夫です」
と言いながらガレ場状態の谷を下るとワサビ田が現れた。
そのままぐんぐん下ると出合に降りて、じいちゃんのワサビ小屋横に着いた。
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以前この谷を登るときに肋骨を折ったんです
「好きだね…しかし、あの頃は若かった…」
ワサビ小屋から三葛じいちゃんの水平道を30分歩いて駐車地点に戻った。
集落に出たところで畑仕事をしていたおばあちゃんと立ち話をする。
今年は特にクマが多かったそうだ。
念のために、水平道をつくったじいちゃんはご健在かどうか尋ねてみた。
「はいはい、確か85ぐらいになったかと思うけど元気ですよ」
という嬉しい返事が返ってきた。

この間出会った三葛の神楽のおっちゃんたちも元気かなぁ
「山はボクたちが宣伝するから、あの人たちは神楽で三葛を守ってほしいな」

こうしてつむぎ峡の散策は終わった。
7時40分に登り始めて、帰ってきたのが15時40分。
かれこれ8時間の突撃だった。
「やっぱり筋力が落ちた。60過ぎたらガタっとくる」
「ボクも同じですよ」
「ヤブ山ちゃんはまだ大丈夫だよ。俺なんか這い上がるときに体を前に傾けるのに一呼吸置かないといけなくなった」
「次の突撃は、もう少し楽なところにしましょうね」
…と言いながら三葛集落を後にした。
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※ラフな地図ですが参考にどうぞ 
kukuriki/index「kukuriki.index.html」をダウンロード


2011年5月15日 (日)

ククリキ谷からガクガク岩(大滝)

011


2011年5月14日 (土)

ククリキ谷からガクガク岩(島根県益田市匹見町三葛)

素晴らしかったが、足腰はガタガタ。

写真を掲載しようと思ったが、腕が震えて酔いも回っておしまい。

一昨日までの大雨の増水を覚悟しながら、おじさん三人は、
ククリキ谷を源流まで詰めて、一気に南に方向を変えてガクガク岩まで這いあがりました。

西のヨケ岩からの展望を満喫しながら、シニヤ世代になったヤブ突撃隊の行く末を案じた。

とりあえず無事帰還の報告まで。

元気が出たらいずれアップします。

2011年5月13日 (金)

真珠婚式を目前に控えている夫婦の会話

ボクの職場関係者の夫人の集まりがあったらしい。

妻も出席したらしく、ボクが帰宅するなり、
「私はびっくりした。あなたは、よその奥さんには、とても優しくて温和なひとと思われているのね」
「????」

「いつかHさん夫婦と一緒にNさん宅のパーティーに呼ばれたことがあるでしょ?
その時、あなたは色々と世話をしたり、とても優しかったらしく、
今日Hさんの奥さんから、
『とっても優しくていいご主人で羨ましいわ』と言われたの。
私はびっくりして、
『うちの主人は家ではな~んにもしませんし、
短気だし、晩酌は酔いつぶれるまで呑むし、
いいご主人だなんて…』と言葉も出なかったわ!」

「絶句した割には大悪口を言ってるじゃないか」
「初めは人違いかと思ったけど、
その奥さんの顔を覚えているし、
話のつじつまもあっていたので、
私は恥ずかしくて恥ずかしくて、
…あなたは、ホントに、詐欺師!」

「やっぱり岡目八目だ」
「こういう場合には使いません…ソトズラがいいだけでしょ!」

…たぶん、正義は勝つと思いますし、勝たねばなりませぬ。
 でも、私の本性を知っているのは…魔女ヤブ山…である。

さて、明日は三葛に突撃。
ヤブ山突撃隊の三人だけ。
朝六時はきついが、三葛は遠い。
でもおじさんたちは頑張る。

2011年5月10日 (火)

青春の影

今日は雨音が強いので、さっきまで思いっきり10分ぐらい歌っていた。

チューリップの「青春の影」のコードをギター風にアレンジしている。

だいたい音がよくなったので、妻に、
「どうだこれは!!?」
と大声でたけってみるが…返事がない。

テレビを見ているのだろうと思って、ブックエンドのテーマやアメリカを
弾いた後、もう一度「青春の影」をうたった。

「おい!どうか!?」
と聞いてみたが相変わらず返事がない。

このバカたれ!とイカって、居間に戻ってみたら、
短めで太めのトドが…大いびきで寝ていた。

起こしたら暴れるので、そっと離れてブログを書きます。
くわばら…くわばら…です。
デブはあぶないです。

2011年5月 9日 (月)

コモンズ(共有地)の悲劇

共有財産は過剰利用を招いて枯渇する
…という経済学の法則がある。
みんなが勝手にどんどん使ってしまうので、
放っておけばダメになったり、使えなくなってしまうというものだ。

この逆に、アンチコモンズの悲劇がある。
上記の逆説で、みんなのものだからといって大事にされすぎて、
又はみんなが権利を主張しすぎて過少使用に陥り、
結果的に宝の持ち腐れになるというものだ。

弁証法に期待するならば、こうした対立が止揚してくれるのだがままならぬ。
経済学的には、トレードオフ
~相反する両者の特徴や利点・欠点を把握したうえで最適なポイントを決める~
という結果オンリーの理論がある。
はたまた、「ウィンーウィンの関係でいきましょう」という都合のいいビジネス用語も出てきた。

仕事上のトラブル処理も色々な要素が複雑に絡み合っているので、
クレーム処理のようなマニュアルはない。
仮になったとしても、それは第一義的な対処法に過ぎない。
むしろ、マニュアルで片付くようなものはトラブルではないと思う。

さて、どうしてこんなことを書き始めたかというと、
原発問題への議論百出を前にして、
ふと備忘録に書き留めておいた標記の法則に目がとまったからである。

政治が決めることは、国をどの方向に向かわせるかである。
それを表明しないまま目先の事象に捉われていたら、あてのないヤブ漕ぎと同じだ。
目標があるからヤブを漕ぐのだ。
おかしいなと感じたらコンパスで位置や方向を確認すればよい。
目標が決まっていない限り混迷は続く。
せめて方向だけでも決めたら、どっちに進むか、引き返すか考えられるのだが。

…メビウスの輪に乗ってしまったので、ここでおしまい。

2011年5月 8日 (日)

連休最後の片付け

昨日は山口の倉庫の片づけ。
今は独立した子供たちには悪いが、
あの当時キャンプをしたロッジテントは不燃物処理場に搬入した。
机もすべて処分する予定だ。

倉庫を片づけると出てくるものひとつひとつに思い出がある。
だから捨てられないが、冷血人間になって全て捨てにいった。

今日は実家の倉庫の片付け。
妻から指令された面積を確保するために、
思い切って「モノを捨て仮面」になる。

5年前、母屋を建て替える時に倉庫に移したもので、
今でもそのまま残っているものは思い切って処分した。

困ったのが母のテリトリー。
とにかく、肥料やガラクタ、引き出物の箱やらが満載状態だ
でもボクが言わないと誰も言えないので、
「とにかく使わないものは捨てる。貴重なものは残すからそこで見ておいて」
と宣言した。

…と、そこへバンド仲間の同級生がひょっこり現れた。
「車が見えたから…」
「おう、夏までにはこっちに帰ってくるからな」
「おっ!毎週バンドができるな!」
「おいおい…まずは介護!」

などと話していると、母が声を聞きつけて現れた。
「まあまあ…H君じゃないの…元気にしているの?」
「おばさんも元気でなにより」
「ワタシハ ボケテキタノヨ ワカル?」
「ワカリマシェン! ダイジョウブダト オモイマス」
「?**+P+PPJUE」
「????????」
{もういいから…かあさん、休んできたら?」
「そうするね…」

…彼は数年前、両親がともに介護が必要になって早期退職した。
「まあ…年金はまだ出ないし大変だが、どうにかなるさ」
「バンドをやろうぜ!バンジョーだけは持って帰っているから!」
「そうするべか!」

と、二時間以上しゃべってしまった。
日が傾いてきたが、倉庫は半分以上はぐちゃぐちゃのままなので、
とりあえず外に放り出していた瓦礫の数々を車に積んで山口に帰る。

帰ってみると、ちょうど外で倉庫の片付けをしていた妻とばったり出会ってしまった。
「あれだけ持って帰ったのに、またこれだけ持って帰ってきたの?」
「必要なものを運び、不要なものを持ち帰っているのだ」

…と、ここで思い出した。
妻の指図によると、パソコンは寝室に置くようにと言われている。
このブログは知らないはずだが、ボクは地下生活者になるのかなぁ。


2011年5月 6日 (金)

連休雑感~まとめ

連休に入ってから、中国に単身赴任している兄が連休を利用して帰国。関東の家に帰る前に実家に立ち寄った。

話題は当然ながら母親のこと。
こっちからの連絡を受けて随分心配していたらしいが、いざ母と直接話をしてみるとボクが初めに感じたように、さしたる違和感は感じないという。
ところがしばらく話を続けていると、さっきまでの話を忘れていたり、つじつまの合わないことを言うことに気がついたようで、
「やっぱりお前たちが言う通りみたいだ。通勤可能なら一緒にいてくれたほうが安心だ。お前たちに迷惑をかけて悪いが、できるのならそうしてやってくれないか」
とボクたち夫婦と妹夫婦に頭を下げる。
「いいから、いいから。なんとかなるから」
とお互いが顔を見合せながら応える。

そうこうするうちに先月ケアマネージャーの介護認定の結果がどうなったのかという話になった。
妹が手配し、ボクの妻が当日立ち会ったのだが、その後の結果が不明だ。
母に断って、居室の郵便物を調べてみると母宛の結果通知があった。ちゃんと開封もしてある。
母に、「中を見たのか?」と尋ねると、
「見たけど、何が書いてあるのか分からなかった…」という。

通知書には、『あなたは要支援1と判定されました。サービスを受けたい方は下記へご連絡ください』とある。
要支援は要介護の前段階なので、介護サービス全般の対象とはならないが、デイサービスのようなものは受けることができるというようなことが書いてあった。
夏からボクたち夫婦が一緒に暮らすにしても、ひきこもり状態が続くのもどうかということになった。
兄弟三人で相談して、
「週に一回でもいいから、気晴らしに出かけてみてはどうか」と持ちかけた。
「今まであんなものは年寄りが行くものとばかり思っていたが、自分がこれだけボケてきたから通ってみようか」と言い出した。
すぐに忘れてしまうのかもしれないが、とりあえず、連休明けから週一回のお試しサービスに行く手続きをすることにした。
これで兄もかなり安心したようで、「済まないな」と言いながら新幹線に乗って帰って行った。
次に逢えるのはいつになるのだろうか。


その日の夕方、酒飲み仲間の同級生が訪ねてきて、
「車が見えたから寄ってみた。今から飲もうぜ」
と誘われる。
妻と母が、「また飲みに行くのかね」と呆れるが、さっさと出かけた。
「おい、ちゃんと俺のことは分るし、たくさん飲ませないように
と、昔の通りに言われたぞ。俺のおやじよりマシじゃないか」
「そうかぁ…。でも夏までには帰ってきてこっちから通勤するぞ」
「なに!それなら毎週飲めるじゃないか。それはいい!」
「バカ!おまえたちと飲むために帰ってくるわけじゃないぞ」
「いいから、いいから。俺たちも歳だから、お互いが分かるうちにしっかり飲んでおこうぜ」
「そりゃそうだ」
…ということで、悪友三人でT夫の海の家で酒盛りに突入。


翌日はお寺の花まつりの手伝いに出る。
実家の隣部落にある禅宗のお寺で、これまで母がずっと世話人をしていたのだが、
「今回からお前が出てくれ」と懇願されたのだ。
「男衆は何をするのかわからん」
と、何をするのか聞かされないまま寺に顔を出した。

世話人は老人を中心に男女30人ぐらい。
男衆はテントの設営や大判焼き、ポップコーン、バーベキュー、唐揚げ、
花の苗や各種バザーなど大騒動が始まった。
住職にあいさつをして、顔見知りの総代さんに事情を話すと、
「よし、俺のそばにずっとついてろ」と心強い返事があり、
なぜか唐揚げ組で、生まれてから一度もやったことのない『海産物の唐揚げの接待役』
を担当することになった。
こなれた三人のじいさんに手ほどきを受けながら、
イカ、タコ、イワシ、ハモ、グチなどの海産物に小麦粉をつけてはフライパンで揚げる役に徹した。

ごったがえす境内で、初めてやる唐揚げをぶっ通しで頑張った。
お接待なので食べにくる人が多いのに驚いた。
三人の老人と若い衆?のボクは、時々缶ビールに手を出しながら、
「そうか…あのEちゃんの息子か…Eちゃんが調子が悪いのか。
 よし、毎年お前が来るんだな。来年もここで揚げものを手伝ってくれ。そうか…おまえが息子か!」
と言われながら4時間続けた。

少し手がすいたときにた他のグループのところへ行って挨拶をする。
この寺は母の実家のすぐ近くなので、小さいときによく遊びに行っていた関係で見たような顔の人もあった。
「おおHさんのところから嫁に出たEちゃんの息子か」
と数人から声を掛けられた。

途中で顔見知りの政治家も顔を出したので挨拶をしていると、仲間の老人たちが、
「お前は何の仕事をしているのか」
と根掘り葉掘り聞かれるので適当に誤魔化す。
でも総代さんが親切にボクの素性を解説してくれていたので、聞こえないふりをした。

夕方の反省会で、住職と総代に母のことを遠回しに話した。
この二人はよく知っているので、
「いいからいいから…あまり気を使わんでいいからな。
 お前ぐらいの若い衆が来てくれると助かる。
 来年から絶対来てくれよ。
 お袋さんには息子を出してくれたらそれで十分と言っておいてくれ。
 だけど月一回のご詠歌の会には顔を出すように、お前からも言っておいてくれ」
と、やさしく言われた。


やっと解放されて、実家で納戸の片づけをしている妻に、
「やっぱり飲まされたから…すまんが車を取りに来てくれ」
「ふん!やっぱりそうでしょ…いきますよ!15分歩いてね!」
…翌日は勤務日なので、そのまま妻の運転で山口まで戻った。


…と、ヤブ山のご近所デビューならぬ、檀家デビューの一日でした。
このことを昨日書こうとしたのだが、飲みすぎがたたって、
ぴっけさんのコメントに返事を書いた時点でダウン。おしまい。

2011年5月 2日 (月)

連休雑感~その1

連休初日、コンビニに寄った時、
隣にとまった軽トラックから、小学校4~5年生ぐらいの女の子が下りてきた。
トラックの後ろをのぞいたり、周りを見渡しながらスキップをしはじめた。

運転席からおとさんとおぼしき男が降りてコンビニに入った。
女の子は…なにかいいことはないかなぁ…という雰囲気で車の周りをスキップしている。
どんな家庭の事情があるのか知らないが、彼女に引きつけられた。
あの子は、ちょっとでもいい…なんか興味深いことを見つけようとしているのだ。

父親と小さな女の子の生活だけかと…想像したら哀しくなって涙が出た。
ここで、母親が現れたら救われるがと思っていたが、父親が店から戻ってくると、
女の子は喜んで父親に飛びついた。

きっと、ふたりで幸せに過ごしているのだろう。
親子…男親と娘があんなに喜ぶ光景をひさしく見たことがない。
正しい家庭はあんなスキンシップがあるのか…驚いた。

…こんな具合に、連休雑感は続く。


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