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2011年6月

2011年6月20日 (月)

土日の日記

土曜日は前日の日記のとおり田植え。

荒起こしや代かきはトラクターに乗るのでそれほど疲れないが、
田植えは二条植えの歩行式なので足が疲れる。
おまけに今年から植継ぎもやったのですっかり疲れてしまった。
母の植継ぎは隅だけなので、ボクは田んぼの中をせっせと腰をかがめて歩き回った。

午前中で終わったので昼にビールを飲もうとしたら、妻から、
「来週の引っ越し用に私の軽自動車を持って帰って!
 ついでにガソリンを入れて、傘を探して帰るのよっ!」
と、冷たく言われた。

さらに、
「私はあなたの車で帰るからね、だからビールはダメ!」
とダメを押された。

夕方、傘を置き忘れた処に寄ってみたら、
見慣れた傘が、今のボクのようにぽつんとさみしそうに立っていた。

山口に帰って妻に、傘が見つかったことを話したら、
「だ・か・ら! 新しいのを買わなくて良かったでしょ!」
と、ボクの努力を褒めようともしなかった。

日曜日は疲れ果ててゴロゴロしていたが、
維新百年記念公園で高校総体の中国大会をやっているのを思い出した。

新設された陸上競技場に行ってみると、
小雨にもかかわらず高校生たちが元気よく競技をしていた。

女子の長距離陣は岡山の興城館高校が群を抜いて強かった。
それにしても10代の選手たちのスタイルのいいのには驚いた。

ボクだってあの当時は50キロちょっとだったし、腹筋も数段に割れていた。
今は68キロだから、20キロ近く太ったことになる。
ウエストだって70センチ以下だったのが、今や91センチ、
…いや測りなおしたら、81センチである。

夕方になって息子が廃棄家具の運び出しを手伝いに帰ってきた。
市役所が回収してくれるので、玄関先まで運び出す。
BSアンテナは捨てようと思っていたのだが、
「寮のテレビにつないでみる」
と言って自分の車に積み込んでいた。
基本的にケチなので、我が家と同様にケーブルテレビに加入していないのだ。

これで引っ越しの準備はだいたい終了した。
空っぽになった本箱や水屋に囲まれていると、
26年間暮らした地を離れるという実感が湧いてきた。

でもその横で、26年+6年+4年+2年も一緒にいるトドが寝ている。

彼女は、たぶん、
体重は 48弱→∞
ウエスト60弱→∞
性格の偏向:控え目→∞
…になっている。
(注:矢印左の数値は、当時の本人の申告をそのまま掲載しました)

2011年6月18日 (土)

疲れました

早朝、実家に戻って田植え。

今年は水が多いので、田の水を落とす間に休むことができる。

母は頑張って「植え継ぎ」をするという。

できっこないと思っていたが、田んぼに入るとシャキッとした。

昼過ぎまで一気に植える。
今年はヘビも出ない。
水は多いが、いつもより少し違う。

肩が凝って、腰は痛いし、目もよく見えない。

2011年6月16日 (木)

傘がない

田植えをしようと帰ったが、豪雨を前に沈澱。

母の農業申告をしようと格闘するが、証拠書類がまるでないので撃沈。

とりあえず市役所に行ってワケを話して乗り切った。
来年はボクが申告をすることで落ち着いた。

その後、母が借りていた本を公民館に返しに行く。
娘がコメを送れというので精米所による。

家に帰ったら、母の傘がない。
本人はそれすら忘れてさっさと家に入っていく。

妻に相手を任せて、公民館と精米所にUターン。
ありました…公民館に。

山口に帰る途中、諸手続きのために自動車保険のオフィスと法務局に寄る。

…で、家に着いたらボクの傘がない。
どこにもない。

妻、曰く、
「見つかるまで…新しい傘は買いません!」

梅雨なのに…ボクには傘がない。

2011年6月14日 (火)

アルツハイマー

今朝の朝日新聞にアルツハイマー新薬の記事が掲載されていた。

日常生活でみられる認知症の初期症状は、
①さっきしたばかりのことを忘れる
②同じことを何度も言ったり、繰り返したりする
③部屋の片づけができず、汚くなる
④買い物でおつりの勘定ができず、額の大きなお札を出す
⑤前日に食べた夕食の献立が思い出せない
…だそうだ。

母の症状はいずれも該当する。
記事にもあるように、現時点では、アルツハイマーの根本的な治療法はなく、
薬などで症状が進むのを遅らせるしかないようだ。
新薬も次々と開発されているので、母の症状が少しでも緩和されるような治療ができるといいのだが…。

アルツハイマーの原因の一つに、
「アミロイドβ」というたんぱく質の蓄積が関係しているという研究成果があるらしく、
症状が出る前にアミロイドβを測定して、予防や治療につなげる試みも始まっているらしい。

仮にボクがβ値を測ってもらったら、
「ずいぶん溜まっていますね。もうすぐ症状が出ますよ」
と宣告されるような気がする。
でもひょっとしたら、
「あれれ…超えてますね。ここがどこで、いま何をしているかわかりますか?」
と質問されるかもしれない。

…冗談はともかく、母の症状が記憶障害の範囲で収まってくれることを祈るしかない。
性格障害が出たりしたら、介護が大変なことになる。
しゃべっている分にはごく普通なので、攻撃的な言動が出てしまうと、
こっちも思わず感情的になってしまうような気がする。

先日、母が、
「こんなにボケてしまって…施設に入ろうか…」
と言っていたが、
「まあ…それが分かるんだから大丈夫」
と答えておいたが、残りの人生がゆったりと流れていくことを願わざるを得ない。

…このたびの症状は、3.11の大震災の映像を数日間にわたって見続けた影響が大きいと思う。
避難所等でもそんな老人が多いらしいが、つくづく震災のむごさを恨んでしまうのだ。

2011年6月13日 (月)

代かき

土曜日は終日代かきに精を出した。
朝方までの雨もやんで、水はあるし、暑くないという最高のコンデションだった。
このところ水不足に悩まされていたが、山からの出水だけで田んぼに水が張れた。

「足が持ち上がらないので田んぼに入れない」
と母がつぶやく。
「いいから休んでいたら」
と諭すが、長靴をはいて畦道をウロウロしている。
ときどきクワで畔の近くを均しては、ボクの作業を眺めている。
一昨年までは田靴をはいて頑張っていたのだが、去年からガクンと体力が落ちた。
今年はさらに認知症が追い打ちをかけた。

母に、肥料と除草剤を撒く時期を聞いてみたが、
「いつだったかね。肥料と農薬は頼んでおいただろうか?」
と言い出した。
倉庫の前に伝票と一緒に置いてあるので、ちゃんとJAに注文しているのだが、それすら忘れたらしい。
撒く時期もいくら考えても分からないという。
いつも母がやっていたので、ボクも実際のところよく分からないのだ。
これからはボクだけでやらなければならないので、農協に問い合わせる。
ボクがプッツンしても息子に分かるように、ちゃんと書いて倉庫に張っておくことにした。

夕方、同級生が「飲もうぜ」と誘いに来た。
妻が、「いま、ご飯の支度をしたのに!帰ってこんでもええ!」
と怒った。
ちょうど息子が帰ってきたので、
「お父さんの分も食べておけ」と言いながら出かけた。

…翌日は当然二日酔いだったが、雨が降ったので沈殿。

2011年6月 9日 (木)

持ち物仕分け

妻はこのところずっと引っ越しの準備をしている。

昨日、帰宅してみると机の上に本が何冊か置いてあった。
妻が、
「捨てられそうなものを出しておいたわ。同じ本がたくさんあったけど、とっておくの?」
と、これみよがしに並べている。

「三冊も同じ本があるのが…これとこれ!二冊あるのがあの三つもあるけど、どうするの?」
「…捨ててもよい」
「まあ!勿体ない」
「うるさい!」

次に、卓上の整理箱の中身を確認された。
「これは?」
「いる。バンジョーの締める金具」

「これはなに?」
「ギターのボトルネック」
「いるの?使ってないじゃないの」
「ブルースをやるときにいる」
「聴いたことないけど?」
「無段階で音が変わる。かぐや姫の『黄色い船』でヒューンという音を出すときに使う」

「これは?」
「ねじ式のカポタスト。いる」

「これは?」
「リュックのバックル。いる」

「このお金は?」
「ウォン。誰かにやるから明日職場に持っていく」

「こっちのお金は?」
「台湾元。それも明日誰かにやる」

「これは?」
「六角レンチ。必要な時があるかもしれないので、いる」

「つまりこの中のものはぜ~んぶいるのね?」
「そう、いるものばっかり」

このあたりで反撃を開始した。
「おい!ピアノは売るんだろ?弾く子もいないし」
「あれは持って帰るわ。
 ○子は帰った時に弾くし、□子は、△ちゃんにママが弾けるところを見せるって」
「どこに置くの?」
「離れの和室の縁側。ちゃんと計りました」

「×太のがらくたは?」
「この間帰ってきたときに捨てるわよと言ったら、
 学生時代の教科書類は全部要らないけど、
ガンダムとウルトラマンのおもちゃだけは残しておいくれって」
「あいつ何を考えているんだ」
「人のことは言えないわよ」

ここで、
「ふふふ…お前はもういらない!だから!とっとと!どこかへ行け!」
と宣言すれば立派な結末を迎えるのだが、


「はいはい…大変だね」
で、今宵もふけていくのである。

2011年6月 5日 (日)

実家にて

妻と実家に帰る。

倉庫の前に草刈り機が出してあった。
母はその横で収穫したばかりの玉ねぎを束ねていた。

「草を刈ろうとしたの?」
と聞いてみると、
「家の前を刈ろうと思ったけど、お前に刈ってもらおうと思って…」
と訳のわからないことを言う。

ボクたちが帰ってきたのに、下を向いたまま玉ねぎを束ねている。
たぶん認知症がON状態なので、とりあわずに妻と二人で荷物を運び込む。

そうこうするうちに、
「玉ねぎを干す竹竿がなくなった」
と倉庫の中を探し始めた。

去年の玉ねぎは、母屋の裏縁に干していたので、
竹竿はそのまま裏縁にくくりつけてある。

倉庫の中にむしろ用の竹竿があったので、
「この竿でどう?」
と見せながら垂木にひっかけて見せると、
「ああ…いい、これで干せる」
と喜ぶ。

玉ねぎを干し終わると、
「荷物は何時に着くのか?」
と言いだした。

今日が引越しになったらしい。

「引っ越しは再来週。
 来週の土日で代かき。
 木曜日に田植えをして23日に引っ越し!」

昼食時、母の部屋のカレンダーに引っ越しの日程を書き込む。
代かきと田植えはボクが書いたものだが、
妹が、デイサービスの迎えの時間や病院に行く日程を詳しく書き込んでいる。

母屋で三人で昼食。
妻とボクが来月以降の話をしているのを、母は横で聞きながら昼食をとっている。
時々話の内容を聞き返しながら、
「困った…困った…どんどんボケていく! しっかりせんと!」
と真剣に話す。

「そうだよ…まだまだ大丈夫!」
「そうかい?すぐにものを忘れるんだよ」
と言いながら、ちょっとテレビを眺めると、
「引っ越しの荷物は何時に届くのか?」
と言いだす。
再び今日が引越しの日になったのだろう。

…あれほど気丈だった母が、一気に壊れはじめた。
 認知症は、本人にも家族にも…哀しい現実をみせてくる。

2011年6月 4日 (土)

マスターズ陸上

昼から仕事が入って何をするにしても中途半端なので、
維新百年記念公園のイベントをみると、今日は「マスターズ陸上」の日だった。

男は5歳刻みで、ユニホームも
40,45,50,55,60,65、70,75
…と5年刻みで選手登録はさまざまである。

元気な世代は、どんどん世代ごとに参加者はあるが、
だいたい65~70までは皆無である。

ところが、
「M70以上の100メートル競走の決勝です!」
というアナウンスの後に、
「本日、最高齢の91歳の○○が百mメートル競争に挑戦されます!」

91歳のアスリートで、
今日の100メートルは完走できるかどうか…興味の的であるらしい。

結果は、51″66であった。
あの歳で100メートルを一分以内に走り切る人はとれだけいるのだろうか?
ひょっとして100メートルを休まずに歩きとおせる人だって稀かもしれない。

最後に、百メートルを走り切ったおじいさんは、
元の位置にヨタヨタと10分ぐらいかけて戻っていかれました。

あと女性軍のゼッケンは、全員が赤の10からはじまっていた。
…ということは10歳代ということになる。
ただし、どう見てもボクより少し若いぐらいの人もいたが…。

(業務連絡:編集済)

2011年6月 1日 (水)

一年で一番ストレスのある日

年に一度の試練の日がやってきた。
するとその頃から体の調子が悪くなる。
ボクは病院が嫌いだ。


視力検査が終わると血圧測定。
やっぱり高いので、
「深呼吸を5回して、もう一度計りましょうね」
「どうせ高いのでいいです」
というが、にこっと笑顔を返されて無視された。
その後の測定で少し下がったが、いつものように要精密となる。

ここまでで引っかかった人は、医者の問診に回される。
女医さんが、目を細めながら検査値を見て、
「塩分を控えましょう。体重を減らしましょう」
「はい、そうします」

さて、次はいよいよ血液検査である。
誰に採血をされるかが最大の問題である。
ちょうど白髪のおばちゃんの前の席が開いていた。
たしか去年もこのおばちゃんだった。
一回で済ませてもらった記憶があるので、
「出にくいので、いつも注射器で抜かれています」
と言うと、
「はい、分かりました」
と明るい返事が返ってきた。
ひじの周りをぱちぱち叩きながら、注射針をぬぅ!と差し込んだ。
注射器が吸引を始めた感触が伝わってきた。
するとゴムベルトが外され、
「はい、すみましたよ」
と告げられた。
これで今日の最大の試練は終了した。
…ぼくよりも年上だと思うが好きになった。

続いて、腹囲の測定と心電図測定。
腹囲の検査では、
「はい、息を吐いて…腕を下げて…」
いろいろ頭の中に考えを忍ばせながら、気づかれないように腹に力を込めていたら、
「はい、91センチです!」

これではまるでテレビのCMの太っ腹と同じである。
メタボの基準は85センチで、このところ数センチしか余裕がなかったので、
今年はそろそろヤバそうだなと思っていた矢先に、
自己新記録達成となってしまった。

基準のギリギリどころか、それを一気に飛び越してしまったのだ。
「えっ?91ですか…そういえば最近ベルトの穴がひとつ大きくなって…」
と言いながら心電図の器具をセットしてもらっていると、

「あら?去年は78センチですね。わたし間違ったかしら…」
という声が聞こえてきた。
心電図の測定が終わると、
「もう一度計ってみましょうね」
と言われたので、少し腹に力を入れてみた。

「あら!80.5センチです。ごめんなさい…10センチ間違えてました」
「メタボの85センチすれすれぐらいかなと思っていたんですが…」
「ごめんなさい大丈夫です。基準以下ですよ」
…と、危うくメタボ組への強制加入を免れたのである。

最後にレントゲンを済ませて終了。
ことしは腹囲測定の事件だけで6カ月寿命が縮んだような気がする。
いつもなにか事件が起きる健康診断であった。

…たぶん、腹囲を測ったおねえさんは地球人ではない…と思う。

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