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2011年7月

2011年7月31日 (日)

フラフラ日記

土日も農作業に精を出した。
枯れ草を集めて野焼き。

クエた場所に泥を運んで陸補正。
ガレを捨てたい場所に移動する。

いずれもずっとやりたかったことばかりだ。
ようやく夏の計画が終わった。
あとは秋と冬。

母の認知症の進行が気になる。
ひ孫が帰ってくることを喜んでいるが、
自分が認知症だということを忘れ始めた。

「しっかりしなきゃ!」
という認識が薄れてきた。
午前中にしたことを忘れる。
さっき言ったことも忘れる。

それにしても進行が著しい。
反応が鈍くなってきた。
冗談を言っても返事をするようになってきた。

ついこの間まで、
「こんなにボケて情けない」
とこぼしていたのに、それがなくなった。

家族と一緒に住めば痴呆の進行が止まる、あるいは戻ることもあると、
聞いていたが、何だか安心しすぎて逆効果になったような気がする。

日記を書くのが滞っているのはこれが原因だ。
暗い日記で申し訳ないが、認知症の辛さを本人に替わって味わっているのです。

2011年7月26日 (火)

未来への手紙

昨夕、帰宅すると一通のはがきが置いてあった。
見たような字で、ボク宛てである
よく見ると、長女が10年前に「山口きらら博」に行ったときに出したものだった。
先日、10周年記念イベントが開催されて、未来への手紙が各人へ送付されたようだ。
どういうわけか実家宛になっているが、届くのは10年後だからとりあえず実家の住所を書いたのだろう。

当時、娘がちょうど大学に入学したときで、
「未来の○子へ!10年後はバリバリのキャリアウーマンになっているかも?」
と書いていたが、現在、二児の母になって現在、育児休暇中である。
来春には職場復帰予定で、キャリアウーマンといえるのかどうかよくわからないが、某就職情報誌でそこそこ仕事をしているらしい。
さて、この10年前の自分が描いたハガキを見てどういうリアクションをするか?

折しも来週二人の子を連れて、旦那よりも一足先に帰省すると連絡があった。
女房は早速、
「チャイルドシートは二つ用意しているけど、ビニールプールを買っておかなくちゃ」
と張り切っている。
母も、二人のひ孫に会えるので、
「早くボケを直しておかないと…」
と急にそわそわし始めた。

下の子は、出産時に女房しか会っていないので、ボクと母は初対面になる。
上の子は一年以上会っていないが、僕らの顔はもう忘れているだろう。

そういえば、ヤブ山突撃隊のホームページを作っているときに、当時受験生だった娘とのやりとりを書いていたのを思い出した。
http://homepage2.nifty.com/yamayama-yamaguchi/yabuyama_074.htm
そうか…ヤブ山突撃隊は平成10年に結成して、ホームページは12年の夏に開設している。

ボクの10年後は…生きているだろうか?
I'm a number 4, will be so, will be done

2011年7月25日 (月)

I'm number 4

母とボクたち夫婦の同居が始まってほぼ一月経過した。

母の認知症は確実に進行しているが、身の回りのことはまだできるし、
畑仕事と田んぼの水回りは欠かさない。
ただし、あれだけ熱心だったお地蔵さん参りをよく忘れるようになった。
妻が気がついて、
「まだお地蔵さんにいってないのでは?」というと、
急に我に返って拝みに行くが、戻ってから10分もしないうちに、
「お地蔵さんに参たかね?」と聞くこともあるらしい。

田んぼの水が減っていたので水を充てようとしたが、
上の田んぼがちょうど充てていたので、翌日充てることにした。
「カレンダーに書いておかないと忘れるよ」
と言っておいたが、翌日になっても充てる気配がないので部屋のカレンダーを見てみると、
何も書いてなかった。
母屋から廊下を伝って離れに帰る間に忘れてしまうのだ。

妻は、早朝は庭の草ひき。
その後、新しい趣味となったガーデニングに精を出している。
昼前になって母に声をかけて買い物に出る。
母も二回に一回は一緒に買い物に出るそうだ。
色々な物を買うらしいが、大半は冷蔵庫に入れたままになっているので、
ときどき立ち寄る妹とチェックしては三人で分けているらしい。

ボクはこれまで大雑把にやっていた家の周りの草刈に精を出す。
30分ごとに裏縁でクロガネモチを眺めながら涼む。
きれいに刈り込まれた家の周りは気持ちがいい。
ついでに墓の周囲もきれいにした。
気になる雑木を切って、土止めの横木に転用して墓の前をビオトープ風に手を入れてみたい。
夏はヤブ蚊が多くて手がつけられないので冬まで待とう。

グランドから声がするので上がってみると、新チームが徳山商工高校と練習試合をしていた。
どちらもこれまでのチームと比べると随分見劣りがするが、秋の大会はすぐにやってくる。
今度こそ勝てるチームに成長してほしい。

家の周りには作らなくなった畑が広がっている。
草を刈っていると、コガンツボ(肥溜め)の跡を見つけた。
秋になったら、一つにはクリやイチジクなどの果樹を植えて、
もうひとつにはハーブか蕎麦でもつくってみたい。
父が生前シイタケを栽培していたところもきれいにして、もう一度栽培してみたい。
盆には孫が返ってくるので、それまでにもう一度きれいに草刈をして遊ばせてみたい。
田んぼのおたまじゃくしも見せてやりたい。

やりたいことは山ほどあるが、こっちの寿命があとどのくらいあるのだろうか。

2011年7月24日 (日)

野焼き

昨日と今日は野焼き。

田の畔と家の周囲の草は、農作業に許された野焼きでないと始末に困る。
妻は都会人らしく、「野焼きは禁止」と言うが、
「農作業に必要な野焼きは例外事項」である。

それにしてもこの夏日で草が乾く。
一気に燃えるので、少しずつ補充しながら燃やす。

時折、ササの節が抜ける音で目が覚める。
煙たいが、これも百姓の反面教師。

周囲の団地に煙が流れぬよう、風向きを気にしながら
草と煙を眺める。

2011年7月22日 (金)

ピーマンと大人の悩み

カーラジオから懐かしの「子ども電話相談室」が流れてきた。

小学校低学年からの質問に、
「ニンジンの中はかたいのに、どうしてピーマンは空っぽなのですか?」
というのがあった。

理科担当の先生の回答は次のとおりだった。
ピーマンの中が空っぽと言ってたけど、よく見ると種があるでしょ。
大事な種をどこでどうやって守るか植物は考えているの。
太陽の紫外線…しがいせんってわかる?
ピーマンは、紫外線から種を守るために、熱が伝わりにくい空気で包むようになったと考えられているんだよ。
同じように、水も熱が伝わりにくいので、スイカのように水分で包む方法を選んだ野菜もいるんだよ。
だからニンジンの中には種がないでしょ?

その子は、「ふ~ん」と分かったような分からないような返事をしていたが、
認知症が発症寸前のおじさんは、
「そういう理屈もあるのか…」
と感心してしまった。

これが大人になると、人生相談が中心になってくる。
ボクの場合だと、
「無線LANカードを家計から買ってもらったのですが、うまく繋がらないので、
妻からは、『自分の小遣いで払いなさい!』と言われて困っています。
どうしたらいいのでしょうか?」

…になってしまうのだ。

2011年7月20日 (水)

農業人

今日は夏休みをとって、不動産の名義変更と農業関係の承継手続きをした。

不動産関係は司法書士に頼むのが勿体なかったので、ネットの参考サイトをみながら作成した。
法務局はおっかないところだが、なんとか一発で登記完了となった。

難しかったのが、JAの農業関係だった。
JA口座を開設したり、母の名義を変更するのに、いろいろな手続きをした。

なんどか書類を書き換えたのだが、どうやらこのJAのM支所はこの手の手続きに慣れていない様子が伺えた。
親から子へ承継するのだから、
「おまかせラクラク手続きプラン」なぞがあってもいいはずだが、
実際は、何度も奥の責任者に聞きに行っては書類を書かされた。

ようやく解放されたと思ったら、一時間後に家に電話があった。
「ヤブ山さん…申し訳ありませんが、新規会員扱いにさせていただきますので、
 こっちの書類に、もう一度ご記入いただけませんか」
「は~い!」

「ボクはずっと事実上の農業後継者なのですよ」
と説明していたのだが、
JAの組合員になれる人は、
①10a以上の田を耕作している 
②年間、90日以上農業に従事している
のいずれかなのだ。

ボクはどっちも該当しているので、
「どっちに書きましょうか?」
と尋ねたが、窓口のおばちゃんは、
「はいはい、ヤブ山さんは一反ありましたよね…」
と言いながら適当に書類を仕上げていた。

その後、市役所の耕地課に行って、耕作者の手続きをした。
これでボクは完ぺきな農業者になったのである。

(追伸)
この数日、アクセスが以上に増えておりますが、何か変なトラックバックがついたのでしょうか? くれぐれもこのサイトは、正しい酔っ払いおじさんの日記ですから…。

2011年7月19日 (火)

3代目

通常使用しているデイパックは2代目だが、そろそろファスナーやバックルがヤバい状態になってきたので、思い切って買いかえることにした。

先般、ヤブ山突撃隊のIクマ対策特殊部隊長が、D社製のザックを披露していたのを思い出してネットで探してみた。
色々な種類があるので迷ったが、30Lのトランスアルパインを購入することにした。

本来は山岳自転車競技用のようだが、特に背当ての部分が通気性に優れているし、胴締めの部分もメッシュになっているので、汗カキのボクにはぴったりだ。
ザック横には地図入れの秘密のポケットもついているし、底面にはザックカバーも内蔵されている。

妻は、
「ほかにもリュックがあるのに、なんでわざわざ買うの?」
と呆れているが、リュックはそれぞれの用途や目的で使い分けるのだ。
50Lと35Lを持っているが、50Lは泊用、35Lは20年ぐらい前のものなので、防水性はなくなって、とにかく重いので、手ごろなザックがほしくて仕方がなかったのだ。

もう少し暑さが和らいでから突撃予定。

2011年7月18日 (月)

6の意味

H高の新チームの練習が開始された。
草刈りの合間にグランドに上がってみた。

Imgp0657_2

しばらくしてあることに気がついた。
スコアボードには、いつも後攻側にH高の名が掲示してあるのだが、
先攻側の、しかも9回表だけに「6」がかけてあった。

練習試合はまだやってないので、外し忘れではないはずだ。
そこでピン!ときた。
一昨日の試合を知っている者にだけわかるサインだった。

走り込みをやっている一年生にこう尋ねた。
「あの6は、この間の試合の反省か?」
「ええ…そうです」
「そうか…頑張れよ。応援しているからな」
「ありがとうございます」

あの試合は、H高が後攻で8回裏の時点で「2-0」でリードしていた。
ところが9回の表に、急に流れが変わって一挙に6点も取られて逆転負けを喫したのだ。

新メンバーは、これから秋の県大会に向けて、スコアボードの「6」をかみしめながら練習するのだろう。
監督の想いが痛いほど感じられた。

Imgp0656_2


2011年7月17日 (日)

土日の日記

無線LANがうまくいかない。
ようやく接続を認識させたのだが、ファイアーウォールが遮断してくれているので、相変わらず有線接続しかできない。

それはよしとして、昨日は早朝から草を刈って、柳井にH高の観戦に行ったが結果はご覧の通り。

今朝も朝から残りの草を刈って、午後はハリーポッターの最終編を鑑賞する。
妻はケチなのでいかない。
いつかは地上波で見れるからそれまで待つという。
この心理が理解できない。

映画に行く前に、H高のグランドから声が聞こえてきた。
新チームの初練習だ。
上にあがってみると、背中に名字を書いた連中が多い。

監督がベンチの上にあがって、キャッチボールを観察している。
改めて選手の素質から見定めようとしているのだろう。

その後、隣山で果樹園を開拓したK氏と話をした。
ボクが実家に戻ったことや、K氏の目下の課題。

母の症状は変わらない。
妻の様子も一緒。

ボクの無線LANだけが言うことを聞かない。

2011年7月14日 (木)

老化

無戦LANのカードが届いたので、簡単セットアップで接続を試みたがダメ。
あれこれいじってみたが埒があかないので、取扱説明書を読もうとしたが、
字が小さすぎて眼鏡を外しても読めない。

仕方がないので、妻に何が書いてあるか読みあげさせたが、
ド素人に読ませると何を言っているのかさっぱり要領を得ないので昨日のところは諦めた。

最近、とみに老眼が進んでいるらしく、
職場でデスクワークをするときは遠近両用メガネがいらなくなった。
パソコンも書類もメガネをかけないほうが、よく見えるのだ。
遠くのほうも以前よりは見えるようになってきたような気がする。

これとは逆に、字が小さかったり、少しでも暗いと字が判別できなくなった。
昔は年寄が点眼鏡で新聞を読む光景によくお目にかかったが、
高齢社会を迎えて新聞の活字はどんどん大きくなってきたのに対し、
時計やLANカードのような小型家電の取扱説明書は、どんどん字が小さくなってきている。

妻は、自分の朗読力のなさを棚にあげて、ボクが買い物に失敗したと疑っている。
ボクはその疑念を晴らすために、妻に点眼鏡を買うように指示した。

今宵、再び点眼鏡でマニュアルを読んで再挑戦したが、ここでギブアップする。
今日は一時間で帰ることができた。
朝と20分ぐらい違う。

心残りはあるが、これでおしまい。

2011年7月13日 (水)

車窓

光から山口まで車通勤をしている。

毎朝、玄関を出ると瀬戸内海に浮かぶ小祝島にあいさつをする。
今朝は曇り空だったのでモノクロ画風だった。
海岸線に出ると、笠戸島がどっしりと待っている。
下松に入ると、遠くに四熊ヶ岳の特徴ある山容が見える。

徳山東ICから防府東ICまでの間は山陽自動車道を走る。
徳山西ICまではトンネルだらけで景色は全く味気ないが、トラックとカーチェイスをしなければならないので緊張する。

ところが、徳山西ICを過ぎてトンネルを抜けると、富海の海が眼前に広がってくる。
さらに天神山トンネルを抜けると、西目山、右田ヶ岳、楞巌寺山の見事な山並みが目の前に飛び出してくる。
高木のない禿げ山だが、この時期は緑に覆われて、岩と灌木の彩が見事である。
このあたりの景色がいちばんいいのだが、車窓を楽しむのもここまでだ。

一般道に降りると、通学する小学生たちが目につく。
体の半分もあるランドセルを背負った低学年が、少しマセた上級生のあとをチョコチョコついていく姿がほほえましい。
きっと、勉強がうまくいかない子、宿題を忘れた子、学校に行きたくない子もいるだろう。
けなげに学校に向かう姿を眺めていると、自分が小さかった頃や、わが子たちはどうだったかと思いを巡らし、ついつい目頭が熱くなってしまう。

すると、いつものように車線変更を繰り返す某車が追い越していった。
この車は毎朝イライラ運転をしているので、すっかり覚えてしまった。
あんな様子だと職場に着いても落ち着いた仕事はできないだろうに。

勝坂トンネルを抜けると東西の鳳翩山が見えてくる。
今日はガスがかかっていたが、いつもなら美しい稜線が優しく迎えてくれる。
山にぶち当たると職場は近い。

こうして70分の通勤は終わる。

2011年7月12日 (火)

備えあれば…

妻から引っ越しにまつわる面白い話を聞いた。

引っ越し荷物の運び出しも終盤を迎えた頃、運送屋のサブリーダーが、
台所にあった大型ベットボトルを指さして、
「奥さんは偉いですね。
ちゃんと非常用の水を置いておられるんですね。
中身を出して運んでおきましょうか?」
と確認してきたそうだ。

これに対して、妻は、
「あのう…申し訳ありませんが、そのまま運んでもらえます?」
「?…いいですけど…」
「あのう…それは焼酎なんです。主人が好きなもので買いだめしてるんです」
「……ああ、わかりました」

という、やりとりがあったらしい。
妻は恥ずかしくて、その場を立ち去ったそうだ。

実家の近くにディスカウントショップがあるかどうか分からなかったので、
とりあえず手元にある4㍑のベットボトル3本に目一杯買っておいたのだが、
とんでもない誤解を生んでしまったのだ。

「それはよかった。良妻賢母と思われたんだな」
「バカ言わないでよ!恥ずかしといったらありゃしない」
「呑む量は半分にするから、鬼殺しをやめて、もう少しいいやつにしてくれないか」
「この3本がなくなった時点で考えます」
「よし、頑張るぞ!」
「だからといってガブガブ呑まないのよ!」

鬼嫁の権力はかくも強大なのである。

2011年7月11日 (月)

床屋

30年ぶりだろうか、小さい頃に行きつけだった床屋に行った。
見覚えのある主人に、
「ボク誰だかわかりますか?」
「……見たことがある顔だけど、どなたでしたっけ?」
「ほら、ヤブ山家の次男です」
「??おお、ヤブ山家の!帰ってきたのか?」
「定年までにはもうちょっとありますが、そろそろ母をひとりにして置けなくなって、二週間前に戻ってきました」
「そうか…それにしても亡くなった親父さんとそっくりになったな」

この床屋には、中学生まではよく通っていたが、高校生になるとカミソリで適当にカットするようになって、就職して自宅から通っていた6年間世話になって以来である。

それから小さいときの話をしながら散髪してもらった。
主人はボクより少し年上で、当時は父親の手伝いというポジションだったが、今では代替わりして、自分が主人で次男夫婦が手伝うようになっていた。

「次男の君は山口の○○に勤めているんだろ? 兄貴はどこか遠くにいっているんだろう? 下の元気のよかった妹はどうしてるの?」
「??…まあよくご存じで…」
「ここは床屋だぞ。そんな情報はすぐに入ってくる」
「へえ…うかつなことはできませんね」
「ところで親父さんが亡くなって何年たったっけ?」
「平成元年ですから、かれこれ23年です」
「親父さんは髪の毛が硬いし多いし大変だった。○○ちゃんの毛は少しは柔らかいが、毛の数は多いな。白髪もずいぶん増えたが、禿げないから安心しろよ」

山口の時とはちょっと違う髪形になって、
「これからよろしくお願いします」
と言いながら店を後にした。

2011年7月10日 (日)

日曜日の日記

朝7時から川のクリーンアップ作戦。
一時間で終わって、地区の社の草刈りへ。

ボクが引っ越してきたことのあいさつをして、一時間の作業。
その後、昼まで田の畔の草刈り。

体中の水分が抜けたので、昼にビールを飲む。
これが今までと違うところだ。
昼寝をする代わりに、H高の野球部の練習試合を観戦。

五時になってから再び草刈り。
まだ暑いが、それでも浜風が吹いてくるのがありがたい。
母を交えて夕食をとる。

引っ越してきた時の約束で、
平日は自分で全てすること。できるだけ頑張る。
土日の昼と夜は一緒に食事をする。
買い物は、嫁が毎日誘うので、できるだけ一緒に出ること。

こんなヤブ山家のセカンドバージョンが始まった。

新しい生活

母と暮らし始めて二週間経過した。
ボクは6時半過ぎに家を出て、何もなければ夕方7時頃に帰宅する。
したがって母と顔を合わすのは夜に限られる。
母は8時過ぎごろに仏壇に向かうので、その前後にリビングに顔を出す。

20~30分雑談するのだが、以前に比べてかなり落ち着いてきた。
物忘れが頻繁におこることに変わりはないが、切羽詰まって病院に駆け込んだり、パニック状態が沈静化してきた。

妻の観察によると、朝は元気はつらつで、畑や田んぼの世話をしているそうだ。
ところが、うとうと昼寝をしたあとになると物忘れが激しいらしい。
昼寝の間にカレンダーが一日以上進んだり戻ったりするらしく、午前中に話したことをよく忘れているそうだ。

昨晩、母に週一回のデイサービスの感想を尋ねてみた。
「年寄りが多くて私が一番若そうだし、ままごとみたいな作業ができない人が多くて、わざわざ行く必要があるのかわからないけど、ときどき外にいかないといけないと思って通っている」
という返事があった。
「ときどき化粧もして出かけないと、引きこもり老人になるからね」
とはっぱをかける。
「よし、まだまだ頑張らないとね」
と威勢がよいが、明朝には忘れてしまっている。
明日も同じことを聞いて、同じような返事が返ってくるのだろうが、
「ふ~ん、そうかね」
と辛抱強く相手をしてやらなければならない。

内科の通院は妻が送迎しているが、月一回の認知症の診察には妹が立ち会っている。
妻に言わせると、
「医者から認知症の具合を尋ねられた時に答えにくいので、○○ちゃんにお願いしているの」
実の親だとずけずけ言えるが、やっぱり嫁と姑の関係は気を使うようだ。

この土日は、町内会の川掃除や残りの草刈に精を出す。
そろそろ梅雨も明けそうなので、ヤブ山もぼちぼち再開できそうだ。
T隊長やIさんとも暫く会っていないし、ぴっけさんとの約束も果たさなければならない。
先日、山口山の会のY代表と立ち話をしたが、
「これからは六日市ICの駐車場に集合」
ということになりそうだ。

復活します

やっとADSLに接続できた。
本日夜からブログを再開します。

コメントもいただいておりますが、レスももうちょっとあとで失礼します。

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