2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月30日 (金)

エマージェンシーキット

登山時の非常用キットの話である。

先日の三徳山・大山登山時の、「妻のスニーカー事件」のことは書いたが、実はボクにもトラブルがあった。

宝珠山の稜線で休憩中、いつものようにメガネを外して地図を確認した。
見終わってメガネをかけたら、周囲の見え方が異常である。
ピントが合わないというよりも、深度がめちゃくちゃで、頭がクラクラした。

メガネを外してみると、右のレンズがなかった。
あわてて足元を探したら、幸運にも靴の横に落ちていた。
「やれやれ助かった」
とフレームにはめようとしたら、細ネジが折れてフレームが口を開けたままになっている。

「どうやって留めるか?」と思案する。
いつもは、ウエストポーチにビニールテープとナイフを入れているのだが、今回は通常のコースだからテープは要らないと思い、わざわざ持ってこなかったことを悔やむ。

「何か使えそうなものは…」
と、エマージェンシーキットの中身を思い浮かべる。
…ヘッドランプ、ラジオ、電池、エマージェンシーフィルム、細引き、ライター、ロウソク、救急セット、ティッシュ、メモ帳…しか入れていない。

そこでピン!ときた。
救急セットを引っ張り出して、ナイフでカットバンの粘着テープ部分を切り取り、フレームとレンズを接着した。
「はっ、はっ、は~、どうだすごいだろう!」と自慢すると、妻は、
「みっともない!」と冷たい言葉を吐いただけだった。


昨年、宮之浦岳の登山中に、妻の靴のソールがバックリと口を開けた時に、細引きをカットして、アイゼン風に結わえてソールを縛ったことがあった。
この時、「やっぱり針金を入れておけば良かった…」と思ったのだが、帰ってからすぐに用意していなかったので、すっかりそのことを忘れていた。

そこで、今回のことを教訓に、非常用キットに、針金と小さいラジオペンチ、そしてガムテープを追加することにした。
軽量化するために、プラスチックの板に、ガムテープと針金を1mぐらい巻きつけておこうと思う。
ペンチはどうするか?…今のナイフは三徳なので、ペンチがついていない。
十徳を購入するか、代用品を探すか…これは現在、思案中である。

参考までに、ウエストポーチには、地図、コンパス、三徳ナイフ、テープ、ライター、ボールペン、メモ帳、ティッシュ、貴重品を入れている。
(ティッシュではなく、トイレットペーパの芯を抜くのが山ヤの王道であるが、それでも嵩張るので、ボクはモンベルの水溶性ティッシュを使っています)

さて、そこで余談(実はこれが本題なのです)だが、さっきのメガネ事件の1時間前に、もっとやっかいなトラブルがあった。

…宝珠山の稜線手前で、ボクが「キジ打ち」を催してしまったのである。
どうにも我慢できなくなったので、
「ティッシュ、ティッシュ!」とつぶやきながらポーチとキットの中を探してみたが、たまたま両方とも使い切っていた。
仕方がないので、
「ティッシュを貸して」と妻に頼んだら、
「車においてきた」という衝撃の答えが返ってきた。
「おまえ!それでも女か!」(本当は言っていません)
…ということで、額に巻いていたバンダナはどこかに行ってしまったのでありました。くれぐれもエマージェンシーキットの点検と改善は怠りなく…おしまい。

2011年9月29日 (木)

介護認定

母は、この4月に「要支援1」の認定を受けている。
今回、6カ月経過したので、改めて認定を受けた。

医者の診断、ケアマネージャーの面接等を経て、判定会議に諮った結果、「要介護1」になった。
最も軽い「要支援」から、いよいよ要介護段階へ突入である。

母は、掃除、洗濯、食事の支度、畑仕事など、効率は落ちたものの、何とか自分でこなせる。
初めての認定の際に、認知症の診断があるので要介護という話もあったのだが、初めてなので「要支援」でスタートさせてもらったが、症状に変化がないので、正式に「要介護認定」になったようだ。

認知症というものは、ボクたちが想像していてものとかなり違っていた。
老人性のボケが進んだようなイメージだったが、全体としてボーッとボケるのではなく、記憶障害と意欲の低下が問題である。

瞬間瞬間は、それなりに対応できるし、会話も以前と特に変わりはない。
しかし、5分前の言動を忘れるし、今日が何曜日で何をする日なのか、昨日何をしたのか、さっき会った人は誰だったか…全然思い出せないそうだ。

買い物に行くときも、予め何を買うか紙に書いていくのだが、スーパーに行ったら、そのメモのことを忘れて、決まって、かぼちゃとパンとジャムをカゴに入れるそうだ。
嫁が、「おかあさん、かぼちゃはまだ冷蔵庫にありますよ」と言って元に戻しておいても、レジに並ぶ時には、かぼちゃがかごに入っていることがしょっちゅうあるらしい。

冗談も言うし、喜怒哀楽はボクたちと同じなのだが、とにかく次から次へと記憶が飛んで行ってしまう。
昨日も、三回もお地蔵さんのお参りに行ったそうだ。

今までは、週一回デイサービスに通っているが、これを少し増やそうかという話をするつもりだ。
「わたしは、畑やら田んぼがあるので忙しいから…」
と消極的だが、外にも出ない日もあるので、引きこもり状態にならないように、ボクたちは、適当な刺激を受けた方がいいと進言している。
母の言うことが毎回変わるので、どうなるか分からないが、ボクたち夫婦と妹の三人で説得するつもりだ。

畑仕事はよくするが、雑草は引いても、なすびを収穫することを忘れている。
先日も、ジャガイモの種イモがいつまでたっても倉庫においたままなので、
「そろそろ植えたら?」
と言ったら、夜中の9時過ぎにもかかわらず、種イモを切り始めた。
翌日、そのイモを見て、「だれが切ったの?」と聞く。
昨晩の言動を話すと、「そうかね」と不思議そうな顔をする。

ボクが仕事から戻って、畑を確認し、
「ちゃんと植えたね」と声をかけるが、きょとんとしている。
「私が植えたんかね…こんな頭になってしもうて…どうしよう…」
「だからボクたちが早めに戻ってきたし、近くに○子もいるから大丈夫。忘れる病気なんだから、それは仕方がないんよ」
「そうかね…」

先日、ボクたちが大山登山で出発する時も、「気をつけてね」と言いながら庭先まで見送ってくれたのだが、夕方になって、近くに住む妹が寄ってみると、
「二人ともおらんのよ。黙ってどこかに行ったのかねぇ」
とつぶやいていたそうだ。
念のため、部屋のカレンダーに行き先と帰宅時間を書いていったのだが…。

翌晩、大山から帰って二人で離れを覗いてみると、
「あんた、また飲みじゃんたんかね。○子さんが迎えに行ったの?」
と言う。この二日間が一日になっているらしい。
土産を渡しながら、大山のことを話すと、以前、亡父と旅行した時のことを懐かしそうに話し始めた。

山道具を倉庫に片づけていると、倉庫の片隅に母の自転車がぽつんと寂しそうにしていた。
母の時間だけゆっくりと渦を巻くように流れていく。

2011年9月27日 (火)

お父さんの日記

今日は、仕事で30分ほど話しをするミッションだった。
それにしても30分は長い。
その間に、寝ても起きても、まだ時間がある。

しゃべる方にしても、15分と30分では、時間以上に話す内容が変わる。
話を持ちかけてきた部下に、
「15分ぐらいにしてくれぬか…?」
と頼んだが、その時はもう遅かった。

「はじめまして…ヤブ山と申します」
…で、すぐに3分経過。

はじめの20分は快調だったが、途中になって、のどがイガイガして困った。
水を飲んだが、イガイガはとれない。

「え~~!おっほん!」
と、わけのわからないせき込みをしたら、エンディングが近い。

…どうしようかと、頭のてっぺんが葛藤していたら、あつかましい自分が、
「本日は、おかげさまをもちまして…」
と最後のあいさつをしていた。

…とにかく、おじさんたちが…お金を儲けるのは大変なのです。

2011年9月26日 (月)

三徳山・大山(ユートピア)~番外編

三徳山では、投入堂まで参拝に行く人の靴をチェックしている。
ソールが平らなスニーカーはダメで、ゴツゴツした運動靴ならばOKという微妙な判定があった。

その結果、入山不可とされる人も多く、それでもなお登りたい人は、
妻のように靴を履き替えてくるか、
500円の「わらじ」を買うかである。

意外にわらじを買う人も多く、ボクたちの前の若者の団体では、二人の「わらじ組」が生まれた。
ほかの連中からは、
「貧乏くせ~! チョーみじめ!」
とからかわれていたが、そのうち湿った木の根や、濡れた岩場を歩くたびに、わらじがきわめて有効であることが実証されると、それまでみじめだった二人が急に勢いを取り戻し、先頭を引っ張りはじめた光景は面白かった。


その夜は、大山寺周辺の安宿に泊まったのだが、行ってみると、冬場の団体スキー客専用の様子。
しかも、三連休なのに、宿泊客は我々二名だけという非常に不安なロッジ?だった。

安宿風の部屋や設備だったので、それなりに納得していたが、夕食に驚いた。
厨房から、奥さんが、
「きのこ…大丈夫ですか?」
と聞かれたので、「全然OKです」と答えた。

まもなく、主人が採ってきた「天然のマイタケ」のバター焼きと天ぷらが出てきた。
盛り付けもなかなか凝っている。
下手な温泉旅館の懐石料理より、はるかに「まし」であった。

ボクは飲み放題の焼酎をあおりながら、旦那と田舎談義をした。
そのロッジの外観は、周囲に比べて実に見劣りしていたが、旦那の人柄と、奥さんの性格・料理上手には、さすがの我が女房も舌を巻いていた。
それにしても、キノコ料理があれほどうまいものだと初めて知った。


大山では、ユートピア小屋からの下りの途中、
登山道の脇に座り込んでいる若者に出会った。
声をかけたら、
「ここはどのあたりですかね?」
と聞いてきたので、
「中宝珠越と下宝珠越の中間あたりだ]
と答えたら、とても喜んでいた。

わけを聞くと、早朝から夏山登山道で弥山に登り、行者コースを下ってユートピアコースへ合流しようと思ったけれど、元谷の荒れようが激しくて、砂場走りの痕跡が見つからなかったので、意を決して宝珠山縦走路に這い上がってきたそうだ。
まさにヤブ山突撃隊である。

妻は、「やみくもに這い上がって、運が良かっただけなの?」
と言っていたので、
「バカ! あそこには縦走路があるから這い上がるのと、たまたま這い上がったら縦走路があった、とでは天と地ほどの違いがあるのだ」
と言い聞かせたが、
「ばかなひと!」
と理解してもらえなかった。
…トドはそういう類の生物である。

2011年9月25日 (日)

三徳山と大山

六月に実家に戻って以来、ずっとどこにも出かけていない鬼嫁が、
「どこかにいくのなら、ついていってあげてもいいわよ」
と、上から目線で強要するので鳥取に行った。

まずは、投入堂の「三徳山」。
観光客が多い。
ボクはサンダルからミドルカットの軽登山靴に履き換えたが、妻は横着してそのままスニーカーで受付へいったら、
「その靴はだめです!」
でアウト。

妻は、ボクを恨めしそうに見つめた。
妻の登山靴は二百メートル下の駐車場まで戻れば車の中にある。
妻は口にはしないが、ボクに取りに戻れ!と目配せしているのだが、ボクは潔く車のキーを渡した。
「私が行くの?」
「ここで待ってるから」
「…わ、た、し、が?」

ばちが当った鬼嫁。
木の根っこと格闘中。
003

これが投入堂。
このなかに投げ落としたくなる人が一名いる。
013


さて、翌日は大山のユートピアへ。
017


猛烈に荒れたゴーロ沢を歩く。
「これがホントのコースなの?」
と詰問される。
でもこれが今の元谷の現状である。
022

次第にゴーロも終わり、大山の北壁が見えてきた。
027

ところどころに痩せ尾根があって、宝珠山越えのルートも下コースしか残っていなかった。
朝が早かったので、先行者が少なく人の声がない。
何度も妻を待ちながら、ザレ場を越えていくと、ユートピア小屋が見えてきた。
029_2

谷を大きく回り込んでユートピア尾根へ上がる。
ここから三鈷峰へ。
036

ユートピア小屋でラーメンをすする。
目の前の乗っこしが美しい。
039

大山北壁の崩れようがすさまじい。
035

三鈷峰から剣ヶ峰方面を振り返る。
037

これ以上は妻は無理。
ボクだけ少し先まで上がり、剣ヶ峰方面と大休峠までのバリエーションルートを確認した。


あとは宝珠山まで直線的に下って、中の原スキー場の上部に出る。
二人とも重い体重を感じながら麓まで下った。
042

大山はバリエーションコースが興味深い。
たぶん面白そうな気がする。

2011年9月19日 (月)

沈澱日記

曇り時々雨の天気なので何もできない。
はちべえどのご推奨の本でも借りようと図書館に行ったら、祝日なのに休館日。
結局、本屋で北杜夫の文庫を買う。

昼から、陰干ししていた登山靴にミンクオイルを塗る。
ローバー製の皮靴もかなり傷んできた。
ソールは一度張りかえたが、なめし皮の表面にはあちこちに深い傷が目立つようになった。

倉庫に入ったついでに、刃物類を研ごうと思い立つ。
四種類の砥石をバケツに浸けて、鎌を六本、鉈三本、剪定バサミ二本を仕上げた。
刃先を触ってみるとなかなか鋭い。
ボクの研ぎもかなり熟練してきた。

そろそろ草刈り機の研ぎ機を買いたいが、結構いい値がするので手が出ない。
チェーンソーの目立て機もほしい。
でもコンバインのバッテリーを買い替えないと…。

今日はH高の野球部はお休み。
コオロギとセミの声ばかり。

明日から仕事再開。
5時起きの日々が始まる。

2011年9月18日 (日)

共生

昨日は、いつもの時間に出て山口まで行った。
秋の高校野球の県予選だ。

母校が進出していたので、万難を排して、しかも高速道路で急いだ。

…結果は知るべし。

今日、実家の周りの草を刈っていると、
部員がボクの横を帰っていく。

いつもだと話しかけないのだが、今日は草刈り機をとめて、
「昨日は惜しかったな!
 いつも応援しているぞ!
 昨日は山口まで行ったぞ!
 あのホームランは痛かったな
 頑張れ! おまえらはH高だぞ!」
と伝えた。

真っ黒に焼けた10代の若者は、汗まみれのおじさんのだみ声尾を聞きながら、
直立不動で聞いていた。

「早く帰れ!
 H高は…次に倒せ!」

たぶん、次は勝ちます。

2011年9月15日 (木)

ボクの弱点

〈羽生名人〉
「一時間以上考えているときは、考えるというより迷っている」

〈ウィンストン・チャーチル〉
「恐れは逃げると倍になるが、立ち向かえば半分になる」


…ここ数週間、どう処理すべきか決めかねていた仕事上のトラブルがあった。
昨日、一気に「エイ!ヤー!」で腹を固めて臨んだら、どうにか道が開けてきた。

振り返ってみると、ずっと考え続けていたわけではなく、ずっと迷って、ずっと逃げていただけだった。
なぜ決断する気になったのか…。

どうやらきっかけは、先日の山行にあった。
このところ山に行かなかったのは、母や家のことが気にかかっていただけではなく、この問題がずっとボクの重荷になって、とてもそんな気になれなかった。

久しぶりに深山に立ち入った。
そして、ガクガク尾根のガクガク杉に再会した。

彼は、数百年は生きている大木だが、過去数度にわたって幹を折られ、巨木の仲間から外れている。
今回、出会ったら、残った幹をさらに失って、見るも無残な姿になっていた。

それでもなおそこに立っていた。
とにかく生きていくという気迫だけがみなぎっていた。

 背伸びは成長する時だけ、そっとやるべし。
 みんな それを 知っている。

この歳になっても まだ迷っている自分が情けない。
どうして早く決断せぬかと 背後の自分が笑う。

振り返りながら、
「さっさとどこかへ行け! お前はおれのお荷物だ!」
と罵倒するが…いまだ姿は見えぬ。

…ホントに情けない。

2011年9月13日 (火)

ヤブ山突撃隊・再考

ぼっちさんが、

 山慣れしていない家族や知人のリスク管理しながら歩くか、
 一人で歩くか、だけだったので、
 信頼できる仲間と共にいながら自分の力を出す事に集中できる事が
 何とも心地良い突撃でした。

とコメントを書いておられたので、ヤブ山突撃隊のことを振り返ってみた。

そもそも、このグループは、たまたま職場が一緒だった三人が話をしているうちに、
「山に登られるんだったら、このあいだ女房を連れて登れなかった…あそこにいってみませんか?」
と誘ったのがきっかけで結成したグループである。

だから、ヤブ山突撃隊で、九重に行ったり、アルプスに行くことはない。
一緒に行くのは、きまって猛烈なヤブ漕ぎや谷歩きである。
だいたいいつもボクが、
「あそこが面白そうなので行ってみませんか?」
と声をかけている。

そんな関係だから、ヤブ山突撃隊には、役割分担や上下関係は存在しない。
あるのは、Tさんが隊長、Iさんがクマ対策特殊部隊長、ボクが従軍記者という肩書?だけである。
食料は各自持参で、共同で何かを作ったり、特別な走査・調査目的があるわけでもない。
あるのは、「えらかったが、ここはええところじゃのう」だけである。

早い話が、ボクの冒険のために二人につきあってもらっているようなものだ。
いつもボクが先頭を歩いているが、
「自分が歩けるのであれば、あとの二人も歩ける」
と思っているので、意識して仲間を気遣うことはない。
自分が突破できないと判断したら、後の二人に声をかけて違うルートを探してもらう。
…つまり、自分が三人いるような感覚で成り立っているような気がする。

だから、例えば、行く手を大滝に阻まれたら、
三人のボクは、左右の高巻き道を探したり、帰りをどうするかを考えている。

これが妻や子供たちと一緒になると、
「こっちで大丈夫なの?」
「うるさい!これでいいんだ」
と命令調になる。

団体の場合であれば、
何も考えずについていくか、
「違う気がするんだけど…」
と思うか、もめるような気がする。

ところがヤブ山突撃隊になると、
「なんかヤバそうだな。ちょっと違うような気がするなぁ」
「さっきのところから巻くべきだったかなぁ」
「とりあえずもうちょっと上まで行ってみようか」
…程度の自問自答的な会話になるのだ。

さて、今回の突撃は、Y代表が、
「つむぎ峡を歩いていないので、最近知り合った例のぼっちさんと一緒に行ってみませんか?」
と、声をかけてこられたので、彼なら何の気づかいもいらないと判断して、すぐにOKした。

ぼっちさんは、山口県に来られてからヤブ山突撃隊のサイトを知って、
「一緒に歩いてみたいな」
と思われたそうだが、僕たちには技術も目的もないので、
先日それを聞かされた時は正直恥ずかしかった。
こんな無色透明な仲間でよかったら、いつでもご一緒しましょう。


さて、今回のつむぎ峡だが、水量はまあまああったものの、登山靴でどうにか乗り越えることができた。
ただし、ぼっちさんも言っていたように、単独で入るには強靭な精神力が必要だろう。
怪我をして動けなくなったら、我々のような連中がたまに入渓してくるまで見つからない。

みささファクトリーパークの管理人さんでも、遊歩道までしか行かないようだから、自己責任でやるしかない。
このブログを見て、現地に行かれる人もおられるかもしれないが、遊歩道が踏み跡に変わり、やがて沢の中を歩くようになったら、普通の人だったらまず引き返すはずだ。
そのくらい孤独感と恐怖心を満喫?できるところだ。

体力の違う団体で行くのも考えものだ。
前に進めなくなって途中で引き返すことになると、濡れた岩場を下る羽目になるので、かえってリスクが高くなる。
一度入ってしまったら、我々のようにガクガク尾根に這い上がって、どこかの支尾根を下るほうがリスクが少ないだろう。

くれぐれも自己責任です。

2011年9月11日 (日)

再び「つむぎ峡」(島根県益田市匹見町三葛)~その3

小屋跡まで上がってみると、ぼっちさんのいうとおり缶ビールの缶が散乱していた。
どのラベルも有名メーカーだが、ボクたちには見覚えがない。
のん兵衛の我々が知らないのだから、相当昔のものだ。
015


ここから先はガクガク尾根に這い上がるだけだ。
そろそろ沢水も少なくなってきた。
016


沢が終わるとガクガク尾根にとりつく。
この頃には、ぼっちさんを除く四人はすっかり体力を消耗し、灌木尾根の中を何度も大休止に近い?小休止を繰り返しながら、ぜーぜーと息を切らしてようやく尾根に這い上がった。

ガクガク岩はすぐそこのはずだが、杉林の縦走路にへたりこんだまま、
「ここでいいからメシにしましょう」
すると、ぼっちさんが、
「ボクはT隊長を見習って、焼きそばを用意してきたんですが」
と言って火器を断念した。(T隊長はコンビニ弁当でした)

それからガクガク岩や三つ岩、ゴトゴト岩など、ぼっちさんの詳細な研究結果を聞く。
ぼっちさんは山野草にも詳しく、今回もそれが縁でご一緒することになったのだが、歴史・文化にも積極的に取り組まれており、ボクたちは彼の話を、
「ふむふむ…なるほど」
と聞くばかりであった。

さて、いよいよ最後のハイライト「西のヨケ岩」である。
ここからゆっくり大展望を楽しもうと岩まで這いあがって座り込んだ。
それと同時に、Iさんが、
「ヤブ山ちゃん…後ろにいるのはマ・ム・シじゃないの!?」
という恐ろしい発言が聞こえた。
足元は切り立った岩場の上である。

前には逃げようがない上に、ボクの背後にいるというのだ。
まだ手袋ははめたままだし、革製の登山靴にスパッツがあるので、
「えい!」
と気合を入れて立ち上がって素早く後ろを見ると、すぐ足元の茂みにマムシが見えた。

後ろによろめいたりしたら転落だし、茂みを越えなければ岩から降りることはできない。
それほど大きくはないし、頭をこちらに向けていなかったので、ゆっくりと目の前のストックを取り上げて、岩場をコン!と叩くと、ゆるゆると岩場の割れ目に入って行った。
「Iさん、ありがとう。後ろに手を突いたりしたらガブリ!でした」
「西のヨケ岩の主ですか」
「ちょっと小さかったけど、マムシはマムシ…」
と、最大のピンチを脱した割にはノー天気に後谷山をめざした。

後谷山を過ぎてから谷をそのまま下り始めたら、ぼっちさんが、
「このまま直接下るの?尾根からではないの?」
と少し呆れていたが、「面倒だし…」とごまかしながらワサビ小屋に降り立った。

朝8時から午後4時までの8時間の突撃だった。
おじさんたちは衰え始めた体力を嘆きながら、
「ぼっちさんは元気だね。体力はあるし、研究熱心だし」
と感心しきりであった。

匹見峡温泉で汗を流し、恒例のキムチ鍋をつつきながら、ぼっちさんの色々な話を聞いた。
お互いに素性は分かっているので、仕事にかかわるきわどい話や、サイトで取り上げた裏話など楽しいひと時であった。

ボクはすっかり酔っ払って午後10時ごろにはふとんに潜り込んだが、ぼっちさんとY代表は夜中の3時頃まで語り合ったそうだ。
彼らは山野草の調査という共通の趣味もあるし、同年代なのですっかり意気投合したようだ。

ぼっちさんには、こんなおじさんたちの遊びに付き合っていただいて感謝している。
体力・知力とも相当差がありますが、ときどき遊びましょう。
みなさん、お疲れさまでした。

※歩いたラフなルート 「tumugi2index_1.html」をダウンロード


再び「つむぎ峡」(島根県益田市匹見町三葛)~その2

念願の滝を超えると、なだらかな形状となり、きれいな二俣に着いた。
010


ぼっちさんが、
「左沢には小屋跡がありますよ。昔の缶ビールの残骸も」
と言うので、
「そっちにしましょう。できるだけ奥の方へ行きたいから」

やや疲労感のみられるT隊長とIクマ対策部隊長
011


どっちの沢に入るか話し合い(左からぼっちさん、T隊長、Y代表、Iクマ対策特殊部隊長)
012


小さい滝を超えると小屋跡が見えてきた。
こんなところで何の作業をしていたのだろうか。
014

(その3へ続く)


再び「つむぎ峡」(島根県益田市匹見町三葛)~その1

台風の影響による雨の予報だったが、前日夕方からは晴れのマーク。
集合場所の「みささファクトリーパーク」についてみると、すでに一台の見慣れない車が止まっていた。
たぶん初対面の「ぼっちさん」だろうと挨拶する。

「おはようございます。ヤブ山の○○です」
「はじめまして○○です」
ぼっちさんは、山ヤのオーラが漂う精悍な顔をしたおじさんだった。

二人で話をしているうちに、ヤブ山突撃隊のT隊長とIさん、そして今回の仲人役のY代表が到着した。
ぼっちさんと初対面のT隊長、Iさんがあいさつをする。
「あなたがT隊長さんですか。あなたがIクマ宅策の部長さんですか」

かなり前からボクたちのHPを覗いておられるようで、いろいろなことに詳しかったので照れくさかった。
ぼっちさんの車にはヘルメットなど色々な装備が積んであって、バリバリの山ヤであることがすぐにわかる。

今回は、山口山の会のY代表のリクエストにより、つむぎ峡の「ウサゴエ谷」を最後まで詰めて、ガクガク尾根に這い上がる突撃となった。
ボクたちも前回、最後の大滝のところで突破を断念して、ウサゴエ谷の上流部を確認しないまま尾根に上がっているので、リベンジも兼ねているのである。

車で数分のところにあるつむぎ峡入口に行く。
ぼっちさんは渓流靴のいでたちだ。
あとの四人はいつものように登山靴スタイル。

遊歩道が終わり巻道から沢に降り立つと、岩がまだ濡れていた。
ぼっちさんは渓流靴でスイスイ上っていくが、あとの四人は滑らないようにそろそろと遡及する羽目になった。

やがて初めの大滝が現れた。
003_2


ぼっちさんが、
「はじめはヤブ山突撃隊のサイトどおりに左を巻きましたが、右に高巻きの道があるのに気がつきました。露岩の二又の上部まで続いています」
と教えてくれたので、左岸に這い上がってみると薄い踏み跡があった。
露岩の二股を高巻くときに合流しているのだが、それが大滝まで続いているとは気づかなかった。

ここから右のウサゴエ谷に入る。
左右の巻道や沢の中を歩くが、岩がぬれて歩みが遅い。
ぼっちさんだけが渓流靴で軽快だ。
やがてボクの大好きな地点に着いた。
渓流と大木のコントラストが素晴らしい。
005_2


いよいよ最後の滝である。
007


左岸を巻きながら撤退地点に着いた。
前回は岩が露出して突破をあきらめたが、ぼっちさんの先導であっけなく崖を超えた。
この頃になると、這い上がる力が萎えてきて、ぼっちさんに何度も待ってもらうという情けなさであった。

さて、いよいよ最後の滝を超えると、念願のドラム缶に出会った。
「ぼっちさん」や「山歩きさん」のウサゴエ谷上部の記述に必ず出てくるもので、ボクたちはこれを見ないまま早めに尾根に逃げているので、ずっと気になっていた代物である。
「おお…これですか…なるほど、なるほど」
008_2


(その2へ続く)

2011年9月 7日 (水)

いたちごっこ

夕方家に帰ってみると、田んぼに水が入るようにしてあった。
また母の仕業である。
穂が垂れてきたこの時期になると、水張りはほとんど不要である。
ましてや数日前に雨が降ったばかりだ。

我が家の田んぼは、ずいぶん以前、危険ため池の埋め立てに伴い、地下水をくみ上げるポンプを設置してもらっている。
このポンプが家のすぐ横なので、簡単にスイッチを入れることができるのだ。

認知症が進む母がこれに乗じて?三日に一度はスイッチを入れるようになった。
いくら直前に雨が降っていようが、気が向いたらおかまいなしにスイッチを入れるようになった。
スイッチを入れる時に雨さえ降っていなければ、「水を充てないと…」になる。

妻も観察しているが、ボクも出勤前後に確認するようにしている。
二回に一回はスイッチを切ることになる。

「水は止めておいたからね」
と言っても、
「ああ…そうかい。水を充てちょったんかいね…」
という返事が返ってくるだけだ。

これがずっと続いていくのだろう。

2011年9月 6日 (火)

山行

今週末、ヤブ山突撃隊の三人と、山口山の会のY代表、そしてリンク仲間のB氏の五人で、匹見に突撃する予定だ。

B氏とはネット仲間だが、全くの初対面になる。
たまたまY氏がB氏と接触する機会があって、
「ヤブ山突撃隊はどんな人たちなのか?」
という話になったそうだ。

今さら立派な大人にはなれないので、酔い潰れないように晩酌の練習をしているが、妻に言わせれば、
「飲む量を増やしたいだけでしょ。
 飲みたいのなら、はっきりそう言いなさい。
 いい年して みっともない!」

▼ぴっけさん
 ということなので、ジョシ谷の約束は来週以降で、都合のいい日をメールしてください。
 当方の稲刈りは10月。そちらは、運動会もあるようなので、月内で都合のいい休日があればいいのですが。

2011年9月 5日 (月)

群発性痴呆症候群

母とボクの痴呆が進み、大変なことになってきた。

金曜日の夜、酔っ払ったまま山口線から山陽本線に乗り換えたまでは良かったが爆睡。

いきなり、人がざわざわと降りて行く音に目が覚めて、思わずとび降りてしまった。

電車が去り、人が消えていくと見たこともない駅の風景だった。
「SF世界もさりありなん」
と思ったが、めざす徳山駅まではるか手前の防府駅であった。
さっきのが最終電車のようだ。

念のために改札口で確かめたが、
駅員が、気の毒そうに、
「今のが最終ですから…払い戻しいたします」
と570円くれた。

駅前にきらめく「SPホテル」に泊ろうと思ったが、2時間前から、徳山駅まで迎えに来るように連絡していた妻にメールする。
「防府駅に降りてしまいました」
「なに?」
「だから防府駅におりた!」
「防府まで行くの?」
「来ないなら、ここでとまる!」
「ほんとに いくの?」
「いつまでも…まつ…所存です」(…というメールを打ったらしい…のです)

高速道路を走れない妻が、それから一時間近く防府駅までやってきた。
女房に、
「すまぬ…すまぬ」
と、声をかけた(…らしいのだが)ら、
「もう!…金輪際!…迎えにはいきません!」
と言ったので、
「(やかましい!ここで降りる!おろせ!バカたれ!…と叫んだらしい)」

妻はボクを蹴落としたりはしなかったが、二人とも無言で家に戻った。
(…らしい。ボクは爆睡していたらしいが、ホントは妻のことを気遣っていた…らしい)


最終列車にちゃんと乗って、最終駅の手前に降りた僕は…かなり優等生であった。
あらゆる危険性を排除したつもりだったが、すべてが最悪の結果にになった。

妻には、はじめは光駅、次には徳山駅、最後は防府駅に迎えに来てもらったのだが、反対方向の柳井駅にUターンさせたわけではないので、ボクとしては、よくやったはずだ。

ようやく金曜日の記憶が戻ったので、妻に上記のことを話したら、完ぺきな逆襲にあいました。
「のんだらとまれ」

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »