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2011年9月11日 (日)

再び「つむぎ峡」(島根県益田市匹見町三葛)~その3

小屋跡まで上がってみると、ぼっちさんのいうとおり缶ビールの缶が散乱していた。
どのラベルも有名メーカーだが、ボクたちには見覚えがない。
のん兵衛の我々が知らないのだから、相当昔のものだ。
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ここから先はガクガク尾根に這い上がるだけだ。
そろそろ沢水も少なくなってきた。
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沢が終わるとガクガク尾根にとりつく。
この頃には、ぼっちさんを除く四人はすっかり体力を消耗し、灌木尾根の中を何度も大休止に近い?小休止を繰り返しながら、ぜーぜーと息を切らしてようやく尾根に這い上がった。

ガクガク岩はすぐそこのはずだが、杉林の縦走路にへたりこんだまま、
「ここでいいからメシにしましょう」
すると、ぼっちさんが、
「ボクはT隊長を見習って、焼きそばを用意してきたんですが」
と言って火器を断念した。(T隊長はコンビニ弁当でした)

それからガクガク岩や三つ岩、ゴトゴト岩など、ぼっちさんの詳細な研究結果を聞く。
ぼっちさんは山野草にも詳しく、今回もそれが縁でご一緒することになったのだが、歴史・文化にも積極的に取り組まれており、ボクたちは彼の話を、
「ふむふむ…なるほど」
と聞くばかりであった。

さて、いよいよ最後のハイライト「西のヨケ岩」である。
ここからゆっくり大展望を楽しもうと岩まで這いあがって座り込んだ。
それと同時に、Iさんが、
「ヤブ山ちゃん…後ろにいるのはマ・ム・シじゃないの!?」
という恐ろしい発言が聞こえた。
足元は切り立った岩場の上である。

前には逃げようがない上に、ボクの背後にいるというのだ。
まだ手袋ははめたままだし、革製の登山靴にスパッツがあるので、
「えい!」
と気合を入れて立ち上がって素早く後ろを見ると、すぐ足元の茂みにマムシが見えた。

後ろによろめいたりしたら転落だし、茂みを越えなければ岩から降りることはできない。
それほど大きくはないし、頭をこちらに向けていなかったので、ゆっくりと目の前のストックを取り上げて、岩場をコン!と叩くと、ゆるゆると岩場の割れ目に入って行った。
「Iさん、ありがとう。後ろに手を突いたりしたらガブリ!でした」
「西のヨケ岩の主ですか」
「ちょっと小さかったけど、マムシはマムシ…」
と、最大のピンチを脱した割にはノー天気に後谷山をめざした。

後谷山を過ぎてから谷をそのまま下り始めたら、ぼっちさんが、
「このまま直接下るの?尾根からではないの?」
と少し呆れていたが、「面倒だし…」とごまかしながらワサビ小屋に降り立った。

朝8時から午後4時までの8時間の突撃だった。
おじさんたちは衰え始めた体力を嘆きながら、
「ぼっちさんは元気だね。体力はあるし、研究熱心だし」
と感心しきりであった。

匹見峡温泉で汗を流し、恒例のキムチ鍋をつつきながら、ぼっちさんの色々な話を聞いた。
お互いに素性は分かっているので、仕事にかかわるきわどい話や、サイトで取り上げた裏話など楽しいひと時であった。

ボクはすっかり酔っ払って午後10時ごろにはふとんに潜り込んだが、ぼっちさんとY代表は夜中の3時頃まで語り合ったそうだ。
彼らは山野草の調査という共通の趣味もあるし、同年代なのですっかり意気投合したようだ。

ぼっちさんには、こんなおじさんたちの遊びに付き合っていただいて感謝している。
体力・知力とも相当差がありますが、ときどき遊びましょう。
みなさん、お疲れさまでした。

※歩いたラフなルート 「tumugi2index_1.html」をダウンロード


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登山・山歩き」カテゴリの記事

コメント

楽しい山と酒でした。
ありがとうございました。

ヤブ山さんのパワー、じっくりと堪能いたしました。
強靭な足腰と広範囲なリスク管理は大したものです。
勉強になりました。
山慣れしていない家族や知人のリスク管理しながら歩くか、
一人で歩くか、だけだったので、
信頼できる仲間と共にいながら自分の力を出す事に集中できる事が
何とも心地良い突撃でした。

また遊んでやってください。
よろしくお願いいたします。

ぼっちさん こちらこそありがとうございました。
「草刈りでもするか」と帰りましたが、疲労と暑さで再び撃沈しました。

こんなおじさんたちですが、ときどき遊びましょう。
それにしても久しぶりに強い吾人に出会いました。


  ぼっちさんは 広高谷をずっと歩いて変わりゆく様を追い続けていらっしゃったのですね。   
 私も 何度か足を運ばれていたじゅげむさんについて 一緒に初めて 広高谷をつめていったときの ショックというか 衝撃は忘れられません。 山葵だとは 本来 沢の流れに石を組み 山葵を植えつけていくものだと思っていたのですが あんなに 広葉樹を伐採し 山をけずり 道路を作り・・・・こうしないと村は生き残れないのかと。。。落胆しながら お弁当を食べたのを思い出します。  きっと 大雨で 土砂崩れも起こっているのではないかなあと・・・。  あの 広大な山葵の様子はどうなっているのでしょうか。 私もシロートで 何の知識があるわけでもなく  ただ あの 光景を目の当たりにしたときは 思わず落胆の溜息を出さずにはおれませんでした。
すみません やぶやまさん ぼっちさんのホームページを見てたら 何もわかっていない私ですが、つい 共感して。  人間は 愚かな生きものですね。

たぶん、あなたのようなことばを交わしたつもりですが、ぼくは飲みつぶれてしまって、まるで覚えていないのです。
広高谷のことはいつか、ゆっくりと考えねばなりませぬ。

びっけさん

コメントを頂きうれしくなりました。

広高の開発は、高度経済成長を果たした日本の暗闇の部分だろうと思っています。
過疎…限界集落…手の打ちようがありません。
ヤブ山さんともその事で議論になりました。
社会の在り様が変わるのは仕方がありませんが、ルールが無く
人の欲望が大波となって総てを呑み尽しているのを見ると
そのうち自分達の心さえ潰れてしまうのではないか・・・
そういう気がします。

広高のわさび田には10人余りの入植者がいますが、
ほとんど増えていません。多くの造成地は外来種の草藪になり、
せっかく植えられたワサビもよく育っていません。
伐採によりじりじりと日が照りつけるだけの所になっています。

昨年夏頃より、作業道入り口は完璧に施錠され、
入植者の名札があり、その他の人は車では入れません。
よほどのトラブルがあったのだろうと思います。
おかげで、わさび田の奥は、以前より自然が復活しています(在る意味荒廃)。

大立山おじいさんも(広高林道終点付近の山の持ち主)、
夢ファクトリーみさきの管理人さんも、
わしら(三葛の人)には関係ないと言っていました。
せめて地元の人達が一丸になって過疎と戦っているのなら
夢の持ちようもあるのですが。残念です。

あの 光景を見て心の痛まぬ者はないように思います。ぼっちさんのような方」がいらっしゃるという事 たとえそこには住まなくとも 山を愛し奥深い自然をこよなく愛する者がいるということ  そのことがきっと 一筋の光となり パワーになると私は信じています。 
 忘れ去るのではなく 離れていても、いつもそこに思いを寄せているということが大事なのではないかと思います。 
 でも また今 時代のうねりも逆行しつつあるように感じます。 

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