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2011年10月

2011年10月31日 (月)

認知症の診断方法

先日の医者の問診で、医者が母に、
「長谷川式で、○○点でしたから、傍で何らかの介護が必要です」
と言っていたのを思い出したので、ネットで探してみた。

…ありました。
http://www.yamaguchi-naika.com/suko6-10/page3.html


設問例をみると、ボクにもヤバそうな問題があった。
数字の引き算まではなんとかなりそうだが、数字を逆に言ったり、何を見せられたか、野菜を10種類言う…あたりになると、自信がない。

しかも、採点時に、自発的に答えたら満点で、5秒空けたら減点、初めの答えが不正解なら即座に打ち切りなど、なかなか厳しい採点方法だ。

これでは、21点はとうてい無理みたいだ。

Welt als Wille und Vorstellung

2011年10月30日 (日)

沈澱日記

昼前、母とお布施の金額をめぐって口喧嘩。

檀家のお寺が、宗派を集めて東北大震災の托鉢に回るのだが、
母は、嫁に「五千円札で10枚おろしてきてね」
と頼んだらしい。

ボクは、お寺へのお布施と、今回の托鉢は違うので、
「一軒の檀家分ほど出せばいい」
と言うのだが、母は、
「数十年前に、お寺がたくさんの僧侶を集めて托鉢をしたことがあるから、お坊さんの一人一人にお布施をあげる」
と言ってきかない。

「募金をするときに、ひとりひとりの募金箱にあげるかね?」
「それとこれは違う」
「おじぞうさんに、貯めていた1円、5円、10円玉をあげるのと違うんだよ」
「わたしのず~とむかし、たくさんの人が来たときに…あげたの」

「じゃあ、今回は東北大震災の托鉢だよ。お坊さんが10人来たら、10人にお布施をあげるのかね?」
「お布施をあげるの!」
「今回は、おかあさんが言っていた○○寺の開山記念のお布施ではないし、東北大震災の托鉢だから、一軒分の義捐金をあげたらいいんじゃないの?」
「お坊さんが托鉢に回られるのだから、それぞれにお布施をあげるの」
「もういい…すきなほどあげたら、一万ずつ十万でもあげたら」
「そんなにするわけないでしょ!」

そのとき、母から買い物の同伴に頼まれた妹がやってきた。
「いつもそんな調子で喧嘩になるの? 私もそうなの。今日は強気の日ね。それにしても、○○さん(嫁さんのこと:同級生だからこんな表現になる)は、よく我慢できるわね」
「すぐに忘れてですから、はい・はい・そうですね…でその場を流しているだけなの」
「そ~う・なんだ」
「お前はだいぶ人間ができきた…というより、冷たい奴なんだ」
「おにいちゃん、○○ちゃんにそんなこと言っちゃダメ!私ならもうとっくに出ていってるわよ!」

母が妹と出て行ったあと、倉庫でチェーンソーの掃除をした。
母を叱責したことを反省しながら、
それでも母の認知症が一過性であってほしい、というかすかな望みを持つ自分を反省する。

妻に聞くと、母は洗濯物や箪笥、冷蔵庫の中を嫁に見せたくないらしい。
気丈な母は、ギリギリの身の回りのことは娘以外には見せようとしない。
僕にだってそうだ。
ずけずけ入って冷蔵庫を開ければ観念しているが、嫁にはそこまでできない。

…昼寝(夕寝)から起きてきた母は、
「今日はよう降るねえ…」
と言いながら、ソファーの定位置に座ってボクに語りかけてきた。

ボクも、やさしく…やさしく…。


2011年10月29日 (土)

土曜日の日記

朝から今にも雨が降りそうだ。
シイタケプロジェクトのために、ヤブの刈り払いに汗をかく。

杉が2本傾いていたので、チェーンソーを持ち出して、根元をカットしても倒れない。
寄りかかった雑木も切ってみるが、まだテンションがかかっている。

切り倒すときに、バリバリと音を立て始めると、チェーンソーのエンジンを切って退避する。
テンションが残っていると、いつどこから倒れ始めるのか予想が難しい。

ある程度まで進むと、鋸で仕上げる。
でも倒れない。

雨も強くなってきたので、今日はおしまいにして早めの晩酌に突入。
この秋は、シイタケのほかに、クリ、ナツメ、イチジクを植えようと思う。

クリは実をとるよりも、黄葉を楽しみたいからだ。
そのためには、まだまだ雑木とササを切らないといけない。
明日も天気が悪そうだ。

今日は自分の山を歩き回った。
それにしても、することや、したいことが、山ほどある。

2011年10月27日 (木)

アケビ

知人から種類の違うアケビを2個もらった。
いずれも実生だという。
たまたま実家の山で採取して、食べ終わったあとの種を庭の片隅に蒔いておいたのが年々大きくなったそうだ。

妻に、
「アケビの外殻は天麩羅にする。実は食べたあと畑の横に蒔くので、とっておくこと」
と言ったら、

「これを天麩羅? 皮は剥くの?」
「そのままだったと思う。とにかくやってみろ」

…半信半疑(いやいや)でやった天麩羅は、イモのような食感で、エグイところもなかった。
料理屋で食べた味を忘れたが、まあこんなものだろう。

日曜日、裏山に種を蒔いて、うっすら土と落ち葉を被せておいた。
…これがうまくいくと、数年後には、シイタケとアケビが並んで生えることになる。

だからちゃんと生きておかないと。


2011年10月26日 (水)

観察日記

高速道路のあるパーキングが、ちょうど通勤距離の半ばに当たるので、天気さえ良ければ一息つくことにしている。

だいたい朝も夕も、トラックが大勢を占めている。
今朝もいつものように駐車したら、聞きなれない音がした。
重苦しい音だ。

車を降りて確認したら、牛を運搬するトラックから啼き声が響いていた。
牧場や放牧地で聞くなきごえとは、あきらかに違っている。
恐らくこれからの自分の末路を悟っているのだろう。

いつもはここで深呼吸や柔軟体操をしているのだが、今朝ばかりはそんな気分にもなれず、仕事のトラブルもあいまって、重苦しい一日となった。

そういえば、昨夕のパーキングの上空で親子トンビが空を舞っていた。
ずっと見ていたら、どうやら親が子に、上昇気流への乗り方や、旋回のコツを教えている様子が伺えた。
子が親に必死でついていこうとしていた。

動物も人間も、親が子を必死で守り育てる。
ただ、人間は、親が歳をとると、子が親をいたわるようになる。

…動物はどうなのかな?とぼんやり考えていたら、突然、一羽のカラスがトンビの親子にちょっかいをかけてきた。
自分の縄張りを主張しているのか、カラス特有のイジワルをしているのか判別できない。
しかし、トンビの親子は急反転しながら、次第にカラスを遠ざけて、向こうの山陰に消えていった。

生きるということは…ホントに大変なことだ。


2011年10月25日 (火)

匹見の山

西中国山地はほとんどが二次林だ。
巨木が…単独、もしくはエリア単位で僅かに残っているにすぎない。

しかし、実際にあちこち歩いてみると、山師があえて残した木がある。
たとえ上から言われようとも切らずにおいた…木がある。

その木が生きている。
それに出会うのがうれしい。
すっかり老いた木と、二次林が一緒に生きている。

ボクはそれを見たくて、せっせと匹見に行く。
やらせと真面目に生きているものは、やっぱり違う。

ボクをだますのなら…それでいい。
いいものなら…それでいい。

でも、それに自信がないから…バカと言われても「ヤブ」を漕いで、真偽を確かめに通うのだ。

2011年10月24日 (月)

介護の日

今日は、母が2か月に一度、医者の問診を受けて認知症の薬をもらう日だ。
ボクは立ち会ったことがないので、妻が「おいでませ山口大会」のボランティアでもあるし、今日はボクが休暇を取って母を連れていくことにした。

このことは1週間前から母に言っていたのだが、今朝になって、
「私は多少はボケたかもしれんが、精神病院には行かん。みんなで私を病気にする」
と殺気立っていた。

「そう言うのなら、もう知らん!一人で好きにせえ!」
「………」
きつく言っても仕方がないのだが、母から敵視される発言が出たので言い返してしまった。

でもすぐにそのことも忘れたようなので、
「さあ、病院に行くよ!」
と言ったら、首をかしげながら車に乗り込んだ。

車の中で、
「え~と、今日は平成の23年…10月???」
「24日!」
「そうそう24日」
「何曜日でしょう?」
「??何日だったかね?」
「24日だけど、何曜日かね?」
「???」
「月曜日」
「そうそう月曜日」

…医者の問診の予習をしているのだ。
こんな知恵はよく働く。でもすぐに忘れるので、医者にはすぐバレル。

さて医者の問診が始まった。
「おかわりはないですか?」
「はい、自分で煮炊きもできますし、掃除も、身の回りのことは全部自分だけでできます」
「そうですね。でも長谷川式の測定では○○点が出ていますから、介護がないと全ての生活はできませんよ。薬はちゃんと飲まなければいけないのは当然ですが、デイザービスはもっと行かれたほうがいいですよ。いやだなと思っても、外に出なければどんどん意欲が低下して、何もしたくなりますよ」
「はい…」

母を横目に医者と少し話をした。
いくら本人が嫌がっても、できるだけ外に出て刺激を受けないと、どんどん内にこもって意欲レベルが低下するので、いくら薬で病状を緩和しようとしてもとうてい追いつかないそうだ。

帰りに買い物に寄ってくれと頼まれた。
スーパーの外で待っていたが、なかなか出てこないので中に入ってみた。
カキやリンゴ、バナナ、魚介類などをかごに入れていた。
少し離れて見ていたら、野菜コーナーに行って、カボチャに手を出した。

ボクは万引きGメンのように、さっと近づいて、
「かぼちゃはダメ。冷蔵庫にあるよ!」
「そうじゃったかね?」

「昼の弁当を買わなきゃ」
「今日は療養食の弁当が届く日。ボクは外に食べに出るからいいの」
その後、パンや野菜ジュース、スナック菓子を買ってレジに並ぶ。

並んでいるときに、
「昼の弁当を買わなきゃ」
「今日は弁当が来るからいいの」
「お前はどうするの?」
「外に出るから、気にしなくていいの」

この会話は、この店では2回目だが、家を出るときと、車に乗ってからさらに2回ぐらい話している。
短気な僕だって、じっとやさしく対処しているのだ。

…と、ここまで読み返してみると、母の買ったものを大体覚えていたので、ボクの認知症レベルはなんとか「1」ぐらいに踏みとどまっているのかな?

2011年10月23日 (日)

ジョシノキビレから稜線漕いで広見山へ(島根県益田市匹見)

またもや匹見である。
ジョシ谷からジョシノキビレに上がり、広見山の登山道には降りずに、稜線のヤブを漕いで広見山に行ってみようという、ヤブ山突撃隊にふさわしいヤブ漕ぎ必至のバリエーションルートである。


今回は、周南山の会のぴっけさんに加え、バリバリの山ヤ「ぼっちさん」も参戦することになって、後には引けぬ事態に追い込まれていた。


ところが、金曜日はずっと雨が続いた。
土曜日も曇り時々雨なので、どうしようかと考えたが、ここで止めてはヤブ山がすたるので、前日夜に決行宣言を出した。


ところが、ちょうどその頃、ぴっけさんから、
「この天気では、私がついていくのはとても無理だと思います…」
との哀しいメールがきた。
ここは、ぴっけさんのためにも、ヤブ山突撃隊とぼっちさん、若武者S君の5人で頑張ることにした。

5時過ぎにぼっちさんをピックアップし、六日市で三人と落ち合う。
一時間半かけて亀井谷林道へ。

晴れてはいないが、曇り空はかなり明るい。
早速、いつものように谷に入る。
広見入口の木彫りの地点からジョシ谷に入る。


ジョシ谷はあまり大きくはないが、雰囲気が好きだ。


H231022_001

ジョシ谷を一時間ほど詰めると、尾根へ上がる。
ここからトラバース道が谷を巻いている。
この一帯の森が素晴らしいので、ぴっけさんに見せてあげたかったのだが…。


やがてジョシノキビレの手前で、この谷の主であるトチに出会う。


H231022_003


最後の突き上げを左からトラバースして、ジョシノキビレだ。
ここまで予定どおり1時間50分だった。
小休憩しながら、少し疲れ気味のS君に、
「さあ!ここからが本番だぞ!」
「えっ?今までのは…」

目の前にはきれいな樹林帯とササやぶが待ち構えている。
いよいよ突撃である。
まずボクが先頭を漕ぐことにした。


H231022_004_3

1085ピークまで30分以上かかったら撤退するつもりだったが、そんなことを考える余裕もなく、がむしゃらにササをかき分けながら、ピークを目指す。
しかし、周囲の森はすごかった。


H231022_011

1085ピークまでヤブ漕ぎ1時間だった。
すっかりヘロヘロになったボクを見かねて、ぼっちさんが、
「ボクが替わりましょう」
という天の声が聞こえた。

そこから一度は下るが、次第に灌木帯の中をもがき苦しむことになった。
何度となく、元気なぼっちさんにストップをかけて灌木の中にへたり込む。

1140ピークまではひん死状態になってきた。
おまけに、展望が開けた途端に雨が降り出した。
みんなカッパを着込む。
しかし、背後には恐羅漢の稜線が広がっている。


H231022_012

ぼっちさんが、上の方で、
「ピークに着きました!」
と声をかけてきた。


※よくみるとぼっちさんがいます。


H231022_014


いよいよ目の前に広見山が見えてきた。
この角度からの広見山は、1140ピークまで大ヤブ漕ぎをしないと見えない。


H231022_016


しかし、目の前にあるとはいえ、相変わらず灌木とヤブ漕ぎは想像を絶する。
何度も何度も立ち止まっては、息を整えながら周囲の森を鑑賞する。
予想通りの森が広がっていたので大感激だ。


H231022_019


でもいくらヤブを漕いでも稜線は逃げていく。
縦走路はすぐ上にあるはずなのに、登っても登っても…いや、ヤブを漕いでも漕いでも辿りつかない。
ぼっちさんを立ち止まらせては幾度となく休憩をとった。


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ようやく1時間、ぽっかりとササが刈られた縦走路に出た。
「やったぜ!」
「ぼっちさんの おかげです!」
「すごかったですが、いい森でしたね」
5分で山頂に着いた。


H231022_026

腹ごしらえをして登山道を下って、ジョシノキビレの分岐から植林帯の中をひーひー言いながら這い上がる。
伐採されて、とても歩きにくくなって、ジョシノキビレ付近は踏み跡が消えかかっていた。
「よし、あとは下るだけだ!」

ガクガクになった膝をさすりながら、ジョシ谷をめざす。
途中で何枚か写真を撮る。


H231022_028

広見山頂から2時間ちょっとかかって駐車場まで戻った。
車が見えてきた頃、かなり疲れていたS君に
「どうだ! こうやって歩いて下っていると、おれは男だ! という気になってくるだろう?」
「ええ、想定外のヤブ漕ぎでしたが、森も想定外だったので最高でした!」
という返事が返ってきた。


H231022_034


とりあえず今回の走査の報告とする。
ジョシノキビレまで2時間。
尾根の縦走に2時間40分。
広見山から駐車場まで2時間。
トータルで休憩を入れて8時間はみておかないと無理だろう。
恐らく…想像を絶するヤブ・灌木帯の突破です。
行かれる人は気合を入れていきましょう。
 


※ポイント地点だけをマークした地図は次の通り

「jyindex_1.html」をダウンロード


2011年10月22日 (土)

ミッション終了

ジョシノキビレから稜線伝いに、1085ピーク~1140尾根~広見山の壮絶なヤブを漕いだ。

ぼっちさんという強力助っ人のおかげで、なんとか目的を達成できた。

それにしても素晴らしい森と、猛烈なヤブ漕ぎ(灌木帯の突破)の連続だった。

広見山に到達したときは完全にヘロヘロ状態だった。

周回コースは計8時間。
ヤブ山突撃隊の困難レベルの最上位に位置するハードなヤブ漕ぎだった。

朝の4時起きだったので、報告はまた今度…酔ったのでもう寝ます。

2011年10月21日 (金)

のんびり告知

明日の突撃は、ぼっちさんと寿毛無さんが緊急参戦されて総勢7名となったが、山口県では秋雨が続いている。
天気予報によると、明日の明け方まで降り続くという。

そこで、島根県庁のホームページの「防災情報」にアクセスしてみると、益田、津和野とも雨はほとんど降っていないし、明日は「くもり時々雨」で、降水確率も40~50%だ。

さらに、匹見の雨量観測データでは、本日の降水量は数ミリなので、明日の突撃は「予定どおり」にしておくことにした。

たぶん歩くことは可能と思われるので、ジョシノキビレまで行ってみて、予定どおりに稜線のヤブ漕ぎをするか、登山道ルートに降りるかを判断するつもりだ。

雨量もほとんど観測されていないので、渡渉に問題はないようだし、難しいところもないのでどうにかなると思っている。

…ということで、参加者の皆さんには中止の連絡はしませんので悪しからず。

2011年10月20日 (木)

旅情

二泊三日の出張は北海道だった。
函館周辺を移動したのだが、あいにくの寒波に震えた。
初日は田舎のホテルに泊まったが、夜は僅かな灯りを頼りに街に繰り出して、行き当たりばったりの炉辺風の店に入って、地元の魚介類や農産物に舌鼓を打った。

最終日は函館だったので、夜の食事の際に、朝五時から始まる「朝市」の話題が出たので、自分が酔っているのも忘れて、
「いつも4時半に起きているので、大丈夫!」
と胸を叩いたのだが、翌朝、枕元の電話が鳴った。
時計を見ると4時59分である。
「おい!ヤブ山!俺は30分も待ってるんだぞ!朝市に行くんじゃなかったのか?!」
と長老の大声が響いた。
「えっ?本気だったんですか?」
「お前!4時半には起きると言ってたじゃないか!」
「すぐ行きます」
と、顔も洗わず、ヒゲも剃らずにロービーに降りてみると、長老ともう一人の犠牲者がソファーに座っていた。

朝市はホテルから歩いて5分の一角にある。
同じような海産物を取り扱う商店が数十も連なっており、朝の5時過ぎでも観光客と客引きの威勢のよい声が飛び交っていた。

長老は、奥さんから昆布、イクラ、カニを買って帰るように言われているらしく、一軒一軒味見をしながら値段や産地を訪ねて回るので、ついて回るボクたちはすっかりくたびれてしまった。

20軒ぐらい回って、ようやくミッション終了。
「どうだ?ついでに海鮮丼でも食って帰らんか?」
で、これも10軒以上ある食堂を吟味しながらようやく一軒の店に入った。

ところが海鮮丼の種類が多くて、メニューを選ぶのに苦労する。
結局、「三色丼」から、ホタテ、イクラ、ウニの組み合わせを選んだ。
1750円を1500円にしてくれるらしいが、どうせ観光客相手なので値段があってないようなものである。

事実、海産物だって、値札からどんどんまけていくし、数品買ったら、そこからまた値引するので、いったい売値がいくらか分からなくなった。
しかも同じような店が繋がっているので、どうやって共存共栄しているのか不思議である。

二時間ぐらいぶらぶらしてホテルに帰ってみると、ほかの連中はホテルの朝食バイキングの真っ最中だった。
ボクらは、朝食券をゴミ箱に入れながら、
「お~い!函館まで来てホテルのめしか?こっちは三色丼だぞ!」
と声をかける。

この日は帰るだけなので、そのまま空港に向かう。
それまでの寒波がうそのような快晴だ。
飛行機の窓側の席をぶんどって景色を楽しむ。

津軽海峡をあっというまに越えると、八甲田山、十和田湖、そして岩手山や田沢湖が紅葉の中に浮き出ている。
ルート図を広げて、眼下の鳥瞰図を楽しむ。
雄物川の流域も随分奥まで広がっている。

あいにく月山は反対側のようだ。
あれが蔵王だろうと勝手に決め付ける。
窓側の席を分捕られた隣の部下が、
「ヤブ山さん、好きですね。そんなに面白いですか?」
と聞いてくるので、
「いくら見続けても飽きないんだ。オレに譲った甲斐があるだろう?」
「はぁ…とられたんですけど…」

羽田で乗り換えて、今度はアルプスの景色を楽しむ。
富士山はダメだったが、八ヶ岳、甲斐駒、北岳、遠くに北アルプスが見える。
中央アルプスから少し離れて、御嶽山が威張っていた。

琵琶湖を通過してしばらくすると大山の山並みが見えてきた。
それ以外の山々はどうもはっきりしない。
雲が出てきたが、三瓶山だけは特徴のある山頂部を覗かせていた。

庄原と三次盆地の広がりは大きい。
大好きな寂地、匹見はどうもよく分からない。
そのうち岩国上空にさしかかる。
右側の窓だったので、瀬戸内側が見えない。
あいにく左の窓側の席には関係者がいないので、席を譲って?もらえない。
仕方なくそのまま景色を眺める。
佐波川の流域が長いこと、そこに大原断層帯が走っていることも頷ける。
海に突き出た空港が見えてくると着陸は近い。

空港でみんなと別れてひとり帰路につく。
家に帰ってビジネスバックから土産を取りだす。
じゃがいも焼酎と特製焼きイカだけ。
両方ともじぶんのおみやげだ。
ボクが土産を買う習慣がないことを知っている妻は文句は言わない。
ボクがいない間の出来事や母の様子を聞きながら晩酌を始めた。

…ふぅ…長かった。おしまい。

2011年10月16日 (日)

土日の日記

土曜日は仕事で下関へ。

イベントであいさつをするのだが、思った以上に立派なステージだったので焦った。
おまけに政治家夫人や市長のあいさつのあとだったので、ひさしぶりに緊張した。
話しているとき、ときどき頭が真っ白になりかけたが、何とか乗り切った。

ブースを回っていると、周南山の会の客員教授のgomen氏が仕事で出展中だった。
「最近、山歩きに精を出されてますね」
とひやかしたら、
「今月突撃ですね…大変ですね」
と言われた。


日曜日は、乾燥機に残っている残りのモミすり。
たったひとりで全部をこなす。
母は調子が悪いのか、覗きにもこない。
あれほど大事だった百姓仕事に興味が薄れていっているのだろうか。

昼からは倉庫の掃除。
乾燥機とモミすり機をエアーコンプレッサーでごみを吹き飛ばす。
倉庫から機械を全部出して掃き掃除。
トラクターとコンバインのバッテリーのマイナス端子を外して、来春まで冬眠させる。

夕方、家の裏で、山椒の木が倒れていたので、チェーンソーを出して切り分ける。
山に運んで小枝を切り払う。

明日から二泊三日の出張。
この土日も忙しかったが、来週の土曜日はジョシ谷、日曜日は金毘羅様の清掃活動。
秋は忙しい。

2011年10月14日 (金)

雨に想う

今日から明日の明け方にかけて雨の予想。
今も注意報が出て、雨音が激しい。

実は、先週の三連休、稲を刈る段になって、母が、
「一週間伸ばせ」
と言いだした。

前日、話をしたときに、稲刈りの日程は固めたつもりだった。
しかし、ボクがコンバインを運転していると、
「もう一週間、先にした方がええ」
と言いだして引かない。

来週の土曜日は仕事だし、月曜日から三日の出張があるので、物理的にどうしようもない。
座り込んでいる母に向かって、
「天気と仕事は待ってくれない。今日から刈る!」
と叫んで、コンバインから降りて、入り口付近を鎌で刈り始めたら、母も黙って横で刈りはじめた。

結局、三連休でほとんどを済ませたので、この雨を前にして、
「結果オーライ」だが、ボクには忸怩たるものがある。

本当は母の言うとおり一週間延ばしたかったのだが、どう考えてもボクの都合に合わなかったし、一週間先の天気は予想もつかなかったので、ケンカ沙汰になった。


さて、一週間後の今夕、激しい雨音がする中で、
…家に帰ると、母がリビングで女房と仲良く話をしていた。
母に、
「結果論で悪いけど、先週刈っておいてよかったね」と言ったら、
「うちは全部済んだから安心だね」と屈託ない。

たぶん先週のことを全て忘れているのだろう。
ボクも忘れないうちに、
「よかったね」と言いながら、スーパーマンの準備に入る。

2011年10月13日 (木)

スーパーマン?  ウルトラマン?

毎日、車で往復2時間20分の通勤を繰り返している。
通勤開始当初は、車中で語学の勉強でもしようかと思っていたが、いつ何が起こるか分からないご時世なので、絶えずNHKのAM放送を聞いている。

朝はラジオ体操から始まる。
体操もせずに、ラジオ体操の掛け声とピアノ演奏を聴いている…というか、ぼんやり考え事をしている。
次にニュースが始まり、時事問題の解説、ローカルニュースが終わる頃には職場に到着。

帰りは、車に乗るとき、携帯メールの前日の送信履歴を呼び出して、妻に「今から帰る」を送信する。
よほどのアクシデントがない限り、妻から返信はない。

特定テーマの電話討論やニュースを聞きながら、一般道から高速道路に入ると、トンネルばかりで電波が頻繁に遮断されるが、「ザーザー」という雑音を聞きながらぶっ飛ばす?

再び一般道に合流する時は、割り込みしなければいけないので毎夕苦労する。
国道2号から分かれると、あとはスイスイ。

玄関を開けると、妻に弁当箱を渡して、服を脱ぎながら寝室に直行。
あっという間に下着だけになって、ベッドの上に置いてある着替えとパジャマを抱えて風呂場に向かう。
※注:この着替えシーンからタイトルを「スーパーマン」に選定した。

5秒後には湯船に浸かっている。
「30」ぐらい数えたら湯船から出て、2分もしないうちに湯船に戻っている。
「10」も数えないうちに、もうあがる。

さっさと体を拭いて着替えるとリビングへ。
食卓には、突き出しと焼酎瓶、お湯の入ったポットがある。
…ということで、家に帰って3分後には晩酌が始まるのだ。
※注:ここで3分に気づいたので、タイトルに「ウルトラマン」を追加した。


「今から帰る」メールを打つと、妻は、そこから73分後を想定して、夕飯や風呂の支度を開始するそうだ。
このおかげで、お互いに帰宅後の時間のロスが全くなくなった。

なお、晩酌後1時間半たったころには爆睡している。
週5日、この繰り返し。
でも、もう少し寒くなると5分ぐらいかかるので、タイトルに「どん兵衛」も追加した方がいいかも?

2011年10月12日 (水)

広見山に行く理由

今月中に、広見山(1186.7m:島根県益田市匹見)に突撃する。
ヤブ山突撃隊の三人に加えて、かねてからリクエストをいただいていた周南山の会の「ぴっけさん」と、ボクの職場の後輩S君の5人である。(ひょっとしたら、ぼっちさんも緊急参戦?)

ジョシ谷に入ってジョシノキビレに上がり、そこから西方向に向かって1035ピークを経て南へ約1.8kmのヤブ漕ぎである。
50分/キロと見込んで、ヤブ漕ぎ100分の計算だ。

これは、ジョシノキビレからカマノキビレ方面の1090ピークまでの300mが猛烈なヤブで30分かかったので、あのとき、
「こっちのヤブはちょっとましかも?次は…あっちが…いいかも?」
という会話があったからだ。

だから、今回はあそこよりはマシだろうという甘い計算の下で行程を考えたが、1035ピークまでの緩斜面の600mに30分以上かかったら、「撤退」することにしている。

絶えず進行方向の右側が深い谷になっているので、読図さえ間違わなければ迷うこともないはず。

広見山の南側、つまり半四郎山への縦走路一帯の森は、雑木の幼木ばかりで面白くない。
それにひきかえ、広見山の北東側の谷にはブナ林が広がっていたので、稜線を歩けば綺麗な広葉樹の森に出会えるのではないかと期待しているのだ。
もっともササの密集度次第であるが…。

ジョシノキビレが1000mなので、高度差は187mであるが、途中、かなりのアップダウンがあるので、ササ藪の状況によっては辛いかもしれないが、とにかく突撃する。

どんな森があるか…ワクワクしている。

2011年10月11日 (火)

エマージェンシーキットⅡ

先日のエマージェンシーキットの記事を書いた後、ホームセンターに寄ってみた。
針金は、いろんな太さ、長さのものが袋に入って小売されていたので、やや細めの5mのものを選んだ。

ペンチをどうしようかと眺めていると、ミニペンチがあった。
かなり小さいのでかさばらないし、わりに軽量だったのでカゴに入れる。
これで、登山靴のソールが禿げかかっても、応急修理で当座はしのげるだろう。


話は変わる。
この三連休の間、幼馴染の家もハーベスタで稲漕ぎをしていた。
ところが半分終わったところで、何やら機械の周りに人が集まっている。
野次馬見物に行ったら、燃料が漏れだしたので、農機具センターのおにいちゃんに修理してもらっているところだった。

この若い兄ちゃんは、4月に採用された新人で、古い機械を前に汗をかきかき格闘中であった。
予め燃料漏れと聞いていたので、燃料ホースを二種類もってきていたのだが、どっちもサイズが合わなくて、
「すみません…取りに帰ってきます」
と言い残してセンターに帰って行った。

ちょうどそこに、元の主任で、今は非常勤の嘱託として、農繁期の時期だけ手伝っているWさんが通りかかった。
機械を点検したが、さすがのWさんもホースは積んでなくて、おにいちゃんが戻ってくるまで世間話をした。

その時に修理キットの話が出たので、キットを見せてもらった。
色々な道具に加え、色々な種類のベルト、パッキン、ネジなどが入っていた。
話を聞いてみると、
「古い機械から最新鋭の機械まで、いつ、どんな修理が舞い込んでくるか分からないので、いままでの経験をもとに、自分なりの修理セットを用意している」
という返事が返ってきた。

「どんな機械でも大丈夫なの?」と尋ねたら、
「知らない機械に出会うことは頻繁にある。だからどこがどう故障しているのか、いつもぶっつけ本番だ」
と笑いながら話していた。

農家にとって、一番頼りになるのは、このJAの農機具センターである。
今では携帯電話があるので、次から次へとかかってくる修理要請をリアルタイムで受けて、管内を飛び回っている。
現場には全部の部品は持っていけないから、もっとも汎用性のある部品を自分なりに選んでおくことが大切だそうだ。

…ボクのキットの中身も、もう一度セレクトしておこう。


2011年10月10日 (月)

モミすり

モミすりの開始。
乾燥機から右側のモミすり機へ搬出し、そこから左側の選米機(米の粒の選別機)を通して、一斗缶に排出される。


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反対側から見た選米機の様子。
一斗缶がたくさん置いてあるのは、小米(規格外の小粒)を受けるためである。
左から選別が始まるので、右の白い袋のところから出てくるのが「まともなコメ」である。
昔は、小米は甘粥や餅にしていたが、今は田んぼに撒いて鳥たちのえさにしている。


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これはモミすり機。
窓の外にモミガラ(農家は「すくも」という)が排出される。


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暮れには、正月用のしめ縄飾りに30年ぶり?に挑戦するつもりだ。
コンバインのカッター機能を切って、数束確保したもの。
母が気を利かして倉庫の裏に干してくれた。
「しめ飾り」と「縄」は、より方が逆である。
でも、どっちがどっちか忘れてしまった。作る前にネットで探そう。

今覚えているのは、まず藁に水をかけて、木づちで叩いて柔らかくする。
藁の外皮を取り除いてきれいにし、端を軽く束ねて、足の甲ではさんで手でよっていく。
昔とった杵柄…できるかなぁ…。


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2011年10月 9日 (日)

秋の収穫

ようやく稲刈り。
よその田んぼはきれいになっているが、我が家は倒れた稲と黄金色になったイネが混在している。

倉庫の乾燥機に電源を入れて作動を確認する。

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我が家までが市街化区域。
田んぼも以前の半分になって、住宅地の中で稲刈り。
ぴっけさんの写真と比べると、雰囲気が全然違う。

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刈ったモミを倉庫の乾燥機に入れるので、邪魔者になったトラクターは「かど」に移動する。
でも、海が見えるのでいいだろう。

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以上は昨日の画像。
ボクは悪友たちとのみだったので、10時過ぎにヘロヘロになって家までたどり着いたら、息子が会社の先輩を連れて帰ってきた。
ヘロヘロのまま何か言って、ベッドにぶっ倒れた…らしい。


今日はまだモミの乾燥が十分でないので、シイタケプロジェクトの第2ラウンド。
妻は国体の応援。
息子と先輩は、国体のバドミントンの観戦。

二日酔いの体はきつい。
何度も休みながら、シイタケ床の整備にいそしむ。

2011年10月 7日 (金)

牛乳泥棒

痴呆症を発症した母が、毎週、下痢症状を訴えるので、かかりつけの病院から緩和剤をもらっているのだが、逆に便秘も訴えることがあるので、下剤も処方されるという…高齢者ワールドに突入している。

さて、昨日は下痢を訴えていた。
妻によると、
「火曜日に牛乳が一週間分として三本届くけど、火曜日はデイサービスに出かけているのに、水曜日の朝には三本とも空になっているの。よく考えてみると、下痢の日はいつも牛乳が来た日の翌日のような気がするわ」
「と…いうことは、一日で三本飲んでるの?」
「でも週の後半で…便秘になったことはないような気がするの」

母に聞いてみた。
「牛乳が全部カラになっているけど、もう飲んだの?」
「よく分からない。最近、牛乳がいっそこんのよ。誰か盗るんかね」
「おかあさんが一日で全部飲んだんだよ」
「そうかね…」
「いっぺんにそれだけ飲んだら、誰だってお腹が痛くなるよ。今度から、牛乳は○子が一本づつ渡すようにするからね」
「そうかね、わかった」

妻が、
「おかあさん、これからは牛乳は少し温めて呑まれた方がいいですよ」
「そうだね、そうするわ」
…これも忘れるだろうが、『想い出すときもあるかな』という一縷の望みを持って言う。

医者は、
「いくら言ってもダメですから、本人のやりたいようにさせなさい。くれぐれも、きつく言ったりしないように。本人がパニックになりますからね」
と、アドバイスしてくれているので、なるべく優しく言っているが、何せ目の前の本人は至極まともな感じなので、ついつい叱責口調になる。

ときどきやってくる妹も、
「ついつい…昔のおかあさんと思って、きつく言ってしまうの」
と反省していた。
どうりで、時々母が、
「また、○子に叱られた」
としょげている。だから、
「○子さんがいちばんやさしい。あんた、ええ嫁さんをもらったね」
と、鬼嫁が褒められることになる。

こんなことを書いていると大変そうだが、何か失敗した時は曖昧な受け答えしかできないだけで、個別の話をしているときは…その瞬間だけは…至極まともなのである。

先日も、
「これ以上頭がボケて、何もわからんようになって死んでしもうたら困ろうから、今のうちに相続を済ませておくかね」
「まあ…そのうち調べておくから…」
「○雄も○子も変なことを言う子じゃないからね」
「まあ…気にせんでもええから…しっかり長生きせんと」
「そうじゃねぇ…でも、どんどんわからんようになりよるけえねぇ…」

…このこともすぐに忘れてしまう。それでも月に一回ぐらいは想い出しては同じことを言いだすので、薄れていく思考回路の中で、気にかかっているひとつなのだろう。

デイサービスにも週二回行くようになったので、
「今日のデイサービスはどうだった?」と尋ねたら、
「わたしがいちばんしっかりしているのよ。ぜんぜんしゃべらない人もいるし、クイズが出てもわたしが答えたら、みんながすごい!と言うのよ。あんなことぐらい…わかるわよ…」
と屈託がない。

しかし、その逆に、
「この歳でデイサービスに行くのも恥ずかしい。近所には私より年上でもしっかりしている人もいるのに困ったわ…」
「病気だから仕方がないの…できるだけ外に出て何かした方がいいからね」
ということもある。
妻は、
「おかあさんは自分が認知症だとは思っていないの。急に忘れっぽくなって戸惑っていらっしゃるだけなの」
と明言する。

とにかく色々な尺度がよくわからなくなってきた。

2011年10月 5日 (水)

おいでませ山口国体(2)

昨日は午後から仕事があいたので、休暇を取って国体の応援に行った。

まずは弓道。
成年男子の遠的を観戦した。
三人が4射するのだが、みんなきちんと背を伸ばして、礼儀・作法が素晴らしい。
黙々と順に矢を射るのだが、当ろうが当らなかろうが、顔色一つ変えずに次の準備にかかる。

対抗戦なので、打ち終わってから得点発表がされるが、その際も、喜怒哀楽はまったく表現せず、丁寧に礼をして退場するのだ。
いまどきこれほど礼節を大事にする競技はないだろう。
ラグビーや相撲のガッツポーズが当たり前になったいま、これほど静かな戦いが残っていることに感動を覚えた。


次に成人男子のラグビー。
まず選手の体に驚いた。
どんなに太ったフォワード選手でも、逆三角形の立派な体型である。

脚力の必要なウイングだって、がっちりした体形だが、走る姿は芸術的だ。
国体レベルの試合と侮っていたが、あにはからんや、クロスパスやモールによる突進など、ハイレベルの試合内容に圧倒された。

「ガツン!」と鈍い音を立ててタックルされてぶっ倒れても、頭を振りながら立ち上がって、再びボールに吸い寄せられるように走り出す。
大きな連中がグランド内で肉弾戦を繰り広げるのを目の当たりにして、やっぱり実際に観戦する面白さを十分味わった。

山口県勢の悲願の初優勝はなかなか微妙な状況になっているが、本県の代表として必死に戦っている選手を応援していると目がうるうるしてきた。


2011年10月 3日 (月)

秋晴れ日記

妻は、今日も山口市で国体のボランティアに参加。
集合が朝8時前なので、ボクの通勤に同乗するという。
いつもより30分早く朝6時に出発。
7時過ぎに職場前でボクだけ降ろして、
「じゃぁ夕方に迎えに来るからね」
でさっさと行ってしまった。

妻も山口市には20年以上暮らしていたので、いくら社交性が乏しいとはいえ、会って話せる知人は少なからずいるのだろう。
夕方までにはボランティア活動も終わるので、適当に時間をつぶせるようだ。

この金曜日と11日の閉会式もボランティアがあるそうだ。
また、国体終了後に身障者による「山口大会」が開催されるが、これにも数日参加するという。
これといった趣味やサークル活動をしない妻であるが、さすがに専業主婦として田舎暮らしばかりでは刺激が少ないのだろう。

農作業はいくらでもすることはあるのだが、
「お母様の生きがいを邪魔してはいけないし…」
ということで、庭の草取り以外は野良仕事に手を出していない。

実は、結婚直後、当時はハゼかけをしていたので、稲わらをハゼにかけるのを手伝わせたのだが、初日に少し手伝っただけで、「ぎっくり腰」になって、まるまる一週間家事ができなくなった事件があった。

それ以来、母からは、
「あなたは無理して農作業はしなくていいから、ご飯の支度をお願いね」
と言われて、ぬくぬくとお姫様役に徹している。

ぴっけさんの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたいが、
「わたしが田んぼや畑に出ると、きっとお母様が嫌な顔をすると思うの」
と本人は達観しているので、ボクも黙認している。

そんな母の様子や祖母の具合を察したのかどうか知らないが、最近になって、息子が、
「いつごろ手伝いに帰ろうか」
と殊勝なことを言うようになったので、ちょっと驚いている。

さて、今週末の三連休でぼちぼち稲刈りをする予定だ。
母はもう手伝えないだろうから、コンバインが刈りやすいように、ボクが田んぼの四隅を手で刈って、息子にコンバインを使わせるつもりだ。

モミ袋をトップカーで運んで、乾燥機に入れるのも息子にやらそう。
ただし、母が夜中に乾燥器のスイッチを無意識に入れるような気がしてならない。
去年までは、一連の作業を終えて、ボクが夕方、山口に帰った後に、母が乾燥機の操作をしていたので、にわかにそのときの記憶が戻って、夜中に何度も乾燥機の様子を見にいくことが予想される。

夕べも、「乾燥機の燃料はあるの?ちゃんと動く?」
と心配していた。
乾燥機は灯油で焚くのだが、倉庫には同じポリタンクでディーゼル油がある。
ポリタンクの色は変えているし、四方に「ディーゼル」「灯油」と書いてあるので、健常者であれば、壁に貼り付けてある「燃料一覧」を見て、灯油を入れるはずだが、どうも心配でならない。

しかも、いつ急に思い立って燃料を入れるのか予想もつかないので、早めにコンバインにディーゼルを満タンにして、灯油以外はさっさとどこかに隠しておこうと思っている。

さて、全国的にスズメがいなくなったという報道がある。
例年、我が家にも収穫前になるとスズメの大軍団がやってきて、その対策に苦労していたのだが、今年は、群れはおろか一匹のスズメもやってこない。
ぷくぷくした姿が恨めしかったのだが、全然やってこないとなると、なんとなく寂しい。元気でいるのかなぁ。

2011年10月 2日 (日)

シイタケプロジェクト(1)

昨日、山口国体がスタートした。
妻とボランティアで早朝から出動。

今日は、OFFなので、朝から「シイタケプロジェクト」の仕込みを開始した。
今夏にソーメン流しをした庭から眺める先がターゲット。
ボクが中学生の頃、亡父とシイタケの原木を運んだ所だ。

今回、ここを再びシイタケ栽培の地にするつもりだ。

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しかし、猛烈に荒れた里山を、人力だけで整備するのは至難の業だ。
ササがはびこっているので、剪定バサミとのこぎりで切る。
厚鎌でバッサバッサと刈れば早いのだが、切り口で踏みぬきするので、真横に切るために時間ががかる。

いっぱい蔦が絡まっているので、なかなか木が倒れない。
細い蔦一本だけで木を支えている。

二時間頑張ったが、一向に進展しない。

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今は耕さなくなった畑の横。
来年は何か植えようと思っているが、シイタケプロジェクトの方が先だ。
やっぱり山は楽しい。

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今日は、下松市のバスケットボールの応援に出かけた。
長蛇の列に1時間並んだが、超満員でアウト。


自宅のベランダからはヨット競技が見えるのだが…。

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久しぶりの山仕事で腕と腰はパンパンだ。
明日から仕事だが、母は鬱の日らしく、ずっと部屋にこもりっぱなし。


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