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2011年11月

2011年11月29日 (火)

晴天の霹靂

匹見に突撃した翌日、朝から田んぼに肥料をまいて、トラクターで荒起こしにかかった。

切り藁が土中で熟成しやすいように、稲刈り後できるだけ早く、表面の藁と下の土を入れ替えておくのが基本である。
今までは春先近くまで放置していたのだが、今回、実家に帰ったのを契機に年内の荒起こしに手をつけた。

こんなことはさっさとやればすぐに済みそうだが、天気と仕事の兼ね合いが難しく、やろうと思った時は決まって雨が降る。

雨が降ったら、二週間ぐらいは快晴が続かないと、水はけの悪いところはトラクターが入らない。
今回、ようやく11月中に荒起こしができた。


昼食時に、妻が、
「○雄が、彼女を連れてくるって」
「?…ホント?…サクラじゃないの?」
「知らないけど…夕方か夜になるって」
「ふ~ん、ホンモノかな?」
「知ってたのか?」
「う~ん…ぜんぜん」
「あいつに彼女ができると思う?」
「だめ…絶対にもてんわ」
「同級生がどんどん結婚しているからね。あれでも焦ってきたのかしら?」
と、なんとなくそわそわしている。
息子にはずっと女っけがないので、「絶対、彼女いない歴27年」で意見が一致していたのだ。

夕方、田んぼを終えたが,息子はいっこうに現れない。
「からかわれた…だけかな?」
「まさか…あっメールが…」

どうやら県外に遊びに行っているらしく、夜の8時頃にならないと着かないらしい。
「おい、そんな時間まで待てんぞ。軽く一杯ひっかけておこう。そうしないと話もろくにできん」
「息子が初めて連れてくるのに!何を考えているの!」
「素面でやってられるか」
「もう…勝手にしなさい!」

晩酌をちびちび始めたが、だんだん調子が出てきたので、いつもの量に達した。
「あなた!寝たらダメよ!」
「お前だけで会ってくれ」
「バカ言わないでよ!あなたは父親よ!」

8時過ぎに玄関のチャイムが鳴った。
女房はいそいそと玄関に向かう。
「こんばんは こんな遅い時間にすみません」
という若い娘の声が響いた。

「こちらこそごめんなさいね。待ちきれなくて晩酌した酔っ払いがいるけど気にしないでね」
という妻の声が響いた。

バカ息子が、
「こちらは○○さん。ボクの父と母」
と紹介する。
お嬢さんはしっかりした口調で、
「○○○子と申します。こんな遅い時間にお邪魔して申し訳ありません」
「いえいえ…こんなところに来ていただいて」
「○雄!こんな時間になんだ。○子さんは家に電話しておきなさい」

…お嬢さんが隣部屋で電話をしている間の会話。
「とってもしっかりしたお嬢さんよ。
 あなたには年上の人がいいと思っていたけど、あの人ならいいじゃない!」
…妻は直感的に、この子なら息子を完ぺきに尻に敷いて面倒を見てくれるはず…ということを感じ取ったようだ。

一気に酔いが頂点に達したボクも、
「よろしい、もう決めろ!あの子がダメならお前は一生結婚できんぞ!」
…息子はニヤニヤしていた。

それから少しの間だったが、家族の話やなりそめを聞いた。
送りに出るときに、妻が、
「お願いしますね…いいぐあいに進むといいですね。ご両親によろしくね」
とその子に懇願していた。

二人が帰ったのちの夫婦の会話。
「ぜったいあの子しかいないわ…ダメになったらどうしましょう」
「いい子じゃないか」
「お互い27歳か…ボクたちは26歳寸前だったっけ。ボクが挨拶に行ったら、おかあさんはボクの言葉を聞かないうちに、『結婚式はいつにするかね』と言われたけど、今日も同じようなもんだ」

「あのね、あの時と今は違うの!」
「同じじゃん!」
「全然シチュエーションが違います!」
「何が? 惚れたのはお前…!」
「!!もう寝なさい!!」


12月には今度は息子が挨拶に行くらしい。
その後、晩酌を再開しながら、妻とこれからのことを話した。
ヤブ山家も次から次へと難題が降りかかってくる。
さ~て、どうなりますことやら…。

2011年11月27日 (日)

広高山徘徊(概要版)

今回の突撃は、広高谷の林道終点まで歩いて、

①ヨケイワノエキの本流を寂地山の稜線まで這い上がる
②稜線の登山道を後冠山方面に戻り、途中ショートカットしてボーギノキビレへ
③広高山まで登山道を歩く
④広高山山頂から北尾根へヤブ漕ぎ
⑤1056ピークを経由してシナノキ谷に降りる
⑥シナノキ谷を少し下って、県境尾根に這い上がり、ノブガハラ谷を下って林道に戻る
…というルートである。

広高林道を歩きはじめると、広高谷の向こう側に先日歩いたククリキ谷の鞍部の稜線が見えてきた。

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林道終点まで1時間ちょっと歩いて、昔からの薄い踏み跡に入る。
1156ピークのところから、広高山への踏み跡と別れて、右のヨケイワノエキに入る。
ここからは全く踏み跡はなく、雪化粧した狭い谷を這い上がる。

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1200mあたりから周囲は真っ白となり、気温もかなり下がってきた。
紅一点のぴっけさんは、みんなに迷惑をかけまいと黙々と頑張る。
こんなおっさんたちの中に、ひとりで参加する勇気に感心する。


途中小休止をはさみながら、出発から3時間ぐらいで稜線の登山道に這い上がった。
寂地山の山頂まですぐなので、ぼっちさんがぴっけさんを気遣って山頂に誘導した。

寂地山頂には、昭和38年の記念碑の横に、今回の国体の採火記念碑が新設されていた。
少し休んで、後冠山方面に向かう。
途中、登山道をわざわざ後冠まで歩くのが面倒なので、北斜面を勝手に下ってボーギノキビレへ。

広高山まで登山道で登って、いざ後半戦の開始。
山頂直下はササが被って、岩場があるので少し難儀をするが、すぐに荒れた植林帯となり、尾根を外さないように方向を確認しながら1056ピークを目指す。
この稜線にも古いテープがあったのには驚いた。

やがて1056ピークに着いた。
このあたりから周囲の森が素晴らしい。
特に東側の谷は静寂の森が広がっていたので、ピークから右の谷に降りてみると、幻想的な空間が広がっていた。
みんなでしばらくたたずむ。

ぴっけさんに、
「登山道から眺める森もきれいだけど、森の中に分け入って、中から眺める森もいいでしょう」
と話したら、うんうんと頷いていた。

ここから細い谷を下り、なつかしいシナノキ谷に降り立った。
ちょうど大滝の直下だった。
大滝で少し遊んで、谷を少し下る。

ぼっちさんの案内で、ノブガハラ谷の鞍部に突き上げる谷を県境尾根まで這い上がる。
なかなかの急登だったが最後の力を振り絞る。
鞍部には、ぼっちさんがつけた唯一のテープがあった。
これがノブガハラへの鞍部である。

県境尾根で小休止して、ノブガハラ谷を下る。
ぼっちさんご推奨の谷はいいところだった。

ぴっけさんもすっかりヤブ山突撃隊の隊員になって、元気よく降りてきた。

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降り立った広高林道の標高は980m。
ここから30分ぐらい歩いて、駐車場まで戻った。

休憩を含めて約7時間の広高山徘徊だった。
今回は、広高山を中心に、二つの谷と二つの稜線を越える面白いルートだった。
やっぱり匹見はいい。
ますますハマっていく

ルート選定:山口山の会のY代表
ガイド:ぼっちさん
客員:ぴっけさん

ルート図は、Y代表の提供です。(リンクへどうぞ)

2011年11月26日 (土)

広高山徘徊

最高の天気の中、ヤブ山突撃隊の3人と、Y代表、ぼっちさん、
そして、周南山の会を代表して、『ぴっけさん』の六人で広高山を歩いた。

今日はカメラを忘れたので、携帯で撮影したが、アップロードに時間と金がかかるので、
とりあえず…おやすみなさい。

しかし、ぴっけさんは頑張りました。
周南山の会の底力を見せてくれました。

そして、案内役のぼっちさん、Y代表ありがとうございました。

やっぱり匹見です。

2011年11月23日 (水)

ビバーク日記(第7日目)

午前中は雨。
まず近くの行事に行く前に、母が、
「サムい…寒い」
と言うので、ファンヒーターを出す。

ところが、母が、
「いっそ暖かこうならん」
とダメだし。

どうやら、昔の石油ストーブの赤い炎が見えないといけないらしい。
「あのね、これで部屋全体が暖かくなるし、前のストーブは火事の危険性があるからダメ」
「あれがええ…ちっとも暖かこうない」
「火事になるからダメ」

ストーブばかりは折れていはいけない。
きっと火に手をかざして温まりたいのだろうが、今のままでは必ずいつか火事を起こす。
今まではホットカーペットだけだったが、コタツにのスイッチも入れていく。
「これでどう?」
「寒い」
「これ以上ダメ」
と告げて、隣町の行事に出かける。
人が多かったので焦ったが、とりあえずミッション終了。

家に帰ってみると、妹の車が止まっていた。
母の部屋を覗いてみると、二人がふかしイモを食べている最中だった。
ストーブは消えている。

「ストーブは?寒くはないの?」
「暑かったから切った」
「そうかね…」

妹が帰ってから、母は仏壇を5回ぐらい拝んだ。
荒神様にも三回ぐらいお灯明をあげにきた
さすがに4回目には、
「もう10回は拝んでいるから、いいんじゃないの」
と宣言した。

今宵は、若鶏鍋。
どうやら、スープや具は全て同じで、メインが、ホルモンか、キムチか、鶏肉の違いだけのようだ。
これでボクの鍋セットシリーズは終了。

明日、妻が帰ってくるが、ボクは飲みなので、JR駅に迎えに来てもらう予定。
妻の顔が鍋に見えたら…どうしよう…。

2011年11月22日 (火)

ビバーク日記(第6日目)

昨夜がホルモン鍋セット。
今宵は、冷蔵庫にあるキムチ鍋セットと若鳥鍋セットのどちらにしようか迷ったが、結局、キムチを選択。

朝は、○○家の朝食セットだし、昼は弁当なので、この数日、同じものばかり食べている。唯一、昼の弁当のおかずが少し変わるぐらいである。

そういえば体の活力が失せてきたような気がする。
毎日同じものばかり食べているので、ブロイラー状態だ。
人の顔も鍋に見えてきた。

どうして違うものを食べないかと思われようが、晩酌なしで済ませられないから外食ができないのだ。
どうして鍋セットばかり買うのかと思われようが、お総菜をあれこれ選ぶのが面倒なのだ。
どうして料理をしないのかと思われようが、早く晩酌がしたいからそんなことをしている暇がないのだ。

このごろはスーパーマンも様変わりした。
家に帰ると、すぐに風呂のスイッチを入れて、やかんをコンロにかけておく。
そのあいだに母の様子を見に行く。
3分間…話をしているうちに湯が沸くから、ポットに湯を入れて、まずは缶ビールをあおる。

ちびちび呑んでいると風呂が沸く。
風呂をさっさと済ませて、鍋セットをコンロに掛けて、焼酎の湯割りをあおっているうちに鍋が炊きあがる。
あとは鍋をつつきながら正式な晩酌開始となる。

これが最近のボクの一日。
することも食べることも一緒。
唯一の気分転換は土日の野良仕事だけ。

明日は貴重な祝日だが、二つの行事に行かなければならない。
どちらも昼前後なので、夕方少し何か出来るだけだ。

はやく土曜日が来ないかな。
冬支度を始めた匹見が待っている。

H高の野球部のい残り練習の打球音が響く。
あんなに一心不乱にやりたい。
あの歳頃にも邪心は多いが、とりあえず目の前のことに没頭する活力と集中力がある。

生きようとする気が、ひとを生かせてくれる。
母と自分を見ていると、つくづく『老い』の怖さを思い知らされる。
伸びようとする意志がなくなると…おしまいだ。

仕事もそうだ…H君。


2011年11月21日 (月)

ビバーク日記(第5日目)

妻が帰ってくる木曜日は、仕事上の懇親会があるので、3日分の夕食を手当てすればいい。
鍋セットを3種類(もつ鍋、キムチ鍋、若鳥鍋)買い込んだので、もうスーパーに行くことはない。

家に帰って間もなく、「緊急地震速報」が流れた。
「おっ!」
と考える間もなく、「ずず~ん!!」という地鳴りが響いた。

すぐに母の部屋をのぞいた…晩飯の真っ最中だった。
「今の地震…分かった?」
「なに???」

母は、冷蔵庫にあるもので、どうにか自分の分は都合がつくが、ボクの分までは作れないという。
自分のおかずはありあわせのもので済ませられるが、恐らく、『息子のおかずを作るのに、何をどれだけ、どうやって作るか、そのためには何をどれだけ買わなければいけないか』
…と、いうことが考えられなくなっている。

このため、この土日は、ボクのところに来ては、何度も
「昼はどうするのか?」
「夜はどうするのか?」
「○子さんはいつ帰ってくるのか?」
と不安そうな顔をして聞いてくる。

その都度、
「昼は弁当を買ったし、夜の分もあるから大丈夫。木曜日には帰ってくるから」
と答えるのだが、顔を合わすたびに同じことを、同じ顔で聞いてくるので、こっちもだんだん機械的な返事をするようになる。

昨日は、朝から玉ねぎの苗を植え始めた。
風が強い中で一心不乱に植え付けている。
昼になってもやめようとしないので、とうとう、
「買い物に行くけど何がいる?」
と聞いたら、ようやく顔をあげて、少し考えて、
「昼はお弁当でいいから、お刺身と何かてんぷらを買ってきて」
と言った。

スーパーから戻ってみると、まだ畑にいたので、部屋に行って座卓に弁当を置こうとしたら、母の字で、
『玉ねぎをうえる』
という紙が置いてあった。

目下の母の懸案は、「息子の嫁が…いつまでか分からないがいないので、息子に飯を食べさせること」と「玉ねぎを植える」ことのようだ。
どうやら、玉ねぎの件はすぐに忘れるので紙に書いたが、息子の飯は脳裏の大半を占めているのだろう。

悲しくなったが、その横に、大きな赤い字で
『冷蔵庫に、夜の刺身と天ぷらがある』
と書いた紙を貼っておいた。

午後1時過ぎに畑から戻ると、
「昼はどうするのか?」
と聞いてきたので同じ返事をする。
妻からメールで届いたひ孫の写真を見せる。
「おお○ちゃんと……」
「△ちゃん」
「おお△ちゃん…大きゅうになって」
と喜ぶ。
一年前までは、少したってから、
「もう一回写真を見せて」
と言っていたが、いまではそれもしなくなった。

夕方、妹が様子を見に来た時、
「おかあさん、ちゃんと玉ねぎを植えたじゃない」
と声をかけたら、ポカンとした顔で、
「誰が植えたんかね? あんたが植えたの?」
とボクの顔を見た。
「おかあさんが昼過ぎまで一所懸命に植えていたよ」
「ふ~んそうかね。ちゃんと植えちょるかいね」
「そのときはしゃんとしているから大丈夫」
「そうかね」

暫くすると、
「夜のごはんはどうするの?」
「買ってきたから…おかあさんのは冷蔵庫にあるって書いてあったでしょ」
「そうかね…こねえなってしもうたら施設にでも入らんと…わたしゃあどうにもならんようになった…」
「そういう病気なの。だからボクたちが帰ってきたんだから、自分でまだできるから大丈夫」
と、いつものやりとりをした。

また、さっき部屋に来て、
「○子さんはいつ帰ってくるんじゃったかね?」
「木曜日」
…これがひたすら続くのだ。

2011年11月20日 (日)

ビバーク日記(2~4日目)

え~と、金曜日は、ある人と呑み。
職業も、育ちも、違う人と話したのだが面白かった。
お互いに目からうろこのような会話が続いた。

「ヤブ山さんは、そんなこと言っていいんですか?」
「は~い、ボクはこんなものですから」

土曜日は朝から雨。
夕方、先週親父を亡くした親友Mが、
「一応、葬儀の受付のお礼を兼ねた、『亡父をしのぶ会』をやろう」
と言うので、親友Tと、
「亡きおじさんをしのぼう」
ということで、Mの家に押しかけて、宴会ではなく偲ぶ会を挙行する。

Mが、ぽっかり空いた親父さんの定位置に座るが、
「おまえは、まだ5年早いんじゃないか」
で衆目が一致し、敢え無く我々の横に座らせる。
こんな関係がいつまで続くか、話題になった。

今日は、晴天だが風が強い。
切りたい雑木がいっぱいあるのだが、風当たりが強いところを避けて山中に入る。

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細い竹を一本切るだけで明るくなる。
でも外からは分からない。
座り込んで一服する。

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そのうち風が少し収まってきたので、懸案の雑木に手を合わせる。
墓の前なので、おやじが「どうにかせい」と言っているような気がするので、
いよいよ伐採にかかる。

受け口を作る。
基本は倒す方向から1/3ほどだ。
まあまあの出来だろう。

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直径は25センチぐらいだが、これを切る段になると大きい。
チェーンに頑張れと言いながら、スロットルを握る。
「バキバキ」と音を立てながら倒れていった。

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これを玉切りする。
つまり、運びやすいように短く切る作業だ。
続いて小枝を払って、山中に運ぶ。

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シイタケプロジェクトの上の段で始末していると、
「ここでもいいかな?」
と親父が言ったような気がした。

ここならボクが死んで墓に入っても、すぐ目の前だから、息子がちゃんとやっているかどうか見張ることができる。
1時間で始末を終える。
木の始末も、魚をさばくのと同じような行程だ。

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休みながら、シイタケプロジェクトの第一候補を眺める。
倉庫の裏なので、採取にはあっちのほうが楽だが、こっちの方が眺めがいい。

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…ここまで書いたら、50肩が猛烈に痛くなってきた。
今日は頑張った。
家の周りも少し明るくなった。

いつ死んでも悔いはないと自負していたが、
やりたいことはたくさんある。

2011年11月17日 (木)

ビバーク日記(1日目)

女房が一週間いないので、今日の晩飯からビバークのスタートである。
昼休みに職場の連中と買い物談議をした。

ボクの持論は、
「いい歳をしたおっさんがスーパーで買いだしをしていると、主婦やレジのおばさんは、必ず女房に逃げられた哀れなおっさんという目で見るのだ」
…ということなのだが、おじさんになりかけの独身貴族によると、
「そんなことありませんよ。堂々と買えばいいんです」
と言う。

「お前はおじさんのプライドを捨てたのか?!周りから哀れな目で見られているんだぞ」
「そんなことはありません。誰も気にしたりしませんから、周囲を気にせず普通に買えばいいんです」
「だからお前は男としてのオーラがないから、いつまでたっても独り者なんだ」
「そんなの関係ありません!」

次に、おばさんになりかけ?の派遣女性に、同じ質問をしてみた。
「十中八九、単身赴任者と思うでしょうね」
「ホント?女房に逃げられたおっさんと思わない?」
「そこまで勘ぐったりしません」

「ふ~む…、ボクの考え過ぎかな。でも心の底では哀れな奴と思ってたりして。メモを見ながら買い物を頼まれた振りをするのはどう?」
「気にしません」

「なに?どうでもいいわけ?」
「今は男性の買い物客も多いですし、だいいち、いちいち、そんなことを想像したりしませんから」

「でもね、明日の朝は『すき屋』で食べればいいし、昼は弁当を頼むし、夜は飲み会をセットしたから、帰りに『ホルモン鍋セット』をたったひとつ買えばいいなけど、どう考えても恥ずかしいと思わない?」
「そういえば、主人に『○○を一つ買って帰って』と頼むと、『ほかに何か一緒に買うものはないのか』と言われます」
「そうだろう!おじさんはひとりで買い物をするのが恥ずかしいのだ」
「あのう…要は気の持ちようだと思いますが…」

「あなたの御主人は正しい。大事にしてあげなさい」
「………」


…そう言って、帰りに某スーパーに寄って、はたと考えた。
久しぶりの買い物である。
もつ鍋セットがどこにあるか、すたすた歩きながら探すが…どこにもない。
肉コーナーにない。
お総菜コーナーにもない。

この店は、おじさんをバカにしているのかと抗議しようかと思ったが、買い物客は平然と流れているので、できるだけ単身赴任者のような顔をしてもう一周してみた。

!…ありました。
冷凍食品エリアの横に、ありました。
持つ鍋セットに、うどんすき、ジンギスカンもある。
でも、ここで一品ずつ買うと足元を見られるので、もつ鍋セットとピリ辛イカフライを買ってレジへ向かった。

…ところが、「セルフレジコーナー」なるものがあるではないか!
自分でレジを通して、そのままおばちゃんと目を合わすことなく、外に出られるようだ。
少し立ち止まって観察した。

ボクよりも少し年上のおじさんが、もじもじ困って、近くのレジ係を呼んでいた。
「ここでレジの人を呼んだらまずい」
「あんなおっさんと同じになってはまずい」
と、直観的に悟ったので、礼儀正しくレジに並んだ。

ホントは、
「ボクはあのおじさんとは違います」
と声に出して言いたかったのだが、おじさんらしい振る舞いで通過した。

…これで何とか初日を乗り切ったと思ったが、家に帰ってみると妹が迎えに出てきた。
「おまえ何しよるん」
「おにいちゃんとおかあさんだけでしょ!様子を見に来たの! 今日は泊るから」
「心配せんでもええのに」
「○○ちゃんが、いちおう電話してきたから…明日は何もないし…」

…おいおい、鬼嫁がいなくなったら、鬼妹かよ!
 はちべえどのは、どんな顔をして、どんな仕草で買い物をしているのでしょうか?

2011年11月16日 (水)

早寝早起きの独り言

妻は、明日から東京だ。
一週間の予定なので、留守中のルーチン作業を強要する。

カレンダーに、母の治療食が届く日、牛乳の日、ごみ出しの日と分別、
…など、こと細かく書いてある。

それをいちいち説明するので、
「わかった!読めばわかる!」
と返事をした。

すると、ボクの機嫌が悪いと思ったのか、妻は急に静かになった。
機嫌が悪いというよりも、もう目があかないのだ。
今朝は4時過ぎに起きたから、ボクはもうすでに16時間も寝ていないのだ。

いま、ボクは妻に背を向けてこのブログを打っているのだが、
…もう、おやすみなさい。

2011年11月15日 (火)

冬まじか

今朝、家を出るとき車の温度計は「9度」

防府の勝坂トンネルを抜けて、小鯖に入ると「6度」だった。

スタッドレスタイヤを買おうと、帰りにタイヤ屋さんに寄ったら意外に高かったので保留。

母は、昨日に続いて調子がいい。

妻は、明後日から東京の孫のところに行くので絶好調

仕事に追われているボクは余裕がない。

この冬は寒くなりそう。

2011年11月14日 (月)

ふぅ~

公私ともに忙しくてブログをさぼっていた。

金曜日は、仕事の関係でセミナーのあいさつ。
挨拶要員にもだいぶ慣れてきたつもりだが、少し硬めの行事だったので、卓上に置いた挨拶要旨を拾い読みする。
でも、やっぱり早口になって、語尾をカンデしまう癖がなかなか治らない。

土曜日は、夕方から下関で結婚披露宴。
職場に出向していた女史だが、美人ほど良縁に恵まれないというジンクスどおりだった。
歳は少しいっているが、それにしても美しい花嫁だった。
ご両親が挨拶に来られたが、60歳半ばのおかあさんは、びっくりするほど美人だった。


さて、下関に向かっている車中で、親友Tから電話があった。
「Mのおやじさんが亡くなった。明日が通夜、月曜日が葬儀だ」

このおやじさんとは、Mの家で何回か一緒に飲んだことがある。
日頃は無口だが、酒が入ると高邁な演説が始まるので、とても楽しかった思い出がある。

昨日、早めに通夜会場に着いたら、喪主のMが、
「おお!ヤブ山!会社関係の受け付けは手配したが、一般の受け付けの手が足らないので、そっちを頼む」
と言う。
「残念だったな」
「うん」
という言葉だけ交わして、仲間のTと二人で受付をした。

…ということで、三瓶山の同窓会は来春まで持ち越しとなった。
実は一週間前に、Mのおやじさんの病状が悪化して、医者から「余命一週間」という宣告があった時点で、三瓶山は延期の決定をしていたのだ。

今日の本葬も、Tと二人で受付に立った。
おやじさんの出棺を見届けたのち、今日中に片づけなければいけない仕事があったので、そのまま山口の職場に向かった。

ボクの父は還暦寸前で旅立ったが、ボクもあと4年でその歳になる。
なんだか近づいてきた。

2011年11月10日 (木)

+70minutes

今朝の通勤は、交通事故の渋滞のため70分も余計にかかってしまった。

下松の、国道2号と高架橋の合流点付近で自動車事故が発生したらしく、高架橋の上で車が流れなくなった。
そのうち、レスキュー車や救急車がけたたましいサイレンを鳴らしながらセンターライン上をすり抜けていく。

どうやらほんの数百メートル先のようだ。
すぐに車は完全に動かなくなった。
もう1~2分早く出ていたら巻き込まれなかったはずだ。

そのうちナビに、国道2号との合流部分に事故現場と通行止めの表示が現れた。
すごい…どうやって情報をナビに届けているのだろうか。

GPS端末?ラジオ?
ボクの車のナビは、ETCやラジオ等のオーディオが一体化されているから、恐らく道路交通情報をキャッチしてナビに表示するのだろう。
そういえば、ときどき工事個所の表示が出るので、不思議に思っていたのだが、今回改めて情報化社会の進化を実感した。

前後とも長蛇の列になってきた。
ちょうど通勤時間帯だから、たぶん恋が浜の高架橋入口まで渋滞しているだろう。
無理してUターンする車もあるが、どこに行っても渋滞しているだろうから、エンジンを切ってそのまま待つことにした。
今日は特に行事もないので、職場に電話して訳を話し、1時間の年休をとる。

ラジオを聞きながら待つこと…70分。
職場に着いたのは9時。
今朝は2時間20分の通勤となった。

9時から会議があったら大変だった。
外部を招いての会議は、普通は朝10時スタートが恒例なので、朝6時半の出勤はやっぱりはずせない。
特に、昨日は呑みだったので電車で帰ってきたのだが、その翌朝からこれでは疲れる。


2011年11月 8日 (火)

140minutes

往復の通勤時間だ。
片道1時間10分もあるのに何もしていない。

以前も書いたが、語学の勉強や好きな音楽を聴いたり、今風のカラオケの練習でもすればいいのだろうが、どうも何かをしようという気になれない。

余命は確実に減っているのだから、なにか行動を起こすべきなのだろうが、狭い空間の中で何かに没頭するわけでもなく、ぼんやりとしながらラジオを聴いている。

夜9時過ぎには就寝して、朝4時過ぎには目が覚める。
夜は、晩酌をして、ブログをいじって、ちょっとテレビを見るだけ。
仕事は全くと言っていいほど家には持ち帰らない。
朝は、新聞を1時間読んで、ニュースを見ながら朝食をとるだけだ。

だから、この140minutesはとても貴重な時間のはずだ。
何もしていないのなら、なにか難しいことでも考えておけばいいのに、頭の中は空っぽだ。

したがって、ボクのハードディスクは、記憶や知識の蓄積はなく、ゴミ箱の役目しか果たしていない。
メモリだけで一日一日を勝負し、時々、ぐちゃぐちゃのごみ箱から得体のしれない残骸を出し入れしている。

認知症の母は、ハードディスクのほとんどを失い、わずかなメモリだけで生活している。
それも5分おきにリセットして、その瞬間瞬間だけを生きている。

妻は、堅牢なハードディスクを絶えず圧縮、デフラグを繰り返しながら、いつ何時でも瞬時に記憶を呼び出せる状態を保ち、融通の利かないメモリを駆使して、いつでもボクを攻撃できる体制を整えている。

…こんな三人が一緒に暮らしているのだ。

2011年11月 7日 (月)

三瓶山

近々、三瓶山に行く。
三瓶のどこをヤブ漕ぎするのかというと、山に登るのではない。
高校の同級生5人で、30年以上前にキャンプした地を再訪しようという企画である。

ずっと昔、就職した夏、地元に運よく就職できた同級生4人で、大山、三瓶のキャンプツアーを企画した。
ところが、前夜になって、車(ギャランGTO)を出す予定だった「H」がドタキャンしたので、急遽、集合場所だった「T」の新車(こっちはカローラ)に道具を積み込んで、3人だけでツアーに出かけた。
ギャランGTOですっ飛ばしていくはずが、カローラでノロノロと東に向かった。


その時に、いろいろな事件が発生して、今でも語り草になっているのだが、先月、この4人で呑んでいる時に、
「死ぬまでに、もう一度行ってみたいな」
ということになった。
「でも、もうすぐ還暦に手が届きそうなおっさんが、いまさらキャンプもねぇ…」
という弱音が出て、大山は諦めて、近い三瓶へ、しかもキャンプではなく旅館にでも泊まろう…というのである。

ボクを除いて、登山をするような奴はいない。
某銀行員、保険屋、某車のディーラーの重役という職業の全然違う同級生で、共通点は、「のんべえで、いい加減」というところだけである。

これに加えて、東京在住の某外資系企業の技術部長をやっている奴が、
「わしも仲間に入れてくれ」
と言って、一泊二日で、羽田から出雲空港に空路参加するという、何を考えているのか分からない輩も飛び入り参加することになった。
「宿泊パックで、○○国際観光ホテルが指定なんだけど、みんなと同じところに泊まるから…」
と意欲満々である。

実は、キャンプはしないものの、できるだけ当時の状況に近づけるために、ボクがこっそりキャンプ場のキャビンを予約しているのだ。
早めに「I」に伝えると、寝床のギャップに愕然とするだろうから、
「宿はオレに任せておけ。三瓶温泉だから…でも念のためにパジャマもね」
「どんな宿なの?」
「いいから、オレに任せておいて」
で、当日まで伏せておくことにした。


さて、話は30年前のキャンプツアーに戻る。
出発間際に、急遽車を出すことになった「T」は、前夜遅くに、車の掃除と点検をしたそうだ。
ところが、大山に向かう山中で、ラジエーターの異常を示すランプが点灯したので、ボンネットをあけてみたら、ラジエーターのキャップがなかった。
すると、「T」が、突然、
「あっ!昨夜、ラジエーター液があるかどうかキャップをあけて点検したけど…締め忘れたかも??」
と言い出したのだ。

そこは完全な山の中なので、ガソリンスタンドはないし、3人がその場に座り込んだ。ボクが、
「とりあえず厚手の布でも被せてみるか…」
と言いながらラジエーターをいじっていると、
「おおっ!あれはキャップ!?」
と、ボンネットの底で鈍く光っているキャップを発見したのである。

「よくあんなところに引っかかったままで、ここまで来れたな…。ヤブ山のおかげだ!」
と、ラジエーターに水を足して、キャンプ場に向かった。


昼過ぎにキャンプ場に着いて、さっさとテントを設営し、いざ酒盛りに突入。
しばらくして幼稚園の遠足がやってきた。

ボクたちを先客と思ったのか、引率の若い保母さん数人がやってきて、
「少し騒がしくなりますが、よろしくお願いします。ところで、いつからお泊まりなんですか?」
「??…さっき来ましたが…」
「えっ??」

…なぜこういう会話になったのか、ビデオでもあればよく分かるのだが、僕らのテントの前には、缶ビールの空き缶が1ケース分(24個)、ものの見事に空き缶の山になっていたのである。
着いてから、1時間くらいしかたっていないのだが、3人であっという間にがぶ飲みしていたのだ。

保母さんたちには笑われたが、お話ができたので、そのまま夜まで呑み続けて爆睡した。
…ところが、明け方の薄暗い時間になって、「T」が、
「おい!大変だ!車のキーを置いたままロックしてしもうた!」
「ええっ!?」

どうやら、いびきがうるさいので車で寝ていたのだが、明け方にトイレに行こうとして、念のためにドアをロックしたらしい。
「スペアキーは?」
「持ってくるわけないじゃん」
こんなときに、ドタキャンした「H」がいたら、当時は現役の整備士だったので、どうにかしてくれたのだろうが、のん兵衛3人組は、再び車のトラブルに茫然としたのである。

その時、薪を縛っていた針金が目についたので、ボクが見よう見まねで、ドアガラスの隙間に差し込んで、ガサガサ動かしていたら、突然、
「ガチ!」
といってロックが解除されたのである。
「おい!やったぞ!」
「またしてもヤブ山のおかげだ!」
で、窮地を脱した。
今の電子ロック時代ではこういう芸当もできなくなった。

その後、三瓶山に移動してからもいろいろな事件があった。
気が向いたらそのうちに書こうと思う。


ということで、今回は、
「あのときのトラブルは、すべてドタキャンした「H」が原因である。ワシらが死ぬまでに、あのときのカリを返してもらおう!」
というテーマなのである。
…ここまで書いたら、どうも昔、掲示板に書いたような記憶がよみがえってきた。


とにかく、おじさんたちは無事に帰ってこれるのだろうか?
…今回もたぶん事件が起こる。

2011年11月 6日 (日)

長距離の日

夜9時過ぎには寝るので、朝4時過ぎに目が覚める。
今朝も同じ。
ずっと雨続き。

やっと大学駅伝が始まったが、早々にレースの行方が見えてきて面白くない。
持ちタイムトップの大学が逃げ切りを始めたので、ほかのチームは突っ込みすぎて離れるばかり。

妻は、下関海峡マラソンに挑戦する長男のことばかり心配している。
素人ランナーだから、苦しければ歩けばいいし、どうせタイムオーバーで打ち切りだろうと思っていた。
…結果は、4時間11分で完走したそうだ。

世界記録の半分のペースだから、考えようによっては随分頑張ったのかもしれない。
キロ3分に対して、キロ6分か。
ボクの駅伝と同じペースだ。

でも、そんなことに精を出すよりは、嫁さんを探せばいいのに。
さっさと結婚してくれないか。
自分が気に入った人であれば、もろ手を挙げて賛成するのに…。

2011年11月 5日 (土)

8ミニッツ

朝から雨。
倉庫から、「シグ」のガソリンストーブを出す。

掃除をして、ボトルのホワイトガソリンを追加し、ポンピング。
プレヒートの手加減を忘れて、赤い炎が燃え上がる。

三回目でようやく適量を思い出す。
コッヘルで湯を沸かしてみた。

妻に早めの昼食を準備させて下松へ。
本当は、「猿の惑星」を見たいのだが、夜にしかやっていない。
少し考えて、「8ミニッツ」に決めた。
三銃士は…ちょっと…。

さて、「8ミニッツ」は適当に面白かった。
たぶん、SFの映画化だろう。

あり得ない現実を設定して話を展開する手法はアメリカならではだ。
…ボクの空想もこんなもの。
たぶん、あすの天気もそんなものだろう。

田んぼに水がたまって、トラクターは入らない。
こんなときは、虚空へ飛ぶしかないか…。

2011年11月 3日 (木)

秋の大祭

ボクの部落にある金毘羅社の秋の大祭が挙行された。
家の裏山にあるので、ボクの家が一番近いし、専用の近道もある。

数年前までは母が元気だったので、ずっと役員をやっていたが、今は辞退している。
道普請などは自発的に手伝ったり、数軒の農家でお接待用に新米を奉納しているが、今回は、部落の一員としてお参りに行った。

母も参拝すると言うので、ボクだけなら3分で行けるところを10分かけて上がった。
この社は、平成になって建て替えられて、いまでは地元の立派な社に復活している。

なんでも200年の歴史があるらしく、ボクが小さいときにはボロボロだったのに、見違えるようだ。
元旦にもお参りする人が多く、我が家もこの社に参拝して、そこからうちの山道に分かれて、御神木の根もとに鎮座する我が家の氏神様にお神酒をあげるのが、年始のおつとめである。

今日は、市長や県議も参拝されて、盛大なくじ引きと餅まきが行われた。
役員の中にも小さい時から知っているおじさんもいて、
「おお…よう帰ってきたのう」
と声をかけられた。

終了後、役員をしている人から、
「ジゲの役員が高齢化して、転入組の役員の方が多くなって、いろいろ難しくなっているので、実家に戻ったのなら、次の大祭から役員になってくれないか?」
と頼まれた。

我が家が一番近いし、うちの敷地に参道の入り口があるので、協力するつもりだ。
団地の人には、我が家からの近道を教えてあげた。
昔を思い出しながら、新しい地元になじんでいく。


2011konpira


昭和の残骸

シイタケプロジェクトでササを刈っている時、トイレが汲み取りのときに使っていた腰かけ型プラスティック便器カバーが現れた。
たぶん昭和の終わり頃のもので、亡父も使用していたはずだ。

昭和の時代の生活は大変だった。
我が家の井戸は掘り抜きではなくて、山からの湧水を溜める浅い井戸だった。
物心ついた時には、ポンプを設置して台所と五右衛門風呂に配水していたが、ポンプが故障するとバケツに汲んで運んでいた。

トイレは当然汲み取りで、肥をかえるのはほとんど母の役目だったと記憶している。
ときどき天秤棒を担がされたが、今では、畑の横にあった肥溜もすっかり埋まって、どこにあったか判別できなくなった。
だぶん、このプラスティック便器の近くだったはずだ。

風呂も、今ではガス給湯機のバスタブ仕様になって、「薪をくべる」という言葉も聞かなくなった。

納屋には、すくも(もみがら)の中にサツマイモが保管してあったし、隣の牛小屋には頑固な黒毛がいた。
小学生の低学年の頃、父が牛を追って田を鋤く時に、重し代わりに鋤の上に乗った記憶もおぼろげとなってきた。

やがて耕運機やバインダーなるものが登場し、稲刈りも楽になってきた。
それでも稲漕ぎの時は、はぜかけの稲わらを運ぶのが辛かったが、移動式の脱穀機(ハーベスタ)が登場すると、機械化の波が一気に進んだ。

我が家もトラクターに移行し、父が亡くなってからは、コンバインを導入して、はぜかけと脱穀作業の重労働からも解放された。
2~3反の田んぼにそれだけの機械を入れるのは農業経営上、狂気の沙汰であるが、祖先から受け継いだ田畑を守りたいという母の強い思いもあって、思い切って購入した。
しかし今では、ボクの気分転換・贅沢な趣味として、貴重な財産となっている。

餅も、「だいがら」で一家総出で何升もついていたが、今では餅つき機で、お飾り用と僅かな食用、そして子供たちへ送る程度になった。
寒餅や氷餅もいつの頃からかやめてしまった。

痴呆が進んだ母に、
「市街化区域に入っておいてよかったね。早めに水洗化されたし、風呂や離れとの行ききが楽なのも、あのとき母屋を建て替える決断したから、今はこんなに楽ができる」
「そうだね。私がこの歳でこんなになるなんて、もう…風呂は炊けないし、肥かえもできないから、よかった、よかった」

昔の農機具は、資料館に寄付したり、廃棄物として処理したので今では何も残っていないが、倉庫の隅に、「結のときに使っていたお膳一式」、「天秤棒」、「ほぼろ」、「ふるい」だけは、こっそり隠している。

昭和の残骸は、もうこれだけしかない。
あとは、母とボクの頭の中にあるだけだ。
母の記憶が急速に薄れていく中で、残されたボクの記憶をどう引き継ごうか、と思案している。

シイタケプロジェクトもしめ縄づくりも…その手始めにすぎない。

2011年11月 1日 (火)

猿の惑星

最新作を見に行こうと思っているのだが、字幕版の上映時間帯が悪いので延び延びになっている。

ところが、昨夜、
スーパーマンになって晩酌をしていると、裏山から「ホーホー」という動物特有の鳴き声が聞こえてきた。
この数日来、気になっていたので、懐中電灯を片手に家の裏手に回ってみた。

感知灯がちゃんと点灯するのを確認して、声がする方にライトを当ててみた。
どうやら猿の群れがいるようだ。
横手の木々の間から、H高野球場の夜間照明の灯りが見えるし、トスバッティングの金属音が響いているのだが、それを恐れる様子もなく、お互いに鳴き声で連絡しながらゆっくりと移動している。

声が少し遠ざかったのでリビングに戻ってみると、ソファーに母が座っていた。
様子を話すと、以前、家の横の土手に猿が座っていたのを目撃した記憶がよみがえったようだ。

「想像以上に大きくて、私を見ても逃げようとしなかったの。シッシッツ!と声を出しても動こうとしないので、倉庫に棒っきれを取りに行ったすきにいなくなったの。裏縁に干していた玉ねぎが落ちていたのも、絶対猿の仕業だわ」
と何度も聞かされた話を始めたが、そのうち気が済んだのか、「じゃぁ、おやすみ」と部屋に帰って行った。

妻は、
「家の中に入ってこないかしら…戸締りはちゃんとしなきゃ」
と不安げな顔をする。

「金属バットは…古いのがあったけど、倉庫を整理した時に捨てたので、今度、新しいヤツを買っておこう。人間より大きくないから…見つけたら振り回す」
「ケガをしたり死んだりしたら困るわよ。花火か爆竹はどう?」
「金属バットは護身用に要るから買っておく。爆竹かぁ…」
「毎日毎日お母さんと同じ話をして、何をしているか一日中気を使わなきゃいけないし、とうとう猿も出てくるし…頭が変になりそう…」

…ボクも頭がおかしくなって、ホラー映画のジェイソンのようにチェーンソーを振り回さないか心配になってきた。

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