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2011年11月 8日 (火)

140minutes

往復の通勤時間だ。
片道1時間10分もあるのに何もしていない。

以前も書いたが、語学の勉強や好きな音楽を聴いたり、今風のカラオケの練習でもすればいいのだろうが、どうも何かをしようという気になれない。

余命は確実に減っているのだから、なにか行動を起こすべきなのだろうが、狭い空間の中で何かに没頭するわけでもなく、ぼんやりとしながらラジオを聴いている。

夜9時過ぎには就寝して、朝4時過ぎには目が覚める。
夜は、晩酌をして、ブログをいじって、ちょっとテレビを見るだけ。
仕事は全くと言っていいほど家には持ち帰らない。
朝は、新聞を1時間読んで、ニュースを見ながら朝食をとるだけだ。

だから、この140minutesはとても貴重な時間のはずだ。
何もしていないのなら、なにか難しいことでも考えておけばいいのに、頭の中は空っぽだ。

したがって、ボクのハードディスクは、記憶や知識の蓄積はなく、ゴミ箱の役目しか果たしていない。
メモリだけで一日一日を勝負し、時々、ぐちゃぐちゃのごみ箱から得体のしれない残骸を出し入れしている。

認知症の母は、ハードディスクのほとんどを失い、わずかなメモリだけで生活している。
それも5分おきにリセットして、その瞬間瞬間だけを生きている。

妻は、堅牢なハードディスクを絶えず圧縮、デフラグを繰り返しながら、いつ何時でも瞬時に記憶を呼び出せる状態を保ち、融通の利かないメモリを駆使して、いつでもボクを攻撃できる体制を整えている。

…こんな三人が一緒に暮らしているのだ。

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