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2011年11月 3日 (木)

昭和の残骸

シイタケプロジェクトでササを刈っている時、トイレが汲み取りのときに使っていた腰かけ型プラスティック便器カバーが現れた。
たぶん昭和の終わり頃のもので、亡父も使用していたはずだ。

昭和の時代の生活は大変だった。
我が家の井戸は掘り抜きではなくて、山からの湧水を溜める浅い井戸だった。
物心ついた時には、ポンプを設置して台所と五右衛門風呂に配水していたが、ポンプが故障するとバケツに汲んで運んでいた。

トイレは当然汲み取りで、肥をかえるのはほとんど母の役目だったと記憶している。
ときどき天秤棒を担がされたが、今では、畑の横にあった肥溜もすっかり埋まって、どこにあったか判別できなくなった。
だぶん、このプラスティック便器の近くだったはずだ。

風呂も、今ではガス給湯機のバスタブ仕様になって、「薪をくべる」という言葉も聞かなくなった。

納屋には、すくも(もみがら)の中にサツマイモが保管してあったし、隣の牛小屋には頑固な黒毛がいた。
小学生の低学年の頃、父が牛を追って田を鋤く時に、重し代わりに鋤の上に乗った記憶もおぼろげとなってきた。

やがて耕運機やバインダーなるものが登場し、稲刈りも楽になってきた。
それでも稲漕ぎの時は、はぜかけの稲わらを運ぶのが辛かったが、移動式の脱穀機(ハーベスタ)が登場すると、機械化の波が一気に進んだ。

我が家もトラクターに移行し、父が亡くなってからは、コンバインを導入して、はぜかけと脱穀作業の重労働からも解放された。
2~3反の田んぼにそれだけの機械を入れるのは農業経営上、狂気の沙汰であるが、祖先から受け継いだ田畑を守りたいという母の強い思いもあって、思い切って購入した。
しかし今では、ボクの気分転換・贅沢な趣味として、貴重な財産となっている。

餅も、「だいがら」で一家総出で何升もついていたが、今では餅つき機で、お飾り用と僅かな食用、そして子供たちへ送る程度になった。
寒餅や氷餅もいつの頃からかやめてしまった。

痴呆が進んだ母に、
「市街化区域に入っておいてよかったね。早めに水洗化されたし、風呂や離れとの行ききが楽なのも、あのとき母屋を建て替える決断したから、今はこんなに楽ができる」
「そうだね。私がこの歳でこんなになるなんて、もう…風呂は炊けないし、肥かえもできないから、よかった、よかった」

昔の農機具は、資料館に寄付したり、廃棄物として処理したので今では何も残っていないが、倉庫の隅に、「結のときに使っていたお膳一式」、「天秤棒」、「ほぼろ」、「ふるい」だけは、こっそり隠している。

昭和の残骸は、もうこれだけしかない。
あとは、母とボクの頭の中にあるだけだ。
母の記憶が急速に薄れていく中で、残されたボクの記憶をどう引き継ごうか、と思案している。

シイタケプロジェクトもしめ縄づくりも…その手始めにすぎない。

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コメント

>納屋には、すくも(もみがら)の中にサツマイモが保管してあったし

子どもの頃住んでいた借家の床下にはすくもの穴蔵があって、時々、さつまいもを取りに家主のおばあちゃんが潜り込んでいました。

昨日、家庭菜園のさつまいもを収穫。畑を変わったため、例年に比べ小さい。まあ、肥料も一切やらないので当然。収穫量はすくも蔵はおろか、1袋弱

さつまいもは、小生はまさにその頃のトラウマゆえ…なるたけ食さぬよう避けておりますが、
…僅かな味覚を思い出せば…ぜったいに、小さい焼き芋がうまいでせう。

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