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2012年1月

2012年1月31日 (火)

デイ・サービス

今日、家に帰ったら、妻が積極的にしゃべった。
このところの寒波で部屋にこもることが多い母が、今日はようやくデイサービスに行ったそうだ。

でもその前に色々あったらしい。
朝、妻が起こしに行くとベッドからは出たものの、
「やっぱり寒いので…今日は休む」
と言って、再び布団にもぐりこんだらしい。
そこで、妻はセンターに欠席の電話をして家の掃除を始めたらしい。

ところが、9時頃、すっかり盛装した母が、
「デイサービスのバスはまだよね?」
と現れたそうだ。

妻は、バス時間を過ぎているので施設に電話をして、
「今から連れていっても受け入れてもらえるの?」を
確認して、車で連れて行ったそうだ。


最近、母は感情の起伏がなくなってきた。
一月前ぐらいまでは、強い母が現れることがあったが、最近、爪を噛むようなしぐさをするようになった。
「ボクが小さい時にお母さんからよく叱られたけど、今度はボクから注意しておくよ」
と諭すとすぐに手を降ろす。
でも翌日になると同じしぐさをする。

「先週、兄貴夫婦が帰って来たのを覚えてる?」
「○雄は何となく覚えているけど、○子さんも一緒だったの?」
「二人としっかり話をしたじゃない」
「ふ~ん、そうじゃったかね」


家の裏の竹を再び切り始めたのは、ヒョロ長い雑木がよく見えるようにするためだ。、
母が以前、5月頃白い花が咲くのを楽しみにしていたことを思い出したからなのだが、それを指さして教えても反応が鈍い。
「そうじゃね、あれじゃったね」としか言わない。
以前であれば、
「まあきれいになったね」くらいは言ったはずだ。

寒いので、嫁の買い物に付いていくこともなくなった。
以前は、かぼちゃばかり買っていたのだが、最近は嫁に、
「巻き寿司と刺身と…豆腐をお願いね」
と頼むのがワンパターンだそうだ。週三回、頼む時は決まってこのセットである。


ところが、先週、兄夫婦を迎えての夕食に出された刺身の盛り合わせを見て、
「まあ…お刺身…久しぶりだわ」
と言ったので、ボクたち夫婦と妹の三人は思わず顔を見合わせてしまった。

何を食べたかはもちろんのこと、食べたことすら忘れているので、
「ちっともお腹が空かないけど大丈夫かしら」
「ちっともトイレに行っていないので便秘薬を買ってきて」
…などの発言がしょっちゅうである。

「何も食べさせてもらえない」
と言われるよりはマシだが、それにしても悲しい。

今はまだ身の回りのことは普通にできているので、周囲に害を及ぼすことはないのだが、それができなくなった時が大きな転換点になるだろう。

今は刹那の中で、薄れていく理性か本能で対応しているが、この状態で、排泄、食事、入浴など最低限のことが無意識?になってもできるかどうか…。


底なし沼に落ちていく母を助けられない…そんな悲しい結末が近づいている。


2012年1月30日 (月)

竹炭物語

それはそれは…この日曜日のことでした。
ヤブ山おじさんはいつものように裏山に竹を切りに出かけました。
しかし、昨日も竹を切ったばかりなので、とうとう竹切りに飽きて、家の裏のササを刈ることにしました。

ところが、なんということでしょう!
1mも刈り込むと、数年前に伐採した枯竹の棚が現れたのです。
そこで少し離れたところで野焼きをすることにしました。


おじさんは、要領よく杉の落ち葉を焚きつけにして、少しずつ焼き始めました。
30分ぐらいたった頃でしょうか、職場から携帯に電話が入ったのです。
ところが、火のそばから離れようとして歩きはじめた時に、ヤブ山おじさんは足元のレーキに足を引っ掛けて、燃えさかる炎の方に倒れこんでしまったのです。

炎をよけるためにとっさに反転したのですが、それでも完全に避けきれないまま手をついてしまいました。
山仕事の危険性を知っているヤブ山おじさんは、いつも分厚い皮手袋をしているのですが、この時は携帯電話を操作するために右手の手袋を外していました。

ここで右手をついていたら最悪の結果になっていたかもしれません。
でも、ヤブ山おじさんは、とっさなのか、偶然なのか分かりませんが、手袋をはめた左手をついたのです。
ヤブ山おじさんは、一瞬助かったと思いましたが、すぐに「あちっ!!!!」と叫んで左手を引き抜きました。

よく見ると、手袋に覆われていた掌や指は何ともなかったのですが、袖口と手袋の間にわずかな隙間があったのです。
そこにまだ熱を持っていた竹炭が入ったのでしょう。
手首の内側に直径4㎝ぐらい表皮が円状に剥がれていました。

まだ痛みは襲ってきません。
表皮が焼けただけで、表層にまでは届いていないようです。
ヤブ山おじさんは、流水で冷やすために家に戻りました。

家で掃除をしていた鬼嫁は、一瞬驚いた表情を浮かべましたが、すぐに冷静になって念入りに消毒し、塗り薬をぬって、大きめのカット判を貼り、その上にさらに包帯を巻いてくれました。

「ばあさんや…お前が途中で生乾きの落ち葉さえ持ってこんじゃったら、あの竹はちゃんと焼けて灰になって、あんな熱い炭にならんですんだのにのう。普通は灰になるのが炭になっちょったんぞ」
「じいさんや…あんたが「入れてもええ」って言うから入れたんよ。あんたの言うとおりにしただけなんよ」
と優しく言い放ちました。
この言葉を聞いたヤブ山おじさんは、「やっぱりこいつは鬼嫁じゃ」と心の底で密に思いました。

一方、事件の関係者はヤブ山夫婦だけではありませんでした。
電話をかけてきた職場の主任には何が何だか分かりません。
なにせ、電話に出たヤブ山おじさんが、
「もしもし……おお○○か……うぉ!あっち!!!」
と叫んだきり、うんともスンとも言わなくなってしまったのです。

冷水をかけ始めてようやく我に返ったヤブ山おじさんは、電話中だったことを思い出して、
「すまんすまん…やけどをしたようじゃ」
「何があったんです?」
「ええからええから…用事はなんじゃ?」
「実は………」
かわいそうに、ヤブ山おじさんには仕事の問題も発生していたのです。


ヤブ山おじさんが野焼きの現場に戻ってみると、蹴飛ばされたレーキが離れたところに飛んでいました。
レーキの先が顔にでも当っていたら大変な惨事になっていたことでしょう。

そんなことを想像したヤブ山おじさんは、残りの竹を燃やしながら我が身に次々と降りかかってくる災難を嘆きました。
上空では一羽のトンビがクルリと輪を描いています。
どうやら、鬼嫁と同じように「バーカ!」と啼いているようです。

とうとう誰もいたわってくれないので最愛の友人にすがることにしました。
…こうしてヤブ山おじさんの日曜日の晩酌、いや夕酌はいつもより30分早く始まったのでありました。
めでたしめでたし。<完かな?>

2012年1月29日 (日)

一週間分日記

先週の日曜日、裏山で竹を切っていると鈴の音が聞こえた。
チリーン、チリーンとなっている音が近づいてきた。

おかしいなと思って上を見あげると、
すっかりスリムになったはちべえどが下を見下ろしていた。


これがはちべえどの突入の山道。

H24_001


その後、山の中で話をした。
ボクが絶望的な竹伐り作業をしていたところ。

H24_002


それから山道を歩いていく。

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今週も山仕事に精を出した。
体はボロボロになってきた。

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山の下から突き上げる竹を切った。
もうヘロヘロである。


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我が家から見上げた裏山。
少しササを刈ったのだが、もう体がいうことをきかぬ。
とにかく疲れた。

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おまけの写真。
クロガネモチとナンテン、万両のそろい踏み

H24_006


2012年1月28日 (土)

復活

やっとネットにつながった。

毎晩FAQで仕入れた対処法を試しては挫折の日々が続いた。
といっても晩酌後なので、挑戦は10分だけ。

昨夜、とうとう再インストールすることにした。
それはそれで成功したのだが、インターネットにつながらない。
昨夜は1時間がんばったのだがダメ。
今朝は7時からいじり始めて、さっきようやくつながった。
ユーザー名にプロバイダ名をくっつけるのを忘れていただけだった。


とにかく疲れたので、今から裏山へ行きます。

2012年1月23日 (月)

パソコン不調

パソコンがおかしいのでメンテ中。
しばらくお待ちください。

▼はちべえどの
ビールありがとうございました。
礼を書こうとしたらパソコンが壊れていました。

2012年1月21日 (土)

休日の晩酌

昨夜は、職場のOBと湯田温泉で飲み会。
ボクが光市に帰るときに、出発の宴以来である。

二人とも6~7歳年上なので、叱られるのはいつもボクである。
「おまえ!もっと、しゃきっとして仕事をしちょるか!?」
「部下をもっと鍛えろ!甘やかすな!」
…等などいまだに厳しい先輩だ。

でもそんな先輩が、
「お前は…よく思い切って実家に帰ったな。まいった」
とほめたのか、自分を反省したのかつぶやいた。

みんな介護の世代だ。
自分がいつ介護されるか分らない中で親の介護をする時期になった。
「おれもいつ死ぬかもしれん。今後は、年に4回呑もう」

思い出した。
昔であれば、「年に4回は呑もう」だった。
そのくらい先が見えてきた。


妻に夜遅く駅まで迎えに来てもらった。
髪を切って若返ったのか、おばさんが進化したのか…評価できなかったので知らん顔をした。


今日は、8時半から裏山の竹伐り。
重くて倒れないので、目の前でだるま落としで切る。
猛烈に重くて、どちらかに倒れないかと体重をかけるが空を突いたままだ。

中庸というものは、時と場合を考慮しないといけない。
そうしないと、いつまでも空を向いたままになる。
自覚せよ。

2012年1月19日 (木)

伴侶の紹介

ぴっけさんが、フォークギターと三線をブログで紹介していたので、ボクも負けじと披露しておこう。


007_2

右が現役のフォークギターで、中学時代のクラシックギター、高校時代の安物のフォークギターに続く三代目だ。
YAMAHAの「T-6」で、学生時代にバイトや古本屋に本を売って、当時6万円で購入したもの。
…ということは、購入してから35年ぐらい経ったことになる。

弦はMartinのlight gaugeかextra light gauge。
若い頃はmediumで十分押さえられたが、歳を取るにつれて指の力が衰えてきたので次第に柔らかいものに変えてきた。
ピックでストロークを刻む時は、heavyの方が向いているのだが、ボクはピッキングの方が多いので柔らかめの弦にしている。
(こんなこと書いてもフォークギターを持っていない人には何のことか分からんでしょうが…)

学生時代にラグタイムを始めてから、サムピックに加えてフィンガーピックをつけるときもあるが、やっぱり自分の爪で弾く音がいちばんきれいで自然な音が出るような気がする。
だから未だにボクの右手の爪は、小指を除いて伸ばしたままだ。

技術的には、初心者よりはマシだが、音感とリズム感という重要な才能が欠落しているので、まあまあのレベルが精一杯で、就職直後をピークに退化の一途をたどっている。


左がバンジョー。
値段は忘れた。自分の稼ぎで買ったから記憶がない。
就職直後に、前回書いた楽友Hの親戚の楽器屋で購入した。
1年ぐらい経った頃、立てかけておいたのが倒れてヘッドの真ん中が折れたのでボルトで固定するという大手術を行った。
バンジョーは見様見真似で弾いているのだが、やはり難しい。

マイナーな楽器なので、山口市内の店でもバンジョー弦は1種類しか置いていない。
弦を買い始めた頃、店員から、
「これバンジョー弦ですけどいいですか?」
と、よく確認されたものだ。

バンジョーの実物は見たこともなかったが、楽友Hから、ある映画(※YouTubeで調べたら「脱出」という映画だった)の挿入曲で、障害児と放浪中の大人がバンジョーとカントリーギターで競演する「Dueling banjos」を紹介されて、急にバンジョーを弾いてみたくなったのだ。

フィンガーピックには慣れていたので、割と抵抗なく弾き始めたが、楽器を変えても才能の欠落はどうしようもなく、簡単な曲がやっと弾けるか、ジャンジャカジャンジャカというストロークができるレベルにしかならなかった。

音が大きいので、山口のアパート時代には思い切って弾けなかったので、実家に戻ってからは練習するぞと意欲満々だったが、やっぱり埃をかぶっている。


ギターもバンジョーも就職直後まではよく弾いていたが、30歳前後から仕事が忙しくなって、音楽とはすっかり無縁の生活を送るようになった。
数年前から普通の生活ができるようになって再び弾きはじめたのだが、この十数年のブランクで指はすっかり錆びついてしまった。

しかも、老眼と近視が同時進行しているので、メガネをかけないとタブ譜は見えないし、かけてしまうとフレットがぼけて見えるので頭がクラクラするという困った事態も起こるようになった。
だから新曲に挑戦しようと思っても、すぐに投げ出してしまう。


これがタブ譜とフィンガーピック。


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2012年1月18日 (水)

連休

少し辛いところがあるので今日もお休みです。

2012年1月16日 (月)

裏山にいます


日曜日にいつものように裏山の竹を切っていると、下の方から、「お~い!」という声が聞こえた。

楽友の同級生Hだった。
積み上げた伐採竹の間をすり抜けて上がってきた。
「これ全部お前がやったのか?」
「うん」
「すげえな…お前」

昔、二人で弾きかけた生ギターのCDを見つけたので、タブと一緒に届けに来てくれたのだ。
ボクたちの共通のジャンルは、「ラグタイム」という生ギターの演奏。
ピアノでいえば、映画「スティング」のテーマ曲「ザッツエンターテイメント」のようなものだ。

ベースをミュートしたり、メロディーラインを高低音織り交ぜたりするのだが、この歳になると指使いやリズムに乗るのが難しくなってきた。

タブというのは、ギターのフレットを抑える位置と拍子を表した楽譜のようなもので、音楽を聴いて自分なりにどの指でどう抑えるかを工夫しながら演奏できる代物だ。

ひと月ぶりに会ったので、山中に座り込んで色々な話をした。

彼は数年前に親の介護などの事情で早期退職したのだが、官公庁などの臨時的な仕事を見つけては気ままに暮らしている。
職を辞してすぐに父親を亡くしたのだが、その後は母親の介護が大変になってきたそうだ。

高校以来の親友なので、妻もよく知っている人物だ。
さっき庭先で、妻から、
「裏山にいます」と聞いて上がってきたそうだ。
「俺も宮沢賢治のように、庭先に看板でもかけておこうかな」
と笑った。

昨夜久しぶりにギターを弾いた矢先だったので、
「F#m7がクリアーに鳴らなかった…情けない」
と言うと、
「オレも抑えた指が隣の弦によく触れるようになった」
「それと調弦が怪しくなった」
「そうそう…調弦器でも買おうかと思っている」
と、お互いの歳を嘆いた。

ゆっくりゆっくりと歳は流れていくのに、最近のボクの心情は浮き沈みが激しくなってきた。
それにつれて、一日一日があっという間に過ぎていく。

「裏山にいます」の看板を出し続けたい。
頑張らねば…。


2012年1月15日 (日)

頑張らねばなるまいて

昨日は妻と、岩国市錦町の小五郎山へ。

麓に雪はなかったが、林道終点の登山口から少しづつ雪が見える。
登るにつれて雪はどんどん深くなる。

北側になると吹き溜まりではひざ丈を超える。

それでも大雪後のトレースの痕跡が見える。
でも十王のコル手前で、トレースが完全消えた。
テープに気づかないまま、そこから少し上に振ってしまった。

5メートル損してコルで休む。
雪が深いので座れずに、立ったまま休む。
ここからは南尾根なので一週間前のトレースが現れた。
妻もぜーぜー言いながらついてくる。

コルから二つ目の手前ピークのところで、吹きさらしの雪が膝を超えてきたので昼食。
圧雪しながら、妻に、
「これでは山頂までは行けないから、ここで飯にする」
「え~っ! なんで? 行けないの?」
「行けません! あなたを連れて行けません!」

妻はラッセルはしないが、それでもかなり強い部類に属するだろう。
男と女でいえば、妻はボクよりも強いはずだ。
だから、ボクのあとを追って、多少足を雪下にとられてもガンガンついてくる。


周囲が真っ白な雪の中、ラーメンを炊く。
まずは妻に渡す。
ありがとう…の一言もない。
かなり疲れている。


ラーメンをすすりだしたので、自分のラーメンにかかる。
日が陰ると猛烈に寒くなる。


二人がラ-メンをすすりながら空を仰ぐ。
「日が差さんかのう」
「さむい」
「あと五分後に下山する」
「もう帰るの?」
「たぶん…寒くなる」


下る途中、十王のコルから少し上がった地点で昼食中のグループがいた。
あいさつをしてコルから、正規のルートをラッセルする。
トレースを見ると、彼らはボクが間違えた高巻きコースをそのまま歩いていた。

申し訳ないので、コルから正規ルートをラッセルする。
妻は、
「さっきのトレースはあっちにあるよ!」
と後から叫ぶが、
「これをつけとかないと、ボクは恥ずかしいの!」
と後を振り向かないまま宣言する。

登るときにかなり右に振ってしまったのが恥ずかしいのだ。
できればトレースを消したかったが、ラッセル続きで体力は残っていない。


次第に薄くなる雪に滑りながら、ようやく林道に降り立った。
そこから、妻と息子の結婚式の相談をしながら誰もいない林道を下った。


ひさしぶりに妻と真面目な話をしたような気がする。
ぼっちさんのように、リスク管理をしながら頑張った。

妻はそんなボクを分かっているのかどうか知らないが、
下りはじめてからはずっと無口で、車に乗り込んで初めて、
「あ~えらかった!」
とのたもうた。

2012年1月13日 (金)

行けるかな?

とりあえず仕事のめどが立ってきたので、晩酌は順調…だったはず。

明日は久しぶりにどこかに登ろうということになって、息子が残していった軽アイゼンが妻の登山靴に合うかどうかのチェックをした。

妻は相変わらずの御姫様登山で、そんなことはいっこうに気にせずに、
「雪があって、景色が良かったらそれでいいわよ」
とのたまう。


ボクはどうして他人の靴やアイゼンのチェックをしなくてはいけないのだろうか?
研がないと刃は立たないし、その意味もない。

倉庫の中で、そんなことをブツブツつぶやきながら、
妻の靴との相性を確認し、自分の靴のメンテナンスにいそしんだ。

まあ…ボクもようやく山に行こうという気が湧いてきただけましなようだ。
しかし、明日の出発時間からして、アイゼンがいるような山には行けぬ。

ホントに…お姫様は…偉い御仁であらせられる。のだ。ぶつぶつ。

2012年1月11日 (水)

哀れなおじさんの独言

朝から仕事に追われたので、夕方、周南市であった行事に直行。

いきなり初めの挨拶をさせられて、ステージの上で冷や汗をかいた。
あいさつは短ければよいというのが鉄則なので、そのあたりで適当に収めさせてもらった。

昨日の日記にも書いたが、いつの間にか大人にさせられて困惑している。
こんなに中途半端なボクが、さも大人の代表のように挨拶をすることが容認できない。

大きな声でできていましたよ…などと言われると、本人はさらに落ち込むだけである。


明日はこんな会合が二つもある。
だから、さっき家に戻って熱燗を二合飲んだのだが、ちっとも落ち着かない。
あと2合飲んだら、すぐにバタンキューになるのだが、明日の運転を考えたらそれも叶わぬ。

ボクはてっきりアル中か、肝臓病、脳梗塞、心筋梗塞でばったり逝くと思っていたが、
この調子では、まさかの胃潰瘍に足元をすくわれるような気がしてきた。


※追伸
竹野屋さんから匹見のコメントをいただいた。
いるんだな…やっぱり好きな人が。
うれしい…猛烈にうれしい。
これで胃潰瘍は…なんとかアルコール消毒で葬り去ることにしようっと。

2012年1月10日 (火)

大人になれない自問

三連休後の職場は辛い。
みんなそうなのだが、懸案を抱えている職場は輪をかけて暗い。

若い頃は、出るのも嫌でイヤで仕方がなかった。
この歳になると、やっぱり感性が鈍って…ヨロヨロ出勤する。

実は、我が子は登校拒否か引きこもりにならないかと心配だった。
ちょうど自分が仕事が猛烈に忙しいときで、子供に何もかまけてやることはできないし、そうする余裕もなかったので、当時の自分や社会現象を考えたら、自分が小・中学校にタイムスリップしたら、たぶん学校には行かないだろうと思ったからだ。

でも子どもたちはなんとか学校に行ったし、
親をバカにしているが、どうにかみんな独立した。

たぶん今頃、三人子供たちは、
①親というものは、こんなにいい加減で…あやふやなまま子供を育てていたのか?
②大人になったら「大人」になれるんじゃないの?!
…と、びっくりしているはずだ。

大人は大変だ。
でもそれを分かっていない大人がいるから、余計に大変なのだ。

2012年1月 9日 (月)

山仕事

今日も裏山へ。
何という木か知らないが、五月頃に白い花を咲かせる高木があるので、それが見えるように竹を切った。

この三日間、白肌の木の周囲の竹をゴリゴリ切り続けた。
昨日、仕事のトラブルが再燃したとの連絡を受けて、「どうしたものか…」と考えながら意地になって切り続けた。

どうも悪い方悪い方へと行ってしまう原因は分かっているのだが、筋は通さないといけないので、やっぱりまっすぐ突き進もうと決めた。


何度もベランダで休んでは裏山を眺める。
コーヒーを飲みながら妻と雑談する。

いい天気だが、母は鬱モードに入ったらしく外に出ようとしない。
昨日、長男の彼女と話をしたばかりなのに、昼に妻が、
「10月か11月頃には式を…」と言ったら、初耳のように、
「○太が結婚するのかね!?」
とびっくりしたそうだ。
毎日、その時々が新鮮なのだろう。

昼からも竹伐りの続き。
夕方、写真を撮って水割りモードへ。
左肩で支えながら竹を切ったので、左腕の力が入らずなかなか氷が割れない。

写真中央奥のヒョロヒョロとした木が主役。

H2419001


あれだけ切ったのに、ちっとも変わらない。
仕事と一緒だ。
頑張っても頑張ってもいい方向に行かない。
明日からそれと直面する。
気が重いが、ひとときの晩酌を楽しむ。

2012年1月 8日 (日)

客人

息子が彼女を連れてきて、ボクたち夫婦と4人で昼食会。
手持無沙汰なので、ボクだけアルコールを頼んだ。
相手の親も相当行ける口らしく、話が合いそうだ。
ちょうど二つ上の兄と同じ歳だった。

どうやら息子が、「父は大酒のみ」と吹聴しているらしく、相手の親から酒を二本の土産にいただいた。

彼女はしっかり者で、その会話から息子は完全に尻に敷かれている様子が覗えた。
我が家の男はそういう運命にあるようだ。
秋には式を挙げる予定だという。

昼食後、我が家で義父母も呼んでお茶会。
母は何度か同じことを聞いたが、まあ大過なく会話を楽しんだ。

これから結納やらいろいろ忙しくなるのだろうが、張り切っている鬼嫁に任せよ~っと。


2012年1月 7日 (土)

やまやま

昨日は仕事で頭に来た。
それが昨日の書きこみ…ということが分かった。

今日はそれを反省しないまま、裏山へ。
今日は20本以上、竹を切った。


切り過ぎて右肩が痛い。
温湿布を貼っても、気休みにすぎない。


今日も酔った。
明日も酔わねばならぬ。

2012年1月 6日 (金)

仕事の遺言

早朝からクレームの対応に追われた。

クレームにも様々ケースがあって、ボクもこの歳になるまでいろいろ経験してきたが、
はっきり言えることは、
「クレーム対応に完全なマニュアルはない」
ということだ。

どこで、なにが、だれが、どうして…なんで、ここまでもめたの…こうなったのか?
将棋の定石を理解すれば、だれでも名人になるかといえばそんなことはない。
トラブルは、いつ なんどき どこで どんな形で起きるかわからない。

だから、この歳になっても、どうやって対処するかはその場の勝負だ。

クレームがどうにか収まりつつあった頃、部下からこんなことを問われた。
「さすがですね…こんなときは…あの人とはあんな関係ですから…さっきのようなかんじで…あんなことで……」

「バタタレ!!!!!!!」
本気で怒った。
その時は、それ以上言う元気もなかった。


だから書いておく。


マニュアルがあればそれを読んで、それを使いこなせればいい。

それで済めばそうすればいい。

好きにやってみろ。

ただし、ダメだったら、上司に頼るようなやり方ならやめろ。

マニュアルは本質ではない。単なる手法だ。

人の手伝いをするだけで、こいつに人の悩みを解決できるわけがない。

だから、甘い誘いをかけてくるが、それに騙されるな。

それに気を許したら…本質はどんどん遠くなっていく。

甘えたくなるのは仕方がない。誰でも楽をしたい。

でも解決するのは自分しかいないのだ。

だから

いいか! ボクは手伝わないぞ!

2012年1月 5日 (木)

仕事2日目

昨日から仕事はじめ。

6日も休むと光市から山口までは遠くなる。
何度もあくびが出た。

昨日から母のテンションが急に上がって、さっき帰ってみたら急激に下がっていた。
妻が冷静に話す。
それを「うん、うん」と聞きながら晩酌を続けていたら、正月状態になってきた。

明日も仕事。
でもそれからは三連休。
部下には悪いが休ませてもらうつもりだ。

あれをやって、これを片づけて、向こうを覗く。
これが平成24年…。

2012年1月 3日 (火)

復活

大晦日から昨日まで呑んだくれの生活だった。
長男と次女が帰省し、家族4人と母で年末年始を迎えた。

長男の彼女が次の連休に家に来るらしい。
この間寄った時は、時間が遅くてゆっくり話もできなかったが、今度は食事をしながらゆっくり対面することになった。

次女は、
「おにいちゃんの彼女って…いったいどんなに奇特な人かしら」
と興味津津である。
「来週まで居ようかな」と半分本気であった。

母は就職した二人の孫にお年玉をあげようとするので、
「おかあさん 二人からもらってもいいぐらいだよ」
と諭す。
こどもたちは、「おばあちゃん大丈夫?」と心配しきりである。

昨日は妻の両親に年始あいさつ。
実家が近いとこんな時助かる。
子供たちは祖父母がみんな歳をとっていくのに驚いていた。
二人とも本気で、「長生きしてね」と言っていた。

ボクは三日間、呑み続けてとうとう風邪がぶり返してしまった。
さっき二人を見送って再び三人だけになったが、これからの一年一年は大切な時間になる。

2012年1月 1日 (日)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

このブログは、忘年会と新年宴会のため、

1月2日から再開いたします。(予定)

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