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2012年3月

2012年3月31日 (土)

大人の世界

昨夜は呑みすぎてへろへろで帰る。
約束通り迎えに来た妻は口を利かない。

ボクは呑んだだけで何も悪いことをしていないので、正々堂々と車に乗る。

「………」
「ねむたい」
「………」


ここまで15分。
佳境前に撃沈。

さて、午前中、裏山の西側を刈った。
急斜面を切っているとき、散歩中の中高齢の二人連れがすぐ下に生えていたフキをとりはじめた。

地主の僕の目の前である。
ボクが目の上にいるのことは途中で分かったのに、できるだけ穏便に済ませようと、下をむいたままばつが悪そうにとり続けている。
ボクは手を休めて眺めた。

なるべく声をかけやすいように、咳払いまでしたのだが、
このおばちゃんたたちはすごかった。


ボクを見上げた途端、
ボクを見ないようにして、そのまま二人で会話をしながら過ぎ去っていった。


いつものボクなら、叫ぶだろうが…悲しくなった。


誰にでもあげようと自然に生えさせているから、
誰もいなければ取っていけばいいのだが、
とったときに地主が目の前にいたら…。


「「いただきま~す」
「は~い、どうぞ」
…これが普通なのだ。

2012年3月29日 (木)

ヤブ山家の人々

今日も帰りに病院に寄った。

母がベッドに腰をかけてお茶をすすっていた。

「調子はどう?」
「いつ退院できるのかね?」
「まだ検査だから、来週になったら分かるよ」

「このまま帰っても、わたしは何もできないから…家に帰ったら大変だわ」
「療養食の宅配を頼めばいいし、デイサービスにきちんと行けば大丈夫」
…こんなことが言えるのに、いざとなったらどうして何もできないだろう。


10分ほど話をして、ボクが帰ろうとすると、
「いつ退院できるのかね?」
「いまは検査中、来週になったら分かるからね」
「今日は何曜日?」
「もくようび」
「そうかね」
「明日は来れないからね」
「そうかね」

家に帰って、仏壇に線香をあげた。
お供えは、すっかり妻の仕事になった。
拝むのはボクの役目だが、お経も覚えていないので、すぐに、
「チーン」


仏壇に飾ってある父の写真と対面しながら、
「おかあさんはねぇ、…………」
と報告した。


たぶん、
「バカたれが! しっかりせんか!」
と叱られた。


2012年3月28日 (水)

ふぅ~

月、火…連続で、山口市内で送別会。
二日とも最終便で、朝は始発。


この年になって睡眠4時間は最悪。


今日は水曜日。
三日ぶりに母の見舞いに行った。

ともあれ…おやすみなさい。

2012年3月25日 (日)

今日も山仕事

昨日から西側の山の崖を刈る。
これが家の西側。

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これは家の東側から。

向こう側を刈っているのだがよく見えない。


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切って切って切るまくる。


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写真では分からないが、急勾配の斜面を刈るには足場が悪すぎる。

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もう疲れてヘロヘロ。腕が上がらない。
嫌になって反対側に上がった。
同じ景色だと厭きる。
またあの向こうに行って切らねばならない。


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厭きてきたので、シイタケちゃんの様子を見に行った。

まだ全然、菌が繁殖していない。

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もう腕が上がらなくなった。
これで今シーズンの山仕事も終わりだが、
来週残りの枝葉をかたずけておしまいになる。

いよいよ春だ。


2012年3月24日 (土)

もちつき?

来週は匹見、妻の実家の行事とたてこんでいるので、今日と明日が今シーズン最後の山仕事になる。

今は西側の急斜面。
ササと雑木を切るが、あっという間に下に落ちる。
そのままでは夏に草刈りもできないので、斜面の途中に引き上げる。

枝を払って柵をたてながら積み上げる。


団地のチビがやってきた。
「おいちゃん…おモチ?……」
「?????」

何を言っているのか分からなかったが、
どうやらボクが杭を打とうと持ってきた『かけや』 を
『杵』 と間違えているようだ。

さもありなん。
…でも、これを読んですぐに笑える人がいますか?

かけやとは?
杵とは?

…くどくなったので、おやすみなさい。


2012年3月23日 (金)

雨にも負けず

夕方というか暗くなって母を見舞う。
すっかり小さくなったが、テレビのイヤホンをしたまま大声でしゃべる。

「声が大きい…抑えて…」
「まわりは年寄りだから…」
「いけん!!! それでみんなの声がうるさくなるの!」
と、言ったらしょげていた。

…ときには反省も大事である。
でも反省のふりはやめてほしい。

あの理性はどこに行ったのか。
怒らないように…諭しながら…母の眼を見た。

あとは書かない。

2012年3月21日 (水)

母入院

今日は休みをとって母の入院手続きをした。
総合病院だが、母が通う診療科目がダブっているのでやや手間取る。


病院は想像を絶する後期高齢者の世界だった。
超高齢世代を高齢者世代が介護していた。


我が家はまだましだ。
妻がいるし、妹も近所にいる。
「いいね」
といわれるが、
口には言い表せない犠牲がある。


それを済まぬといい、
いいのよと返され、
それじゃぁとわかれる。

これが家族の証しだ。

2012年3月20日 (火)

春4

今朝、デイサービスに行かせようと母の部屋を覗いた。
ベッドにもぐり込んだまま動かないので、あわててゆすったら、少し目をあけて、
「寒い…今日はどこにも行かん」
…妻が毎日聞いている朝の挨拶だった。


隣の部屋に入院用の支度がしてあるのだが、ベッドに入ったまま、
「おまえはなんでおるんか…仕事はええの?」

「今日は彼岸で休み。墓に参りに行かんかね?」
「替わりに…お願い」
「墓の掃除もしたし、シキミもやり替えたし、誰が来てもいいよ」
「そうかね…」


その後、畑の玉ねぎに鶏糞を撒いて、鉈を研いだ。

先週から、山の西側を伐採しているのだが、周囲に団地ができたので、朝8時までは音を出さないようにしているのだ。

9時過ぎになって本格的にヤブを刈り始めた。
10時頃、団地のチビがやってきた。
「おじちゃん…木を削っているの?」
「ち・が・う、、木を…切っているの」
「どうして切るの?」
「おじちゃんは…山をきれいにしたいの」
「ふ~ん…気をつけてね」
「ありがと」


ぐちゃぐちゃの「がっしゃんぐろ」をのたうちまわる。
かずらが幾重にも巻いているので細い木でも容易には倒れない。
手を伸ばして、蔓を引き寄せ鉈を振り回す。

空振りが多くなった。
そのうち足を切るかも知れない。
気合を入れようとするが、腕が効かなくなってきた。


子供たちのはしゃぐ声がこだまする。
自分が遊んでいたころの声と同じだ。


でも、今の自分には溜息しかない。
元気を出せと言い聞かせながら、ヤブを刈る。


カラータイマーが鳴りだした。
まだ四時半だが、気力が失せてきた。

速く水割りを呑まないと、心がすさんでしまう。
いさぎよく作業をやめて家に戻って顔を洗う。


あと3日あれば、西側の山はきれいになる。


2012年3月19日 (月)

春3

二週間前、僕たちが外出している間に、母は庭で転んだらしく、足の付け根が痛いと言って、家の中を這って歩く状態だった。

それに認知症と鬱症状が重なり、とうとう恐れていた持病が悪化してきたので、今回の入院となった。

ところが、入院が決まってからは、毎日着替えて外の空気を吸うようになって、とうとう今日は庭の草ひきをしたそうだ。

そして、先ほどまで仏壇の前でお経を唱えていた。
この変わりようは何だろうか。
たまたま調子が良かったのか、足が治ったから元の生活リズムを取り戻したのか?

持病の検査結果は悪化しているので、明後日の入院は予定通りだが、久しぶりに元気な母の姿を見て迷いが出た。


お経の調子はむかしの通りだった。
いったい、母のどこが悪いのだろうか…まったく分からなくなってきた。

2012年3月18日 (日)

春2

今日は、鬼嫁が実家の法事に行ったで、母と二人きりになった。

鬼嫁の苦労がよくわかった。


なにせ同じ会話が続く。
「私は入院するのか?」
「水曜日」


「だれが入院するのか?」
「あなた」

「今日は何曜日か?」
「日曜日」
「誰が入院するのか?」
「あなた」


…5分経過。


「今日は何曜日かね」
「日曜日」
「○子さんはどこにこったのかね?」
「法事」



「誰か旅行に行くかね」
「だれもいかん」
「あれは誰の荷物かね?」
「おかあさんの」

「わたしは死ぬるんかね?」
「すぐにはしなん」
「でも死ぬるんじゃろ?」
「そんなんにみやすうは死ねん」

「……」
「もう寝るね

2012年3月17日 (土)

昨日は午前中、周南で行事。
厳粛な修了式だった。
時々、あんな雰囲気を味わったほうがいいと切実に思った。

ところが、山口に移動中、妹から携帯に電話がかかってきた。
母は認知症のほかに持病があるのだが、どうやらそれが悪いらしい。
うまく機能していないので、とりあえず二週間の入院が必要だそうだ。


夜、山口で懇親会があったので、
今朝、母の部屋に行ってそのことを話したら、もう忘れていた。
「私はもう死ぬの?」
「検査だから…二週間」
「行きたくない」
「行かないと悪くなるばかり」
「もう家に帰れんかもしれん」
「すぐに帰れる!」
「もうだめじゃ」

…これが午前中。
ボクは9時から昼間まで畑仕事。
母がやらなくなった畑仕事をやることにした。
雑草をとり、畝をたてる。

母が植えた玉ねぎの雑草を取りながら、
「これが母の最後の玉ねぎか…」
と思うと悲しくなった。


でも、人に貸している畝の境界が分からなかったので、母を外に誘う。
この二週間、昨日病院に行った以外に一切外に出なかった母が久しぶりに外に出た。
「梅がきれいじゃね。裏山もきれいにしたんじゃね」
「もう春じゃけぇ。ジャガイモの種は倉庫にあったからボクが植えるね」
「じゃがいも?…」


それでも畑まで引っ張っていくと、いきいきとしゃべり始めた。
畝の境を聞いて、いよいよボクの畑プロジェクト開始だ。
畑で鍬をふるうのは40年ぶりかもしれない。
中学生のころ、遊びに行く前に一畝を打たされた。

母を部屋に連れて帰ったら、
「この荷物はなに?わたしは入院でもするのかね?」
「そう…来週ね」
「入院するの?今日は何曜日かいね?」
「土曜日」
「今は春かね、秋かね?」
「もうすぐ4月」
「もう春じゃったんかね…まだ寒いね」
「うん」

…もう入院のことは忘れている。

2012年3月15日 (木)

こわいはなし

昨日は周南で行事があったので、朝ゆっくり自宅発。
それにしても時間があるので、スタッドレスタイヤを履きかえることにした。

もったいないので自分でやった。
道具は鉄パイプと、あとは付属のジャッキとレンチだけだ。

鉄パイプはナットを緩めるために、レンチに差し込んで回す。
モーメントが大きいので楽に回る。
でも締めるときには使わない。逆に締まりすぎるからだ。

30分で4本完了。
アルミホイールは軽くて楽だ。


昼前に会場に行く。
だいたい終わりかけたころ、接客係の女性から声をかけられた。

「ヤブ山くん! 元気そうね!」
「??…? Kちゃん?」

「そうです…この間もここに来たでしょ!」
「まさか…ずっとここで働いているの!」

「そうなのよ…ヤブ山くんもすっかりおじさんになったわね」
「この間もここにいたの?」
「そうです…この間は挨拶してたでしょ」
「なに!…聴いてたの? もうここには来ないから」
「まあそう言わずに来てね」
「やれやれ………」


まずい。
小学校から高校まで一緒の同級生だ。
ボクの小学生時代から高校までを知っている「おんな」である。

彼女はとてもおしゃべりだった。
友達も多い。
そして、今日、20年前の同窓会久しぶりに出会ったが、おしゃべり度合いは、さらに進化していた。

…今度から、あの会場の行事は誰かに替わってもらおう。

2012年3月13日 (火)

え~と…火曜日の日記

昨日は仕事のようなそうでもない…ことがあって午前様。

今日は定時に帰ったので元気満々だった。

でも呑みすぎて撃沈。

もう八時半だ…おやすみなさい。

あすにでも裏山プロジェクトの総括をしますが、もう眠い。

2012年3月11日 (日)

日曜日の散歩

今日は寒いが、西側の急斜面の竹と雑木を切った。
でもすぐに厭きて、昨日の現場に戻る。

山栗の実がたくさん落ちているところに日が射していた。
ゆっくりでいいから、芽を出せと気合を入れた。

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竹を切ったほんの少しのエリアでさえ…この有様だ。

半端じゃない量である。
たぶんボクの常軌は逸しているぐらい、こだわった。

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竹を切ったら空は明るくなる。
何もかもが見えてくる。


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2012年3月10日 (土)

竹切り完了

朝から久しぶりに竹を切る。
2時間頑張って、近所の葬儀に行く。
小さい時からお世話になったおじさんだ。
亡き父と同級生のおじいさん。
父と同じ心筋梗塞だった。
ご冥福をお祈りする。


昼から再び竹切りに精を出す。
ヘリコプターが室積方面と消防署の間を数往復した。
事故のニュースもないので、訓練だったのだろうか?


途中、雨が降ってきたが黙々と竹を切った。
あと二日はかかると思っていたが、一気にやっつけた。
左指を切り株の間にはさんで、5分ぐらい激痛に耐える。

黒血になったが骨は折れていないようなので、再び作業開始。
ようやく裏山の東側の竹を皆伐した。


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庭の白梅が散り始めた。
今年の花はきれいだった。
裏山を背景にして写してみた。


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光といえば、「冠梅園」が有名だ。
実は、開園時にヤブ山家から白梅を3本寄贈している。

我が家の紅梅もようやく七分咲きぐらいになった。


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あすは西側の間伐にかかる予定。
山仕事もあと一月だ。

2012年3月 9日 (金)

PPMを聴いて青春時代

ようやく仕事の山を越えた。
帰りの車では、PPMのCDを目いっぱいのボリュームでかける。


puff
don’t think twice it's all right
the crue war
blow'ng in the wind


中学生時代に聞いて、カルチャーショックを受けた。
歌といい…ギターといい…とうてい、人間業ではないと愕然とした。


なけなしの金で買ったクラシックギターと、
兄とボクのお年玉を全部預けて買ってもらったレコードプレヤーで、音が出なくなるまでレコードを聴いた。
採譜をするために、左右のコードを別々に外して音を拾った。


おかげでレコードはすり減って雑音だらけになったが、
puff の採譜が載った楽譜を見たとき、
思わず、「そうだろ!」と叫んだ。


高校では、音楽部に入った。
文化祭では合唱を披露するのだが、ボクが2年になったときに、
「合唱ばかりではナニなので、少し新しい歌でも…」
と言い出して、1級上の先輩たちと5人で、
ブラザースフォーの「七つの水仙」と「風は激しく」を練習した。


合唱曲のあと、それを歌わせてもらうえるよう、合唱部顧問の音楽教師に頼みに行くことになった。
すると一級上の先輩が、
「おまえが頼みに行けば、先生はきっと『うん』と言うから…いけ!」
と頼まれた…いや、命令された。

すると、先生は、ニコッと微笑んで
「じゃぁ…聴かせてみて」
と部室にやってきた。

伴奏はボクのギターだけで5人で歌った。
静かに聞いていた先生は、
「まあ…いいっか!」
と、日頃の厳しさが消えて、あっさりokを出してくれた。

この話を聞いた女性部員たちが、
「私たちも歌いたい歌があるのですが!」
と言えばいいのに、
「ヤブ山!あんたから女性軍もお願いしますと、頼んで!」
と強引に頼まれて、再び先生に訳を話して、
赤い鳥の「翼をください」と、
当時NHKのヤングステージ?でやっていた「涙を越えて」を合唱した。

たぶん、なかなかの出来だったはず。


そして翌年。
ボクは、「チューリップ」にのめり込んでいく。

ちょうどその頃、ボクが16から17歳だった。
当時、たてつづけに、
徳山の市民館に「ブラザースフォー」
光の市民ホールに、「心の旅」がブレイクする直前の「チューリップ」が来演した。

それをすっかり自分に投影したボクは、勉学?も忘れてステージにのめり込んでいった。

2012年3月 8日 (木)

5匹のサル

ときどきビジネスサイトを覗いている。
先日、興味深いものがあったのでメモしておいたのだが、仕事に追われてまとめることができなかった。

ようやく普通に晩酌ができたので、書いておく。


出典は外国のビジネス辞典で次のような内容だった。


檻に5匹のサルを入れて、台の上にバナナをぶら下げておく。
サルがバナナを取ろうと台の上にあがったら、水がかかるように装置を仕掛けてある。
1匹目の猿は驚いて逃げた。
2匹目の猿も挑戦したが、これも水をかぶって退散する。

(この辺りでそっと水の装置を外しておく)

3匹目のサルが台に上がろうとすると、水を被った2匹のサルが騒ぎ始める。
でも、3匹目の猿はやっぱり水をかぶって飛んで逃げる。

4匹目の猿が台に上がろうとする。
すると水をかぶった3匹のサルが仲間を引き留めた。
次に、5匹目のはみんなから引き留められる。
…こうして5匹のサルは誰も台の上に上がらなくなる。


次に5匹のうち1匹を何も知らない外部のサルと入れ替える。
新人のサルが台の上に上がろうとすると、他の4匹のサルが引き留める。
次にこの4匹のうちの1匹を入れ替えても、同じような行動がおこる。
これを繰り返していくと、水を被ったことのないサルだけで引き留める行動を起こすようになる。


…ざっとこんな内容だった。

このブログでも書いたことがあるが、世の中を変えるのは、
「よそ者」「若者」「変わり者(バカ者)」
という警句に出会った。
ホントはボクの好みではない。
自分の内面の話なら許せる。


さて、次に台の上に上がるサルはいつ登場するのだろうか。
そして、それを周囲は「バカ」呼ばわりするか、それとも「開拓者」として褒め称えるのだろうか。


「破壊」それとも「改革」


そんなことはどうでもいい。

オレは何匹目のサルなのか…a prioriな自覚


さあ こたえてみろ


2012年3月 7日 (水)

とりあえず明日から

仕事に追われてどうにも書く余裕なし。
たぶん明日から再開します。

2012年3月 5日 (月)

厭きた

この土日は出勤だったので、今日で8日間、光から山口に通いっぱなしだ。
往復130キロだから、8日間で千キロを超えた。
車の運転は苦にならないと自負していたが、完全に厭きた。

車も仕事もイヤになった。
もう数日さえ乗り切れば、かなり楽になるのだが…。


調べてみると、光から鹿児島までが500キロ。
この8日間で鹿児島を往復したことになる。

さっき帰ってきたのだが、
母は夕べのことはすっかり忘れてもう寝たそうだ。


ボクも何もかも忘れて寝たい。

2012年3月 4日 (日)

母泣く

今、泣く母をなだめてきた。

色々なことが重なって、とうとう自分でも抑えきれなくなったようだ。

それが気持ちの問題であれば、どうにか乗り越えることもできるが、そろそろ物理的なテリトリーに入ってきた。

だからそれを受け入れることが難しい。
ボクだっていやだ。


母が泣きながらベッドに逃げた。
妻が目くばせをしたので、そのあとを追った。

ベッドに横になりながら、すすり泣いていた。
自分の失敗が受け入れられないのだろう。


息子としては何もできないが、母に話しかけた。
「お腹の具合はどう?」
「もう…いいから…寝る」


「そうやって一日中寝ていたら、寝たきりになるよ」
「もういいから…ねる…」

「まだ動けるから…」
「わたしゃ~もう…どうなってもええ…」

「誰でもそうなるから…そんなに悲観せんでもええから…」
と諭したが、本人はベッドにもぐり込んだまま泣いていた。
…これも『認知症』の症状の一つだが、それにしてもむごい。


こんなとき、息子が諭すと、母はなおさら困るようだ。
妻とこれからのことを話し合った。
妹とはだいたい話をつけているので、要は、いま決断するか、もう少し見極めるかだ。


いよいよXデーが近づいてきた。

改善の兆しは見えない。


2012年3月 3日 (土)

鬼嫁のパソコン講座②

この数日、帰宅が遅くなった。
でも、不思議なことにそんなときほど夫婦の会話が進む。


一昨日、晩酌をしながら話をした。
ボクの問いは、
「どうしてパソコン講座を選んだのか。他に趣味講座みたいなものがあるだろうに…なぜ?」

すると鬼嫁の返事はこうだった。

去年の暮れぐらいに、お母様から、
「あなたもずっと家に籠りっぱなしでは息が詰まるでしょう。何か習い事でもしたらどう?」と言われたの。

お母様がそう言ってくださるのなら、私も気分転換がしたかったので、何をしようかと考えたら、家族の中で私だけがパソコンを使えないので習おうと思ったの。

あなたと○太は、私をバカにしてろくに教えてもくれないからね!


…なるほど、特に深い意味はなかったようだ。
認知症の母からそう言われての行動だということがはじめて分かった。


そこで講座の状況を聞いてみた。

全部で20人ぐらいで、年寄りは僅か。30~40代の人が大半。
離職者用の訓練を受けている人が多く、私のようなケースは少ないみたい。

みんな使ったことはあるようで、ほとんどダメなのは私と30代の独身女性の二人だけ。
この二人がアシスタントの講師をつかまえては操作を聞いてるの。
その女性はネ、むやみやたらにいじってはアシスタントに泣きついているの。

画面がぐちゃぐちゃになったらしく、アシスタントが、
「こんな画面…(絶句)…、どこをどうやったら…こうなったの?」
「少しいじっただけですが…」

でもね、私は「元に戻す」ボタンを知っているから、ぐちゃぐちゃになったら、できるだけ元に戻してから先生に聞いているの。
私の方がちょっとマシでしょ?

「No you are a trouble'd woman」


ホントはブラインドタッチのことを書こうと思ったが…、おやすみなさい。


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