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2012年4月

2012年4月30日 (月)

バトル・シップ

雨が降ったりやんだりの最悪の日だった。

合間を縫って、母の行きつけの店に頼んでおいた「サカキ」を取りに行く。
裏土手にある榊が元気がないので、ボクが元気なうちにもう一本植えておくことにした。

これで、我が家にはシキミと榊が二本づつ確保できた。
鬼嫁にくどいぐらい場所と、見分け方を教えておいたので、あとはボクが仏様になろうと、神様になろうと…大丈夫だろう。


昼下がりになって、下松のmovix周南に「バトル・シップ」を観に行く。
さすがに連休なので、客席は三分の一ぐらい埋まっていた。

当然ながら妻は行かない。
テレビで放映されるまでじっと待つそうだ。
…ボクにはこの感性が理解できない。

内容はボクが大好きな展開そのものだった。
…ボクが軍人だったら、いろいろな闘いをしていたと思う。


…やっぱり、先生になっていたほうがよかったかな。
教えたいことや、言いたいことが山ほどある。


でももう余生は短い。

2012年4月29日 (日)

けんか

ボクたちが結納に出かけるのと入れ替わりに、妹に留守番を頼む。
どうしてもタイムラグが30分あるので、後ろ髪をひかれながら出かけた。


結納はいちおう、滞りなく執り行われたのだが、
ボクと嫁さん側のお父さんは呑みっぱなしで、特にボクはワインをがぶ飲みして、帰りの車中、妻の機嫌が悪かった。


夕方家に帰ると、母がベランダで娘…つまりボクの妹と、話をしていた。
その後、夕食をとって雑談したまでは和やかだったのだが、
「おやすみ」と別れてから、たぶん、母はボクが寝たものと思って、再びリビングに戻るや否や、

「わたしは…ろうそくも上げられんのかね! 火もつけちゃ~いけんのかね!!」
と叫んだ。

そこにボクがいた。
…たぶん、これが嫁の悩みだと分かった。

「母はボクの前では割としおらしく、嫁の前ではキツイ!」
と聞かされていたが、まさにそうだった。


母は一瞬、不味そうな顔をしたが、そのまま強気を通したので、ボクが怒った。
「火は一切使わせない。それが約束。
 ウソだと思うなら、燃えた跡をみる?
 家は火事にはしない。
 おかあさんは それができない。
 いくら怒っても 悪いけど 火をつけるものはあげない」

母は下を向いていたが、目は怒っていた。
そのまま離れに向かったので、後を追った。


母はベッドの上に座って、ぼ~っとしていた。


「おやすみ」
と言ったら、
「おお…おやすみ」
といった。


こんなことがあっても、明日はゼロからのスタートになる。

2012年4月28日 (土)

戦闘開始

朝から金毘羅さんの掃除。
草刈り機を担いで上がる。

世代交代がはじまって、集まるメンバーもかなり変わってきた。
ボクが覚えている長老連中は来なくなった。

若いメンバーで草刈りと枝落としをする。


1時間の作業後、今度は自分の領地を刈り始める。
まずは、H高野球部のために休耕地から始める。
ボールが三つ出てきた。

グランドに投げ入れたら、誰かが気づいて、
「アリアトアシタ~!!」
と礼を言ったら、残りの全部員が、グランド内で気をつけをして、
「アリアトアシター!!!!」
と脱帽して礼をする。


P1000005


夕方までずっと草刈りをした。
6時頃になると、腰が痛くて草刈り機が振れなくなった。


明日は息子の結納。
結納金は自分で貯めたものから出させた。

それでいい…。

歳をとったら大人になれると思うな。
大人になるには、自分が大人になる努力をしなければいけない。

それを怠ると…大人もどきになる。


2012年4月25日 (水)

恩師再会

今日、あるイベントで樹木医の藤原氏に出会った。
お会いしたのは、ヤブ山突撃隊のT隊長の退職祝以来、約1年ぶりだった。

藤原氏とは、ボクが職場で山新聞を発行し始めて以来の師・山友である。

しかも、ヤブ山突撃隊に「匹見はいいですよ。行ったらはまりますよ」と紹介していただいたのは、ほかならぬ同先生である。

そこで、昔の山新聞を引っ張り出して、当時の記事を探してみた。


…ありました。
第4号(平成9年11月11日発行)のトップ記事が同氏の投稿だった。

内容は、「近況報告~半四郎山・広見山縦走記」で、今ではすっかり有名な山になったが、当時はかなりマイナーだったと思う。


爾来、時々一緒に歩いたり、オフ会をしたりして今日に至っている。
退職されてかなり経つが、樹木医の仕事が忙しく、なかなか新しい山に出かけられないと話しておられた。


今月末には、テレビ局に依頼されて、山口市徳地の滑などを紹介する特別番組に出演されるそうだ。


早速、吞みの約束をしたが、相変わらずお元気そうだった。

この新聞を通じて、藤原氏と山口山の会のF代表と知り合ったのだが、このご両人に出会わなかったら、ヤブ山突撃隊はどうなっていたか分からない。
間違いなく言えることは、今とはかなり違う方向に向かったか、解散したかのいずれかに違いないことだ。

そういえば、藤原ご夫妻と韓国の山にご一緒したことがある。
その時はじめて奥様とお会いしたのだが、ボクの山新聞をご覧になっていたらしく、
「あなたがヤブ山さんね。想像したとおりの人だわ」
と言われたことを思い出した。

山行記はともかく、当時からウダウダと変なことも書いていたので、未だにどういう意味で言われたのか、察しがつかないでいる。

缶ビールを片手に持っていたからかなぁ…それとも、エエコロハチベーな顔をしているからかなぁ。

2012年4月24日 (火)

介護事情

昨夜、倉庫の整理をしようと庭に出たら、隅のほうに抜いた雑草が置いてあった。
本人に聞いてもさっぱり要領を得ないので、妻に聞いてみると、母が昼間に草を引いたらしい。


妻は来月までパソコン研修を受講しているので、昼間は不在になるのだが、昼休みになると、母の様子を見に帰っているそうだ。
するとせっせと庭の草を引いていたそうだ。

ホントは週に5~6日はデイサービスに行かせたいのだが、同じ施設に空きがないので、週4日通わせている。
昨日は休みだったので、母は昼間にひとりで過ごすことになったのだが、ようやく何かしようという気になったのだろう。

食事は治療食しか食べてはいけないので、二種類の宅配弁当を頼んでいる。
ひとつは、デイサービスが休みのときに、昼間に配達してもらうもの。
もうひとつは、まとめて6食ぐらい…冷蔵保存できるものを注文している。

妻が、塩分とカロリー計算をしながら、おかずを少しずつ組み合わせて、朝食や夕食を揃えている。
夜は一緒に食べているが、ぼくたちの食事も母を刺激しないように、やや控えめな献立にしているようだ。
おかげでボクも少しはダイエットできるかもしれない…でも晩酌の量は控えていない。

薬も、朝晩ともに目の前で飲むのを見届けている。
家に帰ったら、治療食以外には接触しないこと、デイサービスは休まないことを約束しているのだが、本人はもう忘れているので、必要なものは納戸に隠した。

ところが、昼に女房が帰ってみると、炊飯器でコメを炊こうとしていたという。
母の部屋の米ビツは空っぽにしていたのだが、母屋の米ビツから取ったようだ。

仏壇には、女房が毎朝お供えしているのだが、母はお下がりを食べる癖があるので、外出する時には、下げているのだ。

おそらく母は仏壇にお供えがないことに気がついて、ご飯を炊こうとしたらしい…というのが鬼嫁の分析だった。

妻は、「おかあさん、私が毎日お供えしてますからね」
と諭しながら、ボクには鬼嫁の顔になって炊飯器をしまうように指示した。

可哀そうだが、冷蔵庫は空っぽ、ガスレンジは外の元栓を遮断、電話機も隠している。母には、
「頭が混乱したときに、余計なものを食べたり、余計な電話をしたりするから、悪いけど退けておくよ」
と伝えている。

そのときは、「そうだね…ご飯を炊こうとしたのかね?…すまんねえ」
と話すのだが、頭が混乱してくると自分が何をしているのか分らなくなるので、物理的にできないようにするしかないのだ。

そこまでして在宅にこだわる必要もないのだろうが、今回が「終の在宅」になるだろうから、少しでも長く居られるように、徹底的に管理することにしている。


近所のおばあちゃんから、
「同居するために帰ってくる人も多いけど、みんなすぐに音をあげてしまうのに、あなたたちは頑張るねぇ。優しいお嫁さんだからね…うらやましい」
と言われた。

『いえいえ…ホントの正体は鬼嫁です』
とも言えず、照れ笑いするしかなかった。


…果たして、この状況はいつまで続くのだろうか。

2012年4月23日 (月)

Wille zur Sein(たぶん…でたらめ)

(日記の続き)

このところ、倉庫の整理をしている。
親父が24年前に亡くなったころに、いちおうの整理をしたつもりだったが、その後、母がいじっていたので、それを再整理するつもりでいる。

ボクが念のために残しておいた亡父の道具箱から、かなり高価な「ニッパー」が現れた。
当時のゴタゴタ時には気付かなかったのだろう。


次に、母の農作業用の小物に手をつけた。
全部捨てようと思ったが、ある一定の時期に必要なものがまとめられていることに気付いた。

「なるほど…そういうことか」
と思って、今日見つけたものの中から必要なものと、昨晩、倉庫の外に捨てたもののうちから数点を取り戻した。


それらをボク流に整理しながら、
「このガラクタを…息子がどう見るかな」
と思った。


どう感じるのか分からないが、亡き先祖のことを考えない限り、その使途は想像できないはずだ。

できなかったら、ボクはこう言うだろう。

「バカタレ!」

中国事情


ボクの海外渡航歴は少ない。
15年ぐらい前、仕事で10日ぐらいヨーロッパに研修視察した。
10年ぐらい前、プライベートで韓国の慶尚南道近辺の山登りに行った。
最近では、仕事で台湾を2度訪問した。


今回、初めて中国本土へ渡った。
今回訪問した山東省は、北京がある河北省の南に隣接し、そのうち済南市の人口は約560万人だから大阪市の倍の人間が住んでいる大都会だ。

青島から済南市までの平野部は、見渡す限り延々と農地が広がり、ところどころに農家の住居が数十軒集まっている程度だ。平屋か二階建ての切り妻家屋で、かなり古かった。

都市部に入ると、いきなりアパートやマンション群が屹立する。どの都市もあちこちで新アパートの建設中だった。
足場はようやく木製になったが、ついこの間までは竹の足場が主流だったと聞いた。

どうやら、どのアパートも新素材?のブロックを積み上げる方式のようで、頑丈な鉄骨は見えなかった。
おそらく耐震の面で言えば、日本の数割程度しかないのではなかろうか。
帰途の新幹線内で、前列に座っていた日本のビジネス客が、「あんな造りだったらちょっと大きな地震が来たら一発じゃないか」と話していたのも頷ける。

公共の建物は、これでもか!というぐらいデカくて、威厳に満ちているものばかりだ。
人民政府の庁舎に隣接して、国営のホテルが建設されているケースが多く、超豪華を通り越した立派な建物が多かった。
でもそれに輪をかけて立派なのは、党委員会の建物であった。

そして問題は、やはり環境である。
空気が乾燥しているので、なかなか樹木や草木が自生できないようだ。
都市部はきっちり植栽していて、散水車があちこち水をまいていた。
でも、同じような樹種が規則的に植えられているので、確かに緑はあるのだが、何ともいえない不思議な違和感がある。


驚いたのは車の運転である。
クラクションの音がすさまじい。
前後左右にクラクションの音が飛び交っている。

ボクたちの運転手も、絶えずクラクションを鳴らしながら、車線変更をしたり、強引に左折していたが、ちょっとした映画のカーチェイスよりも十分迫力があった。

運転の様子を見たら、いつも片方の手の平をクラクションの上に置いていた。
こっちが鳴らすと、相手も鳴らし返してくる。

だからお互いにプープー鳴らしながら、絶えずチキンレース的に強引に割り込む戦いをしているのだ。
ゼッタイに日本人がレンタカーを借りて運転することはできないだろう。


この話には余談がある。
福岡空港についてからタクシーに乗ったのだが、ものすごく静かなのに気がついた。
はじめは車の遮音性がいいのかと思ったが、どうやら原因はそれではなかった。

そう…日本ではめったにクラクションを鳴らさなくなったのだ。
クラクションは経済の活力と比例するのかもしれないが、日本は静かである。


中国でも自然が豊かなところもあるそうだが、日本の自然とは比較にならないと思う。日本ではいろいろな木や草や花が自然に生えている。

中国はせっせと植栽している。


空気は乾燥して、とにかく埃っぽい。
食べ物はどれもこれも口に合うが、冷たいビールがほとんどない。
ワインも常温だ。

ホスト役が「がんペイ!」というまで、口をつけられないので、ビールがぬるくなることを心配しなくてもよいが、好きなように飲めないので参った。

「がんペイ!」と言われたら、全部飲み干さなければいけないし、相手に飲み干したことを見せてグラスを置いたら、給仕の人が直ちに注いでくれるのだ。
そのことは嬉しいが、自分のペースで飲めないのが辛い。

博多駅で、連れと冷たい缶ビールで日本式の乾杯をしたが、ホントに冷たくておいしかった。
ウダウダ話しながら、ぐびぐび飲むのがいい。

最後に中国人のこと。
ずっと案内してくれた人たちとはすっかり打ち解けることができた。

「初めはどんな日本人かと思ってたでしょ?」とか、
「こっちも中国人って、ずいぶん警戒していたんだけど…」
「農家の子供たちでも大学に行ったりできるの?」
「ワタシノ リョウシンモ ノウミンデス。ワタシノタメニ ハタライテダイガクニ イカセテクレマシタ」
「日本の親と同じだね」
と、はっきりモノも言えたし、別れ際にはお互いに涙ぐんでしまった。

中国も人の国だ。
これが国家権力や政府関係になると、お互いかたくなになってしまうが、やはり人はヒトである。


「ニホンジンハ ヤサシイ 」
と言われ続けたい。

2012年4月22日 (日)

遠い世界に

やっと落ち着いた。

中国のモノトーンの世界から日本の…実家に帰ってきたが、やはり日本は最高である。

だいいち、嘘は「ウソだ」とはっきり自分で言えるようになった。
このことはおおきい。
…でも、まだまだそう言い切れる人は少ない。


さて、ボクが帰国する日に、母が退院した。
これは前もって打ち合わせていたのだが、駅に迎えに来た鬼嫁によると、さっそく母が駄々をこねたらしい。


今朝、時間どおりに起こしに行ったが、グーグー寝ていた。
規則正しい時間に寝起きしないと、すぐに病院に逆戻りになる。
体をゆすって起こす。

「???…なにかね」
「あさ!おはよう!」


昼から、壊れたデジカメの買い替えに行った。
レンズが出たり入ったりする安いタイプがダメだということが身にしみてわかったので、アウトドア用の防水・低温使用にした。

夜、倉庫の整理をする。
どうも色々なものが雑多に入っているので、全部入れ替えて整理するつもりだ。
これには数日かかる。

中国のことを書きたかったが、母を寝かしつけるのに疲れたので…おしまい。

2012年4月21日 (土)

泰山(中国山東省:1,545mぐらいだった)

火曜日から金曜日まで中国出張だった。
福岡からソウルのインチョン空港で乗り継いで中国入りしたので移動に一日かかった。

青島から済南まで高速道路で4時間かかった。
途中の景色はほとんどが穀倉地帯だった。
しかも見渡す限り穀倉地で、いくら走っても同じ景色が続くので、さすがのボクも飽きてしまった。

高速道路の沿線は、50メートルぐらいの幅で植林してあるが、あとはすべて農地である。
山や丘はない。
すべて平坦な農地ばかり。
これが見渡す限りそうなのだ。
しかも1時間走っても2時間走っても、3時間走っても同じ景色が続いた。

夜の7時過ぎにようやく済南市に到着したが、ようやく低山があった。
まさに中国人民を支える大穀倉地帯であった。

水曜日から木曜日までバタバタと仕事をこなす。
街の雰囲気や文化の違いについては、そのうち改めて書こう。

さて、今回のブログは「泰山」であるが、なぜかジャンルは「旅行」である。
それはちゃんと歩いて登っていないからだ。


麓からだと5時間。
中宮のノーマルコースで2.5時間かかるらしい。
午前中に仕事が終わったので、仕事相手が気を利かしてくれた。
泰安市まで車を飛ばして、ロープーウェイで楽チン登山と相成った。


専用バスに乗ると、5合目ぐらいの地点で終点となる。
平日の午後だというのに、大変な賑わいだった。

5~6分歩くとロープウェイ乗り場だ。
6人乗りぐらいのゴンドラが次々と行きかっていた。
これも5~6分で肩の中宮に着く。
ここも大変な混みようだった。


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乗り場から5分ぐらい歩くと、南天門に着く。

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ここで石段と合流する。
歩いて上がってくる人も結構多かった。
写真だと勾配があまりなさそうだが、相当急な階段である。

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山頂付近はなだらかで、観光客と登山客でごった返していた。
正面奥は、軍事用の施設として利用されていた。
左上の建物は山頂ホテル。
山頂はホテルの少し上にある。

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山頂の社が見えてきた。
案内してくれた二人の後ろ姿。
左の若い女性が通訳のKさん。
右のおっちゃんが案内役のYさん。

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山頂直下にある有名な「五嶽独尊」の刻字。
観光客が多くてなかなか撮影の順番が回ってこなかった。
…岩の前でポーズをとる順番ではなくて、カメラアングルを取れる位置に着く順番である。だから、写真の男性はボクの五番前の観光客。
気の短いボクは、当然ここでパス。


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少し降りたところに「孔子廟」があった。


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ぐるりと一回りするのに、だいたい1時間ぐらいだった。
ロープーウェイの乗り場から下をのぞく。


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泰山は岩山で、草木は少ない。
雰囲気は宮崎県の岩山と似ている。
登山というよりも、参拝の山だった。

麓に泰安の広大な町並みが広がっているが、チリがモヤのようになってよく見えなかった。


泰山は秦の始皇帝をはじめ歴代の覇者が競って参拝した中国の五山の一つだが、楽チンをして登った僕には何のご利益もないだろう。

次回は歩いて登ろう。

2012年4月15日 (日)

シイタケへの道

朝から一時間、畑の草をひいて、畝を整える。
いよいよ草が伸びる季節がやってきた。
これから半年、雑草との戦いの土日が続く。


グリンピースのつるがうまく巻きついていなかったので、小笹を切って立てかける。
母が植えたものだが、昼、病院に行ったときに話したら覚えていなかった。


畑から家の裏山を眺める。
母は金曜日に家に連れて帰る予定なのだが、その頃には山桜も散っているだろう。


写真は、山桜と母の離れと母屋。


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庭から裏山を眺める。
この山桜が、母とボクのお気に入りだ。
ソメイヨシノと山桜が交配したと思わせるほど花弁が大きい。

散り始めている。


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昼から母の様子を見に行く。
今日は電話をかけてこなかったが、病室を覗いたとたんに、
「あ~、さみしかった! よう来てくれたね。いっそ来んじゃったけど、仕事が忙しいんかね?」

「昨日も来たよ…2回ね」
「そうかいねぇ?」

「今日は何曜日?」
「日曜日」

「退院できるんじゃろうか?」
「金曜日が目標」

「あと何日かね?」
「あと5日」

「あと5日もあるかね」
「ちゃんとデイサービスに行かんと、すぐにここに戻るよ」

「デイサービスはどこかね?」
「H苑」


…これはワンクールのほんの一部。
ワンクールは、上の会話の10倍のボリュームである。

したがって、ワンクールが3分としたら、30分で10クールになる。
ボクが30分で帰ろうとしたら、
「もう帰るんかね…もうちょっとおってくれんかね」
というので、また補助ボックス素に座る。


でも、ここからさっきのワンクールを3回繰り返して、
ひ孫のクールを2回こなし、
再び基本パーターンのクールを5回こなした。


1時間話をしてバイバイした。

昼から、シイタケのボダ木を置いている棚地への階段を作った。
山歩きでは一番嫌いな階段だが、ずるずる滑るので、チェーンソーとノコギリで材料を加工する。

スコップと山鍬で整地しながら、急ごしらえの杭を打ち込んで、かすがいで固定した。

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もっと丁寧にしなければいけないのだが、スピードがボクの取り柄だ。
これで晩酌へ突入だ。


2012年4月14日 (土)

土曜日の日記

昨夜は山口で歓迎会。
久しぶりに、最終電車の一つ前で帰ったが、車内は都会かと見間違うほど乗客でごった返していた。


今朝は、まず母の見舞いに行った。
相変わらず、同じ会話からスタートして、いつ帰れるか…までを6~7回繰り返す。

こっちのほうが頭がおかしくなりそうだ。
辛抱強く、同じ答えを返す。


午後からは裏のグランドに上がって、H校の3校リーグを観戦する。
新チームは随分、たくましくなってきた。
今日はエースもストレートを中心に組み立てて、なかなか安定していた。


夜は、部落の社の世話人会。
新人として紹介される。
古老から、
「○○…よう来てくれた。ありがとう」
と感謝される。

あと何年できるかわからないが、頑張ろう。


明日は、畑に精を出す予定。
なかなか山には行けない。

火曜日から中国出張なので、雑草取りや畝を直すつもりだ。

2012年4月12日 (木)

これが現実

昨日、母の主治医と今後のことを話し合った。

認知症のレベルは、まあまあだが、持病の循環器系の病状が危機的な状態だと告げられた。
3週間の入院で、数値はかなり改善されたのだが、本来の機能の半分しか働いていないそうだ。

主治医は、専門病院に転院することを勧めたが、母が、
「とにかく一度家に帰りたい」
と懇願するので、
食事の対応やデイサービスの活用に目処がつけば、当面は自宅療養でもOKを出してくれた。


どうやら、母はしょっちゅうナースセンターに行っては、
「寂しいの。わたしはいつ家に帰れるの?」
と邪魔をしているようだ。


妹と相談する。
とにかく、一旦、家に連れて帰らないと、母の精神状態が極限に向かいそうなので、
デイサービスと宅配治療食の手配をして、当面、家で様子を見ることにした。

入院前、母はものすごく落ち込んでいて、
「早く施設にでも入れておくれ」
と言っていた時期もあった。

しかし、病状が回復するにつれて元気を取り戻し、ここ数日は、
「いつ退院できるのか。何でも言うとおりにするから家に帰りたい」
と、懇願されている。

やはり、母の本音は「施設はいやだ」であった。
しかも、病院と施設の区別もつかない中である。

持病の容体が回復し、本人は治った気になっているので、
「機能が低下しているから、ちょっとでも気を抜いたら、即再入院になるよ」
と言ってきかせても、初めのうちは「うんうん」と頷いているが、すぐにそのことを忘れて、
「家に帰りたい」を連発しはじめた。

妹と相談して、
「どれだけ家で過ごせるか分からないが、恐らく最後の帰宅になるだろうから、徹底した管理をしながら、一日でもいいから家に連れて帰ろう」
ということにした。

ケアマネージャーと病院の相談員も交えて対応策を検討した。


結果は次のとおり。

母の冷蔵庫は空っぽにする。
ガスレンジは外のボンベの元栓を閉めて一切使わせない。
お茶は計量カップで一定量しか飲ませない。
平日はすべてデイサービスに行かせる。嫁が声をかけて起こすが、念のため妹が毎日、家によって支度をしているのを確認する。
夕食は、宅配の治療食を利用する。
薬は、その都度渡して、目の前で飲ませる。
電話の子機は母の部屋に置かない。
症状が少しでも変化したら、ただちに専門病院に入院させる。

「以上のことが守れる?」
と母に聞いたら、
「何でもする」
と立派に答える。
口から出まかせなのは分かっているが、必死で訴えてくる。

ところが、5分もしないうちに、
「私はどうして入院しているのか。いつ退院できるの?」
と、会話は振り出しに戻る。


昼までこんなことをして職場に向かった。
夕方、再び病院に寄ってみたら、やっぱり同じ会話からスタートして、家に帰ったらどんな節制もする…というところまで行きつく。

家に帰ってみると、妻が、
「昼から病院に行ったら、『○男は最近ちっとも覗かんが…何をしているの?』と聞かれたわ。
あなたが病院を出たら、すぐにそのことを忘れてしまったのね」
とつぶやいた。

午前中あれだけのことをやって、さっき会ったばかりなのだが、その時には嫁に話したことすら忘れて、入院して初めてボクに出会ったような会話をしているのだ。
妄想、徘徊も困るが、ここまで記憶障害が進むと、脱力感を通り過ぎて、悲しくなる。


ボクが何をしようと、何を言おうと…母の記憶には一切残らない。

…昨日、ブログを書く気になれなかったボクの心情である。

2012年4月10日 (火)

やれやれ

昨夜はブログも書かずそのまま寝てしまった。


帰宅途中、病院を覗いたら、母が、
「家に帰りたい。ここにひとりでいるのはとても寂しい。田んぼや畑を見てみたい。いつになったら帰れるのか?」
と何度も聞くので、すっかり疲れてしまった。

明日、主治医から今後の方針について説明を受ける予定なのだが、退院できるのか、施設に移すのか…悩ましい状況に直面しそうだ。


おまけに、新しい職場で慣れない業務に直面しているし、土日の農作業の疲れもあって、心身共に疲労のピークを迎えているような気がする。
それどころか、今月中には、色々な行事や中国出張、結納が控えている。


本来、ノー天気な僕だが、さすがに気が重くて、ブログにバカな事も書けなくなった。
以前は泥酔状態でブログを書いていたが、長距離通勤を始めてから晩酌を半分ぐらいにしたので、酔眼でパソコンに向かうのは金曜と土曜日ぐらいである。


柿木村のkappeさんやtobinokoさん、農ある暮らしのぴっけさんのような本格的な田舎暮らしも満喫したいし、早くヤブ山の突撃を再開したい。


…ボクの取り得は、
「いちおう(酒さえ呑ませておけば)、何でもどうにか(テキトーに)こなす」
なので、早く重荷を吹き飛ばして元気を出そうっと!


…などと書いてみたが、ボクの絶頂時のキャラではない。

浅い バカたれ

2012年4月 8日 (日)

春です

田んぼで頑張った。
好天気に恵まれて、今日がワンチャンス。
近所のことを考えて、9時過ぎからトラクターを動かす。

今年もビーチパラソルを拡げて、バカンス気分で二回目の荒起こしだ。

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途中、同級生が二人も立ち寄ったので、長話をする。
みんな親の介護の話になる。

昼に、H校のグランドからアナウンスが聞こえたので、上がってみると練習試合をしていた。

H校のエースは体がでかいのに、スラーダーばかり投げるのが気に入らない。
勝ちパターンになっていたが、エースの気持ちが気に入らない。


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田んぼの残りをスキながら、ぼんやり考えた。
明日からのこと。
母のこと。
息子のこと。

我が家の裏山に、ソメイヨシノと山桜の中間に位置する山桜がある。
八分咲きだが、この花が一番好きだ。
ピンクぽくて、少しぽっちゃりしている。


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4時前に田んぼが終わりかけたころ、小学校からの同級生が道端にやってきた。
彼も母親が介護状態になったという。
お互いの近況を話して、母の様子を見に病院に行った。

ナースステーションを通り過ぎようとすると、よく見かける看護士が、
「妹さんとお散歩中ですよ」
と声を掛けてくれた。

ここまで顔が売れると恥ずかしい。
ロビーに降りてみると、妹が母を車椅子に乗せて院内を散歩中だった。

持病の状態はかなり改善されているので、来週、医師と今後の話をすることにしている。
母は、「いつ帰れるのか」…ばかり聞いてくる。

「来週になったら…ね」


後は妹に任せて家に戻っていたら、悪友から誘いの電話。
…ということで、いま帰還しました。

長距離通勤はメリットもある。
明日が勤務日だと…この時間に帰ってこないと運転ができなくなるのだ。

呑み足りないが、
「来週の土曜日に正式にやろう」
という約束をしたので、まああいいか…。

2012年4月 7日 (土)

シイタケプロジェクト(ホダ木の立てかけ)

強風の影響で裏山がどうなっているか見に上がった。

すると雑木の大木が途中から折れて、クロガネモチを押して、杉にもたれかかっていた。

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直径が40センチ近くあるので、ボクの手には負えそうもない。
根こそぎ倒れてくれたらどうにかなるが、途中で半分折れているので最悪だ。
しばらく放っておくことにした。


さて、シイタケのホダ木をそろそろ立てかける時期が来た。
杉を二本切って、支柱と通し柱に仕立てる。

三本脚の支柱を立てて、20本のホダ木を立てかけた。

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ひょっとしたら秋に少し出てくるかもしれないが、本格的な収穫は来年である。
ちゃんと生えてくれればいいが。

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下のほうで声がするので降りてみたら、息子が彼女を連れてきていた。
秋の披露宴の話をして、一緒に母の見舞いに行った。
母は孫と彼女に会ってとても喜んでいた。
彼女のことも覚えているようだった。

本人は結婚式に出席したいと言っていたが、今の状態では難しいだろう。

2012年4月 4日 (水)

せっせせっせ

職場の部署が変わって、歓送迎会や会議、あいさつ回りなどをこなしている。

自分勝手なブログも書けず、呑みの日は最終電車、定時に帰った日は晩酌に励んで「バタンキュー」が続いている。

母の具合は相変わらずだし、昨日の強風で家の周囲は散乱している。

そのことを妻から聞いて、「すまぬ…すまぬ」と口だけの礼を言う。


それにしても…桜は早く咲くべきだ。

気温などを気にせず、一日でも早く人類に愁いをもたらせ。

もう待ちくたびれた。

2012年4月 1日 (日)

裏山間伐

一昨日の雨で田んぼが「じるい」。
草も伸びてきたので、二回目の耕起をしなければいけないのだが無理。

昨日に続いて裏山の間伐作業を続ける。
山桜の周囲を間伐する。

002


山桜も花芽がパンパンに膨らんでいる。
周囲を間伐したので、今年は道路側からもよく見えるだろう。


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山道を通って家に戻る。
はちべえどのが現れた道も間伐したので、すっかり見通しが良くなった。


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家に帰って裏山を眺める。
竹を皆伐したので稜線の向こうがよく見える。


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いよいよ明日から新年度だ。
今年も職場の担当部署が変わったので、心機一転頑張らねばならぬ。
あすは歓迎会。
また最終電車で帰って、始発に乗り込む羽目になる。

新設部署なので少々気が重い。

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