2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

2012年5月31日 (木)

音感


一昨日、母と妻の帰りを待っている間に、この間から聴いているラグタイムの練習でもしようと思ってギターを引っ張り出した。


しばらく放っておいたので音が狂っている。
いつものようにフレットを抑えながら音を合わせ始めたのだが、どうもしっくりこない。微調整がうまくいかないのだ。

仕方がないのでピアノで合わそうとしたが、微妙な高低差がうまく聞き取れないことに気がついた。


…困った。
先日の健康診断では、聴力検査は「異常なし」だったのに、これはどうしたことか?

仕方がないので、ハーモニックスという倍音(弦に触れて高い音を出す方法)で合わせてみたら、なんとか調弦できた。

この音はとても高い音で、聴力検査の音と似たところがある。
検査は、高い音と低い音で調べるのだが、ボクの耳はどうやら通常の音域の聞き取りに問題があるのかもしれない。


そういえば時々、鬼嫁の言葉がうまく聞き取れないことがある。
鬼嫁の発音が悪いのかと思っていたが、ボクの耳のほうが悪かったのだろうか。


先日、足を踏み外して転落したことを書いたが、視力では深度調節、聴力では通常域の聞き取りに老化が始まっているのかもしれない。


その後のギターの練習では、指は動かず、リズムもドタバタして…情けなくなった。

おまけに、昔よく弾いていた曲をやろうとしたら、曲は頭の中に響いているのに、フレットに置く指の位置が思い出せないところがあった。

タブ譜を引っ張り出したが、メガネをはずしてもよく見えないので、とうとうギターを放り出してしまった。


今朝、その曲を頭に思い浮かべながら運転したのだが、ようやくフレットに置く指の位置が頭に浮かんできた。


…間違いなく認知症が秘かに進行している。

2012年5月30日 (水)

とりあえず執行猶予

昨日は年休を取って母の受診に立ち会った。
血液と尿検査を済ませて、主治医の説明を受ける。


入院を覚悟していたのだが、検査結果がぎりぎりセーフだったので、二週間ごとに検査をしながらもう少し様子を見ることになった。

母に、
「家に帰られるね」と語りかけたら、
「そうなの…」
と素っ気ない返事が返ってきた。


さて、本日。
さっきまで一緒に夕食を食べていたのだが、
「今日は一日中座りっぱなしで尻が痛い」
「入れ歯の調子が悪い」
「なして私だけがこんな目に合うのかね」
と愚痴ばかり言うので、
「疲れたのなら寝たら?!」
と言ったら、
「家族団らんもできんのかね」
と言いながら部屋に戻った。


さっきまで、
「迷惑をかけるねぇ…食費はちゃんとあげちょるかいね」
と言った口先も乾かないうちに、そんな攻撃的な会話をする。


「そんな気持で言ったわけでもないのに、今日は攻撃的な日?」
と妻に言ったら、
「今日はスイッチオンの日よ。何を言ってもダメみたい」
と達観の返事。


とにかく疲れる。


2012年5月28日 (月)

短期ビバーク日記

鬼嫁が昨日の早朝に上京して、今晩帰ってくる。
つまり、ボクは6食を調達することになる。

母の食事は、今夕は妹が支度してくれたので、ボクの役目は3食だ。
でも、治療食の冷凍を「チン!」するだけなので、支度は容易である。
しかも、鬼嫁がご飯を3食分よそってくれていたので、これも「チン!」するだけだ。


さっき帰ったら、母はちょうど夕食を済ませたところだった。
「○子がちゃんと作ってくれた?」
「うん…おったような気はするが、いまご飯を食べよるんよ」
と、人の苦労も忘れていた。


それから1時間、母の話につきあった。
入院が間違いないことも話したが、どうも切迫感がなかった。

自分の食糧は、弁当には飽きたので、「ちゃんこ鍋セット」でも買おうかと思ったが、スーパーに寄るのが面倒臭くなって、コンビニのお惣菜を買ってみた。

きんぴらごぼう、ジャガイモサラダ、ひじき、冷ややっこセットで500円ぐらいだった。
いまどきのラーメンは7~800円するので、安いといえば安いのだが、「おいしくない!」。

量は多すぎる。
じいさんになりかけのおじさんには荷が重い。

やっぱり鬼嫁の料理に限る。


2012年5月27日 (日)

母の後姿

鬼嫁は実母の上京の介添えに行った。
東京の会場まで連れて行ったら、あとは皆と行動を共にするので、孫の顔を見て、夜は末娘の所に泊まるそうだ。

1泊2日なので、今日はボク、月曜日は妹の担当で、母の面倒をみることにした。
昨夜は、「グリンピースを収穫する」と張り切っていたのだが、一晩経ったら忘れたようだ。
「することがない」とつぶやきながら庭の草引きを始めた。

明後日は、ボクが病院に連れて行くのだが、たぶん主治医から入院を勧められるはずだ。
そのことはさりげなく母には伝えているのだが、どうも本人には自覚がないようだ。
あと数日で家を離れることになるのも知らず、無心に草を引いている後姿を見るのが辛い。

渋る主治医を説得して、自宅療養を始めて一月がたった。
二か所から治療食を調達して、可能な限り節制に努めたのだが、検査結果は芳しくなかった。
やはり自宅療養には限界があるのだろう。

6月末で、同居を始めて1年になる。
これが長かったのか、短かったのか分からない。
認知症の対応は何とかなりそうだったが、持病のほうが専門治療をしないと命にかかわるようになった。


火曜日が来てほしくない。

2012年5月26日 (土)

雨を待つ

雨が降らないので代かきができない。
水がないのだ。
ポンプの水量は低下を指したままだ。


春先は雨が多かったが、ここにきて雨が少ない。
でも二週間後に植えるので、そんなに焦ってはいないが、周囲は田植えに入っているので気持ちは…。


することがないので、朝から山に入る。
真竹の破竹を切るためだ。


まだ少ない。
たぶん二週間後からが全盛期だろう。


たくさん持って帰ると、鬼嫁が怒るので質素に三本だけ抱えて帰った。

P1000057


我が家の田植えは、あと二週間後。
焦らすに、じっと雨が降るのを待つ。


雨が恋しい。

梅雨よ 来い!!

雨だけでいいから。


2012年5月25日 (金)

SML

服のサイズの話。

全体的には「M」なのだが、手足が短いくせに、肩幅があって、首が太い。
カッターシャツだと、首と袖丈のサイズを探すのに苦労する。


はやりのボタンダウンなどは、「M」だとイザという時にネクタイが閉められないので、「L」サイズを選ぶしかない。
Tシャツは「M」だと珍奇に見えるので「L」。

ポロシャツは難しい。
メーカーによってサイズが微妙どころか、だいぶ違う。

スポーツメーカーの製品は、「M」で大体納まってくれるのに、某有名ショップの製品は、どうやら最近の若者のサイズを標準としているようで、「M」サイズだと、極端に…首回りが細く、袖丈は長過ぎて、肩幅は窮屈だ。


問題はズボン丈である。
足が短いので、裾をかなりカットしなければならない。

作業ズボンは鬼嫁にやってもらうのだが、いつも、
「こんなに切って…もったいないわね」
と厭味たっぷりに言われる。


母の夕飯が治療食になって量も少ないので、ボク達の夕食も質素めになっているような気がするし、実際、ボクの体重も2キロぐらい落ちてきた。

鬼嫁に、
「おかげで体重が落ちてきたぞ」
と言ったら、

「違います!長距離通勤になって晩酌が減ったからです!食事の量は変えていません!」
ときっぱり言われてしまった。

…自分の体重が減らないから、そう言ったに違いない。

2012年5月24日 (木)

さて何を書くか

今晩は母も落ち着いて、三人でいつもの夕食になった。
でも朝方は、まで昨夜の事件を覚えているようで、鬼嫁に言わせれば、
「朝は、『近寄らぬこと』状態だった」らしい。


でもボクが帰ってきたあとは、三人で夜の食卓を囲んだ。


今日はなぜか指が動かない。
何かを書こうという気が起こらない。

酔っぱらう以前の問題なのだろうが、母よりもボクのほうが気持ちを引きずっているのかもしれない。


なお、鬼嫁はさばさばしていたので、
「お疲れさま」と声をかけるのは割愛した。

2012年5月23日 (水)

ここまでやるかⅢ

家に帰ると、鬼嫁が腕組みをして困った顔をしていた。
きっと母が何かをしたのだろう。


「冷蔵庫の張り紙がなくなっていたの。
それと、夕方帰った時、お母さまが5時前に夜の宅配弁当を食べていたの。
さっき、○○ちゃんが来たけど、「これじゃ~今晩は話ができないわ」と言って、さっき帰ったのよ。
今日はハイテンションみたい」
と、一気にまくしたてた。


晩酌をしながら話を聞いてみると、
「宅配弁当を食べたことも忘れて、その話をすると、とりつくしまもなくて、どうして食べたい物を食べられないのか」
とすごい剣幕だったそうだ。
妹でもどうにもならなかったらしい。


行きたくはなかったが、母の部屋に行って話をした。
母の言によると、
「冷蔵庫にあんな張り紙がしてあったら、私のことに決まっているでしょうが…私がおかしいと書いてあるんじゃないかね!…だから剥いだんよ!」
と、ベッドに横になったまましゃべる。


「お母さんが冷蔵庫をあけて食べるから…ボクが▼▼に言って書いたの」
「でもあんなことが書いちゃったら、人が来たら、私がおかしいと…誰でも思うじゃろうがね」
「お母さんのことは、認知症ですから…と近所には言ってあるよ」
「なんでそんなことを言うんかね…わたしは少しはボケちょるけどわざわざそんなことを言わんでもええ!」

「それが病気なの…なんでも人を疑うのが認知症なの」

…こうなると大変である。
妻と妹の話を聞いて、これはボクがいくしかないと思って母の部屋で30分ばかり話をしたが、実の息子でさえこんな会話になるのだから、嫁や娘では手に負えないだろう。


母には悪いが、スイッチが入っている日だったので、母に実際の行動を伝えた。
母は目を丸くしていぶかったが、
「違う母の姿だから…」
と諭した。


たぶん完全に壊れる寸前である。
昼と夜、自分と他人の区別ができていない。

2012年5月22日 (火)

一年の計はこの日にあり

今日は毎年恒例の試練の日だった。
つまり健康診断の日である。


何を隠そう…ぼくは白衣を見ると血圧が跳ね上がるし、採血に至っては、血管が細いのでベテランの看護師さんでないと、右腕→左腕→右腕に戻るような事態も過去起きているので、年に一度の正念場を迎えたのだ。

最近の血圧計は自動測定になっていて、数人が一度に機械に腕を差し込んで測られるのだが、案の定、平常値を大きく超えたらしく、両隣りは次の人間が入れ替わったのに、ボクだけ何度も機械が測り直す。


様子を見にきた看護師さんに、
「血圧は高いし、薬も飲んでいるので、もうやめてくれない?」
と懇願して、やっと解放された。
…その時点で測り直したら、たぶん平常値に近い値まで下がっていたはずだ。

あとの聴力検査はスイスイ終わる。
ここで医者の問診があるのだが、血圧の話をすると、「上ることはよくありますし、治療中ということでれば結構です。外には異常はなさそうですね」
とあっさり解放された。


いよいよ次が運命の採血である。
すいていたので、そのまま採血台の前に座らされた。
覚悟を決める時間もなかった。

「あのう…血管が出にくいのですが…」
と告げると、鬼嫁ぐらいの歳の看護師さんが、
「はい、わかりました」
と言って、注射器のような器具を取り出した。


ボクの場合、血圧は高いくせに、血管に管を差し込んでも、「ス~ッ!」と出てこないのだ。
だからいつも、注射器のようなもので吸い取られるのだが、これを失敗されるととても辛い。


看護師さんは、「ちょっと痛みますよ」と言いながら、迷わずブスリと突き刺した(…ようだ)。
注射針の先で血管を探るような感触もなく、ゆっくり吸引している感触が始まった。
「一回でうまくいきますように…このおばちゃんが上手な人でありますように」
と上を向いて念じていたら、「ぱっ!」とゴム管をゆるめて、
「はい、おわりましたよ」


見事な手さばきであった。思わず、
「お見事!」
と礼を言ったら、看護師さんは、
「どういたしまして」
と微笑んだ。
…採血前よりも20歳ぐらい若く見えた。


ここ数年、上手な看護師に当たっているようだ。
だいぶ前に、右腕で採血不能、左腕の途中で溶血が始まり中止、再び右腕に戻って看護師が交替してやっと成功、という事態があった。

ボクの経験則でいえば、上手・下手は年齢や容姿は関係ない。
やさしそうなヒトはダメなことが多い。
きりっとしたヒトのほうが成功率が高い。


とまあ、やっとボクは安心して晩酌を迎えることが来たのである。
…やっとこれで今年も年が越せる(ような気がする)。

2012年5月21日 (月)

バラが咲いた

我が家の庭にも赤いバラが咲いた。
何も手入れをしていないのだが、この時期になると毎年花を咲かせる。


今朝のNHKラジオでマイク真木の「バラが咲いた」が流れた。
特徴のあるフレーズが繰り返されるので、曲が終わった後もそのフレーズが頭の中から消えない。

どうもこの曲は催眠効果があるようで、このフレーズに合わせて単純作業を始めたら、ずっと続けてしまうような錯覚に陥る。

たぶん認知症の母の頭の中にも、これと似たようなフレーズが延々と駆け巡っているに違いない。


特に、C7thからFに移行するところが心地よいので、テンポよく作業が進み、飽きたころにサビが登場してくるので、起承転結が延々と繰り返されて、作業の手を休めるところがない。


ギターを始めたころは、「バラが咲いた」と「河は呼んでいる」が練習曲の代表選手だったので、未だにこの二曲のフレーズは頭から消えない。

その後、ベッツイー&クリスの「白い色は恋人の色」のCmajor7の響きに驚き、PPMのスリーフィンガーに没頭していった。

2012年5月20日 (日)

いけません!

今日は午前中、仕事で山口市へ。
案内状には、「ノーネクタイ・上着…」と書いてあったので、「ちょるる」のシャツ一枚で出かけたのだが、行ってみるとみんな上着を着ている。

「あれ?今日はノー上着でしょ?」
と尋ねたら、旧知の人が、
「あのね…よく読んだら、『上着…のあとに、着用!って書いてあったよ』

そうなのか!
「ノーネクタイ・上着着用…」と書いてあったそうだ。
ボクはすっかり、ノーネクタイ・ノー上着と早とちりしてしまったのだ。


ちょうどそこへ、ある来賓の随行の後輩に出くわしたので、
「おい!上着を脱げ!30分ほど貸せ!」
…ということで、イベントは事なきを得た。


帰路、車のタイヤを替えに、同級生Hの店に寄った。
Hとウダウダ世間話をしていたが、従業員の人たちはやけに礼儀正しかった。
ええかげんなHもすっかり立派な経営者になっていた。


家に帰ってみると妻の車がない。
買い物に出かけたのだろう。
母の部屋も静かだ。昼寝だろう。


ビールにしようか、冷茶にしようか、と迷いながら冷蔵庫空けようとしたら、いきなり手が止まった。

H24520reizouko001

一瞬、ボクにビールを飲ませないようにしているのかと勘ぐったら、すぐに母向けの警句だと分かった。
でも、もうすぐ違う文句が書かれるに違いない。
…アーメン!


2012年5月19日 (土)

玉拾いと介護をするおじさん

兄に電話をして、母に替わらせた。

ボクは二男だから、本来どうでもいいのだが、あらかじめ母の容体を言っておいた。

兄は、実家を守るために自分を犠牲にしたのだが、オイルショックでそれがままなくなって、二男のボクがたまたまこうして実家に帰ってきた。

たぶん兄はそれを悔やんでいるかもしれないが、ボクがいるからどうにかなる。
それでいいのだ。


ボクのあとはどうなるか分からないが、次の世代が精一杯生きればいいのだ。


…ぴっけ家もそうです。
男でも女でも関係ないです。

家が残るとか、先祖代々とか…大事なことですが、
その時代、その時代、誰が頑張ったか、誰が生きたかが、その家の証になるのでしょう。

それを分かっているのが総領たりるうもの…と思います。

2012年5月18日 (金)

ここまでやるかⅡ

帰宅したら妻とボクの妹が話をしていた。
どうやら、だしコンブがまだあったらしく、少し食べた形跡があるという。
さらに砂糖も一袋出てきたそうだ。

さらに驚いたことに、妻が、
「冷蔵庫に入れていたパンが見当たらなかったの。
ゴミを出そうとお母さんの部屋のごみ箱を始末していたら…袋が出てきたの」
「パンの袋? ついにここまで来たか…」
「そうねぇ…」


「わたしは盗み食いをしよるんかね」
…母が後ろに立っていた。
その表情は驚きを表していた。


「どうもそうみたいだよ」
「わたしが母屋の冷蔵庫を開けて食べよるんかね」
「そうみたい」
「えっ…そんなにわたしはボケちょるんかね」
「ボケじゃないの。認知症だから、そのときは別人のお母さんが食べよるの」
「わたしゃ~そんなことをしよるんかね」
「だから、別人のお母さんが食べられないようにする相談をしていたの」
「そうかね…そねえみんなに迷惑をかけよるんかね」


これは現実の会話である。
そこにいた母はウソはついていない。
ところが盗み食いをする「もう一人の母」が存在するのだ。

妻がホントに鬼嫁で、義母を陥れようとする狂言だったりしたら、
末期的な家族になってしまうところだが、なんとか息子の嫁として辛抱してくれているし、
ボクの妹もよくやってくれているので、いまのところ介護人同士での軋轢は生じていない。

そういえば最近、母が僕に当たることがなくなったので、
「二人にはいろいろ言うみたいだけど、僕との衝突はなくなったなぁ」
と言うと、

妹が、
「さすがにおにいちゃんに見捨てられたら、家には居られないっていうことが頭のどこかにあるんじゃないの」
と、苦笑しながら話した。


ネットで、「認知症、冷蔵庫、鍵」で検索したら、膨大な件数がヒットした。
同じ悩みを持つ人が多いのだろう。
専用のカギをネット販売している業者もあった。


ボク自身、子育てには無頓着で妻に任せっぱなしだったが、
母親の老後の世話は逃げるわけにはいかない。
「親はなくとも子は育つ」が、「老親はひとりでは生きていけない」のだ。
在宅介護の限界が近づいているが、家族3人とデイサービスセンターの支援を受けながら、もう少し頑張ってみたい。

…「冷蔵庫のカギはもう少し様子を見るか」と考えながら、遠くにいる兄に母の近況を連絡することにした。

2012年5月17日 (木)

クイズ嫌いの果て

ネットでビジネスマンを対象にした「直観力のテスト」というのがあった。


〈設問〉
小学生に、「24-16÷2=?」という問題を黒板に出した。
ざわざわする中で、ある児童が黒板に、「4!」と書いた。
これについて、文系出身の社員は、「やっぱりねぇ…分かってないじゃん」
理系出身の社員は、しばらく考えて、「ほほう…分かってるじゃん」
とつぶやいたそうだ。
正解はどっち?


ボクは、なぞなぞやクイズは大嫌いだ。
正直に話せば、「分からないから嫌い」というのが真の理由である。
子供たちが幼稚園の頃、なぞなぞが流行っていたのだが、どんな問題を出されても分からなかった。
知能指数が関係するのかもしれないが、とにかく分からない。


たまたまこの問題はできた。
なんとなく問題点が分かったので、あるところで調べてみたら、答えが合っていた。


ボクがよく感じていることだが、クイズが解ける人間はあれだけ多いのに、どうして社会に出てから、難しい課題や難局を打開するときに生かしていないのか不思議でならない。

クイズの時には、いろいろな法則や規則性を探して回答をみつけているのだろうが、現実世界の問題になると、とたんに遠慮するのだろうか。


その理由は「なぞなぞには答えがあるが、現実問題には答えがない」からだろう。
現実社会の問題には答えが設定されていない。
仮にあったとしても、「よりよい結果」を求めているだけだ。
だから、答えがない中で、何かを見つけ、何かを考え出して、何かの結果を生まなければならない。


そういえば、将棋の羽生棋士の言にこういうのがあった。
「自信のない局面になると、自分でも分からない難しい方、難解な方に向かうように指す。そうして接戦に持ち込めば勝機が生まれる」


とりとめのない話になったが、クイズが解けないおじさんの言い訳に付き合っていただいてありがとうございました。おしまい。

…で終わろうと思ったら、ヤブ山突撃隊と同じだということに気づいた。
決められた道を歩くのではなく、道なきところを…どんなところなのかワクワクしながら歩くのが好きなだけだ。

何が書きたいのか分からなくなったので、ホントにこれでおしまい。

2012年5月16日 (水)

ここまでやるか

このタイトルも何度か書いたと思うが、認知症と循環器系に問題のある母の出来事である。


今晩もいつもと同じような会話をしながら夕飯をすませた。
母が、「今日はお地蔵様にお参りに行く」
と言い出したので、
「この時間はダメ。また元気なときにしよう」
で抑え込む。


「じゃあ…仏様と神様を拝む」
と言って数珠を取りに自分の部屋に戻った。

しばらくして戻ってきたが、口をモゴモゴしている。
「入れ歯の調子が悪いの?」
「いいや…昆布があったから…」
と言いながら噛み砕いている。


母の口の下に手を拡げて、
「べ~っと 出しっ!」
と言うと、幼子が嫌いなものを吐き出すように出した。


「昆布は塩だらけ…すぐ死ぬよ」
「お腹が空いたから」
「うん分かった…もう食べないようにしようね」


母を妻に任せて、母の冷蔵庫と水屋を徹底的にあさった。
冷蔵庫の野菜庫に、ビニール袋にくるまった昆布があった。
食卓の上には共犯者のハサミもあった。


冷蔵庫はまだ電気が入っていて、クリープとマヨネーズ、梅干しがあった。
それを全部袋に入れてリビングに持ち帰った。

「冷蔵庫はカラにしたんじゃなかったのか?」
「食材には全部出したわよ。でも、○○ちゃんも、さすがに何もないとお母さんが寂しがるかもしれないから…食べられないものだけを残しておいた…って言ってたわ」
「昆布は食べ物だろうが! 冷蔵庫の中を全部空けて、さっき電源を切った。クリープもダメ。持ってきたからこれを全部捨てろ!」
…ということで、母の部屋の冷蔵庫は機能停止にした。


「これはだし用の昆布でしょ?」
「そうかもしれん…でも食える。だから食べる。ボクも腹が空いたら…たぶん、まちがいなく食べる」
「ふ~ん」
「そういうこと!ヒトを惑わすようなものは置くな!」


自分が認知症になって、夜な夜な…アルコールを捜す姿が目に浮かぶ。
あったら、なくなるまで呑むだろうから、ないほうがいいのだ。
なかったら、そのうち忘れて眠くなる。
…かくありたい。

2012年5月15日 (火)

空腹

ボクは仕事に出たのだが、妹が母を連れて病院に行ったそうだ。

妻が聞いたところによると、血液検査も順調で、いまのところ食事制限はいまくいっているようだ。

妹には、主治医に対して、母が空腹を訴えることについて確認するように頼んでおいたのだが、その返事が返ってきた。

「それは認知症の典型的な症状です。聞き流しながら対処するしかありません」
ということらしい。

主治医はついでに母に向かって、
「○○さん…戦時中のひもじいかったことを思い出しましょうね。お腹が空いていたでしょう?」
と語りかけたら、
「うちは農家でしたから、米は十分食べました。そのせいでこうなったのでしょうか?」
と母が答えたので、診察室が大笑いになったそうだ。


さっきまで、妻からこの話を聞いていたのだが、母も一緒に笑った。
「いくら戦時中でも、農家だからご飯は食べられたよ」
と、あたかも会話のディーテールまで分かったかのような発言をする。


ところが、ものの数分経った頃には、
「ことしももうすぐ田植えだよ」
「苗は頼んだかね?」
「年末にね…」
…と、いつもの堂々巡りの会話に戻る。


まあこの瞬間だけでも空腹を忘れるから、よしとするか。


2012年5月13日 (日)

地下の直礼

じげ の なおらい


H245131konnpira_001


新参者のあいさつをした。
長老から、「おい!ヤブ山!しっかりせいよ!」
と言われた。


H245131konnpira_002


明日は呑み会。
早く帰ろう。

2012年5月12日 (土)

新しい仲間

午前中は、地元の社の春の礼祭の準備。
その前に、参道入り口の草を刈る。
ここからH高のグランドが終わるところまでは、我が家の土地だからボクが刈るしかない。


30分で刈り終えて共同作業。
長老組はすっかり姿を見せなくなった。
明日の礼祭には顔を出してくれることを願う。


昼から妻と車を見に行った。
Hがお勧めの車が気に入らないらしく、若いイケメンの担当者といろいろ見て回っていた。

ボクとHはそれを見ながら雑談する。

あと10年は乗れるという中古車に決定。
名義も鬼嫁にした。

今後、ボクが呑みの時に光駅まで迎えに来てくれる奴だ。
よろしくお願いします。

2012年5月11日 (金)

鬼嫁と車にまつわる話

山口市に居住していた時は、ボクが日頃車を使わなかったので、一家に一台あればよかったが、光市に戻ってからは、ボクが車通勤になったので、必然的に鬼嫁用のセカンドカーが必要になった。

ちょうどその時、次女が東京に行くことになって軽自動車が空いたので、鬼嫁がそれを使うことにした。
ところが、たった1年の間にあちこちぶっつけて無残な姿になっていた。
何とか今年の車検まで乗ったが、
「もう13年。車検に出しても金がかかるだけ。どうせ二台いるのだから」
ということで買い替えることになった。

某ディーラーを経営している悪友Hに話をする。
「今度は女房の軽自動車を替えようと思うんだけど」
「嫁を替える?…ははは、○○ちゃんがいつも乗ってるやつ?」
…悪友Hは、小学校から高校まで鬼嫁の一級先輩である。
いまでも旧姓で呼んでいる。

鬼嫁に言わせれば、
「あんなエエ加減なH君からまた買うの?」
「だって、ヨソで買うわけにもいかんだろ」
「ちゃんといい車を回してくれるんでしょうね」
「頑張るって言ってたけど」
「ふ~ん」
…この返事は、鬼嫁が疑念を持ちながらシブシブ承諾する時の常套句である。


そういえば、先週、いつもの同級生3人で飲んだ時に、
「どこの嫁さんが、いちばん優しいか、ひどいか?」
という話になった。
対象は3人にとどまらず、よく出会う同級生全般の嫁さん談義となった。

「ひで~え嫁さんは、やっぱりFの嫁さんだな」
「いや~Mの嫁さんもすごいぞ。今でも口をきいてくれないからな」
「そりゃ~、新婚当時にあれだけ飲みに誘ったら怒るさ」
「あとはどっこいどっこいだな」

「優しい嫁さんなんているか?」
「T!お前のヨメさんは優しい。今日もこうやって酒のつまみを出してくれる」
「おい!ヤブ山のヨメさんはなぁ…」
…以下省略。ご想像にお任せする。

2012年5月10日 (木)

おやすみなさい

さて何を書こうと思ってパソコンを立ち上げたら、昨日のブログに「ぴっけさん」の書き込みがあった。

コメントを書こうとしたが、なかなかキーが打てなくて困った。

やっとアップしたので、おやすみなさい。

時間がかかった理由は、「ぼっちさん」と「さくらばばさん」にはお分かりのはず。
ご両人にはボクの弱点は吐露してしまった。

2012年5月 9日 (水)

怒らないで

夕方、家に帰ったら、妻と妹が深刻そうに話をしていた。
二人とも目が怒っていて、冗談を言えるような雰囲気ではなかった。
きっと母のことだろうと思って話を聞いた。


二人が興奮しながら話した内容はこうだった。

誰もいないときに、一人でデイサービスから帰ってきて、玄関前にあった夕食を隠れて食べたあと、和室でごろんと横になったままウトウトしていた。

これは仕方がないかもしれないが、直後に帰ってきた妻がそれをとがめると、モーレツに怒りながら、
「わたしは好きにやるんだから!あんたに言われたくはない。あっちにいきんさい!」
と言い返したそうだ。

そこにちょうど様子を見に来た妹が来て、二人でそのことを諭していたら、母が鬼のような血相になって、
「お腹がすいたの。家じゃあ、ご飯を食べさせてもらえんのよ!もういい…わたしはどうなってもいいから、病院に帰る!」
と言い張ったそうだ。


母には認知症以外に、かなり深刻な持病があるので、べったりと座敷に座ることは許されないのだが、認知症の攻撃的な面が出たときには始末に困る。


そこにボクが帰ってきたので、二人は、
「もう!!!わたしたちには…」
と言葉を詰まらせたのだろう。


母の部屋をのぞいてみたら、ベッドに腰掛けて少し興奮していた。
「どうしたの?」
「○○子はわたしを…おちょくる。わたしを…叱り上げるんよ!」
…妹のことである。

「○○子と、○○子とケンカしたら、だれも面倒見てくれんよ! ボクは何にも出来んよ!」
「もう○○子は来んでもええ!」
「病院に帰る? あれだけ家に帰るって言ったけど…帰ろうか?」


この辺で母の表情が変わってきた。
「病院はイヤ…お腹がすいたの…」
「どうしたの?」
「おや?今帰ったの?」
「うん」

「○○子がいたような気がしたけど」
「もう…怒って帰ったよ」
「なんで?」
…ここから、もう一度いきさつを話す。

「わたしが、そんなことを言うわけないじゃないの」
「そう言ったの」
「うそ言いなさい」


…これは夕方のほんの一部の紹介である。
目の前に、ジキルとハイドがいる。

たぶん、想像の域を超えている。
十分理解していると思っているボクたちでさえ、その現実を受け入れられずにキレる。

とにかくむごすぎる。

2012年5月 8日 (火)

災難は三度やってくる

昨日はブログのカウンターに驚いて、ワケの分からないことを書いたが、実は昨日も災難に遭遇した。
(一回目:立岩山で枯木をつかんで滑落、二回目:その帰り道でドブにはまる)

昨日は代休日で、本を読んだり、ラグタイムの練習をしたり、一日中ゴロゴロしていたのだが、夕方になって、枯草でも焼こうと、倉庫の裏の擁壁の上を伝い歩きをしていた。


コーナーのところをショートカットしようとピョンと飛んだら、届いたはずの右足が滑って、横倒しになったまま擁壁の下に落ちた。
高さは1.2m程度だがコンクリート張りである。
気がついたときには倉庫との隙間に横倒しになっていた。


かすかに覚えているのは、一瞬右手を突いて顔をかばったことと、左足のひざ小僧を擁壁の角で打ったことだけだ。

何が起きたのか一瞬分からず、倒れたまま状態を調べた。
ズボンの膝の下が破れて少し血がにじんでいる。
右の手のひらは何ともない。
そっと立ち上がってみたが、たいした痛みはない。

擁壁の上にあがって、左足のズボンをそっとたくしあげてみた。
膝の下に大きな擦り傷があったが、表皮がすれているだけで、ジワジワ出血しているだけだった。

「ふ~ぅ!助かった」
擁壁に頭を打ち付けて、昏倒したまま落ちていたら大変な惨事になるところだった。


思い返してみると、立岩山で水路にハマったときと同じ状況である。
つまり、踏み出した足が、自分が思ったところまで届いていないのだ。


情けない。
ボクはもう老人の域に入ってしまったのである。


最近、老眼が進んだらしくて、仕事をする時や家にいるときはメガネをかけないようにしている。
そういえば、今回の事件の時はメガネをかけていなかったが、水路にハマった時はかけていた。
そのせいか、遠近感がよく分からなくなってきたような気がする。

おまけに、最近は足の踏ん張りがきかなくなって、よく転ぶ。
ちょっとバランスを崩したぐらいでも元には戻れず、ヨタヨタする。
しょっちゅう躓いたり足の先をぶつけるようになった。


これではまるで、どなたかと一緒ではないか。

…自分で勝手に、「はちべえ症候群」と診断した。

2012年5月 7日 (月)

摩訶不思議

たぶん、どなたかがブログを紹介したのだろう。
このところ、やけにアクセスが多い。


このブログは、登山ルートをたどって登る紹介はしていないつもりだが、これで登られる方もあるらしい。
怖い話だ。


何度も書くが、このサイトにはまると大変である。
普通の山に登りたくなくなる。
ヤブが好きになる。


でも、登山ルートを探している人だったら、すぐにやめなさい。
そういうブログではないから、すぐに逃げてほしい。


正義と正論を使い分ける人であれば、一年に五回ぐらい、うなずけることが書けるかもしれない。
山と同じように…。


それにしても、だれがどういう気持ちで読んでいるのだろうか?

「さっさと、白状せい!」


by "ONIYOME"

ヤブ山突撃隊のホームページとブログ


「立岩山その2」のポンタさんのコメントを読んで考え込んだ。

未だに「ヤブ山突撃隊」のホームページを残しているのだが、あの時、いやあの時代の状況を紹介しているので、現時点において、ガイドブック代わりになるようなシロモノではなくなっている。

すでに登山道が開設されたものもあるし、ササが刈り払われたルートもある。

書き始めたころは、ガイドブックで紹介されていないルートを手書きしていたが、その後、ガイドブックも充実し、色々なサイトが登場して、地図もネット情報を駆使して立派なものが次々と出てきた。


そうなると、ボクの興味は、必然的に西中国山地の未知のルートに移って行った。
しかし、みんなの仕事や家庭の都合で、それまでのように頻繁に突撃することもできなくなって、とうとうブログ「ヤブ山日記」でゴマかして、「登山・山歩き」は一つのジャンルになってしまった。

最近、「山口山の会のY代表」と「ぼっちさん」という強力スタッフの力を借りながら、定期的に突撃ができるようになって少し元気が出てきた。

しかも、ついにボクもGPSという近代兵器を手に入れたので、きれいな沢や森、大岩などを紹介していこうと思っている。


しかし、そこには問題がある。
「どういう人を対象にしているか」である。

ガイドブックが物足らなくなった人か?
そんなところに行けない人にバーチャル的に紹介するのか?
以前、ヤブ山突撃隊で紹介したルートをたどる方が結構見受けられたが、そんな人が見ているのだろうか?


ヤブ山突撃隊は、ザイル確保など登山技術を駆使して困難なルートに立ち向かうのではなくて、おじさんたちが自分の勘と手と足だけで歩きまわるレベルだから、かえって危ないサイトかもしれない。

ボクたちが紹介しているルートは、だれでも歩こうと思えば歩けるだろうし、気象条件によってはしっかりした装備がないと危険なところもある。

それは自己責任でお願いしたいのだが、ポンタさんのコメントを読んで、どういう歩き方をしておられるのか予想もつかない方が、このサイトを見て登られる…と思うと考え込んでしまうのだ。

昨日の三ツヶ峰のときの会話だが、
「野道山への縦走路は再びヤブになってますかね?」
「ササは茂っても踏み跡は付いていますから、ヤブではありません」
…ボクは、「踏み跡がササに覆われているのはヤブ漕ぎではない」と思っている。

どうやって登っているのかといえば、突撃前には「電子国土」から印刷した拡大地図をじっくり眺めて、「このルートで行けば、こんな感じかな」ということを頭に描いて、現地では地図を見ながら、ルートを探しているのだ。(つまり道はないのです)
したがって、「(開設された)登山ルートを間違えずに歩く」という山歩きではないのです。

ヤブ山突撃隊時代のモノには、その後、しっかりしたルートになったものもあるので、いろいろなパターンが混在している。
昔の記事は、面白おかしく書いていた時もあるので、「なにかおもしろそう」というノリで、このブログも覗かれる方もあるのかもしれない。

「どうしよう…」と、いくら考えても堂々巡りなのだが、
「おじさんたちの徘徊記録」
と受けとめていただきたいのです。

つまり、「あてにしないほうがいいですよ」


P1000043


2012年5月 6日 (日)

三ツヶ峰(山口市:969.6m)

旧職場のI君にルートを教えるつもりが、うっかりはちべえさんを誘ったために、周南山の会とのオフ会になった。

泰山どのご一行と、ジュゲムさんも登場されて、総勢8名の山歩きになった。


H2456mitugaminep1000053

…という感じでブログを書こうと思って写真を整理していた。
後ろに誰か立っているのは分かっていた。
ところが、てっきり後ろは母だろうとタカをくくっていたら、突然、鋭い声が響いた。


「この人はダレ!?」

…山頂で休憩していた時の写真である。
「はちべえどの!…」

「ちがう!このヒト!」
「????」

…しまった!
さくらばばさんが写っていた。


「周南山の会というグループの人たち…」
「女の人もいたの…ふ~ん、そういう会なのね」

「周南山の会だから…会員は多いみたいだけど…」
「よく行ってるの?」

「たまたま今日一緒になっただけ。たまたま…今回は一緒になっただけ…」
「ふ~ん…」


…おしまい。

「ボクに明日はない」

注:なお、文中に関係のある写真は全て削除されました。

2012年5月 5日 (土)

立岩山(赤谷山)の北尾根に突撃(島根県益田市:1,181.0m)~その2

尾根は歩きやすく、いつもの壮絶なヤブ漕ぎがない。
そういう慢心があったのか、体を引き上げようと何気なくつかんだ木がバキッと折れた。
ボクはもんどりうって斜面に転げ落ちた。

みんなが、「あっ!」と叫んだのが聞こえた。
必死で斜面の灌木をつかむ。
幸い体は2~3メートルで止まった。

急勾配だったが、割と灌木が多かったので、そのまま谷底まで滑落するような所ではなかったが、自分の不注意が情けなかった。

やがて目の前に大岩が現れた。
「おお…北尾根にも立岩があったのか」


H2453p1000039_2


岩を巻いていくと、再び大岩が現れた。
「ほほう…北尾根には二つの立岩がある…ということか」

しばらく立岩下でたたずんだ。
晴れていたら素晴らしい展望と森が広がって見えるはずだ。

やがて踏み固められた山頂に飛び出した。
周囲のササが刈り払われ、昔のヤブの中の三角点のイメージはなかった。


ここまで4時間20分。
雨の中で昼食。
展望は全くないが、北尾根を登りきった達成感が漂う。


さて、いよいよ下りである。
予定は、山頂直下から北北東に伸びる尾根を下るのだ。
ただし、尾根が広いので注意が必要だ。


H2453p1000042_3

灌木があるし、岩がゴロゴロしているので歩きにくい。
やはり尾根筋ははっきりしていない。

何度も地図と周囲を確認する。
右に大きな谷が見えてきたので、
「お~い、右の小尾根に乗ったみたいだぞ」

GPSで確認する手もあるが、
「人間の勘でいきましょう。まちがいなく小尾根。左にトラバースしてあっちの尾根に移動しよう」

H2453p1000045_2


この尾根は少しずつ左に振っているのだが、尾根筋ははっきりしない。
「いずれにしても初めの出合の左谷に降りるから、さっさと下ろう」
と、がんがん下っていくと沢まで降りた。

ここにも赤テープがあったが、植林地になると踏み跡は消え、放置された間伐木に足を取られて、とても歩きにくかった。


やがてワサビ田に出た。
もうすぐ出合のはずだ。

ここでボクに再び悲劇が訪れた。
ワサビ田の水路に足を取られて、水路の中に横倒しになったのである。
水浸しになるのなら、雨の中だから関係ないのだが、水路には発酵した泥土がドロドロに溜まっていたのであった。

「肥だめよりも匂うぞ!」
「どこかで洗濯しなきゃ」
と慰めの言葉もない。


やがて出合に着いて再び林道を下る。
周囲の森は素晴らしい。
植林地も多いが、沢も森も予想以上だった。


H2453p1000049_2


今回の立岩山の北尾根は面白かった。
沢も森も素晴らしい。
特に二つの滝と、二つの立岩が印象に残った。

登りは4時間20分。
下りが2時間20分の突撃だった。


今回、ボクはGPSのデビューだったが、一度だけ、滝を越えて、どの尾根に上がるかというときに、現在地を確認した。
「おお…ちゃんとGPSがあってるじゃん」


というわけで、GPSのトラック図は次のとおり。
山頂でウェイポイントを押したのだが、その処理がマズくて、下りのトラック図にたくさんピンが立って見にくくなってしまった。
※後日、修正した。


H2453


突撃日:平成24年5月3日(祝)
天 候:小雨
メンバー:ヤブ山突撃隊(T隊長、Iクマ対策特殊部隊長、ヤブ山<N>)、ぼっちさん、Y代表
所要時間:7時間20分
感 想:おもしろかった。

立岩山(赤谷山)の北尾根に突撃(島根県益田市:1,181.0m)~その1

昨年来の懸案だった立岩山(赤谷山)に突撃した。
通常は、笹山集落から山葵天狗社経由で、大神ヶ岳からの尾根縦走だが、立岩山の北尾根一帯がどんな所なのか興味があった。

12月、3月末ともに雪や悪天候のため延期続きだった。
今回も低気圧の影響で、山陰側はぐずついた天気だったが、大雨にはならないようなので決行した。

ぼっちさんを早朝5時過ぎにピックアップして、集合場所の三葛の「みささファクトリーパーク」に着いた。
7時半集合なので、小雨の降りしきる中、バーベキューのあずま屋でしばらく雑談をしていた。

やがて、ヤブ山突撃隊のT隊長と、Iクマ対策特殊部隊長が現れ、続いて山口山の会のY代表が到着。

降りしきる小雨の中、
「こんな天気なので、とりあえず林道終点まで行って、様子を確認して帰ろうか…」
で一路、匹見のレストパークをめざした。

ちょうどゴールデンウィークのイベントの幟が立っていた。
レストパークを過ぎてすぐのカーブのところに目指す林道があった。
国道488号はここで通行止めになっていた。
林道はてっきり通行止めと思っていたが、そのまま進むと広場があったので、ここに駐車した。

いざ突撃である。


H2453p1000015

林道はしっかりしていて、途中、軽トラが一台追い抜いて行った。
やがて林道分岐に至ったが、りっぱな林道は左手の大神ヶ岳方面に続いていた。
我々は、少し荒廃した右の立岩山方面の林道に入った。

所々倒木があったが、意外に荒れておらず、小雨の中を元気よく進んだ。
二股の出合のところで林道は終わっていたが、右谷方面に踏み跡が続いていた。
古い赤テープもある。
「とりあえずこのまま行きましょう」

H2453p1000019


はじめの二股に着いた。
可能であれば、この谷を途中まで詰めるか、右手の尾根を登るつもりだったが、いきなり滝が現れた。
当然、岩は濡れて直登は無理だし、巻いて登るにしては急斜面なので、そのまま右の本流を詰めることにした。


H2453p1000023

10分ほどで今度は2段の滝にぶち当たった。
見事な滝である。
これを突破しないと奥には進めない。
濡れた岩に最大限の注意を払いながら、緊張して越えた。
天気が良ければそれほど難しくはなさそうだが、かなりビビった。

ぼっちさんが、
「これで後戻りはできませんね」
とつぶやいた。

H2453p1000026


立岩山山頂に近い左谷に入ったが、すぐに荒れてこのまま進むのが困難になった。
「どっちの尾根に上がる?右?左」
と相談した結果、間伐されて歩きやすそうな右尾根に這いがることにした。


H2453p1000035

2012年5月 4日 (金)

アコーデオン

今日は、立岩山の奮戦記を書く予定だったが、晩酌を開始しようとしたときに、同級生のTから、
「お~い、呑もうぜ」
というメールが来た。

かれこれ11時前に戻ってきたが、おみやげは「アコーデオン」である。
なんでも…Tの嫁さんが3台仕入れてきたそうで、ボクが中学時代を思い出して、少し和音をひいたら、
「あげる!」
と言われた。

秋には「チンドン屋」か「傷痍軍人」になろうぜ!と、盛り上がった
…までは記憶している。


…ここまで書くのに、ミスタッチばかりなので…今日も「おやすみなさい」。

2012年5月 3日 (木)

立岩山(島根県益田市匹見)の北尾根ルート

瀬戸内海側は晴れていたようだが、今回の匹見の北尾根ルートはすごかった。
小雨の中を5人のおじさんたちは頑張った。


少し解説しておかないと、地図がないので分かりにくいだろう。
立岩山は、通称「赤谷山」で、大神ヶ岳に登られた方ならお分かりだろう。

でも今回は、通常ルートの反対側…つまり北尾根から這いあがったのだ。


とりあえず証拠写真だけをアップしておく。
GPSのログは明日にでもやってみます。

滝がすごかった。
濡れた岩を慎重に抜けた。
久しぶりに緊張しながら上がった。
…これで後戻りはできなくなった。

H245p1000025


立岩山は山頂付近にある立岩で有名だが、北尾根にも立岩があった。

ボクたちは、「北の立岩」と命名した。

H245p1000036

そこまで這い上がって雨宿り。

H245p1000040

急斜面の尾根を何度も休みながら、ようやく三角点のある山頂に出た。
ようやく登山道に出会った。

でも腹ごしらえをしたら、北尾根のもう一つの道なき尾根を「ヒーヒー」言いながら下ることになる。


H245p1000041

とりあえずは、今宵はここまで…。
もう酔ってきた。

2012年5月 2日 (水)

突撃前夜

昨日は、既定路線の休暇をとった。
鬼嫁はパソコン講座、母は娘と病院・デーサービスに出かけた。

GPSの実地訓練をしようかと思ったが、雑草が猛烈な勢いで伸びているので、やっぱり草刈りに精を出す。

特に、昨冬、伐採したスペースをきれいにすることにした。
小笹やかずら、色々な雑草が伸びているので、草刈り機を振り回して刈りつづけた。
いまやっておかないと、せっかく伐採したのに元の木阿弥になる。

墓の周囲も念入りに刈る。
曇り空で湿度は高いが、まだ耐えられる暑さだ。
昼前になったので、弁当を買ってくるやいなや缶ビールに手を出す。
仕事の電話があっても電話で済ませようと心に決めた。

二缶開けたらホロ酔い気分になって、昼寝と決め込む。
でも1時前には目が覚めて、今度は田んぼの畦畔にかかる。

土手を刈る作業はつらい。
草刈り機を思い切り伸ばして、土手の上と下から刈る。
今の季節はまだよいが、これが盛夏時期になると地獄である。
今は雑草も柔らかいが、夏場になるとシワくなって刈りにくい。

なんとか畦畔を刈り終えて倉庫に戻ったら午後4時半。
カラータイマーが鳴り出したので、服を着替えてオンザロックに口をつけたら、デーサービスの車が到着した。

母を迎えて、介護の人に様子を聞いていると鬼嫁も戻ってきた。
母には気付かれなかったが、鬼嫁は、「もう飲んでるの!」という顔で僕をにらんだ。
…ということで、晩酌が早めにスタートして、昨夜は早々に爆睡したのでブログがお休みになったのでありました。


明日は匹見。
天気はぐずっているが、大雨にはならないようなので「決行」だ。
早朝5時発だからさっさと寝ます。

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »