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2012年7月

2012年7月31日 (火)

ダークナイト ライジング

先週はきつかった。
山口で連続して懇親会が続いたし、土曜日は、午前中防府で行事、夕方から山口の懇親会に出かけなければならない。

夕方まで時間つぶしに「ダークナイト ライジング」を観た。
ところが、前作に続いてとても暗い作品に仕上がっていたので、精神的な落ち込みに拍車がかかってしまった。
バットマンの原作を読んだことはないが、こんなに人間の暗い部分に焦点を当てた作品なのだろうか。

懇親会を終え、光駅に降り立ってみると、花火大会が終了した直後で大混雑。
妻の車を30分以上待つ羽目に。


日曜日は広島に出張。
炎天下で体力を奪われヘロヘロになって家に帰る。
オリンピックを見ながら晩酌していたら、そのままバタンキュー。


昨日は、代休を取って母の転院の事前相談。
最悪の事態を想定しての話だったので、心身ともに疲れはピークに達した。

その足で母の様子を見舞ったが、医者の話が頭に残っていたせいか、母の症状はどんどん悪くなっているように思えた。

帰路、妻とファミリーレストランで昼食。
妻に車のキーを渡しながら、
「ビールを飲むからね」
と言ったが、鬼嫁は珍しく黙ったまま受け取った。
ボクの疲れを察してくれたのだろう。

家に帰って全部の窓を開け放つ。
出かける前に害虫駆除の発煙剤を仕掛けておいたのだ。
ゴキブリが数匹転がって死んでいるのを見つけて再び気持ちが落ち込む。

このところ草刈りができない状況だったので、とりあえず家の周りから刈り始めたら、近所の幼馴染が、
「最近、おかあさんの部屋の電気が付いていなけど、具合はどう?」
と声を掛けてくれた。

日が陰るまで頑張る予定だったが、5時過ぎには暑さの前にダウン寸前となった。
ガリガリ君をかじって、冷たい麦茶をがぶ飲みしても回復しない。
縁側に横になったまま、
「お~い!缶ビール!」

鬼嫁は、黙って持ってきたが、さすがに、
「これで…夜は私の分しかありませんからね」
とダメを押された。


今日はデスクワーク三昧。
昼休みに中学校の同窓会の幹事から電話がかかってきた。
「土曜日の同窓会の件だけど、はじめに何かしゃべってくれ」
「幹事がやれよ。苦労しているんだから」
「ダ~メ!幹事で決めたんだから」
…結局、押し切られた。


夕方、母を見舞うがほとんど寝ながら夕食中。
付き添っていた妹と交替する。
どんどん気力レベルが下がっている。
それでも帰ろうとすると、
「もう帰るのかね もうちょっとおって!」
と悲しそうな声で言う。

見舞いに寄っても、別れ際がいつもこれなので辛い。
不義理ばかりしているような気になる。
毎回、これの繰り返しなので、顔を見せるのが苦痛になってきた。

母と目を合わせないように、
「また明日!」
と、病室をあとにする。


“The Bright Knight Rises”

2012年7月30日 (月)

疲れました

今日の日記のジャンルを何にしようかと迷った。

仕事も忙しい。
母の症状もどんどん進展している。
夜の行事も多くて、ブログが書けなかった。
途中、高校野球のことで変なことを書いたようだが、記憶にない。


今日は、母の転院の打ち合わせに行った。

担当医から、

「紹介状の内容を見る限りでは、お母さまの状態は芳しくありません。
 それに認知症を併発しておられるので、これからの進行は早いと思われます。
 今は自分で歩いたり、食べることができたとしても、
 急に食べることができなくなったり、容体が変わることがあります。
 今から色んな準備をしておかないといけません」

と、あらゆる事態への対応を考えておくように告げられた。

その後、母の様子を見にいった爆睡中だった。
昼だったので起こして話をしたが、曜日も時間も分からなくなっていた。

配膳された昼飯をベッドの上で食べた。
まだ自分だけで箸を使って食べることができる。
こぼすのは多くなったが、まだ大丈夫だ。

黙々とご飯を食べている。
ボクのほうを見ずに、
「これは…なに…ごはんかね?」
「ひ・る・ごはん」
「そうかね」

帰ろうとしたら、
「もう帰るかね…帰らんでえね」
「…またね。明日来るから」
と手を振りながら病室を後にした。

2012年7月27日 (金)

打ちにいったら加速度を増す

梅雨明けから土日で自由にできたのは、莇ヶ岳に行っただけだ。
でも、弱小ながら、愛すべき高校野球チームの玉拾いの一員としては、なんとか晴れの舞台は見届けたかった。

一昨日は仕事の合間を抜けて、母校の野球の応援に行った。
各選手の調子も分かるし、弱点も知っている。
OBの二人とともに、まるで自分のチームのように解説をしながら観戦した。

ボクは、決勝大会で7番に下げられた『アイツ』の調子が分かる。
「お前は!球を迎えに行っているぞ!」
と言いたかった。

「球を迎えに行く」
という表現は、野球を少しやった人なら分かる。
…わざわざ球速を増しながら打ちに行くことだ。

前に体重移動をしながら打ちに行くと、ちょっとでも球が速いと打てない。

自爆のような打ち方だ。
球は見極めて打つのが鉄則。


でも打ちたいときは、打ちにいってしまう。
体重を、前に移動しながら球を迎えるのでバットの振りが負ける。

わざわざ障害を自分で作るに等しい。
後輩がそれに陥っているのが分かっているのに、それが言えない。


…早く仕事をリタイアして、ボール拾いからサブコーチにでもなりたい。
あいつが1番か5番に座ると、相手チームにとっては脅威になる。


これは仕事と同じだ。
初めか最後にどんな奴がいるか…探り合いになる。
それぞれが、その組織の切り札だ。


…男の宿命


2012年7月24日 (火)

ヤブ漕ぎ

先日の莇ヶ岳では、ササのヤブ漕ぎを満喫?した。
支尾根に這い上がる数百mが壮絶だった。

急斜面だからササは登っていく我々のほうに倒れ込んできている。
それを左右にかき分け、その根元のほうをつかんで体を引き上げなければならない。

ところが、ササは低いほうに向かって規則正しく倒れてはいない。
120度の範囲の中で入り乱れて倒れている。
だから、これを雑に左右に振り分けると、根元も左右に入り乱れてしまうから、登山靴が引っ掛かって足が前に進まない。
面倒なようでも、ある程度根元のほうをていねいにかき分けたほうが効率的だ。
…でもついつい雑になってしまう。


登山道や踏み跡がササに覆われている場合は、『ヤブ漕ぎ』とは言わない。
これは『ササが被っている』と表現すべきだ。
『ヤブ漕ぎ』は、全く踏み跡がなく、ササが縦横無尽に生えているところを突破する場合をいう。


下りは進行方向に倒れ込んでいるので、登りに比べて非常に楽である。
しかし、急斜面では、倒れたササを踏んでしまうので、とにかくよく滑るので転げまくる。
崖や崩落地がないかと注意を払いながら、ササを掴んで体を確保して慎重に下る。


…莇ヶ岳の山頂での老夫婦との会話。
(泥んこで煤まみれになったボクたちを見ながら)

「どこから上がってこられました?」
「右谷の方から…谷を詰めてヤブを漕いで来ました」
「…そうでしたか。すごいことになっておられたので…お疲れ様でした」

再びぐちゃぐちゃになってホンエキに降り立った時の会話。
「登りはぴっけさんでも大丈夫だったけど、この下りはちょっと…」
「小峰峠まで行って車道を歩いて帰る選択をしたでしょうね」


もうひとつおまけの会話。

猿田原のキャンプ場近くにイバラが生い茂る地点が刈ってあった。
「わざわざ刈ってあるから、きっと山ガール同伴のグループかな?」
「そうでしょう。男だけのグループがわざわざ刈るわけがないよ。
突破できればいいんだから、わざわざそんなことしなくても…」
「やさしい男もいるんですね」

じゃあ…ヤブ山突撃隊に『ぴっけ隊員』が参加した場合はどうするか?
…必ず二番目を歩いてもらうので、先頭の誰かが、『露払い・クモの巣払い・ヤブのかき分け』をします。
あとはぴっけ隊員が頑張るだけ。

2012年7月23日 (月)

莇ヶ岳のバリエーションルート③(1004.2m:島根県吉賀町・山口県周南市)

(前回までの内容)


さて、いよいよ下りである。
小峰峠の縦走路を少し下って、予定していた支尾根を探すがはっきりしない。
「もうこの辺から降りようか」
と言いながら、ホンエキ谷方面のササヤブに突入した。
猛烈なササだが、下りなので、ササや灌木をつかみながらズルズル下る。
後ろからぼっちさんが、
「もうちょっと右!」
と声を掛けてきた。
なるほど少し左に振りすぎていた。

この辺りからぼっちさんが特攻隊長らしく先頭を切って下り始める。
ようやく支尾根がはっきりしてきたので、ずるずると滑るようにササやぶの中を降下した。
途中には見事なブナがあった。


029

ときどき高度計をみるが、ガンガン下って行くのが分かる。
沢音が聞こえ始めると、最後に猛烈な斜面を滑り降りてホンエキに降り立った。


「一気に下ったね」
「すごかった」

030

ここからホンエキを下る。
踏み跡はなかった。
何度も渡渉を繰り返すが、滝はなく、登山靴でも十分歩ける谷である。

やがて沢沿いに薄い踏み跡が現れた。
ようやく歩きやすくなってきたので、ガンガン下っていると、足元に!


「よし!はちべえどのが喜ぶ写真をとっておこう!」


032

その後の谷歩きは楽チンだった。


033_2


やがて初めの本右谷の出合いに着いた。
「やったね!これで柿木側の周回完了だ!」

テクテクとキャンプ場まで戻る。
河原で裸になって、泥んこになった体と服を洗う。

「またどこかに行こうね」
「うん」
「じゃあ…また連絡します」
でIさんと別れを告げる。

こうして、ヤブ山突撃隊の莇ヶ岳の柿木側の周回コースの突撃は終わった。
二つの谷は落葉期はきっと明るい谷だろう。
トチの木や落葉樹が多く、谷も概して歩きやすい。
本右谷の滝も何とか装備なしでも越えられた。
猛烈なヤブ漕ぎを強いられるが、島根側の自然を満喫できた。
今回も面白かった。

※GPSのトラックは次のとおり。6時間20分の突撃。

H24721


莇ヶ岳のバリエーションルート②(1004.2m:島根県吉賀町・山口県周南市)

(前回までの内容)


本右谷の源流はますます細くなって、とうとうヤブ化してきた。
「さて…そろそろ尾根に取り付きますか」
「それにしても急だね」
「稜線まで高度差はまだ250mある」

019


猛烈な斜面に取り付いた。
半ばザレ化しており、とろこどろに濡れた岩が露出している。
ぼっち特攻隊長とIクマ対策特殊部隊長が猛然と登り始めた。

020


ボクが途中でスパッツのゴムを直していると、二人はササヤブ地点まで到達していた。
この斜面は過去に崩落したようで、気が緩むと滑落の危険がある。
慎重に足場を選び、灌木をつかみながら二人のあとを追った。


023

今までの沢沿いにはトチノキが多かったが、ササが茂る地点まで上がるとブナが多くなってきた。
下から眺めたササはきれいに見えたが、実際に這い上がってみると猛烈なヤブだった。
「ヒーヒー」言いながら猛然とササをつかみ、それをかき分け、体を引き上げながらようやく支尾根に這い上がった。
うっすら踏み跡があった。
(この時点では錯覚していたが、この尾根は右ヶ谷ルートである)


025

この支尾根はササが薄くなって、さっきまでの大ヤブが嘘のようである。
ゆっくりと高度を稼いで、最後の大ヤブをかき分けると縦走路に飛び出した。
「ふ~ぅ!出ました!」
「もうこのルートはほとんど人が歩いていないんじゃないの?」
そういえば目印のテープはあるが、ひどいヤブになっていた。
「みんな正面の周回ルートしか歩いていないんだろうな」
と話しながら莇ヶ岳の山頂を目指した。

028

「着きました!」
「谷から這い上がるよりも縦走路を歩くほうが疲れたね」
「そのとおり!気が緩むからかな?」


山頂には誰もいなかったが、暫くすると高齢の夫婦連れが上がってきた。
どうやらこの一帯の植生観察や環境整備、山頂小屋の建設・運営をしておられる方々らしく、仲間の方も遅れて上がってきた。

ぼっちさんは植生に詳しいので、いろいろな花談義をしていたが、ボクは無頓着に降下ルートを確認していた。


2012年7月22日 (日)

莇ヶ岳のバリエーションルート①(1004.2m:島根県吉賀町・山口県周南市)

ぼっちさん宅に寄って、島根県の小峰峠から吉賀町に抜けて猿田原のキャンプ場に着いた。
草は刈られているが、誰もいないし、管理道のチェーンは掛けられたままだ。
「夏休み初日の休日に、いきなり利用者ゼロ?」

少し経ったら、Iクマ対策特殊部隊長が現れた。
たった一人である。

「T隊長は?」
「北アルプスに行くそうです」
「逃げた!?」
「梅雨が明けたそうで…」
「きっとバチが当たるでしょう!」


キャンプ場を抜けて、右谷ルートの踏み跡に入るが、右谷川を渡ったところで雑草が茂る50mがある。
大抵の人はここで引き返すが、鉈か鎌で刈った形跡があった。

そのままずんずん奥に進み、本来の右谷コースの尾根の出合まで来た。
そのまま左谷の『ホンエキ』方面に向かう踏み跡はしっかりしている。
「これじゃぁ…このまままっすぐ行ってしまうでしょうね」
と言いながら、沢を渡り、倒木に阻まれた右谷に入る。

ここで注意しておくが、本来のルートは、ここで出合の尾根を上がる。
沢を渡る地点には、僅かなテープが残っているだけで、
「まさか…ここで沢を渡るとは?」
という雰囲気がある。
…事実、踏み跡は、まっすぐ左谷の方が明瞭に踏まれていた。
たぶん、8割の人が間違えているだろう。


さて、出合の話の戻る。
本来のルートは、ここで沢を渡って、目の前の急峻な尾根を登る。

でもボクたちは、事前の計画通り、右谷の倒木を超えていく。
梅雨末期で、かなりの水量は覚悟していたが、越えてみると…こんな感じだった。

001

地図で想像した沢と少し感じが違う。
適当に歩きやすいところを探しながら遡及開始だ。


実は、この『ホンエキ』には『滝がある』というブログを読んだことがあるので、そろそろ現れるかと期待していると、目の前に滝が現れた。


004_2

「しょぼい! これが滝??!!」
と思わず叫んでしまった。

ぼっちさんに、
「これが大滝だったら…ごめんね」
と謝る。


これからは、沢歩きを楽しむ。
マムシもクマも潜んでいるのだろうが関係ない。
これがあるから、ボクは西中国山地に通うのだ。


006_2

…ところが、その滝をエイ!と超えて進んでいると、遠くにヤバそうな滝が見えてきた。

012_2


この滝は二段になっていて、手前までは直登できるが、本滝そのものは手強い。
写真を撮りながら、
「どっちに巻く?」
「左はダメ」
「右の高巻きはかえってあぶない…降下地点の崖の落ち込みがヤバそう。滝の横しかないかも?」
…ということで、滝の右横に這いあがってみた。

「なんとか…ここならいけそう」
で、灌木を頼りに滝の上部に上がった。


014_2


滝の上から下を覗いてみた。
写真で見ると高度感がないが、10mはあるだろう。
「これを下りには使いたくないな」
と思いながら沢を詰める。

つまり、ここから稜線まで這い上がらないといけないのだ。


とうとう…源流が細くなってきた。
いよいよ、尾根に這い上がるかどうか…決断する地点である。

018_2


(とりあえず…ここまで)

2012年7月21日 (土)

莇ヶ岳(1004.2m:島根県吉賀町・山口県周南市)

ヤブ山突撃隊で『莇ヶ岳』に行った。

島根県側の猿田原キャンプ場から右ヶ谷コースで出合まで行って、登山道の尾根に上がらずに、右谷に入って谷を満喫した。

最後の急登にしごかれて、右ヶ谷コースに合流し、莇~弟見山の縦走路に這いあがった。

莇の山頂から小峰峠方面に下って、縦走路から離れて『ホンエキ』に滑り降りた。

再び右ヶ谷コースの出合に降り立って、無事、猿田原キャンプ場に戻った。

この周回で、6時間20分。

酔いつぶれたので、写真を一枚添付して…おしまい。
(明日は仕事なので、奮戦記はもうちょっと先かも?)

008


2012年7月20日 (金)

頑張ろうっと!

目まぐるしく変わる天気だが、高気圧は概ね張り出しているので、明日は決行。

このところの雨で沢の増水が気がかりだが、おじさんは頑張る予定。

明日は5時起き。おやすみなさい。

2012年7月19日 (木)

ヤブ山突撃隊~梅雨と闘う

土曜日に行く予定だが、とりあえず決行するつもりだ。

水量は多いようだし、沢が歩きにくかったら、さっさと撤退する。

山に向かう日が限られているので、ぎりぎりまで見極める。

…情けないが、なにもかも余裕がない。

2012年7月18日 (水)

家長の仕事・親の心

母が入院したので、スーパーマンになるまで2分多くかかるようになった。
風呂からあがると、仏壇のろうそくを灯して線香をあげ、リンを「チーン」と鳴らして手を合わせる。
木魚は省略。いちおう拝んでいるのでバチは当たらないはずだ。
続いて、二か所の神棚と荒神様に灯明をあげて、柏手を打つ。
やれやれ、これでやっと晩酌にありつける。


さて先日、息子が許嫁とご両親を連れてきた。
息子はすでに新居となるアパートに引っ越しているのだが、彼女の実家に近いので、ときどき夕食を作りに来てもらっているようだ。
そこで、帰り際、彼女に収穫したばかりの玉ねぎとじゃがいもを持たせたら、ご両親が、
「田んぼもあるし、これなら食糧危機になっても大丈夫ですね」
と笑っておられた。

息子はずっと独身寮にいたので、兄弟姉妹の中で唯一米を送っていなかったが、これからは米や野菜を送ることになりそうだ。

畑も何をどれだけ作るか、まじめに計画を立てなければならない。
来春から東京の孫も幼稚園に上がるので、いちごやトウモロコシも作ってみたい。
こんなことを考えているので、ようやく伐採が終わった畑の跡地に果樹類を植える決断ができない。
とはいえ、あの土地にはトラクターが入らないので、手作業で畑に戻すのは大変だし、最近流行りのミニ耕耘機は買ってもらえそうもないので、「どうしたものか」と逡巡しているのだ。


学生時代、母が、定期的に米やたまねぎを送ってくれていたことを思い出した。
現金はぎりぎりしか送れなかったので、少しでも生活の糧となるよう、家で獲れたものを入れていたのだろう。
…やっぱり親はありがたいものだ。

2012年7月17日 (火)

母、再入院さす!

認知症で入院はできない。
有料老人ホームの順番を待つしかない。

母は、持病の腎臓病が限界を超えてきているので、今日はその決断をする日だった。
それに認知症が追い打ちをかけているので、医者に言わせれば、
「いつまで待つの・」
という状態だった。

今日は、母を車椅子に乗せて、
予約していないかかりつけの主治医のところに行った。
妻が昨日、休日救急に連絡を入れてくれていたのだが、それでも1時間待ちだった。

履きなれた靴が入らないし、顔がむくんで、まばたきが重い。
血液検査やエコーを済ませて、主治医と話をした。

専門病院に転院する意思を伝えると、母は即刻入院となった。
血圧は200近くあって、病室に入って暫くして降圧剤を投与された。


母は、ボクや先生、看護師に、
「私はもうダメなんかね? 死ぬるんかね?」
と何度も聞いた。

このブログは、認知症のことを強調しすぎていたのかもしれないが、母の腎臓病は極めて重い。
専門病院への転院を勧める主治医の助言を振り切って、4月に退院させたのだが、あらゆる面で限界を超えていた。

それに認知症の進行が輪をかけている。
入院を決断するのは、ボクしかない。
妹や嫁の気持ちは十分分かるし、母が在宅を希望する必死の思いもひしひしと伝わってくる。

でも、ボクは主治医に話しかけると、
「専門病院への転院を前提にして、処置を開始してください」
と話した。

主治医も、
「お母さんの寿命を考えたら、少しでも早く透析治療をすべきです」
と告げながら、
母に、
「もう少し頑張りましょうね? またボクの顔を見に来たんですね…」
とやさしく語りかけた。


この主治医はボクたちが実家に帰ってきて以来、
「もう少し家で療養をさせたい」
という言葉にほだされて、しぶしぶ黙認してくれている。

しかし、こうなった以上、
そしてボクがはっきり透析を申し入れたので、その気持ち分かってくれたのだろう。


これから数日間、彼のこれまでの診察状況を判断して、専門病院への転院手続きをしてくれることになっている。
母が人工透析との戦いにどれだけ耐えうるか…不安はある。
でもそれしか母の寿命が延びる手段はない。


そのことは今日だけでも母に10回は話した。
その都度、母は悲しそうな顔をして、ボクに何度も尋ねた。
「わたしは もう 家に 帰れんのかね?」

その都度、ボクは応えた。
「お泊り保育のように ときどき帰れるよ」
「そうかね もう病院からでられんのじゃね」
「うん もう ダメ」


母が元気なころ、家の玄関から眺めていた風景。


001

リビングの隅に片づけられた母の椅子。


003


昼までの入院手続きはボク。
昼からは鬼嫁。
夕方からは妹。
…で対応した。

誰が行っても、母は、
「○生や、△子を…いっそ見んが…どこに行っちょるんかね」
と話しているらしい。

でも、ちゃんと目の前の当事者をはずしているので、当面の会話は成立する。

ボクは朝から入院まで、ずっと付き添っていたのだが、
夕方、交替した妹によると、
「○生は いっそ見んが どうしちょるんかね?」
と聞かれたそうだ。

そこで妹は、
「この暑いのに 草を刈りよるんよ!」
と言ったら、
「そうかね 暑かろうね」
と言ったそうだ。

…やれやれ、とりあえず、おしまい。

2012年7月16日 (月)

植樹日

母をデイサービスに見送った後、一昨日買ってきた、『ゆず』と『山椒』を植える。

まず、『ゆず』をどこに植えようかと、ここ数日迷っていたのだが、
鬼嫁や息子に分かりやすいように、一番眺めがいいところに決めた。

H24716_001

さて、次は『山椒』である。
鬼嫁は、「あっちがええ」とか、「こっちがええ」とか注文が決まらないので、勝手口から出たすぐのところに植えた。


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酒を呑み始めてから、山椒のよさがようやく分かってきた。
鉢植え用の小さな株だが、大きく育ってほしい。

そもそも、裏にあった『山サンショウ』が枯れたので、後継者が欲しかったのだ。

その後、墓周りの草を刈った。


H24716_003

ボクはこの場所が好きだ。
少し苔むして、風が通る。

墓の周辺もヒモ付きカッターで刈り終えた。

H24716_006


墓もきれいになった。
でも盆前にはもう一度刈らないといけない。

先祖を守るということは大変な労力がいる。
ボクは今が最盛期。

あとは知らない。
誰かがやるだろう。


あすは母を病院に連れていく。
盆休みの前倒しだ。

2012年7月15日 (日)

認知症の告白

ずっと書かないでいたが、認知症は正直に書いておかないと、介護している人があとで責められるかもしれないので、正直に書く。

我が家の母は、気丈で何でもできる昭和女だ…った。

一年前は、しっかり歩いていたし、揚水ポンプのスイッチの場所も思えていたが、今やそんな記憶は過ぎてしまった。

やがて、足腰が弱る。
それが遅い人は徘徊老人になる。

元気な人はどこまでも歩く。
足が動かない人は、家じゅうの家族を呼んでは…眠る。


一番困るのが、『下の世話』である。
これは筆舌に尽くしがたいほど…辛い。

初めのうちは隠すが、認知症の度が増すと…恥じらいがなくなる…いや、それが分からなくなる。


さて、どうするか?
とにかく、今は、神器の『紙パンツ』がある。


今の製品は…『こぼれない』 『もれない』 『匂わない』
…のだが、現実は厳しい。


『尿と便が分からない悲惨さ』
を当の当人に聞いてみた。

「どんな感じかね? ウンチが分からんかね?」
「わからん…なにも分からん…」
「気持ち悪くないかね?」
「………」


母が歩く所には、捨て雑巾を置いている。
尿やウンチが垂れる。

それを誰が拭いているのか。
…鬼嫁と、わが妹である。


その二人が疲れてきた。
ボクはどうにか逃げ延びていたが、三日前からその当事者になった。


昨夜は母を背負って、その重さに腰が抜けた。

今日は、仕事から帰って妹と交替した。
残りの草刈りをして、途中、休んでいたら、
いきなり、リビングの方から音がした。

テラスを這いあがってみると、
「寂しいから、ここに来て…」
と母が、ソファーに座って、杖で床を叩いていた。


一週間前なら、ボクはキレて、
「そんな態度は許さん! 謝れ! 妻と自分の娘に謝れ!」
と、怒ったはずだ。

でも、ボクにはそんな力は残っていない。

妻が買い物から帰るのを待って、母をトイレに座らせた。


トイレの外から、
「お尻はだいじょうぶ? 廊下にはこぼれていなかったけど、漏れてない?」
「あれ? ○生かね? 今日は何曜日かね?」
「日曜日」
「田んぼは植えたかね?」
「今日から…中干しを始めた」
…と、このあたりから返事が返ってこなくなる。


なんだか、臭い。
でも何の動きもない。
…中に入って母を連れ出した。

あとはいろんな始末がある。
慣れないボクは大変だ。
妻と妹の苦労が…想像を絶する。
やっぱり、女は偉い! 辛抱! 尊敬!する!


10分後、母が出てきたトイレの中で、慣れない手つきで汚れた紙パンツを新聞紙にくんだり、床を適当に掃除をした。

部屋のベッドに横たわっている母のところに戻って、
「お尻を拭こうか?」
「いや…ええ…」
「ボクに拭かれるのが、恥ずかしい? 情けない? 恥ずかしいじゃろうがね!?」
と本気で聞いてみるが、寝ぼけ眼で、
「もう…わからん、もう、ええ…」

でも、始末はしなければならない。
…これが、認知症のとりあえずの現実である。


書きたくはなかったが、こんなことがある。
自分もいつかこんなことになるかと思うと、死んでしまいたくなる。

「それでも生きよ!」と、外様が言うのなら、

「やかましい!」
と胸を張って、大声で…言いたいと思ふ。

世の中万事…そうである。
真から目をそらして、きれい事だけに、きれい事をいってはならぬ。

正論は…小さな声で…はっきりと…いうものだ。

2012年7月14日 (土)

母の質量

久しぶりに仕事の解放日。

大雨なので、田んぼの水廻りをして、母のデイサービスを見送る。
ぐずぐずして出てこないので、母の部屋に呼びに行ったら、
「足が動かない」
と駄々をこねる。

「動かないとずっとそのままになるよ」
と声をかけたが、膝が立たないので、介添えをしながら玄関へ連れ出した。
ヘルパーに出会っても歩く気力がなく、とうとう車椅子に乗せられて車に乗り込んだ。

妻と今後の話をする。
もう一度、大雨の中を水回りをして、
『アメイジング・スパーダーマン』
をひとりで観に行く。

それなりに面白かった。
ボクは『スパーダーマン』なりたい。
迷いは共有している。
だからボクも正義の味方になりたい。


そう思って帰ったら、ちょうど母がデイサービスから帰ってきた。
いつもよのように恥ずかしそうな顔をして降りてくるかと思ったら、車椅子で降りてきた。
椅子を押しながら担当の人に話をくと、「今日は歩けない…日…」らしい。

ところが、玄関まで連れてきてもらうと、スタスタと自分の部屋まで歩いて行った。
「これなら大丈夫」
と思ったが、夕食後、リビングでうとうとしたまま動こうとしない。

こっくり・こっくりしているので、部屋に帰って寝るように諭しても、
「今から寝たら…夜目が覚めて…困る」
と言う。

「ボクはもう眠たいから…寝るよ…もう寝なさい」
「今から寝たら…あとで困る」
「ボクは寝るから…部屋を変える?」
「……うん」
「じゃ…引っ越しよう」


…ということで、母をとりあえず部屋まで連れて行こうとしたが、母は歩けなかった。
朝と同じ状況だ。
これが…演技なのか、薬のせいなのか、循環器のせいなのか…分からない。

そこで、母を背負った。


「重い!!」
…今は、47㌔に制限しているはずだが、猛烈に重かった。

手を取ったり、肩を貸したりすることはあるが、母がこれだけ重いとは知らなかった。

さっき鬼嫁と真面目に話をした。


2012年7月13日 (金)

ヤブ山突撃隊~雨に負ける


実は明日、西中国山地の有名な山の谷を詰めてみようと計画していたのだが、この雨で一週間延期することにした。

ぴっけ特別隊員が仕事の都合で参加できないのは残念だが、おじさん達は頑張って谷を這いずり回り、ブナの森を満喫したいと思っている。


ところで、最近、山歩きのブログがかなり増えてきたようで、先日もあるブログを何気なく読んでいたら、
「ヤブ山突撃隊の足跡をたどっている中年男性に出会った」
というくだりに出合った。

「やっぱりそんな人がいるのか」
というのが率直な感想である。


「三ツヶ峰~野道山、飯ヶ岳~雀谷山、莇ヶ岳~小峰峠、香仙原~安蔵寺山」などの大ヤブ漕ぎ、今ではすっかり縦走路が開かれて、当時の苦労は記録でしか知ることはできなくなった。

ヤブ山突撃隊で奮戦記をアップすると、すぐに誰かが歩いていることは何となく感じていたが、ヤブ山日記というブログに移行した今でもそんな人がいるとは驚きだ。

これからも…ときどき?面白そうなルートを探して歩いて見ようと思っているので、もしも参考にしている方がおられたら長い目で待っててください。


これでも歩くコースを探すのは大変だ。

国土地理院の国土ポータルを見ながら、地形や樹種を確認しては、
「このあたりは面白そうだな」
「いい森がありそうだ」とか「滝や岩場があるかな?」
というノリで、突撃先を考えている。

ボク自身、土日の仕事が増えてきているし、農作業も待っているので、なかなか突撃が思うようにできないが、適当なスパンで歩くつもりなので、その間は拙いブログでも読んでおいてください。

2012年7月12日 (木)

モノクロ

著名な写真家の作品展を鑑賞する機会があった。
1900年代のフランスの風景や人物写真が中心だった。

街角や郊外の人物や風景写真が中心で、その大半が白黒写真だった。
カラー写真も少しあるのだが、カラーになると急に想像力が働かなくなった。

モノクロ写真だと当時の情景や文化が伝わってくるのだが、色が付いてしまうと平板に見えて仕方がないのだ。

どうやら、過ぎ去ったものはモノクロ写真やセピア色になっていくみたいだ。
現実の世界は色が付いているが、ボクが頭に思い浮かべる過去の思い出はモノトーン一色なのだろうか。


「色つきの夢を見た」
という人がいるが、ボクはすぐに忘れてしまうので自信がない。

いま一所懸命に今朝の風景を頭に思い浮かべているが、それに色が付いているかどうか分からない。


H2478_001

H2478_0011


色は人の想像を遮断する。
おそらく…脳は色の刺激に激しく反応して、本来の機能を放棄してしまうのだろう。

それに対して、モノトーンは、脳を鎮めて本来のネットワークを呼び戻すに違いないと思う。


物事を考える時もそんな気がする。
色がついたものは偽物だ。

色を消去して本質を見極めたい。

…でも、サングラスが要らぬ「心眼」は、未だに…この歳になってもその影さえ見えないのだ。


2012年7月11日 (水)

認知症の凄み

昨日は母の検診日。
妹が主に連れて行ってくれているのだが、3回に一回はボクが行くようにしている。

血液検査と尿検査の数値を診て、主治医は、
「もうそろそろ入院を考えておいたほうがいいですよ。
 自分の両親なら入院させます」
と言われた。

ボクたちも同じ気持ちになっているが、ささやかな希望がある。
少しでも改善に向かってくれたら…と願う。
でも、あと何週間もつのだろうか。

本人は、「家にいたい」の一点張りだ。
できれば本人の希望通りにしてやりたいのだが、ここには書けないような問題が山積している。
そろそろ限界が近づいてきている。

しかし、周囲がこれだけ心配しているのに、本人は、ちょっとでも心の糸が切れると、
「みんな年寄りと思うて…バカにして……」
と愚痴をこぼすので、こちらが切れる。


「みんな おかあさんのことを思って頑張っているのに…なんでそんなことを言うの!」
とケンカになる。


妻はキレたボクをなだめようとするが、ボクはそう言い放った母が許せなかった。
「さっきのことは ボクに対して言ったの?」
「いいや…あんたじゃない」

「ボクに言うのならええ。でも、ボク以外の人にじゃったら…そんなことは二度と言わんこと!」
「…わかった」

そんな受け答えができるから、頭に来るのだ。
「なんのこと???」
と、とぼけてくれたら鞘を納めるのだが、ボクが相手とわかって言葉を選んでいるようなので、まだマトモナところでそんなことを言っているのかと、疑心暗鬼になる。

認知症は単なる記憶障害ではなくて、性格障害も出てくるのだろう。


…さっきと同じ話が5分後に始まった。
さっきの記憶を完全にクリアーしたようで、また同じ愚痴をこぼした。
ボクはもう一度、頭にきて、できるだけ感情を冷やしながら、もう一度諭す。


これが認知症の症状だから、優しく、慈悲深く、温厚に対処したいが、ボクの人格は確実に拒否反応を示している。

2012年7月 9日 (月)

鬼嫁吠える

今朝、出かける前に車の後ろのウインドウが曇っていた。
いつもなら5分もすれば曇りが取れるのだが、今朝はいつまでたっても曇ったままだ。

ちょっと様子がおかしいし、真冬の霜のような模様だったので、嫌な予感があった。
途中のサービスエリアで見てみると、リアウインドウが割れていた。

今は安全ガラスなので、ジグソーパズルのようにバラバラに割れる。
後ろのドアを開けたら、ガラスの破片がバラバラと落ちてきた。


これには伏線がある。
土曜日、息子の許嫁の両親が我が家を訪ねてこられるので、家の前を丁寧に竹ぼうきで掃いた。
その屑をいつも車を停めている空き地に履き出した。

その地点を、昨日、ヒモ付きカッターで試運転をしたのだ。
小石が飛び散ったことは気づいていたが、リアウインドウを割っているとは思わなかった。


さっき、妻にそのことを話した。
許してもらえると密に思っていた。

でも返事はきつかった。

「そうなの…ボーナスの小遣いを返すのね!」
「ボクは…頑張ったのに」
「返すのね?」
「あれは…事故」

「事故? 気をつければ防げたはずでしょ?」
「よかれと思ってやっただけ」
「とにかく返してね」
「うるさい!」


ボクは悪くない。
単なる事故である。
正直者がバカを見てはいけない!

鬼嫁はこの世の害である。
正直な旦那は褒めて然るべきである。

ボクは頑張っただけである。
飛んだ石が犯人なのに、ボクがA級戦犯にされた。

鬼嫁は、とかく世の悪である。<完>

2012年7月 8日 (日)

頑張りました

昨日は、息子の許嫁の両親が初めて我が家へ。
「こんなところに住んでおられるとは羨ましい…」
とお世辞を言われた。


ボクより二つ上だから、そんな会話になる。
「うれしい」
…その気持ちがよく分かるし、嬉しい…それがおじさんである。


今日は、朝7時から川のクリーンアップ作戦だった。
長靴をはいて川の中のカヤを刈る。

団地の若い連中が出てくれたので、作業ははかどる。
草は市役所がまわしてくれたトラックに積み込むのだが、若い連中が遠慮して上に上がらないので、ボクが上がった。

トラックの兄ちゃんに聞いたら、これ一台しか来ないというので、詰め込み作業を開始した。
とにかく体積をどう減らすかだ。

たぶん、こうすれば入るという按配でやる。


これで1時間経過。
…悪いが、農作業に慣れたいない人たちが多いと、座り込んで、いつまでたっても終わらない草むしりを始めるので、始末に弱る。
早目に見極めて、作業を切り上げるように助言…というか…脅しをかける。

環境部長が、その旨をわかってくれて、ようやく散会になった。


それから部落の社の草刈りに上がる。

ここにもカマ部隊が現れるので、いつまでもガサガサ刈られたら終わらなくなる。

「下から刈るから、まだそこは履かないで」
と大声を上げる。

農作業は段取りがいちばんだ。
だから、余計なテゴがかえって邪魔になる。


一時間草刈りに励む。
草刈り機がある家は少なくなった。
カマを持つ人が増えた。
でも、カマはキワを刈るときには大事な仕事だ。

これが、「猫の手」 「孫の手」である。


昼前、散会するとき、
「ビールですか? お茶ですか?」
と問われて、迷わずビールを選ぶ。


そこで古老と宴会になる。

昼前には、H高に山口市のS高の練習試合が始まった。
職場の同僚の息子が来ているはずだ。


ドロドロの服と、ほろ酔いのままバックネット裏に行く。

あとはお互い善戦…にしておく。


さっき、兄に、母の近況を電話した。

…実情がいまいち分からないので、辛そうだった。


2012年7月 6日 (金)

打ち上げ

4月に立ち上げた新部署だが、当面の目標を達成したので、遅まきながら打ち上げをした。
みんな手探り状態でスタートしたのだが、紆余曲折はあったが、ようやくここまで来たという達成感があった。

そういえば就職した直後、新入社員は支局・営業所のようなところに配属されるのが常で、そういうところでの宴会は、上座に座っている上司の所に行って酌をして、
「お流れを頂戴いたします」
と口上を述べて、返杯をいただくのが礼儀とされていた。

数年後、本庁に転勤になった。
宴会は、やはり上座に居並ぶ上司が座り、下っ端は末席に座るという点では全く同じだったが、宴会が始まると、まったく違う光景に出くわした。

部下が上司に注ぎに行く前に、上司が自分の席を立って、まず末席の部下のところに行って、ねぎらいの言葉をかけながら酌をし始めたのだ。

これには驚いた。
日頃は口うるさく目を光らせている上司が、わざわざヒヨコ社員のところまで来て注いでくれるのだ。

ヒヨコ社員はあわてて正座しようとすると、
「いいから、いいから…そのまま、そのまま。おまえはよく頑張ってるな…」
とやさしいことばをかけていただいた。

そういうやり方をするのは特定の上司だけだというのは後で知ったが、自分が歳をとって上座に座るようになってから、できるだけそれを実践するようにしている。

自分の気持ちは新入社員のころとあまり変わっていないが、部下にしてみれば、
『恐ろしい? 口うるさい?』
上司だろうから、緊張している奴もいるし、もう酔っ払ってグダグダ言い出す輩もいる。

とにかく『持つべきものは…部下』である。

2012年7月 4日 (水)

ちょっと疲れました

疲れて帰って、母の理解不能な言動につきあっていたら…とにかく疲れた。

明日は懇親会。

鬼嫁はボクの帰りを待っている。

どうでもいいから…二人ともボクを見捨ててくれないかな。

2012年7月 3日 (火)

今朝の危機管理


朝4時過ぎごろから、メールの着信音が断続的に鳴って、県下での大雨警報や洪水警報を知らせてきた。

昨夜は懇親会があったので、車は職場に置いたまま、最終電車の一つ前で帰った。

今朝は、駅まで鬼嫁に送ってもらう予定だったのだが、5時半ごろテレビに、「山陽本線は運転を見合わせ中」というテロップが流れた。

「すまんが防府駅まで送ってくれる? 駅前からバスに乗るから」
と話していると、今度は、
「国道262号が大雨により通行止め」
というテロップが流れた。

「ひゃ~!今日は絶対に外せない仕事があるから…職場まで送ってくれる?」
「いいわよ」
と、鬼嫁は仕事のことなら実に理解が早い。

そもそも今朝は、6時過ぎの電車に乗る予定だったので、いつもよりも30分早く支度をしていたので、6時過ぎには家を出る予定だった。


一方、昨晩、妹が母の様子を心配して泊まりに来てくれていたので、鬼嫁が義妹に、事情を話して、朝食の支度とデイサービスの引き渡しを頼んで出掛けた。
たまたま妹が来ていたから事無きを得たが、もし居なかったら母を一人で置いていけないので、ボクの仕事と母のどっちを取るかという…巡り逢いたくない選択を迫られるところだった。


妻の新しい軽自動車で、永源山公園から島地に抜けて仁保経由で山口市に着いた。
この間、1時間30分。
たぶんボクの睡眠時間は4時半。
鬼嫁も…ボクより寝坊の時間を勘案すれば…同じぐらいだろう。


鬼嫁に、
「気をつけて帰れよ」
と言いながら別れたが、昨夜は無理をせずに湯田温泉にでも泊っておけばこんな苦労が要らなかったのだが、ここ数日、母の様子がおかしくて、ボクが9時過ぎに寝ているのに、リビングにきては、ソファーに座り込むようになっていた。

その対応に困った鬼嫁が
義妹に相談したところ、
「一晩泊って様子を見てみるわ」
ということになったそうだ。

…色々なアクシデントがあったが、なんとか今日を乗り越えられた。

大雨による通勤障害や田んぼの水回り、そして母の介護など、ヤブ山家の危機管理はあちこち大変である。

モツベキものは…鬼嫁である。<完>

2012年7月 1日 (日)

農ある暮らし②

仕事は昼からなので、午前中に少しでも野良仕事をしようとしたが、断続的な雨に邪魔された。

仕方がないので、この数カ月来、回転数がいまいち安定しない草刈り機を掃除することにした。

まず、プラグを外してみたが、カーボンはそれほど付いていなかった。
エンジンをかけてみたが、相変わらず噴き上がりの反応が鈍い。

前から目をつけていたキャブレターのカバーを外してみた。
空気を取り込む穿孔にゴミが詰まっているかと思ったが、きれいなままだった。

カバーの内側には、スポンジのフィルターがあって、どうやらそれが汚れているために、うまく空気が入らないようだ。
何度もたたいてホコリを落としてエンジンをかけてみた。


少しマシになったようだが、それでも噴き上がりが悪い。
もう一度カバーを外して、どこから空気を取り入れているか調べてみた。

…裏カバーには数か所吸気穴があった。
その穴を覗いてみると、中が埃で半分ぐらい詰まっていた。

この草刈り機は、たぶん7~8年は使っている。
そんなところは掃除をしたことがなかった。

なるほど…使い放っしにしていると、こんな事が起こりうるのだ。
エンジンをかけたら、快調な音が響いてきた。
スロットルを動かすと、それにつれて回転数が上がったり下がったり…きちんと連動する。


久しぶりの満足感だった。
機械は原始的なほどいい。
対話をしながらいじることができる。

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