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2012年9月21日 (金)

再び「トレードオフ」論

厳密な定義を調べるのが面倒なので割愛するが、何事もほどよい組み合わせが必要である。

「知・徳・体」は昔から人間のバランスを保つ言葉として使われているが、これは、
「気をつけないと三者のバランスが保てないぞ」
という裏返しの警句が潜んでいる。


「反面教師」はどうか。
他人の言動をみて、「あんなことをしてはいけない」と悟ることをいうが、これは極端な方向に走りやすい。

往々にして、「あれはいけない」と結論づけてしまいがちだ。
ここは落ち着いて、「あんな言動はいかがなものか。自分ならどうするか」
と、自分の頭で考える必要がある。


反面教師を前にして、何も考えなかったら何の教師役にもならない。

ところが、現在の風潮として、反面教師を直接的に叩き、正論を堂々と声高に叫ぶ傾向が強くなっている。
政治がポピュリズムに走っているのが最たる例である。


消費税、社会保障、エネルギー問題、そして今の領有権を巡る動きなども、こんな社会の風潮の中で行方が見えなくなっている。
それを決めていくのが政治の本来の役割なのだが、みんなで議論すると収拾がつかなくなるし、誰かに預けると思いもよらない方向に走り出す。


パソコンがはやり始めた頃、だれでも一度は「ベーシックプログラム」をかじったことがあると思うが、今の時代は「サブルーチン」から抜け出せない状態に陥っている。

つまり本来のプログラムから離れたところでグルグル回っているような気がする。


最近の議論を聞いていると、相手の主張を「反面教師」と捉えて、反面教師が持つ本来の弱点を突いて、自分の正論をトウトウと述べる傾向が強い。

ボクがときどき使う「忖度する」ことが希薄になっている。


正論の裏に隠された危険性を探り、反面教師は自分に置き換えて考えることが、人類が有する最も崇高な能力…「理性」である。


人間がそれを放棄してどうなるというのだ。
自省を含めて頭に来る。


…と、ここまで書いて「ネタばらし」。

どうして今晩、こんなワケの分からないことを書いたかと言うと、
「明日、イネを刈るかどうか」で迷い始めたからだ。

確かに稲穂は色づき、青モミの割合も下がっているが、どうも生育期間が短すぎるのだ。

田植えをしたのが6月14日で、まだ3ヶ月ちょっとしか経っていない。
苗は、6月初旬に植えるために頼んでおいたが、水がなかったので10日遅れで、しかも苗先をカットして植えている。

これを生育期間にカウントすれば、現時点で収穫しても問題ないのだが、青モミの割合の見極めに自信がないので、
「どうしたものか?…トレードオフはどこか?」
と悩んでいる。


「青田刈り」を反面教師としてどう考えるか。
農業試験場の生育データを、我が家のほ場にそのまま当てはめてよいのか?

いろいろ考えたが、明朝、数か所で稲穂を調べて腹を決めることにした。

たぶん、10日遅れの代休を取って頑張ることになるのだろう。


…やれやれ

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コメント

哲学的な考察はさておき、水稲は例年より1週間以上早く刈れそうです。
出穂から今月末を予定していたが今でもOK.機械の順番待ちのため来週水、木に
決めたが晴れよ続いてくれ(^-^;

▼tobinokoさん
白日の下で稲穂を調べてみると、やはり少し青モミがあるので、もう一週間置くことにしました。
でも土日がダメなので、水・木に代休を取って刈ることにしました。
一緒にテルテル坊主を吊りますか…。
昨夜、こちらでは雨が降りました。
ぴっけさんは大丈夫かなぁ…。

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