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2012年12月19日 (水)

ヤブ山家の系図

関東に住んでいる『又従姉妹(はとこ)』のNちゃんから、お歳暮代わりに送ったお米のお礼の電話があった。

ボクよりも3~4つ上の一人っ子である。
伯母は、昔から何かとヤブ山家の世話をしていただいていた。
特に、亡父が小さい頃、ヤブ山家で色々なもめ事があったらしく、ヤブ山家の存続をめぐって大変世話になったそうだ。

我が家の法事の際には、いつも話題を提供して場を和ましてもらったし、亡父の葬儀の時も、てきぱきと仕切っていただいた。

だからボクが就職で帰ってきたときには、
「そうかね…よう帰ってきたね。お兄ちゃんの代わりに頑張るんよ!」
と、気合を入れてもらった。

父が亡くなった時には、
「これからは、ヤブ山ちゃんがしっかりお母さんをみるのよ」
とハッパをかけられた。


しかし、伯母夫婦も、その数年後には、身の回りの世話もままならなくなって、旦那の転勤で関東に住んでいたNちゃんのもとに引き取られた。

それから暫くは、母との電話のやりとりは行われていたようだが、昨年、母が認知症を発症した頃から音信が途絶えていた。

それでも毎年、お中元やお歳暮が送られていた。
今年の夏、母が再入院したので、ボクがお中元のお返しとともに、母の近況を記した手紙を入れておいたら、Nちゃんから突然電話がかかってきた。

話を聞いてみると、
伯母さんは家で転んで骨折して、寝たきりになったので施設に入所していること。電話をかけられる状態ではないこと。
…などなどであった。


そして昨晩のお歳暮の電話となった。
母は週3回人工透析を受けていること、認知症は確実に進行していること、これから先も入院生活が続くこと。
…などを話した。


伯母さんもかなり弱っているようだが、それでもヤブ山家のことを心配しているようなので、Nちゃんが、
「今年も○ちゃんが作ったお米が届いたわよ」
と耳元で話したら、

「そうかね…○ちゃんが…まだ米を…作りよるんかね」
とつぶやいたそうだ。


その話を聞いた途端、ボクは言葉につまった。

「…お互い、親を長生きさせましょうね」
と言うのが精一杯だった。


実は、昨年、母の認知症がまだ初期段階だった頃、ヤブ山家の系図を書かせている。

母は数日間、考え込んでいたが、
「このくらいしか思い出せない」
と言いながら1枚の便箋を差し出した。


我が家は、ボクからみて、曾祖父と祖父のあたりがごちゃごちゃしているので、Nちゃんの伯母さんとの関係や、時々、墓参りに来られる親戚との関係を知っておきたかったのだ。

恐らく、これを知っているのは、今では…母とこの伯母の二人だけだろう。


二人の記憶は次第に薄れていくのだろうが、ヤブ山家の系図は、ボクがいま大事に保管している。

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