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2013年5月23日 (木)

地下上申

昨晩、地元の風土記を一気に通読した。

金毘羅社の歴史を中心に読んだのだが、その中で、
「…一時は荒れ果てて、『ヤブ神様』と呼ばれた時期もあった…」
というくだりを目にして、思わず苦笑してしまった。

さて、この著書の主な文献である『地下上申』は元文3年(1738)に作られたもので、ヤブ山家の家系からするとすでにこの部落に住んでいた16戸に含まれているはずだ。

しかし、掲載されていた『絵図』は縮小印刷されていたので我が家の判別が難しかった。
そのうち文書館で現物を見てみるつもりだ。


また、はちべえどのから問われた『ひちしゃの森』は、『七社』ではなくて『七者』であることが分かった。

この森には、我が家のいちばん古いご先祖様の墓があったのだが、10年以上前に母が、
「このままではいつか無縁仏になるかもしれないから、私が覚えているうちに移そう」
と言い出して我が家の上にある墓地に移設した。
…ということは、我が家の祖先は現在のヤブ山家とは違うところに建っていたのかもしれない。

平成16年に解体した旧母屋は、登記簿上は明治12年築だったが、今のところではなくて、もっと他の所にあったのだろうか。今となっては皆目見当もつかない。

また、『七者の森』の南側は『おかんりょう』と呼んでいたが、『丘観陵』という表記だったことも今回初めて知った。


著者は部落内の元教師で、亡父より少し年上。兄と同級生の父親である。
小さい頃によく遊びに行ったが、大変格調のある家屋敷だった。
すでに亡くなられて久しい。

平成7年の『金毘羅社』の再建当時の写真が掲載されていたが、懐かしい顔ぶれが並んでいて、元気そうな母の顔もあった。

この風土記は平成9年5月に刊行されているが、恐らくその直後に地元の「申し(もうし)」を止めているはずなので、『E長老』が元気なうちにその辺の経緯をよく聞いておくつもりだ。

ちょうどこの頃は、ボクが仕事でいちばん忙しかった時期なので、再建の様子や申しを止めた時期を知らない。
母はもうおぼつかないので、是非とも『E長老』から話を聞いておきたい。
E長老も恐らく、地下の人間であるボクに伝えておきたいのだろう。

地下の『屋号』は少し覚えているが、全体について長老に確認しておこう。


平成の移ろいを何かの形で残しておけば、後世で少しは役に立つかもしれない。
ヤブ山突撃隊の記録と一緒に残しておくか…。


…と、書いていると鬼嫁が後ろでつぶやいた。
「今日、病院に行ってお母さまに、
『ちょっと窓口に手続きに行ってきますね』と言ったら、
『また入院の延長をするんかね』と言われたの。
今日はスイッチ、オン!の日だったわ。
『いっそも○男が来んが、なにをしちょるんかね!』と言われました!」


ボクは何も残せないかもしれない。

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コメント

>掲載されていた『絵図』は縮小印刷されていたので我が家の判別が難しかった。

地下図はp13が詳しい。清図は口絵の白黒ではなく、カバーのカラー写真が鮮明。現物の一部を拡大しているので、むしろ、現物より良いとおもいます。カバーを表に本をふせて背の「H」からそのまま右へ1cm、川の東側に緑色の平地に1軒あるところが現在ヤブ山殿の家がある集落で、そのちょっと南にあるのが、高校の南にあった堤、地名がかいてあるあたりが集会所付近とおもいます。地下図には丸印がありますが、住宅の同定は不能。まだこの時代にはない可能性もあるとおもいます。明治以降の地図もありますが、それでも家の同定は難しいと思います。

なお、地元の地方史研究NO37 所収の「裏山の名前を調べています(3)」も参考になります。

荒神山には仁王岩があるとか。五坊山のにおうさあに負けずに売り出さねばなりません。風土記の著者も仁王岩への遊歩道を構想されていたとか、あとはヤブ山殿が引き継がねばなりませぬ。こういう岩の探索に詳しい人を知っています。今、腰痛気味で休まれていますが、県内のヤブ道はそんじょそこらの猪より詳しいと噂されている方です。きっと、鍬をふるうこと以外なら快く協力していただけるでしょう。

Onの時、その本をもってお見舞いにいかれると喜ばれるかもしれません。

▼はちべえどの
やっと食いついていただけましたか。
太郎万川の由縁を長老は話したいのでしょう。
跡継ぎはいるのですが、何故かボクを引っ張り出して…ややこしいのですが。
仁王様の岩は、この本が出版されてから母を車に乗せて見にいったことがあります。
母すらも伝説を知りませんでしたが、確かに大岩でした。
この風土記もこの「におうさん」を含めた公園化で締めくくられていますが、今の金毘羅社の現状や地元の状況からして…まず無理です。
腰痛で蟄居されておられる方の話をお聞きするのはいつでも結構ですが、まずは、E長老がボクを後継指名したあたりから聞いてみるつもりです。
…なにせ分家の次男ですからね。

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