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2013年6月

2013年6月30日 (日)

草刈り三昧

昨日、田んぼの周りを刈ったので、今日は家の周りを刈る。

その前に残りのジャガイモ『ベニアカリ』を掘った。
メイクウィーンより出来がよかった。
昔からの畑だからよくできたのか…品種のせいなのか、よく分からない。
来年はメイクィーンをこっちに植えて比べてみよう。


その後は、ひたすら草を刈った。

家の後ろもきれいになった。


003

今年からナイロンカッターで刈れるようになった。
ここ数年刈り続けたので、ナイロンヒモでも大丈夫だ。
これが『ヤブ山霊園』の様子。


004


今年植えた『コシアブラ』。
この様子だと、ボクが生きているうちに新葉は食べられそうもない。
とにかく苗が小さかった。


005


コシアブラを植えたところから『ヤブ山霊園』をみたところ。
果樹でも植えようかと思っていたが、このくらい広々した原っぱのままの方がいいかもしれない。


006

夕方、5時過ぎに気力が失せた。
暑い時期は、これからが頑張り時なのだが、ビールとハイボールを呑まないと死にそうだ。

開墾畑の様子。
鬼嫁が、ナス2本、キュウリを6本収穫していた。


008


缶ビールを一缶やっつけて、落ち着いたところでハイボールを呑みながらブログを書いている。

あと1時間したら田んぼの水をハネに行く。(水を止めること)


昼にビールを2缶呑んだので、母の見舞いに行けなかった。
遊びじゃなくて、草刈りを頑張ったのだから、母も文句は言うまい。


2013年6月29日 (土)

ボロボロ

昨夜は、萩でよその国の人と宴会。

通訳を交えての会であるが、呑んだらボディーランゲッジでことたりる。
昼間は堅苦しかったが、酔うにつれて握手をしながら目を見ると何とか通じる。


終電車に間に合いそうもなくなったので、名残惜しく別れを告げた。

湯田温泉まで送ってもらって、最終電車に乗った。
延々と光まで帰るのだが、いつものように徳山で30分の待ち合わせだ。

これなら40分後の徳山止めに乗る方がいい。

今朝は、7時半から草刈り開始。

梅雨空なので気温は上がらないが、それでも1時間ごとに休む。
tobinokoさんではないが、今の草刈り機は燃費がいいので、いつまでたっても燃料が空にならない。

昼に缶ビールを二缶。
呑まないとやってられない。


母の見舞いは明日に送って、1時間昼寝。

1時半から草刈り再開。
1週間前に刈った所が伸び始めているが、2週間前の所が膝近くまである。

5時半になってやめた。
夏場は、ここから2時間が勝負だが、晩酌タイムになった。


とりあえず体を拭いて、ハイボールを3~4杯飲んで…風呂。

体が冷えたので焼酎の湯割りで晩酌開始。


屋い潰れる前にブログを書いて寝る。

2013年6月27日 (木)

理不尽なこと

今日はジャンルを「日記」にしようかと迷ったが、これはボクの人生に関わる問題なので、「ビジネス・人生論」にした。
大方の人には関係ない話だが、ボクにとっては寿命にかかわる大事な話である。

先日の健康診断の結果表が届いた。

大きな封筒に入っているが、厚みがないので、心電図と胃がん、胸部に異常はなかったのだろう。
でもこれはどうでもいい。
それがひっかかっても自業自得だから、手術台で切り刻まれてもいい…と思っている。
そのくらい今日の内容には切実な問題が含まれている。

問題は、血液検査で…『★』か『★★』のどっちなのかである。
『★』であれば、『要経過観察』なので医者への紹介状もないし、何もしなくていいのだ。


ところが、『★★』になると、紹介状が入っていて、きちんとした医療機関に行って再検査を受けなければならないのだ。
つまり、もう一度採血されるのである。

封をあけて真っ先に血液検査欄を見た。

『★』は4か所に付いていたが、同じ項目ではないので…『セーフ』であった。

柔道のように合わせ技がなくてよかった。
これからもそうあらんことを願う。
きっとそう思っている人は、全国に3千万人ぐらいはいるはずだ。


血液検査は、一項目でも『★★』があると血を抜かれる。
ここ数年は難を逃れているが、若い頃は毎年のように再採血の憂き目にあった。
全く無駄である。
単なる嫌がらせである。


紹介状を持って病院に行かなければならない。
どんな医者に行っても、必ずもう一度血液検査をする。
ボクには何の抗弁の機会も与えてもらえない。

その日は解放されるが、一週間後にもう一度病院に行って検査結果を聞かなければならない。

ほとんど数値は一緒である。
そして医者は必ずこういう。

「お酒が好きですか?…そうでしょうね…控えましょうね。それと塩分も減らして、標準体重に近づけましょう」

この繰り返しである。
採血恐怖症のボクに対する『いじめ』に等しい。


だから、毎年もらう紹介状の回答欄に、自分で、
「今後は必ず酒と塩分を控えます」
と書いて出そうとしたこともあった。

でも、庶務のおばさんから、
「ヤブ山くん…お願いだから病院に行って医者に書いてもらってきてね」
と優しく言われたので、しぶしぶ行っている。


ボクは、ある特定の項目で『★』と『★★』のギリギリの攻防をしている。
ほとんど1ケタ内のシビアな闘いである。
ちょっとした気温や計器の都合で、どうにでもなる僅かな数値である。

ところが、機械的に紹介状が送達されてくる。
医者が見ればすぐに分かるようなものを、なにゆえにわざわざ病院送りにするのか。ホントに許せん!


おまけに秋になると、保健婦が巡回保健指導と称して職場にやってくる。
そこでまた同じことを言われる。
だから最近は、「仕事で手が離せない」ので面接できない…ことにしている。


しかし、数年前から降圧剤を処方してもらうために、月に一回、個人病院に通っている。
ここでは、毎回、医師が直接血圧を図って問診を受けるが、やはり、
「体重を落としましょうね。酒と塩分は気をつけていますか?」
と聞かれるので、
「はい…がんばります」
と答えている。


だからボクは…月に一回はウソをつく…情ない大人になってしまった。


最後に、ホントのことを書こう。
健康診断とかかりつけ医による血圧の値であるが、
「上が20、下が15」も違う。
かかりつけ医による測定はかなり落ち着いてきたが、いまだに健康診断で血圧計と白衣の看護師を目の当たりにすると動悸が激しくなる。

かかりつけ医はギリギリ『★』に収まるように軽めの薬を処方してくれているので、健康診断のときには上記の数字が上乗せされるから、必然的に『★★』になるのである。
今度、この統計数値を携えて厚生部門に殴り込みをかけようと思っている。


この世から…注射器と鬼嫁さえいなくなれば…ボクは天下無敵である。

死ぬ前に、1日でいいからそんな世界に住んでみたい。


2013年6月26日 (水)

限界集落株式会社

日曜日に買った。
今日の昼休みに一気に通読した。
かなり厚い本だったが、ボクはだいたいいつもページをめくりながら斜め読みするので、昼休みの50分で十分である。


脱サラした主人公が、誰も住んでいなかった亡父の実家に戻って、疑心暗鬼の住民をまとめながら幾多の困難を克服し、農業生産法人を立ち上げるサクセスストーリーである。

読後はスカッとした気分が残った。


001

でもなんだかしゃんとしない。

色々な試練は実際に壁として立ちはだかっているものなのでリアルな展開ではある。
そして、苦しみながらもそれを次々と乗り越えていく。
いい展開だ。


しかし違和感がある。

冒険小説やヒーローものなら、次々と現れるピンチを切り抜けていくことに爽快感を思えるが、現実問題として全国各地で苦労している問題を次々と乗り越えていく。
だから、実情を垣間見ている人間にとっては、「ん?」と思ってしまうのだ。


あとがきを読んで「なるほど…」と思った。
千葉県の某農業生産法人にお礼の言葉が添えてあったが、たぶん都市近郊の集落で成功した事例を参考にしながら書き上げたもので、編集者がそれを「限界集落」というタイトルを付したのだろう。

そうでないと、ボクたちが知っている限界集落でこういう手法が通用するとは思えない。
地理的条件、部落住民の構成、販路、作物の種類、作物の病気、有害鳥獣対策…などなど、限界集落は四面楚歌状態である。

こういう課題に対するシンポジウムが全国で開催されるが、その時の講師がこういう方々である。
たしかに成功された方々だ。


でも、それを聞いてできるか?
さっき書いた…諸条件が全然違う。


気持ちを学べばいい。
なにをどうやって…やったか。
その時の周りがどうだったか。


それを聞いて、あとは自分が自分の場所を考えながら反芻すること。
他所の話をうのみにして成功したためしはない。

『限界集落』…安易に使ってほしくなかった。

この本を読むだけで、勘違いする人が増える。
そういう紹介をしてほしくない。
限界集落はそんな部落ではない。
もっともっと寂しい部落だ。


ボクがストーリーを書くとしたら、

…ボコボコに負けた主人公が、枯れかかった苗一本を握って山にヨタヨタ向かう…

そんなラストシーンしか思い浮かばない。


2013年6月25日 (火)

観察日記

このところ夜の会合が多い。
先週の木、金そして昨日と連続している。
今週も木、金に予定がある。
大半は仕事がらみだが、その会費も多くはポケットマネーなので、付き合い方も考え直さないと家計破たんしかねない。

まあ、セコい愚痴はよそう。


今朝の光駅。
ボクはいつも先頭車両が停車する位置で待つのだが、必ず同じ所に立っているおじさんがいる。
今日もいた。

いつも新南陽駅で下車するので、周南市内への通勤だろう。
おじさんもボクのことは気付いているだろうが、お互い挨拶をしたことがない。

彼を見かけるたびに、内心では、
「こいつ…また飲み会があったのか…よく呑むやつじゃ」
と勘ぐられてはいないかと心配しているのだが、誠実そうなおじさんなので、案外、
「また出張か…どこまで行くんだろう?」
…程度にしか思っていないのかもしれない。

そういえば3月末頃、彼と一緒に若い女性が立っていた。
いつもは座るはずの彼が窓際に立っていた。

雰囲気からすると、巣立っていく娘が一緒の電車に乗ったようだ。
大きな荷物を抱えた彼女が徳山駅で降りるとき、彼はぼそぼそっと声をかけて軽く手を挙げた。
娘は小さく手を振りながらホームに向かって行った。

彼はああ見えても娘には優しいのだろう。
自分はそんな仕草はするわけがないので、
「あのおっさんも…娘には優しい…世間でいう正しいおじさんだ」
と見直した。

でも自分はできない。
そんなことは人に任そう。
彼はいつも乗降口から入ってすぐの通路座席に座る。

今朝もいつもの雰囲気で立っていた。
もう少しすれば、娘の相手が押し掛けてくるだろう。
その顔が見てみたい。
苦虫をかみつぶしそうな感じだ。

でも真面目に通勤しているので、きっといい人だろう。


さて、乗り込んだ先頭車両の入り口から2番目のボックス席には、いつも背広を着た小太りなオジサンが座っている。

どこから乗っているのか知らないが、必ず徳山駅で降りる。
はじめのうちは、暑苦しいおっさんだと思っていたが、いつ乗ってもそこに座っている。

いつも目をつぶっているので、乗り過ごすと思っていたが、徳山駅のアナウンスが流れた途端にすくっと立ちあがる。
彼も通勤者に間違いない。

何故かボクはいつも彼と向き合って座る。
一緒に座りたくはないが、ここしか空いていないのだ。

徳山駅からは高校生の乗客が増える。
防府で半分降りるが、それの倍ぐらいの人数が乗り込んでくる。


富海駅から、30代後半の妙齢の女性が女性が乗ってくる。
防府以西のどこかに通勤しているのだろう。
いつもは違うボックス席に座るが、今日は少し込んでいたのでボクの目の前に座った。

今日はじっくり観察できた。
子供がいるかどうかは分からないが、
…どうやら40代半ばのようだ。

でも美人は許そう。
でもボクを無視していたので、50代前半に修正した。

防府駅で降りてバス停で15分待つ。
各駅停車のバスもあるが、乗降客が増えてきたので、最近は特急に乗るようになった。

隣の芝生広場で、スズメに餌をやる…おじいさんがいる。
パン屑か何かを撒いているようだ。
じいさんが現れると、目ざといスズメが数羽集まってくる。
餌をやり始めると100数羽の大群が一気にやってくる。


その結末を見ないまま特急便に乗る。
いつも7~8人乗っている。
途中、高校生とOL風の二人が乗ってくる。
山口駅前で高校生が2人降りて、米屋町でサラリーマンが2人降りる。


ボクが降りる頃には数人しか残っていない。
だいたい防府駅前から50分かかる。
時刻表では8時ごろに着くようになっているが、いつも10分遅れる。


飲み会の翌朝は、いつもこんな光景が繰り返される。


みんな頑張っている。
毎朝、こんな光景が続いているのだろう。

2013年6月23日 (日)

まとめて日記

昨日、ブログをアップしようとしたら、写真を挿入したところで、パソコンが固まる症状が続いた。

それが二回も続いたので、頭にきた。
とりあえず文章だけにして寝た。

これが昨日の畑。
『ベニアカリ』を掘り返した。


001


『落花生』の芽が出てきた。

丹波黒豆と普通の枝豆に加えて、酒のつまみには困らなくなる。


002


開墾畑で、『メイクィーン』の残りを掘り返した。

小粒なイモばかりだが、鬼嫁に言わせると、
「ゴツゴツがないので、小さくてもこっちの方がええ!」


004


右が『ベニアカリ』
左が『メイクィーン』

大きさは、ベニアカリの方がいいが、
調理用には、芽の凸凹のないメイクィーンの方がいいという。

ボクには関係ないが、小粒のメイクィーンに不信感を持っている。


007


以上が昨日のこと。

今日の日曜日は、鬼嫁の機嫌をとった。

昼前から二人で山口市に出かけて、県立美術館で、『ナント展』を鑑賞した。
その後、ナントのランチを食した。

鬼嫁とランチを食べたことは…30年ぶりというよりも…初めてかもしれない。
周りは…女性連れ、おばさん連れと、老夫婦ばかりだった。

きまりがわるくて、鬼嫁をせかしてさっさと外に出た。

その後維新百年記念公園に回って、サッカーの『レノファ山口』のホームゲームを応援した。
どうしてこんなに機嫌をとるのだろう。

こんなことをするようなら、ボクの寿命はもうすぐかもしれない。

レノファが勝利した。


そこから再び高速道路に乗ってきびすを返す。

柳井まで走り続けて、母の見舞いに行った。

鬼嫁と一緒に見舞ったのは…たぶんこれも初めてだろう。


母と話をするボクから離れて、鬼嫁は外の景色を眺めていた。

今日は何かの記念日かと思っていたら、数日前がボクの誕生日だったらしい。

2013年6月22日 (土)

ふぅ~

昨夜は、周南山の会のビアガーデンに乱入し、二次会までヨタヨタついて行って、終電車に間に合わなかった。

寿毛無さんと徳山駅前でアッシーを呼ぼうとしたが、慣れないスマホでフリップしたらしく、電話のアイコンが消えて弱った。

なんとかメールが通じて、機嫌の悪い鬼嫁が迎えに来た。
寿毛無さん…ご心配をおかけしました。


それにしても冷酒を呑み過ぎました。

全部、びっけさんが悪いのです。

2013年6月18日 (火)

3分でしゃべるか、800字で書くか

他人に説明・抗弁するときは、人間の限度として…『3分でしゃべるか、800字で書く』ようにしないと理解されない。
これがお互いの許容範囲である。
これを越えると理解し合えない。


話も執筆も起承転結が必要なので、50字では無理があるし、1分では中途半端な話になる。
ましてや5分になると他人が聞く余力が失せる。
『タマ』がない時には、少ない方が好都合だが、理路整然と決着をつけるときには頭の整理をする必要がある。

これが難しい。

短ければ、結論をど~んと打ち出せばいいし、長ければ、滔々と語ればいい。
その意味で、『小論文』なる試験科目が生まれたのだろうが、もっと自分の本質を突かれるような重い課題を課すようにしないと意味がない。
そして、その後の面接で、
「どうしてそのようなことを書いたのか。なぜそういう結論に至ったのか」
を質せばいい。

そうすればその人間のおぼろげな姿が見えてくるはずだ。


数百字の立派な論文や、グループ討議の演説を聴く時間が惜しい。

どうすれば人間の本質を垣間見ることができるか…。


最近、どうも面倒臭くなってきた。
AKBのような投票制度もあるし、願書を放り投げて一番上にきたものを選ぶ手もある。


すぐに化けの皮は禿げて、さっさ首を挿げ替えるようなこともままならない。

ボクは言いたい。

 何のテーマでもいいから…3分でしゃべるか、800字の論文を書け!

 あとは面接で聞こう

…あとはいらない。


スピーチや論文で失敗するのは当たり前だから、そのことについても本人の弁明を聞けばいい。
3分か論文を洗濯させればいい。
いい人材はいくらでもいるのに、無残に抹殺され無視されるのが勿体ない。


しかし、これが人間の業。
いくら純粋であろうと正義であろうと…必ずしも報われることはない。
悔しいが、それが現実である。

それでも僅かなDNAは密かに受け継がれていくのだろう。

…だから、そうでも思わないと生きてはいけないのだ。


くどくなったが、これが今日のボクの『人間の業』の本音である。


2013年6月17日 (月)

一瞬?の覚醒

昨夕、家に帰ってみると、ちょうど母が車に乗り込もうとしていた。
この話は事前に聞いていたのが、どうにか母とすれ違いにならなくて済んだ。

母が、ボクが持ち込んだ田植えが済んだ田んぼの写真を見ては、
「田んぼに家が建っちょる。私は田んぼを売った覚えがないが、○生(ボクのこと)が勝手にやったんじゃないのか」
と言い張るので、家に連れて帰って思い出させようと考えたそうだ。


ところが母は、田んぼを見るなり、
「田植えが済んじょる…○生が植えたんじゃね」
と、先日の狂乱ぶりが嘘のように喜んだそうだ。

ニコニコしている母としばらく話をして、病院に帰っていく車を見送った。


少し経って鬼嫁が帰ってきた。
母の話をしたら、
「私が行ったときも、あの写真をみながら…ここはどこの田んぼかね。なんで2枚しか植えちょらんのかね。家があるけど、あとの田んぼはどうしたんかね?」
と責められて困ったそうだ。

田んぼを半分処分したのは10年ぐらい前のことだ。
当時、母と話し合って決めたことだが、記憶が混乱しているのだろう。

ところが現地を見ると、去年までの記憶が一気に拡がり、昔のことはどこかの片隅に追いやられたのだろう。


でも今度見舞いに行ったら、きっと、
「田んぼはどうかね?…」
という会話からスタートするような気がする。


壊れ方が緩慢になってきたが、ボクとしてはかえって物足らない。
法事の時の攻撃的な勢いは、ボクに向かってはいなかった。
それがまだ続いている。


いつ頃の なにを見て なにを思っているのか 分からない。


2013年6月16日 (日)

リード

今日は『リード』競技の応援に行った。

ボルダリングは左右の動きが中心だが、リードは垂直が基本となる。
ビレイをとりながら上がっていくのだが、今日の競技は圧巻だった。

中国地区の大会なので、このブログをご覧の方には敵同士となるが、山口県勢はよく頑張った。
涙目になるような場面もあった。

鬼嫁も自分の車で応援にきていた。
だいぶ目が肥えてきて、質問の内容も、「まあ答えてやるか」レベルになったようだ。


合間には、昨日再会した岳連のT氏と軽口を交わしながら山岳競技を観戦した。

さて、次は『ヤブ漕ぎ』が待っている。


今週、仕事の山を乗り越えたらようやく一息つく。

今度はボクの番だ。


2013年6月15日 (土)

ボルダリング

ボクは山岳会に属していないが、今日は重要な競技会があった。

今回は山口県の引き受けなので、県の山岳連盟は総動員だ。

ボクは名簿である人を見つけていたので、今日、会場で探していたら…見つけた。

たぶん、彼はボクより少し歳下のはずだ。

「ボクが分かる?」
「???…わかりません」
「ほら…チリサンのときの…」
「おお…○○さんですか」
という再会を果たした。


彼は学連の重鎮になって、一切合切を引き受けていた。
恐らく、これからは彼が山口県の山岳連盟を引っ張っていくはずだ。
真面目な人だし、山は詳しいので安心できる。


予選会は明日まである。
「また明日ね」
で別れたが、これからと明日の競技をしきるのは繊細な仕事だ。


彼のような人材がいないと、何もかも成り立たない。

昨夜の記事もそんなことを書いたつもりだ。


ボルダリングは芸術だ。
一筆書きと似ている。


明日は最終決戦。
いよいよ、リードで決着をつける。

2013年6月14日 (金)

悩ましい夜

水不足にあえぐ日々が続いている。
我が田の水もすぐに干上がるので、細々と出る山からの出水を交代で充てている。

水を当てるためには、水路を堰き止めるのだが、このままま放置しておくと、急にまとまった雨が降ったときには濁流をまともに受けてしまうので、田んぼは大変なことになってしまう。


したがって、まとまった雨が降るときには、田んぼに水が入らないように堰を外しておくのだが、最近の水不足の中では、わずかでも山からの出水があるときは、少しでも田んぼに充てておきたい。

堤がある時代は、一気に充てておいて、天気が崩れそうなときは早めに堰を止めておけばよかった。
しかし、揚水ポンプ頼みになった今日では、貴重な出水と集中豪雨の濁流をどう利用するかが重要なポイントになっている。


そこでIT時代の恩恵を受けて、アメダスのレーダー画面と、今後6時間雨量予測が頼りだ。

通常の気候であれば、雨雲は西から東に流れてくるので、その時間雨量と雲の動きを参考にしながら、今後の6時間雨量予測で事足りるのだが、最近の集中豪雨は、同じ地点で次から次へと雨雲が湧いてくるので、6時間予想も役に立たないことがある。

これが昼間なら、鬼嫁に雨の状況によって対応させているのだが、今日のように夜をまたぐときや、誰もいないときは、事前の対応をどうするかが難しくなった。


潤沢に水があれば苦労はしない。
事前に止めて、あとで補充すれば問題はない。
そんなことは誰でも分かる。

ところが、枯渇寸前の水を見捨てるかどうかの判断は、一歩間違えば…命取りになる。
空振りになったら、貴重な水をタダで捨てたことになる。

これは自己責任。
6時間後予想が当らなかったといって、気象庁に損害賠償請求をしても相手にしてくれない。
それどころか、そんなことが続けば、気象庁は予報を止めるだろう。

気象庁には心の中で文句を言えばいい。
地震予知情報と一緒だ。
どちらも完全に予知できるわけがない。


それを税金が投じられているからといって、落第の烙印を押すのは無益なことだ。
期待を背負って頑張っている連中には、心の中で、激励の言葉と気合を入れる言葉をかけてやればいい。


学者や評論家は、過去の歴史やデータをじっくり調べて、その傾向や効果があった対策を世に知らしめるのが使命である。
それをおろそかにして、目の前の事象に対して、自分の思い込みや判断を勝手に並べたてはじめると、本来の役目を失う。

地道に、論理的に、過去の事象を検証するのだ。
それ以上のことは政治がやる。

だから学者が政治家になることは本末転倒である。
地道に研究することが大事なのだ。
そして、それをもとに今からの判断することも大事。
だから役割分担してある。

経済学者は地震予知を見習え。
彼らのように謙虚になれ。
バカにされても地道な研究を怠るな。
焦るな。目立ちたかったら芸能界へ行け。

さて、雨が強くなってきた。
だれに相談しても決定的な結論が出るわけではない。
ボクが決めなければならない。
一晩中、天気を見守るか。
今から堰を外すか。


ボクの場合は農業赤字申告だから、このぐらいの苦労を厭ってはいけないのかな。

さて、ヘッドライトを付けて堰を外しに行こう。

2013年6月13日 (木)

渋滞の中で

昨日は、山陽自動車道の『徳山西~東』間が、車両火災のために通行止めになったので、山口から一般道で3時間半かけて光まで帰宅した。

通行止めが夕方のラッシュアワーの直前だったために、高速道路から降りてきた車と、周南地域から帰宅する車が一緒になって、これまで見たこともない大渋滞になった。

高速道路の防府東から徳山西までは走ろうと思えば走れたのだが、「徳山西ICは渋滞中」という表示が出ていたので、高速道路に乗らないまま国道2号を走った。

周南市の戸田で動きが取れなくなったとき、
「しまった…国道376号で仁保→徳地→島地→長穂→須々万→高水経由で帰った方がよかったかな?」
と後悔したが、後の祭りである。


渋滞の中でヒマになったので色々考えた。

山陽自動車道の周南市内のインターチェンジは、中心部を外れた所に東西の二か所設置されている。
どうして街の中心部に設置しないのか…とずっと思っていた。

ところが、高速道路通勤を始めると疑問が解けた。


周南市内では、この二つのICの間が最も混雑する。

だから中心部に一か所設置したら、辿りつくまでに余計な時間がかかる。
混雑する手前でICに入れば、混雑区間を一気に通過できるのだ。
たぶん…こんな考え方で設置したのではないかと思う。

もちろん地形や市街地の形成具合も関係するのだろう。

下関は、小月を別にすればもう一か所あってもよさそうだが、地形的に無理なのかもしれない。
たぶん…将来の山陰自動車道のルート設計で安岡方面をカバーするのだろう。
このあたりは、Iクマ特殊部隊長の専門分野だから、今度聞いてみよう。


さて、渋滞の中でもう一つ気がついたことがある。

ボクの車はハイブリッドなのだが、渋滞で1時間近くノロノロ運転をしていたら、アイドリングのストップ機能が作動しなくなった。
エコ表示をいじってみると、モーター用の電池が空になっていた。
超ノロノロ運転なので、制動エネルギーを貯めることができなくなったのだろう。

最低限度の電池を維持するために、アイドリングで最低限度の電池容量を確保していた。
ガソリンの消費状態を示すIC画面が、車に流れたり、電池に流れたりするのが見ていて面白かった。
…このあたりのマイコン機能はよくできている。


徳山駅を過ぎたらスムースに流れ出したので、家に着く頃には電池もほぼ一杯になったが、我が家の田んぼの水は随分少なくなっていた。

そこで今朝、揚水ポンプのスイッチを入れた。

口を利かないつもりだったが、鬼嫁に、
「1時間おきに見回って、ほぼ溜まったらスイッチを切ること。取水口はそのまま受けておけばいい」
と伝えると、昨晩のことはおくびにも出さず、
「じゃあスイッチを切るだけでいいのね。上の田んぼだけよね」
と、すました顔で答えた。

…こっちの自己制御機能もよくできている。


今宵は普通に戻って、我が家も夫婦円満である。

面白くないが、それが現実。

2013年6月12日 (水)

バチがあたったか?

日頃、この時間にブログを書くことはないのだが、今日は山口から4時間近くかかった。

夕方、ラッシュアワーの前に、高速道路の徳山西と東の間で通行止めになった。

ボクは市内で出張だったので、今日は少し早めに帰れるかなとタカをくくっていたら大変なことになった。

二号線で富海を越えて戸田に入ったら、車が全然動かなくなった。

昨夜、掲示板に泰山体調に突っ込みを入れた腹いせで、通せんぼをされたのかと錯覚した。
ノロノロ以前の…全く動かない状態がずっと続いた。


それでも、その頃は少し余裕があった。
でも、そこから先は全く動かなくなった。
たぶん、戸田から徳山まで2時間かかっただろう。


2号線から離れて旧188号に降りた。
こっちは少し流れていたが、それでも渋滞に変わりはない。

徳山駅前まできたが、7時前だというのに流れが悪い。


さくらばばさんの家に寄って、うさを晴らそうと思ったが、来週からまれたら困るのでスルーした。

そこから光まで40分以上かかった。


我が家に着いた頃には8時前。

玄関に入ったとき、鬼嫁の言葉で堪忍袋の緒が切れた。


鬼嫁:「あら?…遠回りしてきたの?」

わたくし:「メールしただろうが!!! 癇に障ることを言うな!!」


風呂から上がって晩酌をはじめたが、鬼嫁は黙ったまま夕食をとっていた。

よく見ると、可愛げのない…太ったおばさんである。

目は合わせないし、しゃべろうともしない。

ボクの癇が治まるのを待っているのだろう。

若くて美人なら、この辺りでわだかまりも溶けるのだろうが、ぶすっとしたおばさんが目の前にいると、
「酒はまずいし…おばさんは ブスだ」


ビールを一缶一気飲みして、ようやく声をかけた。

「バカタレ!! 人がどれだけストレスがたまっているか…よ~う考えてから…ものを言え!!」


鬼嫁は下を向いたまま返事をしなかった。


どうやら…反省をしているようなふりをして、嵐が去るのを待っているに違いない。


ホントに鬼嫁である。確信した。

まあ…明日、飯の支度をすれば許してやろうと思う。

でも口はきいてやらない。

2013年6月11日 (火)

読経の中で

旧友の葬儀に参列した。


早期退職をして、自分の大プロジェクトを達成する寸前だった。
まさに無念の一言に尽きるだろう。

祭壇の遺影は、「あとは頼むぞ」という彼らしい顔だった。

就職して初めて赴任した部署で一緒になった。
職種は違ったが、お互い新規採用者で何となくウマが合った。

時間を見つけてはゴルフをやったり、お互いの家に泊まったりした。

鬼嫁にとっては新婚早々の客人だったが、
「のんべえの同級生と違って、とてもスマートな人ね」
と歓迎していた。


ボクより半年遅れて結婚したとき、
「披露宴でギターを弾いてくれ」と頼まれた。

彼のリクエストで、入場時のBGMと、最後に花嫁が手紙を読むときに「母さんの歌」をつま弾いた記憶がある。

今日、彼の遺影を眺めながら、披露宴の入場時に弾いた曲を一所懸命思いだそうとした。

「母さんの歌」はアルペジオで、入場曲はピック一本で弾いた記憶があるのだが、曲名が思い出せなかった。

家に帰って年代別のヒット曲を当たってみたが、それらしきものが見つからなかった。
当時、YMOが好きだったはずだが、ボクが弾ける曲はないので、たぶん洋楽か何かだったのだろう。


彼とはその後同じ職場になることはなかった。

お互いに忙しくなって、次第に疎遠になっていった。

特に、彼は自分の夢の実現に向けて猛進する日々が続き、たまに夜の湯田温泉で遭遇する程度だった。


最近になって、彼の仕事と関係のある部署になったので、そのうちゆっくり話ができると呑気に構えていたら、病魔に襲われていると人伝いに聞いた。

見舞いに行きそびれているうちに、今回の訃報が飛び込んできた。


今日、葬儀に参列して彼の戒名を知った。
院号の最初に、彼が一生を捧げた「球」という字があった。


球の種類は違うが、一緒に始めたゴルフなら付き合えるので、あの世での再会に備えてときどきクラブを振っておこう。
それと、それまでに曲名を思い出しておかねば…。

今思い出したが、

『愛の賛歌』…じゃなかったか?

そのうち、あの世で質してみよう。


このブログが 見えているか?

2013年6月 9日 (日)

煤竹で夫婦箸

今朝も5時前に起きたが、空模様が怪しい。

気になっていたジャガイモの『メイクィーン』を一株引いてみた。


しょぼかった。
種イモと同じような形をしているが、手ごろな大きさは3~4個。
あとは…ダメだった。

このボロボロ土壌からかどうかは、今後の研究だろう。
土の塊がまるでアンデス並みだ。

P1000758


ヒマを持て余していると、雨が強くなってきた。
どうやら母と鬼嫁の祈祷が通じたのかもしれない。

鬼嫁から授かった母の洗濯物と、田植えの写真を携えて病院へ行く。

母は爆睡中。
ほっぺたを突いて起こしたら、すぐに目を開けた。

「今日は何曜日かね?」
「日曜日」

「田んぼはどうかね?」
「木曜日に植えた」


「今日は何曜日かね?」
「にちようび」

…これが延々と続く。

田植えを済ませた写真を渡したのだが、ベッドの横に落ちていた。

それを拾って、
「田植えがすんだよ!」
「えらかったね!」
「機械の調子がえかったから」
「ようやったね」

……

「今日は何曜日かね?」
「にちようびだけど…もう帰るね」

「もう帰るかんかね」
「またね…」


昼にイタリアンセットを食べて、倉庫にこもった。

雨の日曜日にやろうと思っていた…『煤竹の箸』をやる気になった。


ありったけの道具を出してみた。

竹切り鋸、ナタ、カンナ、小刀、サンドペーパー、差し金…である。


煤竹を吟味する。
きれいなヤツは惜しくなって、ナンバー3を引っ張り出した。

ナタで先の方から割るが、なにせ120年前の竹だ。
ナタの先を手で叩いて一気に割ったが、思った幅に割れなかった。


ここから試行錯誤の連続だった。
小刀やカンナで削ってみたり、ナタでそいでみたり…。

頼りになったのは、ナタとカンナであった。

ようやく形が現れてきた。


P1000760


上の写真までに30分を費やした。
老眼が進んで、眼鏡を外してまっすぐかどうかを確かめるが、よく見えないので倉庫の外に出て確かめては…カンナで削ってはサンドペーパーで磨く作業が続く。


P1000761


箸の先は細くないと使いにくいので、何度も何度もけずったりサンドペーパーにかけた。


P1000763

…作業開始から1時間ぐらいたった頃。
ボクの集中心が切れてきた。


まあ…こんなものか。
と、箸の先をくわえてみては、カンナやサンドペーパーをかけて…おしまい。


P1000764

そのまま母屋に戻って、鬼嫁に声をかけた。

「おい!煤竹で俺の箸を作った…今日からこれを使うから…洗っておけ!」

「?? あなたのだけなの? あなたのだけね! そうなの…」

…3分後、ボクは倉庫で再び、鬼嫁の箸を作っていた。

一度作ると要領がわかったし、どうせ鬼嫁の箸だから繊細に作る必要もないし、その気もない。

20分で仕上げて、鬼嫁に大事そうに持って行った。


「おまえのも 作ってみたから…」
「ふ~ん そうなの」
と、まんざらでもなさそうだった。


さて、晩酌の時間である。

まだ配膳前だったが、鬼嫁に、
「箸置きと…夫婦箸を持ってこい!」
と命令した。

これがその画像である。

鬼嫁の箸は、ボクのより1.5センチ短くしてある。


P1000765

これが120年前の我が家の母屋で使われていた『煤竹』を加工した『夫婦箸』である。

嫁の箸が少し威張っているが、これは我が家の力関係のせいだ。

でも嫁の箸も心なしか…恥じらいがあるようだ。


補遺:竹の箸は軽くて使いやすかった。
でも、いつまで持つかは分からない。
ふぅ~これで懸案が一つ片付いた。
持つべきものは…道具である。

2013年6月 8日 (土)

草刈り三昧

目が覚めたら5時だった。
いつもなら起きる時間だが、鬼嫁はホリデータイムなので起きる気配はない。

6時半まで寝ていようと思ったが、どんどん目が覚めてきた。

田んぼの様子を見にいって、新聞を読んだ。


7時過ぎになってようやく朝食が出てきた。

さっさと済ませて草刈り開始だ。

その前に開墾畑の様子を見にいったら、トウモロコシからスズメが二羽飛び立った。


よく見ると、


003

トウモロコシの葉をついばんでいたらしい。

とりあえず虫よけネットをかけた。


それから昼までずっと草刈りだ。

家の前もようやくさっぱりした。


004

シャワーを浴びて、すぐに缶ビールに手をだした。

鬼嫁が、「明日は 絶対に 病院に行かんといけんよ! この 親不孝もんが!!」
とわめいた。

昼からも草刈り。


肩が上がらなくなってきた。

これからは、休み毎に草を刈る日々が続く。


さて、いつ山に行きますかね…。

2013年6月 7日 (金)

筋肉痛

朝起きたら、筋肉痛だった。

足にきていた。
大腿四頭筋ではなくて、太股の裏側が張っていた。
それと…ふくらはぎ。


ぬかるんだ田んぼの中を歩くのは、海岸でトレーニングするようなものだ。

足の裏もほてっている。


明日からの二日間は、草刈りばかり。
今週さぼったら、あとでひどい目にあう。

よって、今宵は突入式。

鬼嫁は呆れかえったが、そうでもしないと…やってられない。

2013年6月 6日 (木)

田植え

今日は田植えと決めていた。

一週間遅れてもどうにかなるようにするのが、現役世代の危機管理である。

念入りにした代カキが功を奏したのか、上の田んぼの水が三日もったので…決行した。


朝、5時前には目が覚めたが、鬼嫁は…旦那が休みの日は寝坊をする。

どおりで、昨夜、「明日は何時から?」

「決めていない…一日休暇を取ったから」
のせいだろう。


8時前から田植えを開始。

団地のお父さんたちも出勤だ。
気の合うお父さんは、車の窓を開けて、
「今日は田植えですか?」
と声をかけて行く。


ドロドロになって、田植え機を操る。
爪が古くなっているので、欠株が多い。

悩んでも仕方がないので、そのまま植え続けた。


004

今日は日が陰っていたので助かった。

全部で1反なら…3時間もあれば全部済む。

問題は植え継ぎの時間と手間だけだ。


ここで考えた。

いつビールを呑むか…である。


機械植えは田んぼの四隅が残る。
どうしても植え継ぎが必須。


上の田んぼは小さいので、すぐに終わる。
すぐさま下の田んぼに機械を降ろす。


全部終えてから、とりあえず呑もうと考えたから自業自得である。


一服した後、すぐに再開したら、少し疲れてきた。
喉も乾いてきた。

ビールが飲みたい。
でも『田靴』を脱いだら、二度と履く気がしない。


家に帰って、鬼嫁に、
「缶ビールを一つだけ…12時過ぎまで帰らないから」
と告げて、再び田んぼへ。


ひとりで苗を運び、ひとりで積み込み、一人で植え継ぎをした。

以前なら、母が補充用の苗箱を持って立っていたが、今は誰もいない。

両方の田の植え継ぎをして、機械を放り出して家に戻った。

ベランダに座りこんで、
「缶ビールを二つ持ってこい!」
と叫ぶ。


あの鬼嫁が、しずしず?ならぬ…さっさと二缶持ってきた。
はじめの一缶は一気飲み。

二つ目の栓を開けてようやく一息ついた。


昼食は…不思議なトルコライスだった。
ソーメンとオムライスを食べて…苗箱を洗った。

001

昼寝を1時間すると目が覚めた。
いくらでも寝るはずだが、気が張っているのだろう。

畑の草がボーボーになっている。


昼から草を抜いたのだが、
tobinokoさんご推薦の『丹波の黒豆』は、元気に育ってきた。

008

もう、腰が『のらなくなって』きた。

明日、仕事に行ったら、この土日は休みになるはず。

真面目にねたい。


ボクを褒めてくれたのは…カエルたちだけ。

今宵は、『ようやった…ようやった』の大合唱だった。

やっぱり、父母が畔に立って文句を言ってくれるぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。


ひとりはさみしい。


2013年6月 4日 (火)

テスト

ようやくスマホから記事を投稿できた。
原因はパスワードの英字の大小文字。
今、まだ湯田温泉。
家に帰るのが零時…。

2013年6月 3日 (月)

住居表示から、許せないことへ

日曜日。

代かきの途中で休んでいると見知らぬ車が道路脇に停まった。


中からボクと同じ歳ぐらいのおっさんが出てきて、
「○丁目はどのあたりでしょうか?」
と尋ねてきた。

ここよりも二つ多い所のようだが、ボクがこの地を離れていたときに住居表示が変わったので、皆目分からない。

代かき仕事なのでスマホは家に置いたままだ。

「昔の集落名を言っていただければ、見当がつくのですが…」
と返答したが、
「それは分からないです」
と、いいながら諦めて行った。


道を尋ねるときは、できるだけ地下の人らしいひとに聞くというのが鉄則だ。
恐らくあのおっさんも、
「田んぼを持っているから、きっとこの辺に詳しい地下のおっさんだ」
という感覚だったのだろう。

先日の『地下上申』ではないが、地下の人にとっては、近辺の集落名はだいたい見当がつくが、今では、道路を挟んだ向こう側の集落が、いったい何丁目の何番なのか分からなくない。

誠に申し訳なかったが、地下の人間ほど新しいものには疎い。


昨夜、酔う前に、市のホームページを探したら、

『住居表示制度では、町をわかりやすく区切り、建物に地番とは全く別の「住所をあらわすときだけに使う番号」街区符号(番)と住居番号(号)を合理的に順序よく付けて、だれがどこに行っても、めざす家がすぐわかるようにしています。』
とあった。

問題は、
『合理的に順序よく付けて…』なのだろうが、
ボクの頭は合理的でないので、道の反対側が合理的に何丁目なのか想像できないのだ。


他の都市でも同じような表示制度を導入していて、見当がつかないのはどこも一緒である。

しかし、どこの都市だったか忘れたが、番地標記のプレートと一緒に付近の町名が記された地図が掲示してあったが、そういう配慮があってもいいと思う。
そうしないと、導入時のお知らせのときだけでおしまいになったら、誰も分からないはずだ。
新旧の早見表があってもいいぐらいだ。


そこでハングル文字を思い出した。

あれも一定の法則で文字が書かれているので、一度そのルールを覚えたら簡単らしいが、どうも面白くない。
味気ない。
歴史や文化の香りがしない。


もう一つ思い出した。

これまで、我が集落には『屋号』があった。
桑原氏の『西中国山地』では、谷までも名前が付されていることが紹介されている。

それと同じように、農家の田んぼにもそれぞれ名前が付されている…いたのである。

我が家も圃場整備をするまでは、いくつもあって、
「おおまち」「かいさくまち」「ながまち」「しりのまち」…などと呼んでいた。

ところが、圃場整備で2枚になったので、「上のまち」「下のまち」で済むようになった。

鬼嫁に至っては、「上かね?下かね?」の世界である。


鬼嫁に水周りを頼む時はそれで済ませているが、認知症を患った母には、
位置関係が分かるように、昔の呼び方で、
「かいさくまちの出来はよかった」などと説明すると、
「うん、そうかい」と、なんとなく分かっているような感じだ。
…ただし、それが圃場整備の前なのか後なのかは知らないが…。


車を待つときだって、
「山口550 あ 1234」と伝えるよりも、
「白のプリウス」と言った方が、探す方にとっては楽である。

通り過ぎる車の番号をいちいち確認させるようなことをさせてはいけない。
視覚と記号を一緒にすると、人間の頭は機能が低下する。
そういうことをするためにあるのではないからだ。


国民のマイナンバー制についても一言。

色々な事務のために番号を付与するのは勝手だが、それによって、『ヤブ山』を『3519××△△…』と呼ぶのだけは止めていただきたい。
裏で勝手に使うだけにしてほしい。

…町名の話が、たんぼ、ナンバープレートの話になって、最後には国民マイナンバー制に行きついたが、
『固有名詞を安易に数字や記号に替えないで~イメージはことばから生まれる』ということ。


▼補遺
書き上げて思い出した。
先日の『ことばの壁』は矛盾していると思われた方もいるはずだ。
断わっておくが、先日の『ことばの壁』は、ある本質を『ことば』で置きかえることは『冒涜である』という信念に基づいて書いた、いわば『抽象名詞批判』のようなもの。
頭の中で整理しきれてないけど…。それだけのこと。気にしないでほしい。

2013年6月 2日 (日)

恵みの雨

これほどありがたい雨はなかった。

ボクの都合で一週間早目に植えたかったのだが、ものの見事に応えてくれた。

今朝は上がっているはずだったが、小雨が降り続いている。
ネットで今後の予測を見ても次から次へと雲がわくようだ。


気合を入れて合羽を着こむ。
このところ着たことがなかった。

トラクターにビーチパラソルを立てようとしたら、骨組みが滅茶苦茶になっていた。
鬼嫁にホームセンターまで走らせた。

その間に肥料を播くことにした。
手抜きの『一発』というシロモノだ。
たぶん水に溶けにくい加工をしているのだろう。

小雨が降りしきる中、母が使っていたバケツをぶら下げて、田んぼの中を歩きながら撒く。
カッパが邪魔だ。
脱ぐと雨に打たれるので、うつむきながら二袋播いた。


山からの出水の流量は十分だ。
これほど心強い代かきは初めてである。


そのうち鬼嫁が帰ってきた。
去年の売れ残りがあったようだ。
「小さい!」と言ったら、
「これしかなかったの!」
と大声でたけった。


午前中、上の『まち』を片づけた。
小雨が続いているので寒い。

下の『まち』の外周周りを終えたところで腹が減ってきた。
家に帰ってみると12時過ぎだった。
ボクの腹時計は正しい。

田靴を脱いで着替えるのが面倒なので、ベランダの差しかけのあるところに腰掛けて食べることにした。
いつもなら「ビール!!」
と、いうところだが今日は肌寒い。


「熱燗にしてくれ!」
と声をかけて休んだ。


001


今年から、長い田靴にした。
ずっと足首までしかない短い田靴を履いていたのだが、必ずかぶれて皮膚科のお世話になるので、今年から膝下まであるものにした。


熱燗で温まってきた。
代かきで熱燗を呑むのは初めてである。
ジャンバーを羽織って2合飲んだ。

家の裏の草も伸び放題だ。
来週には刈らないと手がつけられなくなる。


002


酒が回ってきたので、昼寝をしたい。
でも寝たら起き上がれなくなるので、40分で田んぼに戻る。
体の芯は温かくなったが、気温が低い。

鬼嫁が買ってきたビーチパラソルの色も寒そうな色だ。
ブルブル震えながらトラクターに乗り込む。


003

用水路からの水は要らないぐらい、田んぼには水がある。
雨は依然として止まない。


ビーチパラソルのおかげで合羽を着ずにすむ。
3時過ぎには代かきを終えた。


不陸があるので、板を引いて歩いた。
これも一反だからできること。
ハローがないので、人力でやる。


代かきを終えたら、除草剤の『デリカット乳剤』を播く。
tobinokoさんのように『アイガモ』にやってもらいたい。
むしろボクのような一反農家が適しているように思う。
団地の子供たちも喜ぶだろう。


泥だらけになって家に帰った。
そのままトラクターを洗う。


007

高圧洗浄機がないので、普通のホースで時間をかけて洗う。

見た目はきれいだが、もう10年以上使っている。
そろそろヤバイかもしれない。

でもこいつがいないと稲作はできない。


「来年も頑張ってくれよ」
と言ったら、ホームセンターの安物(売れ残り)のビーチパラソルが、
「頑張ります」
と自己主張した。


今日は寒かった。


きっと、びっけさんは、小雨の中、苗箱を運んでいたのだろう。
tobinokoさんは、ひとり?静かにアイガモのネットを張っていたに違いない。


水があると安心だ。
代かきの途中、2回ほど入れた。


ここまで済ませておけば、あとは掘り抜き井戸の水でどうにかなる。

ふぅ…よかった。

2013年6月 1日 (土)

持つべきものは…

今日は下関で行事だった。
朝、空を眺めるが、梅雨空のくせに雨はポツポツしか降らない。


下のTさんも田んぼの様子を見に来ていた。

Tさんは代かきを終えたので、次はボクの番なのだが、山からの出水もチョロチョロになって、掘り抜き井戸のポンプをフル稼働させるが水量は少ない。


「夕方、帰ってくる頃には溜まっているといいけど…」
と言って別れた。

ところが昼を過ぎると、下関で雨が本降りになった。
出水が多すぎると田んぼが心配になる。
でも仕事が終わらない。

余水吐きがあるので、田んぼ全体が溢れることはないのだが、濁流が流れ込むと大変である。


こういうときに鬼嫁が活躍してくれるといいのだが、出張先が下関と聞いたら、
「○○夫のところにいきたいの。○子ちゃんが具合が悪いらしいから…」
ということで、間の悪いことに下関まで付いてきていたのだ。


夕方、ようやく仕事を済ませ、鬼嫁をピックアップして、必死で家に戻ると…、我が家の田んぼに人影が見えた。

…Tさんであった。

水を満々と貯めた田んぼの土手から、数箇所、水が噴き出していた。
彼はそれを止めるために、田んぼに入って、畔側の泥を踏んでくれていたのである。


…この情景はお分かりできないかもしれないが、まさに『天からの強力助っ人』であった。


鬼嫁を残していたとしても、これでは何の役にも立たなかっただろう。

びっけさんなら、土手から水が噴き出していれば、田んぼに入って畔まわりを点検するだろうが、鬼嫁だったら、たぶん…吹き出している土手の穴に泥を詰めていただろう。

そして、どうにも止まらずに、逆ギレ…のパターンに違いない。


すぐに着替えてカッパを着て、Tさんに礼を言いながら、畔そばを踏んで廻った。


原因は、今日の雨で一気に溜まった水が、「うぐろ」の穴から吹き出してきたのだが、これを放っておくと土手が崩れるので早目の止水が必須である。
それも高い方の穴を止めるしかないのだ。

まだ雨脚が強いので、さっき、懐中電灯で照らしながら、もう一度田んぼの様子を見にいったら、やっぱりTさんも様子を見に来ていた。

夕方の礼を言って、いま戻ってきた。

さあ、明日は頑張って一気に代かきを終えよう!

でも、脳の芯まで酔いが回っていないので、もう少し呑んで寝ます。


持つべきものは………なのです。

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