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2013年8月28日 (水)

地下(じげ)の会話

仕事から帰って、そのまま田んぼの様子を見に行った。
倒伏した稲も根元からは倒れていないようなので一安心。

ちょうどそこへ下のTさんが通りかかった。
ボクの幼馴染のAちゃんの婿養子さんで、二つ年上である。
親父さんが介護が必要になったので、今年から彼だけで稲作に取り組んでいる。

彼は、『ヒノヒカリ』を植えているので、ボクの『ひとめぼれ』よりも生長が遅い。
先週になって穂が出始めたぐらいなので、倒伏を免れていた。

「稲刈りまでに完全倒伏しなければいいけど…」
と話しているうちに、金毘羅社の秋の大祭の話になった。


彼は去年まで世話人会の副会長をしていたのだが、昨年、定年退職を機に自治会の副会長を任されて、2年後には会長を務める段取りになっている。

そこへ世話人会の現会長が高齢を理由に隠居を申し出られたので、E長老が、「金毘羅社の会長はなるべく地下のモンにやらそう」と画策して、ボクに白羽の矢を立てたのである。


この集落は、もともとN一族とM一族を中心に形成された。
もっと細かく言えば、西の浴にN一族、東の浴にM一族が住みついている。
先に紹介した『風土記』の著者がM一族の師範学校出の故C長老で、部落の実力者がN一族のE長老である。

N一族は、今ではE長老、ヤブ山家、Tさん家の3軒だけである。
M一族も3軒で、世代交代が進み、跡取りがいるものの現役世代なのでなかなか地元行事まで手が回らないようだ。

戦後、急速に宅地化が進み、集落は新興団地を含む大きな自治会に吸収された。
金毘羅社の会長も移転してこられた方に頼まざるを得ない状況がしばらく続いていたのだが、Tさんが定年退職となり、ボクも実家に戻ってきたので、E長老が、『先祖がえり?』か『遺言代わり?』としてボクたちに目をつけたのである。


さて、金毘羅社の鳥居に飾る『大しめ縄』は、秋の大祭に合わせて付け替えるのだが、これまではM一族のT爺さんと、戦後に移転してきたK爺さんの二人でこしらえていた。
しかし、この二人も80歳を迎えて、それまで藁を供出していたT爺さんは今年から米作りをやめてしまった。

そこで、藁はハゼ掛けをしているTさんが供出することになったのだが、
「今年は手伝うだけじゃなくて、一から十まで監督してもらいながら、ボクたちで編んでみようか」
という話になったのである。

Tobinokoさんも何やら総代を任されたようだが、ボクもいよいよ地下の人間としてご奉公する年齢に差し掛かってきたようだ。


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