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2013年12月

2013年12月31日 (火)

大晦日

朝から裏山に上がる。

我が家の氏神様の周囲を根ゴリする。
『根ゴリ』とは、雑木や笹を根こそぎきれいに刈ること。

ときどき雨が降ってくるがすぐに止む。
大晦日にこんなことをするのは、たぶん山持ちの人たちだけだろう。
だれもいない山の中で、黙々と山の下刈りをする。


昼になった頃、家に降りてベランダに座りこむ。
最近のお気に入りは『ホットカルピス』だ。
甘酸っぱくて温かいのがいい。


昼飯を済ませて母の病院に行く。
正月ぐらいは帰らせてやりたいが、温室の病院でも「寒い」と言うので、家で看護することはできない。
悪いがどうしようもない。

母は、「家に帰りたい」と言わなくなった。
しめ飾りや床の間の掛け軸の写真を見せながら話をする。
何度も同じことを聞くが、今日は何度でも同じ答えをした。


夕方、家に帰ってから金毘羅社の電気をつけに上がる。
誰もいない風が吹きすさぶ社の電気のコンセントを入れる。
世話人会の代表の仕事だ。


005


裏参道に回って、照明を確認する。
去年からLED電球になっている。
これも時代の流れだろう。


004


帰りに我が家の『氏神』さまにお参り。

お神酒と重ね餅をお供えする。


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風が強い。
雲も動きが激しい。

来年は静かに過ごしたいのだが…。

2013年12月30日 (月)

迎春準備

昨夜は何かの番組を見てスイッチが入ったのだろう。
吠え方がキツイが、本音の部分もあるので残しておこう。


さて、今朝は9時から金毘羅社の初詣の準備だ。
世話人が10数人集合してくれた。
出席率は60%程度だろうか。

神社の清掃をして、幟を立て、参道に仮設の照明を設置する。
高齢者ばかりだが、なんとなく各自がすることが決まっている。
1時間で全てが済んだ。


「それでは元旦の6時半集合でお願いします」
とボクが挨拶をして散会。

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これが神社に飾ったM2翁の作。
市に出すほどの腕前だ。
写真を撮りながら色々教えてもらった。

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家に戻ったら、我が家のしめ飾りをセットする。

まずは玄関。
M2翁の出来栄えとの落差にがっかりする。
来年は頑張ろう。


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次は倉庫の飾りだ。
 
 

004

 
 

最後に仏壇にも飾る。
房が一つしかない。
昨日、組み立てるときに縄をひきぬいてしまった。

005


 
 

昼から自分の車を洗って、ていねいにワックスをかけた。

そのままビールを呑もうとしたら、餅をこねていた鬼嫁が、
「あなた、私の車もお願いね。呑んで帰るときにいつもお世話になっているでしょ!」
と冷たい宣告。

鼻水をたらしながら頑張った。


4時半過ぎから晩酌の練習開始だ。

2013年12月29日 (日)

「いいとこどり」は許さない

ボクが天邪鬼なのかどうか分からないが、世の中には立派な発言が多い。

田舎で自立するとか、エネルギーを自分でまかなうとか…嘘が多すぎる。

基本は自給自足であるが、できるわけがない。
田舎で自立しているところは、高度医療は他の都市に頼り、エネルギーを自立しているところはいざというにはやっぱり他に頼っている。

服も、道具も、機械も自分で作っているのか。
全部自分で完結していたら文句は言わない。


それをせずして大言壮語を吐くから頭に来るのだ。


「全部自分でやってから言ってみろ!」
と言いたい。


みんなそれができないから悩んでいるのに、さも成功例のように声高に持ち上げる。
ましてやそれを美学のように褒め称える筋もある。
許せん。


しかし、それを諦めて流れに流されるのは…己の恥である。
もっと真理を見据えて自分の道を歩むべきと誓った。
それを若い頃は「孤高」と思った。


でも最近気がついた。
「孤高は独りよがり。そして、愚直とは、これほど孤独なものだったのか…」

自分がどこに立っているのか。
そこはどこなのか。
それは誰が支えているのか。
そこには何があるのか。
それをどう評価するのか。


そんなことを無視して「いいとこどり」をする輩は許せない。


…酔ったけど本音です。
これがボクの原点。
なにかのテレビをみて頭にきたから書いた。
おやすみなさい。


2014 しめ縄づくり②

鬼嫁がようやく昆布を買ってきたので、しめ縄を完成させることにした。

房や足に巻く飾りを色紙で作ろうとしたが、どうも品がないので、『ダイソー』にリボンを買いに行った。
めちゃくちゃ種類が多いので迷ったが、両面テープとリボンを購入。

両面テープを巻いた上にリボンを巻く作戦である。
ボクは手先が器用な方ではないので、細かな作業は大の苦手である。

試行錯誤しながらとりあえず完成した。
来年は藁をていねいに水につけて、叩くときの力加減を工夫する必要がある

見栄えがいまいちだったので、ナンテンと稲穂でごまかして…おしまい!


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真中が玄関用。
右が仏壇用。
左が倉庫用である。

作り始めて3年目だが、どうもぱっとしない。
綯うところが大きな違いのような気がする。
房や足ももう少し太くして、末広がりになるようにしなければいけない。

生きている間に満足いくようになるかは本人の努力次第だろう。
でもチャンスはあと何回あるのだろうか。


2013年12月28日 (土)

2014 しめ縄づくり

やっぱり光には雪が降らない。
そんなに寒くもない。

先延ばしにしていたしめ縄をいじりはじめた。
まずは山に上がって、『モロバ(ウラジロ)』 『ゆずりは』 『だいだい』を採ってきた。

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まずは『房』をこしらえる。
初めてなので要領がよく分からない。
細縄を埋め込んでみた。


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細縄を中心にして、藁を折っていく。
あまり叩いておかない方がいいようだ。
水をかけて折る方がきれいになる。
来年は奇麗に折ろう。

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全部折ったらこんなになる。
藁がもう少し多い方がいいみたいだ。
これも来年への備忘録。


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とりあえず数だけは揃えた。
どのくらいの長さにすればいいのか分からないので、とりあえず置いておく。

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輪っかと並べてみた。
色がみで飾ってみたが、品がないのであとで剥がした。
どうもバランスが悪い。
明日、工夫してみよう。


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神様と荒神様ようの『ごぼう締め』に紙垂(しで・ご幣のこと)を下げてみた。

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ここまでやったら完全に厭きてきた。
熱燗も飲みたい。
年賀状も書かなければいけない。

何もかも面倒臭い。

明日は真面目にやろう。
ボクには似合わない手仕事で疲れた。

並べたしめ飾りを観て鬼嫁が「ふん」と鼻で笑った。

「この房は…長さ次第で生きるか死ぬかだわね」
とうそぶいた。

2013年12月26日 (木)

慈母観音

我が家の慈母観音は、いま、御幣(ごへい・しで…ともいう)を作っている。

しめ飾りは、玄関と倉庫、仏壇に飾る。
ごぼう締めは、神棚と母屋と離れの荒神様に飾る。

そのための御幣を作らせているのだが、
「ちゃんと大きさを言ってよ!」
とうるさい。


「倉庫に原形を作っているから、それに合うように作れ」
と伝えているが、
「あとでゼッタイに文句を言うから、きちんとサイズを言いなさい!」
と手厳しい。


編み物をする母は優しいが、モノを作る母はひどい。


そんな気持ちで作った御幣にご利益があるのかどうか分からないが、なんとか数だけは揃ったようだ。

2013年12月25日 (水)

伝統と定理

しめ縄を結いながら思った。

しめ縄は、『左綯い』とされているが、わずかに『右綯い』もあるという。

縄は『右綯い』である。
なぜそうかというと、利き腕が右の人にとっては、左手を固定しておいて、右手を手前から向こうへ『ギシギシ』と押して行くのが楽だからだ。


これに対して、しめ縄は神前にお供えするものだから、普通のものとは違う造りでこしらえるもの…とされている。
だから、いつも綯っている方法とは真逆の作法でこしらえるから『左綯え』というのが通説である。

今となってはどっちでもいいと思う。
いや、どうでもいいかもしれない。

伝統の意味が分からなくなったら、まさに伝統の意味がない。
藁で縄を綯うという習慣がなくなったら、どっちでもいいのだ。


かつては、冬になると、藁で縄を綯ったり、筵や草鞋を編んだ。
それが仕事である。

正月が近づくと、お供え用に藁で飾りを作った。
いつもとおなじようにしたら失礼だからと言って、いつもとは反対の編み方をした。
…ただそれだけのことかもしれない。

それをいつまでも正しいものと残すことに執着するべきか?

ボクは、変えるべき時には変えればいい…と思っている。
おかしければ変えればいいのだ。
固執する必要はない。

でも、「これは やっぱり こうでしょ!」というだけの輩の主張には激しく反発する。

時の流れに任せて、こう叫ぶヤツは根なし草だ。
迎合主義の典型である。
感覚だけで、考えることをしていない。


「なんで こうなっちょるのか…」
と考えないと、人間に生まれた意味がない。

2013年12月24日 (火)

おじさんはえらい

金曜日は最後の忘年会だった。

少人数だったので飲みすぎたが、なんとか8時台の電車に乗ることができた。

新山口駅では30分近くの待ち合わせだが、電車がホームに止まっているので乗り込んで爆睡…。
気がついたらトンネルの中だった。
…ということは戸田駅の手前。

ようやく目も覚めてきた。

車内はガラガラで、ボックス席にぽつりぽつりと座っている程度だった。
徳山駅の構内に入ると、ホームには大勢の乗客で大混雑。
忘年会シーズンの花の金曜日だからひどい人出だ。

がやがやと大勢の人が乗り込んできた。

ボクの隣に若いサラリーマン風の男が座った。
同時に、前の席の真ん中に30歳前後の…おばちゃんになりかけのおねえさんがドカッと座り込んだ。

手提げバッグからスマホを取り出して何やらいじっていたが、急に前屈みになって動かなくなった。
…寝ていた。


ところが櫛ヶ浜駅を出発したとたんにガバッと顔をあげて、窓に顔を近づけてじっと外を眺め始めた。

急にボクのほうに顔を向けると、
「ここは どこ れちゅか?」

「櫛ヶ浜を出たところ」
「そうれちゅか…」
と呟くと窓に頭を寄せて再び爆睡モードへ。


障害のあるおねえちゃんかとも思ったが、OL風の身なりで、きれいに化粧もしている。
酔っ払って、ろれつの回らなくなったおねえちゃんのようだ。


『このまま爆睡しても乗客は多いので放っておこう…』
と関わり合いになるまいと思っていたら、下松駅を出発したとたんに再びバガッと起きて、
「ここは ろこれちゅか?」

「次は光駅」
「はい ありかとう ごひゃいまひゅ」
と言いながら目を閉じた。


『このおねえさんは、どうしてボクにばかり聞くのだろう?』
と思いながら横目で隣の男を見た。

目は開けていたが視線は外している。


すると突然、おねえさんが、

「あにょう しまら で おこしゅてもらへませんきゃ」
と寝ぼけまなこで頼んできた。


「島田? 悪いけど光駅で降りるから」
「ふぅ~…… そのとひに おこしゅて くらひゃい」
「はいはい」


『ボクがよっぽど優しいおじさんに見えるか、それともすぐに鼻の下を伸ばすすけべなおっさんと思っているのかな』
と自分に問うてみた。

横目で隣の男を見たが、相変わらず視線を車両の中央付近にそらしたままだった。
『こいつ 関わらないようにしているな』
と直感した。

通路にも沢山の人が立っているのだが、みんな視線を他所に向けたり、話をしながら無関心を装っている。


そのうち光駅の構内に入ったので、おねえちゃんの腕をちょっと突いたらガバッと起きた。

「光駅! 次が島田!」
と言いながら、隣の男に、
「島田駅で起こしてあげたら?」
と告げながら席を立ったが、明らかに困惑した表情を浮かべていた。


そのままドア付近に進んでいると、後ろから大きな声がした。

「ありか ひょ~こしゃいまちゅた! らいひょうふ で~ちゅ」

と、あのおねえちゃんが、座席の上に顔を出してボクに向かって手を振っていた。


一瞬躊躇したが、ニコッ?として手を振ってあげた。


改札を抜けて駅を出たら、フロントガラス越しに鬼嫁の無表情な顔が見えた。


『おいおい…次はこいつが…相手かい…』
と、真面目で親切でお人好しで慈悲深い妻思いのおじさんは呟いたのでした。
おしまい。

2013年12月23日 (月)

さん

一昨日から末娘が帰ってきている。
正月に帰れないから、この三連休に「帰ってきてあげた」そうだ。

ボクはすぐに話すことがなくなるが、鬼嫁はいろいろとあるらしい。

目が覚めれば、二人が「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ」としゃべっている。

時にはボクの悪口を言っているようで、ボクの方を二人が見ながら目を細めてしゃべっている。

それを尻目に開墾畑を天地返しをした。

20回打ったら鍬に腕をかけて…空を見上げて休む。
すぐに息が上がるようになった。
情けないがこれが現実だ。

2年目の畑はフカフカしていた。


001


夕方、末っ子を連れて母の見舞いに行った。

認知症を患っている母だが、すぐに○子と分かった。

「おばあちゃん!元気そうじゃない!」
「まあ…○子もお嬢さんになったね」
と会話が成立している。


でもすぐに何度も同じ会話が続いたので、末娘にもおばあちゃんの状況が分かったようだ。

その時の会話で、母が、ボクのことを
「○○さん」
と言っていた。

帰り道、末娘が、
「どうして おばあちゃんは おとうさんのことを ○○さん と呼ぶの?」
と聞いてきた。


「お父さんが 大学に行った頃からじゃないかな」
「どうして 子どもを さんづけするの? 呼び捨てでしょ」

「それが 昭和女」
「ふ~ん しょうわ おんな か…」


「おまえは いつまでたっても 呼び捨てだ」
「…たぶんね」

「そうか…おとうさんだけ さんづけ なのか…」
「あたりまえじゃ」


家に着いたら、ちょうど鬼嫁が弁当をこしらえたところだった。

鬼嫁と末娘が車で駅に向かったが、ボクは外まで見送らない。

おとうさんは そんなセンチなことには つきあわないのだ。


「おとうさん」なのだ。

2013年12月22日 (日)

いろいろありました

一番面白かったことは、そのうち書きます。

とりあえず最近の家の様子を写真で。

これは昨夜の倉庫の様子。
しめ縄の準備のために、材料を並べたところ。
ここで酔いつぶれて寝た。


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槌で藁を打っているうちに酔いが回ってきた。

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これは『ごぼう締め』を作るところ。
手がしびれてきた。


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これは今日の画像。

ホダ木はクヌギだが、根元の台にしていた杉から『しいたけ』が生えてきた。
ホントに生えるんだ。

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今日はしめ縄のひげをとっておしまい。
足がふらついてきた。

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2013年12月19日 (木)

ワシがおかしいのか?

世の中、変なことばかりで自分がおかしくなったのかと思った。

東京都知事が辞任したが、相談する相手は石原前知事しかいなかったのだろうか。
あの性格では、親身に考えてくれる仲間はいないはずだ。

付け焼刃で弁護士にアドバイスを求めたのだろうが、真面目に考えるわけがない。
畢竟、あのような結末に至るはずだ。


ところが、今日の会見の時の顔はすがすがしかった。

初めからあんな心境と顔であれば、600万票は集めただろうが、
攻撃を諦め、守勢を放棄した人間は悟りの境地に近い。
まさに、そんな顔をしていた。

その顔で今後の余生を過ごせば、報いはあると思うが、遅きに失している。
芯から悔い改めればいいが、彼の性根は他所にあると思う。
かつて仕事で接した時に、生理的な拒否反応があった。
ホントの意味で、今日の心境で再生すれば救う余地はあるが、人間はそんな簡単な構造ではない。


その後の知事候補と言われる人がインタビューに応じていたが、どうしてマスコミは東国原を追うのだろうか。
理解できない。
目立ちたがりだけだ。

鼻持ちならぬ…を通り越して、同じ男として許せない。
どんなに軽いノリであっても、彼を担ぐことは同級生でも許してはいけない。

世の中を変えるのは…他所者、若者、変わり者だが、これだけは許せない。
特定の人を攻撃することはしたくないが、偽物があまりにも多い。


みんなの党を離党した御仁も嫌いだ。
顔がイヤだ。
性格はもっといやだ。
同じ男として許せない。


どこかのブログかホームページで読んだが、

「みんなが なってほしいいなと思うひとは 政治家と教師にはならない」

…今日は酔いすぎたか。まあ いいか。

2013年12月17日 (火)

雪になれない

しとしと雨が降っている。

雪になれない雨だろう。

寂しく しとしと 降るだけ。


雪になりたいだろう。きっとね。


史上最大のヤブ漕ぎ

先日、十方山坂根左谷の最後のヤブを這い上がった時の会話。

T隊長と、
「いちばんひどかったヤブ漕ぎはどれですかね?」
と顔を見合わせた。


二人が声を合わせて、
「安蔵寺!」

「やっぱり…」
「絶対に!あれだ」
「あれは…ホントに 凄かった」

ヤブ山突撃隊の奮戦記「yabuyama_0521.htm」をダウンロード
を調べてみた。


12年前か。当時はまだ45歳。
T隊長やIさんもまだ40代だ。

これまで幾多となくヤブを漕いできたが、「ワラビ谷~香仙原~赤土山~安蔵寺山」の縦走の最後に待ち受けていた笹藪はすごかった。
今でも忘れられない。

あそこの笹藪は手で掻き分けて進むことができなかった。
それほどまでに笹が密集していた。

突破するために、腕を胸のところで組んで、頭と肩からヤブへ突進して倒れ込んで1mぐらい前進するという有様だった。
ラグビーのFWの前進と同じである。


ところが、今ではこの尾根もササが刈り払われて立派な縦走路となり、楽ちん展望コースに変貌したらしい。
寂しい。
面白くない。


言っておくが、我々は6月の梅雨の真っただ中に行っているのだ。
しかも登りである。
でも、一度刈り払われたからには、もう数十年はあのヤブ漕ぎの実体験はできないので、ボクたちはその達成感をひとり占めにできる。
そんなつまらない独占欲しか残らないのだろうか?


ボクたちが汗水たらして濃いだヤブがどんどん無くなっていく。

三ツヶ峰~野道山、莇ヶ岳~小峰峠、飯ヶ岳~雀谷山…。

こうしてヤブ山突撃隊は、ホームページもおろそかになり西中国山地へと追いやられてきたような気がする。

ボクの気休めかもしれないが、真面目に登ってあげないと…山がかわいそうだ。

2013年12月16日 (月)

すくどをこる

『すくど』
『こる』

いま、この言葉を知っている人がどれだけいるだろうか。
鬼嫁も子供たちも知らないだろう。

鬼嫁が嫁いできた頃には、我が家もさすがに、風呂は相変わらず別棟の五右衛門風呂だったが、太陽熱温水器と灯油ボイラーが設置されていた。
昭和57年だったが、すでに焚口に薪をくべて風呂を沸かすことは滅多になくなっていた。

実は昨日、鬼嫁に、
「山に放置している木が勿体ない」という話をしていたら、
「わたしは嫁いできてから風呂を焚いたことはないわよ」
と言われたのでハタと気がついた。

冬のこの時期は、休みになると、両親から、
「すくど を こってこい」
とよく言われた。

『すくど』とは…落葉した松葉のこと。
『こる』とは…地面からかき集めるという意味だ。


『すくど』の仲間に『こぎ』がある。
『こぎ』とは…今から思い返せばたぶん「小木」の呼称だろう…枯れた小枝である。
これらを焚き付けにして、あとは薪を入れて風呂を沸かす。


『すくど』は、松葉なので『パチパチ』とよく燃える。火持ちもいい。
『こぎ』は、枯れ枝なので、すくどから燃え移って元気な炎を生む。


木小屋にこの3種類が保管してあるのだが、風呂を沸かすときには、『すくど』ど『こぎ』を一抱えもってきて火をつけておいて、次に薪を数本抱えてきてくべていた。

『すくど』は松が生えているところに行かないと集まらないのだが、そこまでやるのが面倒臭いので、適当に落ち葉と一緒にかき集めて、『ほぼろ』に詰め込んで持ち帰ることが多かった。


でも風呂を焚くのは子どもの仕事なので、自分で『こって』きた焚きつけは、すぐに火がつくが、あっというまに燃え尽きて…焚きつけにはならない。
枯れ葉葉あっというまに燃える。
すくどでないと火持ちがしないのだ。
まさに自業自得である。


枯れた松葉は「ぱちぱち」と燃えて、適当に火持ちがする。
それが『こぎ』に火が移って、やがて薪に火が移る。


今では、裏山には一本の松もなくなったが、枯れ枝と葉はわんさか眠っている。
森林バイオマスはいくらでもあるのだが、鬼嫁は、
「煙だらけになる」
と薪ストーブを認めようとしない。


倉庫に時計型の安いストーブでも持ち込もうかと考えているが、保管米や農機具、燃料があるので、ついつい躊躇してしまう。

この土日に山仕事をしながら思い出した。
薪を割るのもこの時期だった。

親父がつけているラジオからは、マラソンの実況中継が流れていた。


自分の今の仕事や、土曜日のことを話したらきっと喜んだに違いない。

バイオマスと言いながら、戦後植林した杉を燃やすとは…勿体ない。
「バチが当る」
…そんなことを想いながら山仕事をした。


『すくも』は…もみ殻。
『すくど』は…落葉した松葉。
…備忘録で残しておこう。

2013年12月15日 (日)

山仕事

昨日は夕方、防府で行事。
あいさつはやっぱり緊張するが、最近はみんなの顔が見えるようになった。
でも難しい。


今日は山仕事をすることに決めた。
鬼嫁が、「だいだいをもいでくれたら、ポン酢を作ってあげてもいいわよ」
と、いつものように上から目線の宣告。

バケツ一杯…30個ぐらいとった。

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ベランダに置いて逃げたら、
「なにかね~こねぇ~に…よ~け とってから!!!」
と怒っていた。
バチが当ったんだろう。


さて、家の裏の伐採にかかる。
かなりうっとおしくなっていたので、急斜面の雑木を切る。
足場が悪くて手をつける気が起こらなかったところだ。


昔はよく崩れていたのだが、母屋を立て替えるときに擁壁をツイタので、思い切って切る。

急斜面なのでチェーンソーの扱いに緊張する。
ハクスバーナのヘルメットを被って、安全靴を履いて慎重に切り倒す。
切り倒してからが辛い。

家の裏なので、少し遠くに運んで細断しなければいけない。
引っ張って運べる大きさに切っては運ぶ。

5回も往復するとイヤになって座り込む。
クロガネモチと山桜を浮き出したいのだが、まだまだ切らなければいけないようだ。

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こっちのクヌギとクロガネモチのところもすっきりさせたいのだが、手が回らない。
生きている間にどうにかなるだろうか…。


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薄暗くなる前にカラータイマーがピカピカしはじめた。
焼酎の湯割りを呑む時間である。
すぐに従う。


冬の休日は好きだ。
山仕事は辛いけど、気持ちが落ち着く。


今日の仲間たち。
良く頑張りました。


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みんな 冬は何をしているのかな。

2013年12月13日 (金)

変節

鬼嫁は今宵もカーリングを観戦している。
難しいルールも覚えたようで、投げてすぐに結果を説明できるようになった。
ボクはまだよく分からないし、この二日ともすぐに寝てしまったので、話がかみ合わない。


でも、二番目に投げるO選手が気にいった。
ボーイッシュな彼女がなかなか頑張っている。
もともとは陸上だったそうだが、今はカーリングに打ち込んでいるようだ。


「あんたは…バレーの…迫田ばっかり応援していたんじゃないの?」
「おお…迫田はええ…可愛いい」

「ちゃんとカーリングをみなさい!」

「おお…この娘は…ええのう」
「あんた!何を観よるんかね?」

「こりゃ~別嬪じゃ…娘は、このくらい溌剌としちょらんといけん!!」
「あんた はぁ~ ねんさい!」


「こりゃ~別嬪じゃのう…」


「あんた!! ええ加減にしなさいよ!」
「やかましい!! 別嬪がええ!」

「あんた 怒るよ!」

「はい…すみません…かしこ」

かくして…ヤブ山は…カーリング女子チームの(2番目に投げる娘)ファンになりました。

2013年12月12日 (木)

反省

tobinokoさんとぼっちさんに気のきいたコメントを書こうとしたら…入力が「ひらがな」ロックになって、かれこれ40分近く悪戦苦闘した。

コメントを洒脱に書く気力もなくなった。

鬼嫁に、
「おまえが いじったんらろうが!! ばかたれ!」
と叱ったら、

「しるわけが ないじゃろうがねぇ!!」
と、倍返しというレベルをはるかに越えた返事…いや罵声が返ってきた。


きっと…証拠は残ってしまったが、
「しらぬ…存ぜぬ…私は…関係ありませぬ」
と、どこやらの知事のような「知らぬ存ぜぬ」という…お言葉でありました。


…まあ、この程度の推理です。
oniyomeにはかないません。


犯人も物的証拠もあるのですが…本人は自白しません。

今晩の突き出しが『なまこ』だったので、まあ…心の奥で許してやりました。
おしまい。

2013年12月11日 (水)

妄想癖

先日、夜の懇親会があったので、電車とバスで通勤した。
することもないので、いつものように人物観察をはじめた。


必ず先頭車両に乗るおっさんは、いつもの横向きの席に座った。

ボクはいつも彼に背を向けて座るのだが、今朝は先客がいたので、彼がよく見える位置に座った。
手提げバッグが小さなリュックに替わっていた。
いかめしいおっさんには不釣り合いな若者向きの柄のリュックだった。

たぶんこの春に旅立っていった娘からのプレゼントだろう。
娘と別れるときに、いかにも愛おしそうに合図を送っていた。
…たぶんボクの推理は当たっているだろう。


帰りの電車では予備校生と思われる一団が乗り込んできた。

がやがや話をするグループから離れて、ひとり参考書を読みふけっている男子がいた。
ガリベン風でもないし、他人に見せつけている風もなかった。

好感のもてる生徒だった。
彼にとってこの浪人生活は損にはならないだろう。


そういえば、この前、十方山に登った帰りのこと。

山奥の一軒家から老婆と中年女性が出てきた。
老婆は彼女が乗った車が見えなくなるまで見送っていた。
長屋の軒下には大根が干してあった。
老婆は長靴を履いていた。

ボクはぼっちさんに、
「外に嫁いだ娘が一人暮らしの母親の様子を見に来たんでしょう。
 たぶん夫に先立たれて一人暮らしだけど、まだまだ体が動くからもうしばらく一人で頑張るってきかないんでしょうね。
 娘は心配してときどき様子を見に来るんでしょう。
 あっ、しまった。
 車のナンバーを見落とした。
県内に嫁いでいるのならいいけど…」
と独り言のようにしゃべった。

いま思い返してみると、服装は普段着に近かったから、割と近くに住んでいるのかもしれない。


…こんなふうに勝手なストリーをでっち上げてはヒマをつぶしている。


2013年12月10日 (火)

世代

先日の社の役員会で感じたのだが、世代間ではギャップが見えなくなる。
一回り上の人の意見を聞きたいのだが、ちょうどその辺りの人がいない。


世代は、1/4世紀だから…25年である。
25年違うということは…親子の年代になる。

これが「一回りちがう」となると、干支の一回りだから…12年である。
昔でいえば、ぎりぎり兄弟の関係である。
世代の半分だ。


色々な考え方や習慣はこのサイクルにまぎれこんでいる。

よくわからないので…今日はおしまい。


2013年12月 8日 (日)

みんなの胸中

午前中は、裏山の小竹を切った。
皆伐してから3年目になると、太い竹は生えてこないが、小竹がうるさい。

これが結構生い茂るので、まめに切らないと再び元の木阿弥になる。

面倒臭い仕事なので、何度も座り込む。

林床を見ると、色々な芽が生えている。


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昼前に、金毘羅社側の参道に上がって下りようとしたら、隣接地のKさんの仕事ぶりに驚いた。


「なに? これ?」
まさに…珍百景である。


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山の斜面に…アンパンマン、バイキンマン、ドラえもん…その他数々のキャラクターが飾ってあった。

草刈り中のKさんの近くに寄って一服していると、気づいたようだ。

「あれは イルミネーションにするんですか?」
「いや…あの間に…シバ桜を植えようと思って…」
「はぁ?…」


暮れに孫が帰ってくるので、何か楽しめるようなものを作ろうと思ったらしい。


…ここは、山の頂上手前である。

すごいね。


2013年12月 7日 (土)

冬支度

風邪気味だが、朝8時から田んぼに『ケイカル』を播いた。

稲わらを田んぼで熟成させる肥料である。

手で撒くのですぐに厭きる。
一袋20㌔。

1時間かけて播き終えた。
あとはハマりそうな田んぼを鋤く。

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昼に焼酎の熱燗を呑む。
寒くて仕方がない。
そのまま寝たら…起きても動けなくなりそうなので、そのまま残りを鋤いた。

倉庫まで帰って、車のタイヤを替えた。
光市では凍結することはないのでスタッドレスを履く車はないが、山口市内は年に数回はツルツルになる。

油圧ジャッキもトルクレンチもない。
付属のジャッキとレンチで格闘する。
唯一使うのは鉄パイプ。

レンチでナットを緩めるときにはモーメントを大きくするために、これをレンチに被せて緩める。

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車とトラクターを洗車。


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これで冬支度は済んだ。
あとは明日の役員会。

来週は行事と忘年会が2回づつ。
間の悪いことに、外せない行事が周南山の会の忘年会にドンピシャだ。

はちべえどのが参加しないようなので、絶好のチャンスだったが残念である。

2013年12月 6日 (金)

E翁の厳命

昨夜の続きになるが、E翁がボクを社の総代にまつりたてたのは…、
「地下の者を中心に 永代続くようにせい」
ということだろう。


団塊世代の人たちが ぽつりぽつりと帰ってきているのだが、地元に馴染みがないので打ち解けにくいのだろう。
ボクより5つ以上も上の人が、結構戻ってきている。
しかし、金毘羅社のお参りには来ないし、自治会にも消極的なようだ。


E翁は、
「そいつらを 口説いて回れ」
と示唆している。

「まだ現役の若造に何ができるというのですか!」
と言ったら楽になるのだが、そんなことを許してくれる爺さんではないので、自治会長からもらった住宅地図を眺めながら作戦を練っている。


ボクの同級生は、下のTさんの嫁…つまりボクの幼馴染しかいない。
畢竟…自分で開拓するしかない。


つくづく、
「団塊世代の人たちは やっかいです!」と言いたい。
(うちの部落だけかもしれませんが…)

日曜日に、役員会があるので経過報告をする必要がある。
「なんで本家のおじさんが、分家の…しかも次男にやらせるんかいな…」
と、ぼやきながら躊躇している。


「おいさん! わたくしは 現役なんですがね」
と言いたい。

でも、
「おぉ…そうじゃったかいのぅ…まぁ…ゆぅに…やれぇやぁ…」
と横吹く風だろうから、やるしかないのです。

ほんとに もぉ~! おしまい。

2013年12月 5日 (木)

社の運営

日曜日に金毘羅社の役員会を開催する。

春と秋の礼祭の収支報告と、迎春の段取りを話し合う会である。

先程、会計兼副会長のSさんが収支報告の相談にやってきた。
ボクより少し年下の現役で、真面目な方である。


秋の礼祭の時に、合繊のしめ縄を作ったり、足りなかった工具を買ったので、予算をオーバーしていることについての相談だった。

見た目がオーバーしているので、どう説明したらいいかと悩んでいたので、ストレートに予算と決算の数字を書いて、今回の特別経費は一時的なものだから、それを予備費に回して、トータルで説明できるような表を作るように話をした。


その話をしながら全体の収支を見ると、収入は祝儀とお賽銭だけで、支出は餅まきと景品・直会の費用で、トントンだった。

金毘羅社は、例祭時に部落からの寄付金を強要していない。
それでも何とか維持できているのは、役員の祝儀にかかっている。

ボクがいくら出しているか書かないが、会長をはじめとする役員はなかなか大変である。

昔でいえば、分限者の寄付で賄っていたのだろう。
お賽銭は…失礼な言い方だが、タカが知れている。


どこを節約すればいいかという見当はついた。
来年は消費税が3%上がる。
祝儀やお賽銭はたぶん据え置きだから、支出を絞るしかない。

じり貧になったら悪循環に陥るだけだから、どうやって維持するかを考える。


寄付金を強要せずにどうやって維持するか。
…N翁がボクに任せた理由が分かるような気がする。

やれやれ。

2013年12月 4日 (水)

人生の師①

今晩、高校の吹奏楽部の全国大会への葛藤を見て思い出した。


教師は重要な役割を担っているのだが、気に入らない点もあった。

大声で叱り、自分のやりたい方に向かわせる教師もいる…それはそれでいる。

ボクには、今でも心に残る教師の言葉がある。

中学二年生の頃。

母が大病で入院したことや、中学校に入った気の緩みもあって、ボクの成績は下がるばかりだった頃。


たしか道徳の時間だった。
内容は忘れたが、自分の親の職業についての話だった。


辛くても肉体労働で頑張っている親と、サラリーマンになって成功している親の話だった。
今でも十分通用する話である。

その時の話は、肉体労働者の子どもが、サラリーマンを父に持つ友達と下校するときに、親と出会ったので、友達に見られまいと嘘をついて…隠れた。
…この子の対応をどう思うか?というような内容だったと記憶している。


当時、ボクは試験週間になっても田植えを手伝わされていた。
中間試験の真っ最中である。

当時は、すっかり高度成長下で、百姓をすることが恥ずかしくてたまらなかった。
学校のトイレで大便をするような感覚である。


その授業でボクが何と書いたか、言ったか?…という記憶はない。

上手に何か書いたのか、それとも…模範生のようなことは書いていないだろう。


さて、当時の道徳の先生は何と言ったか?

「職業に貴賤があってはいけません!
でも、みんなの心に…どうしてもあるのです!
これを どうするかが 大事なことです!」
…と言っていた。


ボクは今でもこの言葉を覚えている。

…ボクは特定のイデオロギーは持たないが、この言葉が未だにトラウマのように頭に響いている。

教師も このくらい誠実に 自分の思うことを語れば みんな納得する。

そして 考える。

それでいい。

あとは こどもに 任せればいい。

2013年12月 2日 (月)

成長の証

言葉はつくづく危険な道具だ。

外形だけで誤解されてしまう。

そんな気がなくても、それをストレートに受けとめられてしまう。

今日、それを実感する事態に出会った。

婉曲にそれを言っているのに、それだけを責める言葉しかなかった。

攻撃だけで勝負をしている人がいることを、改めて知った。

彼の目と言葉に『いたわり』はなかった。

人間は…それを忘れたら価値がない。

胸に手をあててみよう。

思い当たる節はないか?


反省する。

言い訳はしない。

でも…あいつだけは許さない。

2013年12月 1日 (日)

出たかね

昨日から息子一家が帰っていた。

5ヶ月になる孫は人見知りをして、しばらくなつかなかった。
寝返りはまだ打てないが、首が据わったので抱くのも楽になった。


さっき見送った後、シイタケを見にいった。

少しづつしか出ないようだ。

ついでに下の段の『なめこ』を見にいって…驚いた!

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なめこ菌は強いので、打ったその秋に出ることもある…と聞いていたが、そのとおりになった。


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なかなか面白い。


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