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2014年1月29日 (水)

共に生きる

帰ったら、NHKで、労働者派遣法の改正や東アジアでの労働状況のニュースがあった。


どうやら正義の番組のようだ。

「正しい!」
と叫んだ。

でも次には、
「正義のふりした 悪魔じゃ!!」
と叫んだ。


取材をした連中と編集した連中の姿勢が許せなかった。

被害者?とおぼしき労働者を誤った視点で追っていた。
情けないぐらい下調べをしていない取材であった。


これらの法律は、安価な労働力を求める主と、それにすりよって行かなければならない人たち…の両方を救おうとした法律なのだが、それを悪用する主と、それにすりよっていかなければならない人たちを…当時は救うものだったが、今では結果的にイジメている。


弱者を救おうとした決まりが、その弱者を追いやり、更には、それに共感しようとした人に反感を植えつけているのだ。


そのギャップを知らしめんとした番組だったのかもしれないが、結果は真逆である。

この番組は、弱い労働者を更に暗い世界へ送り込む手助けをしただけである。

彼らは、これで正義を果たして、共生しているつもりなのだろう。

我が部落でも同じようなことがある。

共同作業をするにしても、ひとそれぞれできることが違う。

それをみんなが分かっているのが、みんなの和を保つ原点である。

みんなが参加してそれぞれが自分でできることを一所懸命やってくれたら…連帯感や達成感が生まれる。

でも、人数が増えてくると、その隙間がすぐに顕在化してくる。


これが『制度疲労』と呼ぶ変な学者がいる。

そもそも、経年劣化と嘆くシロモノではない。
必然的なものだ。
一瞬のバランスに惑わされただけだ。

先日の新年会でも、それぞれの前に座って話をしていると、そんないろんな声が聞こえてきた。

そこで、
「わしに どねえ せえちゅうですかね?」
と開き直ると、
「ようやれぇ~や  やれるっちゃ!」
と言われた。

…みんな困っているのだが、どうにもできないので誰かにどうにかして欲しいのだ。


ボクは、そういう傾向は分かっているが、解決する術が分からないから、仕事のことでも地元のことでも困ってしまうのだ。

みんな平和に生きていければいいと思っている。

でも、共生とは…みんなでまとわりついて、どうにか生きて行くことである。

きれいなものではない。

自分や人間の中にある どうしようもない『わだかまり』をさらけ出して、初めてできるものだろう。


…これがボクの共生論の序章である。


これ以上書いたら、面白くなくなるのでやめる。

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