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2014年7月

2014年7月31日 (木)

Genaration か…

あちこちを色々訪問しながら気づいた。

ライフワークに近いからかもしれない。


どうやら人物は、ジェネレーションに一人らしい…ということ。


いつか、2015問題を書いたと思うが、来年で、昭和一ケタの世代がみんな80代になる。


この世代は、戦争に巻きこまれる寸前に生きながらえた世代である。


その上の世代がみんな戦争に駆り出されて死んでしまった。


だから彼らは戦後の世代を必死で頑張ってきたのだ。


そして、それをそのまま高度成長時代を支えて、そのモチベーションを保ってきている。

でも80歳を超えると…何もできなくなって、全てが難しくなる。


どこで世代交代をするか…が…難しい。


昭和一ケタの世代の子供は、ボクのように昭和30年前後だろう。


ところが、その少し前の昭和25年前後の人が爆発的に多い…『団塊世代』がその代名詞である。

昭和一ケタ…この世代の少し前の人はほとんど第2次世界大戦で亡くなっている。

だから、自分はそれを一身に背負って頑張らなければならない。

でも、この世代の人は、一つ前の世代の連中に首根っこを押さえられ続けた。

たぶん、その世代の反動がこの数年に出ると思う。

たぶん…普通の経済学では説明できない不思議な傾向が…。

これは団塊世代の残滓と言われるかもしれないが、第2次世界大戦のうねりである。

そして、その後をボクたちの世代が進むのだ。


真面目に生きていかなければいけないのだが…、阿呆らしくなるときがある。


補遺:
添削をしすぎてわけのわからない記事になった。
本意ではないが残す。

2014年7月28日 (月)

草食化への道

宮沢賢二や武者小路実篤の気持ちが少しわかるような気が芽生えてきた。


自分が若い頃は、理想主義者のなれの果て…とタカをくくっていたが、この歳になってようやく、何となく、彼らの純粋な気持ちを素直に見ることができるようになった。


そんな世界に自分を追い込まないと、地に根が生えた…純粋な気持ちになれないのだ。


それは、
「学問ばかりして現場を知らないヤツが 何を言うか」
とか、
「みんなで力を合わせていけば こんな生活ができるはず」
という反問ではない。


「自分が想像する生活には どんな世界があるのか?」
という素直な願望が垣間見えたからだ。

きっと、理想の世界を実現しようとしたのではないような気がする。


そして そこには 終わりのない世界が 見えたのだろう。

…最近、そう思えるようになった。


2014年7月27日 (日)

お百姓さんは静かに頑張る…の巻

ブログを開いてびっくりした。

自分としては、ちゃんと書いていたつもりだが、何も残っていなかった。

どうしてこうなったか思い出してみた。


金曜日にストレスのあるミッションがあったのだが、それをとりあえず凌いだので、早めに家に帰って…早目の晩酌をした。


これが金曜日の全てである。

さて、土曜日である。


ホントは、昨日から宿泊付きで九州か四国の山に登ろうと思っていたのだが、昨日のミッションがあったのでパス。


そうなると…することは決まっている。


家の周りの草を刈るのだ。
これしかない!


でも昨夜の晩酌に力が入り過ぎたようで、7時に目が覚めた。

休日の鬼嫁には自分のタイマーはない。

ボクができるだけ遅く起きること…だけのようだ。


一番暑い日に草刈りをすることになった。

冷えぴたと、首に保冷材を巻いて草刈りを始めたが、晩酌の二日酔いはひどい。
すぐにフラフラしてきたので、ベランダに腰掛けた。

「あんた! まだ20分も経っちょらんよ!」

普通こんなことを言われたら、足蹴にして服を脱がして…かどに放り出してやるのだが、
…ボクはうなだれたまま動けなかった。

普通、こういうシチュエーションになると、妻は夫にかしずいて、
「あなた…どうされましたの?」
と背中をさするのが常である。


我が家の鬼嫁は、さっきの言葉を言い放ったら、さっさと網戸を閉めて部屋に戻って行った。


頭にきたボクは、長靴を脱いで、母屋に乗り込んで…ホントに足蹴にしようとした。

でも、気持ちのこもっていないカルピスソーダをガブガブ呑んで…溜飲を下げてしまった。


それから1時間草を刈った。

ヘロヘロになって、シャワーを浴びて冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

「あんた まだ11時よ!」


「やかましい! 暑かろうが!」
と言いたかったが、ビールが待っていたので、ぐびぐび飲み干して、次の缶を取り出した。


「あんた まだ11時よ!」
という声が再び聞こえた。

「やかましい! 暑いんじゃ! ばかたれ!!」

…返事はなかった。

4時過ぎからサトイモの草を抜いた。

暑くて死にそうになった。


母屋に返って、風呂に入ろうとしたら、

「あんた! まだ5時よ! 風呂は沸いちょらんよ!」
という無神経な声が聞こえた。

「ばかたれ! 暑いんじゃ!」

…ということで、花火大会の始まる煙火は聞こえたが、そのまま爆睡したのでありました。


さて、こんな鬼嫁ごときの雑言を書くつもりではなかった。


草を刈りながら高尚なことを考えたのだ。


「なにゆえ 人類は 草を食べるという選択をしなかったのか?」
という疑問である。


草は…肥料をやらずとも、農薬をかけぬともすくすく育つ。
なんの苦労もいらぬ。


おいしいものを食べようとか考えなくてもよろしい。
変なことをしなくてもよい。


おいしいものを食べようと思わずに、草を食べることに順応すればいいのだ。

そうすれば何の苦労もいらぬ。

腹が空けば道端の草をパクパク食べればいいのだ。

…草を刈りながら、そう思った。


農薬や化学肥料がイヤなのなら、草を食べられるように自分を順応すればいいのだ。

そうすれば人類の軋轢は減る。

同じものを欲しがらなければいいだけだ。

そういうほうが 本当のイノベーションが生まれそうだ。

<鬼嫁の言葉からの妄想~そのⅠ>


2014年7月24日 (木)

清州会議

しばらく真面目に書いていなかった。

読者の皆さんにはどうでもいいかもしれないが、ボクとしての意地がある。

軽口で行くときと、自分を吐露するタイミングがあるのだ。


今宵、精神病患者の社会復帰の番組をやっていた。

NHKらしく、いつものように偏向した内容であったが、鬼嫁と久しぶりに意見が一致した。

「精神病患者の見方が…たぶん、ボクたちの世代から変わってきていないか?」
ということである。

たぶん、価値観の変化は昭和30年代生まれの連中から変わってきている。

認知症然り、色々な障害…然りだ。


これは教育の成果かどうか分からないが、認識が変わってきたのは事実だろう。

でも教育のことは、きちんと説明しておく必要がある。

日本がこれだけ復興・繁栄してきたのは、自分で考えるという本来のDNAが覚醒したからである。

だから日本人には不思議な…不思議な価値観がある。

不正や悪事、謀略や相手を卑下することを繰り返すまいという…世界に誇るモラルがある。

それを正面切って、言い張ったり、糾弾するような…文化は似合わない。


世界に誇れる文化だと思う。


こんな狭い国土と人口で、経済と文化が共存している国はほかに見当たらない。


一瞬のバランスかもしれないが、世界の動きを見ながら、つくづくそう思えて仕方がないのだ。


2014年7月23日 (水)

消えました

書いたら消えたので再現不可。


仕事はモメルし、土曜干し後の水がない。

八方ふさがりのことを書いたが、消えた。

パソコンを蹴り飛ばしたい心境である。


2014年7月21日 (月)

夏の兼業農家の一日

雨が降って気温が上がるとどうなるか?


答は…草が伸びる…である。

放っておけば、それはそれで…どうにかなるのだが、ボクの美学からすれば許されない光景である。

時間があれば、綺麗に刈って見た目を良くしたい。

公園のようにいつもきれいにしたいのだ。

化粧をする鬼嫁の心境ではない…ボクの美学である。


今朝はいきなり暑かった。

ずっとぐずぐずしていたい。

仕事をする振りをしたかったが、その電話もかかってこない。

「ならば…頑張るのだ!」
と自分を奮い立たせて、草刈り機を持ち出した。

この時期になると、草も手強い。
鈍らな刃では容易に刈れない。


Dケンマーで研ぎ直す。
これも逡巡の一こまである。
急な雷雨でも来てくれたら言い訳になるのだが、空はギラギラの晴天である。


二日前に再びスズメバチに喉元を刺された。
一月前、病院送りになったときの塗り薬が役に立っている。


麦わら帽子に虫よけネットを被せて、家の周りを刈る。

刈る 刈る 刈る!


30分でフラフラになる。

ベランダにたどり着いて、「何か冷たいものを!」と叫ぶ。

鬼嫁が麦茶を持ってきた。

「バカたれ! こんなもんで楽になれるか!」

「まだ 刈るところは たくさん残っていますよ…」
と涼しい声で言う。


殺してやろうかと思ったが、一理ある。
「昼に 二缶呑むから よ~う冷やしておけ!」
と言い放って、再び草との戦いに参戦した。


11時でギブアップした。
約束どおり2缶やっつけた。


1時間爆睡。

1時間ぐずぐずした。

3時半になって、挑戦的な心が戻ってきた。

でも暑い。

もう30分、自分を制御した。


4時になると、夕涼みをしながらのむ『ハイボール』が、「おいで おいで」をした。

冷たくて おいしい…はずだ。

新しい作業服に着替えて、いちばん最後に残ったTさんちの裏の土手を刈った。

ここは下の方は手で刈らないと始末におえない。

何度も休んでいると、幼馴染のA子ちゃんが下から話しかけてきた。

「ゆっくりでええからね…」

「あのね 来週遊びに行くから 今日しかないんよ」

「○○ちゃん(鬼嫁)は 百姓ができんのじゃから 無理をさせたらいけんよ!」

「何にもせんから 心配せんでもええ!」

「ありゃ~ そんなことを言うたら バチが当るよ!」


…鬼嫁は、ボクの幼馴染まで手を回していた。

でも、ボクはそんなことにもめげずに 残りの草を刈った。


夕涼みをしながら、きれいになった家の周りを眺める。


至極の幸せである。


ボクが死んだあとは誰がどうするのか知らないが、今は…きれいである。

2014年7月20日 (日)

中国大返し

バンジョーとギターの練習を終えてリビングに戻ったら、鬼嫁が全部のドアを閉めてテレビに見入っていた。

「うるさい!」
という嫌がらせであろう。


ボクがNHKの大河ドラマを観なくなって数十年たつ。


学芸会は辟易している。

恥ずかしくて見るに堪えない。


テレビの最後の場面では、信長が本能寺の変で殺されて、黒田官兵衛が秀吉に進言して、諫言を弄しながらきびすを返して京へ戻るところだった。

鬼嫁は歴史が好きなので、ボクがほかの番組を見なければいつも見ているようだ。


まだ活劇の方が面白かろうに…。

そして、官兵衛はここにいるのだが…。

2014年7月19日 (土)

DNA

今日はH高の二回戦がある。

昼から開始なので、その前に草ボーボーになった畑に精を出した。


9時過ぎからへたくそな校歌が聞こえた。
ものの1時間でノックの音が聞こえなくなったので、柳井に出かけたのだろう。

ボクも手を休めて、鬼嫁の用意した早飯を食べて、母の洗濯ものを詰め込んで球場に行った。

一つ前の 岩国と下松の観戦客が多かった。

最上列まで上がってしばらく観戦したが、第一シードの岩国は強かった。

それから母校の試合だ。

ワンチャンスに得点を挙げて、どうにか逃げ切った。

試合の流れは時の運だ。

相手のピッチャーはモーションのわりに、鋭いストレートがあった。
だから低めのスライダーに手を出して凡打の連続だ。


どうにか逃げ切って明後日の代表決定戦に進出である。
ボクが草刈りをした甲斐があった。


その足で母を見舞った。

下のTさんのお母さんが亡くなったことを初めて伝えた。
すぐに忘れるので、都合10回も話す羽目になった。

家に帰って、酒をあおり夜空を仰いだ。


ボクのDNAのことを考えた。

直接的な遺伝はどうでもいい。


DNAは生化学的なものだけだ。

人間が 目で見たり 肌で感じたり 耳で聞いたりしたことで 他人に伝わるすべはないのだろうか。

たぶん何かありそうな気がする。

それが ワープとか テレパシー  …のようなものなのかもしれない。

ホントはこのことを 真面目に書きたかったのだが、酔いつぶれた。


母校の勝利と 母の見舞いと 我が家の安寧が 思考を停止させたのだろう。


真面目に考えたのだが、明日目が覚めたら…全然違うことを書いてしまうのが情けない。


★追伸
拷問された時のことを書こうと思ったようだ。
爪をはがれたり、はらわたをえぐられても…何も吐かなかったが、
最後に脳髄のエキスを抽出されて、それを検査された時のことを考えていたのだ。
そのときどうするかをいろいろ考えていたのだが…また明日ORいつか。

2014年7月18日 (金)

なんでこうなっちゃたのか?

さっき夜空を見上げながら思った。


「なんで、ぼくがこういう摩訶不思議な境遇に生きているのか?」
と。


ボクは、ひょっとして家の周りの草を刈るために生まれてきたのかもしれない。

でも明日はさぼる。


H高の2回戦の応援に行くつもりだ。


今晩の練習はないようだ。

明日の決戦に控えてのことだろう。


ボクは 今日 バリアを解いて 寝る。


2014年7月17日 (木)

さて…登りますか

ヤブ山を標榜しながら、この1年近く山に登っていない。

今日で、ようやく少しまとまった休みが取れる見込みがついた。

久しぶりに国土地理院の地図のサイトを覗く。


大体、次の目標を決めていたので、いつものように匹見の地図に入って行く。

実は、来週、ヤブ山突撃隊とH樹木医、Y代表と飲む機会がある。

そのときに披露しようと思っている。

いつものように『リベンジ』がらみである。

あの過去の足跡が残っているかどうかを確かめてみたい。

今回は、荘厳な森には出会えないかもしれないが、昔人の踏み跡をたどってみたいのだ。


さて、その前に鬼嫁を何処かに連れて行かなければならない。

「えらいところはダメ! ゆっくり温泉にでも入れて、景色のいいところなら…行ってあげてもいいわよ」
と、いつもの上から目線である。


「屋久島に登り残したところがあるので、ゆっくり歩こう」

「えらいんじゃないの?」

「モッチョム と 永田岳…登らんじゃったらバケて出るかもしれん」

「えらいんなら行かんよ」

「行かんでもええ…ワシさえいければええ」

「お金はないよ」

「ワシの 死後年金を 充当すればええ」

「あんたが 勝手に死ねばええけど わたしゃ~ 知らんよ」


何がどう知らぬのかよく分からないが、鬼嫁登山とヤブ山突撃隊のルートを考えたら、シャキッとした気になった。


さて、ヤブ山突撃隊の次の挑戦は、火曜日に山口市でみんなに諮ろう。


もう決めた。

アーカイブシリーズになるだろう。


…あとは、ひみつ。

2014年7月16日 (水)

『業』 の側面

どうして、この世は平和な方に向かって行かないかと嘆きたくなる。


鍬も 背広もかなぐり捨てて 正しい方向に進みたい。


戦争も いざこざも やりたくない。


みんなそう思っている。

ところが、やりたくない いけない…ことが次々に現れてくる。


ボクは これを 『業』 と称して、自分の悪事を転嫁することにした。

現実世界では、目の前の敵や困難に立ち向かわなければならない。

そうしないと生きていけないからだ。


しかし、時には、それに悩んだり、己を罵ったりしたくなる。

でもどうやっても、なんの解決も得られない。


それから目をそらすために 人類は色々な抜け道を見出した。

宗教や学問・芸術…然りである。

それはそれでよしとするが、それを全てとしてはならない。


最後は自分で決めるか、見て見ぬふりをするしかない。

しかし、悲しいことに、そこで大きな間違いが起こりやすい。

…その理由は、いつか書く。

 

2014年7月15日 (火)

健診の後始末

ちょうど月に一回、血圧の薬をもらいにいく時期になったので、先般の健康診断でいただいた紹介状を携えて、いつもの医院に寄った。


紹介状には、「血圧が要精密」と書いてあった。

これだけなら再び血を抜かれることはないので、ボクは大手を振って病院の門をくぐった。

「ヤブ山さん! 全部の結果を見せてもらってもいいですか?」

「はい…持ってきました」
と差し出す。


どうやらこの医院は、ボクのかかりつけ医を標榜しているようで、数年前から健康診断の結果表を出すように言われていたので、こっそり鞄の中に忍ばせていたのだ。

「血圧は…あがり症だから仕方がありませんが、他の数値を見せてもらわないとね…」
と、ボクより少し上の医師が言う。


「お酒と脂っこいものが…止められませんね」

「はい…頑張っています」


…この医師とはかれこれ10年来の付き合いになるだろう。

ボクが酒をやめたり、肉類を断つことはあり得ないことを分かっている。

「もう少し減らせませんかね」
とあきらめ顔で言う。


「頑張ろうとは思うのですが…」
「やってみてください」


医師は紹介状の処置欄に、
「引き続き投薬治療を要す」
と書いていた。


付き添いの看護師さんも、
「困った おじさん…」
という顔をしていた。


処置台に横になって血圧を測ると、いつもの…まあまあギリギリの数値だった。

「ヤブ山さん できるだけ節制しましょうね」

「は~い 頑張ります」

いつものように窓口で一月分の薬をもらう。

いつものおばちゃんが、「おだいじに!」と渡してくれた。

薬が効いているのかどうか分からないが、月に一度の行事に、年に一度の追加行事が終わった。


採血さえなかったら、どうでもいいのだ。


意気揚々と家まで車を飛ばした。


2014年7月14日 (月)

2015年問題

検索すると…団塊世代の人が65歳…つまり「前期高齢者」の仲間入りをすることに伴う医療・福祉上の転換期とされている。


しかし、地域政策の専門家に言わせると、
「昭和一ケタ世代が80歳を迎える」という大変な転換期らしい。


昭和一ケタというのは、ボクの父母の世代である。
昭和の繁栄を下支えしてきた世代である。


自分たちが部落を支えながら、子どもたちを都会へ送り出していった世代である。

団塊世代の人たちは数は多いが、ホントに部落を支えた世代は、この昭和一ケタのじいちゃんたちなのである。


今や我が部落でも、長老のN1翁と、M1翁が…典型的な昭和一ケタ世代である。

その二人と、それに続く一ケタ世代の末っ子たちが…そろそろ危なくなってきている。

農業従事者が畦畔作業をやめる平均年齢が「76.7歳」なので、中山間地域の集落が維持できなくなる大きな波がやってくる…らしい。


それはそうだろう。

誰に言われなくても、そんなことは分かる。


そういえば、日曜日に母の見舞いに行く途中、神社のお祭りのお囃子に遭遇した。

しめ縄やご幣を飾った軽トラの荷台におそろいの法被を着た老人が乗っており、その後ろには古いボンゴが続いていて、ハッチバックのドアを開けたまま、ここにもじいちゃんが太鼓を打ち鳴らしていた。


よく見ると、どちらの車にも「もみじマーク」が付いていた。


Tobinokoさんの集落も 軽トラで練り歩くようになったらしいが、瀬戸内沿岸の集落でも同じような光景が見られるようになっている。

母の認知症がはっきりしたのが80歳になった頃で、草刈り機が使えなくなったのはその4~5年前であるから、76.7歳は平均的なリタイア年齢になるのだろう。

そうなると、ボクはあと17~8年が限度になる。

ボクの 命と 機械と 気概 …の背比べのような気がする。


たぶん、現実は 左から右に展開する。

ボクの未来を書いたつもりだが、七夕飾りに書くしかないか…。


 

2014年7月13日 (日)

連絡網

今日は部落の一斉清掃活動の日。


しかし、朝の4時過ぎからすごい雨音と雷で目が覚めた。

枕元の携帯やスマホにも次々とメールが入ってきた。

田んぼの水回りをして帰ったが、鬼嫁は爆睡中であることをパントマイムでやっていた。


寝ていたいのなら、はっきりそう言えばいいのに、
「雷が怖い」
「頭が痛い」
「腰も痛い」
と、ぐずぐず言っていた。

6時半ごろ、家の固定電話が鳴った。

よく考えてみると、ボクの仕事の電話は携帯かスマホだし、
子どもたちからの電話も、携帯かスマホである。


まだパジャマ姿の鬼嫁が、ネコなで声で、
「はい、分かりました。わざわざご丁寧にありがとうございました」
と受け答えしていた。


朝飯を食べながら、鬼嫁が言った。

「今時は 連絡網なんてないのよ」


…個人情報がうるさいし、もしも途中で、認知症のお宅があったら、そこで話が途切れたり、全く違う話になるから…今は班長さんがそれぞれに連絡するようになっているのよ。お分かり!?」


「はい わかりました。 よ~く 分かりました」


…おしまい。


2014年7月12日 (土)

鬼嫁は買い物に行く

鬼嫁のアラームで目が覚めた。

7:30だった。

なるほど…これが休日モードらしい。

日は高く上り、鳥の声も遠くに聞こえる。


頭が重い。
昨夜もよく呑んで、最終電車の一つ前で帰ってきた。


たぶん最終電車だったら、徳山駅まで迎えに来させただろう。
30分も待てない。


明日は雨が降りそうだ。
一週間、仕事で離れただけで、草は猛烈に伸びている。

昼からH高野球部の初戦がある。
母の病院に近いので、応援がてらに見舞いに行こうかと逡巡した。

少し迷ったが、
「どうせ草を刈るのだから昼にビールを呑まない手はない!」
という悪魔の誘惑に負けた。


草刈り機を取り出して、草刈りに明け暮れる。


何度も休みながら、
「ボクは草を刈るために生まれてきたのか」
と真面目に思った。

誰も刈ってくれない。
放っておいて、見て見ぬふりをすれば、めでたしめでたしなのだが、草が伸びるだけなので、ボクが刈るしかない。

1時間おきにベランダで休む。
麦茶とカルピスをがぶ飲みして、ガリガリ君をかじる。

休むたびに鬼嫁が聞いてくる。
「どれがいいの?」


頭に血が上って、
「ええから…なんでもええから…早う持ってこい!」
と告げる。


がぶ飲みしようとしたら、むせかえった。

「なんか!? こりゃ~!」

「カルピスソーダ!」

「先にそれを言え!」

「えかった?」

「まさか! おまえ!ハイボールの炭酸水を使こうたんじゃなかろうの!?」

「あたり!」


「ばかたれ! あと何本あるんか!?」

「一本あるけど」

「イッポン? バカたれが!!! すぐ1ダース買いに行け! バカたれが!!」

20分後、ソーメン定食の片づけを済ませた鬼嫁様は、昨夜旦那を迎えに行った愛車で…今度はソーダ水を買いに行きました。

おしまい。


2014年7月11日 (金)

新山口

どうして酒の席になると頑張れるのか…自分でもよく分からない。

でも家まで帰る。


鬼嫁に迎えを頼んだのだが、本当に来てくれるのだろうか?

愛は通じるはずだ。


我が家はラブラブである。


一時間後に結果が出る

2014年7月10日 (木)

一山越えたか?

ふ~ぅ…当面の仕事の山を越えた。

でも稜線に這い上がっただけなので、これからアップダウンのある縦走路を進まなければならない。


さて、先週の日曜日に母を見舞ったときのこと。

田んぼの状況を話す中で、先般修理したポンプ代のことに触れた。


「ポンプ屋が○○万円かかるというから、どうしたもんかとTさんと相談して結局修理したんよ」

母の返事はこうだった。
「まあ~そんなにするんかね。●●万円も払うたんかね」
…見事な割り算であった。


「お母さん…÷2が計算できるんかね?」
「そのくらい分かるいね」
…一瞬、認知症が治ったのかと思った。

でも2分もしないうちに、

「田植えはしたかね?」
「6月の初めにしたよ」
「田んぼの水はあるかね?」
「ポンプを修理したから大丈夫」
「ポンプが動かんようになったんかね?」
「……高かったけど」
「なんぼしたんかね?」
「○○万円」
…という按配である。

あとは同じ話をグルグル繰り返す。


やはりメモリが壊れている。
瞬間的には、相手を認知し、会話も交わし、計算もできるのに…。

この話を聞いて鬼嫁が話を始めた。


「この間、書類の手続きをするときに、住所氏名を書いてもらったの」

「どのくらい書けた?」

「氏名はきちんと…でも現住所欄になって…」

「ほう…」

「『ここは どこかいね?』と聞かれたから、『どこでしょうか?』と問い返したら…」

「H市○○△○丁目までスラスラ書けたんよ」

「それから?」

「そこで筆が停まって…番地は…なんじゃったかいね?…でおしまい」

「そこまで書けたか…ワシなら酔うたらダメかもしれん…」

「あんた そねえなっても わたしゃ 知らんよ!」

…と、まるで母の扱いと同じような雰囲気になった。


ボクが正しい大和男子なら蹴りあげて跪かせるところだが、今言ったことは明日には忘れてしまうので、
「ふ~ん」
と誤魔化しておいた。


今のボクは、目の前の出来事しか対処できない。


視野が情けないほど狭まって、上から俯瞰する余裕もない。

「これではいかん!」
と心の片隅で思うが、「えい!ヤア!」
で片づけてしまう。


それが危険を招くことは想像できるが、疲れて考えたくないときは、どうしてもそっちに流される。

山での事故や遭難も、そんな所で発生している。


何処でもかしこでも石橋を叩きたくはないが、事件事故が起こるときには、必ず、
「まあ いいか」
が存在している。


お経を唱えたり、学究に勤しめば越えられる壁なら歓迎するが、これが人間の『業』である。

楽がしたい、気を緩めたい。


その反対は、自分を追い詰めて、それで自分を安全地帯に逃げ込んでいるだけだ。


困難に出会ったら、それにおののき、助けを探し、後ろを見て…そして前を見る。


そのとき どういう表情をして どういう言葉をつぶやくか…が、その人の魅力だと思う。

2014年7月 8日 (火)

もうちょっと待ってくだされ

昨日は仕事で山口泊。


今週は台風が来るので、再び山口泊だろう。


色々思うことがあるが、鬼嫁とケンカしたので…おしまい!

なお、正義はボクの方にある。


詳細は追って書きます。

とりあえず自宅にて。


2014年7月 5日 (土)

ふぅ~Ⅲ

今宵は職場の先輩諸氏と語る会だった。


あちこちでハッパをかけられていたが、ようやくF樹木医にあいさつに行くことができた。


今の部署と関係があるところなので、話に花が咲いた。


「明日、Iクマ対策特殊部隊長と会う機会があるので、是非…今月中にヤブ山突撃隊の連中と…呑もう!」
ということになった。


ヤブ山突撃隊は、この一年招集していないが、今月中には、
「とりあえず…呑んで話そう」
ということになってしまった。


山には行きたいが、明日と来週のうちに、とりあえず家の周りの草を刈っておかないと大変なことになる。


匹見を紹介してもらったのはF樹木医だし、
その後の突撃のアシストをしてもらったのは、山口山の会のY代表とぼっちさんである。


…ぼっちさんも 誘おうっと。(業務連絡:生きていますか?)


今月の連休は何処かに行きたいが、鬼嫁の欲求不満を解消してやらなければならない。

九州はこむのがイヤだし、ボクの好きな西中国山地は展望がないので鬼嫁が嫌う。


今朝の草刈りの筋肉痛がひどい。

この二週間のつけが出たようだ。

足の筋力は衰え、踏ん張りがきかない。

明日は残りの草を刈るが、いくら頑張っても…もう半日足りない。

明日も昼には二缶のビールがいりそうだ。


ビールのために草を刈るのではないが、ビールがなければ達成感が生まれない。


今宵の集いでは、

「私も あと1年半 で皆さんの仲間入りですから」
と言って回ったが、

「なにぃ~ お前がここに入ってくるには5年早いんじゃないか?!」
と言われた。


「ボクは 59歳になりました」
と返答したら、


「おまえ そんなに 歳を食ったのか!?」
と呆れられた。


…久しぶりに 先輩諸氏からの 辛辣な?激励を受けた。


2014年7月 4日 (金)

ふぅ~Ⅱ

すみません。

ようやく息を吹き返した。

「えへん!」

そもそもボクは、どんな苦難があろうとも、それを乗り越える…はずだった。


仕事は適当にこなしたが、

どうにも我慢できなったのが、

「ヤブ山なら どうにか やるだろう」
という風潮だった。

これが辛かった。


正直、これが一番困る。

本人が一番いい迷惑である。

あのね…人の所為や 人頼みにせずに 自分でやってほしい…のよね。

 
  

「お前なら できる!」
と、言われたことを思い出した。


「できるわけがない!!」
というのが本音だ。


「なんで、いくつになっても こんな役割を続けていかなければならないのか!?」
と嘆きたい。


そして、その相手が目の前にいるのなら、


「わりゃ~ ええころに せ~よ!!!」

と大声で吼えて、胸倉を掴んで、目を見て…叫びたい。

明日、午前中に少し草を刈って、山口へ出動しなければならない。


鬼嫁は、そのことに協力的だが、金銭面の相談に応じる気配はない。


世の中、金だけではないと思うが、


ヘロヘロになったおじさんを助けようという気はないようだ。

どこかの家のように、

花を買って帰ったら、5年ぐらいは安泰であればいいのだが、我が家はそうはがいかない。


鬼嫁、明日の送りを頼んだら、


「わたしゃ~ しらんよ! また わざわざ  山口まで  呑みに行くかね!?」

と我関せずの返事であった。

ボクにとっては仕事なのだが、鬼嫁にとっては バカ夫のこと なのだろう。


「だれが わざわざ 休日に行くか!」
と叫びたいが、 バカ嫁に言っても らちがあかぬ。


あちこちに、しゃれたコメントを書きたいが、今のボクには無理です。


…今週は、疲れました。


ごめんなさい。


 
  


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