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2015年4月14日 (火)

テリトリー論

たまたまテレビを見ていたら、裁判の結果などのニュースや色々な成功事例が紹介されていた。


それぞれいいことなのかもしれないが、どうもおかしい。
正しいことを主張したり、成功した事例だけを捉えてもてはやしている。


司法の判決はどっちでもよかったのだが、その判決根拠に腹が立った。
司法で扱えるテリトリーを超えているのに、それに理由を付して不可としたことである。


自分のテリトリーを超えた時は、『当方ではあずかり知らぬ』と不問に付すべきである。
こんな専門的な訴訟については、裁判官自身の価値観で決定すべきではない。

誰も裁けぬ状況である場合であれば、そういう状況を保証することに力を注ぐべき出る。
訴えがあったことを根拠に、あずかり知らぬテリトリーで裁きを下してはならない。

そういう不測の事態に対する対応を憲法で保証すべきである。


色々なイデオロギーがある。
でもそれを身分が保障された裁判官が全てを裁くことには無理がある。
訴訟で全てを解決しようとする文化は日本には合わない。

だから法整備を考えるのだ。


次に被災地での成功事例の紹介があった。

イチゴが一粒 千円で 売れる…そうだ。

近代的な工場で作った苺が 千円で売れるそうだ。


そんな うまい話があったら 日本中にそれをつくればいい。
それを海外に売ったら すべてがうまくいく。


金が余れば 全てを株につぎ込めばいい。
それでお金をジャブジャブ稼いで国が繁栄するがいい。


こんなことで人間の悩みを解消してくれるのなら、ボクはいつでも参加する。


…今日紹介したことは みんな他人任せの話である。

だから、ボクは 絶対に 頷かない。

自分で汗をかいたものでない限り 偽物としか思えない。

これがボクの『テリトリー論』の…逆説的な序章である。


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