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2015年7月24日 (金)

心の恥辱と焦燥

ようやく家に帰ってきた。

近所の団地ではバーベキューもやっている。


いまでは団地の中で、草にまみれてボロボロになっても平気である。

思春期当時の恥ずかしさはどこに行ったのだろうか?
あの頃は、自分がこんな百姓仕事をしているところを見られるのが、恥ずかしくて、恥ずかしくて仕方がなかった。


今の自分には、それが消えて、むしろ誇らしく思っている。

どうしてこんな心境になって来たのだろうか?

転機がいつごろか思い返してみたが、どうもその転換期が分からない。

労働を恥ずかしく思っていたのか、こんな家に住んでいるのが恥ずかしかったのか…思い出せない。


今では、「こんな贅沢な道楽をやって…」と言われているが、とにかく恥ずかしくなくなっている。


やっていることは、昔よりももっと恥ずかしいぐらいだ。

歳をとったから恥ずかしさが消えたのかと思ってもみたが、どうも違うような気がする。


「大阪のおばちゃんは…こんな心境なのだろうか?」
と想像してみたが、これもどうも違うようだ。


「恥ずかしさ」は…自分のことを他人に照射している。


だから…恥ずかしさには、人間の葛藤がある。


それに比べて、

厚かましさには…人間のおごりがある。

自分を忘れて、他人への攻撃しかない。

それでいいのだ。

自分を守ればいいのだ。


どちらも人間の感情であるが、同じ人間でこういう感じ方の違いが出ることがよく分からない。

これが分かるのなら…せっせと重い荷を負わせればいい。

それを負担に感じる人には…軽い荷にしてあげよう。


責任感は誰にでもあるが、責任を背負うこととは別次元の話である。


そう言い切るボクは…冷たい人間である。


恥辱が加齢で飛んで行ったのか、痴呆のなせる業か…よく分からぬ。


 
 
 

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