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2015年8月10日 (月)

努力が結果につながるときに希望というバラメーターが邪魔するという定義に対する反論

大変難しいテーマである。

努力すれば全てが報われるのであれば、人類みな幸せである。


努力ができない人もいるし、背伸びしている人もいる。

ハナから諦めたら何も得られないし、できるワケがないことを望んでも出来るワケがない。

これを言いかえれば、物理的にできないことにいくら挑戦してもダメなものは、いくらやってもダメである。


そのとき、「みんなで一緒に頑張りましょう」という悪魔のささやきが聞こえるときがある。


みんなできないのだから、みんなでそれを嘆き悲しみ天に祈るのだ。

ところが、ボクは天の邪鬼だから、そんなささやき声が大嫌いだ。

一緒に念仏を唱えたり、合唱したり、行進したくない。


そんな自分がイヤでイヤで仕方がないから…そっとして置いて欲しいのだ。

希望は…ときどき…願望に姿を変えて誘惑してくる。


希望は…強い意志であらねばならぬ。


絶望にあるときは、素直な希望であるべき。


希望が願望に変わった時は、それを破棄せなばならぬ。


希望は 捨てよ!

空にではなく 足元に 投げ捨てよ!


そして 踏みつけよ! 
 
 

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