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2016年2月

2016年2月28日 (日)

心機一転

あと一月で定年退職を迎える。

全て換えることにした。

今日は車を換えた。

梅田のような事件を起こしてはいけないので、自動ブレーキなどが搭載されたものに換えた。

これで他人様を攻撃することはなくなる?はずである。

あとは…スマホと鬼嫁…を換えれば手続き完了である。


2016年2月26日 (金)

モールス信号が通じない

退職前になって、ようやく?…とうとう?気づいてしまった。


通じないのである。

ピンチになった時に起死回生の手段がダメみたいだ。


悲しいことだ。
まさか…と思いたい。

でもこれが現実である。

「これなら気付いてくれる…」
と皮算用したのが間違いだった。

気付かないのだ。
知らないのだ。

そして、「それが…なんなのだ!?」の世界である。

モールスはどこへ行ったのだろうか。

だれも分からない。

ボクも解読できない。

だれも なにも 分からなくなるのだろう。

…悲しい。


 
 
 

2016年2月25日 (木)

何か書くか

ほとんど死にかけの状態であった。


インフルエンザではない風邪をひいたまま、可愛い部下たちの送別会に精を出した。


その一方で、目の前の仕事をかたずけなければならない。
最後の仕事なのだが、どうも色々なことがあって大変だった。


「まだ見た目は若いのに…」
というお世辞は頂くが、加齢はごまかしようがない。


なんだ、かんだ、言っても…歳はとる。
何もしなくても全てが分かる時代は過去のものである。


それに禍が混じってくると、もうどうでもよくなる。
爺さんの症候群である。


「もっと頑張ってあげたいとは思っていたのだが、そうもいかぬ齢になった…」
と、最近は後輩に申しておる。


そんな言葉を吐いていると、後輩たちが口々に言う。

「どうやっても(あがいても)…死ぬんでしょうが!」

ボクは言った。

「わしは もう 死んでいるんじゃ…」

一瞬の静寂を待たずして、部下たちはこう言う。

「死んでいませんけど…」

「やかましい!」


「やっと聞けたね」
「酔っちょらんのかねえ?」
「これから怒るんじゃろうか?」


そこでもう一回。

「やかましい~ぃ!お前ら!!」

 
 
 


2016年2月18日 (木)

男の美学、矜持

どちらも翻訳語としては傑作に属するものだったが、いまではゲスの部類とされている。

悲しいが、引き合いに出された人物の言動からすると仕方がないのかもしれない。


ボクが好きなこの二つの言葉を貶められたし、ボクの身辺にもこのような心当たりがあるので、暫く封印することにした。


人間には…『欲』というものがあって、これにのめり込もうが、嫌おうが、学説の対象にしようが…どうでもいいのだが、これをどうやって克服するかが…人生だと思う。


それを 『品格』とか『徳』とか…冒頭に書いた二つの言葉に代弁されるのだが、これがデタラメになってきたのでますます世の中がイヤになってきた。

ボクにも色々な場面に直面するのだが、その役になりきっている人物が次々と現れてくる。

人間は…いつまでたっても、自分を基準にして相手を見てしまうので、この歳になっても、自分の美学・矜持に合わない人に出会うととまどう。


大人になるにつれて成長する、変わっていく…と思っていても、源泉が変わらない人もいる。


子ども心に、相手を容赦してあげたことがあるだろう。

いけないことは…かすかにでも、わかっていたはずだ。


それが大人になってもできるか?

ボクにはできない。

ボクには慈悲の心がない。


赦してあげようという気がなくなった。

ボクの美学と矜持は地に落ちてしまったが、ジェダイではないのでどうでもいい。

 
去年の終わりごろから二回も右手の爪を途中で切ってしまった。

何かの前兆だったのかもしれない。

親指の爪はようやく以前に戻ったが、肝心の中指の爪はやっと肉の元から伸び始めた。

ボクの美学と矜持は…そんなものだろう。

 
 

2016年2月13日 (土)

退職寸前のおじさんの思うこと

ブログを読んでいたら、tobinokoどのが山口まで攻めてきたことを知った。

テンを棍棒で殺す…手ごわい相手である。
一撃を交わされたら、何をするか分からない。


たぶん小郡のホテルに宿すと思われる。
飲み屋も駅北の…たぶんあの一角になるだろう。


そんなのん兵衛のおっさんはどうでもいい。
夕方になって、ようやく僕も外に出る気になった。

庭の白梅は満開寸前である。

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少し下がると…紅梅がある。
いつもなら一月遅れるのだが、今年は早い。

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雨がやまない。
雪なら許せるが、この時期の雨は嫌いだ。

たぶん雨も恥ずかしいだろう。


この時期は雪にならなければいけないのだ。
それが大人の証である。


そのせいか、雨らしく激しく降っている。
でも似合わない。

雪になれ!

家の前に出て、裏山のズーム写真を撮った。

巨木の森プロジェクトはなかなか進まない。


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足元に目を移すと、彼岸花が屋上屋を重ねていた。

自分たちの繁栄を願えばいいのだが、自分だけの生長を願って、他人の上に自分の栄華を極めようとしている。

醜い姿だが、これが生きる術なのだろう。

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自分の子孫の上に自分の根を張って、自分を咲かそうとしている。

僕の美学には合わない。

嫌いだ。

いつか懲らしめてやる。

 
 
 
 


2016年2月 7日 (日)

今日も山仕事

少し寒いが、今朝も裏山に上がる。

巨木の森プロジェクトは、とにかく大木を残して、目障りな雑木を切るのだ。

でも急斜面の雑木をどうやって切って、どうやって始末をするかが難しい。


チェーンソーを使ったり、手鋸でゆっくり切っていると、下のTさんが道の方から声をかけてきた。


「だいぶ変わったけど、どこまでやるん?」

「ボクの木が済むまで!」

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これが遠景だ。


祝島の左には半島が見えた。

ここまで遠望が利くことは珍しい。

地図で調べてみたら…四国の佐田半島だった。
ここまで見えるのか…。


倍率を上げるとこうなる。


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山の中は温かい。

風もなく、鳥のさえずりが聞こえるだけの世界だ。


上を見上げるとこうなる。

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少し奥に入ると、こんな景色になる。


瀬戸内海が眺められるのは貴重だと思うが、これを維持する…いや、復活させるのは大変だ。

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山は生き物。

座り込んで休む。


木々にとっては迷惑だろうが、ボクの好きな森に変わってもらう。


すまんが、そうしたいのだ。

 
 
 
 

2016年2月 6日 (土)

ひとり山へ

山に上がりたいが、冬のこの時期は裏山の仕事である。


チェーンソーの刃を研いで、担いで裏山に上がる。
重たい。
機械は重たい。


でも、チェーンソーを担いでいると、男になる気が湧いてくる。
「男だ!」という気持ちが出る。

これは、漁船で海に出る時と同じようなアドレナリンが出るのだろう。

山桜が見えるように、周囲の木を切りまくった。

7~8本切った時に、ようやく全貌が見えてきた。


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何度も休む。

とにかくケガをしないように、慎重にやる。

グルグル回るチェンソーン刃を見ながら、しっかりヘルメットを被って、体に寄せて切りまくる。

これが少しは離れたところからの写真。


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昼まで頑張った。

あれだけ切ったのに、下に降りて眺めてみると…ほとんど変わらない。


悔しくて、明日の切りどころを吟味した。


 
 
 

2016年2月 3日 (水)

ラーメンとギョーザとビールと男と女

これは人生論である。


ボクはグルメではない。
食の欲求を適度に満たせれば、要するに何でもよい。
だからラーメンはどんな種類でもいい。
食えればいい。


ここでギョーザが登場する。
単独でもいいのだが、ギョーザはだいたいラーメンがあるところでしか食べられない。


ボクはギョーザが好きである。
間違いなく鬼嫁よりも数段好きである。


問題はこれにビールが絡むからである。
ギョーザにはビールがないと存在意味がない。
ビールを飲みながら食せればこそ、こやつは人から頼られるのだ。
ボクはそれが分かっているので、いつも二人をセットで頼んでいる。


さて、本題である。


これに男と女が加わると話がこじれる。
特に自分勝手な女がいると、極楽から地獄に落ちる。


具体的に言うと、鬼嫁は、昔ながらの中華そばがすき…らしい。

ボクには全くこだわりはない。
ラーメンはどうでもいいから、ギョーザとビールがあればいいのだ。

ところが、こんな店はなかなか見つからない。
昔ながらの中華そば屋さんにはギョーザがないことが多い。

やっと見つけても、ギョーザが焼けてくる頃には…ビールを2本消費しなければならない。

これはギョーザの最大の弱点である。とにかく時間がかかる。

たいていのギョーザはいくら時間を費やしても…時間を超越することはできない。

さて、鬼嫁は貪欲に食べるので、ボクが酔った頃にはどんぶりは空である。

だいたい、いつもこのあたりで夫婦げんかになる。

「ビールが呑みたいのなら…ついでに家に帰って呑めばいいのに!」

「やかましい! ギョーザが遅いんじゃ!!」

いつもこうなる。

たぶん、ラーメンとギョーザと女が悪いのだと思う。

ビールと男はいいやつだろう。

それにひきかえ、ラーメンと女は悪い。どちらも性根が悪い。


だから今宵は人生論なのである。

2016年2月 1日 (月)

コミュニティ論

今宵、例の食品廃棄物の横流し問題で、ある消費者問題研究の権威がうんちくを述べていた。


どうやら…廃棄物処理を委託した本家の確認作業が十分でないという主張であった。


事実、あるメーカーは廃棄する食品を二人で全てチェックしながら、廃棄物を袋から出して処理業者に引き渡すという映像が流れた。


「これが本来あるべき姿です」
と解説していた。

それをみて唸ってしまった。


「ならば…あなたは自分の廃棄物(つまり…あれです)を責任を持ってチェックしているか?」
と問いたい。


みんな…イヤなことは金で済ませたいのだ。

自分で肥(こえ)をかえることが厭だから、お金を払って処理を任せているのだ。
それが大勢になってきたから、行政で税金を使って処理するようになってきたのだ。


みんなでお金を出し合って、何かを頼むようになると、少しでも安いところに頼むのが必然である。

そこで…ズルい連中が闊歩するようになる。

お金で済ませるとうことは、「後は任せるわね」という構造だから、人は見て見ぬふりをするのである。

この時点で、人は自分の責任を放棄…転嫁している。

ズルい人間は周囲にいたはずだ。

誰にも記憶があるだろう。

どうしようもないが、そうである。

楽をしていいことをしよう…という人間が…残念ながら存在している。

色んなところに入り込んでいて、駆除することは困難だ。


さて、人間のイヤな部分にお金を払ってしまうと、何かがあったら、その人のせいにしようという…人間の弱い気持ちがある。

…コミュニティは、こんな人の弱さの中で成り立っている。

それを忘れて、他人に目くじらを立てても仕方がない。

それこそ、そういう輩の思うつぼだ。


自分がどれだけ楽をして、汚いものから目をそむけてきたかを、まず反省してから考えるべきだ。


そうすれば…自分の原罪におののく…だろう。

そういう人が一人でも多く残っていることを望む。


もう ボクには そんな気力がないから。


 

  

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