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2016年8月

2016年8月31日 (水)

あなたは だれですか?

家の周りの草刈りは三日かかる。

今日はその最終日だ。
初めに刈った所はもう伸び始めている。


芝生の真ん中に何かがニョキニョキと伸びていた。


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アップするとこんな植物?


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たぶん初めのヤツは切った。
でも次が伸びているようだ。


先達は怪しい色をしていたが、彼か彼女か知らんがいずれにしても怪しい色だ。
月に向けて咲くのだろうか。

もう二週間もすれば彼岸花が咲き始めるというのに、変な花だ。


2016年8月29日 (月)

吾輩は ジジイ である

昨晩、出張から三日ぶりに帰ってきた。

田んぼが心配なので、鬼嫁には水管理を色々と指示していたのだが、肝心なところで、
「わたしゃ~ よう分からん!」
と投げやりになる。

こんな女は要らぬ。
指示されたことしかできないのであれば、さっさとどこかにいけばいい。
でも、トドの体つきをしているが、駅まで車で迎えに来てくれたのでイヤイヤ許してやった。

さて、今日である。
昨夜は念願の雨が降った。
畑も田んぼも水を待っていた。
これでいいのだ。


実は、今日から3日間、代休と夏休みを使ってどこかにラブラブ山登りを計画していたのだが、天候が悪いので中止にしていた。
だから爆睡。


畑も家の前の空き地が草ボーボーになっていたので、9時過ぎから草刈りに精を出した。
幸いなことに涼しいので猛烈に頑張った。

昼前、きれいになった空き地を眺めながら、草刈り機のナイロンヒモを巻き直していたら、近所の子供たちが空き地に上がってきた。
結構広いので、ときどき子どもたちの遊び場になっている。


「きれい!」
「あそぼ!」
という声の後ろから、

「おじいさんがいるよ!」
という声がして、子どもたちが帰って行った。


こう見えても…ボクは『じじい』である。
孫たちから『じいじ』と呼ばれても、甘んじて受けていた。


「なにぃ! おじいさん!?」
と独り言で呟いた。

吾輩は 『じじい』 であって、『おじいさん』 ではないのだ!


冷静なってみれば、『じじい』よりも『おじいさん』 の方が丁寧語やもしれぬ。
しかし解せね。
『おじいちゃん』 のほうがまだマシなような気がする。

年寄りは老い先短いのだから敬語なんぞ使うことはないのだ。
そんな風に敬われることが頭に来るのだ。

『ジジイ』でいいのである!
尊敬する必要はないのだ。
ジジイはさっさと死んでいくのだ。
放っておけばいいのだ。


そのことと、「慇懃無礼」ということについて教えてやろうかと思ったが、相手は小学校の低学年であった。
こんな小さい子供に通用するような術は知らぬ。
声を荒げるか、手をあげることしか思いつかない。

吾輩は ジジイ なのだ!
おじいさんではないのだ!

…ホントに 哀しかった。


2016年8月23日 (火)

敵もさる者

今日まで代休を取ったが、暑くて死にそうだ。

白ネギだけは冬に使うので、8時過ぎから草むしりに勤しんだ。
草ボーボー状態なのだが、畝の草だけは根から抜いておかないと再びはびこってしまうので頑張った。


指先はしびれてくるし、根も堅い。


1時間で根をあげて…シャワーを浴びてビールを呑もうと固い決意をした。


「あなた!まだ10時よ!」
という鬼嫁の叱責はあったが、ビールを呑まないと熱中症になってしまうので、健康上の理由で呑むことにした。


裸になって冷蔵庫を空けてみると、「金麦」の後ろに…まじめなビールがあった。
「おお!これは御褒美に違いない!」
と手に取るなり、すぐに缶のふちに口をつけた。

「あああああ!」
という鬼嫁の声が聞こえた。

こういう時は…早い者勝ちである。


まじめなビールはおいしかった。
これぞビールである。


シャワーを浴びたときには、57.6㌔であった。

あとは しらない。

※追伸
肝心なことを書くのを忘れてしまった。
再び、イノシシが荒らしていた。
車にはねられたヤツとは別物らしい。
ボクが復元したビートープと畑はグチャグチャ。
やっぱり狩猟免許を取るしかないか。

2016年8月22日 (月)

deta deta hoga deta

毎週、出張が続いている。

きっちり代休は取っているのだが、暑くて何もできない。
ブログを更新する気も失せてしまった。


土日に仕事をして、平日に休むことに慣れてしまったが、こんなに暑いと何もする気が起きない。

出張の間、鬼嫁には田んぼの水周りのメールのやり取りをしている。


おかげで、今日、田んぼをみてみると、稲穂が出ていた。

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それから1時間、夕方2時間田んぼの畦草を刈った。

ヘロヘロである。

真夏に草刈りをする人は、もっと大事にされるべきだ。


2016年8月17日 (水)

真夏の戦い

やっと書く気になった。

リオデジャネイロに行っていたわけではないが、このところずっと戦いの場に通っていた。
土日に出かけては二日ほど代休を取るという変則的な日々が続いたので、曜日や生活習慣がぐちゃぐちゃになってブログもすっかりルーチンから外れてしまっていた。


そんな中でも、tobinokoさんが書かれたように、昨朝、一月ぶりに雨が降った。

田んぼは梅雨時期の長雨で山からの出水で凌いでいたが、畑や庭木はカラカラ状態であった。


盆には子どもたちが孫を連れて帰って大変な目にあった。

最近は、盆に帰省して祖父母にランドセルを買ってもらうらしい。
ボクが仕事でいない間に、鬼嫁は二番目の孫に感謝されたそうだ。
見本のランドセルを背負って記念撮影をして、暮れには配達されるシステムになっている。


たぶんお金を出しているのはボクなのだが、
「じいじ!ランドセルを買ってもらったよ!」
と、孫から…感謝と言うか…報告があった。


特に長女の家族は、『細雪』状態なので喧騒はすさまじく…じいじは…二日のつきあいで疲れてしまった。
仕事があったのでよかったみたいだ。

さて、今日はせっかくの代休日。
今月は社の当番なので、草刈り機をかついで裏山に上がろうとしたら…イノシシが家の横のビオトープを掘り返していた。

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とりあえず見なかったことにして社まで上がった。
ナイロンカッターで40分草を刈った。

降りはじめたら果樹栽培をしているKさんが仕事を始めたところだった。
話を聞くと、サルにナシやイチジクをやられてひどい被害らしい。


おまけに、イガイガの生えている青い栗も皮をむいて食べるそうだ。

「電気柵を張りたいけど、今度は…あれ(人間)…にバッテリーを盗まれるから…金網を張り巡らすしかないかも」
と悲しそうだった。

イノシシの話をしたら、
「さっき裏の道路に大きなイノシシが車にはねられて死んでいた」
という。


たぶん我が家のビオトープを掘り返したヤツだろう。
たらふくミミズを食べたので避け切れなかったのかもしれない。


家まで降りて、ビオトープの復旧だ。

掘り返してみると、水の吹き出し口を見つけた。

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写真では分からないが、表土の下には花崗岩っぽい層があって、そこから湧き出しているようだ。

そもそもここは以前、小さな堤があった。
たぶんその当時からここから湧いていたのだろう。

ドロドロの溝を切って…なんとか終了。

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道路で成仏したイノシシが、ここを荒らしたヤツかどうか分からないが、
「ええ加減にせえよ!」


無益な戦いは好まぬ


2016年8月 4日 (木)

いま 尖っているか 丸いか?

盆には孫たちが帰ってくるので、ボクが死ぬ前に色々言っておかなければならないと思っている。

自分のことを思えば…たぶん小学生の高学年以上でないと言葉は頭には残らないのだが、ボクが余命短いのでそろそろこの頃から言っておかないと間に合わない。


まず個性のことである。

個性というものは、自分ではわからない。
少し気づいているのだが自信がない。
もしもあったら自信過剰である。


標題に書いたが、「尖っている」か「丸い」である。

これは性格がキツイかオダヤカではない。
その時々の気持ちである。


人間はいつも前向きではいられない。
でも、その逆の暗い世界ばかりでは腐ってしまう。

世の中の『いい子』たちは、この呪縛で苦しめられている。

いつも『いい子』をしていたくなる。
悪いことはしているが、してはいけないので…自分を責める。


そこで気がついた。
孫たちには…こう言おう。


「ええか!今の自分の気持ちが…もしも丸かったら…何かを頑張れ!でも、もしも尖っていたら…休め!」
…これで通じるかのぅ。


そのときは短調と長調を弾いてみるか。
…これで分かるかのぅ。


そこで想定問答である。
「じいじは どっちなの?」

これが答である。

「じいじは もう わからんようになったんじゃ!」

…おしまい。

2016年8月 2日 (火)

還暦が青春に再会したときの感情

再就職の仕事で、青春時代真っ只中の若者に接することが多い。

若者は上気した顔で喜怒哀楽を表に出している。


彼らを目の前にしたボクは人生の全てを悟っているかといえば、全く正反対である。

歳をとれば全てを悟っているかといえば、大いなるウソである。
偏った人生しか知らないし、もはや心体も動かないポンコツである。


思い起こせば、青春の真っただ中、全てが無垢であったかというとそうでもない。
ねたみや奢りなどドロドロとした醜いものがあった。
頑張ったらいいことがあるという望みはあったが、次第に、
「素質がなければ何をやってもダメだ」
ということに気がついていった。


「レギュラーになれないし、市内でも優勝できないのに、まだ部活をやるの?」
「いくら勉強しても上位になれないのに、どうして学校に行くの?」
という漠然とした絶望感があった。


少しでも自慢できるようなことがあればあればまだ救われるが、そんな都合のいいことは滅多にない。
「個性を生かす」は…美辞麗句の範疇だろう。


改めて、還暦になって再び青春に出会って面喰ってしまった。

人間はどの過程にあっても目の前のことに影響される。
ただ青春時代は、それが目の前にあるだけだ。


…還暦の爺さんには スクリーンの映像でしかない。

生きていないのだ。何もかも。

 

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