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2016年11月

2016年11月30日 (水)

老害

今はスマホもあるし、こまめに更新しようとすればできるのだがその気にならない。

昨夜は湯田温泉泊であった。
1次会が長引いたので二次会に行く元気もなくなってホテルで爆睡。
…のつもりであったが、4時間後に目が覚めてしまった。

もう寝られない。
目をいくらつぶってみても一度逃げた睡魔は戻ってこない。
金を払っても来てくれぬ。


もう仕事はやめたいが、年金も出ないのに隠遁生活は無理だ。

なんだか、世の中のあらゆることがバカバカしく見えてきた。

「まだそんなことをやっているのか?」
と、思うことが多くなったい。

若者に将来の希望が持てないのと同様に、老人には日本の将来に希望が持てない。


「どうしてこんな日本になってしまったのだろうか?」
と、久しぶりに考えてみた。


まず担うべき世代が弱い。
責任感がない。
…言っておくが、責任感は「全ての責任をとる」のではなくて、「責任を持って全うする」ことである。


先に述べた世代は40~50代前半の世代の悪口だ。
彼らは絶望するほど情けない連中である。


団塊世代の後始末をしてきたボクの世代からすれば頭に来る。


「先人の殻を割れ!!!!」
と言いたい。

スマートなところは少しは評価してやってもいいが、
「お前たちには 勇気が足りん!」

…昨夜の懇親会では、そんなことを遠回しに伝えたつもりだ。

ストレートに怒鳴ってやる方がよかったのかもしれないが、退職してからはかつての部下には心底から言葉を浴びせることができなくなった。

言ってやった方がいいのだろうがやめた。

これが老害だろう。


退職したのだから…もう知らない。


 

2016年11月23日 (水)

全治一週間

咳をしたりするとまだ痛みが走るが、飛び上るようなこともなくなった。

ならばと思い家の脇に繁茂していたツツジの強選定にとりかかった。
が、しかし手強かった。

枝が猛烈に絡み合って、手鋸であちこち切りながら手をつけたことを悔やんだ。
後始末が絶望的なのだ。
次から次へと枝やツル、竹が出てきてしまった。

「やめよう」と思った時には遅かった。

10回ぐらい野焼きの場所に運んだ。
昔であればそのまま放っておいて、乾いた頃に焼けばよかったが今はそうはいかない。
だから里山は荒れていく。

でもそうはいかないので、一輪車に乗せて運んだ。


鬼嫁が、
「やっとお酒が抜けたのですか?」
と冷たい口調で問うてきた。
「バカ!死んでしまえ!」
と言いたかったが、先週の旅行の時に酔っぱらって転げてあばら骨が折れたことはひた隠しにしているので、
「調子が戻らなかっただけ!」
と平穏に答えておいた。


明日から寒くなるらしい。
また出張がある。

肋骨の痛みがひいてきたので、真面目な顔をして新幹線に乗ろう。


2016年11月20日 (日)

全治2週間かな?

一週間もブログを書いていなかった。

還暦を過ぎたじじい5人で九州旅行に行ってきた。
MHがドライバーで、車を調達するのはHである。

車代は出さないがあとはきちんと割り勘である。
MHは酒が飲めないので、「食べるときはいつも大盛り」で全てをチャラにするというルールがある。

旅行は波乱万丈であった。
こうして生きて帰ってきたが、最終日に事件があった。

朝から酒を呑み、昼も酒を呑み…最後にどこかの滝を見に行ったとき、事件が起きた。


滝の下り口で、ボクの右の足首がまた捻挫して滑落したのである。
数メートル落ちたらしく、酔った3人と素面のMHが心配してくれた。
ボクは泥だらけのズボンを寝巻用にもってきたスウェットに着替えて家に戻った。


鬼嫁には、「Hが後ろから押したので滑った」
と伝えて、そのまま爆睡した。

翌日は仕事だったが、朝、左胸が痛くて目が覚めた。
咳をしようとしたら、左胸に猛烈な痛みが走った。


以前、山で肋骨を折ったときと同じ症状である。
肋骨や胸骨が痛んでいるのだろうが、呼吸はできるし、心臓も動いているのでそのまま仕事に行った。
その夜は懇親会で酒を呑んで、山口に泊まった。


ホテルの朝は大変であった。
体を特定の方向に傾けると、飛び上るような痛みが走る。
咳をしても同じである。


この時点で、土曜日の周南山の会の忘年会?をドタキャンしようと思った。


が、結局、出席して2次会まで顔を出して、カラオケまで歌ってしまった。


今朝はまだ咳をしても飛び上っていたが、晩酌をしたら少し良くなってきた。
肋骨骨折は全治2週間だったが、今回も、たぶん胸骨のひび割れだろう。

まだ痛みはひかないが、この調子ならあと一週間で治るだろう。


やっぱり、山を歩くときは右足首にサポーターを巻いておこう。

全然、踏ん張れない。

周南山の会の皆様にはお世話になりました。
もう少し元気を出せればよかったのですが…すみません。

2016年11月13日 (日)

一日中酔っ払い

今日は義父の米寿の祝いであった。

でも、朝から鬼嫁と義母が何やらモメテいた。
間に入ると大変なことになるので、ことが収まるまで仕事をした。

肝心の義父は調子が悪いらしい。
ならば中止にするのが常であるが、強行することになったそうだ。

その少し前に義父の家というか…鬼米の実家に寄って様子を訪ねた。
米寿だからそれなりに齢を重ねている。


鬼嫁は、実父母と義母の三人の面倒をみているが、さらにわがままなボクまでいるので…大変らしい。


義弟というか…鬼嫁の妹一家と本人不在のまま米寿を祝い、義母はほとんど鬼嫁が歳をとればこうなる…状態であった。

そのまま帰りに理髪店に降ろしてもらった。

引退した元店主と雑談を交わしていると、一族がお笑いしていた。
どうやら元店主に対等に口を利くのはボクだけらしい。
しかも、ボクの突っ込みが元店主は苦手なようだ。
だからボクが店を覗くと、理髪店の家族が喜ぶ。


でも今日のボクはベロベロに近い状態であった。

「ヤブ山さん いらっしゃい!」
「はぁ~ もう家に帰る」

「散髪は?」
「もうええから 返る」

「まだ2時ですよ?」
「えっ! 夜中の2時?」
「昼です!
「もう帰る!」
「切ってから帰りなさい」

「おお!!!ヤブ山!!!!」
と、天敵が現れたのでありました。


…あとは省略します。


2016年11月12日 (土)

50年かぁ

昨夜は呑み。
湯田温泉で呑むのは久しぶりだった。
それなりの時間に帰ってきたのでよしとしよう。

今日は、タマネギのマルチを張った。
リスク分散のために二か所に150本用の準備である。

その後、開墾畑の際に枝を出しているハゼの木とチチンボの木を切った。
10センチ足らずの太さであるが、いざ倒すとなると大変である。

避けたつもりだったが、畑の上にばっさり倒れてピーマンが一本倒れてしまった。
鬼嫁に最後の実を取るように伝えた。

小さいピーマンまで収穫しながら、
「なんで こんなところに 植えたんかね!?」
と言う。

ピーマンのことかと思ったら、ハゼの木のことだった。


「バカか! ハゼの木は切っても切っても…切り口から生えてくるの!」
「そうなん…」

「あの三本杉は切ったら もうはえない。それよりも このハゼの木は植えていません!」
「そうなん…」

チェーンソーで切り刻んでやろうと思ったが、始末するには重すぎるのでやめた。


それにしても家の周りの山が皆伐されたのが40年前。
親父と畑の横に植えた杉は50年前。

みんな大きくなって、ボクの手に負えなくなっている。
50年前には、とにかく杉の木を植えよう…運動まっ盛りだった。

もうすこし奥の方の杉は雑木に負けているが、畑の横に植えた杉は天を突いている。


なんでも50年だろうな。

2016年11月10日 (木)

「もたれあい」の結末

アメリカ大統領選挙といいイギリスのEU離脱といい…豊洲の問題も同じ状況だと思う。

「たぶん だれかが(みんなが) きっと正しい審判を下してくれる…」
という精神状態である。

これは年齢別に顕著になる。
若者ほど他人を信用しないで、大凡正しい方に票が入る。

反対に、歳を取るほど、目の前の課題に対して本音の票を入れてしまう。

大人の対応とか、大人の事情という後ろめたい票を投じるのだ。


いつぞやの我が国の政権交代の時も、こんな心情が錯綜していたのだろう。


こんな選挙だから、
「あんなヤツがどうして立候補するのか?」
という素直な感情は、若者に顕著になり、老人は変革に流れる。


日本では若者の投票が18歳になった。
革新政党も保守政党もこぞって若者向けにキャンペーンを張ったが、どちらにも芳しい成果が出なかった。


若者は変革を望み、老人は保守に走る…そんな幻想はどこにもない。


若者は…まじめに目の前のことをみている。
老人は…もうこれからはどうでもいいのだ。


極論過ぎるが、今の世の中はこんなものだ。


さて、『もたれあい』 とは、これから先の話になる。
そんな時代の最先端を行く連中の話である。

今書いたような症候がどこにでもある時代になった。

しゃべったり書いたりすることが面倒になってきた。
顔をみるのもイヤだ。
退職したのだから好きなように暮らそう。


2016年11月 7日 (月)

N2翁も天国へ

昨夕、外に出ていると、下のTさんの家の動きがあわただしかった。

静かに眺めていると、Tさんが息を切らせてやってきた。

「親父が死んだ。いま、葬儀場に連れているところ…」
という話であった。


ボクが小さい時から、おじさんだったN2翁が亡くなった。

言葉の少ないおじさんだったが、色々な意味でお世話になった。
つい先日も、貯米器のジョーロを返しに行ったとき、縁側でひなたぼっこをしていた。
手を振ったが、気がつかない様子だったが、昼ご飯を食べているときに、突然亡くなったそうだ。


さっき、夜空を眺めながら思った。

「静かに そっと 終わりを迎えたい」


N一族は少なくなった。
見渡してみると、長老は下のNさんとボクになってしまった。

時代は…いきなり 突然やってくる。
ボクはそのお迎えを懇願しているのだが、まだその兆しがない。


あとはソフトランディングするだけだ。


静かに静かに静かに…天に飛び立ちたい。

 
 

2016年11月 5日 (土)

鍬をふるう

タマネギの苗が届くのは2週間後なので、せっせと畑を耕した。

鍬一本なので、10回打っては天を仰ぎ、3回苦情を言って、畝を耕す。

今年のタマネギはべと病にやられて、西中国地方は壊滅的な被害になった。
そのせいで、みんな苗を我先に買ったのだろうが、べと病が発生したら全滅なので、たくさん植えても効果はない。

なので、我が家の二か所の畑に植えることにした。
倉庫の裏は、開墾畑で肥やしが効いているが、イノシシ被害にあう。

柿木畑はさらさらの畑だったが、去年のべと病がひどかった。


半分ずつ植えることにした。
300本だから、10メートル×95㌢あればいい。


久しぶりに鍬を打ったが、腰が痛い。
腰椎ベルトを巻いているが、何度も腰を叩きながら天を仰いだ。


家に帰ると、庭の草取りをしていた鬼嫁が庭木の間から出てきた。
腰をトントン叩きながら出てきたが、まだ真っ直ぐ立てていない。

前傾姿勢のまま、腰を叩いている。
まるで ばあさんであった。
志村けんのババア姿と一緒だったので、声を出して笑ってしまった。


「なにが おかしいの?」

「完全に ばあさんだ!」

「あんただって じいさんよ!」


このまま数年したら その相手はいなくなる。

2016年11月 4日 (金)

極早生と中晩生と晩生の誓い

昨夜は、社の例祭と直会。
おかげで撃沈した。
でも早寝早起きである。

早起きは三文の得だが、職場に早く行っても得にはならないので、普通に出かけた。


さて、本題である。
噂には聞いていたが、『タマネギ』 の苗が店頭から消えていた。

今日、仕事の帰りにホームセンター2店、老舗の種苗店に立ち寄ったのだが、注文はおろか入荷停止状態であった。
あわててネットで探したが、ほとんど全て売り切れで、今後の発送予定なしの状態であった。
かろうじて、晩生の苗が300本確保できた。

そこで考えた。
「タマネギ苗の生産農家になろう!」

今年は、西日本各地で『べど病』が大発生した。
そのせいもあって、苗が出るや否や購入客が殺到して、11月になったばかりなのに入荷停止状態になってしまった。


鬼嫁は、ボクのネット注文を横目に、
「苗がそれだけするのなら 買った方が安いわ」
とほざいていたが、こういう人種は…、
「砂漠のど真ん中でも 金さえ出せばタマネギは買える」
と妄想を抱いているバカである。


そんな人は相手にしたくはないが、商売相手にしてあげたら儲かりそうな気がするので、ボクは『タマネギ苗の生産農家』になることにした。


タマネギの苗を作ったことはないが、『下仁田ネギ』の苗は毎年作っているので、なんとかなるかもしれない。

『どろなわ』とは、こういうことを揶揄しているのだろうが、山と一緒で…楽なことしか考えない日本人ばかりの世の中になっているから、冷や汗とウソ泣きの涙を流したら、意外とあっさり展望が開けるかもしれない。


来年はまじめに種を播こうと思う。
ほんとである。

2016年11月 2日 (水)

じじい達の平日

明日は地元の金毘羅社の秋の礼祭である。

今日は準備があるので、事前に休みを取っている。
9時前から準備をして1時間余りで飾り付け等の準備が整った。
家に降りて草刈りをして休んでいると、同級生のTから、
「お供え用の鯛を仕入れたぞ」
というメールが入った。

それを取りに行くやりとりをしているうちに、
「ひょっとして ヤブ山!お前今日は休みか?」
「そうだよ」

「今日はATの命日だから、実家に行って線香をあげて呑もうではないか!」
という素晴らしい提案があった。

みんな高校からの友人である。
ATはミュージシャンになって、10年前に夭折した。
彼の家は我が家の浴をはさんだ新興住宅地で、高校時代に知り合って、夜中にお互いの家の窓から蛍光灯をピカピカさせて遊んだ仲間である。

卒業後も年に二回、それぞれの実家でTやMH、M、Kたちで呑み明かしていた。

MHの運転で、ATの家に行った。
ボク以外の連中は毎年、命日には線香をあげに行っていたのだが、ボクは数十年ぶりだった。
ATの母親が皆を迎えているとき、ボクの顔を数秒眺めて、
「あなた…ヤブ山君?」
と呟いた。


「よく覚えておられましたね…」
「忘れんよ、やっぱりヤブ山君かね!」
その後、MHの脚本で先日公開された「10ミニッツ」と「大城湯けむり協奏曲」を鑑賞しながら、大笑いした。

1時間ばかりお邪魔して別れを告げたが、母上は、
「あんたらぁ~いつまでも仲ように面白うにしちょるね。ATも一緒に喜んじょるじゃろうね。ありがとうね」
と涙ながらに見送っていただいた。

先日母を亡くしたMが、
「ええお母ちゃんじゃのう」
と呟いた。


でも、そんな感傷には負けずにMの家で仕上げをしなければならぬ。

昼間からビールをやめて、一升瓶を振り回しながら酒盛りである。

翌々週から行くはずの「知覧旅行」の話になった。

「宿は取れた?」
「……」

「誰かしてる?」
「……」

「だれも動いてないの?」
「……」


そこで、急遽「知覧旅行」の宿確保が始まった。


MH以外の3人は酔っぱらいなので、適当に検索しては、MHに予約をさせる。
MHは顔が広いので、アメリカに電話して霧島旅館のお薦めの宿を聞き出すなど、平日の昼間に大変な騒ぎであった。


問題はMの大いびきであるが、とりあえず10畳の和室とシングル1室を予約した。
みんなMのいびきには辟易している。
特にMHは酷い目に合っているので、
「ボクはシングルを別に確保する」
と言い張ったが、
「現地でジャンケンで決めよう」
とうことで、二晩とも和室とシングル一つで予約が完了した。


「めでたい めでたい!」
と言いながら一升瓶を空にして散会となった。


MHに送ってもらいながら、
「なんでこんなに車が多いんじゃ!?」
と酔っ払いが叫んでいると、MHが、
「今は 平日の 夕方じゃけぇ!」
と言った。


…退職というものはいいものである。

2016年11月 1日 (火)

慣性に終止符を打つ

慣性とは…、ウィキペディアによれば、「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」
とされている。

つまり、いまの状態を続けたい…という万物の宿命である。

これは人間の精神状態にも直結するところがあって、たぶんこのブログにも何度か登場する法則である。


人間には喜怒哀楽が備わっているが、その中でも、
「今の状況にずっといたい」
という慣性が備わっている。

幸せならばそれでいいし、苦労続きならばこれ以上悪くなることはない…という願望…正確にいえば慣性がある。


この状態を打開するために、『メシア』 を探す。
ところが救世主はそんなことには目もくれず、天の声を発する。

われわれ人間は、その声の本意が分からずにざわざわする。

ものごとを壊すのは…「よそ者 若者 バカ者」であることは何度も書いた。

ところが、この世には「ニセモノ」が闊歩するようになった。
その真贋を検証することは難しい。
どれもこれも同じような面である。


慣性を思い出すがいい。
本物は動かない。

たぶん…偽物は 正体を現すはず。

▼補遺
今日は、「『慣性』をどうやって止めるか?」と、いうことを書こうと思っていたが、ある邪念が横恋慕してきた。
この歳になっても不思議な魅力にはフラフラとなびいてしまう。
これに打ち勝ったら、また明日、真面目に書こうと思う。

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