2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月

2017年1月31日 (火)

鬼嫁の慧眼

還暦を過ぎた夫婦に会話はほとんどない。

ましてやボクは遠距離通勤なので早朝出勤。
言葉を交わすとすれば夕食時ぐらいである。

テレビのニュースを聞きながら、
「トランプはあれだけ好き放題やって、楽しくて仕方がないだろうな。
 あいつはどうしようもない悪ガキだからどうしようもないけど、
 あいつを担いでいる連中の神経が分からん」

すると鬼嫁がこう言い放った。
「だから周りにいる連中が、いちばんタチが悪いのよ。
 ひどいことをしていると知っていながら…やってるわ」


僕はトランプや側近を自分に置き換えて、人間の心に潜むおぞましい野望や征服欲のようなものを思い浮かべていたのだが、
鬼嫁はあっさりと外から眺めていたのである。

ボクには勤め人の性として、
「自分ならこうする」
という思考パターンが埋め込まれているのだが、
専業主婦となった鬼嫁には外から見る眼が磨かれているようだ。


それにしてもトランプ政権はひどい。
反面教師を通り越している。
悪政の限りを尽くしたかつての暴君と同じだ。

彼らを引きずり降ろすために、膨大なエネルギーと多くの犠牲を払うのだろうか。

それにしても、なんど同じことをしなければいけないのだろうか。

そして…性善説と性悪説は永遠に語り継がれる。

 

2017年1月29日 (日)

雪に魅かれて善光寺参り

昨日、長野から帰ってきた。

いちばん寒い時に一番寒いところに行った。

長野は路肩に雪が積み上がり、日中も冷蔵庫の中に居るような…寒い寒いところだった。
仕事が終わったので、翌日、駅前から善光寺まで歩いて参拝に行った。

バスで150円ほどだが、1.8㌔なので頑張って歩くことにした。
標識もしっかりあるので、御利益を考慮すれば歩くに越したことはない。

30分弱で山門が見えてきた。

004


 
 
 

路肩の雪がいかに多いかお分かりいただけるだろう。

つるつる滑って大変だった。

007


 
 
 
 
こんな雪は久しぶりである。

でも善光寺にはお参りしておかないといけないので、そろそろと参道を進んだ。

「おや?」
と思って撮影したのが、この看板だ。
大きかったので、何が書いてあるのかとしげしげと眺めた。

005


 
 
 
 
 
そうか…ポケモンもお参りをしているのだ。

お賽銭に気持ちを込めて…お祈りをした。

土曜日は山口に移動するだけなので、帰路、沿線からの写真を撮った。

これが、日本の車窓百選に選ばれた長野の姿である。


011


 
 
 

夕方、光駅で鬼嫁の車に乗り込んだ。
何やら事件があったらしい。
「ふ~ん…」
と話を聞きながら家路についた。


さて、今日の午前中、ワンチャンスと思って田んぼの荒起こしをした。

下の田んぼがずっとジルかったのだが、少し乾いていたので、一気にトラクターを入れた。

午前中で2枚が終了。

午後は降ったり止んだりしたが、今は大雨。


「今年も稲作をやるぞ!」
という気合が入った。

やっぱり山口は温かいなぁ…。

北国には住めない。


 

2017年1月22日 (日)

勝負のゆくえ

フィジカルが勝っているとか、精神力が凌駕しているという解説はそれなり正しいのだが、現実の世界の勝負は摩訶不思議である。


スタートまでは絶好調だったのに、動き始めたら突然、体が動かなくなことがあるという。
心臓はバクバクしていないのに、突然、体が動かなくなって…もがいてももがいてもどうにもならなくなるときがあるそうだ。

あれだけしっかり準備をして、ダッシュをして万全の準備をしていたのに、そんな状態が起こるそうだ。

ボクのような人間には分からないが、やってきた人にはそういうアクシデントが待ち受けているらしい。


さて、今日は広島に行ったのだが、帰路はずっと静かだった。

みんな

どうすれば

どうすれば

…と考えていたので、みんな ずっと  無言であった。


 


2017年1月19日 (木)

鬼嫁劇場

家に帰るなり、鬼嫁が腕組みをして言った。


「負けたんよ!」

まだ戦いもはじまらぬうちの宣告である。
何の試合かも分からないままボクは戦場に立たされた。

即座に理解できたのは、
相手が強烈なサーブを打ってきた場面で、ボクがどういうリターンを返すかという
ことだけである。

こういうときは、素直なリターンが当座をしのげる。
これはボクが会得したスキルである。
80%の確率でいちおう相手のコートに返すことができる。

「どうしたの?」
と返事をしながら次のコースを読む。

そのとき、自分の弱いコースの守りに入ってはいけない。
相手(鬼嫁)の思うつぼである。

でも相手もこのことは百も承知なのでワナを仕掛けてくる。

ところが、こっちも相手の出方は十分承知しているので…軽いスライスでやや右に軽く振るのだ。

ようやく、ここで鬼嫁がブレイクを宣言した。


「ジョコビッチが負けたんよ!」

「誰に?」

ようやく劇場の幕が上がった。

あとは全豪オープンの現在の状況やこれからの戦況について、鬼嫁の解説を聞いた。


中学生時代にはバレーのセッターだったくせに、今ではテニスの4大大会の解説者である。
そのうちボクを置いて観戦に行くやもしれぬ。


女は熱くて冷たい。
女はそもそもそんな生物である。
男に変化すれば…トランプになる。


ボクは 男に生まれて ホントに よかった!…と思います。


2017年1月18日 (水)

センチメンタル

通勤車中のナビでテレビをかけているとき、貧困の子どもたちに晩御飯を提供している特集をやっていた。

今の時代でも貧困にあえぐ子どもたちは多いが、ボクが小さい時も食べるために一族がかたまって生活していた記憶がある。

引揚者が暮らしていた二階や離れなど、昭和30年代には貧困の痕跡があちこちに残っていた。
テレビを見ながらそれを思い出した。


先日書いたヒューマンヒストリー風の男の話もそうである。
彼が5月の連休に連れ添って来る叔母もボクのかすかな記憶に残るひとりだ。


夜、我が家の外に出てそれを思い出した。


食べていくことが精一杯の時、人はどんな生き方をしていたのだろうか。
ボクも小さい時、貧しかったことを覚えている。

だから自分の子供たちだけにはそんな思いだけはさせたくなかった。
三度の食事をさせて、人並みの支度をさせてやろうと頑張った。


5月に逢う伯々母と、かつてのヤブ山家について聞いてみようと思っている。
 
 
 

2017年1月17日 (火)

あ~あ…

大雪の翌日は哀しい。
事故る人がいる。
必ずいる。
絶対いる。


家を出て10分もしないうちに光駅から下松駅に向かう湾岸道路は大渋滞。
光駅を通過するのに30分以上かかった。
いつもの3倍の時間である。


それからが長かった。
瀬戸内海を眺めながらトロトロ運転で1時間。


下松に入った時点で帰ろうかと思ったぐらいだ。

案の定、下松と光の高架線で自損事故?のようだった。
レッカー車に前半分が潰れた車が乗っていた。

ここは高架道路なので、ここで事故をすると上下が通行止めで、周囲は大渋滞になる。
今は時間に追われていないので、こんなバカがいることを承知で定時に出るようになった。
その現実に出くわしても、「やっぱりね」としか思わなくなった。

これが退職ジジイの心の広さかといえばウソになるが、退職してゆっくり車を走らせていると、相変わらずバカが多いのに少し心が痛んだ。


亡父がボクが教員になってくれることを期待していたことは薄々分かっていたが、ボク自信のこんな薄情な性格がボク自身をそれから遠ざけた。


ボクは人を諭すパワーがない。
根気がない。
やる気がない。
話す元気もないのだ。


この歳になって、色々な人に出会う。

この人は…○○。
この人は…○○。
…と、適任の仕事が頭に浮かぶ。


でも、ボクの適任が何だったか…未だによく分からないのだ。

…話がずれた。

2017年1月16日 (月)

おかしいなぁ…

昨日は京都の大雪。
今日は山口市の大雪に難渋した。

でも不思議なことに体感気温がそんなに低くない。
昨日の京都は頻繁に吹雪に見舞われたが、つま先がジンジンすることはなかったし、今日の山口市内は圧雪状態であったがこごえるような寒さではなかった。


最近の大雪と大寒波は相関関係がなくなってきている。
今では珍しい積雪なのだが、全てが凍りつくような芯から冷える状況ではない。

すべてが作り物のような気がする。

ある事象だけが誇張されて、ホントの恐ろしさが影を潜めている。
隠れているのかな?
見過ごされているのかな?


わが身のセンサーがおかしくなってきたのかもしれないが、それにしても真冬の寒さはこんなものではないはずだ。


おかしい。
絶対におかしい。


大地が凍るほど寒くもないのに、この程度の雪で大騒ぎになる。


おかしいなぁ。


地球は爆発でもするのかなぁ。


 


2017年1月11日 (水)

ヤブ山ヒストリー

年末に突然、40過ぎの中年男が我が家を訪ねてきたらしい。

ちょうどボクは仕事に出ていたので鬼嫁が対応した。
鬼嫁によれば、
「今は○○県に住んでおりますが、祖母が生前、父の墓をきちんとできずに、お参りもできないことをしきりに悔やんでいたので…市役所で色々調べて…ようやくここまでやってきました」
と口上を述べていたそうだ。

「私には分かりませんので、主人が午後には戻ると思いますので…」
と伝えたそうだ。

そのことを聞いたボクが待っていると、その男が再び我が家にやってきた。


我が家の家系は、曾祖父の代に複雑になっていて、ボク自身墓参りの人たちが誰なのかよく分からないので、母に家系図を書いてもらっている。


それを持ち出して、彼と話をした。
色々と話をしているうちに、曾祖父代の「○○」ではないかということが判明した。


彼とボクがかすかに覚えている『○○ちゃん』の共通事項もあった。


しかし、彼が探していた墓には墓標はない。
ボクが若い頃に木標が朽ち果ててしまっている。
ボクが学生時代に、「墓地に建立することができないので、傍でもいいから建てさせてほしい」
という記憶で亡父が承諾して、その後、母が世話をしてきた無縁仏のような墓であった。


お参りする人がいないので、木標が朽ち果てた後は、その跡に目印の石を祀り、花立てとお供え用の皿を置き、我が家の墓参りの都度、ついでにシキビをお供えするだけになっている。


彼にそれを伝えるのは残酷だと思ったが、
「これがお墓です」
と指さした。


彼は、
「ありがとうございました」
と言って、菊の花を捧げてお参りしていた。


「5月頃には伯叔母と一緒にお参りに来ようと思います」
と聞きながら別れた。


目印の石しかない墓を…彼はどんな思いで拝んだのだろうか。

2017年1月10日 (火)

焚書

そろそろ人生の終わりが近づいている。

30年ぐらい前、父が亡くなった時、遺品を整理するのに母と手間取ったことを思い出す。

特に本の処分が難しかった。
父の経歴などから推測しながら分別したのだが、とにかく迷った。


今週、本箱が一杯になってきたので、思いきって自分の所蔵本を整理し始めた。

学生のときにわざわざ家に持ち帰った本がある。
もう読んでいないし、これからも読まないだろう。
さっさと捨てたらいいのに、勇気が湧かない。

自分の青春を捨てるような気がして、外に放り投げる決心がつかない。


こんな本を残して死んだら、残されたものたちは困るだろう。
そこで、自分が生きている間に始末することにした。


重たい全集がある。
学生時代、あれだけ金がなくても手元に残したし、就職で帰ってきたときにも一緒だった全集である。

ボクが死んだら誰も読まない。
ましてやボクが読むこともない。
さっさと始末すればいい。
未練を断ち切ればいいだけだ。


函を開けて読めば全ては解決するのだが、じじいに気力はない。


「さて…どうするかな…」
と思案している。


ボクが捨てなければ、あとの皆が困るのだ。

「さっさと 捨てろ!」
とハッパをかけている自分と、うらめしそうに本を抱えている自分がいる。

2017年1月 9日 (月)

自分のポジション

昨夜、サッカーの元日本代表と歓談する機会があった。

彼はディフェンダーだが、かつて鼻骨を折って、マスクをしたまま試合を続行した気骨人である。


「ディフェンダーとしとて、今の日本代表に求めるものは何か?」
と問うてみた。

「ゴンのような…下手でもいいから…ゴールの執着心のある選手が欲しい」
と言った。


ゴールの決め手がないのは今の日本代表の象徴であるが、その域を越えているらしい。

さらに話を聞いてみると、

「ミッドフィルダー(MF)ばかり目指している連中ばかりで…」
と寂しいそうな答えが返ってきた。

言いたいことは分かる。

ゲームを組み立てるのは、バックスで、得点に絡むのはフォワードである。

ミッドフィルダーはその間のつなぎ。

なんとなくわかった。
頂点を目指さなくなっているのだ。
地味なところや目立つところを避けているらしい。


翻ってボクにしてみれば、目立たなくても…それなりでいい。
それでいいのだ。
それが平和というものである。

さて、ボクは皮肉屋で他人を卑下する性向があるが、彼は別格であった。

引退したスポーツ選手はみな、自分の過去を称賛し、将来を悲観するのが常であるかと思っていたが、彼は極めてポジティブな人間であった。

「私はサッカーしか知りませんが、これからもサッカーを通じて、自分の生き方をしていきたいと思います」


スポーツには こういう出会いがある。
だから 心が動くのだ。
才能があろうと なかろうと。
運動神経があろうとなかろうと…ね。


2017年1月 7日 (土)

新春

今日は、地元の氏神様『金毘羅社』の迎春の後片付け。

10時から世話人で幟や幕、表と裏の参道に張った燈明を撤去した。
ボク自身、正月は5社参りをしたのだが、有名な神社仏閣はさすがにきれいに新春用意がされたいた。

ボクたちの氏神様は、地元中心で、部落以外から参られる方は少ないが、それでもなんとかこうして維持している。


昼には世話人の新年会をした。
去年は二人の世話人が亡くなられた。
若い世代に入ってきてほしいのだが、地下の家を含めてみんな敷居が高そうだ。
どうやって次の世代を呼び込むかが問題になったが、みんな自分の後継ぎに困っている状態だ。

新興住宅地には多くの人たちがいるのだが、地下の社の世話人と聞くと二の足を踏む。

難しく考えることはないし、排除するような人もいないのだが…。


そろそろ代表を降ろさせてほしいのだが、亡くなったN1翁があの世で眼を光らせているのだろうな。

宴席でみんなにお願いして回ったが、
「ヤブ山君、頑張ってくれ!」
ばかりであった。

また新年がスタートする。

2017年1月 6日 (金)

2017 アップグレード版

気がつけば2017年である。
またひとつ歳を取ることになる。
でもいつ琴キレるか分からない。

年末にしめ縄飾りをした。
今までの反省を込めて、少し藁を強く打った。

そこへ長女一家の孫たちが帰ってきた。


これがボクの作。


001

次は、年長組の作。

002


 
 
 
 

最後に4年生の作。


003


 
 
  


どう贔屓目に見ても孫たちの勝ちである。

「じいじは くやしい!」
と言ってやった。


でも、孫たちも悔しいのである。
勝ちを譲ってくれたことが分かるし、もっと上手に作りたかったのだろう。

それでいいのだ。


それからドローンを飛ばして、じいじの力を見せつけてやった。

でも小学生はすぐにスキルを学んで、じいじに挑戦状をつきつけてきた。
バカな孫である。
しょせん小学生である。
口だけ達者である。

しかし、5回目ぐらいから勝負の行方が分からなくなってきた。
「ジイジ」にとってはピンチである。


ここで助っ人が現れた。

「わたしにも やらせて!」
「そうかそうか…」
「じいじ ずるい!」


という声を後ろに闘った。

それから社の新年の支度。
元旦の初詣の接待を終えた。


このあたりからノドがおかしくなってきた。
なんとか三が日を終え、強烈三姉妹を駅まで送った。


それから熱が出て、すっかりひきこもりになった。

が、今日、ようやく病院に行って調剤完了。

年よりの風邪はやっかいだ。

今年もよろしくお願いします。

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »