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2019年3月

2019年3月31日 (日)

あれま25

平成のうちに病院からの脱出は果たせるのだろうか。

今は嚥下機能回復訓練と称して、食べ物を飲み込む訓練をしている。 

もちろん電子機器を使った会話訓練が重要なのだがか、まずは体力である。

ところが食道は短くてすぐにオーバーフローしてしまうのだ。しかもこれが消化するのに2時間かかるので一日中ものを食っているような感覚になる。このため予め栄養剤の点滴を刺しているので栄養失調にはならないのだが、このお陰でいつも満腹状態だ。

2019年3月27日 (水)

病人の暇つぶし

テレビでは桜の開花宣言を報道各局が競うように現場中継している。こっちが還暦を超えたせいかバカバカしくてチャンネルを変えたくなる。


ところが現場に押し寄せている群衆の大半はボク達ぐらいのジジイであった。デジタル一眼レフのいい製品をぶら下げてマスコミ気分のように見える。


さらにインタビューになると、ありきたりの陳腐なもので、完全に高校球児たちに負けている。内容といい態度といい完敗である。


飛んでいってジジイの意地を見せてやりたいが、口を封じられた今ではこんなブログでウサを晴らすしか手がなくなった。


 


さて身体は二時間おきにキリキリした痛みが出る。医療用麻薬のようなもので痛みを抑えにかかるのだが一筋縄ではいかない。病室や廊下をウロウロ徘徊して誤魔化している。


そして今はそこへ言語訓練や嚥下(えんげ)訓練が加わっている。


嚥下とはものを飲み込むことなのだが、舌切り雀状態のボクはドロドロの流動食を口に含んでは、「ゴクリ」ではなく「トローリ」と喉の奥の方に寄せこむような食べ方からスタートしている。もう一生ゴクリ感はあじわえないので、いかにトローリ感で誤魔化すかを習得中である。


言語訓練はときどき目にすることがあろうから割愛するが、スマホで文章読み上げアプリを見つけてきた。


これは、スマホに喋りたい文章を打ち込みさえすれば、色んな声やスピードでその文章を読み上げてくれるという優れものなのだ。


さっそく看護師相手に、


「おはようございます」「ありがとうございます」「すみません」などといった挨拶を打ち込んで彼女たちを驚かせている。


昨日は、「採血は看護師の命です。失敗しないように気合を入れて頑張りましょう」というのを披露したら新人さんが失敗してしまった。


もっとリラックスできるものにしないとダメだな。


それと言葉が出なくても布教活動に支障がないことがわかった。


人生の最後はヤブ山教の布教に専念するかな。

2019年3月20日 (水)

10日

安静状態が続いている。
今は肺炎との戦い。
喋れないのは覚悟していたが、ストレスは予想以上に大きかった。
その他嚥下ができないなど想定外の苦労に辟易している。
相変わらず痛み止めは一時間おき。

2019年3月14日 (木)

覚醒

夢ではないようだな。
失ったものもあるみたいだけど、どうやら当初の想定 レベルのようだ。
痛み分け…とは鬼嫁のお言葉。
まだ予断を許さぬ一週間。
どうなりますかな?
お礼はそれまで封印させていただきます。

2019年3月10日 (日)

遺言その7(最後)

太いカテーテルが挿入され、いよいよ最終のカウントダウンが始まった。
仮に手術が順調に終わったとしても、暫くの間は動けないのでブログの更新はできません。
暫くの間か、ず〜っとか分からないけど…とりあえず…さようなら。

2019年3月 9日 (土)

遺言その6(まとめの練習)

大した資産もないのでとうとう書くことがなくなった。
今回の病変が分かったのが昨年の6月だからすでに9カ月経過している。
聞いた時は死も覚悟した。が、手術すればどうにかなりそうだけど、手放しで喜べるような状況でもないということを知らされた。
結局9カ月治療をした挙句に手術をすることになった。
ここまでくると、天邪鬼なボクは達観の境地に達するどころか、脱皮したものの何になったのか分からぬまま抜け殻をぼ〜っと眺めているようなワケの分からぬ精神状態になってしまった。

さて、手術は12時間かかるそうだ。
途中に都合3回の分岐点があるらしく、その結果次第で最終的な姿が大きく左右されるという。
順調にいけば翌日の昼ごろに起こしてくれるらしい。
ちゃんと目が覚めればいいが…。

もう書くことがなくなったので、今日で遺言シリーズをまとめようと思ったが、明日は悶々として何かを書かずにはいられないだろうから今日はこれでおしまい。


2019年3月 8日 (金)

遺言その5(山歩き)

このブログは山歩きなしには誕生しなかった。
前身のヤブ山突撃隊のホームページでは、西中国山地の知られざる秘境を歩き回った奮戦記を記録している。今では更新もせずにアーカイブとして放置しているが、懐かしい記録である。
ヤブ山突撃隊は、T隊長、Iクマ対策特殊部隊長、ボクが観戦記者という3人のおっさんでスタートし、Y代表、ぼっちさんという強力助っ人を迎えた5人のおじさんの登山グループである。
今ではみんな還暦を迎えて第二の人生をスタートさせている。このブログにも晩年の突撃が少し残ってるはずだ。しかしみんな歳を取ったし、ボクも実家に戻ったので一緒に登ることはほとんどなくなっているが、解散はしていないので、いつの日か突然招集して突撃するかもしれない。
T隊長やI部隊長は入院前にお会いしているので、ボクがもしも娑婆に戻ることができたら後の二人も誘って快気祝いをすることになっている。山に行こうという前に飲むのがミソである。

ヤブ山突撃隊は、当初は山口県と島根広島県境が中心だったが、樹木医のFさんに島根の匹見を案内してもらって以来、すっかり匹見の深山に魅了された。さらに寂地、冠、十方山周辺にもよく突撃した。この頃、泰山どのをリーダーとする周南山の会とホームページを通じて交流が始まり、ヤブ山突撃隊にはいない女性陣も登場した。周南山の会とは登山スタイルが違ったので、合同山行をしたことはないが、ストイックな山歩きに興味を示したビッケさんだけは何度かボクたちの山行に連れて行ってあげた。彼女にとっても強烈な思い出になっているようだ。周南山の会とは山ではなく飲み会での付き合いが中心で、二次会でカラオケにも行ったが、その際、さくらばばさんの美貌と歌唱力に目を付け、桜B組の女性ボーカルとしてスカウトしたという歴史がある。

さて、山歩きは実家に戻って以来、妻(鬼嫁)と二人で車で遠出しながら有名な山を登ることが多くなった。再び匹見の深山に行ってみたいが、仮に生きて帰ったとしてもメチャクチャ体力が落ちているだろうから、山は当分無理だろう。

皮肉なことに今回の異変を知らされる直前に登山靴のソールの取り替えを発注して、1回目の治療のあとに綺麗になって戻ってきた。今は静かに倉庫で出番を待っている。
この重登山靴を再び履くことができるのか?
正念場は刻々近づいてきている。

2019年3月 7日 (木)

遺言その4(音楽)

これもカテゴリーにあるようにボクの趣味のひとつ。
特に還暦過ぎからアコースティックギターのラグタイムを再び弾き始めたり、還暦同窓会で高校の文化祭でやったバンド演奏を披露したことをきっかけにして、この歳にして新たに還暦バンドを結成した。
ハンド名は桜B組といい、光市で年に一度開催されるアラ還フェスティバルに昨年から出演している。
今年はこういう状況になったので、ボクのギターとボーカル抜きで頑張ってくれた。
さて、このバンドもボクが抜けたらどうなるか。さっさと新しいメンバーを入れて、名前を付け替えればよろしい。
7人のメンバーなので、曲の好みや音楽性というかどの程度のレベルを目指すかなど結構大変なのだ。
ジジイやばあさんの還暦バンドなので、なかよしクラブ程度でいいのかもしれないが、ボクは天邪鬼だから自分が目指す音楽を実現したいのだ。もちろん、みんなが仲良く一体感と充実感を味わいながら演奏を楽しめば十分なのだが、ボクの桜B組は、登山のヤブ山突撃隊のように、どんな山でも一緒に登るのではなくて難しい時だけ結成して挑戦するバンドと思っている。
だから、もし寿命が延びて復帰できるようになったときには、他のメンバーの意見もじっくり聞いて、改めて今後の身の振り方を決めることになるだろう。

次はボクが亡き後のギターの処分である。
金属部品が多いので一緒に棺には入れてもらえない。クラシックギターは中学時代、アコースティックが学生時代だからボクにとっては大事な宝物だが、家の横の畑の跡地でこっそり焼却処分してよろしい。
残しておいても誰も使いこなせないだろう。
倉庫の奥で眠らせたままにされるよりも、ボクと一緒にお焚き上げにしてやって欲しい。
お願いします。


2019年3月 6日 (水)

遺言その3(巨木の森)

今から十数年前、実家の母屋を建て替えた時からスタートした。カテゴリーも設定しているようにボクのライフワークのつもりだった。それだけに中途半端な状態で放置することは回避したい。 だから分身の術を使ってでも続けたいのだが、それが叶わない時に備えて、ここに気持ちを残しておこう。

裏山は瀬戸内海を臨む里山であるから、放置しておくと真竹や女竹が繁茂したり、ヤブツバキをはじめとする照葉樹の単層な山になってしまう。ヤマモモや山桜、ハゼの木などの里山だったのだが、ボクが学生で家を出ていた頃、父が親戚の山師に頼まれて皆伐された。この頃には我が家の風呂も太陽熱温水と灯油ボイラーで沸かしていたので、雑木を切って薪にしたり、焚き付け用の小木を集めることもなく、裏山との関わりはほとんどなかった。
その後ボクは地元に就職したのだが、勤務の都合で山口市に住んでいたし、そのうち父が亡くなったので裏山はすっかり荒れ果て、竹が猛烈に繁茂する無残な姿を晒していた。そして今から十数年前、台風で母屋が半壊となり、遂に建て替えることになったのだが、裏山のあまりの姿を見て、再生することを思い立ったのである。
それから5〜6年はとにかく竹を切り続けた。竹は切っても切っても再生してくるが、次第に細くなっていき、直射日光があまり当たらない所では、だいたい5年ぐらいで生えなくなる。しかし三歩進んで二歩下がることが繰り返されるので根気がいる。でもそんな中にクロガネモチ、ヤマザクラ、ヤブツバキ、クスノキ、ヤマグリの高木が残っていた。そこでこれらを上手く間引きながら里山風に手を加えようと思い始めた。
初めに書いたように瀬戸内沿岸の山は放置しておくとぐちゃぐちゃになってしまうので、まずははびこる雑草を年に数回は刈って、雑木が密集しているエリアの伐採を進めることにした。しかしたった20センチの木でもいざ倒すとなると大変である。おまけに周囲には立木があるので掛かり木になることが多い。林業事故の多くはこのケースが多い。地面に倒すには繊細な注意力が必要で、一本倒しただけでどっと疲れが出る。
ボクとしては、大木をドンドンと残しながら、その枝を横にバーンと広げたいのだが。牽引機もない今の装備では到底夢は実現できそうにない。だからある程度は森林組合に頼んで、あとは中低木を整理しながら散策道をこしらえていくのが現実的だろう。

今まで毎日のように眺めていたが、もう一度山桜が咲いた姿を見ることができるかなぁ。

2019年3月 5日 (火)

遺言その2(男の人生)

百姓家のオヤジの宝物は倉庫にある。
ボクも未だに、30年以上前に亡くなった父が使っていた道具や古ぼけた機械の部品を使うことがある。ボクが揃える物もあるので何度か整理しているがなかなか捨てられないでいる。もう使うことのない部品なんかもあるのだが、手にとって眺めているうちにまたしまい込んでしまう。
息子はボクがこういう状況になってから手伝い始めたので、まだどこに何があるか分かりはしない。もっともボクがそうだったように、オヤジが元気なうちはムスコは気を遣って手を出しにくいものだ。オヤジが動かなくなって、実際に自分でやるようにならないと技術は習得できない。とはいえいきなり受け継いでも一から試行錯誤するのは効率が悪い。
ボクにもう2年命があれば、ムスコに最低限のことを伝えられるのだがどうなるだろうか。
オヤジがなくなった後、自分ひとりで倉庫の中を整理すると、なんとなく父が考えていたことややりたかったことが偲ばれて不思議な感覚に取り憑かれる。30年以上経った今でもそうであるから、今の倉庫もこのままにしておこうかな。
休日が雨になって野良仕事ができなくて、一日中倉庫に籠っていると、男の人生に浸ることができる。

2019年3月 4日 (月)

遺言その1(百姓家の相続)

いよいよ処刑に向けてのカウントダウンが始まった。
ふと思い出した。遺言を書いていなかった。
父の時に母が苦労していたし、今回の母も何も書き残していなかったので、ボクの独断でなんとか相続の手続きを終えた。
と書いたら、ヤブ山家は大富豪と勘違いされてしまうかもしれない。
ところが、市街地に隣接している農家は、現金はなく農地と家屋敷の土地という資産しかない。
そんな土地はさっさと処分してしまえばいいのだが、農地というものはご先祖様が心血を注いで守って来たものだから、普通の子孫であればおいそれとは処分できない。
バブルは弾けたが固定資産税だけはしっかりと課せられているので、はっきり言って究極の負の資産である。
平成元年に父が亡くなったとき、母の裁定で当面、この土地を母とボクで区分して相続することになった。
一昨年、外に出ていた長男が亡くなった。
さらに喪が明けきらないうちに、今度はボクの身体に異変が見つかった。しかも尋常ではない。とりあえず治療を開始したが、最後の段になってかかっていた病院がさじを投げてボクを他病院へ押し付けた。
さらに悪いことに、長く入院したしていた母が亡くなってしまった。
49日の法要の後、鬼嫁から聞いた話によると、三人の子どものうち唯一残ることになるかもしれない実の妹は、母名義の土地の相続について、自分と兄二人の子供たちとの相続になるから、
「いまお兄ちゃんが死んだらどうしよう」と密かに苦悶していたという。
幸いボクが兄家族に話をして一気に相続を片付けてくれたので、今後のことはボクの直系に収れんされ、実家の相続から解放されて安堵したという。
さて、あなたは、実家の土地を相続して固定資産税を払い続けるようなことを選択しますか?
そんなことより我が家はどうするかな。

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