2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー「趣味」の記事

2015年7月20日 (月)

生き返って『ドロンちゃん!』

ブログを休んでいたが、色々なことがあった。


それはさておき、昨晩、ドロンちゃんが死んでしまった。

昨日、予備バッテリーが届いたので、本体から引き出そうとした時に、本体の基盤側のコードを引きちぎってしまったのである。

大動脈を切断したことに等しい。


アマゾンで交換部品を調べてみたら、プリント基板一式で3千円もする。

ドロンちゃんにはすべて交換部品があるのだが、これが一番高いのだ。

バッテリーでさえ800円ぐらいなのに、本体の制御回路がプリントされている…つまり心臓の交換になるのだ。


昨夜、晩酌をしながら考えた。

たぶん基盤のハンダ部分が取れたのだから、そこをハンダ付けすれば彼女の生命線が復活するはず。

必要な道具は、マイクロドライバーと細いはんだ鏝だろう。

ホームセンターなら1000円ちょっとで買えるはず。

開店の8時に店に行って、精密機械用のドライバーセットと小さなはんだ鏝を購入した。

しめて1,400円であった。これで修理できるのなら半額以下である。

早速、家に帰って、ドロンちゃんを解体してみた。

緊張のあまり…作業中の写真をとるのを忘れた。


開けてみると細かい部品だらけであった。

組み立て図を参考にしながら、ドロンちゃんの心臓部を探した。


次の解体図の⑨である。

ここにコードが接続されているのだが、解体図には書かれていない。

002


 
 
 

お腹を開けてみると、めざす心臓部は非常に小さいプリント基板であった。

ところが肝心のコードは裏側から延びてきている。

さらに小さいねじを外してみたら、基盤から4つのモーターに細いコードが伸びていた。

無理やりはぐるとこれが切れそうだ。

少しだけはぐってプラスコードの基盤を探してみたが、ものすごく小さい基盤なので見えない。

ルーペを持ち出して、ようやく見つけた。

残りのコードの被膜を少しカットして基盤と思われるところに当ててみた。


「ピカ ピカ!!!!!」
と光った。

ドロンちゃんが生き返ったのである。

…いや、正確に言えば、ここにハンダ付けをすれば生き返るのである。

さあ、手術の方法は分かった。

問題は、あれだけ小さい基盤に間違いなく細いコードをハンダ付けできるかどうか?である。

プリント基盤なので他の部分にハンダが垂れたら…ドロンちゃんは完全にあの世行きである。


さあ手術開始である。

コードと基盤を接着しておいて、細いハンダ鏝の先を近づけようとするが…指が震えて狙いが定まらないのだ。

何度深呼吸をしても僅かに震えてしまう。


庭に出て考えた。

「どうしたら指の震えが止まるか?」

「ウィスキーのロックを数杯がぶ飲みするか?」

真面目にそう思ったが、たぶんやけくそになって…ドロンちゃんの心臓をハンダで葬り去ってしまうだろう。


そこで思いついた。

いままでは鏝の先の液体状のハンダが落ちないようにしていたから指が震えたのだ。まずコードにハンダを一滴垂らしておいて、コードを端子部分に当てながら鏝の熱で溶かして接着してみよう!」


そう決心して再び作業を再開した。

細いはんだをほんの少し鏝の先に取って、細いコードの先に一滴垂らした。

…成功である。


あとはこれを少し冷まして、左手で端子部分に当ててみる。

念のためにバッテリーをつないで当ててみた。

…ドロンちゃんが点滅した。生きている。ここで間違いない。


いよいよ本番である。

ここでミスったら全てがパーになる。

コードを当てる指が次第に震えてきた。

何度も深呼吸をしながらもう一度端子部分に当ててておいて、鏝の先を慎重にそこにあてがう…。

ハンダの焦げる匂いが漂う。

2秒間ぐらい当てて、鏝をそっと引いてみた。


再び庭に出て祈った。

「どうか手術が成功していますように…」


再び作業に戻る。

接着したコードを少し引っ張ってみた。

外れないので、どうやら接着は成功したようだ。


あとはバッテリーにつないで確認するだけである。


久しぶりに胸がドキドキした。


「えい!」
と差し込んだら…

「ピカ ピカ ピカ!!!!!」


やりました。

ドロンちゃんが生き返りました。

001


写真に写っている時計は9時過ぎである。

ドロンちゃんが蘇生した時間を示している。

それから5分後…生き返ったドロンちゃんは僕の頭の上を飛び回っている。

それにしても大手術であった。おしまい。

2015年7月14日 (火)

還暦じいさんは修行する…の巻

定時に帰宅した日は、さっさと晩酌を済ませて『ドロンちゃん』と修行に励んでいる。


ボクのサイコキネシスで…『ドロンちゃん』を浮揚させるのだ。


(最近は手元の操作器を見なくても動かせるようになったので、)
後ろから眺めたら…あたかも胡坐をかいたボクの頭上で『ドロンちゃん』が空中浮揚しているように見える。


これも修行の賜物である。

両手の指がわずかに動くのが今の課題であるが、そのうちサイコキネシスだけで飛べるようになるはずだ。


ところが、『ドロンちゃん』はものの5分で力尽きてしまう。

だから、彼女がエネルギーを回復するまでの間、ボクはバンドの練習をするしかないのだ。

(ホントは、サイコキネシスを送っているボクのパワーがなくなるのが普通であるが、『ドロンちゃん』はまだそこまでのレベルに達していないし、未だにパニックになるとヒステリックに襖や障子ぶち当たるし、だいいち赤い服を着ているので…「女性名詞」なのだ)


さて、ボクがギターの練習に厭きてきた頃、『ドロンちゃん』のパワーが復活して…修行再開となる。


…5分後に再び彼女のパワーが尽きて、ボクの酔いもピークに達するので、ブログを書かぬままご就寝となる。


つくづく修行というものは大変である。


早く『冥王星』まで飛べるようになったらいいのに…まだたったの5分である。

かよわい彼女ではあるが、そろそろ気合を入れてやるかぁ…!


写真ぐらい撮って帰れよ。


…おしまい。

2011年4月21日 (木)

広沢虎造

引っ越しに向けて色々な物を処分する必要がある。
とにかく母屋の納戸にある僕の宝物をどうにかしなければならない。

母屋を建て替えた時に思い切って捨てたつもりだが、
妻に言わせると、「まだまだ…いっぱいある!」らしい。

まずはレコード。
こっそり納戸の奥に入れておいたが見つかった。
「これは…このあいだ、CDを買ったやつじゃないの!」
「入っている曲が少し違う」
「ふ~ん、じゃあ…これは!?」
「それも…ちょっとずつ違う…」
…まるで税関か、国境警備隊である。

そんな中、広沢虎造のカセットテープが見つかってしまった。

これにはエピソードがある。
これは僕が貧しい…貧しい学生時代に…せっせと集めた大切な浪曲集なのだ。
飯を食わずに、タバコでごまかしながら、土木のバイトで稼いだ金で買った…大事な…大事なカセットテープである。

就職して間もないころ、ある上司にそのことを話したことがある。
その後も、ときどき一緒に仕事はしていたのだが、

数年前、その上司が、突然現れて、
「ヤブ山!おまえ…昔…広沢虎造の…
 森の石松シリーズのカセットを持っていると言っていたが、
 あれはまだあるか!?
 まだ、持っているか!?
 もし持っているのなら、ワシにすぐに貸せ!
 CDに記録するから…ワシに貸せ!!!」
と言われた。

「あります…あります!」
「おお…そうか、そうか!おまえはええやつじゃ!」
と持って帰った。

後日、そのカセットは、ちゃんとCDになって戻ってきた。
これで、未来永劫、広沢虎造の森の石松シリーズは完ぺきと思っていた。

…ところが、そのオリジナルカセットがかさばるので、物の分別がわからぬ愚妻ともめる羽目になった。

理性がない人と話したくない。
道理も知らないようだ。
たぶん言語も通じていないと思う。

森の石松シリーズは次のとおり。
…ボクより10歳上の人にとっては垂涎モノです。


石松金比羅代参
石松三十石船
石松と身受山鎌太郎
石松と都鳥三兄弟
石松と小松村七五郎
閣魔堂の騙し討ち
お民の度胸
石松の最後
為五郎の悪事(本座村為五郎)
追分三五郎
追分宿の仇討ち

…秀逸は、「お民の度胸」である。
ただし、ヤブ山女房の度胸と比べることは困難です。

2010年9月26日 (日)

バイオハザード Ⅳ

実は、昨日、河平連山に登ってそのまま帰山して、スカラ座で映画を見た。

バイオハザードのシリーズは、

あの主人公の彼女の名前を忘れた…ヴィッチ、ヴィッチ……

アンナ ではなくて ヴィッチでもない。

とにかく 美人は得だ。

今日は本を買って昼寝。

2010年9月23日 (木)

もみすりⅡ

実家に帰る途中、虹ヶ浜から九州がよく見えた。

国東半島の山々と由布岳。
H22923

残りの籾スリを終えた。
…9月中に終わったのははじめてだ。

明日は大事な仕事があるのだが疲れ果てた。
歳はとりたくない。

もう眠い…おやすみなさい。

2010年9月20日 (月)

稲刈り2

天気が下り坂なので、中一日で残りの稲刈りをする。

その前に、一昨日刈った分の籾スリをする。
大きい倉庫に乾燥機を据え替えたので、籾すり機に直接搬入できるようになって随分楽になった。
今日はバカ息子がいないが、一人でやろうと思えば一人でできる。
昔の籾スリは大変な作業だったが、今は機械さえ買えばどうにでもなる。
スクモ(もみ殻)も倉庫の窓から畑に噴き出すようにしたので手間いらずだ。

手持無沙汰な母が、出てくる玄米を手にとっては何やらぶつぶつ言うが聞こえぬふりをする。
1時間で終わって残りの稲刈り開始。
暑い!暑い!
昼を少し回った頃に何とか刈り終えた。

今日は妻がいるので、昼にビールをしこたま呑む。
ふらふらしながら、10袋を乾燥機に張り込んだ。
これで天気の心配がなくなった。
次の休日にもう一度籾スリをしたらおしまい。
今日の籾スリの状況からして、作況指数は「100」

倉庫に帰ってきたコンバイン。今年もよくがんばりました。

Kc3v0003


倉庫の右半分。
左が愛用のトラクター。奥の大きいのが乾燥機。
その手前に籾すり機。(選米機はその間に隠れている)

Kc3v0004


刈り終えた大きいほうの田んぼ。
田んぼの隣に家が増えました。(ボクのせいです)

Kc3v0005

2010年9月18日 (土)

稲刈り

妻と息子を連れて実家で稲刈り。
妻は役に立たないので炊事班に専念させる。

息子には覚えてほしいことをやらせてみる。
トップカー、コンバイン、乾燥機をやらせたが、
実際には、自分ひとりになってから初めて覚えるものだ。
燃料一覧を書いたこと、昔からの収穫量の記録場所を教えた。

母もまだごそごそ動けるが、歳を取るにつれて次第に口達者になってきたので、しょっちゅうもめる。
ボクもいい加減に頭にくるときもあるので、
「ボクがやるから もういい!あっちへ行って!」
「それんなやりかたじゃ いけん!」
「もう ええ!」 
と口げんかになる。

妻に、
「ホントに頭にくる」と言ったら、
「生きがいを奪ってはいけません」
とクールなお答え。

…あんたは月に一回でしょ。
 ボクは毎週です。
 実の母ですが、頭にくるときは頭にくるのですよ。

2010年9月16日 (木)

サイモン&ガーファンクル

車のHDDに録音するために、妻とレンタルCDに行った。

ボクは、「サイモン&ガーファンクル」「かぐや姫さーど」「ビートルズ」

妻は、「カーペンターズ」「荒井由美」「盲目のピアニスト」

それから何度もサイモンとガーファンクルを聞いたが、やはりすごい。

ボクの好きな曲は、
 「ミセスロビンソン」と「冬の散歩道」だ。

ボクサーやスカボロフェアーもいいが、ミセスロビンソンが最高だ。
ギターでひくあのフレーズとリズムは至極の世界だ。
冬の散歩道もおなじ理由。

才能さえあれば、ギタリストになりたかった。

2010年9月 6日 (月)

Guitar

先日ギターのことを少し書いたが、中学1年生のとき、当時流行りはじめた「東京ギターアカデミー?」の通信販売でクラッシックギターを買ったのが始まりである。

裕福ではない家庭ではあったが、我が家もようやく中学生になって小遣いが認められた。いくらだったか忘れたが、一年ぐらいかけて小遣いをそのまま月賦の500円?に充てた記憶がある。

当時は、ナルシソ・イエベスの「禁じられた遊び」を弾けるようになるのが大方の目標で、ボクも一心不乱に練習した。
第二部の変調するところも弾けるようになり、トレモロの不朽の名作「アルハンブラの想い出」にもとりかかったが、同時に、自分の才能と根気に限界を感じ始めていた。

その頃は、タイガースなどのグループサウンズが最盛期だったが、エレキギターを弾いているのは不良とする社会風潮があった。
ボクは、相変わらずクラッシック中心だったが、時々、「バラが咲いた」とか、「太陽がいっぱい」などのポップス系の曲にも手を出していたので、大体のコードはマスターしていた。

当時、同級生にもう一人ギターをやっているヤツがいて、
「おい、PPMというのを知ってるか? ピーター、ポール&マリーというんだ。
 兄貴からこんなのを教えてもらったんだけど…」
と言って、「PUFF」や「くよくよするな」のさわりを弾いてみせてくれた。
その歯切れのよいスリーフィンガーを聞いて、猛烈なカルチャーショックを受けた。

クラシックでもシンコペーションは出てくるが、スリーフィンガーのリズムと軽快な展開にすっかりはまってしまった。

それからは、彼と二人でPPMのレコードを買ってきて、溝がつぶれるぐらい何度も聞いてはコピーに明け暮れた。暫くして、全音から楽譜も出版されたので、それまでコピーしてきたものと比較しながら、スリーフィンガーとハーモニーの練習ばかりしていた。
だから今でもPPMのほとんどの曲を覚えている。

高校生になる頃には、クラシックギタ-のままで、日本のフォークグループやサイモン&ガーファンクルのギターテクニックにも手を出していて、たぶん当時のギターテクニックにかけては自信があった。

高1になると、何故か合唱部に入ったり、念願のフォークギターを買った。
この頃には吉田拓郎や井上揚水をはじめとする弾き語りがはやりはじめた頃だったが、コードをかき鳴らしながら歌う手法になじめず、ギターテクニックがおもしろい曲だけ、たとえば「今日までそして明日から」とか「東へ西へ」あたりだけコピーしていた。
泉谷しげるの「春夏秋冬」などはバカにしていたが、最近になってガンガン弾くのも悪くないなと思うようになってきた。

例の同級生とは別々の高校になったのだが、高1の夏、偶然出会って久しぶりに「Don’t think twice,it’s all right(くよくよするな)」と「PUFF」をコラボ演奏してみたら結構よかったので、同席していた放送部員がそれを録音して、昼休み時間に校内放送で流したところ随分反響があった。
この頃が、ボクのスリーフィンガーの第1期全盛期だったと思う。

また、当時は徳山の周音連が主催するコンサートも活発で、ブラザーズフォーや当時無名のチューリップ(青い三角定規の前座だった)を聞きに行ったりして、次第に歌うほうに興味が移っていった。

高2の文化祭では、合唱部の正式な合唱組曲のあとに、男子部員(4~5名)だけで、ギターを片手にブラザーズフォーの「風は激しく」や「七つの水仙」を披露した。

高校3年になると、文化祭で、当時気に入っていたチューリップの「魔法の黄色い靴」「心の旅」「夢中さ君に」をやりたいと思って、エレクトーンとピアノで音楽大をめざしていた音楽家志望のY君に話を持ちかけたら、
「ドラムをやっているN君からタイガースをやらないかと誘われたけど、タイガースではどうもね…」
という返事が返ってきた。

ドラムさえあれば立派なバンドになるし、「心の旅」にはピアノが不可欠なので、ボクが間に入って、タイガースをめざすドラム、ベース、リードギターの三人組と、ボーカル&ギターのボクと、エレクトーン・ピアノ担当のY君による即席バンドが誕生した。

タイガース組の話を聞いてみると、ドラムのN君が得意のタイガースをバンド演奏したくて、陸上部のT君がベースを弾けるらしいこと。とてもおとなしいK君が実はリードギターの名手らしいこと。そして、自称イケ面のT夫が女生徒受けを狙ってボーカル志望しているのがことの発端らしかった。

「チューリップをやりたいから、そのときだけ協力してくれないか」
と言ったら即座にOKの返事が返ってきた。
練習を始めたら、T夫がなかなかの音痴であることが分かったので、
「ついでにヤブ山が全部歌ったら…」
という険悪な時期もあったのだが、
「一曲でもいいから彼女の前で歌わせてくれ」
という彼の熱意にほだされた経緯がある。
ただ、いくらやっても「君だけに愛を」の入りのタイミングが合わないので、僕が替わりに歌う羽目になった。
T夫には悪かったが、君だけに愛をは諦めてもらって、「花の首飾り」と「モナリザの微笑み」に専念させた。

僕の家は高校のすぐそばで、ちょうど新築した離れが僕の部屋だったので、夏休みの最後に楽器を搬入し、二学期から毎日1~2時間練習した。
一番役に立ってくれたのが、音楽家Y君で、あっという間にチューリップのアレンジを楽譜にして持ってきてくれた。(彼はその後音楽大の教授になった)

実は、このとき初めてエレキギターを手にした。リードギターT君の知り合いから借りたのだが、それほど違和感がなかった。
「魔法の黄色い靴」は、ボクのフォークギターにギターマイクをセットし、それ以外はサイドギターとして演奏することにした。

当時の文化祭は、派手なグループサウンズやフォークグループが続いて、お目付け役の音楽のF先生が困っていたのだが、今回は、合唱部のボクと、ブラスバンド部長の音楽家Y君が参加するというので、「エレキバンド禁止」の声が出ていた職員会議をうまく収めてもらったそうだ。

F女史は独身で、ボクとY君にはとても優しくしてくれた。
「ヤブ山君、『あ~、だから…』の、『あ~』は喉を緩めてもっとクリアーにね」
とアドバイスしてくれたし、本番のときは、講堂のグランドピアノをY君用に特別許可してくれた。
Y君は、
「F先生は…お前に気があるんじゃないか…」
とからかってきたが、当時のボクは、それどころから、
身に覚えのない?ダブルブッキングで大変だったのである。

あちこちからアンプを借りてきて本番直前のステージ練習をしてみると、
演奏側に向けるアンプがないので、自分たちの演奏がよく聞こえないという問題が発覚した。
特に、ボーカルにとっては死活問題で、
ヘッドフォンをしたまま歌うと音が外れるのと同じ現象に直面したが、
アンプを少し後ろに下げて乗り切ることにした。

オープニングは、「夢中さ君に」。これは勢いで何とかなる。

次は「魔法の黄色い靴」。
スリーフィンガーのソロで始まるので、何とか音程はとれそうだが、そのまま歌のソロに入るので猛烈に緊張した。

次はタイガースを3曲。
「君だけに」は、入りがリードギターとベースソロだけなので、
「Oh please~」の出だしの音がとりにくい。緊張のあまり足が震えた。
T夫もなんとか二曲をこなした。

その後、Y君のエレクトーン独奏を一曲。
ほれぼれするほどうまかった。

エンディングは「心の旅」。
Y君の力強いピアノの出だしで、気持ちよく歌いはじめた。
途中の「旅立つ僕の心を…」のところのピアノがきれいに響いた。
ドラムのN君もどこからかマイクを調達してきて、一生懸命にバックコーラスに参加していた。

アンコールの催促があったが、演奏した曲目しかできないので、もう一度心の旅を歌う。

大学に入ると、歌を離れてギターに戻った。

必死にバイトをして、YAMAHAのL-6という当時でも6万円もするアコースティックギターを買った。
ここから、旧知のH君から教えてもらった「ラグタイムイム」に挑戦した。

ラグタイムは、映画の「スティング」のテーマ曲のようなもので、これのギター版をイメージしてもらえばよい。

H君は高校時代はまだギターを始めたばかりで、バンドのマネージャー的な役割を果たしてくれたのだが、その後腕を上げて、エレキギターはボクより数段うまくなっていた。

彼は、ボクのピッキング好きを知っていたので、新しいジャンルを紹介してくれたのだ。

ラグタイムの演奏は、それまでのスリーフィンガーからかなり進化していて、
新しいテクニックやコードがいっぱいだった。

この頃からボクのアコギ第二世代が始まった。

2010年8月 3日 (火)

カーナビⅠ

今回、初めてカーナビをつけた。
早速、見様見真似で使ってみたが、実に面白かった。

山口と実家を往復するときは、ストレスの少ない国道376号経由が多いのだが、先の豪雨で国道489号の島地から永源山公園の間が通行止めになっているので、帰りは、周南の夜市から島地へ抜ける変則ルートを走ってみることにした。

早速、徳山東インターに入れという指示が出たが、無視して通り過ぎる。
次は徳山西インターに入れと指示されたが、インター手前で島地に向かう県道に入ってやった。

すると、ナビは警告を発することなく黙って、次の交差点で迂回するルートを示したが、これは元の国道2号に戻る道だ。これも無視して直進すると、さすがに諦めて島地から徳地に向かうルートを指示してくれた。

「ようやくボクの考えが分かったか!」
と喜んでいると、あろうことか…徳地の堀交差点を右折して大原湖方面へ行けという表示が出た。
ここからわざわざ地福に抜けて、国道9号で木戸山を越えて帰れというのだろうか。

「バカだな、お前は!いくらボクが田舎経由が好きだとしても、そこまで大回りするわけがないだろう!バカたれ!」
と言いながら、ナビの指示とは逆に、左折して佐波川沿いを下る。

すると、ナビは少し考えて、次の交差点を右折して川沿いを元に戻るコースを指示してきた。
「お前!しつこいヤツだな!」
と言いながら、右折を無視して直進し、佐波川を渡りかけた。
すると、ナビはあわてて、川を渡ったらすぐに右折して、川沿いの反対の道で堀に戻るよう指示した。

「お前はよっぽど融通がきかん奴だな!」
と言いながら直進すると、ナビはようやく諦めて仁保経由を表示した。
「よしよし、ようやくボクの考えが分かってきたな」

自宅の近くまで来たとき、意地悪して遠回りしようかと思ったが、ナビがひねくれたらいけないので、
指示通りにいつもの道で帰った。


まだよくマニュアルは読んでいないのだが、ナビはできるだけ大きい道路を選ぶようだし、細かい経由地も指定できるので、きちんとしたルート選定はできるようだ。

「パソコンのように学習機能が備わっていないのかな?」
と思ってマニュアルを探したら、
ナビにも履歴を記憶する機能があって、後日、それを呼び出せるし、実際にそのとおりに案内してくれるそうだ。

ここでふと考えた。
「ひょっとして、後日、ボクがいないときに、女房がナビの履歴を探したら、ボクがどこに行ったかすぐに分かるのか…」

今日、職場で若い奴らにそのことを話したら、
「そうですよ。ヤバイときはナビの履歴は消しています」
という返事が返ってきた。

「そうか!インターネットの閲覧の履歴を消すのと一緒だな!」
「そうです!そのとおりです!」

と、いう頼もしい返事が帰ってきたので、
ナビの履歴の消し方と、目的地設定をしていなくても、走行履歴を自動記憶していないかどうか?
…というあたりから、マニュアルを読み始めたのでありました。

ふ・ふ・ふ……めでたし、めでたし。