カテゴリー「音楽」の記事

2017年6月17日 (土)

助っ人来る

還暦バンドの練習をしているが、どうもアコースティックのピックマイクの音が気にいらない。

安物のエレキギターのような間延びした音が許せなかった。

…ということで、二日前に助っ人を購入した。

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ピックみたいに小さいけど、このマイクはいい音をひろってくれる。

これが接続機器。


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いま練習しているのが、この曲。

打ち合わせにはない曲だけど、いちばん好きな曲。
ノリも最高だ。


写真用に並べたので、よく見てみると、

左は正しいが、右は…Sound of silenceだった。


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この写真はなごやかだけど、これでも田んぼに除草剤を撒いて、ジャガイモの残りを掘り上げて、伐採後に生えた竹を鎌で切ったあとである。

もうヘロヘロなのだが、宅急便で助っ人が来たので大喜びだ。


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…終活は楽しい。

 
 

2017年5月16日 (火)

著作権を実感した

周南山の会の「さくらばばさん」をボーカルに迎えて、ユーミンの
『真夏の夜の夢』をやろうとしているのだが、編曲が猛烈に難しいので、ネットからバンド譜を購入することにした。

ダウンロードの代金は数百円なのだが、これが手強かった。
還暦過ぎのジジイには二日を要した。


楽譜が『PDF』ファイルでパソコンにダウンロードできるのだが、これを開くときに、本人確認のパスワードが必要とされている。

ボクは登録時のパスワードを打ち込んだのだが、画面には、
「パスワードが違います」
が連続して出てくる。

…昨夜の時点は、ここで頭に来て寝てしまった。

さて、今宵である。

夕方帰宅すると、鬼嫁が、
「あなた! ゆうべ…何かの楽譜を数百円で購入するから…と言いながら…はぶてて…寝たでしょ?」
と怖い眼で攻めてきた。


その思いではあった。
至極、歯がゆい記憶である。

それがさきほど…解決できた。
その方法は、誰にも教えたくない。


なんと16枚の楽譜(バンドスコア)であった。
弾けるようになるかどうかも分からないが。

…ジジイは、この歳になって、改めて著作権の凄みを肝に銘じたのでありました。


2017年5月10日 (水)

真夜中のギター

毎晩、晩酌後に還暦バンドのコード練習をしている。

鬼嫁が晩酌後に寝ているリビングになるべく響かないようにしてギターと歌を歌っているのだが、どうしても音は聞こえるようだ。

そして今宵、とうとう言われた。

「だいたい何をやるかは分かったけど、ブルーライトヨコハマは選曲ミスね!」

…自分でも自覚があった。
でもボクが歌うわけではないので、さくらさんの歌唱力に期待しているのだが、どうも全体の構成に合わないということは、うすうす感じていた。


さっき夜空を眺めながら考えた。

そして決めた。


『真夜中のギター』…にしよう。

音痴の鬼嫁に言われて替えたくはなかったが、そうするかな。

リードギターの目処がついたので、ボクはアコースティックに専念することにしよう。


2017年5月 7日 (日)

真夏の夜の夢

ふぅ~疲れた。

女性ボーカリストを迎えて、バンドのおじさんたちは初めての音合わせだった。
まだコード展開も分かっていない中で、さくらさんに歌ってもらいながら、Mさんと、
「どのキーでやりますか…どんな感じでやりますか?」
とギターを弾き合いながら、さくらさんの歌に合わせながら、3時間近くが過ぎて行った。

ドラムのNは適当に刻める。
さくらさんはいつでも歌える。
でも、Mさんとボクの二人は大変であった。

お互いにどのくらい弾けて、どのくらいできるのか知らないので、何回も演奏しながら…ようやくなんとなく分かってきた。(これが腹の探り合いです)


さあ、これから大変だ。

どうやって仕上げるかなぁ…。


2016年9月16日 (金)

「いちご白書」のテーマが思い出せないジジイ

(はちべえどの?に捧げようと思って、)ギターでブルースやインスツルメンタルの曲を練習していたが、途中で厭きてきたので、懐かしのフォークのコードを弾いていた。

「いちご白書をもう一度」のコードを指で探して、ようやく全曲を通しで弾けるようになった。

ウロ覚えの歌詞で適当に歌っているうちに、
「あれ?いちご白書のテーマ音楽はどうだったっけ?」
で固まってしまった。


たしか軽快なテンポの歌だったが、ギターの重苦しいAmのフレーズだけが頭の中を駆け巡っている。


晩酌が過ぎてソファーで爆睡している鬼嫁を起こさぬように、パソコンのユーチューブで検索・再生してみた。


…震え声の懐かしいメロディーが聞こえてきた。

ボクが、
「おお!いちご白書!」


と言おうとした途端、ソファーでいびきをかいていた鬼嫁が突然、叫んだ。

「こりゃぁ~! いちご白書じゃぁ~ないかね!!」

映画のラブラブなストーリーを思い出しかけていたのに、この「ひと吼え」で全てが消えてしまった。

おしまい。


2016年1月12日 (火)

乾杯

久しぶりにギターを弾いて歌でも歌おうかという気になった。


懐かしの歌謡曲集のようなものがあって、ぺらぺらとめくっていたら…『乾杯』があった。


長淵剛の作詞作曲である。
傲慢で気に入らないヤツの一人なのだが、コードと歌詞を読んでいるうちに涙が出てきた。


試しに弾きながら歌ってみた。

若い連中の結婚式で聞いたような気がするが、今晩、「これは名曲である」と気がついた。

涙なしには歌えなかった。

ボクの結婚式では…『君といつまでも』を歌わされた記憶がある。


その後は、『てんとう虫のサンバ』とか、『赤いスイートピー』が多かったと思うが、『乾杯』は絶品であったのだ。


今宵は、涙を流しながら歌った。

そうか…いい曲だんたんだ。


作者は嫌いだが、いい曲である。

なるほど…。

 
 
 

2016年1月 6日 (水)

ブルース

ブルースのなにがいいかというと難しい。

ジャズもそうである。

遊んでいるようで、滅茶苦茶なようでいて、それで何故かまとまっているのがいい。

ボクの思考パターンに合っている。

誰かがきちんとベースを刻み、誰かがきちんとリズムを刻む。

それに乗っかって自由に遊ぶ。

ブルースは黒人の讃美歌と言われるが、グループのなせる業である。


ボクはギターでしか分からないが、そういう流れがあるのだろう。

今宵は、そのブルースを聞きながら車中の時間が過ぎた。

仕事でも音楽でも…みんなが力を合わせてやることに違いはない。

そこに少しでも雑音が入ると全体が壊れる。

それが失敗ならば許される。

それはみんなも即座に理解できる。

でも、それが許されない雑音ならば、みんなの指が止まる。

指揮者はそれを排除しなければならない。

私情があってもそれを拒否せなばならぬ。


それができないのなら指揮者を返上すべきである。

公衆に披露するものは、それほどまでに、各人の粋を集めた静粛なものでなければならない。

遊びは子供時代に済ませることだ。

大人同士の関係で、言い訳は通用しない。

できないもの、わからないもの、理不尽なのものは、さっさと切る。

助けてあげたいものは どんなことをしても 助ける

でも 偽物や嫌いなものは しらない

これがボクの身上である。

ブルースは そんな音楽だ。

 
 
 


2015年12月13日 (日)

チューリップ

土曜日の続きである。


鬼嫁が正装していたのは、『財津和夫』のコンサートに出かけるためである。


パンツで夫婦喧嘩をするヤブ山家であるが、一月以上前から、防府市で開催される『財津和夫~チューリップを歌う』コンサートの予約をしていた。


ボクが鬼嫁にチケットを買っておくように言っておいたのだが、どうやら自分の分も買ったらしい。


ボクの運転で防府へ行く車中、今夏の同窓会でのチューリップのCDをかけた。

「僕らのアレンジとどう違うか…ちょっと興味がある」

「あんたね!比べられるレベルではないわよ」

鬼嫁はボクたちのレベルを知らない。

開演30分前に着いて、長い列に並んだ。

全席指定席なので、並ぶ必要はないのだが、入場整理の都合でそうせざるを得ないという。

話もしないでずっと入場を待った。

コンサートは素晴らしかった。

チューリップの姫野もゲスト出演して、チューリップ三昧で満喫した。

鬼嫁は、

「売れる前のアリスのコンサート以来だわ!」

とノリノリであった。


ボクはみんなが総立ちになっても、ひとり客席に座ったまま音だけを聴いた。

財津は、声はかすれてきたが、相変わらず音程は正しく、うまかった。


姫野は、甘ったるい声が、ようやくおじさんの声になってよかった。

財津は67歳、姫野は64歳。


観客はやっぱり団塊世代が中心で、ボクたちの様な夫婦連れも多かった。

チューリップのコンサートは、高校3年生でバンドをやる前だった。

ドラムのNと行ったのだが、売れる前のチューリップ、青い三角定規、つのだひろ…がトリだったような気がする。


今回は鬼嫁と一緒だ。

財津の語りや歌声を聴きながら、自分の青春を想い出しながら、60年の人生をそっと振り返った。


 
 
  

2015年7月20日 (月)

ボクを悩ます仲間たち

『ドロンちゃん』覚醒のついでに仲間たちのことを書いておこう。


この一週間、ブログを書く気になれなかった原因ともいえる。

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一番左のバンジョーは健気である。

いつまでたってもハリのある音を出してくれる。
彼はいい。
心から信頼している。


さて、真ん中のアコースティックギターは…『Tー6』である。

ボクの二十歳の誕生日を一緒に祝ってくれた。
土方のバイトに明け暮れて、ようやく手にした絶品である。
かれこれ40年前のギターであるが、いまだに素晴らしい音色を聴かせてくれる。


問題は…一番右のピンクの…『エレキちゃん』である。
女性名詞なのは、気まぐれであるからだ。

とにかく音が合わない。

ボクも歳をとって、微妙な音合わせができないので調音器を買った。

…買ったのはいいのだが、E弦以外は微妙に合わない。

調音器は、こういうものだ。


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楽器のネックに装着して、その震動音?で音を判別してくれる優れものなのだが…。


どうやら…アコースティックの『Tー6』では正確に教えてくれるのだが、安物の『エレキちゃん』になると…おかしいのだ。

いくらやっても、イザ弾いてみると音がおかしい。
みんなでバンド練習をやるとどうもおかしい。

むろん練習前に改めて調音をするのだが、その時点で調子が外れている。
合わせようと焦っているうちに練習が始まるのだが、音が合わない楽器は練習の妨げになるばかりである。


よくよく思い起こせば、『エレキちゃん』は安物であった。

初めのうちは、安物の調音器『コーグ野郎』の所為だと思っていたが、どうやら『エレキちゃん』自体に問題があるようだ。

ひとりで練習するときは、入念に音を調弦できるのだが、先週の合同練習の時には、直前に新しい弦を張り替えたばかりであったのだが、これが最悪の結果を招いてしまった。


…結局、『T-6』だけで練習をこなした。

そもそも『エレキちゃん』は、今夏の同窓会用に嫁にもらったはずだ。

ところが、ここにきて役立たずの…『あばずれ』だったことが判明したのである。

『ドロンちゃん』は無事、覚醒した。

彼女も安物だが、もともとの育ちは良かったのかもしれない。
密かに努力を重ねていたのかもしれない。

それに比べて、『エレキちゃん』は、毎晩、酔った主人とうつつを抜かして騒いだだけだったのだろうか。

ボクも反省しなければならないところだが、もう時間はない。


4週間後には本番が来るのだ。

『エレキちゃん』に三行半を下して、新しい嫁さんを貰っているような時間はない。


『エレキちゃん』を覚醒させるしかないのだ!


前から気になっていたアンプの部分やリズムの不具合…今からいじって間に合うかどうか…実は、先週あたりから迷い続けている。

『ドロンちゃん』のように開腹手術が成功すればよいのだが、ここに及んで『エレキちゃん』を手術するにはタメライガある。


もう一度、冒頭の写真をご覧いただきたい。


『エレキちゃん』 は 『ドキンちゃん』 と同じ色ではないか!


きっと気まぐれなのだろう。


困った。

でも、このまま彼女と心中しようっと…おしまい。


 
 
 
 
 
 
 


2015年7月 8日 (水)

3 4 5 の公倍数

たぶん…答えは『60』だ。

これを小学校や中学校では教えてくれるのに、高校になると当たり前なので、全く教えてくれなくなる。

でも、歳をとるにつれて、もっと真面目に考えなければならない。


3と4と5が生きる世界では、60まで待たなければいけないのだろうか?

待てるわけがない!

割っても、足しても、引いても…よう分からぬ。


が、生きているのだ。


どうやって『60』まで待てるか?


「どうやって 待つの」
とみんなに問いたい。

ボクは そんなに 悠長に 待っていられない。

…こんなことを考えるだけで、頭にくる。

還暦じじいは そんなに思慮深いのである。

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