2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カテゴリー「登山・山歩き」の記事

2017年5月31日 (水)

久住山珍行記

鬼嫁が、
「ミヤマキリシマ の 花が咲いているのが 見てみたい!」
とおっしゃるので、初めてこの時期に久住に行った。

現役時代には、繁忙期であり、我が家の田植え時期と重なっているので、絶対に無理だったが、再就職なので思いきって出かけた。

日曜日、久住山の吉部地区の大船山林道から登山スタート。

朝7時だというのに、民間駐車場の管理人さんが300円を集めていた。車もすでに10台以上停まっていた。

今回は、吉部~坊がつる~大船山~北大船山~大戸越え~平治岳~北尾根経由で吉部に戻るという周回コースを設定した。

ミヤマキリシマの鑑賞とともに、きちんと山頂を踏んでいない大船山と平治岳を登っておこうというものだ。

鬼嫁の体力と平治岳の北尾根の道に不安はあったが、7時間あれば大丈夫だろうと思って、朝7時にスタートした。

坊がつるまで気持ち良いアプローチが続き、色とりどりのテント場を抜けて段原まで一気に上がった。

三俣山にも所々群落が見えたが、大船山一帯はやっと咲き始めたようだ。段原にリュックをデポして山頂までピストン。
天気は快晴で、素晴らしい展望が広がっていた。
久住は何度も来ているが、ほとんどガスがかかっていたので、大船山からの展望がこれほど素晴らしいとは思わなかった。


002


 
 
 
 


005


北大船山経由で大戸越えのルートは思った以上に明瞭で、平治岳の南斜面のミヤマキリシマは満開まじかの美しさだった。


010


大戸越えから平治岳の登りにかかった頃になると、鬼嫁の足取りがやや重くなってきた。
山頂で一休みして、いよいよ北尾根の道を下り始めた。


012

登山道はすぐに荒れはじめて、急こう配の中をズルズルと下る羽目になった。
今まで多かった登山者がぱったりと途絶え、途中、一組の学生グループとすれ違っただけだ。

森も灌木だらけで全く面白くない。
しかも足場が悪く、ガレ場も多い。
途中、木の少ない平地に出たが、すぐに深い谷に入った。

ここで進路を阻まれた。
一帯は崖で、唯一踏み跡が残っていた箇所は大岩が崩れ落ちて、古いお助けロープが下がっていたが、崩落が激しく下まで届いていない。しかもほぼ垂直。

学生たちとすれ違っているので、どこかに巻き道があるはずだと周囲を探ってみたが、それらしきものは見つからない。

仕方がないので、もう一度平地のところまで登り返したら、偶然、男2人、女3人のグループが下りてきた。

彼らは大分市内の愛好家で、
「このルートは初めて下るが、途中、はしごがあるという報告を読んだことがある。ここまでトラバース道はなかった…」
と言うので、一緒に現場まで戻った。

よく見ると、お助けロープの上につぶれたはしごがあった。
大岩が落ちた時に崩れながら押し潰されたのだろう。

男三人で踏み跡やルート探しをしたが、やっぱりボクが下りかけたルートしかないようだ。
滑落は防げそうだが、鬼嫁が怖がって立ち尽くした所だ。

山慣れた男が、
「ちょっと下りてみます」
と言って木を掴みながらゆっくり降りはじめた。

「ああ…ここは少し足が届かないけど…大丈夫みたいですよ」
と下の方から声がした。

その人の指示を受けながら女三人もそろりそろりと下りることができた。
鬼嫁に、
「あのおばちゃんたちが降りたのだから…行こうか。それとも平治岳まで戻る?」
鬼嫁は絶望的な顔をしてため息をついた。

ボクが先に下りて、下から確保点を指示する。割とスムースに降りてきたが、やっぱり足が届かないところで固まってしまった。

「40~50㎝だから、腹這い姿勢のまま…ずり落ちてこい」
ボクは両手でしっかりとした枝を掴んで、ズルズルと滑ってきた重い鬼嫁を受け止めた。

鬼嫁は礼も言わずに、
「あ~怖かった!」
と深呼吸をしていた。

見守っていた男二人に礼を言って、7人で長い下りに辟易しながらようやく林道に降り立った。

013


林道脇には大きな立て看板があった。
「地震による登山道崩落のため立ち入り禁止」
とある。

男3人は、
「山頂にも立てておかないとなぁ…」
としみじみ語った。

そこから吉部の駐車場までが意外に長かった。
大分のグループに改めて礼を言って車に行こうとしたら、一人の軽装の中年男がウロウロしている。

変な奴だなと思いながら、通り過ぎようとしたら、
「チョジャバル チョジャバル…」
と語りかけてくる。

韓国人か中国人のようだ。
一枚の紙切れを見せながら、相変わらず、
「チョジャバル チョジャバル」
と必死で語りかけてくる。

ハングル文字であった。
7人で話しあったところ、
「ここは長者原なのか?と聞いているのだろう。たぶん団体登山ではぐれてしまって、坊がつるから雨が池方面に行くところで間違えてこちらに降りてしまったのだろう」
という結論に至った。

「Do you want goto Choujyabaru?」
怪しい片言英語で話しかけてみたが、おじさんは、
「チョジャバル チョジャバル」
としか言わない。
こちらの英語がダメなのか、おじさんが全く英語が分からないのだろうか?

後ろの山を指して、
「Choujyabaru is over there!」
と語りかけ、
「That is my car. Come on! I bring you to チョジャバル!」
と、車を指さして伝えた。

「アリガトゴザマス」
と立派な日本語の返事が返ってきた。

それから長者原まで10分もかからなかったが、韓国人のおっさんは、結局、
「チョジャバル」と「アリガトゴザマス」
しか言えなかった。

途中、スマホが通じるようになったので、おじさんのメモから添乗員に電話をした。
おじさんはすごい勢いで何やら怒鳴っていたが、電話が切れたようだ。

そうこうしているうちに長者原の駐車場に着いた。
ハングル語表示のバスが遠めに見えた。
「Bus!  Bus!」
とおじさんに告げた。

おじさんは身を乗り出しながらバスを見つけた途端、涙目になって、リュックから財布を取り出していた。
「No no!」
と言って、おじさんをバスの運転手に引き渡した。


これにて一件落着…のはずであった。

日本の運転手さんに顛末を話しながら、
「ひょっとして…本隊はまだなのですか?」
「そうなんです。ここに降りてくるはずなんですが…」
「ガイドはついているんでしょ?」

「それが添乗員だけで、ここは初めてと言っていたし、下見もしていないようなんです」
「ここに降りるのなら、雨ケ池経由になりますが…まだですか」
「あいつ(添乗員)は、この間も違う山でコースを間違えたからな…」

…という恐ろしい会話になった。

とりあえず、騒動に巻き込まれたくなかったので、『チョジャバルおじさん』と握手をして別れた。

再び泊まった宿の温泉で汗を流した。
長湯の鬼嫁を待っている間に、フロントのおじさんに顛末を話した。

聞くところによると、久住山系には韓国人ツアーが爆発的に増えているそうだ。
しかも軽装でしばしば遭難騒ぎが起こっているらしい。


そうこうするうちに、ボクのスマホに着信。
さっきかけた韓国人ツアーの添乗員からの返信である。
無事に合流したという電話だろうと思った。


「もしもし?」
「モシモシ ニホンジンノカタデスカ?」

「そうです。さっき、はぐれた人を長者原に送っておきました。長者原に着きましたか?」
「エ~ト…ココガ ドコナノカ ワカリマセン…」


…思った通り、最悪の展開になってきた。


「トチュウデ 雨 トユウ カンジガアル フルイ カンバンガアリマシタ」

そういえば、吉部ルートの途中に『暮雨の滝』があった。

「いまいる所はどんな所ですか?」
「チュウシャジョウ ノ ヨウデス」

「駐車場ですか? 舗装されていますか?」
「ホソウ? キガ タクサンアリマス」

どうやら…吉部登山口の駐車場に違いない。
やっぱり、本隊も吉部に降りたようだ。

「それで、どうしますか?」
「サッキ ウンテンシュニ バスオ マワスヨウニ イイマシタ」

「では 大丈夫なんですね?」
「タブン ダイジョウブデス。カレハ ドウシマシタカ?」

「長者原でバスに乗せました!」
「ノッタノデスネ  ワカリマシタ!」

…という会話だった。


フロントのおじさんの話では、「雨」が付く地名は、この一帯では、「雨ケ池」と「暮雨の滝」しかないそうだ。
「長者原に戻ってこないということは、「暮雨の滝」経由で吉部に降りたのでしょう」

どこに降りたかわからなければ、バスの運転手さんはどうしようもないはずだが、さっきボクが吉部登山口の話をしておいたので、「ピン!」と来たのだろう。

フロントのおじさんによると、最近の韓国からのツアーは、ガイドも雇わず、軽装で、登山経験の少ない添乗員だけで案内するため、色々なトラブルが発生しているそうだ。

それにしても、『チョジャバルおじさん』は、「アリガトゴザマス」が言えたのに、
通訳兼添乗員は、あれだけ日本語がしゃべることができるくせに、
「アリガトウ ゴザイマス」
は知らなかったようだ。


山口への帰路、九重山の遭難ニュースが流れないか心配だった。

でも、数日たった今でも遭難ニュースはない。

ついでに、添乗員やツアー会社からも何の連絡もない。


おしまい。

2017年4月16日 (日)

夏が来れば行きたくなる

いつかは行こうと思っている…『尾瀬』。

展望はないはずだが、鬼嫁によると、
「行く気になったのなら…行ってあげてもいいわよ!」
と、相変わらず上から目線である。

とはいえ、ボクも余命5年ぐらいなので、歩けるうちに一度は行ってみたいと思っていた。

そこへ、おやじバンドの話が煮詰まってきた。
MHも同行記事を書く気になっている。

6月にはMHを含めた同窓旅行の計画がある。

田植えと、おやじバンドと、尾瀬沼の日程を慎重に決めていこう。

…これが退職じじいの特権だな。

2016年12月12日 (月)

ヤブ山突撃隊の永遠のサイト

このサイトの原点である『ヤブ山突撃隊』のサイトが今年で終わるというメールが来た。

いつものように酔ってパソコンをいじっていたので、メールの返信をどうやっていなかったか覚えていなかったが、パスワードやアドレスをメモしているクリアファイルにその痕跡が残っていた。

たしか…移行先のアドレスが何度も拒否されて、キレかかって最後にたどり着いた記憶がある。

はちべえどのにせっつかれて移行した覚えがあったので、今宵、色々と確かめてみた。

そしてようやく見つけた。


全部のオリジナルは保存している。
それをアップロードするソフトはあるにはあるが、もう使い方は忘れた。
しかもそのソフトは、重層式ではない…平面的なシステムだった。
だから、全部で100以上あるページをどうやって更新しようかと思案に暮れていた。


でも、どうやらその全てを全部まとめて移行してくれたようなので、ここにリンクを張っておこう。

これでダメなら、左下のリンクからどうぞ!

 ヤブ山突撃隊



2016年7月21日 (木)

山は呼んでいる

山を歩きたい。


暗い沢を越えて、尾根に出る。
沢で休んだばかりなのに、尾根に這い上がったときには息も絶え絶えになる。


これが最近の山行のパターンになっている。
おじさんの体力はすっかり落ちたようだ。


でも、ヤブ山突撃隊で登るあの雰囲気がどうにも忘れられない。

結成以来…かれこれ20年以上。

あの頃は、元気だったが、歳を重ねたおじさんは体力は落ちてきた。

気力も落ちてきた。


あの元気は何処に行ったか?…と問う気力を敢えて押しつぶしている。


それぞれが好きな山を登っておいて、「いざ!●●山 ○○から行こうね!」というときに集合すればいいのだ。

仲良しグループではないので、ある意味で存在意義があるのだ。

ヒマラヤ登山隊ではないが、そういう意気込みなのだ。


…もうちょっと待ってね。

 
  


2016年5月16日 (月)

十方山(広島県:大谷川から論所へ:ヤブ山突撃隊)

ボクの退職を記念しての突撃である。

最近はずっとY代表とぼっちさんと一緒なので、(二人には不本意?であろうが)、ヤブ山突撃隊は5人で構成されている。

今回、Y代表が計画してくれたのは、「十方山を大谷川から這い上がろう」という還暦を過ぎた爺さんにはやや無謀に近い突撃であった。
おまけに右足首のねん挫が完治していないので、みんなが「大丈夫?」と心配?してくれた。

そこで、全身の筋肉を?バイオギアで締め付けて、右足首にサポーター、そして腰椎ベルトも装着することにした。
まるでサイボーグである。


地理院の電子地図を何度も見ながら、『西中国山地』や『西中国山地の沢』、山歩きさんのHPを参考にしながら稜線の登山道まで這い上がるルートを頭に叩き込む。

さて当日。ぼっちさんを拾って吉和を目指した。
ほどなくT隊長とIクマ対策特殊部隊長が現れ、Y代表も合流した。


瀬戸滝登山口を過ぎて、「そろそろ大谷川だけど…」とY代表が周囲を見ていると、路肩で沢登りのグループが準備していた。

「ここが大谷川ですか?」
「そうです」
…ということで準備開始。


沢グループは男女2人ずつの4人パーティーで、どうやら女性二人を男二人がアシストする様子であった。

グループが先に沢に入って行ったが、ボクたちは、
「わしらは こういうスタイルだからね」
と巻き道にとりかかった。


大谷川(おおたにごう)の沢は大きく、きれいであった。

踏み跡は所々消えているので、何度も沢に降りたり高巻き道を探しながら遡及した。

イシノ小屋跡の初めの分岐まで1時間。
明確な分岐(谷の出合)であり、出合地点にちょっとした平坦地はあるが、西中国山地に記されているイシノ小屋の痕跡はなかった。

H28515_004
 
 

それにしても素晴らしい渓流である。
やがて『くぐり岩』が見えてきた。

H28515_006


沢の真ん中に鎮座しているので、くぐって抜けた。
このところ雨が多いので水量も豊富だ。
濡れた岩が多く、我々の登山靴では滑りやすかった。
でも雰囲気がいい。
T隊長とIクマ対策特殊部隊長の後ろ姿がカッコ良かった。


H28515_009


途中、こんな可愛いケルンもあった。


H28515_012


ボクたちが休んでいると沢グループが特に声もかけずに追い越していった。
彼らは休憩を取らないのだろうか。
ボクたちは何度も休憩を取りながら、周囲の景色を見渡しては、
「ええのう…やっぱり西中国山地じゃのう」
と自然を満喫するのでありました。


H28515_014


 
 


やがて滝が見えてきた。
本流には小滝があり、左の懸崖の上から迫力のある滝がしぶきをあげていた。


H28515_025

暫く眺めた後、本流を滝を超えようとしたら、ホールドがなく滑りやすい岩だった。
高巻きルートを探してみたが、どうやら困難である。

ぼっちさんが、「出しますか!」とザックからロープやシリング、カラビナ一式を取りだした。
彼とY代表は沢登りもするので、沢コースの時はいつも準備してくれている。
ヘルメットを装着したぼっちさんに、「頑張ってね」とボクたちは高みの見物。
空身でスイスイと登って、安全確保の後、ロープを降ろしてくれた。


H28515_029

3人は、
「ぼっちさん!ありがとうございました!」
「Y代表!ありがとうございました!」
と頭を垂れて乗り越えることができたのでありました。


写真で見ると高度感がないが、見るからに危険な岩であった。
上からの写真はつぎのとおり。


H28515_031


 

ゴルジュっぽい所が多いので、高巻きできずに沢を歩くようになった。
やがて次の滝が現れた。


H28515_034


 


 
これも手強かったが、写真の右側の溝をロープなしで這い上がることができた。

このあたりで、「もう引き返せないね。今日の沢の状況だと下りは危険すぎる」と話し合った。
次の分岐に着いた。
「ここが最後の左谷だろうね」

「西中国山地に書いてあった…『三本の杉』が見当たらないなぁ…」
「だいぶ様子が変ったのかなぁ…」
と会話を交わす。


H28515_037


 
 
休んでいると沢グループが再び追いついてきた。
少し声をかけたが、そのまま休まずに上がって行った。

「ホントに休まないね。まるで剣岳の『点の記』みたいだね。どっちが国土地理院かな?」
「装備は違うけど、まぁ~事故もなく早く上がった方だろうね…」
…などとほざいたのでありました。


この分岐から先には滝はないと思っていたが、しばらく上がってみると数メートルの「滑滝」があった。
沢グループはロープを出して確保の準備をしていた。
我々は巻き道のめぼしがついたので、さっさと高巻きで超えた。


H28515_040


 
 
ここから源流域になったが、まだまだ勾配がある。
H28515_043


いよいよ笹ヤブである。


H28515_044


 

10歩歩いては立ったまま休む。
何度も何度もこれを繰り返した。
途中で現在地を確認してみるとかなり西寄りになっていた。
鞍部の『論所』を予定していたのだが、三角点の方にかなり寄っている。

でもササ藪の中で急に方向は変えられないし、すぐ上には稜線が見える。

ところが、地図どおり稜線上はなだらかでいくらもがいても縦走路に飛び出さない。
とうとうボクは気力体力が落ちてきた。
4人が漕いでいる笹の動きを必死で追っていると、
「お~い!着いたぞ!」
という声が聞こえた。

泥と煤に汚れた5人が縦走路にへたり込んでいると、20人以上のグループが山頂方面から下って来た。
「こっちは内黒峠ですよね?」
と聞かれたので、
「はい、そうですが」

「那須からですか?」
「いえ…こっちからです」
と目の前のササ藪を指差した。


H28515_046

 
 
 
山頂方向に歩き出すと、すぐに三角点の広場に出た。
ガスと風が冷たかった。


H28515_047


 
 


 
あわててヤッケを着こんでそのまま瀬戸滝への登山道を下る。
ボクの足は悲鳴を上げていたが、どうやら他の4人もこたえているようだ。

「もうダメ!膝が笑う…」
「沢グループはちゃんと上がれたかのう?」

「おっさん二人はどうでもいいけど、女性軍、特に若い方のお姉ちゃんは最後のヤブは辛かったろうに…無事に上がったかのう?」
「ここで待ってみる?」

「この登山道の下りで追い越されたら…笑い者だぞ!」
と弱音ははきながらも、余計な?プライドを保ちながら瀬戸滝登山口に降り立った。


久しぶりの突撃はホントに堪えた。
なんとか右足首は持ちこたえてくれたが、気力・体力・筋力は確実に低下していた。

もう少し鍛え直さないとみんなに後れを取ってしまいそうだ。

6月から再就職なので、心を入れ替えて精進します。


参考までにトラック図をどうぞ。
登り5時間。下り2時間程度でした。


H28515


 
 


 
いい所です。
最後のヤブ漕ぎはいつものとおりですが、それまでの渓谷は素晴らしいですよ。

おしまい!


2016年5月15日 (日)

十方山(広島県:大谷川から論所を目指して:速報版)

何とか帰還できた。

足首も腰もヘロヘロ状態である。

ヤブ山突撃隊(5人になっている。今やY代表とぼっちさんは欠かせない存在である)で突撃した。


立岩ダムの大谷川から沢沿いに頑張った。

一か所だけ、ぼっちさんからロープを出してもらって乗り越えた。

今日は死にそうなので写真を数枚乗せておく。


H28515_009


 
 
 
 
H28515_015


 
 
 
 
H28515_029


 
 
 
 
H28515_040


 
 
 
 
H28515_044


 
 
 
 
H28515_047


 
 
 
 

要は、立岩ダムから大谷川沿いに這い上がった。


参った、参った、心身ともに疲れはてた。

 
 
 

2016年4月29日 (金)

山かぁ…

歩きたいのはヤマヤマであるが、足首が一定の角度になると飛び上がりそうな痛みが走る。

歳といえばそれまでだが、これが歳というものだろう。

今日は、畑の草を抜いたり、義父の病状を見舞いに行ったりした。


あと一月で現場復帰になるのだが、どうもやる気がうせてきた。


「何もかも面倒くさい」のだ。


柔道で原沢はオリンピック代表に選ばれた。

4年前からすれば、順当な歩みだが、最後は体が動かなかった。
最初から最後まで動かなかった。


七戸が破れた時点で代表選出を確信したのだろうが、それでも体が動かなかった。


自分でも情けないだろう。
悔しくて今夜は寝られないだろう。

それが人間なのだが、それがそれが情けなくて仕方がない。
それを数日悔むはずだ。

負けても奮い立たねばならぬ。
それも他人のために…。


アスリートは辛い。
厳しい。


勝つことしか期待されていないのだ。

辛いなぁ。 
 
 
 


2016年4月19日 (火)

何もかもビックリ!

二月間、無職のじいさんにとって、最高の時期にカタクリに出会える日が来た。

先輩の泰山どのの報告を見て、天気を見て、鬼嫁の指示に従って『弟見山』に出かけた。


ところが、平日の火曜日だというのに仏峠には何台もの車が止まっていた。
「平日にこれだけ休んでいる人がいるとは…日本の経済活動はどうなっているのか!?」
と嘆きながらゼーゼーと急登をあえいでいると、10人ばかりのグループに追いついてしまった。


仕方がないので、それを追い越しながら、
「もう少し後ろから…ゼーゼー上がってくるおばさんがいます」
と告げた。

立ち止まって後ろを見ると、案の定、鬼嫁がヘロヘロしながら上がってくる。


いよいよ弟見山の最後の急登にかかるピークで一息入れていると、鬼嫁が、
「後ろから…黒い大きな犬が来ているの!」
と叫んだので、振り返ってみると……。


なんと!T隊長が現れた。
「あれ?T隊長!?」
「あれ?ヤブ山ちゃん!?」


ヤブ漕ぎ犬は、かつて『ルル』であったが、今は2代目である。
犬の種も名前も聞きそびれてしまったが、立派なヤブ漕ぎ犬であった。

登りは先頭に立つが、下りは主の後ろを歩くのだ。


しばらく話をして、先を譲った。

やがて主稜線に辿りついた。


001


 
 
 
登山道の両脇がきれいに刈り払われて、そこにはカタクリが咲き誇っていた。

002


 
 

003


 


  
弟見山の山頂を素通りして、展望地まで行くと…そこは団体客で大賑わいであった。

T隊長も端の方で…宣言どおり『日清焼そば』を食べていた。

それにしても次から次へと団体が莇ヶ岳方面から上がってくる。

足の踏み場もないどころか、ヘロヘロの登山客が道の脇に生えているカタクリを踏むようにして座り込む。

あまりのすさまじさにさっさと昼飯を済ませて、仏峠方面に戻り始めた。

刈り払われた登山道では、カタクリを写真におさめるために、群生を踏みつける人が多い。

男女を問わずマナーは最悪であった。

弟見山は、いまや屈指のカタクリ鑑賞の山になっている。
島根県の『船通山』以上の人気のようだ。

それにしてもひどい有様だった。

カタクリを見に来ているのか、おしゃべりをしにきたのか、カタクリを踏みつけにきたのか…よく分からないが、カタクリ全盛の時期はこんな風景が繰り広げられているのだろう。


退職してよく分かった。

みんな同じ時期に同じ所に集中するのだ。


がっかりした。

やっぱり…『ヤブ山突撃隊だね』と、T隊長と話した。

鬼嫁は、下山後には温泉に浸かって、
「へぇ~ええじゃん!」
と御機嫌でありました。


もう少し御機嫌をとって、人気のない 静かな山に行こうっと。

 
 
 

2016年3月17日 (木)

ヤブ山突撃隊は…不滅なり

昨夜は、ヤブ山突撃隊の3人にF樹木医とY代表を加えたメンバーで、ボクの退職送別会を開催していただいた。

呑みすぎて危うく最終電車に乗り遅れるところであったが、なんとか間に合った。

面白かった。
ホントは仕事仲間であったのだが、それがいつしか山仲間になっている。
だいいち地図を広げなくても、「あそこの あれが 面白かった」という会話が成立するのだ。


「やっぱり…安蔵寺山への縦走が一番だね!」
「そうです!あの時は止めようと思いました!」
「稜線に出たところで死ぬかと思いました!」


「昔の山新聞を『ヤブ山突撃隊奮戦記』で出版したらいいのに」
「儲かりませんから…」
「あの頃は面白かったね」
「ホントに楽しかった」

…などという会話をしているだけで時間が過ぎていった。

Y代表に、「次は考えておいてね」とお願いしておいたが、
「ヤブ山突撃隊は…あなたたちでしょうが!」
と返礼を受けた。


F樹木医の木に関する話も興味深いものがあった。
Y代表の山野草のウンチクも素晴らしいものがあった。

「やっぱりボクたちに必要なのは…学術的なところだな」
というT隊長のつぶやきに一同が吹き出した。


いいなぁ…山仲間は最高である。


さて、明日の周南の山仲間たちとはどんな会話になるのだろうか?

 
 
 
 


2015年11月21日 (土)

久しぶりの山歩き『飯ヶ岳』(山口市徳地町)

このところ海外出張や県内も泊まりばかりで、自分の立ち位置が分からなくなってきていた。


昨夜、晩酌をしながら、鬼嫁に、
「明日はどこかに登るか?」
と聞いたら、
「行ってあげてもいいわよ」
とのたもうた。

ホントはこの連休に孫の一歳の誕生餅を携えて、東京方面に向かいたかったのだが、連休の真ん中に行事が入ったので、蟄居の身になっていた。

ずっと山に行っていなかったし、田んぼは先日の大雨でぬかるんでいるので、山歩きを考えた。


でも、鬼嫁の出発は…9時である。

展望がよくて、足元も良い…山はない。

ホントは小五郎山に登りたかったのだが、時間が押してきたので、ヤブ山突撃隊の原点である…『飯ヶ岳』にした。


寂地山のほうが近いのだが、登る時間を考えると躊躇する。

飯ヶ岳は、ヤブ山突撃隊の原点に近い山である。

滑林道は長いが、今の乗用車でもどうにか登山口まで上がれた。

雑木が伸びて、滑松やブナの幼木が育たなくなって、一斉に下刈りが行なわれていた。


ボクはいつも反時計回りに上がる。

絶対にこのルートの方がいい。


002


 
 
 
 

久しぶりに滑の山を満喫した。

駐車場には2台の車しかなかった。


鬼嫁の息が荒いので力を抜きながら登った。

支尾根は植生がだいぶ戻っていた。

006


 
 
  
 
 
 
 
 
 

トラバース道はかなり荒れていたが、山口市内でブナに出会えるのはこのエリアだけである。

008


僅かに残った紅葉を眺めながら、縦走路に出た。

山頂には単独行の二名だけだった。


一人は315号から、もう一人は滑から上がって来た人懐っこい人だった。

さっさとラーメンをこしらえて、黙々と食べた。


やっぱり莇と弟見山の稜線上のブナ林が美しい。


弟見谷の美しさを思い出した。

もう一度、弟見谷のトチの大木に会いたいと思った。

やっぱり西中国山地が最高である。

特に、今回の滑山の笹の勢いがよかった。

でも明日は仕事。

これがなければもっと違った山行が出来たはずだ。


これから長い…仕事ばかりの世界がはじまる。


なんど暮してもこの時期が厭だ。


 
 
  
 
 

より以前の記事一覧