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カテゴリー「ビジネス・人生論」の記事

2017年7月13日 (木)

時流に遅れをとりはじめたようだ

ホントは音楽のジャンルの話であるが、人生全般に通じるような気がするので、人生論のジャンルで書いておく。

今や一週間に一度しか更新できないブログになっているが、毎晩ギターの練習をしている。
1時間もすると、酔いは最高潮に達して、そのまま寝てしまう。

仕事が休みの日は、昼にチャージするので、夜はさらに早目の就寝となる。
ブログのことはすっかり興味が薄れて、自分のサイトを開くこともなく爆睡している。


さて、そんなことはどうでもよい。

いま、定期的に還暦バンドのギターの自主練習をしている。
自分なりに納得がいった頃に、youtube の音楽と合わせて演奏してみる。

そこで、最近、ガックリ来ている。


コードが押さえられないときは、練習が足りないだけで、音が合わないだけだ。

ところが、最近は…「もう ダメ!」状態になっている。


バンドにとって致命的なことは、合っていないこと。

リズムが合わなくて、ずれたら…雑音どころではない。

ひとりでやっているときは調子が良かったのだが、今宵はがっくりきた。

まるで時代に取り残されているような気がした。

短いズレはあるとしても、中長期スパンで微妙?ではなく、明らかにズレが出ていた。

「あれ? ひょっとして やっぱり 時代に取り残されている?」
とひしひし感じた。

自分ではまともなつもりだったし、冗談で年寄りめいたことを言っていたが、
どうやら、すでにその領域に入っていたようだ。

みなさんも試してみたらいい。

「こんなに時は早く流れているの?」
とびっくりするはずだ。

2017年4月11日 (火)

自己責任

某大臣の発言でバッシングを受けているが、日本中に自己責任の放棄がはびこっている。

個々の責任を果たせば全ては完結する…はずである。

それができないとなると、自分の責任を放棄して他人の責任論に走っている。
だから世の中は混乱し、他人を疑心暗鬼で見る。


イヤなら誰が何を言おうと拒否すればいい。
徹底的に拒否すればいい。
それだけだ。
他人に頼るな。
自分だけで拒否しなさい。
理由はなんとでも言えばいいのだ。
自己責任なのだから好きにすればいいのだ。


浅田真央が引退したら、マスコミは彼女一色になった。
彼女はえらい。
よく頑張った。
よく耐えた。
しっかり褒めてあげたい。
ねぎらいの言葉を捧げたい。
…それだけでいいのだ。

さっきまで、論じていたことはどうでもいいのか。
数日経ったら思い出したようにバッシングを再開するのだろう。

責任のない輩は幸せである。
目の前の餌をとりあえば…日が暮れる。
明日は日が昇ればどうにかなる。


退職してから気がついたが、今の世は…自己責任を放棄したり、自己責任を見ないようにする…風潮が顕著になった。
全てが他人任せ…「もたれあい」だ。


自己責任をないがしろにした輩と会話をする時間がもったいない。

退職してワイドショーを見るまで…マスコミがこんなにバカげたものだとは…知りませんでした。


新興宗教よりもひどいな。
ひどすぎる。

これで世論が動いているのか?
ひどすぎる。

2017年3月31日 (金)

書くかぁ…

いろいろ仕事や家のことで少し忙しかった。
書こうと思えば書けたのだが、みなさんと一緒で…たぶん書く気がしないのだ。

でも気を取り直して書いておこう。


まず籠池劇場と国会の話。

ボクの感覚からいえば、政治家にはつきものの構図のこと。
官僚たちは政治がらみの話には敏感で、これを処理するときには最大限の注意を払う。
ダメなものはだめだし、できるものはできる。
それをやっただけだろう。

だから、土地処分の問題や、夫人付きの職員の手紙やメールをいくら攻めても無駄である。
だって、彼らはそんな悪事を働こうとは思っていない。
その上層部を攻めても無駄である。
完全犯罪が成立している(つまりきちんとした手続きを踏んでいる)し、『悪魔の証明』状態になっているから、これ以上なにをやっても無駄である。
これを攻める人たちは、大人ではないと思う。
いくら裁判になっても証拠がでない。
状況証拠もない。
だれがどうしようとしたかも分からない。
詮索するだけ無駄な事件だと思う。

その2.
裁判官の話である。


ある原発の再稼働の判決について、原告側やマスコミが、
「再稼働を容認!」
と騒いでいた。

これはおかしな話だ。

だいいち、裁判官には国に重要な決定を任されてはいない。
かれらに国を左右する権限も能力もない。

せいぜい…訴えに対しての裁決を下せるだけの職種である。
その職の人間に対して、「原発の是非を決定権はない」のだ。
そのことを肝に銘じるべきだ。
決定権は国民にだけ与えられている。
それを忘れてはならない。


その3.
政治家と有権者のこと。

立候補するには、三つのかばんが必要になる。
金と地盤と候補者本人がいる。

このためには何かを犠牲にしなければならない。
支援者や自分の理想を捨てる必要がある。
それがイヤならならなければいい。
やりたいひとはやったらいい。
それでもやりたいなら、それを公言すればいい。


普通の大人ならば、「大人の事情」は分かっている。
その事情を暴くのがマスコミの使命のようであるから、それを前もって公言した方がいい。

世の中に、「善人」は存在しえないのだから、それを堂々と公言すればいい。

ボクは、小池都知事が嫌いだ。

彼女はマキャべリストで、ポピュリズムをまとって人々を騙している。
石原元知事は責任を取らされる状況に攻め込まれているが、いわば天然ぼけに近い。
彼に悪気はないが、彼女には企みがある。
それがぷんぷん匂ってくるから、反吐が出るほど嫌いである。

人間には纏わりつく匂いがある。
それは振り払っても振り払っても拭いきれない。
自分の中身を変えない限りつきまとう悪霊のようなものだ。


人のために頑張る人は…そんなに胸を張って言葉を吐かない。

…他人の悪口はみっともないので、もうやめる。


2017年3月17日 (金)

善と悪

善を悪が攻撃する。

悪に対しては善はバリアーをはって防御すればいい。
悪を遮断すればいい。
もしも突破されたら善を貫けばいい。


これは生きている人間にとっては実体験なのだが、この世は架空世界なので、
「悪はいけない。善は正しい」
という現実世界では生き方が難しい。


普通の人間には、「悪い」ということが分かる。
でも人間なので、「悪いけど仕方がない」という悪魔の声が聞こえてくる。


ボクは、こういう気持ちを『原罪』と書いているのだが、これを宗教に利用されたくない。

キリスト教の『原罪』は知らないが、どうにも越えられない人間の弱点がある。

それにかこつけてくる輩が許せないだけだ。


悪貨は 良貨を 駆逐する…のでしょうなぁ。

…ひとりごと。備忘録。


2017年2月16日 (木)

スピノザ、ライプニッツ

星座を眺めていると、「スピノザ、ライプニッツ」を思い出した。

たしか、ライプニッツは微分か積分の学者だったと記憶しているが、この二人の思想に魅かれたことがあった。

今ではその全てを忘れてしまっているが、極めてアカデミックな理論だけが懐かしかった。


今の世は、トランプ大統領や某劇場を盛り上げている人たちに代表されるように、目の前の利益と人気オンリーである。

人類がこれまで脈々と築いてきた文化、歴史、科学、道徳が破壊されようとしている。

人類はどれだけの英知と犠牲を払ってきたのか…を分からぬor無視するような人間と、ボクは一緒に生きなければならないのだ。

思想が違うと言われたらそれまでだが、人類の英知はそんなに浅くてふわふわしたものだったのだろうか。


情けない。
ホントに情けない。


アカデミック…がいい。


2017年2月13日 (月)

齢を重ねるⅡ

この土日も仕事だった。

代休を取ろうと思えば取れるのだが、鬼嫁の死ぬ前の第2希望を叶えるために3月にバカンス?をとるので、2月は仕事に精を出している。

それでも自分のやりたいことはやりたい。
だから昨日は、昼過ぎに帰るなり裏山に上がって下ゴリをした。

通りかかったM3翁やKさんが声をかけてくる。

ボクよりもはるかに年上だが、
「ケガをせんように…ゆっくりやりなさい」
と優しい言葉をかけてくれる。

ボクがいまどれだけやろうともすぐに跡形もなくなる。
それでもやらずにはいられない。


「これで なにが どうなるのだ!?」
と自問自答することがなくなってきた。

もう どうでもいいのだ。

やりたいことをやって それが終わったら それでいいのだ。

2017年2月10日 (金)

オリオンに吼える

どうやら人間は動き続けないと頭に来るらしい。

なにかを求めて、なにかをしないと落ち込んでしまうように創られているようだ。

それが攻撃になったり、内にこもってしまったり…する。

それに気づかずにひたすら頑張るが、ターゲットが失われるととんでもない精神状態や行動を引き起こす。


何もしたくなくても、何かしないと生きていけない。
哀しいがこれが現実である。

だからやりたくもないことをやらねばならぬ。

それを嘆く。


自分の胸に手をあてよ。

なにがやりたかったのか、なにができるのか…正々堂々と述べよ。

眼をそらさずに言葉を発せよ。


しかし、そんな問いを発する輩には反吐が出る。
「おまえが 何を言うか」
と反発エネルギーが湧いてくる。

「冷たい光を出すな!」
と、冬の星座を眺めながら思った。


好きでこうして生きているわけではないのに、冷たく光るから遠吠えをしたやった。

ヤツには届かないだろうが、こっちはこっちで生きているのだ。


2017年1月31日 (火)

鬼嫁の慧眼

還暦を過ぎた夫婦に会話はほとんどない。

ましてやボクは遠距離通勤なので早朝出勤。
言葉を交わすとすれば夕食時ぐらいである。

テレビのニュースを聞きながら、
「トランプはあれだけ好き放題やって、楽しくて仕方がないだろうな。
 あいつはどうしようもない悪ガキだからどうしようもないけど、
 あいつを担いでいる連中の神経が分からん」

すると鬼嫁がこう言い放った。
「だから周りにいる連中が、いちばんタチが悪いのよ。
 ひどいことをしていると知っていながら…やってるわ」


僕はトランプや側近を自分に置き換えて、人間の心に潜むおぞましい野望や征服欲のようなものを思い浮かべていたのだが、
鬼嫁はあっさりと外から眺めていたのである。

ボクには勤め人の性として、
「自分ならこうする」
という思考パターンが埋め込まれているのだが、
専業主婦となった鬼嫁には外から見る眼が磨かれているようだ。


それにしてもトランプ政権はひどい。
反面教師を通り越している。
悪政の限りを尽くしたかつての暴君と同じだ。

彼らを引きずり降ろすために、膨大なエネルギーと多くの犠牲を払うのだろうか。

それにしても、なんど同じことをしなければいけないのだろうか。

そして…性善説と性悪説は永遠に語り継がれる。

 

2017年1月10日 (火)

焚書

そろそろ人生の終わりが近づいている。

30年ぐらい前、父が亡くなった時、遺品を整理するのに母と手間取ったことを思い出す。

特に本の処分が難しかった。
父の経歴などから推測しながら分別したのだが、とにかく迷った。


今週、本箱が一杯になってきたので、思いきって自分の所蔵本を整理し始めた。

学生のときにわざわざ家に持ち帰った本がある。
もう読んでいないし、これからも読まないだろう。
さっさと捨てたらいいのに、勇気が湧かない。

自分の青春を捨てるような気がして、外に放り投げる決心がつかない。


こんな本を残して死んだら、残されたものたちは困るだろう。
そこで、自分が生きている間に始末することにした。


重たい全集がある。
学生時代、あれだけ金がなくても手元に残したし、就職で帰ってきたときにも一緒だった全集である。

ボクが死んだら誰も読まない。
ましてやボクが読むこともない。
さっさと始末すればいい。
未練を断ち切ればいいだけだ。


函を開けて読めば全ては解決するのだが、じじいに気力はない。


「さて…どうするかな…」
と思案している。


ボクが捨てなければ、あとの皆が困るのだ。

「さっさと 捨てろ!」
とハッパをかけている自分と、うらめしそうに本を抱えている自分がいる。

2016年12月27日 (火)

一次関数と二次関数の戦い

明日から休みにした。

家に帰ると、鬼嫁が年末年始用にいろいろ準備していた。
明日から、かしましい3人姉妹の孫が帰省するのでそれなりに準備をしているのだろう。

でも晩御飯になると、眼を合わさないまま、
「イタリアに行きたいのよね…」
「行く気があれば行けるよ!」
…と、ここまではたいへん仲良しな夫婦であった。

どうやら、先日の会話をずっと考えていたようだ。
「ボクの先は短い。いけるときにさっさと行っておこう。行きたいところがあれば、早いうちに行こう」
と語った…らしい。


その後ボクはトイレに行って、少し違和感を感じた。
たしか一昨日、パジャマのゴムが緩くなっていたので、
「捨てるか、ゴムを替えるかしてくれ」
と優しく言ったはずだ。

ところが、ゴムは10センチも延びない。
ここでボクは、ピーンときた。


リビングに戻るなり、鬼嫁にこう宣言した。

「おまえ!ゴムを絞っただけだろう?」
「はぁ? 替えましたよ!」

「何処を替えたんだ?」
「ぜんぶ 替えましたよ!」

「なにぃ~また ウソを突くのか!!」
「ゼンブ! カエマシタ!!」

「ホントにゴムを替えた? まさか?100均?」
「ダメだった? 分かった?」

「バカ!」
「………」


若い夫婦で、少しでも節約しようとしたのなら美談である。
ところが、仕事を37年間頑張った亭主の延びたパジャマのゴムを…100均で買ったのである。
延びるわけがない。

還暦を過ぎた夫婦がどうして、パジャマのゴムでケンカをしなければいけないのだろうか。

悪いのは鬼嫁であった。

いきなり理不尽に切れたので、優しく諭してやろうとした。

一次関数と同じである。
ある座標から突然、思いもよらない方向に向かっていく。

ボクを見習え。
ボクは緩やかに、次は変えますよと…言いながら向きを変えていますよ。


ところが、ここで、
「明日から 孫が帰ってくるのですよ!!」
ときつく言われた。

孫が帰ってくることと、ボクのパジャマのゴムとの間に相関関係はないはずだ。

ところが、3人の孫とボクは同じカテゴリーのようだ。


二次関数のように…曲線的に動けば対処のしようもあるのだが、いきなり直線的に向きを変える。

げに…げに…女は恐ろしい。

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