カテゴリー「ビジネス・人生論」の記事

2017年10月10日 (火)

敗者の帰還

山口県がようやく見えてきた。
12日ぶりだ。
港に着くまでにはまだ一時間はかかるが、気持ちは次第に戦闘モードから通常モードに切り替わってきた。
敗残部隊の士気はなかなか上がらないが、気をとりなおしてたち直そう。

山口県には数日前に大雨が降ったようだか、田んぼはどうなっているのだろうか。
今週中には稲刈りをしなければならないが、どうかな?

明日は職場に顔を出して当面の雑務をこなして、スケジュールを考えよう。

今夜は熱燗にするかな。

2017年10月 3日 (火)

気がつけば10月

ホテル暮らしも今日で何日目かよく分からなくなってきた。
着替えの数を数えてみたら、明日が半ばだった。
ホテルのコインランドリーの場所は確認していたので、一年振りの洗濯に取りかかった。

顛末記を書くつもりだったけど、使い方を何度も聞いたホテルのお兄さんのご機嫌が次第に悪くなったし、ぼくのイライラも極限に達したので、ここで終了。

着替えの数の計算では、たしかあと一週間のはず。

2017年8月 1日 (火)

時間が逃げていく

還暦前からどうもおかしいと思っていた。
やりたいことができなくなった。
どうしてできないのかと不思議に思っていたのだが、どうやらこれが老化の兆しらしい。

若い頃は、時間が迫ってきていた。
それにぶち当たっていくのが若さだったような気がする。

歳を取ると、時間が逃げていく。
何をやろうとしても…おかしい。
こんな自分ではなかったはずだ…とうろたえることが多くなった。


若いときは時間と闘っていたような気がする。
挫折は大いに味わったが、それでも…「いつかできる」と思っていた。


今はどうか?
「できない」ことしか頭に浮かんでこない。


どうやら、歳を取ると、時間の後ろ姿しか見えないようだ。

時間の残影は、いかにも意味ありげにボクを誘惑する。
そして、それを追いかける自分がいる。

…情けない。


時間に面と向かって立ち向かう自分はいない。

2017年7月13日 (木)

時流に遅れをとりはじめたようだ

ホントは音楽のジャンルの話であるが、人生全般に通じるような気がするので、人生論のジャンルで書いておく。

今や一週間に一度しか更新できないブログになっているが、毎晩ギターの練習をしている。
1時間もすると、酔いは最高潮に達して、そのまま寝てしまう。

仕事が休みの日は、昼にチャージするので、夜はさらに早目の就寝となる。
ブログのことはすっかり興味が薄れて、自分のサイトを開くこともなく爆睡している。


さて、そんなことはどうでもよい。

いま、定期的に還暦バンドのギターの自主練習をしている。
自分なりに納得がいった頃に、youtube の音楽と合わせて演奏してみる。

そこで、最近、ガックリ来ている。


コードが押さえられないときは、練習が足りないだけで、音が合わないだけだ。

ところが、最近は…「もう ダメ!」状態になっている。


バンドにとって致命的なことは、合っていないこと。

リズムが合わなくて、ずれたら…雑音どころではない。

ひとりでやっているときは調子が良かったのだが、今宵はがっくりきた。

まるで時代に取り残されているような気がした。

短いズレはあるとしても、中長期スパンで微妙?ではなく、明らかにズレが出ていた。

「あれ? ひょっとして やっぱり 時代に取り残されている?」
とひしひし感じた。

自分ではまともなつもりだったし、冗談で年寄りめいたことを言っていたが、
どうやら、すでにその領域に入っていたようだ。

みなさんも試してみたらいい。

「こんなに時は早く流れているの?」
とびっくりするはずだ。

2017年4月11日 (火)

自己責任

某大臣の発言でバッシングを受けているが、日本中に自己責任の放棄がはびこっている。

個々の責任を果たせば全ては完結する…はずである。

それができないとなると、自分の責任を放棄して他人の責任論に走っている。
だから世の中は混乱し、他人を疑心暗鬼で見る。


イヤなら誰が何を言おうと拒否すればいい。
徹底的に拒否すればいい。
それだけだ。
他人に頼るな。
自分だけで拒否しなさい。
理由はなんとでも言えばいいのだ。
自己責任なのだから好きにすればいいのだ。


浅田真央が引退したら、マスコミは彼女一色になった。
彼女はえらい。
よく頑張った。
よく耐えた。
しっかり褒めてあげたい。
ねぎらいの言葉を捧げたい。
…それだけでいいのだ。

さっきまで、論じていたことはどうでもいいのか。
数日経ったら思い出したようにバッシングを再開するのだろう。

責任のない輩は幸せである。
目の前の餌をとりあえば…日が暮れる。
明日は日が昇ればどうにかなる。


退職してから気がついたが、今の世は…自己責任を放棄したり、自己責任を見ないようにする…風潮が顕著になった。
全てが他人任せ…「もたれあい」だ。


自己責任をないがしろにした輩と会話をする時間がもったいない。

退職してワイドショーを見るまで…マスコミがこんなにバカげたものだとは…知りませんでした。


新興宗教よりもひどいな。
ひどすぎる。

これで世論が動いているのか?
ひどすぎる。

2017年3月31日 (金)

書くかぁ…

いろいろ仕事や家のことで少し忙しかった。
書こうと思えば書けたのだが、みなさんと一緒で…たぶん書く気がしないのだ。

でも気を取り直して書いておこう。


まず籠池劇場と国会の話。

ボクの感覚からいえば、政治家にはつきものの構図のこと。
官僚たちは政治がらみの話には敏感で、これを処理するときには最大限の注意を払う。
ダメなものはだめだし、できるものはできる。
それをやっただけだろう。

だから、土地処分の問題や、夫人付きの職員の手紙やメールをいくら攻めても無駄である。
だって、彼らはそんな悪事を働こうとは思っていない。
その上層部を攻めても無駄である。
完全犯罪が成立している(つまりきちんとした手続きを踏んでいる)し、『悪魔の証明』状態になっているから、これ以上なにをやっても無駄である。
これを攻める人たちは、大人ではないと思う。
いくら裁判になっても証拠がでない。
状況証拠もない。
だれがどうしようとしたかも分からない。
詮索するだけ無駄な事件だと思う。

その2.
裁判官の話である。


ある原発の再稼働の判決について、原告側やマスコミが、
「再稼働を容認!」
と騒いでいた。

これはおかしな話だ。

だいいち、裁判官には国に重要な決定を任されてはいない。
かれらに国を左右する権限も能力もない。

せいぜい…訴えに対しての裁決を下せるだけの職種である。
その職の人間に対して、「原発の是非を決定権はない」のだ。
そのことを肝に銘じるべきだ。
決定権は国民にだけ与えられている。
それを忘れてはならない。


その3.
政治家と有権者のこと。

立候補するには、三つのかばんが必要になる。
金と地盤と候補者本人がいる。

このためには何かを犠牲にしなければならない。
支援者や自分の理想を捨てる必要がある。
それがイヤならならなければいい。
やりたいひとはやったらいい。
それでもやりたいなら、それを公言すればいい。


普通の大人ならば、「大人の事情」は分かっている。
その事情を暴くのがマスコミの使命のようであるから、それを前もって公言した方がいい。

世の中に、「善人」は存在しえないのだから、それを堂々と公言すればいい。

ボクは、小池都知事が嫌いだ。

彼女はマキャべリストで、ポピュリズムをまとって人々を騙している。
石原元知事は責任を取らされる状況に攻め込まれているが、いわば天然ぼけに近い。
彼に悪気はないが、彼女には企みがある。
それがぷんぷん匂ってくるから、反吐が出るほど嫌いである。

人間には纏わりつく匂いがある。
それは振り払っても振り払っても拭いきれない。
自分の中身を変えない限りつきまとう悪霊のようなものだ。


人のために頑張る人は…そんなに胸を張って言葉を吐かない。

…他人の悪口はみっともないので、もうやめる。


2017年3月17日 (金)

善と悪

善を悪が攻撃する。

悪に対しては善はバリアーをはって防御すればいい。
悪を遮断すればいい。
もしも突破されたら善を貫けばいい。


これは生きている人間にとっては実体験なのだが、この世は架空世界なので、
「悪はいけない。善は正しい」
という現実世界では生き方が難しい。


普通の人間には、「悪い」ということが分かる。
でも人間なので、「悪いけど仕方がない」という悪魔の声が聞こえてくる。


ボクは、こういう気持ちを『原罪』と書いているのだが、これを宗教に利用されたくない。

キリスト教の『原罪』は知らないが、どうにも越えられない人間の弱点がある。

それにかこつけてくる輩が許せないだけだ。


悪貨は 良貨を 駆逐する…のでしょうなぁ。

…ひとりごと。備忘録。


2017年2月16日 (木)

スピノザ、ライプニッツ

星座を眺めていると、「スピノザ、ライプニッツ」を思い出した。

たしか、ライプニッツは微分か積分の学者だったと記憶しているが、この二人の思想に魅かれたことがあった。

今ではその全てを忘れてしまっているが、極めてアカデミックな理論だけが懐かしかった。


今の世は、トランプ大統領や某劇場を盛り上げている人たちに代表されるように、目の前の利益と人気オンリーである。

人類がこれまで脈々と築いてきた文化、歴史、科学、道徳が破壊されようとしている。

人類はどれだけの英知と犠牲を払ってきたのか…を分からぬor無視するような人間と、ボクは一緒に生きなければならないのだ。

思想が違うと言われたらそれまでだが、人類の英知はそんなに浅くてふわふわしたものだったのだろうか。


情けない。
ホントに情けない。


アカデミック…がいい。


2017年2月13日 (月)

齢を重ねるⅡ

この土日も仕事だった。

代休を取ろうと思えば取れるのだが、鬼嫁の死ぬ前の第2希望を叶えるために3月にバカンス?をとるので、2月は仕事に精を出している。

それでも自分のやりたいことはやりたい。
だから昨日は、昼過ぎに帰るなり裏山に上がって下ゴリをした。

通りかかったM3翁やKさんが声をかけてくる。

ボクよりもはるかに年上だが、
「ケガをせんように…ゆっくりやりなさい」
と優しい言葉をかけてくれる。

ボクがいまどれだけやろうともすぐに跡形もなくなる。
それでもやらずにはいられない。


「これで なにが どうなるのだ!?」
と自問自答することがなくなってきた。

もう どうでもいいのだ。

やりたいことをやって それが終わったら それでいいのだ。

2017年2月10日 (金)

オリオンに吼える

どうやら人間は動き続けないと頭に来るらしい。

なにかを求めて、なにかをしないと落ち込んでしまうように創られているようだ。

それが攻撃になったり、内にこもってしまったり…する。

それに気づかずにひたすら頑張るが、ターゲットが失われるととんでもない精神状態や行動を引き起こす。


何もしたくなくても、何かしないと生きていけない。
哀しいがこれが現実である。

だからやりたくもないことをやらねばならぬ。

それを嘆く。


自分の胸に手をあてよ。

なにがやりたかったのか、なにができるのか…正々堂々と述べよ。

眼をそらさずに言葉を発せよ。


しかし、そんな問いを発する輩には反吐が出る。
「おまえが 何を言うか」
と反発エネルギーが湧いてくる。

「冷たい光を出すな!」
と、冬の星座を眺めながら思った。


好きでこうして生きているわけではないのに、冷たく光るから遠吠えをしたやった。

ヤツには届かないだろうが、こっちはこっちで生きているのだ。


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