カテゴリー「部落の行事、昔の習慣・風俗」の記事

2019年3月 4日 (月)

遺言その1(百姓家の相続)

いよいよ処刑に向けてのカウントダウンが始まった。
ふと思い出した。遺言を書いていなかった。
父の時に母が苦労していたし、今回の母も何も書き残していなかったので、ボクの独断でなんとか相続の手続きを終えた。
と書いたら、ヤブ山家は大富豪と勘違いされてしまうかもしれない。
ところが、市街地に隣接している農家は、現金はなく農地と家屋敷の土地という資産しかない。
そんな土地はさっさと処分してしまえばいいのだが、農地というものはご先祖様が心血を注いで守って来たものだから、普通の子孫であればおいそれとは処分できない。
バブルは弾けたが固定資産税だけはしっかりと課せられているので、はっきり言って究極の負の資産である。
平成元年に父が亡くなったとき、母の裁定で当面、この土地を母とボクで区分して相続することになった。
一昨年、外に出ていた長男が亡くなった。
さらに喪が明けきらないうちに、今度はボクの身体に異変が見つかった。しかも尋常ではない。とりあえず治療を開始したが、最後の段になってかかっていた病院がさじを投げてボクを他病院へ押し付けた。
さらに悪いことに、長く入院したしていた母が亡くなってしまった。
49日の法要の後、鬼嫁から聞いた話によると、三人の子どものうち唯一残ることになるかもしれない実の妹は、母名義の土地の相続について、自分と兄二人の子供たちとの相続になるから、
「いまお兄ちゃんが死んだらどうしよう」と密かに苦悶していたという。
幸いボクが兄家族に話をして一気に相続を片付けてくれたので、今後のことはボクの直系に収れんされ、実家の相続から解放されて安堵したという。
さて、あなたは、実家の土地を相続して固定資産税を払い続けるようなことを選択しますか?
そんなことより我が家はどうするかな。

2019年2月28日 (木)

金比羅社

入院するまでに片づけておかなければならないことのひとつに、部落の社の世話人会の役員人事がある。
会長の任期は1年なのだが、このところずっと再任が続いている。
しかし、今回は会長のボクがこういう状況になったので、誰かに替わってもらう必要がある。

3月から4月にかけて役員会や総会があるので、事業計画はもちろんのこと会長人事の目途をつけておかなければならない。世話人会の会長は、昔であれば名誉職であったが、今では実務者として雑用をしっかりこなすことが求められている。パソコンでの資料作成や、世話人や関係先との連絡調整など結構大変なのだ。

だから必然的に適任者の目途はつくのだが、誰だって簡単には受けたくないのが本音だ。ボクの場合は、当時、長老のN翁が、「地元に帰ってきたヤブ山にやらせよう」の一声で決まったのだが、すでにN翁も他界されているし、他の長老方もお歳を召されて動きが取れない状況なので、ボクが根回しをしておかないと話が進まないだろう。

そこで役員の方々に病状報告をしながら、次期会長についての考え方を伝えたらみなさん賛成してくれたので、「役員の総意を持って会長職をお願いしたい!」と頼みに行った。

覚悟はしていたと思うけど、Nさんには快く引き受けていただいた。入院間近のボクが頼みに来たのだからNさんの性格からして断ることはあり得なかった。
「早く治してそのうち交替しようね」
「うん、頑張るからね」
ありがとうNさん!

2019年1月 5日 (土)

新年会

金毘羅社の世話人による新年会。
皆さんに現状と見通しを伝えた。
ボクより若いのは4人しかいない。
3月4月で役員会と総会がある。
役員人事が話し合われるので、数人の重鎮には詳しく病状を話して、会長職を続けることは困難なことを伝えた。慰留されたが頭を下げ続けた。
最後の締めで、みんながボクの早期回復を祈念してくれた時にはちょっとウルっときた。
みなさんありがとう。

2018年12月30日 (日)

年越し準備

地元の金毘羅社では初日の出の接待が恒例行事である。
秋の例祭後に表参道の取付きが一部崩落していた。
今日は元旦の準備の日である。
ボクは忌みがかかっているので神社には立ち入れない。
世話人の皆さんには準備の終了後に参道の手直し普請をお願いしていた。
これまでは下のTさんと息子の三人で作業をしてきたが、今回は大人数である。
ものの2時間できれいに復旧した。
有難い。
5日には新年会があるので、ボクの会長職交代についてお願いするつもりだ。事情を話せば理解が得られるだろう。ここは下のTさんに引き受けてもらうことになるだろう。今後も世話人の一人として協力していこう。
作業終了後、土嚢袋がズレないように打ち込む鋼鉄の丸棒を買いに行ったら、還暦バンドのベース担当のMさんにばったり出会った。
ボクが抜けることになってみんな苦労しているようだ。
申し訳ない。
年が明けたら、練習時のサウンドチェックに行くことになった。

2018年3月24日 (土)

美田を残す

地下の金比羅社の参道入り口が大変なことになった。

参道の反対側の里山が荒れていたのだが、先だっての強風で杉の大木が折れてしまった。
この地主さんは、同じ部落の方なのだが、今は年老いた娘さんが一人暮らし。

かれこれ50年ぐらい前、公共事業で用地買収の話しがあったとき、
「娘が家を建てる時に使える杉を植えたから…」
という理由で、亡くなられた父親が買収に応じられなかったのだ。

それが今になって、周辺に家があるのに杉ばかりが大きくなって、強風でいつ倒れてもおかしくない状況になっていた。
その懸念が現実となった今、高齢になった娘さんがお金を工面して伐採費用を出す羽目になってしまった。
折れた一本だけならまだしも、あと数本残っている。
しかも普通に倒せる状態ではない。
すぐ横にTさんの離れがあるので、木に登って上から少しずつ切っていく…特別伐採をせざるを得ない状態である。

この作業は破格の費用がかかる。
子供のために残した土地が、子供を苦しめることになるとは残酷な話である。

今日は、参道をはさんだ我が家土地の法面が崩れそうなので土のうを築いた。
50袋ばかり頑張ったのだが、まだ同じ数ほど築かないと安心できそうもない。

「あの時、公共事業に応じていたら…」
と、何度も休みながら、当時、中学生だったころを思い出した。


我が家は土地だけは多い。
だから、ボクの代で始末をしておかねばならない。

だから最近、
「どこを残して、どこを処分するか」
を思案している。

 


2017年12月26日 (火)

納骨

土日は忙しかった。

先月亡くなった兄の納骨のため朝一番の新幹線で兄宅へ。
お寺で法要を済ませて、街中の墓地へ。
周囲は住宅地だが、植樹がされて、洋風の墓石ばかりなので不思議と違和感がなかった。

鬼嫁が、
「こんな墓地なら掃除もお参りも楽だわ」
と羨ましがっていた。

翌日は我が家の墓に分骨をするので、兄家族も含めてそのまま山口へ移動。
兄家族は新幹線口のホテルに泊まって、翌朝我が家へやってきた。

ヤブ山家の墓は家の裏の高台にある。
背後は山だし、周囲は畑や堤の跡地なので、夏場の草刈りや冬の落ち葉掃除が大変なのだ。

住職の読経が響く中、29年ぶりに墓を開けた。
たしか50年ぐらい前に建て替えたので、昔の土葬時の骨は墓の下に埋めている。
平成元年に亡くなった父の骨壺だけがぽつんと鎮座していた。
その横に兄の小さな骨壺を並べて置いた。
生前、兄から分骨を頼まれていたので、これでようやく肩の荷が下りた。


墓を閉めるとき、
「この次は誰が入るのかな?」
とぼんやり想像したのはボクだけではなかっただろう。


母の見舞いにでかける兄家族に、
「兄は急な海外出張が入ったので、急遽来れなくなった」
と口裏を合わせるよう伝える。

認知症を患っているとはいえ、長男が亡くなったとなると尋常では済まないから、母には事実を伝えていないのだ。

週3回の人工透析を受けながら、母はゆっくりと流れる時間の中で何を想っているのだろうか。
どうもボクよりも長生きをしそうな気がする。


ボクもそのうち長期の海外出張に出なければならなくなる。

2017年5月14日 (日)

酔っ払い

今日は、春の例祭。
神主さんをよんで厳粛に執り行った。
その後は恒例の直会である。
正月に残った一升瓶を開けるために頑張った。
年寄りは、『若い者が飲め!』とすすめるので頑張った。
夕方帰る頃にはヘロヘロになった。
さきほど復活したので晩酌を所望したら、
『あんた!えエコロにしいよ!」ものすごい剣幕で怒られた。
頑張ったのに叱られると真っ直ぐ成長できない。
また性格がねじれそうだ。

2017年4月23日 (日)

墓穴を掘った

朝から1時間、部落の社の草刈り。
年寄りが増えるばかりだが、一級下のH君が登場した。
昨年、親父さんが亡くなられたのだが、代変わりで出てきてくれた。
ボク以外に知った人がいない中で少し可哀そうだったが、これが地域デビューである。
がんばれ!


山から下りてきて、家の裏の溝の補修をする気になった。
山水が出るところなので、梅雨前にしっかりと溝をほっておきたかった。


その前の平地に植えた…『いちじく』。
裏山のKさんから接ぎ木を分けてもらった代物だ。
ワンシーズン過ぎたし、去年に続いて新芽が出たのでもう大丈夫だろう。


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それからは、溝を掘り返して、地下水を集める穴を掘った。

ここは我が家の墓の前である。
もともとは、堤だったところを埋め立てているので、じるいところである。


かれこれ30年以上前に、亡き父と水抜き用に三か所穴を掘った。
山水を受けるための役割をするためのものだが、今ではすっかりすっかり埋まってしまって、去年のような長雨には役に立たなくなっていた。

歴史的には、ボクが息子と一緒に再び掘り返せば美談になるのだろうが、現実はそうはいかない。

ひとりで黙々と…10分おきに座りこんでは…頑張った。


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親父が眠る墓の前で、せっせと穴を掘る。
墓穴を掘るとは、まさにこのことである。

土地がない人にとっては信じられないかもしれないが、こんなことをしながら家を守っている。

我が家の領地の中で、ここがいちばん好きだ。

2017年1月11日 (水)

ヤブ山ヒストリー

年末に突然、40過ぎの中年男が我が家を訪ねてきたらしい。

ちょうどボクは仕事に出ていたので鬼嫁が対応した。
鬼嫁によれば、
「今は○○県に住んでおりますが、祖母が生前、父の墓をきちんとできずに、お参りもできないことをしきりに悔やんでいたので…市役所で色々調べて…ようやくここまでやってきました」
と口上を述べていたそうだ。

「私には分かりませんので、主人が午後には戻ると思いますので…」
と伝えたそうだ。

そのことを聞いたボクが待っていると、その男が再び我が家にやってきた。


我が家の家系は、曾祖父の代に複雑になっていて、ボク自身墓参りの人たちが誰なのかよく分からないので、母に家系図を書いてもらっている。


それを持ち出して、彼と話をした。
色々と話をしているうちに、曾祖父代の「○○」ではないかということが判明した。


彼とボクがかすかに覚えている『○○ちゃん』の共通事項もあった。


しかし、彼が探していた墓には墓標はない。
ボクが若い頃に木標が朽ち果ててしまっている。
ボクが学生時代に、「墓地に建立することができないので、傍でもいいから建てさせてほしい」
という記憶で亡父が承諾して、その後、母が世話をしてきた無縁仏のような墓であった。


お参りする人がいないので、木標が朽ち果てた後は、その跡に目印の石を祀り、花立てとお供え用の皿を置き、我が家の墓参りの都度、ついでにシキビをお供えするだけになっている。


彼にそれを伝えるのは残酷だと思ったが、
「これがお墓です」
と指さした。


彼は、
「ありがとうございました」
と言って、菊の花を捧げてお参りしていた。


「5月頃には伯叔母と一緒にお参りに来ようと思います」
と聞きながら別れた。


目印の石しかない墓を…彼はどんな思いで拝んだのだろうか。

2017年1月 7日 (土)

新春

今日は、地元の氏神様『金毘羅社』の迎春の後片付け。

10時から世話人で幟や幕、表と裏の参道に張った燈明を撤去した。
ボク自身、正月は5社参りをしたのだが、有名な神社仏閣はさすがにきれいに新春用意がされたいた。

ボクたちの氏神様は、地元中心で、部落以外から参られる方は少ないが、それでもなんとかこうして維持している。


昼には世話人の新年会をした。
去年は二人の世話人が亡くなられた。
若い世代に入ってきてほしいのだが、地下の家を含めてみんな敷居が高そうだ。
どうやって次の世代を呼び込むかが問題になったが、みんな自分の後継ぎに困っている状態だ。

新興住宅地には多くの人たちがいるのだが、地下の社の世話人と聞くと二の足を踏む。

難しく考えることはないし、排除するような人もいないのだが…。


そろそろ代表を降ろさせてほしいのだが、亡くなったN1翁があの世で眼を光らせているのだろうな。

宴席でみんなにお願いして回ったが、
「ヤブ山君、頑張ってくれ!」
ばかりであった。

また新年がスタートする。

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